罪人達の決意
「……まいった」
俺は剣を引いた。
その声が合図となって、室内は再び明るい光に満たされた。
力ずくで思い知らせる。まったくスマートではないが、結局これが一番やりやすかった。上を目指すことに反対したラドクルスに、実力を示したいと申し出たのだ。
身長や体重では劣っていたものの、あらゆる技量にここまで隔絶した差があったのでは、もはや勝負にすらならなかった。展開としては、互いに有している能力がほぼ重複しているのもあって、彼の攻め手がほとんど通用しなかった。
具体的には、彼の『行動阻害』がまったく効果を及ぼさず、逆にそれがまるまる隙になった。遠慮なく火球をぶつけようとしてきたのには驚いたが、落ち着いて『消火』すれば問題なかった。
こちらとしては、精神操作魔術が通じないという珍しい経験を積むことができたので、これはこれで収穫があった。ラドクルスは眠らなかったし、『暗示』にも引っかからなかった。僅かに『認識阻害』で足止めするくらいしかできなかった。
最終的には剣と剣の勝負になったが、これは手加減がしやすく、大変ありがたかった。
「面目を潰すつもりはなかったのですが」
「いい。こうなってはもう、止めるなどできまい」
横で観戦していたカディムが頷いた。
「やはり、私の見る目に間違いはなかったようだ。この機を逃しては、次などあるまい」
他の変質しきってしまった種族と違い、彼らにはまだ、自由を求める気持ちが残っている。ただ、二人の間で違っていたのは、ひとえに成功の目算がどれだけあるかでしかなかった。
それでも、ラドクルスは念を押さずにはいられない。
「わかっていると思うが、行くのはお前だけだ、カディム」
「当然だとも。死んだら見捨てて欲しい」
仲間の未来を拓くために。仲間を巻き込まないために。それでも、俺達がしくじったらアルジャラードがどう出るかはわからない。この挑戦が彼らの破滅に結びついたら。
だとしても、諦めるという選択はできない。俺は、こんなところで死ぬために生きてきたわけではない。
立ち上がったラドクルスは、背を見せて言った。
「他の仲間を説得してくる。行くのなら、せめて充分に準備していってくれ」
彼が去っていくと、壁に凭れて座っていたヘルが毒づいた。
「……バケモノめ」
歯が剥き出しの、唇の途切れた顔なのもあってか、皮肉と自虐の混じった凄まじい笑顔だった。
「俺は、あのラドクルスに手も足も出なかった。ソフィアに光を点してもらっても、だ。それをお前は……」
「ヘル、上の大ホールを守る悪魔は、あんなものじゃない。あれが本当のバケモノだ。一つでも思った通りにいかなければ、俺達は簡単に全滅するぞ」
作戦の軸は、やはりピアシング・ハンドだ。
しかし、これが通用するかしないかは、調査も確認もできない。一発勝負だ。
前回、俺は奴の肉体を奪おうとした。それは成功したが、失敗した。どういう仕組みによるものか、とにかくアストラルなるものは、俺の中からすり抜けて、奴の魂の下へと馳せ戻ってしまった。
では、他の能力……スキルやアビリティなら、奪取可能なのか? それともまた、取り戻されてしまうのか?
