聖女の真実

 狭い螺旋階段を降っていく。一人分の幅しかない。薄暗いが、等間隔に照明があり、足下を見失うことはなかった。

 空気は重く、動きがない。沈黙の中、ただ歩みを進めていると、何者かに見張られているような気持ちになる。


 石造りの筒が、唐突に途切れた。

 真ん中にあるのは、銀色の金属の柱だった。そこから階段のステップになる部分が突き出ている。足場はさすがに石材に覆われている。

 視界を遮るものがなくなったので、周囲の景色がよく見えた。


 そこは、大きな空洞だった。どれくらいの広さがあるのか、ちょっとよくわからない。ただ、暗がりに視界を遮られることはなかった。

 目に入る中で、一番大きなものが、あの木の幹だった。最下層たるここでは、かなりの太さだった。ただ、距離感がいまいちつかめず、大きさも測れない。

 筋肉とか内臓を思わせる、なんとも気色の悪い色合いが、樹木の幹だけでなく、その周辺の足場全体に広がっていた。あるところは青く、あるところは赤かった。それが交じり合って、濁っている。ところどころ、植物の根か、血管か、歪なチューブのようなものが何本も張っていた。


 見渡してみてわかったのは、全体としては、まるで球根のような形状だということだ。

 根の部分が、肉色の塊を握り締めている。その外側に、内向きの壁がある。それらも同じ色に染まってはいるが、壁と球根の間には、多少の隙間がある。それとよく見ると、球根の表面のあちこちが、まるでぬかるみのようになっている。


 手摺りがないので、真ん中の柱に掴まりながら、俺達はゆっくりと降りていった。うっかり落ちたら即死間違いなしの高さだったのだ。

 不意に遠くからバシャッ、という物音が聞こえた。


「あ……あれ!」


 頭上でソフィアが指差す。俺は柱に触れる手を確認してから、注意深くそちらに振り向いた。

 遠く離れた球根の上のぬかるみに、灰色の塊が落ちたのだ。なんだろう、と思って目を凝らす。その灰色は、人間の形をしていた。ピアシング・ハンドが反応していないのだから、あれは死体だ。色から判断すると、トロールだろう。

 そいつは、じわじわと沈み込み、ついには姿を消した。


 少し降りて、何がこの空間を照らしているのかが、やっとわかった。

 あの葉っぱもどきだ。幹の近くにも、それから地を這う根からも、青紫色に光る房がいくつも突き出ていた。


 時間を掛けて、やっと下まで辿り着いた。

 そこだけは石畳で舗装されている。それでも、大人が縦方向に二人も横になれば、もうはみ出てしまうくらいの幅しかなかった。

 ここから出たら、いきなり足を取られて飲み込まれてしまうかもしれない。さすがにここを自由気儘に歩き回る気にはなれなかった。

 ただ、すぐ脇にまた下り階段があった。


 いよいよ魔宮の最深部に踏み入るのだ。

 ならば、聖女の秘密もきっとここに。


 俺は無言のまま、ソフィアと頷きあって、先に一歩を踏み出した。


 下り階段の途中で、また左右の壁がなくなった。今度は手摺りだけはあったので、足下に気をつける必要はなかった。ただ、視界を妨げるものがないおかげで、遥か下の様子がよく見えた。

 それは、ひたすらにおぞましいものだった。


 グレムリン、トロール、ミノタウロス……その他、巨大ゴキブリや灰色の蜘蛛、恐らくはスライムに至るまで。この迷宮に暮らす魔物達の墓場だった。

 無数の死骸が折り重なり、それが半透明のスープの中に浮かんでいる。半ばは溶けて、骨が見えているものもあった。さっき落下したトロールの死骸も、球根のぬかるみを突き抜けて、ここに落ちるのだろう。そうして、ここでじっくりと溶かされていくのだ。


 階段はまっすぐだった。

 降りきったところに、観音開きの扉がある。これも真っ白だが、今までのものと違って、せいぜい人間一人分の幅しかない。

 俺は手をかけ、開いた。


 そこは直径十メートルほどしかない、円形の部屋だった。但し、入口の反対側に通路があって、斜め方向に続いていた。天井は三メートルほどか。壁に照明が並んでいるおかげで、まったく暗くない。

 足下は、さながら菊の花を象ったかのようなデザインで白いタイルが嵌め込まれていた。その中央には、色とりどりの宝石が詰まったような部分が見えた。


 これだけだった。

 奥に進むべきだろうか。


 その時、物音もなく、何者かの影が奥の通路から現れた。


「女……聖女?」


 僧衣というよりは、古びた布切れ。そう形容したほうがいいような、くたびれた服を身に纏っていた。

 頭にも頭巾のようなものを被っているが、どれもこれも色落ちしている。垣間見える髪の毛は黒色で、瞳も黒かった。

 整った顔立ちは無表情で、伝え聞いた通りに胸の膨らみはなかった。ならば、彼女が聖女なのか。だが、しかし、俺には確認する術がなかった。


 なぜなら、そいつはピアシング・ハンドでは認識できなかったからだ。


「まさか……聖女様?」


 ソフィアも目を見開き、棒立ちになっている。

 だが、目の前のこいつがまともな人間であるはずがないのだ。少なくともこれは生者ではない。それに……地に足がついていない。浮遊していたのだ。


 それでも、人の形をしている。

 俺は話しかけた。


「お前は聖女か。聖女リントか。答えろ!」


 俺の呼びかけに、そいつは答えなかった。ただ、黙って手を掲げ、人差し指をこちらに向けた。


「危ないっ!」


 俺はソフィアを突き飛ばした。

 瞬間、バチバチッと熱線のようなものが突き抜けていった。


「くそっ」


 それなら、応戦するしかない。


「ファルス様!」

「死ねっ!」


 一足で距離を詰め、俺は聖女のすぐ足下に潜り込んだ。俺の膝の高さに足の爪先があるのだ。跳びあがれば首に剣が届くが、こいつはそもそも生きていない。急所が存在しない可能性がある。ならば、いっそ下から真っ二つにしてくれる。

