紫はネズミだから四角くて痒い

 そろそろ迎えの馬車が来る。身支度も済んでいる。だが、俺は落ち着きなく荷物をまさぐり続けていた。


「なんだ? おかしい……」


 監視されているらしいとは承知している。不在の間に荷物を検査されているのも。なにせ、宿舎からしてみんなグルだ。プライバシーもセキュリティーもあったもんじゃない。

 ただ、あくまで教国側の目的としては「巡礼が変なものを持ち込んでいないか」「勝手に何かを持ち出そうとしていないか」を調べるところにあるはずだ。その意味では、俺にやましいところさえなければ、危険や損害など、あるはずもなかった。


「……六、七、八、九……やっぱり合わない」


 数えているのは、金貨の枚数だ。

 最初、この街に入った時点では、背負い袋に金貨八百枚、ポーチに百枚と、あとは小銭がある状態だった。そこでまず、市内に立ち入るに際して五十枚を寄付、続いてクララとドーミルに手紙を手渡すため、それぞれ金貨百枚ずつを差し出した。つまり、マイナス二百五十、残り六百五十枚ある計算になる。

 ポーチの中の金貨は、最初の五十枚以外、増えも減りもしていない。外出時にも手放さないし、寝る時でさえ枕元に置いている。但し、リュックのほうは別だ。残り六百枚ちょうどのはずだ。それなのに。


「ちょうど十枚だけとか」


 俺が数え間違った? それとも、盗まれた? だが、それはおかしい。


 なぜなら、この聖都には「商店がない」からだ。個人がお金を持っていても、遣える場所がない。食べ物も飲み物も直接には購入できない。なにせ、あらゆる物資の搬入、搬出が当局に握られているのだ。この街に暮らす人は、普段は配給で生活しているし、特別に何か欲しい場合には、自分に与えられた給与の分を教会の担当部署に確認してもらって、あれとこれをください、と申請する。

 この申請システムがポイントだ。お金を与えるのも教会、それを預かって購入に充てるのも教会だから、この街で暮らす人々は、旧貴族などの例外を除けば、現金を持たない。彼らの稼ぎは、当局の帳簿上にしかない。これを現金化する機会があるとすれば、それは聖都を去る時くらいのものだし、その手続きもまた、記録に残ってしまう。教国の他の地域と違って、ここでは通貨の居場所そのものがない。

 要するに、盗んだ金貨があっても、消費するチャンスがないのだ。それどころか、窃盗の動かぬ証拠になってしまう。


 だから、理屈が合わないのだ。第一、金があったって何を買うというのか。生活に必要なものは、すべて揃っている。物資の補給先として、聖都はこの国のどこよりも優先されている。一方で、一般人の贅沢は制限されている。ちょっといい物を手に入れると、悪い意味で目立つのだ。

 ここでは、金はなくても困らない。だが、あると困ったことになる。なのに、どうして盗むのか。いや、そもそも本当に盗まれたのか? どうせ盗むなら、いっそ丸ごと盗んでしまえばよさそうなものなのに……だから自分でもわけがわからなくなってしまった。


 もういい。時間がない。

 ベレハン男爵と会ってから二日。彼の厚意で、俺はドーミル師の邸宅を訪問する予定になっている。

 そろそろ宿舎の前に馬車が到着する頃だ。


「このようなところに、わざわざ閣下自ら足を運ばれるとは」

「徳高く尊い方の居場所というのは、どこであっても宮殿にさえ勝るというものです」


 聖都の一戸建てというのは、僅かな例外を除き、どこも閉鎖的な造りをしている。外壁は代わり映えのない灰白色。それが隙間もなく、平らな壁面を道路に向けている。それが門をくぐって内側に入ると、日陰に低木や草花が申し訳程度に植えてある。季節のせいもあるが、どれもいじけた姿をさらしていた。

 狭い庭の向こうに、屋敷の正門がある。観音開きの堂々たる金属製の扉も、今は開け放たれている。これを見た時の第一印象は、これじゃ屋敷というより、むしろ牢獄なんじゃないか、というものだった。


 傍仕えの若い聖職者が、顔を歪めている。身分ある人物の面会希望だったから、拒否できなかった。できれば来て欲しくなかったのだ。それがありありと表情に出ている。


 ドーミル師は高齢で、今は彼を含む数人の聖職者やその見習いに囲まれて生活しているという。要は介護されている。

 高位の聖職者の傍仕えというのは、本来なら割といい立場だ。主人の権勢を当てにできるし、その分、待遇もよくなる。しかしそれだけに、もし主人が地位を失ったら、巻き添えになってしまう。

 そしてドーミルには、あくまで噂だが、疑惑がある。重度の認知症で、日常生活もままならないほど知的能力を喪失している、というのだ。これが事実として知れ渡ると、枢機卿から解任される可能性が出てくる。国家の大事、信徒の未来を、ボケ老人に委ねるわけにはいかないからだ。


