日照りにご注意

 日照りという言葉には、あまりいいイメージがない。お日様が燦々と下界を照らしてくださっているという、それはそれはありがたい状況を示す単語なのだが、実際には深刻な欠乏状態を表現するのに用いられている。「ナントカ日照り」というと、何かに縁遠いことを意味する。

 生活環境の維持管理には、こういう日も必要だ。洗濯物を干し、布団を干し、窓を開けて部屋の空気を入れ替える。それに、普段はじめじめしているこの地域だ。ただ空が晴れるというだけで、大変にスッキリする。

 するのだが……


 前回の成功が、無になろうとしている。


 冒険者達も、こうなっては出かけられない。この辺の天気は変わりやすいのだ。晴天が続いても、一時間後には曇り空に覆われるかもしれない。それでも、イチかバチかで沼地に出かける奴もいる。困ったものだ。


 そもそも、この街には産業らしい産業がない。なぜなら、元はといえばセリパシア神聖帝国が整備した監視拠点兼兵站基地に由来するからだ。沼地の魔物が上陸しないか見張ったり、後方の穀倉地帯からの物資を蓄積したり。この場所には生産性を求めていなかった。

 世界統一後も、物流の拠点としていくつかの都市は残った。また、諸国戦争前までは、世界中で魔物の領域を縮小させるべく、各地からの冒険者が集まる場所だったので、そこまで貧しくはならなかった。

 だが、その後は時の政治情勢に左右されるようになる。神聖教国は勢力を拡張する際に、役立ちそうな場所にある都市には経済援助を、逆らう街には経済制裁を課してきた。アルディニアなど周辺各国との関係が変わると、その都度交易ルートも変わり、栄える街も変わった。


 つまり、今となっては唯一の産業がハンターなのだ。

 なので、暇をもてあました連中は、酒場でのんだくれたり、カード賭博にはまりこんだりしている。遊んでいるように見えて、稼ぎがなくて気が立っているので、迂闊に近寄らないほうがいい。


 気は急いている。もう四日も雨が降ってない。そろそろ沼地の表面を歩いても、毒が噴き出してこない頃だ。俺も、運を信じて出かけてみるか?


 と考えつつも、俺は本に目を通していた。あまり集中できてはいないのだが。

 気分は晴れた日の屋上。屋根が取り外し可能だからこその、この快適空間。


「ねぇ、マルトゥラターレ」

「なに」

「腐蝕魔術って、何のことだか、わかる?」


 身体操作魔術については、サース帝の残した秘伝書を読み、調べることで十分に理解することができた。あのアルジャラードが用いていた『即死』以外にも、強力で有用な技術が見つかった。全身の随意筋を痺れさせる『麻痺』、自分ではなく任意の他者の身体能力を引き上げる『鼓舞』などだ。

 しかし、もう一冊の方がわからない。力魔術も人間社会では未知の能力だったが、こちらの魔術については、今まで使用者に遭遇したことさえない。

 だが……


「わからないけど、ちょっと待って」

「う? うん」

「やっぱりわからない。スヴァーパも知らないって」


 やっぱりそうか。

 だが、俺はこれが気になってならない。


 なぜなら、大沼沢の魔物や動物の多くに「腐蝕魔術耐性」のスキルがあるからだ。ただ、どれもレベルは低いが。

 耐性があるということは、沼地は腐蝕魔術の脅威に溢れているということになる。実際、毒気がたっぷり漂っているし、生身であれをしのぐには特別な能力が必要なのだろう。


「うーん……」


 過去に誰かが大規模にこの魔術を使用した結果が、今のムーアンを生み出したのか?

