愛人は亜人

 灰色の空。靄がかかっていて、何も見えない。

 空気はしんと静まり返っていて、動くものの気配が一切ない。そこまで冷え切っているのでもないが、肌を刺すようだ。

 俺は、白い石材のようなもので構築された、大きな半球の底に寝転んでいる。


 ここはどこだろう?


 内心の問いに、誰かが答えた。


《ここ》


 ここ?

 ここはどこだと尋ねているのに。


《ここ、このすぐ下が私》


 下?


《このすぐ下がお前》


 私? お前? どっちだ?


《はやく》


 声に苛立ち、俺は背中のほうへと振り返る。途端に視界が白一色になり、眼前に迫る。


『うっ!?』


 何かが俺の顔を包み込む。途端に息苦しくなる。何も見えない。何も聞こえない。それなのに、意識は遠く離れ、世界を半周して、俺を正面から見据える。


 灰色の空間に浮かぶ、白い顔……仮面!


「うああっ!?」


 布団を撥ね退け、身を起こす。

 夢だった。久しぶりに見た。あの仮面の夢を、また。


 本当に気持ち悪かった。いったいなんなんだ、あれは……


 ……と息をついた瞬間、また別の気持ち悪さを感じた。

 今度は空想じゃない。


 誰かがいる。近くに。


 呼吸を鎮め、視線を室内に巡らせる。誰の影もない。だが、気配を感じる。体温を感じる。

 壁の向こう側?


 そう思った瞬間、何かがさっと退いていくような気がした。


 すっきりしないが、これだけだった。

 何も起きなかった以上、俺は今日の予定に備えなければならない。


 名所巡りを強制される毎日から一転。今は別の意味で忙しい。毎日、馬車でどこかに連れて行かれる。散々見飽きたプレッサンの顔も、近頃はとんと見かけなくなった。

 トリエリクに呼ばれたのが昨日、そして今日はなんと、この国の事実上の最高権力者であるジェゴス枢機卿の自宅に招かれている。


 灰色の壁をくりぬく焦げ茶色の大きな扉。それが大きく開け放たれる。馬車はそこに滑り込んでいく。

 庭の入口を通り抜け、背後で門扉が閉じられると、すぐさま馬車も止まった。


 枢機卿でも上位の身分となれば、遠慮など無用なのか。実に立派なお宅だ。

 面積の限られた市域の中に、広大な庭園が広がっていた。庭の中心には大きな池があり、そこに橋がかけられている。ところどころ、冬場でも枯れない緑の草花がちらついているが、視界を遮る樹木はほとんどない。それらは壁際に一定間隔に立ち並ぶばかりだ。そして、木々の間に垣間見える外壁のこちら側には、精緻を凝らした浮き彫りが見えた。

 池の向こうには、真っ白な長方形が佇んでいた。この巨大なお城みたいなのが家なのだ。相当な大きさだが、壁面を彩る水色のラインが重苦しさを取り払っている。陸屋根で、手前には大きなテラスもあり、そこから下へと階段が伸びている。そのすぐ下にはタイルが敷き詰められていて、上品な椅子やテーブルも置かれていた。


 駆け寄った白衣の僧侶が、無言で一礼する。俺も察して、彼の後についていく。挨拶するとなれば「罪びと」の一言を添えずには済まないが、それは外国からの客人を招くには適当ではないからだ。


