毒蛇夫妻との謁見

 白い大理石の床が、お仕着せ姿の俺をうっすらと映している。

 小汚い格好では、貴顕の方々の前に立つなんて許されない。レジャヤに到着したその日に、俺は浴場に連れ込まれた。全身を隈なく洗うのはもちろんのこと。ボサボサになった髪にも、全面的に手が入った。

 今では、斜めに流した前髪がキザったらしい。どこのお坊ちゃまかと思うくらいだ。


 それにしても、なんと頼りないこと。

 ボロボロになった旅の外套を纏っている時には気にならなかったのだが、黒い礼服に身を包むと、急に自分が幼くなったような気がしてくる。

 なぜだろうと思い返して、理由に行き当たる。きれいな服を着るのは、目下の人間として振舞うためだ。外見に見合う言動も要求される。ひたすら頭を下げ、相手の意に沿おうと気を配る。自立した一人の人間としてではなく、強大な権力の前に膝をつく卑小な存在になりきらなくてはいけない。いわば、過去に戻るわけだ。

 唐突に、あのフリュミーのことを思い出した。陸にあがった彼は、波打ち際に取り残された貝殻みたいだった。今の俺も、きっとそんな感じなのだろう。


 金メッキの柱の間から、靴音が響いてくる。


「ファルス殿」


 カフヤーナだ。

 今日も青一色の侍従の制服を身に着けている。


「おはようございます」

「おはようございます。準備はよろしいですか」

「滞りなく」

「では、参りましょう」


 これから謁見かと思うと、さっきまで快適に感じていたこのホテルでさえ、まるで監獄みたいに思われてくる。

 なんとか乗り切るしかない。


 ここまで来るのに使った旅行用の大きなワゴンではなく、登城のためのオシャレな小さな馬車。二頭立てだ。白地に金色の装飾がよく映えている。

 俺の乗る馬車とは別に、もう一台、もっと小さな馬車が前にある。こちらは一頭立てで、臙脂色の車体に旗が突き立っている。翻っているのは、黄緑色の王家の紋章だ。それと何のためについてきたのか、十名ほどの近衛兵が槍を手に直立不動の姿勢を保っている。


 意味合いを考えて、少し眩暈がした。

 つまり、王城への正式な招待だから。侍従が先導して、その後を招待客が続く。当然、別々の馬車にもなる。最後に護衛の兵士がついていく、と。


「では、お乗りください」


 促されて、俺は一人で馬車の後部座席に座った。

 無駄に広い。あと、窓も大きく開いている。外の景色が見えるのはいいが、外からも丸見えなのは落ち着かない。だが、これはもともと賓客を大衆に見せびらかすための馬車だ。


 今更気付いたのだが、これまでの俺は、こういう形で王家や貴族に招待されたことがなかった。

 エンバイオ家では奴隷上がりの召使でしかなかったし、タンディラールが騎士の腕輪を与えたといっても、王城に呼ばれたのは主家のついでで、その下僕という扱いだった。ミール王は俺を会食に招いてくれたが、あれは犯罪者を引き渡した際に、彼自ら乗り込んできた流れでなし崩し的にそうなっただけ。

 一応、神聖教国では、これに近い形で呼ばれはしたものの、何れもお忍び的な、つまりプライベートなお付き合いの範囲での呼び出しでしかなかった。


 だが、今日は違う。

 俺自身が主役扱いで、しかも公的な招待だ。そう思うと、少し冷や汗が出てきた。


 馬車が走り出した。


 レジャヤは城下町だ。デーン=アブデモーネルと違って、周囲を城壁に囲まれていない。とはいえ、その建設の経緯はどこか似通っているし、構造もそっくり。違うのは古さだけだ。

 レジャヤの起源は古い。いつから存在していたのかも定かではない。ただ、古代ルイン人の文明がムーアン周辺で栄えていた頃から、この辺りには「レハヤン」が暮らしていたとされている。