 とすれば、それはどれほどの大魔法だったんだろうか。仮にモーン・ナーとギウナの戦いがその機会であったとするなら、二千五百年前だ。そんな長期間、汚染が居残り続けるとは。


 俺は、夢の中でギウナを見ている。あの黒い龍は怒り狂っていた。あの後、何が起きたかはわからない。ただ、少なくともあの時点のムーアンは清浄な湖、または海だった。あの夢が、ただの夢ではないこと、恐らくはこの世界の歴史的事実であろうことは、魔宮に残された絵画などからも裏付けられている。

 しかし、実際、どんな争いが起きたのか、そもそもそれは実際の戦闘行為だったのかどうかは、はっきりしない。この件については、ノーゼンら贖罪の民の証言がある。ギウナが滅んだのは、誰かに攻撃された結果ではなく『人々を裁いたがゆえ』だったという。

 とにかく水際にあった建造物は軒並み押し流され、或いは倒壊し、無数の人が亡くなった。そして残されたのは、半永久的な汚染だった。


 核兵器だって、こうはいかない。

 まぁ、沿岸の建造物を破壊したのと、環境を汚染したのが同じ原因という証拠もないのだが……


 そんな凄まじい魔法の秘術が、ここに書かれているのかと思うと、無視なんてできない。

 しかし、ざっと説明に目を通しはしたが、いまいちピンとこなかった。というのも、この本には術の名前とその使い方については記載してあったのだが、不親切にも「使うとどうなるか」については一言も述べられていないからだ。

 魔術の名前もスッキリしない。最初のほうに書いてあったのは『反応促進』とか『反応抑制』とか『反応阻害』とか、よくわからない術だった。その次には『汚染』とか『壊死』とか『老化』とか、なんか怖い名前の魔法が並んでいた。

 じゃあ、最後のほうに書いてある究極奥義は、というと『腐蝕』としか書いてない。あれか? 金属が錆びてボロボロになったりとかする、ああいう現象を指しているのか?

 そんなもので、今のムーアンが出来上がったりするのだろうか。できるかもしれない。とんでもない出力で、この本に書いてある魔法を片っ端から浴びせれば。


「……よし」


 俺は本を置いた。


「どうするの?」

「やめた」


 俺は起き上がった。


「やっぱりちょっと」

「待って」


 仕事行ってくるよ、と言おうとしたところで、マルトゥラターレも立ち上がった。


「せっかくだし、少しお散歩したい」


 おや?

 今まで要求らしい要求もしてこなかった彼女にしては、珍しい。


「散歩? で、でも、目、見えないんでしょ? ここ、ジェゴスの屋敷じゃないし、大丈夫?」

「連れて行ってくれれば、だけど」

「うーん」


 しかし、街中に連れ出すのは避けたい。

 一応、皮膚病の姉だとは言いふらしてある。そのことは、当のマルトゥラターレ自身にも伝えてある。よって連れ歩くこと自体は変ではない。

 ただ、彼女の見た目が問題だ。髪の毛や顔はそれはもう、バッチリ隠すつもりだが、体はごまかせない。水の民はこれが普通で、みんな美形揃いなのかもしれないが……ほっそりとした体つきは男達の目を引くだろう。そしてこの街には、若くて美しい女性はあまりいない。荒っぽいハンター達が昼間から酒を飲んで博打に興じる、そんな場所だ。要するに、欲求不満の女日照りどもがウヨウヨしている。


「このところ、ずっと閉じこもってて、これじゃ歩けなくなる」


 それも道理か。運動不足にもほどがある。

 いざとなったら、俺が守ればいいし。それに、水も豊富で空気中の水分もたっぷりあるこの場所で、彼女を力ずくでなんとかできる奴なんて、そうそういないはずだ。


「わかった。じゃあ、少し出歩こう」


 まず、フードは必須。ただ、不埒な奴がいきなり引っ張り下げない保証もない。ウィッグなんて上等なモノはないので、更に内側に帽子をかぶってもらう。顔は本当は包帯か何かでグルグル巻きにしたかったのだが、さすがにそれでは息苦しすぎるので、マスクのように布を宛がうだけで我慢した。

