シードボムで荒稼ぎ

 早春の沼地は、一見すると生命の絶えた滅びの世界に見える。

 冬の名残の枯草が朝露に濡れて身を伏せる。どこまでも灰色の泥が広がっていて、動くものの影もない。朝靄の中に幽かに見えるのは、崩れた古代の建造物の残骸だ。

 だが、水面下では変化が起きている。今、俺が立っている高台からはよく見えないが、耳を澄ませば小さな破裂音のようなものが聞こえる。ボコッ、とかブツッ、とか……これは沼の表面にガスが上がってきて気泡が弾けている証拠だ。

 斜めに差し込む朝日は朧だが、それでも地表面を温めるだけの力を持つ。このエネルギーが、泥中の生物を眠りから覚ます。


 春は沼地にとって混沌の季節だ。

 冬の間は、特に曇る日も多く、大型の魔物は奥地に引き篭もってあまり出てこない。餌となる生物が少ないので、みんな活動を手控えている。

 だが、温かくなってくると、生態系の底辺を形成するいろんな生物が目覚めて動き出すので、長い空腹に耐えていた捕食者達も、挙動を変える。

 たとえばムーアスパイダーだ。あれなんかは、冬の間は泥の中に潜んで、覚醒状態と半休眠状態とを行き来する。で、通りすがりのハンターにかぶりついたりもする。これが春から夏の終わりまでは、沼の外縁にある潅木林に進出して、物陰から人や動物を襲ったりするようになる。気温が上がった分、運動能力も増すので、冬と同じつもりで相対するとひどいことになるという。

 沼の魔物の行動範囲は、喩えるならラッキョウだ。タマネギでもいいか。奥のほう、強烈な瘴気を発する領域に近付けば近付くほど、強力な魔物がいる。それに押し出されるようにして、より小さな弱い魔物が外側に出てくる。この縄張りの変動が起きるタイミングが、春なのだ。


 よって、狩猟をメインとするハンターにとっては稼ぎ時であると同時に、危険も増す時期なのだ。

 加えて、晴天の時間も増えるので、毒気が噴出しやすいという問題もある。魔物達にとってはただのガスかもしれないが、人間にとっては猛毒だ。


 これが夏に差し掛かると、もう大儲けはできない。沼地の奥に遠征することも難しくなる。というのは、魔物の活動範囲が大きく広がるため、冒険者の仕事は狩猟から街の防衛へと切り替わるからだ。あの、街を守る城壁から一キロ近くある緩衝地帯に、ムーアスパイダーその他の魔物が殺到し、巣を作る。それをハンター達は片っ端から始末しなくてはならなくなる。安定して稼げはするが、一攫千金は難しい。


 俺が今、立っているのは、歩いて目指せば早くて三日はかかる巨大な足場だ。広くて大きいのだが、利用されていなかった。なぜかというと、登れないからだ。

 ギルドで押さえておいた狩猟ポイントは、もっとずっと手前だ。一人用の小さな足場があればよかった。但し、活動期間を十日程度と伝えておいた。そこから、最低限の荷物を肢で挟んで、ここまで鳥の姿で飛んできた。

 さすがに地上四階くらいの高さとなれば、足元の毒気も届かない。だから俺は余裕で朝を迎えることができた。


 とにかく重量が最大の制限だった。ゆえに携帯食料はなし。シーラのゴブレットだけに頼る。水筒は用意した。幸運を期待して、解体用ナイフも持ってきた。バクシアの種のほか、この作戦に使えそうな、サイズの大きい植物の種子をいくつか集めておいた。あとは防寒具だけ。

 雨が降ったり、風が吹いたりすると、割と悲惨なことになる。ここは古代のビルの残骸だ。壁も屋根もほとんど吹き飛んでいる。場所を選んで横になれば大丈夫だとは思うのだが、一応、沼に転落したら大変なことになるので、瓦礫を寄せ集めて「陣地」を作った。

 それだけでは足りなかった。どうせ初日は黒竜狩りには行けないので、このベースキャンプ付近の小さな魔物を乱獲した。ムーアスパイダーが数匹いたので、容赦なく焼き払って捨てた。それ以外の小さな動物については『恐怖』の魔法でとりあえず遠ざけた。安全の確認は、毎日する必要がありそうだ。


 さて……


「……暇だ」


 とりあえず、陽光がまた雲に遮られるのを待つ。

 狩りに来ておいて暇とは何事かと思うが、今は動けない。今回の仕事においては、その時間のほとんどが無為な待ち時間となる。覚悟の上だ。


 もっと簡単な方法があるんじゃないのか?

