ぶちキレて、頭がキレて、吹っキレる

「なん、だって?」

「だから、死刑です! 死刑! あの不潔な性犯罪者、アイドゥスは、女神の思し召しによって焼き殺されるのです!」


 満面の笑み。いや、狂喜といったほうがいいか。プレッサンはギョロリと目を剥き、唾を飛ばしながら飛び跳ねた。


「ああ、これで聖なる都も清められることでしょう! ファルス様、共に喜びあいましょう!」


 寝起きにいきなりこんな言葉を聞かされて。どう反応すればいいのだろう?

 だが、死刑? それが確定した? たった一日で?


「あの、それはもう」

「決まりました! 悔悟の月の末日の朝! 聖都の郊外にて! 今から近隣の村にも召集をかけての公開処刑となるそうです! 楽しみですね!」


 あまりのことに、認識がついていかない。


「罪状は」


 俺の問いに、プレッサンは水を差されたかのように、顔を曇らせた。


「ティングラス居留地にて、罪を重ねた者どもに、薬を与えたそうです」

「それだけ?」

「それだけとは何ですか! いいですか、こんな言葉は口にしたくなどありませんが、要するに売春婦どもに薬を与えたのです! その穢れた生業を知りながら! おお、女神よ、事実を語るためとはいえ、不潔な物言いをお許しください!」


 とすると、かなり曖昧な感じがする。

 それはいったい、いつのことだ? 俺が見たのは、出産の介助だった。だが、彼のことだから、他にもいろいろ手を染めていたのだろう。


「罪びとに裁きを下すべき聖職者が、あろうことか、逆に手助けまでしてやるとは。ああ、もう、虫唾が走ります。それにきっと、無償であったはずもありません……そうです、そうですとも。あのいやらしい男は、娼婦達の乳房に埋もれていたに違いないのです、おお、身震いが止まりません」


 馬鹿な。彼がそんなことをするとは、とても思えない。

 よしんばそうだったとして、だからどうだというのか。彼は実際に人を救ってきた。報酬を受け取って何が悪い?

 逆にこの国の中枢に居座る聖職者や旧貴族はどうか。国中から巻き上げた財貨に埋まって、今にも窒息しそうになっているのに。いったい奴らが誰を救った?