 逆袈裟というより、ほぼ真下から真上へと斬り上げた。


「がっ!」


 ゴリッ、と石でも叩いたような手応えがあった。想定外の固さに、俺の右手は痺れさえした。

 切れたのは布地だけ。下から両断するつもりが、鉄の塊でも斬ろうとしたかのように、傷一つつけられなかった。もしかしたら今ので刃先が欠けたかもしれない。


「なんだこいつ」


 だが、呆然としている暇などなかった。指がこちらに向けられる。


「きゃあっ!」


 ソフィアの悲鳴が耳に響く。俺は反射的に、剣を手放して転がっていた。

 ならば……


 鋭く起き上がり、赤熱し始めた拳で、もう一度聖女の下腹部を殴りつけた。

 やっぱり石のようだった。


「にっ、逃げましょう!」


 それがいいかもしれない。

 丸い部屋の床の上を転げまわりながら、俺は熱線を何度も避け続けた。

 だが、最後にこれだけ試す。


「好き勝手しやがって」


 ようやく溜まった力が右手に集まる。

 オレンジ色に燃える手から、ゴルフボール大の火球が生み出された。


「吹き飛べ!」


 それは、聖女の上半身に炸裂した。

 爆風に目元を覆う。


 残ったのは静寂だった。


「え? あ……」


 頭部を吹き飛ばされ、首と右肩も焼け焦げて、そいつは壁際に吹き飛ばされていた。ピクリとも動かない。


「危なかった」

「ファルス様」

「なんだ」

「聖女様を……殺めるなんて」

「殺してない。こいつは元々、生きてなかった」

「ええっ」


 いったいなんだったんだ。

 しかし、これが聖女だとすると。


 この人形がアルディニアに降り立って、人々を動かしたのだろうか。しかし、では、上で見かけた柩は? あれは一度死んだ、つまり初期の宣教戦争後に、耐用年数が過ぎた聖女人形を保管していたと、そういうことか?

 なんにせよ、これで片付いた。というより、片付けてしまった。不死の秘密について質問する機会もなくなってしまった、か。いや、最初からそんなことは不可能だった。


「せっかくだ。奥を見よう」

「え、ええ」


 俺は先に立って歩き出した。

 通路は、二十メートルもなかった。


「うっ」


 行き着いた先。そこは。

 直径二十メートルほどの円形の部屋。頭上からは、無数の根が張っていた。部屋中が太い根に覆われていた、というべきか。床は黒く、中央に明滅する赤い石が埋まっていた。


 左右を見回す。根には、球根のようなものがぶらさがっていた。それは明らかに人間の形をしていた。頭があり、腕があり、足があって……それがいくつも。

 そして向かい側の奥には、扇形の寝台のようなものがあり、そこに……


 僧衣の切れ端を身に纏った、黄土色のミイラが横たわっていた。


 そのミイラに、無数の根が纏わりついている。

 それが何を意味するのか。考えずとも、いくらでも想像できた。


「あ、ああ、ファ、ファルス様、あ、あれ」


 指差す先に視線を向ける。

 そこには、無数にぶら下がる球根の膨らみの一つがあった。それが見る見るうちに色づきだしたのだ。と同時に、頭から繋がっている根のチューブが、あからさまに細くなっていく。

 そして、その人型球根に黒い瞳が……こちらをギョロリとねめまわす……


「逃げろ!」


 俺の声に、ソフィアは跳ね起きた。

 来た道を俺達は全速力で駆け戻った。


 これが。

 これが、聖女の正体だったのだ。


 本物の聖女リントは、きっといた。どんな人物だったかはわからない。いつ死んだのかも、定かではない。

 ただ、彼女は死んだ。死んだ後、ここに運び込まれた。どういう仕組みによるものかは不明ながら、この魔宮のシステムは、彼女の複製を作るらしい。その複製は、何かの魔力を身に備えているが、魂を持たない。

 きっと誰かの命令に従って、必要な役割をこなすのだ。そのためのロボット。


 上の階で見つけた聖女の亡骸は、このロボットの残骸だったのだ。


 不死はなかった。

 ここにはなかった。


 俺は唇を噛みながら、それでも懸命に走った。


 最初の円形の部屋から飛び出て、階段を登りきったところで、ソフィアがへばった。

 やむなく俺は、火魔術の準備をして、螺旋階段の手前で身構えていたが、追跡はなかった。

 聖女ロボットを動かす仕組みはあっても、それを制御する何者かは、少なくとも今、ここにはいないということなのだろう。侵入者が引き下がれば、それでおしまいなのだった。


 安全を悟って、俺は膝をついた。

 糸が切れたような気分だった。


 俺のこの一年間の努力はなんだったんだろう。

 聖女は不死を得てなどいなかった。それを確認しただけ。


「どうなさったのですか」


 急に放心した俺に、ソフィアが近付く。肩を揺すって呼びかける。


「しっかり。しっかりなさってください」

「……ああ」

「どうなさいました。私でよければ、できることなら」

「なんでもない。なんでもないんだ」


 いや。

 無駄ではない。無駄なんかではない。

 ここまで来なければ、きっと俺は納得などしなかった。


 次だ。

 次こそ、俺は不死を手にしてみせる。


 そのためには……

 この魔宮から、生きて脱出しなくては。


 聳え立つ樹木の幹。ペンキの余り物をぶちまけたような色彩の空間を眺めながら。

 俺は自分を奮い立たせるしかなかった。

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