ルーの種族
光のない暗い部屋の中。
俺はうっすらと目を開けた。
右手を掲げ、短く詠唱する。ポッと暗い赤色が浮かび上がる、その向こうに、人影が浮かび上がった。
ソフィアは、やはり消耗していたのだろう。いつの間にか床に転がって寝入ってしまっていた。一方、マルトゥラターレはというと、もともと起きていたのか、ごく浅い眠りでしかなかったのか、身を起こしていた。
「休んでなかったのか」
「少しは休んだ」
ソフィアを起こさないよう、俺も彼女も小さな声でやり取りした。
「教えて欲しいことがある」
「なに」
「さっき言っていた、水の民とか、霊樹とか、ルーの種族とか言葉とか……いったい、なんなんだ」
特に気になっているのが、ルー語だ。
今まで、ゴブリンその他の魔物をピアシング・ハンドで覗き見すると、だいたいこの言語を習得していた。そしてマルトゥラターレもまた、ルー語の話者なのだ。では、彼女は魔物と会話ができるのか?
「本当に知らないのか」
「女神にかけて、まったくわからない」
「女神なんかに誓われても、私には意味がない」
っと、そうだった。
ルーの種族……ということは。
「じゃあ、魔王イーヴォ・ルーに誓えばいいのか」
「魔王じゃない」
「人間の世界ではそうなっているが、水の民にとっては違うのか」
まず、そこからだ。
「イーヴォ・ルーは、生命の神」
「生命? 嵐じゃなくて?」
俺は首を捻った。
確かに、魔王が魔王だと自称したことなどない。南方大陸を支配したイーヴォ・ルーは、かつては嵐の神であるとされていたはずだ。
「嵐というのは、イーヴォ・ルーの命のありよう」
よくわからない。
「なんで嵐が命?」
「説明するのが難しい。ルーの種族の命のあり方が、人間とは違うから」
やっぱりわからない。
「本当に知らない?」
「知らないよ」
俺の質問が初歩的すぎたのがよかったのか。
彼女は俺に少しだけ近付き、座り直した。質問に答えてくれる気になったらしい。
「イーヴォ・ルーと関わりがあるのなら、では、パッシャとはどういう関係だ?」
「パッシャ? 知らない」
なんと、自称魔王の下僕どもとは繋がりがない、と。
まぁ、そんなものか。イーヴォ・ルーのほうではパッシャのことなんか知らないけど、人間の方が勝手にファンになったとか、そういう感じかもしれない。
「水の民というのは、何のこと? マルトゥラターレみたいな人のことを言うのだとは思うけど」
「ルーの種族の一つ。スヴカブララールのこと。水辺に棲み、霊樹と共に生きる」
「ルーの種族というのは?」
「生命神イーヴォ・ルーと契約して、祝福を受けた存在」
ここまではいい。
問題は……
「じゃあ、ゴブリンは?」
これが俺の疑問なのだ。
「さっきも言ったけど、俺は名前がわかるんだ。ゴブリンは、ルー語という言葉を話せるらしい。じゃあ、ゴブリンはルーの種族ということか?」
マルトゥラターレは、しばらく沈黙していたが、ややあって答えた。
「多分、そう」
「多分?」
「私はゴブリンを見たことがない。ただ……」
しばらく躊躇うような素振りを見せてから、やっと言った。
「伝え聞いた限りでは、ペルィというルーの種族に似ているとは思う」
「ペルィ?」
「ルー語の中でも、水の民や風の民、人間に近い種族が使う言葉だと、そうなる」
まぁ、マルトゥラターレは百年以上前に視力を潰されたらしいし、その前にゴブリンの実物を見たことがなければ、判断は難しいか。
「そのペルィというのは、どんな生き物なんだ?」
「生き物というのは、あまりいい言葉じゃない。ペルィも人」
……人。
つまり、ゴブリンは、イーヴォ・ルーの祝福を受けた人間の成れの果て?
じゃあ、ゴブリンを散々殺してきた俺は、そちらでも大量殺人をしてきたことになる?