「女神よ、聖女よ、すべての罪を彼に。彼こそが地上の罪を引き受けるべき罪びとです。その他の者どもにはどうか寛容でありますように」


 それをこいつは、言いたい放題……


「清らかな地上よ、祝福された聖都よ、万歳! モーン・ナーの正義が世界を照らしますように! 万歳!」


 何が正義だ、このっ……


 ようやく追いついてきた怒りに、俺は身を起こしかけ、そこで硬直した。


「そうだったのか!」


 思わず、独り言が口をついて出てきた。

 パズルのピースが、いきなり嵌ったような感触が、頭の中を貫く。その衝撃にふらつきながらも、立ち上がった。


「んっ? ファルス様?」


 フラフラと歩きながら、俺は淡々と出入口の扉を押し、閉じた。そして改めて鍵をかける。


「どうなさっ……あぎぃっ!?」


 無表情のまま。俺は口の中で呪文を唱えた。

 プレッサンは、突然の激痛に膝を折り、そのまま床に突っ伏した。


 つと歩み寄り、その後頭部を踏みつける。さすがにこの程度では気絶などしない。また、させるつもりもない。但し、心はへし折る。


「ぶあっ! ぐぼぉっ! あ、あぁあっ!」


 くぐもった悲鳴が、冷たい床に吸われて消えていく。

 間をおきつつ、意識を奪わない程度に痛みを連続して与える。頭を踏みつけたのは、そこに『行動阻害』を浴びせるためではない。痛みゆえの絶叫を外に漏らさないためだ。


「な、なにを、ファル……ぎゃあっ!」

「お前だな」


 自分でも信じられないほど、冷たい声だった。


「なにが、です」

「俺の荷物から、金貨を抜き取ったのは、お前だ」


 まず、ここから。


「何をおっしゃっているのか、わか……おごっ」

「俺が不在の間、お前か誰かが、俺の荷物を漁った」

「知りまべぎゃっ」

「それでも最初は何も盗まれなかった。俺の身元を調べようと思ったんだろ。ドーミル師への紹介状なんか持ってたもんだから」


 つまり、腹立たしいが、最初はあくまで『当局側が俺の目的を知ろうとして』荷物を検査した。俺にとっては、そんな理由など関係ないし、ただただ気分が悪いだけなのだが、教会組織にはそれだけの必要があったのだ。


「どうしてそんげぇっ」

「宿舎の個室には鍵がかかるが、当然、合鍵がある。今までも、それで勝手にここに入ってきたよな」

「私は知りぃいびびぃっ!?」

「ま、それは許してもいい。上から調べろと言われたら、逆らえないだろうし。でも、お前……」


 俺は足下を見下ろした。


「……金貨に目がくらんで、盗みだしたよな。それも十枚だけ。バレないと思ったのか」

「ごっ、誤解です! ファルス様、きっとそれは数え間違いでしょう! 考えてもみてください、おかしいではありませんか!」


 俺の足の下で這いつくばりながら、プレッサンは必死で言い訳を並べ立てる。


「他の街でならいざ知らず! ここはアヴァディリク、聖なる都です! どこを歩いても商店も酒場もありません。金貨で買い物ができる場所なんて、どこにもないのです。盗みを働いて何になるのでしょう」

「そこがどうしてもわからなかったんだ」


 彼の言い分は正しい。盗みには、見返りがなければならないからだ。

 例えば、現代日本で美術館に忍び込み、ゴッホの『ひまわり』を盗み出したとしよう。だが、これをどうやって換金する? アシがつかないよう現金に換え、逃げ切れるのでなければ意味がない。それどころか、盗品が手元にあるだけで、リスクになる。

 今の彼にとっても同じだ。金貨には使い道が必要で、さもなければ、ただ所持しているというだけでも窃盗の証拠になってしまう。


「当たり前です! 私は盗んでなんて……わっちゃぁっ!」

「少し黙れ」


 いくら床に押さえつけているといっても、あんまり騒がれるのはまずい。


「まだ、半分くらいは手元に残ってるんだろ」

「は……?」

「あとは遣った」

「どっ、どこで」

「多分、ティングラス居留地。じゃなくても、そういう場所で」


 踏みつける足に体重をかける。


「お前」


 ぎりぎりと踏みにじりながら。


「買ったな」

「何を」

「隠れ娼婦を」


 目に見えて顔色が変わった。やっぱり。


「変だと思ったんだ。どうしてお前があんなにもアイドゥスのことを悪く言うのか。最初は、彼が有罪になるついでに俺まで罰を受けて、そうなると巡礼を監督する立場のお前も減点されるから、それが怖かったんだろうと思った」

「うっ、くっ」

「だが、それにしては不自然だった。なんのことはない、お前は連座するのが怖かったんだ。アイドゥスが娼婦達と関係を持っていたことがバレた。となれば、娼婦達も逮捕されるのではないか。そこから、客だったお前の顔も割れたら? だから、無関係ですと叫ばずにはいられなかった」


 簡単な話だった。

 それが運よく、アイドゥス一人を陥れて終わりになりそうで、もう、安心感で有頂天になっていたのだろう。それでも危機が完全に去るまで、心の中には恐怖があった。その不安が、彼に奇妙なほど極端な態度をとらせた。


「よかった。これで『いいこと』を報告できそうだ」

「なっ?」

「カフラモンに伝えないとな。娼婦を抱いてた不潔な男が、ここにもう一人いましたって」

「そんなっ!」


 だが、アイドゥスとは違って、こっちは本物だ。いくらなんでも隠れ娼婦が一度の情事に何枚もの金貨を要求するとは思えないから、それにプレッサンとしても何度も金貨を抜き取るのは怖いし、次も遊びたいだろうから、手元にまだ残りがある。調べればすぐに事実が明らかになるだろう。