 橋を渡り、対岸のタイルを踏む。そのまま、美しい庭を一望できるテーブルについた。

 それほど待つこともなく、上から足音が近付いてくる。俺は立ち上がった。


「やぁ」


 鼻にかかった声。白いローブを身につけたジェゴス師が、目の前の階段を降りてきた。隣には、緋色の僧服に身を包んだミディアもいる。


「お招きいただき、ありがとうございます」

「ああ、いい、いい」


 堅苦しい挨拶など不要、と彼は手を振った。

 仕草で促されて、俺は椅子に座り直した。


「あふう」


 なにせ小太りの老人だ。少し歩いただけで疲れてしまったのか、乱暴に腰掛けると、荒い吐息をついた。


「あぁ、それで? ファルス君、わしはいろいろ君に訊きたくて呼んだんだよ」

「は、はい」


 身を乗り出すようにして、ジェゴスは言った。

 なんか苦手だ。押しが強くて、マイペースで……別に暴力を振るわれるとか、そういうわけではないのだが、なんとなく高圧的というか。


「君のね、身元はもうわかってる。遠いところからわざわざどうもね」

「とんでもございません。猊下にお招きいただけるとは、望外の」

「それで何しに来たの?」


 それは聖女……いや。


 ミディアの差し金か。

 いったい何がそんなに引っかかるんだ。


「誰のため? タンディラール王? それともまさか、ミール王?」

「いいえ」

「おかしいんだよ。だいたい君みたいな子供がさ、一人でわざわざ……怪しいったらないのにさぁ。それが思想犯と二人きりで会ってたなんて、なんかあるんじゃないの? ね?」


