魔剣
「バケモノ……」
「ヘル、あまり喋るな」
奇跡と幸運が重なった。そうとしか思えない。
あの決着の時、何が起きていたのか。
背面からアルジャラードを撃つ。そうは言われても、ソフィアには難しかった。役に立たなかったわけではない。彼女の手引きなしでは、マルトゥラターレは歩くことさえままならなかったのだから。ただ、いざ狙撃するという段階になって、重大な問題にぶち当たった。正確な距離や方向がわからない。わかったところで、一言では言い表せない。その間にも戦闘は継続しており、標的の位置は変わり続ける。
だから、気を揉みながらもどうしようもなかった。水源のないこの場所で、全力の一撃を使い果たしてしまったら、もう次はない。慎重にならざるを得なかったのだ。
その問題を解消したのが、ヘルだった。
声のするほうに撃ち込めばいい。これ以上、明確な目印はなかった。
彼の勇気と覚悟に、或いは女神が応えたのか。まず背中に突き刺さった氷の槍に、奴はヘルを取り落とした。しかも、真下の穴に向かって落ちたのではなく、一段下のテラスにこぼれ落ちたのだ。
もちろん、無傷とはいかなかった。そもそも、最後に特攻をしかける前から、ヘルは打撲だらけだった。俺が喰らったあの瓦礫の雨。一足先に味わっていたのだ。その上、高所から床に叩きつけられたので、ひどいことになっていた。
俺がアルジャラードにトドメを刺した直後、ソフィアは適切な判断を下した。まず、誰を救護すべきか。
すぐ足下に横たわるマルトゥラターレは、後回しにすべきと考えた。自身が行使した魔術の反動で倒れただけだ。できることは少ない。ファルスは手の届かない大樹の頂点にいる。ならば、まずはヘルから。
だから、深刻なダメージを受けたにもかかわらず、すぐさま治療を受けたおかげで、こうして喋ることができている。
ただ、それはそれとして、少し不可解ではある……
「バケモノというがね……君が一番向こう見ずだったと思うが」
俺の横に立つカディムが、呆れ顔でそう言う。
だが、呆れたのはむしろ俺のほうだ。
アルジャラードの一撃をまともに浴びたのは、カディムだけだ。一発蹴飛ばされただけだが、軽く壁に吹き飛ばされ、跳ね返されて、あっさりホール中央の穴の中へと落ちていった。この時点で、彼の生存は絶望的だと判断していた。
実は、かなり危ないところだったらしい。カディムには強力な再生能力があるが、どんな負傷にも耐えられるわけではない。まず、銀やミスリルで傷つけられると、その部分は再生しない。また、火で焼かれた部分の再生も遅くなる。心臓を刺し貫かれたり、首を切り落とされたりすれば、やはり死ぬ。
あの瞬間、猛烈な一撃を浴びはしたのだが、これまた運がよく、ただの打撃で済んでいた。鋭い足の爪が胴体に食い込んでいたら、きっと助からなかっただろう。それでも身動きできないほどの重傷だったのだが、大樹の枝に引っかかったまま、時間が過ぎると徐々に傷が治癒していった。
そして、なんとか動ける程度に回復した時点で、彼は自前の力魔術で浮遊した。
そのおかげで、俺も大樹の天辺から回収してもらえたのだ。
ところが、彼よりずっと負傷の度合いが軽いはずのヘルはというと、ほとんど治っていなかった。だからこうしてソフィアのお世話になっている。どういうことだろう?
「勇敢だったと言ってくれ。だいたいおかしいだろう。なんであれで死んでないんだ。やっぱりお前もバケモノだ」
「まぁ、魔物らしいからな、否定はせんが」
「思ったより元気」
マルトゥラターレが突っ込みを入れると、矛先が変わった。
「空元気だ。お前もなんなんだ、あの水魔術は。トロールでも殺せそうな威力だったぞ」
「このホール中の水分を、集められるだけ集めた」
「人間に使える力じゃない……まったく、ここにはバケモノしかいないのか」
いまだに床の上で仰向けになったままのヘルの横で、ソフィアは世話を続けている。その彼女が言った。
「ヘル様、私は人間ですよ」
「あ、ああ、そうだったな」
俺も言った。
「ヘル、俺も人」
「違う。バケモノ」
即座に否定された。
ともあれ、あれだけの戦いの後で誰も死ななかったのは、本当に幸運だとしか思えない。何か一つ間違っていれば、確実に全滅していた。
俺は周囲を見回した。
アルジャラードが倒されたのにもかかわらず、キーアダーとかテカサールとかいった悪魔が顔を出しそうな様子はない。もしあんなのがもう一匹出てきたら、今度こそおしまいだったが、どうやらその心配はなさそうだ。
「ヘルが動けるようになったら、先に進もう」
「ファルス様、その前にファルス様のお手当ても致しませんと」
すっかり忘れていたが、俺も無傷ではない。
石礫の雨を全身に浴びたのだ。実は擦り傷だらけの痣だらけだ。
「まぁ、慌てることもない、か」
脱出のための最大の障害は、取り払われたのだから。
しばらく休憩してから、俺達は歩き始めた。
あの、黄色に輝く天井の岩石を横目に見ながら、大ホールの出口をくぐった。
そこからはまた、光の差さない暗闇になっていた。人間サイズの狭い通路。左右はセリパス教の教会によく用いられる、くすんだ色の石材だった。
何度か角を曲がると、急に広間に出た。
そこはまるで、教会の聖堂のようだった。
頭上に広い空間がある。アーチになっているからだ。但し、窓はなく、光源もなかった。
俺達が出てきた入口を広間の左後ろとするならば、向かいにあるステージが説教壇、こちら側は聴衆のための立見席だった。そして、右斜め前、壇上の奥に、また上方に向かう階段が垣間見える。