 給与は? しかし、それはない。食料品や衣服などは、当局に頼めば購入できる。しかし、用途不明の金貨を捻出すれば、目立ってしまう。たとえ預金残高がたっぷりあっても、女を買う金だけは、盗むしかなかったのだ。

 逆を言えば、買春のためでなければ、入手機会の限られる金貨は使えない。だから、大事にとってあるはずなのだ。


「初めてじゃないんだろ」

「えっ」

「巡礼の荷物を漁って金を抜き取る。前からやってたんだろう?」

「そのような」

「俺の時だけ思いついてやったなんて、考えられないんだ。若い頃にはもっとずっと性欲もあっただろうし。むしろ手慣れてる感じさえするな。盗むのも、ちょうど十枚とか。キリのいい単位なら、盗まれた本人がまず自分を疑うからな。勘違いとか、どこかに移し変えたかもとか」

「う、うがぁ……ひっ!」


 話が核心に触れるにつれ、恐怖がそのまま怒りとなった。だが、その熱は一瞬で冷まされた。

 青白いミスリルの刃が、首元に触れたからだ。


「チンケな人生だなぁ」

「う」

「必死に勉強して聖都で司祭になって。だけど出世もできずに、下っ端の巡礼担当のまま、歳ばかり食って。性欲をもてあますあまり、巡礼の荷物を漁って小銭稼ぎ。それで近所の祭りの町にこっそり出かけていっては、隠れ娼婦を抱く生活」


 心底軽蔑しながら、俺は彼の人生をまとめてやった。


「で、気がついたら、その歳か。かわいそうに生え際も後退しちゃってまぁ」

「ううっ」

「なぁ、どこがいいんだ? こんなド田舎のセリパシアの……ティングラス居留地の隠れ娼婦って、あれ、地元の農婦だろ。歳は食ってるわ、肌は汚いわ、肉付きが良すぎるわ……オマケに土臭いときた」


 鼻で笑いながら。

 さて、次の段階だ。


「なぁ、いくらしたんだ?」

「えっ」

「だから。隠れ娼婦の値段。知らないんだ」

「わっ、私も知ら……うぐっ!」

「手元が狂うかもしれないから、早めに頼むよ」

「ひっ」


 これでは逃げられない。勝ち目もない。

 子供のくせに、変な魔法を使う。それに不思議と強い。第一、子供といっても、かなり背が伸びてきている。日頃から鍛えていればともかく、しおれた中年男からすれば、どう考えても組しやすい相手ではない。


「いくら?」

「……枚」

「ええっ、もっとはっきり」

「金貨三枚。値切って二枚」

「ふうん」


 間をおいてから、俺は吐き捨てた。


「たっか」


 わざと嘲笑を浴びせつつ、俺は彼の欲望を刺激した。


「バッカみたいに高いんだな。あのな、金貨三枚も出せば、ピュリスでもそこそこの女が買えるぞ。土臭い農婦じゃなくて、男を喜ばせるコツを知ってる本物の娼婦をな。五枚もあれば、一度に二人の女が傅いてくれる。温かいお湯で体中洗ってくれるし、しゃぶってもらったりもできるんだ」

「しゃ、しゃぶっ……ふ、不潔で」

「だから体中洗うんだろが。こっちの農婦と違って、みんな石鹸使って温水浴してるから、そりゃあいい匂いだぞ」


 目線を下げ、歪んだ笑みを浮かべながら、俺は説明を重ねる。


「フォレス人の女は、ルイン人より小柄だけど、その分華奢で、女っぽくていいよな。出るところ出てて、引っ込むところは引っ込んでるし。あと、港町だから、サハリア系の女もいるけど、これまたエキゾチックでいいよなぁ。しっとりした黒髪、小麦色の肌、くっきりした目鼻立ち……ああ、もちろんルイン人もいるが、こっちのと違って肌もそんなに汚くないし、はっきり言って比べものにならないな」


