水銀のように

「ごめんなさい」


 黒竜討伐より数日後。ロイエを後にする予定の日の朝。

 目が覚めると、横でマルトゥラターレが三つ指ついて頭を下げていた。


「はい?」

「私のせいで、おかしなことになった」

「え? いや、助けてもらったでしょ? なんでそうなるの」


 わけがわからない。

 何かひどいこと、されたっけ?


「私が外に出たいと言ったから」


 外? 散歩?

 ああ、あれか。


 イーネレムの仲間のトールトに抱きつかれた件。でもあれは、彼女が被害者で、あちらが加害者なだけ。その後、トールトは勝手に欲情してここまでやってきたけど、それは彼女自身が撃退している。ただ、確かにカチャンが被害者になった。

 でも、それなら謝る相手が違うような……んん?


「別に謝る必要なんて、ないんじゃない? ずっと家の中にいたら息が詰まるし、そりゃ散歩くらいしたいでしょ」

「そうじゃない」


 彼女は落ち着かないらしく、もじもじしていた。


「私は、外を歩けば、人を買う人が見つかるかもと思ってた」


 眠気の残った頭で数秒間考えて、やっと認識が追いついた。

 つまり、彼女は俺の足手纏いになりたくなかった。確かに、そもそも俺がここに留まって小遣い稼ぎしていたのも、彼女をシャハーマイトからピュリスに送る船賃と、その間の生活費を捻出するためだ。俺一人であれば、シーラのゴブレットがある以上は餓死しないし、だから余計な時間を使わず、次の目的地に直進できていたはずだった。

 だが、ピュリスに送ってもらったからといって、彼女の人生が好転する保証はない。そもそも、人間社会についての彼女の視野は狭いし、信頼できる範囲も小さい。俺のことは信頼していても、俺の周りの人間まで信用できるかと言われれば、答えは「ノー」だろう。まさかノーラが、俺からの手紙を無視してマルトゥラターレを金に替えるなんて思えないが、百年以上、人間達の間で売買されてきた本人の目から見れば、むしろそうなるのが普通なのだ。

 では、どうすれば俺の邪魔をしないで済むか。自分が売られてしまえばよい。どこで売られても同じ。なら、裏切られるより助けたい。そんなまさか、という気もするが、マルトゥラターレの体験からすると、これはごく自然な発想だった。なにせ彼女は、ずっと売り買いされる存在でしかなかったからだ。


「あー……それで」


 その世間知らずな考えを実行に移した結果、トールトを暴走させた。カチャンもひどく殴られたし、俺もイーネレムと揉め事を起こすところだった。直接の加害者はトールトでも、それを招き寄せたのは彼女自身の軽率な判断だった、と。


「いや、しょうがないんじゃないかな」


 と言いながら、俺も似たような問題で頭を悩ませていた。


 あの黒竜クァッスドは、なぜロイエに姿を現したのか。本当にただの偶然だろうか?

 俺が沼地の奥で黒竜を乱獲したせいなのか。或いは、俺が現場に残した臭いを追ってきたのか。俺に殺された黒竜の血縁者で、もしかしたら仇討ちのためにやってきたんじゃないか。

 だとすれば、数十人にも上る死傷者は、俺のせいということになる。いや、そうなのか?

 もしそうとしても、沼地のハンター達は、黒竜を待ち侘びていた。大物を狩って大金を得る。それが彼らに共通する夢だった。もし本当に戦いたくなかったのなら、さっさとあの場を離脱すればよかった。もちろん、仲間内の信用は失うだろう。だが、自分で選んで冒険者になったんじゃないか。


 結局のところ、真相は俺でさえわからない。わかるのは、これが自然の摂理ということだ。誰かが死に、誰かが生きた。生き延びた人は、生きる糧を得る。遥か彼方の密林で蝶が羽ばたくと、遠いどこかで台風が渦を巻く。原因の原因を追っていくと、きりがない。