「こちらです」


 言葉少なに、彼は奥の間へと案内する。俺と男爵、それにクルドゥンが後に続く。


 奥の間は、三階までぶち抜きの部屋だった。本棚が左右に並べられ、一部は二階部分の天辺に届くほどの高さにまで達している。その上には窓があり、室内に光を取り込んでいた。入って正面の壁には、セリパス教の聖印が描かれた布がかけられている。部屋の中央には椅子とテーブル、そして焦げ茶色の絨毯が敷いてあった。

 その椅子に腰掛けている人物。それがドーミル師なのだが……


「あう、ああ……あ?」


 白いヒゲは伸び放題。といっても、ボサボサになるタイプではなく、長さは二センチもない。口の周りにだらしなく纏わりついている。顔もシワシワで、目だけが妙に血走っている。頭にはフードのようなものをかぶっていて、服はダボダボの白いローブだ。しかも、あちこちに汚いシミがある。


「あ、あの……お客様、です」


 若い僧侶がそう言うが、ドーミルは小刻みに震えながら、怯えるような視線を向けるだけだ。


「お初にお目にかかります。リック・ヴァリネマット、ベレハン男爵です」


 男爵は、礼儀正しく頭を下げた。だが、ドーミルはビクッと身を縮めて、椅子の中に沈み込んだ。もちろん、返事も何もない。

 と、後ろから鋭い足音が近付いてくる。早足で駆けつけたメガネの若い男が、俺達には挨拶もなく、いきなりドーミルの横に張り付き、耳に何事か囁きかけた。すると、ドーミルは俺達を見た。


「おう、おう」


 言葉になっていない。

 だが、横に立った男が「翻訳」する。髪は七三分け、顔立ちはキリッとしていて、いかにも秀才といった風情の青年だ。


「ようこそおいでくださいました、私がドーミルです、お会いできて光栄……とのことです」


 そんなこと、言ってないだろう?

 勝手に創作しているような。


「あ、あの」


 さすがにこれには、男爵も当惑を隠せない。


「申し訳ございません」


 メガネの男が頭を下げた。


「師は、意識こそはっきりしているのですが、どうにも近年、体の衰えが激しく、しっかり話すことができないのです」

「そう……ですか」

「ですが、皆様のことはちゃんと把握しておいでです。私はこうして、すぐ近くで師の言葉を聞き取っておりますので、理解できています。問題はございません」


 いやいや。問題ないって。無理あるだろうに。


「それで、あの、あなたは」

「申し遅れました」


 メガネの男は、改めて頭を下げた。


「私、ドーミル師の秘書を務めておりますハッシと申します。ご無礼をご容赦ください」


 なるほど、番頭さんか。

 師のボケが表沙汰にならないよう、必死で守る役回り。いずれドーミルも老衰死はするが、その前にここにいる聖職者達の次の居場所を見つけてやらないといけない。


「では、ハッシさん」


 気を取り直した男爵が問う。


「はい」

「私達は師にいろいろお尋ねしたいことがございまして、こうしてやってきた次第です。よろしければ、お体に差し障りのない程度にお付き合いいただけると嬉しいのですが」

「承知致しました。構いません」


 これ、答えるのは全部ハッシなんだろうなぁ。

 まったく、これじゃあ……


------------------------------------------------------

 ドーミル・ヴァコラット・シフィリス (60)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク4、男性、60歳)

・スキル ルイン語   7レベル

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 政治     6レベル

・スキル 管理     5レベル

・スキル 光魔術    4レベル

・スキル 治癒魔術   3レベル

・スキル 医術     4レベル

・スキル 薬調合    4レベル

・スキル 絵画     3レベル


 空き(50)

------------------------------------------------------


 んん?

 なんだか能力が高い気がする。ここまでボケてたら、もっと肉体のランクが下がっていてよさそうなものだが。ただ、このランクというのも、割と曖昧なところがある。例えば彼の場合、頭だけがよくなくて、胃腸や心臓は元気そのもの、足腰も壮健なのかもしれない。


 あと、気になった点としては、フルネームか。

 こいつも旧貴族出身らしい。考えてみれば当然だ。


 教会組織の上位に居座るのは聖職者のみ。彼らは子孫を持たないので、実子への世襲はできない。しかし利権というのは、信頼できる者から信頼できる者へと、お互いにキャッチボールを繰り返すことでキープできるものだ。

 旧貴族の権利を制限した教会だったが、その上層部にいたのも、やはり貴族出身者だったのだ。そして、甥っ子や姪っ子の中からできる子を選び出しては、次の幹部にする。そうなると、一族はみんなその高僧にひっついて生きていく。もちろん、後押しもする。

 ミディアは「誰もが司祭になれる」といったが、実態はこんなものだ。だいたい、組織の浄化ができているなら、こんな国になっているわけがない。


 俺の横では、男爵が宗教上の質問を繰り返してくれている。本当の目的は、あくまで俺の手紙がどうなったかを確認するところにあるのだが、それをストレートに口に出したくない。あくまでオマケということで、さりげなく聞き出そうとしてくれているのだ。本当に頭が上がらない。