 ……まぁ、これ、俺の店の話だったりするんだが。


「でも、女ならコラプトだ。お前、知ってるか。ラスプ・グルービーって大商人が拵えた娼婦街ってのがあるんだ。ざっと数えて、五十はあったな。そういう店が」

「そっ、そんなに」

「朱色の門に挟まれた通りがあってな。そこに色とりどりの布が飾られてるんだ。それが店の種類を教えてくれる。赤い布は、酒を飲みながら遊ぶ場所で、青はマッサージと入浴。けど、なんといっても黒だな。あれはもう、他にはない。旅の商人がハマって通いつめるくらいなんだから」


 いい感じだ。じっと俺を見上げて、話の続きを待っている。興味があるのだ。


「塩って隠語があってな。ま、クスリのことなんだが、あれをキメると、ちょっと触れられるだけでもう、メチャクチャ気持ちよくなるらしい。当然出てくる女も美人で、テクニックも最高……ああ、逆にもし素人女を抱きたいなら、ちゃんと緑の店がある。初心な少女を好きにできるってわけ。本当に『なんでもござれ』だ」


 唾を飲み込む音が聞こえた。


「でも……あー、残念」


 俺は、足を離した。もう、押さえつける必要もない。念のため、抜き身の剣だけは手放さないが。


「お前にはそんな女を抱く機会なんて、ないんだろうなぁ……しょうがないか。ここ、聖地だし。遠くには行きたくないんだろう?」

「うっ、わっ」

「ま、金を盗んだ件は、許してやってもいいかな。残りの金で、せいぜい野暮ったくて土臭いオバさん抱いて寝るんだな。これからも、こうやってチマチマ巡礼から小銭をかすめとって、ジジィになって死ぬまで、それ、続けるといい」


 わざと笑いながら、俺はベッドに腰掛けた。


「ほっ、本当に許してくれる……」

「んー、だってお前、かわいそうだし? あんなんで満足なんだ? ハハッ、死ぬまで下っ端のままでさぁ……この前、ジェゴス枢機卿の邸宅に行ったけど、すっごい美人がメイドにいたっけ。もちろん、愛人なんだけど」

「ううっ」


 拳を握り締めたまま、プレッサンは立ち尽くしている。

 あと一押し。


「でも、出世できないんじゃ、聖地にしがみつくしかないもんな。お前、セリパス教の話をする以外、何のとりえもないんだろ」

「う……は」

「自力で上に行くのは無理。でも、今の立場も手放せない。聖都じゃ一番下なのに、ここがお前の天辺。死ぬまでこの寒い寒い聖地で、使い走りして死ぬんだな」

「だ、だって」


 顔をグシャグシャにして、泣きそうになっている。

 信仰にすべてを捧げた人間なら、こうはならない。積み重ねてきた行いに誇りをもてるからだ。しかし、こいつは違う。純粋な思いなど、もうどこにも残っていない。目先の小さな利益、快楽に惑わされるばかりの小人物。その事実を、聖なる都で女神に仕えるという壮大な使命でごまかし続けてきた。

 今、真実の光に照らされたプレッサンは、ゴキブリのように逃げ隠れもできず、ただただ自己嫌悪の檻に囚われている。しかし、そこに反省などない。これからは清く生きたい、罪を受け入れたい……そう思っているなら『だって』などとは言わない。