 クララの件か。しかし、彼女も俺も、政治的な目的など持ち合わせていない。


「猊下には誤解されてしまったのかもしれませんが」


 俺はなるべく静かな声色で、恭順そのものの態度を示した。


「あれは、ピュリスの司祭であるリン・ウォカエーからの伝言を預かっていたので、出向いただけのことです」

「へぇ、じゃあ、なんて伝言?」

「お元気か、お変わりないか、という程度です。遠くにいる友人を気遣ってのことでしょう」

「ふーん」


 椅子の背凭れに仰け反って、ジェゴスはしばし考えた。


「だってさ、ミディア」

「ですが」

「あーあー、わかる」


 俺を指差し、彼は言った。


「君さ、わざと?」

「は?」

「だからさ。わざわざ問題起こして、わしらをおびき寄せたわけ?」

「い、いいえ?」


 いきなり何を……


「だってさぁ、エスタ=フォレスティアでは王様から直接腕輪をもらってるし。アルディニアでもミールから金の冠をかぶせてもらったんでしょ?」

「それは、はい」

「いちいち騒ぎを起こして、偉い人に取り入ろうとしてるんじゃないの?」

「そんなことはございません」

「はっ」


 否定はしたが、信じてはもらえなかったようだ。ジェゴスは、いやらしい笑みを浮かべている。


「ここにいるミディアもさぁ、次の教皇だから」

「ジェゴス様、そのような」

「うまいことやったね。顔は覚えてもらったし、あとは取り入るだけだな」


 そういう捉え方をするか。

 人は誰しも、自分を基準にものを考える。権力が大好きなジェゴスだから、ファルスも同じ目的を持つのだと勝手に思い込む。


 それに、そういえば……この前、ミディアと二人きりで会った時、俺は何を喋った? わざわざ有力者の知り合いがこんなにもいるぞとアピールしたんだっけか。

 あの時は、あれで仕方がなかった。けれども、その代償を今、支払う破目になっている。


「そら、ミディア」

「はい」

「教皇になるんだったら、ちゃんと先々のことを考えておかないとな? 君は何をしたいんだっけか」

「それは」


 若干の戸惑いを表情に出しつつも、彼女はそつなく答えた。


「なんといっても、風紀の乱れを正すことです。せっかく女神と聖女の導きがあるのに、まだまだこの国は、不正を暴ききれていません」

「うんうん」

「私達の使命は、地上に神の正義を実現すること。仮初のものでしかない人の身の幸せなどに囚われず、正義をこそ目指さねばならないのです」


 うっわぁ……

 こいつ、リンとは違って、本物のガチガチのセリパス教徒、なんだろうな。

 これ以上締め付けを厳しくしますって、それ、誰が得するんだ。というか、得しちゃいけないのか。


「うん、まぁ、一般向けには、それでいいよね」


 いやらしい。

 つまり、我々特権階級は、また別だと。

 ある意味、正しい態度ではある。ルールは、それを決める側と、守る側とがあるものだ。どちらがより恩恵を受けるかは、言うまでもない。


「猊下、これは強く申し上げておきたいのですが」

「なに」

「どうあれ、僕は誓って教国に仇なす者ではございません。それだけは」

「ふうん、まぁいいや」


 興味なさそうにそう言うと、彼はパン、パンと二度、手を打ち鳴らした。


「それよりさ、ファルス君」

「はい」

「君、貴族の知り合いも多いみたいだし、あの手のことにも詳しいよね」

「あの手、とおっしゃいますと」


 俺には答えず、ジェゴスはニヤつきながら、ミディアに言った。


「知ってるか、ミディア」

「はい?」

「ここにいるファルス君は、なんと奴隷の境遇からなりあがって騎士になったそうだ」

「はい、それは」

「それで騎士になる前は、何をしていたか知っているか?」

「いいえ」


 まさか……


「すごいよなぁ。七歳かそこらで、娼館の元締めだったなんて。はぁっはっはっは!」


 ……これは痛い。

 この国では特に。


 横に座っているミディアも、目を丸くしている。そんな不潔な奴と同席してるだけでもバイ菌がつく。

 汚らわしいでは済まない。頭から大量の糞尿をひっかぶった瞬間に「汚い、汚い」と騒ぐ余裕があるだろうか? 喩えるなら、そんな感じだ。ただただ唖然として、硬直している。


「すっ、少し、誤解がございます」

「んおお?」

「僕はただ、虐待されていた女性の奴隷達を引き取っただけで……」

「ああ、いいよいいよ、ごまかさなくても。もう死んだけど、あのラスプ・グルービーともお友達だったんだろう?」


 俺の人生を悪いほう悪いほうへと解釈すると、こんなことになっちゃうのか。たまったもんじゃない。


「それで……それなら、わしの趣味についても、わかってくれるんじゃないかと思ってねぇ」

「ご趣味、ですか」


 嫌な予感しかしない。


 背後の階段から、控えめな足音がゆっくり、ゆっくり近付いてくる。その軽い足取りから、女性のものとわかる。

 こんなの考えるまでもない。ジェゴスの愛人がここにやってくるのだ。


 ちっ、このドスケベオヤジ、いったいどんな趣味を……


 視線を上げた瞬間、俺は表情を失った。


「あおっ……?」

「フフフ」


 自慢げにジェゴスは笑った。

 それも無理はない。こんな珍しいものが、ここにいるなんて。


 身につけているのは紺色のメイド服。それに白いエプロン。遠目には、普通の女性にしか見えないだろう。だが。


 まず、目に付くのが髪の毛だ。髪型自体は普通で、ショートカットにまとめられている。ただ、その色が異様だ。薄い水色。一瞬、そういう色のスカーフかと思ったのだが、違った。こんなアニメかコスプレみたいな色合いの髪は、この世界に生まれてからは一度も見たことがなかった。

 それから、耳。これも冗談みたいに尖っていた。角度的にはこめかみに届かないが、それくらいの長さにまで達している。

 目鼻立ちは整っていて、肌も色白。見た目の年齢は二十歳前後だ。一般的な基準でいえば、ほっそりした美女、か。ただ、その容姿を誇る様子はなく、少々気弱そうに見える。

 瞳の色は、髪と同じ水色。その視線は虚ろで、階段を降りているのに、まっすぐ前しか見ていない。


 こいつは……


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 マルトゥラターレ・スヴァーパ (28)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク5、女性、141歳)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク4)

・アビリティ 水中呼吸

・アビリティ マナ・コア・水の魔力

 (ランク5)

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  3レベル

・スキル シュライ語  4レベル

・スキル ルー語    5レベル

・スキル 水魔術    7レベル

・スキル 風魔術    4レベル

・スキル 料理     3レベル

・スキル 裁縫     3レベル


 空き(16)

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 ……人間じゃない。

 南方大陸の大森林の奥地に、ごく僅かに生き残っているとされる亜人。というより、魔物の一種と認識されている。


 かつては魔王イーヴォ・ルーが南方大陸を支配しており、そこには大勢の人間が暮らしていた。その人々に混じって、この手の亜人も住処を得ていた。今では信じがたいことだが、人間と亜人は共存していたのだ。

 亜人には優れた異能が備わっているとされ、頭数こそ多くはなかったものの、それは魔王軍の強力な戦力の一つだった。

 しかし、ギシアン・チーレムによる征服後、魔王は滅び去り、亜人もまた逃げ惑う側となった。彼らは深い森の奥に隠れ住み、追いすがる女神神殿の戦士達を振り切ろうとした。それから一千年、今では亜人を見かけるなど、ほぼなくなった。南方大陸にほど近いピュリスにおいてさえ、亜人が持ち込まれるのを目にしたことはなかったのだ。