「荷物、忘れ物ない? 今日はここを出るから。そろそろ行こうか」

「うん」


 俺は座ったまま、この狭い部屋の中を見渡した。

 ここで過ごしたのは、たった一ヵ月半ちょっと。だが、この狭い部屋が、俺の人生の中の一つの住処となったのだ。


 ちょっと笑ってしまう。

 頭上は取り外し可能な板が斜めに並んでいるだけ。床は薄汚くて、あちこち黒ずんでいる。形も大きさも違う桶が五つもある。前の住人の雨漏り対策だ。ここに来てから仕入れたものもある。今にもダニが涌きそうな古い毛布。あちこちへこんだ、蓋のない鍋。いつ作られたものともしれない、古い古い真鍮のスプーン。


 俺達だけじゃない。ロイエ市に限ったことでもない。ムーアン沿岸のいくつかの町では、大勢の人達がこんな暮らしをしている。

 貧しいとか、みすぼらしいとか、そういうこともある。でも、たったそれだけの言葉では片付けられない何かがあるような気がした。


 扉を開けて、外に出た。

 うっすらと白い雲のかかる晴れ空だった。


 乾きかけた裏通りの路地を抜け、ギルドの前に向かった。そこには、荷車が置いてあった。

 俺を待っていたのだろう、イーネレムが立っていた。


「よぉ、英雄様」

「陛下はやめたんじゃないんですか」

「うん? 陛下はやめただろ? お前は皇帝じゃないんだから。けど、ここじゃ英雄だろ」


 なんだか落ち着かない。まぁ、いいか。


「お前が受け取りしてくんねぇと、みんなもらうもん、もらえねぇからよ。さっさと頼むわ」


 そう言いながらも、表情は穏やかそのものだった。

 彼に先導されて、受付カウンターの前に進んだ。


「ええーと……ファルス・リンガ様」


 ちょっと前までは「ファルス君」と呼んでいたのに。受付のお姉さんは、なにやら畏まった様子だった。


「先日の黒竜討伐の収支明細ができました。必要であれば読み上げますが、いかが致しましょうか」

「見せてください」


 心配しなくても字は読める。

 それで彼女は、こちらの顔色を窺いながら、そそくさと頭を下げた。態度、変わりすぎだと思う。


「どれどれ」


 女神暦 996年 緑玉の月 16日

 緊急依頼:ロイエ市を襲撃した黒竜の討伐・撃退

 主討伐者:ファルス・リンガ

 協力者 :他 生存者27名 死者32名


 ……主討伐者って。

 俺がやったことになってる。

 あと、生き残ったのは半分以下か。やっぱり凄まじい災害だった。しかもこれ、カウントしているのはあくまで冒険者証を持ってる連中だけのことなので、沼に近い市街地にいて、逃げ遅れた人達は含まれない。


 依頼報酬:5000

 素材買取:54250

 (上記は当ギルドの手数料、納税分を除いたもの。共通金貨にて清算すること)


 そして、ギルドからの依頼達成報酬と、倒した黒竜の素材をシャハーマイトの支部が買い取った結果、こちらに払い戻される金額と。

 とんでもない数字だ。と思ったけど、前世のマグロの初売りとかと比べると、どうなんだろうと思わなくもない。結構抜かれてこの金額なんじゃないかとも思える。

 とはいえ、それでもおよそ金貨六万枚。一生遊んで暮らせる金額だ。但し、これが人数と功績に応じて分配される。


 分配金額:

