僕達は、ハラペコ

 完全な暗闇。ほとんど何も見えない。

 どこかから、何か生命を感じさせる臭いが漂ってきている。ただ、それは生き生きとした緑の草花というよりは、どちらかというと澱んだ水とか、カビのようなものを連想させる代物だったが。

 階段のところに腰掛けたまま、俺の同行者達は動かなかった。空腹と疲労、緊張の限界を超えて、ついに力尽きてしまったのだ。


 今、強敵に狙われたら、ひとたまりもない。

 だが、今は偽りの安心感の中にいる。水路の向こう側にあったのは、人間サイズの下り階段だったからだ。

 巨大なトロールみたいなのに狙われる可能性は低い。その認識が、彼らの緊張の糸を断ち切ってしまった。


 本当は、まだ動かなくてはならない。

 食料が絶対的に不足している。このままでは、確実に餓死する。その場合、ここにいる誰かの命を諦めなくてはならなくなる……


「ファルスといったな」


 不意にヘルが話しかけてきた。


「なんだ」

「お前のことは、暗部でも噂になっていた」

「どういうことだ」

「廟堂に興味を持っている、という情報は、すぐに伝えられた。説教会に参加してもまだこだわっているらしい、とな」


 一般の巡礼が廟堂に行きたがるのは自然なこと。それをいちいち取り上げていたのでは、きりがない。

 しかし、現に廟堂の広間に立ち入って、ありがたい説教を聴く機会まで得ておいて、なお文句を言い続けるとすれば。それは危険分子だった。この場所について、何かを知っているのかもしれない。ヘル達はそう考えた。


「だから見張っていたのか」

「真実を知った者は抹殺する。それが使命だ」


 この状況で、何を言い出すのか。

 殺されたいのか?


「フッ、ハハハ」

「何がおかしい」

「わかりやすいな、お前は」

「何がだ」

「今、俺を殺そうと思っただろう」


 すぐ足下で、ソフィアが息を飲んだ。


「いけま」

「殺されないための交換条件を出そうというわけか」

「少し違う」


 短絡的に殺すつもりはない。

 だが、こいつは何を考えている?


「ここから脱出することに、協力してもいい」

「見返りは? 何が欲しい」

「お前からもらうものはない。但し、ここを出たら決着をつける」


 だったらやはり今、始末したほうが……


「その代わり、俺からお前にささやかなプレゼントをやろう」

「何を寄越すつもりだ」

「情報、だな」


 この期に及んで?

 でもそうだ、俺には知らないことがある。この迷宮と暗部との関わりは?


「どんな情報だ」

「条件を飲むか、飲まないか。それが先だ」

「飲む」


 即答した。

 場合によっては裏切ればいい。もっとも、ヘルのほうでもそう考えているのだろうが。だとしても、今、こいつから情報を引き出せるなら。


「いいだろう」


 だが、彼もまた、あっさり俺の了解を受け入れた。


「まず、俺達暗部は、お前が考えている通り、この場所……聖女の廟堂の地下を守護している」

「ああ」

「ここが魔宮モーと呼ばれていることも承知の上だ。だから、魔宮に立ち入った、という噂話があれば、俺達は調査する。どうせ広い範囲を確認する必要はない。聖都近辺で見つけた、という報告でなければ、聞き流す」