 腐蝕魔術耐性なら、少しずつだが、沼地の魔物達から奪い集めてある。これを自分の能力に加えてしまえば、堂々と沼地を歩いていけるのではないか?


 一度は考えた。考えたが、やめた。

 なぜなら、それは「スキル」だからだ。スキルは、繰り返し修練することで得られるものだ。ゴキブリが病原菌耐性を備えていたのと同じ。ここの生物も常に不潔な環境におかれているから、自然と身についた。

 つまり、腐蝕魔術を完全に無効化できるという保証がないのだ。レベルが足りないと、被害を軽減するだけで終わってしまうのかもしれない。


 この沼地に充満する瘴気が、どの水準で生物の肉体を蝕むのかは、明らかではない。今、沼で生きているこれらの蜘蛛や一角獣も、実は天寿を全うしているのではなく、最終的には沼の毒で死んでいる可能性もある。耐性は、それを遅延させているだけだとしたら?

 もし俺が生前のラズルを観察する機会があったら、このスキルが発生していたかどうかを確認できたのだが。彼は長期間に渡って活動した。沼地を離れ、シモール=フォレスティアの海岸では、アイクと戯れさえした。ティンティナブリアからの山脈越えでは、オーガどもを切り伏せた。

 だが、彼の命を奪ったのは、実質的にはここの毒だったのだ。もし彼に腐蝕魔術耐性があったとしても、それは寿命を延ばす役に立っただけなのではないか。


 ピアシング・ハンドは万能ではない。奪った能力は、奪われる側のそれを上回ることはない。

 また、その情報も不完全だ。例えば犬には「鋭敏嗅覚」なんてスキルやアビリティは付属していない。それが意味するところは、その鋭い嗅覚は、スキルでもアビリティでもなく、もっぱら生まれついた肉体にのみ由来する能力だということだ。

 ならば、この沼に生きる生物の肉体にも、スキル以外になんらか毒に対する抵抗力を高めるような素質が備わっているのかもしれない。そして、身体がもつ先天的な能力は、事実上、ブラックボックスだ。

 その上、腐蝕魔術の正体も、その耐性の生じ方や効き具合も、一切確かめていないのだ。しかも、実験すら難しい。沼の毒が愚か者を殺すまでにかかる時間は非常に長いのだから。


 結果、俺はリスクを避ける選択をした。


 待つこと数時間、急に雨雲がやってきて大雨を降らせた。

 それが止むと、いつも通りの曇天が広がった。


「……やるか」


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク7)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、10歳、アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・マテリアル プラント・フォーム

 (ランク6、無性、0歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 精神操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     9レベル+


 空き(0)

------------------------------------------------------


 能力の枠が足りなかった。

 いろいろ考えて、結局、格闘術を種の中にしまいこんだ。汚染された魔物に素手で掴みかかる機会は、そうそうないからだ。


 代わりに、どうしても取り込まなくてはいけないものがあった。それが、事前に仕入れた「植物の種」だ。

 大きすぎず、小さすぎず、鳥の状態で拾い上げられるくらいのサイズのものを選んだ。あとは、沼に放り込んでも沈まない、水より軽いもの。そして色合いがなるべく明るいこと。条件に合うものを探し出すのに、繁華街を長いことうろつき回らなくてはいけなかった。


 バサッ、と生温かい衣服がずり落ちる。そこから頭を出したら、ナイフを拾い上げてテイクオフだ。


 南に向かって飛ぶこと、およそ二時間ほど。

 足下に群れをなして駆ける集団が見えた。一角獣だ。


 冬の間は食料も少なく、また捕食者もおとなしいので、彼らは単独で暮らしている。だが、春になるとああやって集団を形成するようになる。というのも、これも聞いた話だが、もうしばらくするとメスが出産を始めるからだ。

 動物はいろんな理由で群れる。だが、その主なものは、安全の確保だ。一角獣は雑食性らしく、沼地の中に潜むムシも掘り返して食べるらしいが、それでも頭数が増えれば食い扶持も減るのが道理。交尾の季節でもないのにこうして集まるのは、それだけここが危険になった証拠だ。


 となると、獲物は近い……


 ……いた!