 当時の世界の中心だったムーアンが崩壊すると、各地で小さな社会がそれぞれに独立し、群雄割拠の様相を呈するようになった。その中でも、特に有利な地位を保っていたのが、ここレジャヤだった。その秘密は、ここの地形にある。


 今、馬車は街を南北に貫く大通りを目指して、東に向かって走っている。まだ街の外れということもあって周囲の建物の高さが低いので見渡せるのだが、北側に聳えている岩山の上、そこが狭義のレジャヤだ。南側は緩やかな斜面になっているが、あとは切り立った絶壁。そして山頂付近には豊富な湧き水がある。難攻不落の好立地だ。昔のレハヤン達はここで生活を営んでいた。

 やがて彼らが勢力を拡張し、人口も増えてくると、岩山の上は手狭になってきた。だからそこは防衛拠点としての役割だけを残して、あとはすぐ下の平地で暮らすようになった。今の城下町の起源だ。幸い、岩山の水源に加えて、北の山脈からも川が流れてきており、生活用水には不自由しなかった。

 もともと、この近辺は深い森に覆われていたらしいが、それは徐々に切り払われていった。しかし、今でも街の北半分は、外周が森林に囲まれている。これは昔の王が禁令を発して、周囲の森林を保護させたからだ。


 馬車が左折する。

 ここからは大通りだ。急に左右の建造物の丈が高くなる。どれもこれも、歴史を感じさせる風貌をしていた。クリーム色の外壁には黒ずんだ部分がある。清掃していないのではなく、長年風雨にさらされて腐食し、色がついてしまったようだ。けれども不思議なことに、それで却って威厳があるように見えている。

 遮るものがないので、窓から身を乗り出せばだが、前方の様子もよく見えるだろう。さっき左折する瞬間に、いきなり視界が広がった。青空の下、突き立つ王城の尖塔。その周囲を緑の森が覆っていた。そして、その森の向こうには遠く銀嶺が連なっていた。あの彼方にあるのはどこだろう? タリフ・オリムか、それともオプコットだろうか。


 少し進んだところで、道路の真ん中に旗が突き立っていた。横向きではなく、縦方向に広げられているタイプのものだ。その後には、丈の低い石の仕切りがあった。いうなれば中央分離帯か。それと同時に道幅が広くなり、歩道と車道の区別も設けられる。そして、どうやらその歩道側には、人込みができている。

 まさか……


 道の両側には、街の住民が殺到していた。そして、俺が通ると歓呼の声をあげはじめた。

 どういうつもりだ、と叫びたくなった。


 何の面識もないのに。この街とは何の縁もないのに。遠くで黒竜を殺したくらいで、何やってくれてるんだ。これが例えば、レジャヤを外敵から守った英雄が王に招かれるとかだったら、まだわかる。住民のために尽くしたのだから、感謝され、尊敬され、こうして出迎えてもらったりもするのだろう。だが、俺は違う。

 ということは、こいつらは動員されてここに立っているのだ。そういう文化、慣習なのかもしれないが……いかにもわざとらしい。

 多分、この対応も、呼ばれる人の立場や身分によって異なるのではないか。もし俺が外国の王族とかであれば、こんな風に声をあげるのは、却ってまずい。みんな膝をついて額づいた状態で出迎えるはずだ。


 少し気味が悪い。これも、俺にプレッシャーをかけるための舞台装置の一つなんじゃないか。そんな気がしてきた。


 俺は中央分離帯を挟んで左側を走っているが、観衆は両側に立っていた。中には本当に興味を持って見物したいのもいるらしく、前に出ようと人を押しのけている。分離帯の向こう側だ。ちらと見る。

 あれは冒険者だろうか。やや大柄でハゲ頭、ヒゲ面の男が前に割り込み、歩道から飛び出そうとして周囲の人に押さえ込まれていた。だがすぐに人込みに飲まれて、消えてしまった。すべては一瞬のことだった。