「そのほうが都合がいいからだな」


 魔宮モー、即ち聖女の廟堂であるという関係性がまずいのだ。

 危険な迷宮が発見され、そいつに魔宮モーの悪名を押し付けることができるなら、むしろ好ましい。


「だが、魔宮について俺達が把握しているのは、ウティスの扉の前までだ」

「ウティス? 確か、二代皇帝の」

「そう、初代サース帝の一人息子、聖女リントの弟ヴェイグから見れば、娘の産んだ孫にあたる」

「ウティスの扉というのは?」


 呼吸を整えてから、ヘルは答えた。


「お前が俺を横穴に突き落とした階層にある。分厚い扉があって、迷宮の内側から閂がかけられている」

「どうやってかけたんだ」

「いくらでもやりようはあるだろう? 閉じた時に俺が立ち会っていたわけじゃない。多分、千五百年前から、ずっと閉じられたままだ」

「なぜウティスの扉と呼ぶ?」

「その名の通り、ウティス帝が作らせ、閉じた扉だからだ」


 だが、だとすると……


「このっ」

「フッ、ハハハ」

「なるほどな。ささやかなプレゼントってわけだ」


 軽い怒りを覚えた。

 俺をちょっとした約束で縛るために、安っぽい情報を掴ませたわけだ。


「要するに、お前ら暗部は、そのウティス帝の扉の向こう側は、見たことがなかった。そうだな?」

「そうだ。侵入者は横穴に落とせば、二度と這い上がってくることもない。今までもそう処理してきた。侵入者自体、滅多にいなかったがな」

「ということは、お前の目的もまた、ここの情報を持ち帰ること、か」

「その通り。仲間達に魔宮の真実を伝えたい。だが、侵入者を見逃すのは許されない……」


 よくわかった。

 なら、やはりここで始末すべきだ。


 だが、剣を抜いた瞬間、腰にぶつかってきたものがあった。


「いけません、ファルス様」

「ソフィア」

「この方にはこの方のご事情があるのです」

「それでお前まで殺されるんだぞ」

「気が早いな」


 俺と彼女のやり取りに、ヘルが割って入った。


「俺は決着をつける、と言ったんだ。殺すとは言っていない」

「どう違うんだ」

「廟堂のことを決めるのは、教皇だ。内部に立ち入り、多くを知ったお前達をどうするべきか。それは、新たな教皇に決めてもらう」

「ゼニットはどうした」

「とっくに意識がない。もう助かるまい。俺が落ちた時点で既に、もって数日だった」


 ということ、か。


「誰が次の教皇になるかは知らんが、そいつが殺すといったら」

「殺す」

「ファルス様」


 俺に縋りついたまま、ソフィアが言い募る。


「赦しを乞いましょう。見たことを報告して、役立てますと言えば、きっと悪くはなさいません」

「どうだかな」


 ジェゴス派をどこまで信じていいのか。

 しかし、あのミディアが教皇になるイメージも、ちょっと思い浮かばないが。


「そういえば、ジェゴスはどこまで知っている」

「暗部の存在は知っているが、魔宮のことは知らない。そこの亜人の女は、奴が暗部に始末を要求してきた。上が受け入れを決めて、放り込んだらしいな」

「ということは……交換条件があったな? お前らか。アイドゥス師が俺に与えた滞在期限延長の許可を取り消させたのは」

「察しがいいな。なんでもかんでも殺すよりは、穏便に……と考えたつもりだったんだがな」

「余計な真似を」


 これで情報は出揃った。

 しかし、問題は何一つ解決していない。


 それどころか……


「何か来た」


 ポツリとマルトゥラターレが呟いた。

 俺も気付いていた。


「ソフィア」


 疲れているだろうが、光魔術を使ってもらわねばならない。


「は、はい」


 剣を持ったまま、振り返って身構える。

 足音は聞こえない。だが、何かが近付いてきている。何かの臭いのようなものを感じる。

 耳をそばだてる。一瞬、かすかに聞こえた。興奮した息遣い。


 ポッ、と光が灯った。

 同時に剣を振り下ろす。


「ギィピィッ!」


 目と鼻の先にいた。


「はぁっ!?」


 恐怖のあまり、ソフィアが慌てて後ずさる。


「もう死んだ」


 とはいえ。

 淡い光の下に横たわるそいつは、醜悪そのものだった。一応、人間のような外見をしているが……

 まず、顎がやけに大きかった。長い牙が突き出ている。耳も尖っていた。体中が灰色の産毛に覆われており、指には鋭い爪、腕には皮膜のようなものが広がっていた。

 俺の一撃は、きれいに肩口から入って、心臓付近まで断ち割っていた。


「そっ、それは」

「珍しい。ヴァンパイア……いわゆる吸血鬼だな」


 こいつが? と思ったが、言われてみれば納得だ。

 腕にある皮膜は、これは翼か。まるでコウモリだ。


「雑魚か。あっけなかったな」

「普通はそうはいかん。ファルス、お前の持っている武器は、ミスリル製だな?」

「それがどうかしたのか」

「銀か、ミスリルでつけた傷は、再生が遅れるらしい。それ以外では、なかなか殺せない」


 そんなものか、と思って、傷口に顔を近付けてみる。

 確かに、俺が斬った部分に、何か焼け焦げたような痕があった。


「なんにせよ、悪くない。トロールよりはずっと容易いな」


 光さえ絶やさなければ、不意討ちも恐れずに済む。

 やはり問題は……


「食うか?」

「ふざけるな」


 ……食料の枯渇、か。


 それに軽口を叩いてはいるが、ヘルはもう、体力の限界だ。全身の傷はまだ、治りきっていない。もともと、俺の火魔術で胸を焼かれており、かつ落下時に叩きつけられたせいで肩を強打している。おまけにトロールに追い回された。彼自身で持ち歩いていた保存食でもなければ、とっくに餓死していたところだ。

 そういう死に瀕した状況だからこそ、さっき俺に取引を持ちかけてきたのだ。見捨てられても、殺されても、犬死になる。


 実は、ヘルにはまだ、シーラのゴブレットの存在を知らせていない。

 もし知られたらどうなるか。ソフィアについてはもう仕方がない。マルトゥラターレは、どう足掻いても表の世界では生きられないから、これもいい。だが、ヘルは。教皇にゴブレットの件を報告しかねない。しかし、時間が経てば、きっとソフィアが彼にも飲ませろと言い出すだろう。

