少女達の宮殿

 階段を降りた先にあったのは、これまでと同じような、無機質な白い壁と通路だった。幅も天井の高さも、今まで見た中で一番狭かった。つまり、人間サイズだった。

 俺のすぐ後ろを、ソフィアが歩いている。身をかがめ、何かに怯えるようにして。


「ソフィア」

「はい」

「ここは多分、そこまで危険じゃない。怯えすぎだ」

「で、でも」


 どういうわけか、吸血鬼達は誰もついてきてくれなかった。このフロアに立ち入ることを心底嫌っているようでもあった。

 ただ、どう考えても、すぐ上の階層に群れていたコウモリ吸血鬼とか、その上のトロール、ミノタウロスどもに比べれば、サキュバスの脅威は小さかった。なぜなら……


「おっ、いた」

「ひっ」


 淫らなものを毛嫌いするという習慣は、そう簡単に抜けるものではない。とにかく反射的に不潔なものと感じてしまうのだ。ソフィアは、見たくもないと言わんばかりに目を背けた。

 俺はというと……拍子抜けだった。


「キヒィィ……ヒィィ……」


 甲高い呼び声。通路の向こうにうっすら照らされたそいつは、俺を誘惑しようとしているようだった。

 だが、こんなのに欲情する男なんているんだろうか。


------------------------------------------------------

 フェイジュラ (40)


・マテリアル ミュータント・フォーム

 (ランク5、女性、243歳)

・アビリティ 繁殖力強化

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・飛行

 (ランク3)

・スキル アブ・クラン語 4レベル

・スキル 精神操作魔術  7レベル

・スキル 房中術     6レベル


 空き(33)

------------------------------------------------------


 まず、肩甲骨から下は毛むくじゃら。灰色の短い体毛がびっしり生えているようだ。それが足の付け根近くまで続く。上の階のコウモリ吸血鬼どもと同じく、腕には皮膜のようなものがぶら下がっている。但し、口に牙はない。肌は青白く、唇は紫がかっている。顔立ちは特に美しいとは言えず、眼差しには狂気が滲んでいる。

 髪の毛は黒い。太腿は青白いが、膝から下に、黒い毛が密集して生えているのか、こちらも黒かった。あと、手の指先に長い爪が生えている。とはいえ、さほどの殺傷力があるのでもなさそうだ。

 プロポーションも抜群、とはいかない。むしろ下腹部だけバランスが悪くて、大きめだ。


 一匹、連れ帰って、プレッサンにあてがってやろうか。

 ふと思いついて、苦笑した。


 意識にうっすらと熱がこもる。ああ、俺を支配しようとしているんだな、とわかる。だが、それ以外の攻撃がない以上、実害はない。

 サキュバスの目的は、俺との交尾であって、殺傷することではないのだ。


「キヒィ! ヒィ!」


 抗議するように、歯と歯の間から息を漏らしながら喚きたてる。その横を、俺とソフィアはあっさりスルーして通り過ぎた。

 今までの危険の大きさからすると、笑ってしまうくらいに余裕だ。気が抜ける。


「あ、あ、あの」

「なんだ」

「いいんですか?」

「いいって、何が?」


 リクエストに応えてやれと? 冗談じゃない。

 せめて胸を揉んだり、尻を触ったりしてやればいいんだろうか。アホらしい。


「魔物ですよ?」

「何もしてこないんだし、ほっとけばいいんじゃないか」


 サキュバスの行使する精神操作魔術に引っかかったなら、きっと美人に見えるのだろう。そう考えると、ちょっとだけ惜しい気も……しないか。

 とにかく、ここは安全だ。但し、ヘルが立ち入ったらそうもいかない。


「ここ、かな? ソフィア、上を照らしてくれ」

「はい」


 大きな壁にぶち当たる。と同時に、天井がなくなる。

 見上げると、垂直に聳え立つ壁がずっと上まで続いていた。そのあちこちに、人間が通り抜けられる程度の四角い穴が開いている。

 カディムの説明では、サキュバスは各階層に直接移動することができるという。彼ら専用の出入口があり、それがこれなのだとか。というのも、サキュバスも吸血鬼と同様、空を飛ぶことができるからだ。