 なんか怖いな。俺に何の用があったんだろう。倒して名を挙げたいとか、そんなところだろうか。


 やがて道路の中央にまた旗が見えてきた。人込みもそこで途切れた。

 すぐ目の前には、黒い金属の柵があり、その天辺は槍の穂先のように尖っていた。その穂先の部分だけが金色に塗られている。その柵の真ん中に広く開けられた門があり、馬車はそこを通り抜けた。


 馬車が止まる。ここからは王家の私有地。つまり、一般人は下馬しなくてはならない。

 降りると既にカフヤーナが控えていた。


 丘の麓の駐車場のような風情のある場所。周囲は立木に囲まれ、見通しはよくない。そんな中、奥のほうに階段があった。決して幅も広さもない。少々訝しくもあった。この規模の城で、こんなに小さな通路しかないのか、と。

 だが、そこを登った先には、広々とした庭園が広がっていた。


 向かって右手、南側には、木々の頭越しにレジャヤの市街地を見渡せた。あの街の中央の大通り、その左右に立ち並ぶ立派な建物の数々が、ここからだと玩具みたいに見える。

 柵の代わりに、幅の狭い花壇が場所を占めている。だが、そこにも工夫の数々が見て取れる。どれ一つとして同じ形のものはなく、突き出たり引っ込んだりしながら、形の変化を楽しめるようにしてある。そこに咲く花々も念入りに管理されているのだろう。というのも、太陽は南にあるのに、花はみんなこちらを向いている。今は春らしく、丈の低い茎の上に、黄色く丸い花を咲かせる草がたくさん植えられていた。

 左側、つまり山の上のほうの壁。これまたよく考えてある。古びた風味の煉瓦が壁をなし、ところどころ崩れているようにも見える。その、わざと崩した向こう側には、念入りに仕上げられた浮き彫りにフォレスティアの歴史が描かれていた。その合間を埋めるように、一際緑の濃い草花が違和感なく植えられている。

 すぐ足下は石畳に覆われているが、すぐ横はもう、柔らかそうな緑の草に覆われている。なんとも心地よい遊歩道だ。


 これを突き当たりまで行くと、通路は右を向く。そこで階段を登って、またぐるりと回りこんで逆方向に登っていくことになる。この辺り、防衛施設だった頃の名残が感じられる。

 登った先は、またすぐ木々の生い茂る中の細い道となった。その右脇に、王城の一番下の土台、石積みが見られた。来る時に見上げた、あの南向きの監視塔だろうか。周囲を緑の木々に覆われたその一角には、溜め池があった。城壁の前の堀の役目を果たすものでもあるのだろうが、そこには水草が浮いていた。


 更にそこを右に回りこみながら歩くと、急にばったりと広場のような場所に出た。何かに喩えるなら円形の劇場だが、俺の立つ広場の中央が舞台で、それを取り囲む花壇が客席なのだ。

 足元の石畳は通路だけでなく、広場全体を埋め尽くしていた。奥のほうには掲示板のようなものが立てられており、正面には白亜の門が聳え立っていた。


 もしかして、ここまではただの前庭だったのか。この奥が、本当の王宮の敷地ということか。


「では、改めて。フォレスティア王の宮殿へ、ようこそ」


 見とれる俺に、カフヤーナは自慢げに言った。それが少し鼻についた。

 来客を招くなら、フォレス人貴族であれば途中の草花を愛で、褒め、楽しみながら行くものだ。それをせずにまっすぐ歩いていたのは、俺の身分が低いからとか、先を急ぐ必要があるからだと思っていたのだが、そうではなかった。

 ここまで見せたものなど、物の数ではないから、いちいち立ち止まったりするまでもないのだと。我々は強く、富み栄えていて、美しいのだと。そういうアピールだったのだ。よって彼女によるナビゲーションは、やっとここから始まるのだ。


 実際、レジャヤの宮廷は、西方大陸のどの国のものよりも華やかで、壮大で、贅を尽くしたものだった。しかも、それだけではない。


「ご覧ください」


 カフヤーナが指差した先には、巨大な段々畑があった。といっても、タリフ・オリムのものとは違う。どちらかというと、直立するビルから横の壁を取り去ったような見栄えだった。