 といっても、どうせ四人分は無理なのだ。普段なら、それこそ何十人に飲ませても困りはしないのに。


「行くぞ。どっちにしろ、何かを見つけない限り、俺達は全滅だ」

「そう……だな」


 痛みをこらえつつも、ヘルは起き上がった。

 多少の休憩のおかげというより、さっきの吸血鬼への恐怖のせいか、ソフィアもすぐ立ち上がった。最後に、マルトゥラターレも。


「手強い相手がいないのなら、ここの階層は歩ける。吸血鬼だって、飲まず食わずで生きているはずはない」

「獲物を横取りしようってか」

「動物の血液なら、人間だって飲める」

「気分が悪くなるぞ」

「今は餌を選り好みしている場合じゃない」


 結局、歩き回るしかないのだ。

 階段のあった最初の広間を後にする。俺を先頭に、通路を進んだ。あれから、吸血鬼に遭遇することはなかった。

 だが、安心しかけた頃……


 大広間に出た。急に天井が高くなる。

 視界には何も見えない。遠くの壁がぼんやり映るだけだ。なのに、急に悪寒が背筋を突き抜けた。


 大量の気配……まさか!


「ソフィア、上だ!」


 叫ぶと同時に、甲高い哄笑が周囲を包んだ。

 照らし出された頭上には、びっしりと逆さまになった吸血鬼がぶら下がっていたのだ。


「きゃああ!」


 彼女の悲鳴が合図になった。

 一匹、二匹と翼を広げ、足を天井から離す。重量から考えて、浮かび上がれるはずもないのに、そいつらは浮遊して……最初はゆっくり、急に素早く。こちらに突っ込んできた。


「伏せろ!」


 キィキィ、と興奮した声が耳元をかすめる。

 こいつら……しかし、この数では。一掃しようにも、火魔術が使える距離でもない。第一、体力の限界だ。これ以上、無理に魔法を使ったら、その場で吐くかもしれない。


「ええい!」


 剣を振り回す。翼に当たって切り裂くが、とにかく数が違う。

 このままでは……


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 コンニエムス (28)


・マテリアル ミュータント・フォーム

 (ランク5、男性、28歳)

・アビリティ 降伏者の血脈

・アビリティ 痛覚無効

・アビリティ 吸血強化

・アビリティ 無光源強化

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 水の呪い

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・壁歩き

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・飛行

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク2)

・スキル アブ・クラン語 4レベル

・スキル ルー語     2レベル

・スキル 精神操作魔術  5レベル

・スキル 格闘術     5レベル

・スキル 爪牙戦闘    5レベル


 空き(10)

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 ……何が雑魚だ。

 たまたま一発で死んだからいいようなものの。神通力がてんこもりの怪物じゃないか。しかも精神操作魔術まで使う。


 耳障りな高い声がドーム上の広い部屋の中に反響する。

 否が応でも不安と恐怖が高まる。だが、奴らのこの声は、歓喜ゆえなのだ。俺達の血をすすれるから。こいつらはずっと飢えていた。生身の人間がこんなところに来るはずはないから。

 黒い影が何度も頭上を行き来し、羽ばたく翼が巻き起こす空気の流れが頬に触れる。


 なんでこんな、閉じ込めていたのは、こいつらが危険だから……


 違う。

 おかしい。


「マルトゥラターレ!」


 直感が脳髄を貫いた。

 もしかしたら、うまくいくかも。


「水だ! 水をぶつけてやれ!」


 俺の叫びに、彼女はすぐさま応えた。

 いきなり俺達四人の真ん中から、水柱が立ったのだ。


「ギィッ!」


 直感は当たった。

 吸血鬼どもは、水を嫌った。それで死ぬわけではないが、苦しげな顔をしては遠ざかっていく。

 しかし、それで俺達のことを諦めはしなかった。遠巻きにして、こちらを見つめている。


「だめ……もう」


 思いつきは正しかった。ただ、余力もないのに、ずっと大量の水を噴出させ続けるなど、どだい無理だった。

 病人のような吐息を漏らしながら、マルトゥラターレはよろめいた。


「しっかり!」


 それをソフィアが支える。

 吸血鬼どもは、それで形勢の変化を悟った。


「くそっ……!」


 こうなれば、斬れるだけ斬るしか……


「そこまでだ!」


 不意に響いた、威厳ある年老いた男の声。

 俺達が入ってきたのとは反対側の入口。おぼろげながら人影が見える。


 何が起きた、と振り返る。

 続いて、彼は耳慣れない言葉で叫んだ。

 すると吸血鬼達は明らかに取り乱し始めた。我先にと逃げ出そうとする。それを呆然と見送るしかなかった。


 俺達は、救われたのだろうか。

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