 まさに黒竜が食事を楽しんでいるところだった。

 餌はやっぱり一角獣。最高のタイミングだ。


 ピアシング・ハンドをうまく使えば、実に効率的な狩りができる。

 まず、取り込んだ種、これを黒竜にプレゼント。


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 スィェスッラ (20)


・マテリアル ドラゴン・フォーム

 (ランク5、女性、321歳)

・マテリアル プラント・フォーム

 (ランク6、無性、0歳)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・飛行

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・腐蝕の魔力

 (ランク8)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク5)

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 悪食

・スキル アブ・クラン語 4レベル

・スキル 腐蝕魔術    8レベル

・スキル 精神操作魔術  6レベル

・スキル 爪牙戦闘    5レベル


 空き(8)

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 そして続いて、竜の肉体をこちらに取り込む。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク7)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、10歳)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳、アクティブ)

・マテリアル ドラゴン・フォーム

 (ランク5、女性、321歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 精神操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     9レベル+


 空き(0)

------------------------------------------------------


 残ったのは、黒竜としての能力と経験を詰め込んだ、ただの種子。

 それがポロッと泥の中に落ちる。


 あとは拾うだけだ。

 今、右足でナイフの柄を掴んでいるので、左足でうまく拾えば……

 いやいや、ここは慎重にいこう。


 まずは、大きな島、つまり倒れている一角獣の上に着陸。

 そこにナイフを置き捨ててから、種を回収する。

 その上で、また一角獣の上に飛び乗ってから、人間に変身……


「うわわっ」


 ズブッ、と死体が一段階、深く沈んだ。

 俺の体重がかかっているんだから、当然か。


 かなり慌てたが、途中で止まってくれた。


「よしよし」


 ナイフを拾い上げ、そろそろと頭のほうに近付いていく。狙いはその角だ。

 幸い、さっきまで黒竜がいたので、近くに危険な捕食者はいない。当然だが、みんな逃げ去ってしまっている。余裕を持って角を切り落とすことができた。


 問題はこの先だ。

 肢は二本、荷物は三つ。そう、ナイフと角と、一番大事なドラゴン入り種。

 ちょっとだけだが、種は沼地の泥で汚れている。このまま咥えたくない。


 少し考えて、俺は「拭う」ことにした。

 指先で種を摘んで、それを一角獣の傷口にグリグリ押し込む。血液を水、肉を雑巾に見立てて、少しでも汚れを落とす。これでいいんだろうか。


「うえぇ」


 気持ち悪いけど、我慢しよう。

 次から、もうちょっと方法を考えるか。布を持参するとか。


 また鳥に肉体を入れ替えると、俺は荷物を回収し、空に舞い上がった。

 今度は大急ぎだ。既に昼下がり。あんまりのんびりはできない。デスホークの目は、暗闇ではかなり視力が落ちるのだ。


「ふう」


 夕方には、またあのベースキャンプに引き返した。

 早速、さっき回収した黒竜の肉体を種の中に移し直す。急いで服を着て、精神操作魔術で周囲の危険を探る。問題ないようだ。


 あとは二十四時間、ただここで暇潰しをする。ピアシング・ハンドのクールタイムだからだ。

 丸一日経ったら、また種を取り込んで、待つ。

 それから更に一日経ったら、また飛び立って、同じことをする……


「さて……」


 いいんだろうか。

 この沼地にいるみんなの夢、憧れは、黒竜討伐であるはずだ。なのにこんなに簡単に終わってしまうなんて。実感がない。

 ただ、これ、どうやって売り捌こう? いきなり死体を放り出して……いや、無理がある。

 売り方は思いつかないけど、数は欲しい。自分でも矛盾しているが、もっと集めてから帰りたい。


「……暇だ」


 なんだかおかしい。

 多分俺は今、この世界でもっとも効率的に金を稼いでいる。なのにそれが暇で暇で仕方ないなんて。

 こうもやることがないと、どうしたらいいのか。さすがに自分をもてあます。眠くもならない。


「うぅあぁ」


 ゴロンと寝転がる。

 どうやら、最大の敵は退屈らしい。

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