 本当は自由に外の空気を吸って欲しかったのだが、他所にも増して、ここにはクズが多い。注意してしすぎるということがない。


 俺達は連れ立って扉を開け、頼りない階段に足を乗せた。


「ここは?」


 この高台の端にギルドがある。ただ、街にとっての瘴気避けになっている丘は、また別のところにある。

 ギルドの建物は、街から突出した位置にある。予期しない脅威に備えるためだ。瘴気の風が流れ込んでくるなど、警報を要する状況があれば、ここで鐘が打ち鳴らされる。


「こちらがギルドだけど、ここからまたいったん降りて、あちらの丘に登ると城壁がある」

「城壁?」

「瘴気が流れ込んでくるのもあるけど、ごくごくたまに、黒竜が襲撃してきたりとか、あるらしいから」


 但し、それは本当に稀な事態らしい。

 あって、数十年に一度。どういう理由によるものか、大沼沢の深部から黒竜が人里を目指すことがあるのだという。

 それは重大な危機であると同時に、最高のチャンスでもある。街にいるハンター達は、総出で退治に向かう。とにかく、少しでも貢献しなくては。倒しきれずに撃退で終わった場合は最低限の報酬だが、もし討伐できれば、その利益は計り知れない。


 かなり前、ピュリス付近の海で海賊に襲われたことがあった。頭目のゾークが羽織っていたのは、黒竜の皮を加工したコートだ。あれが下手な鎧より使いやすい。外皮には撥水性があり、しかも丈夫で、刃先が滑りやすい。これにゴム質の内皮で裏打ちすると、打撲を防ぐことができる。控えめにいって、防具の素材としては最高級のものだ。

 その代わり、他の部分はというとかなり微妙だったりする。まず、肉は食えない。赤竜の肉が美味とされているのに比べて、黒竜のそれはというと、生臭いわ苦いわで、オマケに毒まである。一応、内臓からは強酸性の毒が取れるらしいが、どんな容器に入れても時間が経つと内側からボロボロになってしまうので、あんまり実用性がない。

 骨も、何かに加工できないでもないらしいが、これまた毒まみれなので、使い道があまりない。一応、武器にならなくもないか、という程度だ。


「大丈夫? 疲れてない?」

「平気」


 最初、俺は彼女の手を引いて歩いていたのだが、やりにくそうにしていたのに気付いた。それで尋ねてみると、とにかく後ろに立って、肩に手を置くか、腋の下に手を入れたいらしい。何か障害物があれば告知して欲しいが、多少の段差などであれば、前を歩く俺の動きで察知できるのだとか。

 それが手を引っ張って歩かれると、何しろ手は関節が多く、衝撃の多くを緩和してしまうので、俺の動きがよくわからない。だから、目の見えない彼女は本当に真っ暗闇の中を彷徨うことになる。


 いったん、ギルド近くの丘を降りて、斜めに下り、また登る。

 街から離れた場所を選んでの散歩だ。人目につきにくいところのがいい。だからギルドの建物までは行かずに引き返し、ほぼ無人の城壁に立ち寄ったりもしている。ぐるっとまわって帰れば、彼女の運動不足も少しは解消されるだろう。


「ここが城壁の門」

「通っていいの?」

「別に通行料は取られないよ。門番もいないし」


 そもそも、街を完全に囲っているわけでもない。丘の上、沼から見た街の正面にある風除けだ。

 真ん中に門があるのは、避難する人を迎え入れるルートを作ったというだけのこと。これがないと、緊急時に駆け込む人は、左右のどちらかから壁を迂回しないといけなくなる。


「この下には何がある?」

「ここからは下り坂で、少し行くと道以外は水溜りだらけになる。あちこち草叢とか木が生えてたりとか」

「少し降りてもいい?」

「もちろん」


 丘を降りたらすぐ大沼沢、というわけではない。ここから一キロ弱、潅木の茂みが断続的に広がっている。草叢や水溜りもあちこちにある。

 これ、夏場は大変だろう。きっと蚊とか涌いてそうだ。のんびり佇んでいたら、虫刺されだらけになる。でも、ここに沼地の魔物が這い上がってくるので、ハンター達は分け入っていかねばならない。


「このまま、まっすぐ行けば沼地だけど」

「うん」

「狩場には、ギルドに行き先を伝えないでは、行かないようにって言われてる。そろそろ引き返そうか」

「うん」


 門に引き返したところで、マルトゥラターレが尋ねた。


「……お金持ちの人は、どこにいるの?」

「へっ?」


 なんでそんな質問を?


