枢機卿からの呼び出し

 半ば達成、半ば失敗。

 これで本当に意味はあったのか?


 自室の机に突っ伏しながら、俺は溜息をついた。

 プレッサンにドーミル師への手紙を託し、届けてもらった。またもや金貨百枚と引き換えに。クララとの面会とは違って、こちらは嬉々として引き受けてくれたが。

 しかし、結果は芳しくなかった。手紙こそ受け取ってもらえたものの、「お見舞い」の許可は下りなかった。


 そうなると、クララが教えてくれた突破口は、もうエスタ=フォレスティア王国の大使とやらに限られる。しかし、現時点では名前も知らないのだ。一応、タンディラールが政権を奪取したからには、直接俺の敵になるような人は残っていないはずだが、変に唾をつけられるのもごめんだし。


 というわけで、今日の午後は宿舎で休養と相成った。金を惜しまずバンバンばら撒くようになってからは、無理に授業を詰め込まれることはなくなった。

 プレッサンは、きっと俺に信仰心がないことを承知している。それでも最初は頑張って洗脳しようとしてきたのだが、効果があまりないとわかると、今度は集金に走るようになった。これはこれで実績になるし、彼としては構わないのだろう。


 それにしても、この短期間で金貨二百枚。切り詰めれば一家が一年暮らせるくらいの金額が飛んでいった。手持ちの資金は残り六百五十枚。まだまだ潤沢だが、この国にいる限り、搾取は止まらないだろう。この先、どこで何があるかわからない。あとあと金策に苦労する可能性もある。


 もういい。廟堂を調べて、見るべきものを見終えたら、二度とこんな国には来ない。

 今日はのんびり過ごそう……


「ファルス様」


 ……と思っていたら、扉の向こうから、聞き慣れたプレッサンの声が。

 なんなんだ、いったい。


「枢機卿より、面会の申し込みが」


 ガタッ、と椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。

 やった! やった!

 思わずガッツポーズ。さすがはリン! あの分厚い封筒に何が仕込まれていたのかは知らないが、とにかく効果があったのなら。ピュリスに帰ったら、最高の料理を振舞ってやろう。


「今からですか」

「はい。できればですが。送迎の馬車がこちらに参っております」


 翼があれば飛んでいきたいくらいだ。いい。いいね。


「すぐ行きます!」


 鼻歌交じりに外に飛び出した俺は、勢いよく馬車の後部座席に身を投げた。後からついてきたプレッサンは、のそのそとやってきて、俺の横にドサリと座った。ああ、もう、じれったい。


「では、行きましょう」


 その声を受けて、馬車がカポカポと走り出す。


「ファルス様、事前にご注意申し上げますが」

「はい」

「くれぐれも失礼がないよう、お願い申し上げます。特に、あまり近寄りすぎないこと。体が触れるなどもっての他ですから」

「は? はい?」

「ことにミディア師は、まだうら若い身の上。何かあれば、大問題となります」

「ミッ?」


 ミディア? 誰だ、それ。

 ドーミルじゃなかったのか。


 ……あっ。


「もしかして」

「はい」

「あの、ジェゴス師の隣にいらっしゃった」

「そうです。あのミディア枢機卿のことです。去年、聖教会議にて認められて就任したばかりのお若い女性の方ですよ」


 なんで? 俺、何かした? 遠くからちょっと見ただけなのに。

 まさかそれだけでセクハラとか……いや、でも、この国だし、ないとはいえないか。けど、そういう理由で呼び出すのなら、本人が会う必要はない。というかそんなの、自分から痴漢と面談するようなものだ。神殿騎士に俺を連行させれば済む話なのだし。


 とにかく、ポジティブな話とは限らない。俺の中で一度は膨れ上がった期待が、みるみるしぼんでいった。


 馬車が止まると、そこは中庭の入口だった。

 周囲を灰白色の建物に囲まれた空間ではあったが、その内側には、ここ数日見かけることのなかったものがあった。緑だ。暗い色合いの常緑樹が庭の隅にいくらかと、花壇に多年草らしき草花が植えられている。季節柄、これ以上の彩りは期待できそうになかったが、今の俺には充分に好ましく映った。

 中庭の真ん中を飾るのは、茶色を中心に、様々な色合いの石を思い思いの形に組み合わせた床。そこに白い丸テーブルが据えられている。用意された椅子は二つ。そのすぐ横に、緋色のローブと縦長の僧帽を被った女性が立っている。


