沼地の夢の夜

 日が暮れた。

 緑玉の月も下旬となると、夜風の冷たさも緩んでくる。それに今日は特に温かい。空気も草木に香っているような気がする。

 ハンター達が集う安居酒屋。今日はほぼ満員だった。隙間だらけの古びた床板の上を余すところなく椅子が埋め尽くし、軋んだテーブルの上には大皿料理がいくつも並べられていた。


 そして俺は、心ならずも真ん中に座っていた。お誕生日席だ。


「カンパァイ」


 とっくに出来上がった男が、もう喚きながら、木のジョッキで一気飲みする。

 部屋の中はもう、かなり酒臭い。


「おう、乾杯だ」


 イーネレムは、俺のすぐ横でそう応える。

 いけ好かない奴だと思っていたが、何気に付き合いは悪くない。相手が泥酔していても、いちいち相手してやっている。


「ったく、飲まなきゃやってらんねぇよ、なぁ?」


 俺に振り返り、彼は言った。


「ま、まぁ」

「おーっと、今のナシ。ナシナシ、な?」


 暗い話題はアウトだ。

 けれども、彼の気持ちもわからないでもない。


 黒竜は討ち果たしたものの、犠牲はやはり、少なくなかった。三十人以上が死亡し、今も十数名が毒ガスを吸い込んだせいで寝込んでいる。回復の見込みは、正直薄い。なぜなら腐蝕魔術は、沼地の毒と同じようなものだからだ。


 夜が明けてから、近くの領主の兵が駆けつけてきた。だが、彼らにはやることがなかった。

 俺はというと、午前中いっぱいかけて、亡くなった人達の埋葬を手伝っていた。生き残った仲間がいれば、彼らが遺族への報告を請け負った。手紙を送る場合もあるのだが、誰もが字を書けるわけではないので、俺はしばしば代筆させられた。犠牲者に生き残った仲間や知人がいない場合は、これはもう、ギルドに丸投げするしかなかった。

 ギルドのほうもてんてこまいで、まず、黒竜の死骸を引き取らなくてはいけなかった。街の解体業者が全員呼び集められて、今も黒竜の皮膚を剥ぎ取っているところだ。当然、結果として出てくる毒物だらけの内臓などは、安全に廃棄しなくてはならない。それと、今回の討伐に関わった冒険者達のリストを作成して、報酬を公平に分配しなくてはいけない。当然ながら竜一頭丸ごとなので、こんな田舎の支部では処理しきれず、シャハーマイトのギルドに買取を依頼している。売却金額が決まるのは、少し先のことだろう。


 昼下がりに手が空くと、みんなぼんやり過ごした。

 けれども、夕方には声を掛け合って、ここに集まった。


 もう暗い話は抜き。

 悪いこともあった。明日からも向き合わねばならないが、今は楽しく過ごすべきだ。

 本当のところ、生き残った連中には、少なからず罪悪感がある。あいつらは死んだのに、俺達は大金をもらって喜ぶなんて。でも、だからこそ、こうして騒ぐのだ。


「僕はお酒は飲みませんよ」

「そうか? 今日の主役なんだから、景気よくやって欲しいんだがな」

「前にそれでひどい目に遭ったので」


 こういうのは最初が肝心だ。

 少し妥協して一口飲むと、次から次へと杯がまわってくる。最後には、あのガイの自宅でぶっ倒れたみたいに、ベロンベロンになるまで飲まされる。


「それに、主役は僕じゃないですよ。決定的だったのは、城壁の上にいた人達。あの人達がうまくバリスタを当ててなかったら、街はどうなってたか」

「まぁ、あれもデケェわな。けど、全然死んでなかったろ」

「鋼鉄の矢では、そう簡単には」

「だろ。結局、お前がやったんじゃねぇか」

「それは」


 だが、俺の手柄ではない。

 反対側をチラリと見る。


 そこには、マルトゥラターレとカチャンが座っていた。例によって彼女は、顔をマスクで覆ってフードを深く被っている。髪が一切見えないので、念入りに帽子もかぶっているのだろう。


「確かにファルスだけではなかったのう」


 水しか飲まないヤシュダンが言った。


「まさか、姉まで魔術師とは」

「あんな水魔術、見たことがありません」


 マニフィスも相槌を打つ。

 それは見たことなどなかろう。使える魔術の水準としては、キースだって同じくらいの威力を出せるだろう。でも、水の民は特別だ。もう一つの意識……スヴァーパが、この上なく微細なコントロールで水を操るのだから。


 あの時は、本当に危なかった。

 黒竜のブレスが腐蝕をもたらす物質そのものではなく、その魔術の触媒だったのが大きい。水に大半が洗い流されたがゆえに、俺は危機を免れたのだ。その意味では、最大の功労者はマルトゥラターレだといえる。

 だが、亜人という正体を探られたくないのもあって、今も黙りこくっている。とはいえ、魔法を使うところはバッチリ見られてしまった。さて、どうごまかすか……


「いったい、お前ら何者なんだよ」


 イーネレムが言った。そら、きたぞ。


「旦那、そいつは秘密、聞くだけ野暮だ」


 俺の代わりに勝手にカチャンが答えた。


「なんでお前がクチバシ突っ込むんだよ」

「やんごとない家の話に首突っ込んでもいいことない」

「あぁ?」

「聞いて驚け見て驚け、ここなるファルスは、実はさる高貴な身分の方の落とし胤」


 はあ?