「あれが空中庭園です」

「庭園、ですか?」

「もちろん、ただの庭園ではありません。あそこでは農産物を育てています」

「ええっ!?」


 ある程度の食糧生産を自前でこなせるように。専任の作業者は、この宮殿の一角に住居を与えられている。この宮城に暮らす人間は、必要なら、ほぼこの内部で生産されたものだけで食べていけるという。

 カフヤーナのような官僚も同じだ。エスタ=フォレスティア王国とは違って、街中で暮らしている貴族なんていない。爵位や任務のある者のために、王城の中には必ず部屋が用意されるという。例外は、俺みたいな外国人だけだ。王城の中を自由に歩き回ってはまずいので、高級ホテルに押し込める。

 他にも、居住者のための公園や宿舎、はては貴族の子女のための幼年学校まで。なんでもコンパクトに揃えてある。


 これは良し悪しだと思う。

 王家はつまり、ここに住まう貴族達全員を丸抱えしなくてはいけない。但し、外に勝手に屋敷を構えられたりということもない。それぞれの貴族が私兵を連れ込むことはないし、またその空間的余裕もないので、彼らを安全に管理できる。

 貴族達は普段、この狭い王宮から出ることがない。地方からやってきた領主達も、この中で暮らす。登城前の連中が、さっきの超高級ホテルを利用するくらいで、基本的にはこの中だ。狭くて互いの目があって窮屈だろうし、ストレスにもなりそうだ。

 デーン=アブデモーネルでも貴族の壁があったが、ここでは更に、身分の違いによる距離が開く気がする。ここは、外とは別世界だ。ただ、それで地方貴族が王都に変な唾をつけにくくなるのは、いいことかもしれない。


 うんざりするほどの距離を歩いて後、ようやく目的とする場所に辿り着いた。

 いくつかある謁見の間のうちの一つ。東棟の屋上にやってきた。


 玉座は、屋上の北端にあった。うっかり転落しないようにするためだけでなく、装飾を兼ねてのことだろうが、背後は美しい彫像と浮き彫りでいっぱいだった。

 まず、一番後ろにあるのは壮大な太陽と、それに照らされる森の木々。左右に細長く広がっているのは、抽象化されたヘミュービの姿だ。玉座のすぐ後ろにあるのは、剣を与える女神と、それを受け取る男の姿。そこから左右に石碑がいくつも立ち並ぶ。歴代の王族や功臣の名前を刻んであるのだろう。


 玉座の上には、一人の男が腰掛けていた。

 タンディラールが管理する真なる王冠とは比べるべくもないが、ミール王がかぶっていた略式のそれとは比べものにならないほど立派な金の冠だ。額のすぐ上には、大粒の翡翠が輝いている。

 髪は亜麻色だが、一部が白くなりかけていた。顔にも深い皺が刻まれている。目には力を感じたが、なんとなく毒々しかった。目の下には隈があり、健康そうには見えなかったのもある。肌もあまりきれいとは言えなかった。

 暗い臙脂色のマントに焦げ茶色の礼服。ある意味、似合ってはいる。ヤノブル王には、タンディラールのような爽やかそうな雰囲気はなかった。ミール王のような親しみやすさも。だが、これはこれで、王様らしいと思った。


 彼の脇には、まだ若い女が立っていた。若いといっても二十代も終わりに差しかかっているが。白い花のようなドレスに、緑色のマント、そして銀のティアラ。ボリューミーな髪を変に振り乱さないよう、結んでまとめている。彼女が王妃イングリッドだ。

 容姿はまぁまぁ美しいといえるのだが、彼女の眼差しは、ヤノブル王より更に毒々しかった。口元は軽く微笑んでいるのに、なんだか捕食者に睨まれているような気さえしてくる。