「今は街自体、不景気だから……本当のお金持ちは、シャハーマイトまで行かないと、いないよ。あと、ここからだと、レジャヤも割と近いかな。ただ、街の中の小金持ちだと、やっぱりもっと北、城壁から遠い場所に暮らしてる。街道沿い? 要は商売で食ってる人達だから」


 高級住宅街は街道のある北寄りに、そこから街の中心部は繁華街で、南側は貧民街になる。そこが俺達の住居だ。もっとも、ハンターの多くもそこに暮らしているし、近頃の繁華街も、だんだんとスラム化していて、区別がない。金持ちだけ、自分の敷地を柵とか壁で覆っている。


「帰ろうか」

「……うん」


 そうして、城門から北へと丘を下り始めたところだった。

 不意に建物の影から、数人の男達が騒ぐのが見えた。


「行くぞぉ、お前ら」

「酔いすぎだって、お前」

「酔ってねぇ、俺はこれから、竜を、竜を……」


 あれは……

 イヤな奴に出くわしてしまった。


「道を変えよう」

「えっ?」

「あっ、おいぃ」


 遅かったか。見つけられてしまった。


「おぉうー……なんだぁ、その別嬪さんはぁ……」


 ぐでんぐでんに酔っ払ったイーネレムが、一人だけしらふの仲間に支えられながら、俺に声をかけてきた。

 そいつ以外の四人は、全員酒で顔を赤くしている。


「姉のマルトゥラです。もう帰ります」

「デートかぁ」


 聞いてない、いや、聞こえてないか。


「はいはい、そうですよ。じゃあ、これで」

「待てよ、おらぁ」


 小気味よい金属の擦過音。

 しかしこれは……


「金貨で払ってやるぜぇ」

「やめてください」

「俺ぁ金持ちなんだ、なんつったって、フォレスティアの騎士様の……騎士様のぉ」


 この酔っ払いめ。

 投げたのは銅貨じゃないか。ふざけている……いや、泥酔してるんだから、理屈なんか通じない。


「帰るよ、マルトゥラ」

「あの人、お金持ちなの?」

「そんなわけない。あれ、銅貨だから。行こう」

「待てや」


 眼が据わっている。

 仲間を突き飛ばして、こちらに歩み寄ってきた。


「売れよ、その姉ちゃん」

「売りません。さ」

「ツラ見せろやぁ!」


 手が伸びる。

 予期していたことだ。俺は難なく彼の腕を掴み、捩じ上げる。


「あだだだっ!」

「イーネレムさん、あなた酔っ払ってます。子供相手に不覚を取るなんて」


 酔ってなくても、今の俺に及ぶはずはないが、そういうことにしておく。


「皆さん、連れ帰って……えっ」


 ロイエ市の治安は悪い。

 治安というのは、社会への信頼から成り立っている。そして冒険者というのは何の保証もない、危険な肉体労働者だ。ましてや今は不景気の真っ最中。

 これで酒が入っていなければ、彼らも理性が勝ったことだろう。しかし今は、一人を除いてあとは全員、かなり飲んでいるみたいだ。

 そして、ここのハンターどもは、揃いも揃って日照りにやられている。それも、女日照りに。


「えっへへへ」

「女ァ」


 新たに三人が、マルトゥラターレの細い腰に注目していた。


「ちょっ」

「愛してるぜぇ」


 前のめりになって突進してくる。


「クソがっ」


 身を翻して、二人を叩きのめした。

 だが、あと一人にまわりこまれ、そいつは彼女の腰に抱きついた。


「お? おほぉっ!?」

「そこまで!」

「ぎゃびぃっ!」


 最大威力で『行動阻害』を浴びせてやったら、激痛で失神した。

 カスめ。ドチンピラめが。


「逃げよう!」

「あっ」


 俺は、マルトゥラターレの手を引っ張って、大急ぎで走り出した。

 嫌な予感はしていたが、まったく……

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