 特級貢献者

  ファルス・リンガ

   金貨7500枚

 一級貢献者

  ブル・ロック

  ヘイラット・ラニッシュ

   金貨2250枚

 二級貢献者

  ヤシュダン・ヴィジドン

  マニフィス・ソグロム

  イーネレム・コチリッシュ

   金貨1500枚

 その他

  ……

   金貨750枚


 ざっと一覧を見たが、そこにはマルトゥラターレの名前も、カチャンの名前もなかった。

 それもそうだ。マルトゥラターレは冒険者として登録していないし、カチャンは冒険者だが、彼女を連れてきただけだ。夜通し戦った連中と同じ扱いにはならない。


 しかし、とんでもない金額だ。一ヶ月の生活費が金貨十枚になるかどうかの極貧の生活から、いきなりこれとは。まさにムーアン・ドリームとしか言いようがない。

 ……こんなの、どうやって運べばいいんだろう? 一千枚の金貨でさえ、ヒイヒイ言いながら背負っていたのに。魔法で身体強化すればいいじゃないか、というのは解決になっていない。ここまで量があると、そもそもリュックに収まらなくなる。いや、金貨だけならいいが、他にいろんな生活用品を持ち運ばなくてはならないのだから。

 正直、こんな金額になると知っていたら、前もって対策しておいたものを。


「このような分配となりましたが、問題ございませんでしょうか」


 受付嬢の声で、我に返った。


「えっと、これでいいです」

「では、署名を」


 言う通りにすると、彼女は続けていった。


「それと、タグを取り替えますのでよろしいですか?」

「あっ、はい」


 そういえば、と思って、俺は首にかかったタグを差し出した。アクアマリンの階級証と、討伐記録の金属板だ。

 いったん奥に引き下がった彼女だが、すぐまた引き返してきた。


「こちら、ジェードの階級証となります。今回は達成した依頼の難易度を鑑みまして、二階級特進となりました」

「へっ」

「いえ、本来であれば、即座に上級冒険者と認定されるべきところではありますが、この点につきましては次回の判定ということで、既にファルス様の記録は各支部に出回っておりますので、次、もし何か依頼を達成した時点で、難易度が見合っている場合には無条件でトパーズへの昇格がされると確定しておりますので」


 なんかメチャクチャ早口で言われた。

 ああ、つまり、黒竜の討伐なんて滅多にできないわけで、それを成し遂げたのになんでいまだに中級冒険者なんだと、そういうクレームが飛んでくるじゃないかと思っていたのか。


「わかりました」


 別に出世したいのでもないし。興味がなかった。カウンターの上に置かれたタグをさっさと回収する。


「で、では、こちらがファルス様の報酬分となります……あの、数えていかれます?」

「いえ、いいです」

「で、では」


 と言うだけで、彼女は動こうとしない。

 それもそうだ。重さが四十キロはあるんじゃないか。手渡しなんて無理なのだ。


「俺達が運んでやるぜ」


 すると、イーネレムが横から出てきて言った。


「おい、トールト」

「はい」


 彼らは二人して袋を持ち上げる。大きさは、大人の男が抱えるには少し小さいくらいでしかないのだが、重さがかなりあるので、落としたら大変なことになる。

 足下に気をつけながら建物の外に出て、彼らはそれを荷車の上に置いた。


「よーし」


 ズシッと荷車が揺れた。


「んじゃ、マルトゥラ姫。姫、どこだ? お、いた。ここ、ここ」


 どういうつもりだ。と思って見ていたら、今度はマルトゥラターレを呼んだ。


「よし、乗ってくれ」


 彼女まで、金貨の横に乗せられた。

 金と女。まさに男の夢が詰まった荷台だ。


「おい、ファルス。忘れ物ねぇか?」

「え、ええ、全部、要る物は持ってきてますけど」

「なら、いい。行こうぜ。英雄の凱旋だ」


 あんまり英雄、英雄って連呼されると、ホント居心地悪い。でも、悪意ないからなぁ……


「よぉし、シュッパァツ!」


 すると、荷車の取っ手のところにトールトが取り付いた。


「よし、引け」

「はい」

「はいじゃねぇ、ヒヒーンだろが、この種馬が」

「ヒ、ヒヒン」

「よーし」


 よーし、じゃないよ。何やってんの。

 横でヤシュダンも溜息をついている。


「やれやれ……」


 但し、苦笑を浮かべてもいる。バカみたいなノリもまた、この場所で生きる人々の喜びなのだ。

 俺達は列をなして、ギルドのある高台を下っていった。


 来た道を引き返しながら、今度は反対側にある、街の出口を目指す。城門のほうには立ち寄らないので、結局また、さっきまで住んでいた宿のある通りの前に戻ってくる。

 そこには……


「ようよう」


 ……いつも通り、カチャンが座っていた。


 トールトに殴られた傷跡もほとんど治っている。茣蓙の上には、雑多な品が並んでいた。本当に、毎回どこから仕入れてくるのか不思議なのだが、また食べかけのパンが置いてある。他にも釘とか、鍋の蓋だけとか、とにかくいろんなものが置いてある。