「ペルィは、普通の人より背が低くて、肌が緑色になる。子供のような外見のままで、けれども頭がよく、すばしっこくて、手先が器用。道具を作るのが得意。陽気でよく笑う」
外見だけはゴブリンそのものだが、あとの説明はまるで一致しない。
「ペルィを見たことは?」
「ない」
「ペルィは魔法を使う?」
「ルーの種族は、みんな……人間が魔法と呼ぶ力を持っている」
そうだ。ここも気になっていた。
「そういえばさっき、水の魔法を使っていたみたいだけど、詠唱も何もなかったような」
「必要なかったから」
「なんで? 人間がやる時には、道具を使ったり、魔法陣を描いたり、薬を飲んだり……いろいろあるのに」
「それは祝福の力を使うための手順。だけど、ルーの種族のうちでも一部は、肩代わりしてもらえるから」
つまり、手順を省いて魔術を使用できる?
「肩代わり?」
「スヴァーパのこと」
ここで出てきた。
「スヴァーパって、何?」
するとマルトゥラターレは、じっと俺を見つめた。やや非難がましいものを感じる。
「私の中の、もう一人の私」
「はい?」
「私でない私のこと。私の中に棲むもう一つの魂。別の心がある」
じゃあ、まさか。
マルトゥラターレは多重人格者? ちょっと違うか。一つの体に、二つの心がある。それぞれ別の魂を有していて、それが一つの体を共有している。
「スヴァーパのことは、誰にも言ってない。霊樹の導きで目覚めた時、周囲の大人達には伝えた。水の民の、同じ村の仲間しか、知らないはずのこと」
「その……スヴァーパが、代わりに魔法を使うのを手伝ってくれる、と?」
「そう」
頷くと、彼女は補足した。
「目覚めたスヴァーパが、いろいろ教えてくれた。魔法は他人から教えてもらうものじゃない。内なる魂が自然と導くもの」
少し納得した。
だからゴブリンは、最初から魔法を使えるのだ。あの文明レベルで、どうやって学習したのかと思ったが、つまりはマルトゥラターレと同じように、生まれつき、自分の中にいる何者かの指導によって習得するのだ。
でも、少し腑に落ちない。ゴブリンにもう一つの名前が見えたことはない。それに、すべてのゴブリンが魔法を使えるわけでもなかった。
「少し変だな。今まで見たゴブリン全部が魔法を使えたわけじゃない。それと、名前が二つ見えたわけでもなかった」
「それはわからない。ただ、もしかすると、霊樹との繋がりが絶たれているのかもしれない」
「霊樹?」
これも重要なキーワードのような気がする。
「霊樹は、魂の拠り所。ルーの種族にとっての半身」
「そういえば、さっき、霊樹を刈るつもりなら道連れとかなんとか言ってたけど」
すると、彼女はあからさまに俺を睨みつけた。
「もし霊樹を傷つけるつもりなら、たとえ死んでも絶対に殺す」
「しない。考えたこともない。だいたい、何が霊樹かも知らないんだから」
俺は言い添えた。
「逆に、その辺に生えてる木が霊樹だったらどうする? 知らずに切ってしまうかもしれない」
「それはない」
彼女は首を振った。
「普通の木と見間違えることはない。魂の宿る光が見える。形はルーの種族のそれぞれによって違う。けれども、どれも大事な役目がある」
「それはどんな?」
すると、彼女は複雑な表情をして、黙り込んだ。
「それは聞いてはいけないことだったか」
「いや」
唇を噛みながら、ようやく言った。
「水の民、それに風の民の場合、霊樹は命に関わる」
「命?」
「ルーの種族は、人一人では完成しない。魂と同じで、体の一部も霊樹と一緒。だから、私は子供を産むことができない」
「えっ」
薄汚れたメイド服の紺色のスカートの上で、彼女は握り拳を作った。
「新たな霊樹と繋がらなければ。たとえ連れ合いとなる水の民の男と出会っても、交わりで子をなすことができない」
「じゃあ、霊樹があれば、子供を産める?」
「そう」
なんと。
それは確かに、重大だ。霊樹を失ったら、自分だけでなく、仲間達まで不妊になる。なるほど、死んでも殺すというのも道理だ。
「すべてのルーの種族がそうというわけじゃない。ただ、水の民の場合はそう」
「なるほど、わかった。霊樹を切り倒すことはしない。見たことはないし、どれがどうとはわからないけど」
だが、それで彼女が落ち着くことはなかった。
「今はそうでも、気が変わったら」
「そんなこと言われても」
「私の霊樹を切り倒したのも、人間」
「まさか、それがワノノマの戦士とか」
「そう」
だから、か。