 それがここにいる。

 こんなの、いくら探したって、金を積んだって、そうそう手に入るものでもない。


「いいだろう」

「い、いいって」

「だが、もう十年は使っている。そろそろ飽きがきていてなぁ」


 気持ち悪い。つまり、そういう話か。

 この小太りハゲオヤジの愛人を務めているのは、彼女なのだ。

 確かに、いろいろ好都合かもしれない。まず、奴隷ですらない魔物扱いなので、身分から解放される可能性がない。また、人と亜人の間には、子供もできないらしい。つまり物的証拠が残らない。


「その、猊下」

「あん? なんだ」

「その……恐れながら、女性に触れるのは、その、戒律からすると」


 ここまで降りてきたマルトゥラターレは、お盆を捧げ持っていた。その上には、人数分のティーカップとポットが載っている。

 彼女は、相変わらずこちらを見ずに、しかも器用にもそれらを俺達の前に置いていく。


「なんだ、そんなことか」


 呆れた、と言わんばかりに笑い飛ばすと、彼はおもむろに手を伸ばし、マルトゥラターレの尻を触った。

 いきなりの破廉恥な振る舞いに、しかし彼女の表情が乱れることはなかった。淡々とその場に立ち尽くしている。


「問題ない。こいつは魔物だからな。女じゃない」

「い、し、しかし、言葉も通じるんでは」

「あぁ? もちろん。おい、マルトゥラ」

「はい」


 消え入るようなか細い声が返ってきた。


「スカートをからげろ」

「はい」


 えっ、嘘だろ……と思う暇もなく。

 彼女は躊躇も見せずにスカートの裾を摘みあげた。白い太腿、下着が見えている。俺は目を逸らした。


「うん、どうした、ファルス君」

「いえ、その、これは」

「せっかく君に見せてやろうと思ったのに」

「さすがにこれは」

「なんだ? 汚いモノを見せるなってか? はははっ」


 汚いのは、彼女の体ではない。こうして嬲り者にするジェゴスの精神だ。それとも何か、彼女に恨みでもあるのか?


「なかなか形はきれいだろう」

「は、はぁ」

「だが、こいつはいかんのだ」

「それはまた、何が」

「面白くない。楽しませるってことを、わかってない。なんでもハイハイ、だ」


 下着を見せたままの格好で硬直しているマルトゥラターレに、ジェゴスは乱暴に言い放った。


「おい、いつまで汚いものを見せている」

「申し訳ございません」

「これは罰が必要だな」


 そう言うと、ジェゴスはのっそりと立ち上がった。

 止める間もなく、平手打ち。乾いた音が響き渡り、彼女は簡単に傾いで、横ざまに倒れる。


「猊下!」


 俺は慌てて立ち上がった。


「なんだ」

「危険です!」


 何を考えているんだ。それとも、彼女の力を知らないのか?

 水魔術のレベルが7、それに加えてランク5の魔術核まで取り込んでいる。つまり、強力な術を触媒なしに短時間で発動できるのだ。どんな魔法を行使できるのかまではわからないが、その気になれば、ジェゴスくらい簡単に殺せてしまう。


「はっ……何もできやせんよ、この売女は」

「いっ、いや、でも」


 しかし、ジェゴスの言う通りだった。

 いきなりの打撃から立ち直った彼女は、よろよろと立ち上がろうとするばかり。表情には怒りの一つもなく、抵抗の意志などまるで見えない。


 思わず、俺は彼女に手を差し伸べた。

 指が触れた一瞬、驚きの表情を浮かべるも、大急ぎで立ち上がると、すぐ俺の手を離した。


「それでなぁ、ファルス君」

「な、なんでしょう」

「こいつは悪くないが、もう飽きたんだ」

「は、はい」

「フォレスティアには、高く買ってくれる貴族はおらんのか」


 そういう話か。

 だが、誰なら欲しがるというのか。


 タンディラールが買う……あまり想像がつかない。彼が女に不自由するはずもないし、もしそういった欲求があるにせよ、こんな危険な愛人を傍に置きたがるはずもない。

 フォルンノルドやエルゲンナーム。どちらもナシだ。父親のほうはもう枯れていそうだし、息子のほうはそれどころではない。嫡男を得なくてはならないのに、魔物の体を愛でている余裕などあるはずもない。

