吸血鬼達の集落

 無機質な廊下は、いつしか奇妙な生命の息づく領域に取って代わられた。

 足下には土の感触がある。そこにはビッシリと濃緑色の苔が生えており、それらの間からポツポツと、大人の指くらいの大きさの何か……植物のようなものが伸びていた。ただ、それはここ以外のどこでも見たことのない種類だった。葉はなく、か細い茎しかない。その天辺には、かすかに光を発する輪があるだけだ。

 人が足を踏み入れない廊下の隅には、たまに大きな塊のようなものがある。それは、喩えるなら動物の肺みたいなもので、呼吸でもしているのか、一定のリズムで膨らんだり縮んだりしている。

 異質感でいっぱいのこの領域を、俺達は無言で歩いていた。先頭に立つ初老の男、カディムは、俺達を自らの住居に招待すると言った。


 正直なところ、何が起きたか、まだ把握できていない。

 吸血鬼の群れにたかられて万策尽きた時、カディムがやってきて一喝した。それだけで奴らは恐れ、逃げ去っていった。


 カディムは、まるで人間だった。

 ただ、そうでないのは明らかだった。


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 カディム (51)


・マテリアル ミュータント・フォーム

 (ランク5、男性、206歳)

・アビリティ 反逆者の血脈

・アビリティ 痛覚無効

・アビリティ 吸血強化

・アビリティ 無光源強化

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 水の呪い

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク5)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク5)

・アビリティ マナ・コア・力の魔力

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・スキル アブ・クラン語 5レベル

・スキル ルー語     5レベル

・スキル ルイン語    3レベル

・スキル 身体操作魔術  6レベル

・スキル 精神操作魔術  6レベル

・スキル 力魔術     5レベル

・スキル 光魔術     5レベル

・スキル 格闘術     5レベル

・スキル 剣術      4レベル


 空き(30)

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 白髪の混じった黒髪に、青白いといっていいほどの肌の色。水の民同様に尖った耳。

 白い服の上から、薄汚れた黒いマントを羽織っている。腰にはベルト、そして古びた剣を手挟んでいる。


 不可解なのは、あれだけの数の吸血鬼を服従させるほどの実力を備えているようには見えなかった点だ。ピアシング・ハンドで見る限り、確かにカディムは強力な存在だ。並の人間では太刀打ちできない。しかし、あの時あの場には、天井を埋め尽くすほどの吸血鬼がいたのだ。


「もう少し先だ」


 多少たどたどしくも、彼の口調には威厳めいた何かがあった。


「我々の棲家にいれば、襲われることはない」


 それはカディムの仲間が大勢いる場所に行くということだ。しかし、彼にはさっきの吸血鬼どもと同じアビリティがある。ならば、俺達は獲物なのか。俺達をこうして招いているのも、あとで食料にするためなのではないか。

 だが、その可能性を考えているのは俺だけだ。


「あの、カディムさん」

「なんだ」

「さっきの……コウモリみたいな連中は、なんですか」

「人間は吸血鬼と呼んでいるな」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの返答だ。


「では、あなたは何者ですか」

「私も同じだ」


 隠しもせず、彼は言い放った。


「吸血鬼だと」

「そうだ」


 すぐ後ろでソフィアが息を呑んだ。

 しかし、俺はかえって安心した。


「ごまかさないんですね」

「そのほうが話がこじれなくていい」


 その返答からは、ある可能性が浮かび上がってくる。知性は座学によっても磨かれ得るが、何よりの栄養は経験だ。つまり……


「そら、ここだ」


 角を曲がると、青白い光に満たされた広間の入口が見えた。


「みんな、客人だ」

「おお、カディム」


 大部屋といってよかった。幅だけで二十メートルはある。だが、何より目を引いたのは、部屋の奥、中央に広がる吹き抜けだった。そこには、ずっと上で見たのと同じ、あの『大樹』の幹が見える。そこから突き出た短い枝の先に、青紫色の光を発する小粒な葉っぱのようなものが房を成していた。

 その大樹から、何本かの枝が室内に張り出していた。それらはやがて床に接し、どうもそこからか細い根のようなものがあちこちに広がっているようだった。


 大樹の手前に足下の土だか苔だかが盛り上がって、階段のようになっていた。そこに数人の男達が腰掛けていた。


「すると、どれほどぶりか。それもこれほど大勢となれば、わしらも退屈せずに済む」

「それどころではない。見ろ、深手を負っておる。手を貸せ」


 怪我を負ったヘルが、マルトゥラターレに肩を借りていた。それと気付いた自称吸血鬼達は、腰を浮かせて近寄った。


「ひっ」


 後ろに下がろうとするソフィアの腕を、俺が掴んだ。ここからどこに逃げようというのか。

 それに多分だが、危険はない。


「傷を癒すことはできぬが、痛みを和らげるくらいならできる」


 身を固くしたヘルを部屋の中央に横たえると、連中の一人が魔術を行使したようだった。恐らく『苦痛軽減』だ。

 マルトゥラターレは、見えない目を周囲に向けながら、息を詰まらせた。


「ここは、どこ?」

「難しい質問だな」


 だが、答えるカディムの口調は、皮肉なほど落ち着いていた。

 一方、マルトゥラターレは、せわしなく左右を見比べ、足踏みする。


「ここには、あるはずのない気配がある」

「その姿、もしかしてスヴカブララールか?」

「では!」


 目の見えない彼女は、両手を広げて前に踏み出した。


「あなた方は同胞だったのですね! ああ!」


 マルトゥラターレが何より求めていたのが同胞たる水の民であり、またその霊樹だ。理性も道理も何もかも吹っ飛んでしまうのも、無理はない。百年以上に渡る汚辱に耐えてきたのも、すべてはこのためだったのだから。