 俺は、足を止めた。


 今、俺には運びきれないだけの金貨がある。そしてカチャンは、ここに流れ着いた俺達に同情し、面倒を見てくれた。俺はそのうち人形の迷宮で人形になる運命だろうが、ならば尚更ここで恩義を返さずに去るなど、できかねる。

 だから、もしここに彼がいなければ、探してから去るつもりだった。


 俺は黙って荷車に近付き、さっきもらった報酬の袋を開けた。目を焼く黄金の中に別の麻袋を突っ込むと、数えもせずにめいいっぱい金貨を飲み込ませた。

 それから一人、彼の傍に近付いた。


「やぁカチャン」

「よう兄弟」

「もうそろそろ、この街から出ることになりそうだよ」

「知ってる。随分な行列だな」

「ああ。仲良しになった途端、お別れだ」


 俺が金貨を取り分けたのは、見えていたはずだ。

 だが、彼は目もくれない。


「次はどこへ行くつもりなんだ」

「できれば、このままシャハーマイトに出て、そこから船でマルトゥラをピュリスに送る。でも、自分はムスタム辺りに向かって、そこから迷宮を目指そうと思ってる」

「そうか」


 それだけだった。

 会話が続かない。どうも変だ。何か言い出しづらい。


「カチャン」


 俺は膝をついた。


「結果としてはうまくいったけど、最初にカチャンが助けてくれてなければ、こうはなってなかった」

「気にするな」

「あの時だって……マルトゥラを連れてきてくれていなければ、死んでいてもおかしくなかった」

「運も実力、お前のもの」


 彼の返答を聞けばわかる。

 俺の提案は、的外れだ。でも、言わずに済ませたら、きっと後悔する。


「だとしても。カチャンには幸せになって欲しい」

「俺は幸せ、皺寄せごめん」

「この金を受け取っ」


 彼の右手が振り上げられる。俺は避けなかった。

 顔を打たれて、俺は弾き飛ばされた。


「兄弟、俺に恥をかかせるな」


 言うと思った。

 カチャンには、いわゆるプライドがない。他人から馬鹿にされても気にしない。無様な姿を見せても構わない。落ちこぼれても、ガラクタ屋になっても。生きるためなら何でもやる。

 だけど、誇りならある。あくまで自分の力で生き抜くのだという思いが。でなければ、義足を買ってもう一度沼地を目指そうだなんて、考えるわけがない。そんな彼が、お世話になったからと金貨を渡されて、ホイホイ受け取るだろうか。だから、わかっていた。


 でも、だからといって。

 俺は立ち上がった。


「わかった。じゃあ、俺はカチャンのために何ができる? 言ってくれ」


 すると彼は、にっこり笑って手を広げた。


「買ってくれ!」


 彼の両手の間には、役に立つかどうかもわからない品物がズラリと並べられていた。


「いったい、どこからどこまでが売り物なんだ?」

「全部。俺以外の全部が売り物だ」


 でも、だとすると……


「じゃあ、その食べかけのパンは、いくらになる?」

「こいつか。負けに負けて金貨三枚」

「その釘は」

「金貨一枚だな」


 まったくもって彼らしい。


 南方大陸西岸の人々は生まれながらの商人だが、そこはやはり、民族ごとの違いがある。

 半島側に住むサハリア人は、こういうことをしない。身内と認められるまでには大変な時間と労力を必要とするが、いったん友人となったら、死ぬまで助け合うし、態度も変えない。だから、昔に銀貨一枚で売った品は、自分が貧しくても、相手が金持ちでも、やはり同じ銀貨一枚で譲る。