 ゴーファト。論外だ。彼は少年しか愛さない。アッセンは? 彼のことは詳しく知らないが、多分買わないだろう。もしかすると、今は亡きオディウスだったら、欲しがったかもしれない。


「ちょっとすぐには……あの、おいくらくらいで」

「金貨百万枚くらいあれば」

「それはちょっと」


 日本円相当で百億円くらいの値打ち。とんでもないふっかけだ。

 そんなにあれば、土地でも買って地代だけでいくらでも女を侍らせておける。愛人としての実用性からすると、あまりに割高ではないか。

 もっとも、マルトゥラターレの有する能力はそれだけではない。恐らく人間より長寿だからずっと若いままの姿を楽しめるし、強力な魔法だって使いこなせる。フル活用できるなら……でも、やっぱり金貨百万枚は高い。

 俺? グルービーからの遺産をつぎ込めば、手が届かないでもないが、さすがにちょっと……


「売っておけばよかった」

「あてがあったんですか」

「五年くらい前に、どこから聞きつけたのか、ラスプ・グルービーが売ってくれと手紙を送ってきたな。その時は値段が折り合わず、やめになったんだが……今思えば、他に買ってくれそうな奴はおらんかった」


 あ、危なかった。

 凄腕の傭兵達に加えて、リザードマンや劣化トロールまで従えていたところに、更にこんな魔法使いが控えていたら。コラプトでの戦いで、きっと俺は死んでいた。


「さすがにそのお値段ですと、手を出そうという貴族の方は……」

「君」

「はい」

「なんなら、君が預かって、国に持ち帰ってくれんかね。で、売れた金額をわしに寄越す、と」

「はぁあ!?」


 無茶なことを。

 そんな責任、取りたくもない。


「ご無理を。いくらなんでもそれは」

「値段は、多少割り引かれても許してやる」

「い、いえいえいえ! そんな、だからって」


 金貨百万枚で売りたい、なんていう高級品を、信用だけで俺が預かって、帰国してから売る?

 面倒というだけではない。責任が重過ぎる。


 それに……


「駄目か」

「ジェゴス様、恐れながら、この……こちらの方には、問題が」

「なに」

「もしかして、目が見えていないのでは」


 俺が指摘すると、彼は苦々しく唇を噛んだ。

 図星だったか。まぁ、見ていればこれくらいはわかってしまう。

 とすると、この視覚障害が、彼女の反逆を抑止しているのだろうか。


「仕方ないだろう。わしが買った時にはもう、こうだったんだ。百年以上前に捕まった奴らしいが、だいたいこういうのはまず、目を薬で潰す。そうしないと暴れるからな」

「なんという」

「だが、メイドの真似事くらいはさせられる。それ以上の実用性があるかとなると……まぁ、最悪、貴族が買ってくれないなら、あちこちの街で見世物にするか、珍しさをネタに高級娼婦にするか、そんなものだろうがな」


 およそ聖職者の言い草とも思えない。

 汚い言葉を控えるという戒律は、どこへ行ったんだろう?

 それ以前に、こんな不潔な振る舞いを前に、どうしてミディアは沈黙を守っているのだろう? 風紀を正すんじゃなかったのか。


「その、ですが、安全でしょうか」

「あん?」

「亜人というのは、異能を身に備えているといいますから」

「はっ……今、見ただろう? この根性のなさ。こいつのいいところはな、なんでも言うことを聞くことと、見た目がまぁまぁなところだ。あとはまぁ、珍しさだな」


 散々な言われようだが、マルトゥラターレは目を伏せたまま、まったく反抗心を示さない。


「その珍しさだけで、その高値を出せる人は、残念ながら」

「はぁ……」


 溜息一つ。

 ジェゴスは手を振った。


「しょうがない。マルトゥラ、下がっていろ」

「はい」


 唯々諾々として。

 彼女は一礼すると、その場を後にした。

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