 だが、カディムは身を投げる彼女を受け止めつつも、どこか困惑した様子を見せていた。


「ま、待て待て。多分、お前は落胆することになるぞ」

「なぜですか」

「ここには水の民はいない。あるべき霊樹も」


 残酷な現実を耳にして、彼女は棒立ちになり、項垂れた。


「済まんな。ぬか喜びさせてしまったようだ」

「いえ、こちらの」


 返事が続かない。がっかりした、なんて言葉では、彼女の気持ちは表現できないだろう。


「だが、力にはなろう。差し当たって必要なものは、傷の治療か。だが、人間用の薬は、ここにはない」

「あっ、あのっ」


 ソフィアが前に出る。


「少しですが、治癒魔術を使えますので、時間さえあれば」


 そう言いかけたところで、グゥーと音がした。

 それと気付いた彼女は赤面して、すぐに顔を覆った。


「食料もない、と」

「そちらのほうが深刻です」


 俺は進み出て言った。


「ただ、どうしてあなた方は僕達を助けてくれるのか。それがわかりませんが」

「なに、それは難しくない」


 カディムは、うっすら皮肉めいた笑みを浮かべて答えた。


「まず、我らが罪人で、虜囚だからだ。閉じ込められたままでは、他にやることもない」

「それはどういうことですか」

「答えるのは構わんが、長い話になる。それより、食料を先に得たほうがよかろう」

「ここにはないと」

「人間用のものはない」


 澱みなく答える彼に、俺はまた少し好感を抱いた。それに、食料を得るよう勧めつつ、ここにはないと言うのだから、どこかにはあると知っている。それを伝えてくれるつもりもあるのだ。


「どこにあるか、教えていただけますか」


 彼の善意を受けて、俺は身の程を弁えようと態度を改めた。


「うむ。ここの二つ下の階層にある」

「道筋は。それと、危険は……」


 すると、彼はソフィアをじろりと見た。


「下り階段はこの近くにある。そこまでは案内できる。そこの娘一人で行けば、何の危険もない」

「ええっ!?」


 いきなりそんなことを言われて、彼女は腰を抜かした。


「こっ、こんな怖い場所を一人で!」

「この下に降りて危険がないのは、人間の女、それも大人になる前までだ」

「なぜですか」


 割って入った俺に、カディムは言った。


「立ち入れば、心を奪われる」

「心?」

「約定なくば精根果てるまで吸い尽くされて死ぬだろう」

「何がいるのですか」


 すると、彼は首を振った。


「前にここを訪れた人間は、あれを『サキュバス』と呼んでいた」


 淫魔とされる存在だ。しかし、これも地上では大変珍しく、滅多に目撃されたことがない。


「では、心を操られて」

「そうだ。あれはここでは魔物達の妻なのだ。お前達のいうグレムリンやトロールも、サキュバスなしでは数が増えることはない。一方で、サキュバス自身が数を増すには、人間の男を使うしかない。あとは人間の女を作り変えるか……だから、魔法をかける」


 となると、カディムの言う通り、ソフィア一人に行ってきてもらうのがいいかもしれない。だが、続く一言で、気が変わった。


「すぐ下がサキュバスどもの住処、その下にある宮殿で人間用の食料が手に入る。その下が……ここの最下層だ」


 最下層?

 では、もしかしたらそこに聖女の秘密が……

 突き落とされる前、柩に入った聖女もどきを見た。あれだけでは何だったのかサッパリわからなかったが、もしかすると、そこまでは行けば。


「僕がそこまで行くには、どうすればいいですか」

「剣で対抗しようと思うな。心を惑わす力に対抗できるなら、通り抜けることもできるが……我々でも簡単とは行かぬ」

「僕には、その手の魔法は効きません」

「ほう?」


 すると、彼は周囲の吸血鬼達に立ち上がるよう、身振りで示した。


「どうしても行くというのなら、試験させてもらおう」

「喜んで」

「では、剣を置け」


 俺は逆らわず、鞘から剣を抜いて、足下に転がした。


「いいと言うまで、それを拾ってはならん」

「はい」


 四、五人の吸血鬼が、短い詠唱を重ねた。

 途端に視界がブレる。胸が脈打ち、頭に熱がこもる。

 誰かがせきたてる。今は非常時だ、ここを逃れなくては。剣を手に、敵を斬り払って……


 敵?

 誰が?


 すぐに俺の意識はいつも通りに戻った。何のことはない。既に俺は、彼らが精神操作魔術を行使しているのだと認識している。ついでに言うと、術の種類までわかる。彼らが用いているのは『暗示』だ。反射的に剣を拾い上げる、そこまでを制御しようとしているのだろう。だが、こうなっては、少なくとも俺にはまったく効き目がない。


「……む? ふむ……只者ではない、か」


 何度詠唱を浴びせても、まるで動き出す気配のない俺に、カディムは向き直った。


「みんな、やめ。どうやら本当に効かぬらしい」

「これは驚いた」

「剣を拾ってよい。合格だ」


 頷いて、彼はソフィアに言った。


「だが、娘。念のために同行するのだ。それに階段を降りた先には光がない。どうあれお前が行かねば始まらぬ」

「は、はい」

「その間、怪我人と水の民の娘は、我々が預かろう」


 どこまで信用していいのかはわからない。

 だが、他に選択肢などなさそうだ。


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