「自分、だって……でも……」

「ああ? なに? はっきり言えよ」

「機会、そうだ、機会さえ、あれば……」

「ハッ」


 鼻で笑った。

 ない。こんな男にチャンスなんて。自分を偽り、現実を直視できない人間が、機会をものにできるはずがないのだ。


 だが、俺には好都合だ。

 こいつはもう、落ちた。


「やろうか?」

「は、いっ?」

「だから、出世の機会をやろうかと言っている」


 目を白黒させている。

 これでいい。混乱している今だからこそ、事実を振り返ってよく考える余裕がない状況だからこそ、か細い糸に縋ろうとする。


「そんな、どうやって」

「間違っても枢機卿になれるとか、そういうのはないぞ」

「は、はい」

「だが……」


 勿体つけてから、俺はおもむろに切り出した。


「……この腕輪。エスタ=フォレスティアの王、タンディラールが直々に俺に与えたものだ」

「はい」

「要するに、俺は王のお気に入りで、言ってみれば大事な手駒ってわけだ。けど、それだけじゃない」


 剣を鞘に納め、俺はゆらりと立ち上がる。


「国内第一の大貴族、フォンケーノ侯の嫡男、エルゲンナームとは個人的に付き合いもある。何しろ、俺が命を救ってやったんだからな、無視はできない」

「そ、そうなんですか」

「ファンディ侯も、俺に娘を自分から紹介する有様だ。スード伯に至っては、ぜひともうちの城に来てくれってさ」

「そんなに」

「要するに」


 俺は顎をあげて、傲然たる態度で言い放った。


「俺の一声で、教会の一つや二つ、簡単に建つってことだ」

「は、はい?」

「神聖教国としては、外国に影響力を及ぼす拠点が欲しい。王家や大貴族の承認と支援を受けて設立された教会なら……割とあっさり、管轄教会への格上げもされるんだろうなぁ」

「あ……ああぁっ!」


 聖なる都といっても、ここは北の果て。娯楽も何もなく、ひたすら周囲の目が厳しいばかりの監獄だ。その、生活の保証だけはある超監視社会から、上方向に抜け出すためには、出世するしかない。

 一つには、高位の聖職者になることだ。司祭位を持っていても何の自慢にもならないが、司教にまで登り詰めれば。アイドゥスはあえて質素な暮らしを続けていたが、その気になれば、プチ貴族並みの生活はできる。選ばれた二十四人の枢機卿ともなれば、大抵の我儘が通ってしまう。ジェゴスのように、淫らな振る舞いを重ねていても、誰も掣肘しない。もっとも、教皇から罷免されなければだが。


 そしてもう一つが、外国に出ることだ。といっても、ただ出たのでは、無意味な都落ちだ。そもそも、聖都や各地の交易都市の聖職者というのは、全体として質素な教国の中では、それでも恵まれた境遇なのだ。これがド田舎の司祭とかだと、その辺の貧民と変わらない暮らしになってしまう。それでも、このポストを放擲するというのは、他に何の技能もない僧侶にとって、無職になることを意味する。いったん手放したら、もう取り戻せない。田舎の司祭職さえ、高嶺の花になってしまうのだ。

 国外に出て、どこかで貴族や大商人の庇護を得て、教会を構えることができればいい。だが、それは博打だ。もし有力者に気に入ってもらえなければ。そこまでいけたとしても、建つのは野良教会だ。