 一目で逃げ出したくなった。

 まず、王様のほうは、どう見てもヤバい。押しが強そうで、しかも狡猾そうだ。それに貪欲そうでもある。

 だが、王妃様のほうがもっとヤバい。何かに酔いしれているようなその視線。気が強い女、なんてレベルではない。

 まるで毒蛇のつがいだ。


 一応、予備知識なら先日、カフヤーナから仕入れた。ヤノブル王には現在、側妾を含めて、妻は彼女一人しかいない。

 王太子のルターフ殿下はとっくに成人しており、しかも王妃より年上でもある。彼を産んだ最初の后が死去した後、帝都の学園を卒業したばかりの彼女にお目が留まって再婚と相成った。

 一躍国母となった彼女は、老いたヤノブル王の横で改革に着手した。つまり、帝都の文化や思想を是とし、フォレスティア王本来の責務として、かの皇帝の遺業を引き継ぐべしとしたのだ。

 カフヤーナら女性官僚の登用も、ここ十年ほど、王妃が政治の中心に立つようになってからだ。ゆえに、女性官僚達からは絶大な支持がある。

 そんな関係性が、服装からも見て取れる気がした。ヤノブル王が木の根っこと幹。イングリッドは緑の葉っぱと枝の先に咲く白い花だ。ならば、主役はどちらだろう?


 心の中の戸惑いを鎮められないままの俺をおいて、一人先にカフヤーナが前に進んだ。


「侍従カフヤーナ、陛下の命を果たしここに戻りました」

「ご苦労」


 石臼をこすり合わせたような声が応える。


「して、かの勇士たる者はいずこか」

「脇にて控えております」


 命令したのは、王妃のほうだった。


「では、こちらに招きなさい」

「直ちに」


 これはもう、台本通りなのだろう。

 脇に立つ近衛兵が声をあげた。


「ファルス・リンガ、御前へ」


 内心、いやでいやで仕方ないのだが、俺は我慢して踏み出した。

 左右には文武の顕官達が居並んでいる。彼らの視線までもが突き刺さるような気がしてくる。


 俺は、玉座の遥か手前で膝を降り、頭を垂れた。


「ファルス・リンガ、お招きにより罷り越してございます」


 俺はずっとそのままの姿勢で声がかかるのを待った。

 だが、王はただ、興味なさげに見下ろすばかりだった。


 何も言い出さない。なら、俺からは何もできない。どういうつもりだ?

 いや、こうやって沈黙を長引かせて、俺がますます混乱するように仕向けているのだ。きっとそうだ。


「ふぅむ……」


 唸り声一つ。

 吟味中、か。


 なるほど、ここまでの台本は、王が描いたものではない。彼は無数の執務に取り囲まれており、俺のことはその中の隅っこのほうにあるだけだ。重要事項なら山ほどあるはずで、だからこそ周囲はスムーズに謁見が済むようにとお膳立てする。だが、王自身にとっては、そんなことなど、どうでもいいのだ。


「どう思う」


 俺に向けられた言葉ではない。

 王妃がすぐに答えた。


「よろしいではありませんか」

「それもそうだ」


 ちぐはぐな受け答え。

 いや、二人の間では、これで意思疎通ができている。そもそも「どう思う」とは、何についての問いだった? そして「よろしい」とは、俺のどの部分についての答えになる?


 既に侍従ら宮内官の間では、俺の正体は明らかになっている。

 ピュリスのファルス。一昨年、隣国の内乱で活躍した少年騎士。それが修行の旅に出て一年ちょっとで竜を討った? これを真に受けていいのか?


 とすると、王妃の答えは。「武勇が事実かどうかなんて関係ない」という意味になる。

 なら、彼らの意図するところは……


 どっと冷や汗が噴き出してきた。

 なんとか切り抜けないと、大変なことになる。


 くそっ、これだから。

 こういうことになるから、名声なんか欲しくなかったんだ。目立てば注目される。注目されれば自由がなくなる。有名税を支払わなくてはいけなくなるのだ。


「ファルスよ、面を上げい」


 やっと俺は身を起こした。


「此度の活躍、褒めてつかわす。レジャヤより遠く離れた地のこととはいえ、我が国の領民を苦しめる悪獣を討ったるはまことに天晴れであるぞ」

「ありがたき幸せ」


 落ち着け。

 ヤノブル王にもタンディラール王にも恥をかかせない着地点を見つけなくては。


「武勲には、それに見合う褒賞があるべきじゃ」


 きた。


「ファルス・リンガよ。そなたの働きを鑑みるに、余は騎士の腕輪を授けることこそが適当と考える。いかがであろうか」


 この野郎……!