アルジャラードと戦う場合に、絶対条件として、まず達成しなければならないこと。それは「身体操作魔術の封印」だ。
なぜなら、奴には『即死』の魔法があるからだ。俺とカディムは辛うじて呪いの矢を視認できるが、残りの三人には回避さえ難しい。
だから一番最初に、俺はピアシング・ハンドで奴の身体操作魔術のスキルか、魔術核を奪取しなくてはならない。ただ、スキルのほうは、奪い取っても俺の能力が増すわけではない。アルジャラードの側としては、たとえ魔術を封じられても、別のアビリティによって身体能力そのものは確保されている。ならば、彼我の差を埋めつつ戦うなら、魔術核の奪取が望ましいか。
もちろん、それはより危険な選択でもある。なぜなら、魔術核を奪うことを前提とするなら、俺が今用いているものは、バクシアの種に戻すことになるからだ。枠の都合上、戻してから奪うことになる。それでしくじったら……
ここまでできて、やっとスタートラインだ。
そこからは、理想を言えば遠距離攻撃でしとめたいが、そう簡単にはいくまい。火魔術はあの斧で防がれてしまう。水魔術も同様だし、そもそも回数からして期待できない。精神操作魔術は……きっと奴にはまったく効き目がないだろう。
だいたい、少々の負傷では、すぐに回復してしまうはずだ。そういう相手を確実に倒すには、トロールを殺すのと同じように、急所を貫く以外にない。最悪の場合、接近戦で決着をつけねばならない。
アルジャラードも、自分の白兵戦能力を把握しているはずだ。いざとなれば、膂力を恃みに迫ってくるだろう。そうなった時、どこまで渡り合えるかは、未知数だ。一応、そのための準備は重ねてきたのだが……
「私は死ぬ覚悟もできているのだが」
カディムがポツリと言った。
「君達は、どうなのだ? ファルスはやる気らしいとわかるが」
少しでも戦力が欲しい。だが、それでも彼は冷静だった。決して無理強いはしない。
「ハッ」
ヘルが吐き捨てた。
「やるにはやるつもりだがな」
「おや? 気が進まないのなら、ここで待機していても構わない。危険なのは確かなのだから」
「そういうことじゃない」
ヘルは、相変わらず顔に皮肉な笑みを貼り付けたまま、首を振った。
「こんな穴倉で一生過ごすつもりはない。だから、勝ち目があろうとなかろうと……全力で戦うさ。ただ」
その笑みが、消えた。
「俺はここから出たら、処刑されるかもしれん」
「なに?」
「ここの上には、セリパス教の重要な神殿がある……その通りだ。で、俺は、そこの地下で、ここの秘密を守る仕事をしていた。なのに、見ろ。こいつらを」
顎でしゃくった先には、俺やソフィアがいた。
「こいつらを始末もせずにノコノコ戻ったら、任務放棄だ。裏切り者と看做されて、殺されてもおかしくはない」
「……ここで争って欲しくはないのだが」
「そんなことはしない。第一、このバケモノをここで殺して、どうやって上に戻るんだ」
あくまでも淡々と。ヘルは理性的に考える。
「それに、こいつらは俺を救った。そうする義理もないのに、俺をここまで連れてきた。だから約束した。ウティスの扉を越えるまでは協力すると」
「であれば、私にとっての不都合はないが……しかし、それではあまりに救いがないではないか。もし望むのなら、ここで暮らしても構わんのだぞ」
「ハハハッ」
自嘲を伴う笑い声。
カディムの善意がどれほど無意味か。だが、確かにこの穴倉で死ぬまで生きるのが当たり前の彼らには、想像できないのも無理はない。
「救いなど。罪人にとって、そもそもそんなものに意味はない」
「罪人?」
ヘルは、自分の顔を指差した。
「俺は罪人だ。聞いたことはないか。セリパス教では、穢れた肉体をもって生まれた者は、生まれながらに罪を背負っていると」
「ドスティムが話していた……な」
「この顔を見ろ。これのせいで、俺は教会の所有物になった。そうするのが楽しいわけじゃない。それでも、教会のために生きるのでなければ、もう俺の存在価値はない。罪を、生まれながらの罪を償うために……それだけが生きる道だったのに」
それだけ言うと、彼は膝に肘をおいて、項垂れた。
彼の今に至るまでの人生は、想像するに悲惨極まりないものだ。物心ついた時にはもう親はおらず、教会の道具として鍛えられ、ついていけなければ容赦なく振るい落とされた。自動的に暗部の一員となってからは、汚れ仕事ばかりを引き受けてきた。そうすることが唯一の贖罪で、それ以外の生き方なんて許されなかった。スナーキーみたいな逃亡者は、稀な存在だったはずだ。
なのに、いまや彼にとって唯一の居場所である暗部のもとに引き返すだけで、罰を受ける。さりとてここに留まっても、それは今までの努力すべてが無になることを意味する。どの道、破滅するしかない罪人、それがヘルなのだ。
「罪、罪、罪……ハハハ」
闇の断罪者として生きた彼の行き着いた先が、闇の中で断罪される運命とは。