「昔、私の村にワノノマの戦士達がやってきた。みんな怯えていたけど、村長は一人前に出て、跪いた。私達は誰も傷つけたりはしていない、ここで静かに暮らしているだけだと。聞く耳なんてなかった」
「いきなり襲いかかってきた、のか」
「そう。村長は、そのまま刺し殺された」
問答無用で攻撃を仕掛けるとか。なるほど、彼女が警戒心を露にするのも無理はない。
「みんな逃げた。大人達は、まだ小さかった私に、先に逃げるように言って、ワノノマの戦士達に立ち向かった」
「でも、みんなそれだけ魔法が使えるなら、強かったのでは」
「数が違った。水の民は長く生きるけど、その分、子供はあまり産まれない」
ひたすら物量に押され、抵抗は踏み潰された。
「森の中に潜んでいたけど、何日かしてから、スヴァーパが教えてくれた。霊樹が失われたと」
「ワノノマの戦士達は?」
「いなくなった。村に戻ったけど、生きている人はいなかった」
故郷を人間に蹂躙されたのだ。
さぞ恨みは深いことだろう。
「それからは、どうしていた?」
「森の中で、人間に見つからないように暮らしていた。でも、シュライ人のハンターに見つかった」
「ハンター? 狩人ってこと?」
「あそこのハンターは、ちょっと違う。大森林の中央に、宝があると思い込んでる人達」
ハンターはハンターでも、トレジャーハンターというわけか。
「だから、捕まってからは、宝のある街のことを話せと言われた」
「それは……いや、訊かない方がいいか」
「なに」
「そんな場所、あるのかと」
しばらく口を噤んでから、マルトゥラターレは言った。
「ある」
「ある!? 財宝のある街が?」
「少し違う。始祖の都、ナシュガズ」
そんなの、初めて聞いた。ルークの世界誌にもない。ギシアン・チーレムの征服戦争でも、その名前は出てこなかった。
「い、行ったことは?」
「ない」
「今でも、水の民とか、他のルーの種族がいる?」
「わからない」
「場所は知ってる?」
「知らない」
とすると、ほぼおとぎ話レベルの情報か。
「ナシュガズってところは、どんな場所だと」
「どんなルーの種族も、安心して暮らせる場所だった。始祖が降り立ち、すべての種族が睦みあった。神官達は金で水を量り、人々は木片を削って印を捧げた。街並みは華やかで、霊樹を囲む石の壁が立ち並んでいた。そんな場所」
では、財宝は……ああ、『金で水を量り』と言っている。意味不明ではあるが、ということは、黄金があるのだ。ハンターが知りたがるのも無理はない。
「でも、私は教えなかった。そうしたら、薬で目を焼かれた」
あとは奴隷生活が続くばかりだった。
「南方大陸から、最初、サハリアに売られた。そこからフォレスティアにもいたけど、最後はあのジェゴスに買われた」
「逃げ出さなかったのか」
「最初はそうするつもりだった」
「ではなぜ、今まで」
「眼が見えない。別の大陸に送られた時に、もう逃げられないとわかった」
そこから、実に百年。
苦痛の日々が続いた。
「こう、こんなことを言っていいかわからないけど」
「なに」
「人間を殺そうとは思わなかったのか? それだけひどい目に遭わされて」
「思ってもできない。一人きりで暴れても、すぐ殺される」
「いっそ自殺しようとは?」
「できない」
「なぜ?」
座り直し、背筋を伸ばして、彼女は言った。
「私を逃がしてくれたみんなのため。どんなに苦しくても、霊樹を見つけて、子供を産む。血を繋ぐ。だから死ねない」
復讐よりも、何よりも。
彼女は使命を抱いていた。だから、ジェゴスの辱めにも耐えた。生き延びるために、服従に徹した。穢したければ穢せばいい。どんなに時がかかっても、いつか霊樹を見つけ、水の民の子孫を残す。
「なら、ここを出ないといけないな」
「出ただけでは、同じこと。でも、確かにそう」
そういうことなら、彼女と俺達の間で、共闘関係が成り立つ。
「よし、じゃあ、ここを出たら、俺がお前を助ける」
「どうやって」
「ジェゴスからも、誰からも解放する。霊樹を見つけるのは無理だが、安全に暮らせる場所なら提供できる。人間に傷つけられないようにしよう」
名目は所有物でも奴隷でもなんでもいい。実質、自由人としての生活を与えられさえすれば。
だが、今は、なんとしても生き延びなくては。
「それまで、力を貸してくれ」
「わかった」
彼女は頷いた。
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