 対するにシュライ人は、そこまでの垣根がない。一方で、成功した友人や親戚にみんながひっついて生きていく。それを恥ずかしいとは考えない。貧しければ金は取らず、裕福な人からはたっぷり取る。それが取引というものなのだ。


 俺は彼に施しをしようとした。だが、彼は貧しいシュライ人にしては例外的にも、自分が乞食になるのを嫌った。

 だが、それで俺が引き下がるわけはないと理解している。だから、名目上の取引で、多少のお金を受け取ることにした。そんなところだろう。金持ちからゴッソリ取るのは、やって当たり前なのだから。


 けれども、それでは駄目なのだ。

 僅か数十枚の金貨を得ただけでは。彼はそのまま義足を作り、剣を用意して、沼地に向かってしまう。そんな足の不自由な男がやっていけるほど、ここでの仕事は甘くない。そんなことはわかっている。わかっていながら、誇り高く死のうとしている。


 結果として、彼の自殺を後押しするようなものではないか。

 でも、カチャンには死んでほしくない。これから人形の迷宮を目指す俺に、そんなことを言う資格などないかもしれないが。


 俺が渡そうとしている何百枚もの金貨があれば、彼は別の生き方を見つけられる。戦うだけが人生じゃない。現に数年間、この路上で、こんな貧弱な商材しかないのに、立派に食い繋いできたじゃないか。

 そこらの男には、こんなこと、絶対にできない。将来を悲観して自殺するか、諦めて餓死するか、誇りを捨てて乞食になるか……でなければ、金欲しさに悪事の片棒を担ぐだろう。でも、彼はそのいずれにもならなかった。それどころか、逆境にある他人を救いさえしてきた。