「……なるほど、さすがはドーミル様」

「いえいえ、閣下もよく学んでおいでですね。これであれば、今すぐ司祭になられても務まるほどですよ」


 もはや通訳という建前さえ投げ捨てて、ハッシはそのまま男爵と話してしまっている。その間、ドーミルは虚ろな目で、俺をじっと見つめていた。だが、俺がそれに気付いて視線を合わせると、途端に声をあげはじめた。


「あー、あー」

「あっ、どうなさいました」

「うー、あー」

「ああ」


 気を取り直したハッシは、俺達の後ろに控えていた若い僧侶に指示を飛ばした。


「猊下は喉が渇いたそうです。何か飲み物を」

「はい」


 すぐさま小さな水差しが持ち込まれ、コップに水が注がれる。


「さ、お気をつけて」


 言葉が聞こえているのかどうか。ドーミルはコップを持ち上げて、飲み始める。だが、微妙に力加減がおかしいのか、口の横から水が漏れてくる。ポタポタと水滴がローブの上に落ちる。


「ああ」


 慌てたハッシの横に、また若い男が駆けつける。手にしたタオルで、汚れを拭き取った。


「あっ」


 スルリとコップが滑り落ち、残った中身を盛大にぶちまけた。

 もはや血相を変えた別の僧侶が、慌ててモップを手に駆けつける。三人がかりでバタバタと後始末だ。なんというか、これは。


「だ、大丈夫ですか」

「あ、ああ、はい。少し手元が狂っただけです。師は健在ですから、ええ」


 ハッシはメガネの位置を直しながら、若干上擦った声でそう答える。


「……そういえば」


 これはもう、長居出来ないと判断したのだろう。男爵は、俺をちらりと見下ろした。


「こちらのファルス君は従士なのですが、志あってこの国に学問を求めて参りました」

「それは殊勝な心掛けですね」

「ええ。それで偶然、彼の滞在を知りまして。以前、縁があったものでこうして連れてきたのですが、なんでも聞いたところによれば、彼はピュリスの司祭から手紙を預かってきたとのこと。既にお届けしたはずですが、ぜひともお返事を持ち帰りたいと望んでいるようでして」


 さあ、どう答える?


「そちらの件ですね。もちろん、師は手紙を受け取り、確認しております」


 お前が一人で確認したんじゃないのか?


「多忙につき、文書でお返事できておらず申し訳ございません。口頭でお伝えします。……日々、信徒のために尽くしているようで何より。そのまま努力を重ねるように。こうお伝えください」


 適当すぎる。

 リンは手紙に何を書いたんだ? 俺への助力はどうなった。いや、もうそれどころじゃないからか。


「あの」


 俺は初めて口を挟んだ。


「はい、何でしょう」

「できれば、師の言葉をそのままお伝えしたく」


 これじゃあ、何しに来たか、わからないじゃないか。手紙も無意味だったということか?


「は、はぁ……」


 目を泳がせながらも、ハッシはドーミルの背中をさすって促す。


「では、師、あの、何か一言……」


 だんだんと小声になる。

 ドーミルが黙っているせいか、だんだんと室内の温度が下がっていくような気がした。


「……ミ」

「ミ?」


 しゃがれた声が、ドーミルの口からかすかに漏れた。


「……紫はぁ」


 紫? 紫色? パープル? それがどうした?


「ネズミだからぁ……四角くて、痒いぃ……」


 それだけ呟くと、ドーミルは顔を伏せてしまった。

 ふと横を窺うと、ベレハン男爵は口をパクパクさせていた。無理もない。


 リアクションに困る。

 なんだこれ。全然わけがわからない。


「あー、あー」

「ああ、申し訳ございません、閣下」


 ドーミルは、ハッシの袖を引きながら、何事かを主張していた。


「そろそろ師はお疲れのようで……大変失礼ながら」

「い、いえいえ……長い時間、どうもありがとうございました」

「そこまで私がお見送りさせていただきます」


 ハッシは先に立って、俺達を門のところまで連れ出した。


「今日はわざわざお越しくださいまして、ありがとうございます」

「心温まる、楽しい語らいの時間を持てました。感謝します」


 心無い虚ろな言葉のやり取り。もはやギャグだ。

 しかし、この冗談みたいなやり取りに、ハッシ達若い僧侶の命運がかかっているのかと思うと。


 最後に、そっとハッシは言い添えた。


「……このことは、どうかご内密に」

「ええ」


 男爵は頷き、馬車に乗った。


 一度、男爵の邸宅まで向かい、そこで俺は挨拶だけして、宿舎に送ってもらった。プレッサンを同伴せずに自由に街を歩く権利がないらしく、男爵の馬車に送迎してもらう他なかったのだ。

 しかし、これは困った。ドーミルはボケている。よしんばそうでなかったとしても、今日のあの態度。手助けなんか、まず期待できない。

 一応、男爵は更なる後押しを約束してくれた。ドーミル師がダメなら、他の有力者と仲良くなればいい、というのだ。


 聖都に滞在できるのも、残り二週間。

 先行きはまだ、見えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る