しかし、この空間でもっとも目立つものは、壇の中央にある台だった。
その台もまた、同じような石材で作られていた。日本の墓石みたいに、四角形の石が三段くらい積まれている。
その頂点には、銀色に輝く筋が見えた。
「あれは……剣?」
剣といえば、俺はさっき、丸腰になったばかりだ。
あの時は仕方なかったとはいえ、最後の戦いで思い切り乱暴に突き立ててしまった。とんでもない高さから、体重をかけてあの大樹の穂先に叩きつけたのだ。あれではどんな剣だってへし折れる。
しかし、その値段を思い返すと、どうしたって溜息が出る。市場価格、最低でも金貨一千枚。つまり、日本円相当で一千万円以上の代物を、ぶち壊してしまったのだ。それも、使い始めて一年経つかどうかで。
その剣は、切っ先を台座に突き刺したまま、まっすぐに立っていた。柄の拵えは粗末そのもので、何か黒い布が取っ手の部分に巻きつけてあるだけだった。柄頭にも装飾らしいものはない。鍔も地味そのもので、最低限の機能を提供しているに過ぎなかった。
ただ、その刀身の輝きは、不思議と見る者を魅了する何かを秘めていた。
「これは……」
カディムも惹きつけられるようにして、台座の前に立った。
「かなりの業物かもしれないな」
「いや、それはないでしょう」
気持ちは同じだったが、俺はすぐさま否定した。
それは、どこまでも論理的な理由による。
拵えが安っぽいから、というわけではない。剣として、これでは欠陥品だからだ。
剣というのは、単純な形状をしているようで、実は複雑な機能を内に秘めている。
僅かな違いで使い勝手が大きく変わるのだ。
まず、敵を「切る」場合だ。包丁仕事をしてきた俺には常識だが、刃物は切れない。切断とは、断面積の小さい場所に大きな圧力を加えた場合に起きる事象だ。ゆえに、切る機能を高めたければ、切りつける瞬間における面積を小さくする工夫が必要となる。
そのための構造の一つが、曲線を描くことだ。つまり、日本刀とかシミターのように、反り返った片刃の剣にしてしまうのだ。反りが大きければ大きいほど、無造作に振り回した際の接触面積が小さくなる。必然、切断能力も高まる。
しかし、あまりに反りが大きいと、今度は別の用途で使う際に不便が生じる。つまり、刺突だ。
突きは、線ではなく点の攻撃で、避けられた場合の隙も大きい技だ。ただその分、防御する側としては難しい。大きな盾で身を守っている場合はそうでもないが、同じく剣だけを手に戦っている場合には、なかなか受け止められるものではない。初心者が武器を手に戦うのなら、下から相手の顔めがけて突くのが常道で、手っ取り早い。
要するに、使用者側からすれば、できれば刺突というバリエーションも残しておきたい。
直剣は、そうした我儘にある程度応えるため、割と緻密な計算の下に造られている。
刀身は根元で太く、先端では細い。曲刀のような反りを形成することができないので、せめて勾配を作って、接触面積を減らそうとしているのだ。
また、これには別の利点もある。重心が手元に近付くのだ。剣など、武器の重さは、単純な重量だけでは測れない。試しに竹棒の先端に錘を吊るしてみるといい。それが手元にある場合と、棒の先っぽにある場合とでは、取りまわしに大きな違いが出てくる。
この剣は直剣だが、横幅に違いがない。根元から突き刺さっている先端まで、まったく同じような作りになっている。
これでは重心も切っ先に近付くから重く感じるし、叩きつけても接触面積が大きくなりがちなので、切れ味も悪い。あとはせめて、頑丈でありさえすれば、殴るのには使えなくもないか。
俺がさっきまで使っていたミスリル製の剣も、先端はすぼまっていた。
だから折れもするのだが……
「何か、刻んであったりしないのか」
「文字らしいものは見当たりません」
誰の所有物だったのか、どういう由来があるのかも不明、と……
「どうせだ、ファルス。今、お前は武器を持っていない。この先、まだ何があるかもわからない。取っておいたら」
ヘルが勧める。
確かに、一理ある。こんな、刀身の幅が変わらない剣が使いやすいはずもないが、それでも何もないよりはマシか。邪魔になったら捨ててしまえばいいのだし。
「抜けるかな?」
「やってみろ」
それで俺は、台座に取り付き、よじ登った。
なんか、奇妙な気分だった。何かを連想するというか……
そうだ。アレだ。
アーサー王伝説のエクスカリバー。石に刺さったこの剣を抜ける者が王になる資格がとか何とか。
いかにもファンタジーだ。
まさにファンタジーそのものの世界が現実になった俺が、真顔でそれをするというのも。
ただ、アーサー王のエクスカリバーって、確か折れたんだっけ。どこかの王様との対決で。あれ? でも、あとで円卓の騎士が泉の乙女に返却した剣は?
ま、いいか。
俺は手を添えて、そろそろと引き抜いた。
何の抵抗もなかった。
スッ、と抜けた剣は、ソフィアの掌の光球に照らされて、青白く輝いた。
その美しさに、俺は一瞬、見蕩れてしまった。
「よさそうじゃないか」
カディムが言う。
その言葉が耳に入らなかった。ふと、我に返る。
「あっ、ああ」
俺は慌てて剣を下ろすと、また台座から降りた。
「行こう」
取り繕うように、すぐそう言った。
何かが心の中に入り込んだような、どうにも気持ち悪い感触もあったが、すぐ忘れた。
そうして俺達は、何事もなかったかのように、更に上を目指した。
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