「東方大陸の名家の出、ではあるめいか」

「あ? な、なに?」

「わけあって国を逃れて西の果て、ここで功名立ててお家の再興をと」


 俺はそんな作り話、した覚えはない。

 とすると、これはカチャンの創作だ。


「なるほどのう」


 しかし、ヤシュダンは頷いた。


「でなくば、あの凄まじい魔術の数々は説明できん。先祖代々伝わる秘伝の技ということか」

「じゃあ、なんでそっちの姉ちゃん? いや、姫様か。姫はなんで顔を隠すんだよ」

「見ないほうがいい」

「なに」

「見たら呪われる」

「は?」


 これは難しい。

 迂闊なことを言ったら、話が矛盾してしまいそうだ。とりあえず、全部頷いて済ませよう。


「なんだかおとぎ話みたいですね」


 ヤシュダンの横に座るマニフィスが言った。


「呪われた姫君を守る騎士の物語みたいです」

「これマニフィス」

「ああ、失礼」

「いっ、いえ、いいんですよ、はい」


 内心、冷や汗を流しながらも、やり過ごす。

 カチャンはどういうつもりだ?

 いや……


 ……想像ならつく。

 今朝方、炎上する市街地から、彼は逃げ出そうとした。その際、「マルトゥラ」が置き去りになっているのを知っていたので、避難を呼びかけるために俺の家までやってきたのだろう。

 そこで見てしまった。尖った耳と、青い髪の毛。南方大陸出身なら、亜人の存在くらい、知っていてもおかしくない。

 二人にどんなやり取りがあったかは、想像するしかない。とにかく、マルトゥラターレは逃げることより、俺の救援に駆けつけるほうを選んだ。あとは見ての通り、常に人目があったので、カチャンには俺と話を擦り合わせる余裕もなく、こうして一人で嘘を並べ立てなくてはいけなくなった。


「ったくよぉ」


 椅子の背凭れに身を委ねながら、イーネレムはぼやいた。


「たった一日で常識がぶっとんでいきやがったぜ」

「は、はぁ」

「いるんだな。世の中には本物って奴がよぉ」


 本物というより、異常事態といったほうがいい。

 俺は、この世界にとっては、降ってわいた何かなんだから。


「けど、認めるぜ」

「えっ」

「できる奴は、上に行くべきだ。だから認めるっつってる」


 ボロを出すまいと視線を泳がせる俺に、彼は淡々と言った。

 いや、よく見るとちょっと酔っ払ってるか? そういや、前も酒癖悪かったし……


「悪かったな。陛下なんて呼んでよぉ。まさか本当に黒竜を片付けちまうたぁ」

「僕は皇帝じゃないですよ。一人で倒したわけでもないですし」


 俺の抗議も聞こえていないらしい。


「俺ぁな……もともとはシモール=フォレスティアの騎士の家の三男だった。けど、さすがに三人目のガキにゃあ、席なんかねぇわけさ。だから、一旗あげてやろうって思って、ここまで来た。けど、この歳までこれだ」