「ここを右で、下の階層に行けるみたいだな」


 青白く光を照り返す下り階段が見えた。奥のほうは真っ暗だ。

 俺達は降りていった。


 暗い短い通路を抜けると、不意に明るい光が目を刺した。

 そこはずっと上、ミノタウロスがいた階層と同じような、華やかな宮殿のような部屋だった。但し違うのは、何もかもが人間サイズということだ。


「気配は……ない」

「静かですね」

「食料を出してくれる銀色の箱があるというから、探しながら歩こう」


 これもずっと上、虫の死骸がスライムに食われていた辺りで見たのと同じものがあるのだろう。

 ここには危険がなさそうではあるが、さすがにソフィアを一人にはできない。何も言わずとも、俺達は離れず歩いた。


「ここは風呂……か。丁寧に温水まで……入るか?」

「入りません」

「まぁ、上で二人が腹を空かせてるし、次にしよう」


 施設を見て歩くうち、何か説明しがたい違和感が首をもたげてきた。だが、それが具体的に何かと言われると、説明できないのだが。

 目的のものを探し回っているうちに、とある部屋に出た。


「こちらは」


 これまでとは、少し毛色の違った空間だった。

 俺の膝くらいの高さしかない、木の柵。こんなものは、またいで乗り越えられる。ただ、その内側には絨毯が敷かれている。

 問題は、中に散らばっている品々だ。あれは、ぬいぐるみか? 長い年月のうちに劣化してしまい、多くは色褪せ、布地もほつれてしまっているが。それとその横には、どう見ても積み木としか言えない木片が転がっている。

 まるで保育園とか、幼稚園みたいな雰囲気だ。


 柵の内側の隅には、コップも落ちていた。小さな子供サイズのものだ。

 その横には、何かの絵、いや、絵本が落ちていた。


「あれなんだけど」

「本ですね……古語ですけど、これは第三世代のルイン語みたいです」

「読めるか」

「待ってください、今、見てます」


 しばらく目を通した彼女だったが、残念そうに首を振った。


「一部しか。あとは文字がかすれて、よく読めませんでした」

「わかるところだけでも、読み上げて欲しい」

「では」


 ボロボロになった絵本を引き裂いてしまわないよう、そっとページを繰りながら、彼女はとある場面で手を止めた。

 そこには、赤熱した巨人のようなものに、銀色に輝く剣を手にした男が戦いを挑む様子が描かれていた。


「勇ましいムンジャムは、悪い悪いテミルチ・カッディンの大槌を避けながら、一歩も退きませんでした」

「ムンジャム?」


 ここでその名前が出てくるとは。


「モーン・ナーのおかげで、ムンジャムは悪者を打ち倒すことができました。西の彼方からやってきた白い巨人は、山の力を得て、東に向かいました」

「続きは」

「いえ、読めたのがこれだけです」


 疑問は膨らむばかりだ。


「いったいこれは、何の本なんだろう」

「あの、多分ですが」

「うん」

「これ、言葉の使い方とかが子供向けで……本当に、小さな子供に読み聞かせるための絵本だったと思うんですが」


 この空間を、改めて見渡してみる。

 確かに、置かれている玩具の数々を見ても、幼児が遊ぶ場所としか思えない。そこに大人向けの絵画付きパンフレットがあると考えるのも不自然だ。


「行こう」


 考えてもわからない。

 なら、当面の目的に向かう。


 少し進んだ先に、今度は短い廊下があり、その突き当たりに何かの文字板が掛けられていた。


「あれは……清い? 清い……なんだ」

「書式が古くて読みにくいですね。『清らの乙女の学び舎』と書かれているみたいです」


 いかにもセリパス教な感じのタイトルだ。

 中に立ち入ると、椅子と机が整然と並べられていた。正面には黒板とチョークの代わりに、何かを引っかけるための出っ張りが無数にあった。脇の棚には紐付きの板がたくさんあったので、恐らくここに「お手本」をぶら提げて授業をしたのだろう。


「余計な手間かもしれないけど、ここにあるのも読めないか」

「はい。確認します」


 食料調達も急がねばならないが、これらを無視していくのも気持ちが悪い。

 さっと目を通した彼女は、顔を青くしていた。


「どうした」

「いえ……これ、は」

「何が書いてあった」

「た、多分、これ、聖典の中の『挺身の誓い』の章、です……」


 だからなんだ、と思ったが、彼女が狼狽するのもよくわかる。

 この二番目の宮殿フロアのすぐ上にあるものはなんだ? 淫らなサキュバスの巣窟ではないか。更に上には吸血鬼が、そして他多数の魔物がひしめく穢れた領域があるのだ。

 そんな中に、どうしてセリパス教の聖典が見つかる? それも、明らかに人間の暮らしていた形跡のある場所で。たまたま本が見つかったのではない。積極的に学んでいたのだ。


「いろいろ可能性が考えられるな」

「いろいろって! なんですか!」

「うろたえるな。まず……大昔、ここは教会の管理下にあった地下施設の一つだったが、そこに魔物が入り込み、教会は管理を諦めて放置した」


 仮説なら、いくらでも立てられる。

 例えば、ここは昔、健全なセリパス教の施設だった。しかし、何かのきっかけで魔物が入り込み、今のような状況になってしまった。ときの教皇は防衛を諦め、地下を封鎖した。ここで見つかる聖典のきれっぱしは、その昔の遺産である、という考えだ。


「そっ、そうですね、きっとそうです」


 だが、この推論には無理がある。

 廟堂の地下に魔物が入り込み、今あるような地下帝国を築き上げた? とすれば、そのリーダーは、あのアルジャラードか、或いはもっと強大な力を備えた何者かに違いない。そこらの蜘蛛とかゴキブリが侵入して、大きな巣を作っちゃいました……なんてレベルのお話ではないのだ。

 つまり、これだけの事態が起きたのなら、それが神聖教国だろうと、はたまたその前の時代の政府であろうと、全力で駆除に当たったはずなのだ。


「他の可能性もあるが」


 逆に、あれだけのトロールどもが地上に出たら、どうなるか。防衛戦力に乏しい今の聖都なんか、一晩で瓦礫に変わる。だが、なぜかそれは起きていない。

 アルジャラードが通行を許していないからだ。ではなぜ、奴は律儀に出入りを制限する?