 それは尊いことだ。こんなのは強い男でなければできない。なのに、どうしてその素晴らしさから目を背けてしまうのだろう。


 彼ほどの人物でも、心の檻に囚われることはある。

 それは一人では抜け出すことの難しい、破滅の底なし沼だ。


 どうすれば、俺の言葉を聞いてもらえるのだろう。

 どうしたら、この気持ちが伝わるのだろう。

 何をすれば……


 何か、抜け道はないのか。


「カチャン」

「おう」

「本当に、その茣蓙の上にあるものは全部売り物なのか」

「あれもこれも売り物、そこの果物は熟れたもの」

「じゃあ、お前の上着も売り物か」

「上着を買うなら下着も買ってくれ、でも中身は売らない」


 すうっと息を吸い、吐いた。


「わかった」


 こういう時、どうすればいいのか。

 教えてくれたのは、カチャンだった。


「それをくれ」


 俺は指差した。

 その指先がまっすぐ自分に向けられていることに気付いて、彼は苦笑いした。


「兄弟、俺は売り物じゃない」

「欲しいのはお前じゃない。それだ」


 ここでカチャンは、初めて訝しげな顔をした。これか? と言わんばかりにシャツを引っ張ってみせる。俺は首を横に振った。


「そっちじゃない。そうそれ……首にかかってるそいつだ」


 カチャンの冒険者証。そしてタグ。

 俺が指差したのは、それだった。


「これは」

「全部売り物だろう? お前以外は」


 水銀のように生きる。

 あれがダメなら、これでやってみる。これもダメなら、それも試す。そうやって抜け道を見つけて、なんとかうまくすり抜ける。

 沼地のハンターがダメなら、次は商人になったっていいじゃないか。


「大事なものだろうから、高いはずだ。だから、この金貨全部でそれを買う。売ってくれ」


 彼は、少し戸惑っているようだった。

 俺のメッセージは伝わっている。

 お前は誇り高い男だ。でも、その首からぶら下がってるそいつは「余計なプライド」なのだ。


 彼は小さく噴き出した。

 すぐにそれは穏やかな笑顔に取って代わられた。杖に縋って、ゆっくりと立ち上がる。片手で自ら冒険者証の紐を引っ張り、持ち直した。

 それからよろめきながら、彼はそっと俺を抱擁した。


「兄弟」


 顔は見えなかった。ただ、その声はかすれていた。


「ありがとう、カチャン」

「俺を忘れないでくれ。また会おう」


 彼をおいて、また荷車は先に進んだ。

 もうすぐ街の出口だ。


 しかし、困った。

 何百枚かの金貨はカチャンに渡した。それでもまだ、七千枚近くも残っている。この重さを背負っていくとなると、大変だ。体力面ではマルトゥラターレには期待できない。馬かロバでも買うとかしないと、とてもじゃないが運べない。


「あの」

「どうした、ファルス」

「この辺で、馬とか、他のでもいいけど、動物を売ってるところは」

「心当たりはないな。どうした? この馬じゃダメか?」


 イーネレムは、トールトの頭を叩いた。


「ヒヒン」

「お前もうちょっとうまく真似しろよ」

「いえ、それはいいですから」


 ここはまだいい。問題は、出発してからだ。


「いえ、その、さすがにこれ、重いじゃないですか」

「重いなぁ」

「運ぶのに、ロバとか欲しいと思いまして」

「いらねぇだろ」

「ええっ」


 そんな無茶な、と思ったが、彼は当たり前といった口調で言った。


「俺が馬車呼んどいたからな」


 なんだ、そういうことか。

 手回しのいいこと。頼んでもいないのに……


 街道側の街の出口が見えた。

 そこだけ丸太で作った柵が立っていて、砂利道の向こうに口が開いている。その向こうには、大昔に舗装されたきりの石畳の街道。それを挟んで緑の絨毯が広がっていた。


 それはいい。問題は、馬車だ。

 上品な黒塗りの車体。たくましい馬が四頭も繋がれている。御者は品のある初老の男で、緑色のスーツを見事に着こなしていた。


「お、あれだ、あれ」

「はっ?」


 何を言ってるんだ?

 どう見ても貴族とか、なんかエラい人が乗せてもらうような代物なのだが。


「ほら! あとはしっかりやれよ!」


 イーネレムは、それだけ言うと一歩下がった。


「坊主や、お家再興のいい機会じゃ。頑張るんじゃぞ」

「女神の加護のあらんことを。幸運を祈ります」


 えっ? えっ?

 なにこれ、どんなサプライズ?


 俺がキョロキョロしていると、馬車の陰からスラリとした何者かが姿を現した。


「お迎えに上がりました」


 長い髪を後ろにまとめたその人物からは、中性的な印象を受けた。

 青いスーツにベスト。色白の頬に眼鏡、その奥に冷たい眼差しが垣間見えた。


「フォレスティア王ヤノブルが侍従、カフヤーナと申します。竜を討ち、王にまみえんとする勇士はどなたでしょうか」


 そのカフヤーナなる人物の視線が、まず俺を見て……次に荷車、その上にある金貨とマルトゥラターレ、そしてまた俺に突き刺さった。


 この世にフォレスティア王を名乗る人物は、二人いる。

 一人はエスタ=フォレスティア王国のタンディラール、もう一人はその仮想敵国といってもいいシモール=フォレスティア王国の……


 これって、いろいろまずいのでは?


 俺はタンディラールの腕輪をもらって旅をする騎士なのに。殺されはしないと思うけど、何かまずいことになりそうな気がする。

 いや、ヤノブル王とて、招いておいて殺したりイジメたりなんてしないし、できないだろう。それは赤っ恥になるから。だけど、それはそれとして、じゃあ今度はタンディラールのほうはどうなる? 要するに「偽王」のところに自分の騎士が……


 ……どうしよう。


 背中に冷や汗が噴き出るのを感じながら、そっと振り返る。

 後ろの冒険者達は、そっと笑顔でサムズアップするばかりだった。


 もう、逃げられない。

 こうなってしまっては、もはや水銀のようにすり抜けるのは、難しそうだった。

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