 胃袋を吐きだしそうだ。二重に腕輪をもらうとか、そんなのできるわけないだろうに。


 もしここでハイハイ受け取ったら、俺はタンディラールの面子を潰すことになる。つまり、騎士としての活動を行う上で、彼は「庇護者として不適格だった」「果たすべき正義の妨げになる人物だった」と宣言するようなものだからだ。

 かといって、もう持ってるからなんて言ったら、今度はヤノブルのほうがブチ切れる。あんな偽王の腕輪をありがたがって、真の王者の腕輪を拒むとは何事か、と。


 だが、ありがたい。これは事前に想定していた状況に近い。

 ならば……


「恐れながら陛下」

「何か」


 ぐっとプレッシャーが強まる。だが、ここは堪えろ。

 うまく「すり抜ける」んだ。


「今の御言葉は、徳高き王者のものとは思われません。陛下ともあろうお方が、そのような」

「なんだと!」


 気も短いか。ガバッと玉座から立ち上がる。


「ファルス殿」


 頭上から女性の声が降ってくる。王妃だ。


「陛下はご多忙な身。煩わせるようなことは控えるべきかと」

「はっ」


 さっさと済ませたいのは本当だろう。

 ヤノブルは顎で命令した。


「よし。では早速腕輪をもて」

「お待ちください」

「まだ言うか!」


 俺は呼吸を整えた。

 どうする?


 ……いざとなったら、どうとでもなるか。


 俺が気にかけているのは、マルトゥラターレの身の安全だけ。あとはどうでもいい。

 彼らは俺に改めて騎士の腕輪を授けようとしているが、これは好意や善意からではない。ミール王みたいに、本気で俺を登用したくて声をかけているのでもない。ムカつく隣国の王に「ちょっとしたイヤガラセ」をしてやろうと思ってのことだ。それだけのことで、それ以上でもなんでもない。

 だが、そのせいで俺の人生はどうなるか。こいつらはそこを考えてもいない。帰る場所のなくなった俺を散々利用して、いろいろやらせて、用がなくなったらポイだ。そういうつもりでなければ、こんな強引な振る舞いはしない。


 暴れようと思えば、それこそどうとでもなる。最終手段は用意してきた。

 なんなら、ここでいきなり黒竜に変身して、すべてを破壊しつくしてやってもいい。レジャヤの王城は腐蝕魔術によって汚染され、二度と人の住めない場所になるだろう。

 だが、キレてあれこれメチャクチャにする前に、うまいこと言い逃れてやろう。


「陛下に恥をかかせてしまいます」

「なに?」


 なんとか繋げる。俺のためにも、不本意ながら、こいつらのためにも。


「綸言汗の如しといいますが」


 王者は無謬である。またそうでなければならない。一度口に出したことを取り消すことはできない。


「陛下はただいま『褒賞をとらせる』とおっしゃいました」

「その通りだ」

「騎士の腕輪は、褒賞ではございません」

「何を言い出すか!」


 またキレた。

 だが、ここまで言ってしまえば、もう理屈としては、どうとでもなる。何も言わせてもらえないのが一番怖かった。


「どういうことですか」


 毒蛇がそうするように、脇に立つイングリッドが俺を睨みつけた。


「私の聞き及んだところでは、レジャヤのフォレスティア王は、かの英雄の遺業を受け継ぐものであるとのこと。これは事実でしょうか」

「無論のことです」

「かの英雄は、騎士の責務を定め、その役割をまっとうさせんがために、証を授けることを貴顕なる人々に命じました」

「そうですね」

「騎士とは使命であって、特権ではありません。であれば私は、褒賞として騎士の腕輪を授かってはなりません。それは陛下自らが騎士のあり方、ひいては英雄の遺業をないがしろにすることになるからです」