 何より決定的なのは……


「ウティスの扉が、もしヘルの言う通り、その時代にできたものだとすると」

「聞きたくありません!」


 耳を塞いで、しゃがみこみ。ソフィアは叫び声をあげた。


 ウティスが扉を設置させたのは、下から魔物がやってくるのを防ぐためだったはずだ。とすると、千五百年ほど前、サース帝が没した頃には、この地下施設は既にこの状態だったのだ。

 しかし、各地で連戦連勝を重ねた無敵の「女神の軍勢」を率いていた北方の雄が、足下の魔物の巣を放置するだろうか?


 つまり、こうだ。サース帝の時代から、或いはその前から、ずっとこの場所はこの状態だったのだ。そして聖女かサース帝か、誰かはわからないが、とにかく教団関係者は、ここまで「安全に」降りてくることができた。恐らくは、子供達を連れて。

 あれだけの魔物がいる領域を、安全に通行できたのだ。なぜか? 聖女の威光に恐れをなしたから? そう考えてもいい。だが、もっと有力で、ありそうな答えは「教団の誰かと魔物の間には、協調関係があったから」だ。

 教団は、その初期に魔物を飼っていた。この場所は、その証拠になり得るのだ。


「わかった。次だ」


 よろめきながら、ソフィアは立ち上がった。


「今度は寝室か」


 一つの部屋に、二つのベッド。決して広くはない、薄暗い空間だ。

 寝具は一通り揃っていた。当時の敷布団に枕。その枕の横に、紙片が見つかった。


「何か書いてある」


 誰かが殴り書きしたような感じだ。

 字体も簡単で、文章も平易なものだっただけに、今度はソフィアに読み上げてもらうまでもなかった。


“私の次にここに眠るあなた。逃げて!

 私は人ではなくなる!

 女神は私とあなたを穢そうとしている”


 決定的な証拠を前に、ソフィアは小刻みに震えるばかりだった。


「穢れなき少女達、か」


 かつて聖女リントは、穢れのない幼女達を集めた。性的接触を穢れとし、少女達を世間から遠ざけて、特別な場所で養育したという。だが、彼女らはその後、どうなったのだろうか? 各地で聖戦を支える女司祭にでもなったのか?

 その答えが、ここにあった。


「さっき、カディムが言っていただろう? 人間の女をサキュバスに変えるって」

「きっ、聞いてません」

「魔物が増えるには、サキュバスと交わるしかない。じゃあ、そのサキュバスはどこから集めた? 材料は?」

「やめて」

「聖女が集めた穢れなき乙女達が」

「う、嘘です!」


 ということは、人間用の食料供給装置がここにあるというのも、納得だ。

 サキュバスになるまでは、人間として養育しなければならないからだ。


 それにしても。

 謎の一部はこれで解けた。

 しかし、わからないことなら、まだ山積している。


 この施設を建造したのは誰か。もともとティクロン共和国時代に存在していたのか、それともセリパス教勢力がトーリアを支配下に収めてから築かれたのか。ただ、少なくとも、初代サース帝が死去した段階では、建物もあり、魔物もいた。

 つまり、宣教戦争の最初期のみ、ここと教団との繋がりが維持されていた。


 わからないのはその後のことだ。

 ギシアン・チーレムは、ヤリス帝の降伏を受け入れ、アヴァディリクを占拠し、帝国の支配を終わらせた。なら当然、当時の教会組織のトップからも情報提供を受けたはずだし、何か秘密がないか、隅々まで調べ上げているはずだ。後になって反逆されては大変だからだ。

 とすれば、ここの存在を彼は知っているとみるべきだ。知っておいて、なぜ放置した?


「……やっとあったな」


 食堂の向こう側、厨房のような場所で。

 稼働中の銀の箱を見つけた。スイッチを入れると、ベルトコンベアーから灰白色の四角い塊が出てきた。試しにひとかけら、口に入れてみる。多少粉っぽいが、食べられなくはない。


「これで目的は達したが」

「はい」


 ソフィアはすっかり元気をなくして、俯いてしまっていた。


「悪いが、この下を目指したい。最下層を見てみたいんだ」


 俺の言葉に、彼女は顔をあげた。


「俺はここに、聖女の真実を見つけるためにやってきた。ソフィア、こうなったら、最後まで見てみないか。本当のことを知りたくはないか」


 目を見開いたまま、彼女はしばらく黙っていた。

 だが、ややあって頷いた。


「……行きましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る