 しかし、そこで更にバックアップがあればどうか。管轄教会に格上げされた場合、地位こそ司祭だが、その利益は計り知れない。


「ファル、ス、様、それは、本当に」

「お前のやる気次第だ」

「は……はいっ」

「文句を言わず、余計な詮索もせず、俺の言う通りに動く手駒になってくれるなら、後押ししてやらんでもない」


 本当は。こういう権威を傘にきたやり方は、俺がもっとも軽蔑するものだ。

 だが、だからといって、何もせずに結果を残せないのでは、何の意味もない。使えるものは使うのだ。


 ふと部屋の奥の戸棚を開けた。中にはリュックがある。乱暴に引っ張り出すと、俺は中身をぶちまけた。

 耳に優しい、鈴の音を思わせる金属の擦過音。黄金の泥流が、灰色の床に吐き出された。


「おおお」


 金貨の輝きに、プレッサンは我を忘れた。

 思わず膝をつき、掻き抱こうとする。それを俺は、頭を蹴飛ばして止めた。


「ぐっ!?」

「まだ答えを聞いてない」


 壁に背を預けたままの彼に言い放つ。


「で、やるのか? それとも……」


 プレッサンは慌てて立ち上がった。


「や、やります! やりますが、本当ですか?」

「おい、プレッサン」


 俺は続きを言わず、黙りこくった。

 それで彼は察して、俯き謝罪した。


「す、済みません」

「それでいい。じゃあ、最初の命令だ」


 いよいよ、だ。


「実は、さる方の命令で、俺は情報収集をしている」

「はい」

「枢機卿アイドゥスに接近せよ、というのも、もともとはそのためだ」

「は……そうだったんですか」


 もちろん、まったくの嘘。だが、こいつが何かを知る必要などない。なぜなら……


「プレッサン、今、アイドゥスはどこにいる」

「それは、すぐにはわかりかねますが、どこかの独房にいるはずです」

「調べろ」

「えっ、あ、ま、まさか」

「そういうことだ。もう一度、奴に会わねばならん」

「そんな!」


 騒ぎ立てようとした彼の首に、もう一度、剣を添える。


「ここまで聞いた以上、今から降りるというのは許さん。死ぬか、やるかだ」

「でっ、ですが」

「落ち着け、馬鹿が。別に、奴を脱獄させようとか、そういうつもりではない。ただ会って、事実を確認するだけだ」

「それは何の」


 頚動脈にそっと刃を押し付ける。

 よし、黙った。


「とにかく、奴に会わせろ。俺は牢獄まで出向いて、話をつけてくる」

「そんな、ですが、どうやって」

「お前は、目の前のこれが見えんのか。何のために重いのを我慢して運んできたと思っている」


 目の前の黄金は報酬ではなく、活動資金。それと悟った彼の表情が、一瞬、落胆の色に染まる。

 つくづく目先のことしか考えられない奴だ。


「こんな小銭を惜しむようなら、大事な仕事は任せられんな」

「えっ、いや、そんなことは」

「管轄教会、それも大貴族の保護の下でとなれば……俺からすれば、この程度の金なんか、ゴミと変わらないんだがな」


 そう言いながら、俺はポーチからざっと一掴みの金貨を取り出した。


「これは預けてやろう。買収でもなんでもいい。とにかく俺が立ちいれるよう、手配しろ」

「は」

「余った分は、お前の物にしていい。もし、牢番が追加の金を要求したら、後払いだと伝えろ。いいな」

「は、はい……や、やります。わかり、ました」


 冷たい目で見据えながら。

 もう一つの指示も忘れずに付け加える。


「あと、お前のための仕事もある。こちらは簡単だ。旅支度をして、当局に提出する辞表を用意しろ。あと、国内の移動許可も取れ。神聖教国を出たら、あとは俺の従者ということで、なるべくスムーズに移動できるようにしてやる」

「はい……」

「どうした?」

「いえ」

「ここまで来たんだ。もう、後戻りはない。言っておくが、もし俺を裏切ったら……」

「裏切りません! わかりました!」


 信用などしていない。はなから。

 ただ、こいつには、この二つの仕事だけは絶対にやり遂げてもらわねばならない。あとはどうなってもいいのだ。


 いや、『どうなってもいい』は言い過ぎか。

 正確には、体さえ無事ならいい。いざとなれば望むタイミングで出国できる条件と、国内での行動の自由さえ確保できれば……


 なぜなら、こいつは殺すからだ。


 肉体を奪う。と同時に、身分も奪う。

 そしてそれを、アイドゥスに与える。あくまで一時的に、だ。同時に、彼本人の肉体は、捨ててもらう。

 できれば、次はジェゴスの肉体に乗り換えてもらう。プレッサンの肉体は、また捨てる。あとは教皇になるなり何なりしてもらう。もしうまくいかない場合でも、プレッサンの体で出国させる。


 もちろん、リスクは大きい。俺の秘密を知られてしまうのだから。

 だが、そうでもしなければ、目的に辿り着けない。


「わかったら急げ。もう何日もないぞ」

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