 こんなものは、言葉のあやだ。

 事実上は、騎士は特権だ。そんなのは子供でも知っている。貴族ではないが、準貴族みたいなものだ。だいたいからして、俺自身がタンディラールから逆賊を討ったことの「褒賞」として、腕輪を受け取っている。

 だが、こいつらはどうやら名目が大好きだ。でなければこんなくだらない嫌がらせはしない。だから、こんな言い方も通用するのではないか。そして、だからこそ、俺が持っている腕輪についても突っ込みを入れられないはずだ。


 そして更に畳み掛ける。

 では、褒賞ではなく使命を与える、なんて言われたら困るから……


「また今、陛下は私に褒賞を下されようとしてここにお招きになりました。であれば、もしなさるのであれば、まさしく褒賞たるに相応しいもののみをとらせるべきではないでしょうか」


 なお、俺はここに至るまでの言葉遣いも選び抜いている。

 わざわざ「レジャヤのフォレスティア王は」という言い回しを選んだのも、その一つだ。フォレスティア王がレジャヤの主であるのは当たり前のこと。そういう言い訳のできる表現だ。一方で、レジャヤを治めていない別のフォレスティア王もいる、というのを言外に述べている。


「……むう」


 俺の必死の抗弁に、ヤノブルは立ち止まった。

 そのままドスンと玉座に腰を下ろした。そして、無言で王妃に目をやる。


 イングリッドは一瞬だけ、唇を噛むような表情を見せたが、すぐ取り繕った。


「それも道理ですね。ではファルス殿、あなたが考える、よりよい褒賞とはなんでしょう?」


 ここで「お金」とか言ったら、きっと物笑いにされる。俺は馬鹿にされてもいいが、それはそれで禍根が残る気もする。

 手ぶらで帰ろう。


「私は既に、陛下の恩恵に浴しております。卑しい身の上でこの美しいレジャヤの王城を目にすることができ、まことに光栄に存じます。かつ、陛下のご尊顔を拝する機会を得たこと、まったく他の一切に替え難く」

「おお、ファルス殿」


 だが、俺のそんな魂胆を見透かすように、王妃はわざとらしく笑った。


「なんということ。ではあなたは何も受け取らないとおっしゃるのですね」

「とんでもございません。既に充分以上に受け取っております」


 ここで嫌な予感がした。

 このことを、こいつは逆手に取ってくる。だがもう、遅かった。


「この場に居合わせた者達よ、聞かせてください。これまで王が皆の働きに応じて恩賞を下されなかったことはありますか」


 精神的な袋叩き、か。周りの反応なんて、わかりきっている。


「ございません」


 誰もが口々にそう答える。


「そう、それはその通りです。陛下は常に公平でいらっしゃいます。受けた尊敬には慈愛を、侮蔑には懲罰を……けれども、ここなるファルス殿は、ここにいることそのものをもってして、充分に受け取ったというのです。であれば、彼は何を受け取ったのでしょう」


 俺は俯いたまま、そっと唇を噛んだ。

 働いたのに、報酬を受け取らない。それはつまり、お金以上の通貨でやり取りをする関係性だということ。アイドゥスなら、この場の交渉をどんな通貨でやり取りすべきかを間違えたりはしなかっただろうに。


「私達が彼に与えたものは、今のところ、好意と友情だけです。彼がそれで満足するというのなら、王家はそれを与えましょう」


 最悪だ。

 要するに、俺はモノをねだらなかった代わりに、王家の連中との個人的な繋がりを欲したと、そういう解釈にしやがった。この毒蛇女め。

 もちろん、こいつがくれるのは本当の友情なんかじゃない。要するに……


「ファルス殿、それなら是非、王家の歓待をお受けなさい。決して粗略には扱いませんよ」


 ヤノブルは頷いて、王妃のやり方に追認を与えた。


 どうやら、俺の日々の安息は、またもや失われてしまったらしい。

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