「ヘル様」
ソフィアが声をかけた。
「そのようなことは、なんとかなります。きっと日の光の下で暮らせるようになります」
「根拠のない慰め、いや、気休めだな」
力づけるつもりの一言が、冷たい事実認識に切り捨てられる。
「ソフィア・システィン・ノベリクか……知っているぞ」
「えっ」
「生まれながらの罪人が、ここにもう一人……ククッ」
ヘルの発言に、彼女は顔色を変えた。
「驚くことでもあるまい。我々暗部は、聖都のことなら、大抵知っている」
「でっ、では」
「確かなことかどうかはわからんがな」
ソフィアの父親は誰なのか。トリエリクではなく、その弟のクラング枢機卿かもしれない。その噂は、暗部の耳にも届いていた。
「ともあれ、こうなってはお前にも帰る場所などあるまいに。なぜ上を目指すのだ」
「それは」
彼女もまた、言葉に詰まった。
ソフィアを苛んでいるのは、上の世界の現実だけではない。彼女が固く信じてきた女神モーン・ナーの正義そのものが揺らいでいるのだ。暗部の存在。廟堂の地下に広がる魔宮。人間を魔物に作り変えてきた証拠。
「私は……」
「ノベリク子爵は、またお前を閉じ込める。いや、それならまだいいほうだ。お前も廟堂の地下に何があるかを見てしまったのだ。俺が手を下さずとも」
「ヘル」
俺が遮った。
これから命懸けの戦いに挑むのに、あまりネガティブトークをされても困る。
「ソフィアには、俺が約束した。ピュリスに連れていく」
「なに? はっ、そんな無茶が通るとでも思っているのか」
「通らなければ、通す。もし受け入れられないというのなら、何度でも教皇のクビを挿げ替えてやる」
というより、魔宮の件で俺達の口封じをしようという教皇なら、どの道葬るしかない。
「……私は?」
隅の方で、言い争いを静観していたマルトゥラターレが口を挟んだ。
「ここを出れば、人間の世界。私の居場所はどこにもない。私は、魔物だから。生まれながらの罪悪だとされているから」
彼女の望みは、いつか叶うのだろうか。
ここを出て、人間の世界をうまく通り抜けて。そして、水の民の集落を探す。盲目なままで?
「罪、か」
カディムは腕を組み、深い溜息をついた。
事情は彼も変わらない。人の世界では、カディムもまた、等しく魔物なのだ。
「我々は、生まれてよかったのだろうか」
その問いに答えられる人は、いなかった。
不義の子かもしれないソフィア。
不具ゆえに捨てられたヘル。
忌み嫌われる亜人であるマルトゥラターレ。
虜囚として生まれたカディム。
誰一人、その生を祝福された者はいない。
ここにいるのは、誰もが正義に悖る存在なのだ。みんな何がしかの理由で、秩序から弾き出された者ばかり。裁かれて、闇の中に落とされた罪人達なのだ。
だが、命とは、人とはそういうもの、そもそも罪深いものなのだ。
命はどうやって生まれる? 獣の世界を見るがいい。雄のライオンは、雌の子供を噛み殺す。そうして雌は授乳を止められ、排卵が促される。彼らの命を繋ぐのは、食い殺された草食獣達だ。
だが、サバンナに立つインパラとて、無罪ではない。足下に生える草をいつも噛み千切って殺している。では草は? 他の草を押しのけて日差しを独占し、地中の微生物を選り分け、邪魔者を排除するための物質を分泌する。
何かの命がどこかで芽生える時、そこには必ず死が伴う。罪のない命など、いったいどこにあろうか。この世の一切は、いつでもどこでも忌まわしいものなのだ。
もし純白の正義が存在するというのなら。そこにおいて許されるものは、永遠の死以外にない。
それでも……
「それでも、俺はここを出る」
……こんなところで死ぬわけにはいかない。
「ここを出て、生きる」
「ファルス様」
いつの間にか、目の光を取り戻したソフィアが言う。
「それなら、私がお供します」
「何のために」
「たとえ私が、日の光の下で生きられない罪人だとしても。穢れのない誰かを闇の中から連れ出すためなら……戦えます」
その声には、高みにある何者かが乗り移ったかのような力強さがあった。
「そうか」
カディムが嬉しそうに微笑む。
「それでよいのだ。ならばファルス、そしてソフィア。私はお前達を送り届けるために、力を尽くそう。たとえ外の世界に、私のための何かがなかろうとも」
「それなら」
マルトゥラターレが続いた。
「かつての同族のために。私の盲いた目では見られない世界を見せるために、私も戦う」
「ふん」
ヘルが鼻で笑った。
「結果は変わるまいが……どうせなら、最後に一度、死力を振り絞ってみるのも悪くない。約束もしたし、な」
そうだ。
たとえ罪にまみれていようとも。
生きている限り、戦うしかない。
「行こう。今度こそ……光の下へ」
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