 首を振って、彼は自分の無力を嘲笑う。


「これといった成功もできねぇでいるうちに、横からポッと出てきたガキが全部を掻っ攫う……けどよ、そいつも実力、結果出したんだから当然じゃねぇか」

「えっと、まぁ」

「お前はな、認められるべきだ。ちゃんと取り立ててもらって。騎士にもなって。周りも引き立ててやるべきだ。いいじゃねぇか、新天地でのし上がればよぉ」

「は、はい」

「よーし、お前は俺が面倒見てやる、ちゃんと引き立ててもらえるよう……」


 彼が言いかけたその時、後ろに影が差した。

 ずんぐりした男。トールトだ。


「あっ、あの」


 神妙な顔つきで、彼は俯いていた。

 俺と覆面のマルトゥラターレを見比べながら、小刻みに震えていた。


「すみませんでしたぁっ!」


 そう言いながら、大きく頭を下げた。


「とんでもないお方に手をあげようとして」

「おい」


 イーネレムが立ち上がった。


「そんじゃ何か? てめぇ、本当はやってたってか」

「はい」

「ざっけんじゃねぇ!」


 ガツッ、と打撃音が響くと、トールトは床に投げ出された。もとより椅子が密集している居酒屋のこと、あれこれ撥ね飛ばしながら彼は転倒した。


「ちょ、ちょっと、その辺で」

「済まねぇ」


 イーネレムは、それで空いたスペースに土下座した。


 ああ、これ、かなり酔ってるな。

 顔がもう、かなり赤いし。


「あんなんでも俺の仲間なんだ。けど、あいつの責任は、俺の責任でもある。なんでもする。許してくれねぇか」


 イーネレムの男気はわかった。だが、やったのはあくまでトールトだ。

 それに、実害を蒙ったのは、どちらかというと……


「僕がどうこう言えることでは」

「わかった」


 俺の返事は曖昧すぎた。彼は暗い光を目に宿し、腰に手をかけた。

 ハッとして止めようとしたところで、横から声が飛んだ。


「痛い思いしたのがここにいた、殴られた俺、慰めてくれ」


 カチャンがグラスを軽くゆすりながらそう言うと、イーネレムの視線はそちらに移った。

 彼の顔にはまだ、生々しい傷跡が残されていた。あちこち腫れあがっていて、顔の輪郭もおかしくなっている。


「あっ、ああ、わかってる、だから今」

「お前が決めるな俺のこと」


 自ら裁く権利など認めない。静かな、しかしはっきりと相手を威圧する口調で、彼はイーネレムの暴挙を止めた。


「ファルス、姉さんの分まで、俺が決めてもいいか」

「あ、うん、いいよ」

「じゃイーネレム」


 彼のジョッキになみなみ酒を注ぎ直すと、ドンと置いた。


「飲め!」


 その一言に、イーネレムは一瞬、顔を曇らせ、唇を引き結んだ。


「わかった。くたばるまで飲む」


 不吉な言葉を残して立ち上がると、彼はやおらジョッキを掴み、中身を一気に飲み干した。


「何をやって」

「オラ、トールト! お前も来い!」

「はっ、はい」

「お前も詫びろ。一気飲みだ!」

「ちょ、やめ」


 だが、遅かった。

 騒ぎを見ていた他のハンター達も、酒が入っていたのもあってか、悪ノリし始めた。


「イッキ! イッキ! イッキ! イッキ!」

「あそーれ、あそーれ!」


 ここぞとばかりに、次々酒に満たされたジョッキが運び込まれ、二人は次から次へと飲み干していく。そして、何杯目かで、いきなりスイッチが切れたみたいにぶっ倒れた。


「こりゃあいかん」


 と言いながら、ヤシュダンは落ち着き払って席を立った。


「飲みすぎでどうかなってしまうな。マニフィス」

「はい」

「吐かせて薬を飲ませにゃならん」


 俺もと立ち上がろうとすると、ヤシュダンは身振りでそれを制した。

 苦笑いしながら、二人は酔っ払いを引き摺って、居酒屋の外に出た。


 これがカチャンの決着のつけ方、か。

 イーネレムが飲む前に苦しげな顔をしていたのは、許されてしまったからだ。時として、人は罰を必要とする。謝罪しなければ前を向けない。


 俺の曖昧な返事を聞いた時点で、イーネレムは早合点したのだ。型通りの始末のつけ方をするとなれば、トールトの凶行をギルドに報告しなくてはいけない。

 処断されるのはトールト一人。イーネレム達は冒険者証を剥奪されたりはしない。だが、この街での活動はやりにくくなる。どこかに移れば、まだハンター稼業の続きができるだろうが。

 だが、彼にはその後がわかっていた。自分はまだいい。唯一の仕事を失ったトールトがその後、どうなるか。乞食? なら、まだいい。もっと悪い可能性がある。盗賊どもの仲間になることだ。

 なくすものさえなくした人間は、僅かな良心すら打ち捨ててしまう。となれば、その後のトールトは、大勢の人を不幸にしながら、最終的には自らも破滅するしかなくなる。


 その未来がわかっている以上、ここで始末をつけなくてはいけない。つまり、イーネレムは自ら殺人犯になってでも、トールトを殺す。仲間に選んだのは、自分なのだから。

 そんな彼を、カチャンはあのように裁いた。


 思えば、最初にあれだけ殴られた時にも、それと知っていながらトールトの名前を出さなかった。なぜだろうと思っていたのだが、自分のことだけでなく、先々まで考えていたからなのだ。

 悪事は悪事。だが、それを追及すれば、もっとひどいことが起きる。彼は自分の痛みを、なんでもないかのように吞み込んでみせた。


「ふう」


 やっと静かになった。

 そこでカチャンと目が合う。


「カチャン」

「わかってる」


 彼は、水しか入っていない俺のコップにジョッキを軽くぶつけた。


「さっき話したのが、全部だ。俺は何も知らない」


 秘密は守る、詮索もしない。

 そういう意思表示。


「よかったな、兄弟」


 彼はそう言ってくれた。

 だが、そんなカチャンの横顔は、どこか寂しそうでもあった。

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