「あとでまた参ります」


 それだけ言うと、プレッサンは馬車を走らせて、どこかへ消えてしまった。


 ……って。

 この状況、セリパス教的に許されるのか? 先日、クララを訪問したのもアレだったけど、邪魔者のいない空間で女と二人きりとか。けど、身を持ち崩した元秀才とは訳が違う。


 とりあえず、挨拶しないわけにはいかない。


「お招きいただきありがとうございます、猊下」

「ようこそ罪びとよ」


 お決まりの挨拶か。わかってはいるけど、やっぱりいい気分にはなれない。


「遠方より聖地を目指したその心掛けは、女神の嘉するところです。おかけください」


 軽く一礼して、俺は椅子に腰掛けた。ミディアも同じようにした。


「本日はどのような」


 面識らしいものもないのに、なぜいきなり呼ばれたのか。


「まぁ、そう慌てずに。この後、ご予定もおありではないのでしょう?」


 彼女はうっすらと微笑んでいる。だが。

 俺の中では警鐘が鳴り響いていた。この世界に生まれ落ちて十年ちょっと。散々な目に遭ってきた。だからというのでもないが、少しは人の顔色を見るようになってきた。

 彼女の笑顔は、本物ではない。何か内心に含むところがある。しかし、何か恨まれるようなことをした覚えなどないのだが。


「聞いたところによると、ファルス様はエスタ=フォレスティア王国よりお越しなのだとか」

「はい。ピュリスより参りました」

「美しい街だそうですね。私は見たことはありませんが」

「ミディア様は、どちらのご出身でしょうか」

「私はレジャヤの出です」


 ということは、彼女はシモール=フォレスティア出身だ。しかし、それが彼女の内心の刃であるとは考えにくい。貴族や王族ならとにかく、同じ民族でも国が違うからと相手を憎むような人は、あまり見かけたことがない。たまに小競り合いはあっても、ここ数十年、両国は戦争と呼べるほどの衝突を起こしていないのだから。


「レジャヤからですと、一番近い外国は、やはりセリパシアですから。今でもセリパス教徒が少なくありませんし、私の両親もそうでした。ですから、留学するにはちょうどよかったのですよ」

「そうなんですね」


 サラッとエスタ=フォレスティア王国とマルカーズ連合国を「外国」から外しているが、これはまぁ、おかしなことでもない。


「いかがですか、聖なる都は」

「はい。大変に秩序正しい、清らかな場所だと感じました」


 悪いことは口に出せない。

 本音では、他のどの街よりつまらないと思っている。どちらも白一色だが、ピュリスのような美と開放感がここにはない。デーン=アブデモーネルのような華もなければ、タリフ・オリムのような温もりもない。ただただ冷徹な秩序があるだけで、およそ人間らしさが感じられない。


「それはそうでしょうとも。ここは女神に選ばれた地。どこよりも正義が保証された、いわば地上の楽園なのですから」


 げぇっ、気持ち悪い。何が地上の楽園だ。どこかの独裁国家みたいな自画自賛。

 もし、死後に天国に招かれるとして。それがこんな場所だとしたら、生前に善行を積む意味が見出せない。


「……それでは、故郷のレジャヤについては、どう思いますか?」

「ああ」


 軽く笑って流すと、彼女は答えた。


「確かに、レジャヤも歴史ある都でした。特に王城のある辺りは、大昔からの大樹に囲まれ、水草が浮かぶ溜池がいくつもあって、それはそれは美しいところでした。ですので、懐かしい気持ちならあります。けれども、言ってみればそれだけです。あの街は確かに私の故郷ではありますけれど、もっとも大切なものを欠いておりますから」

「大切なもの、というのは」

「それをわざわざお尋ねになられますか?」


 笑顔は笑顔なのだが、軽く人を見下すような。わかりきったことを確認する相手に、仕方なく口を開いてやるのだという雰囲気。


「それが正義です」

「そうですね」

「そうでしょうとも。ファルス様、フォレスティアのどこにいっても、正義も自由も平等も、何一つ実現されてはいないのですよ?」


 そうかもしれない。但し、神聖教国だって例外ではないと思うが。


「異論がございますか」

「いいえ。確かに、フォレスティア全土は、どこも貴族の支配下にありますし。少なくとも平等ではありませんね」

「ええ。縦軸には貴族や王家の支配が。横軸には慣習、たとえば男性が家長で、女性はそれに従うべきといった差別が。自由も平等もありません」


 そこは確かにそうなのだが、では、この国は自由だと? それに、階級だってあるじゃないか。

 俺の内心を見透かすように、ミディアは続けた。


「……無論、この国も、心無い人からすれば、自由でも平等でもないように映るでしょう。聖職者には位階があり、人々は厳しい戒律に従って暮らしています。これを不平等、不自由と批難するのです」

「いえ、僕は、そこまでは」

「ですが、一部の旧貴族などの例外を除けば、あとはみんな同じです。ただの一般の信徒として生きるのなら、特別な努力は必要ありません。何をすればいいかは司祭が教えます。一方で、学を修め、信仰を捧げさえすれば、誰でも司祭になれるのです。徳を高めて女神に近付くことを望む者には、性別も家柄も関係なく、その機会を与える……これこそ自由であり、平等ではありませんか」


 さすがに若くして枢機卿になるだけあって、論理は通っている……ように見える。

 だが、俺はここに至るまでの旅で、その制度ゆえに苦しむ人々を大勢見てきた。自由だろうと平等だろうと正義だろうと、実際に人の幸福に寄与していないのなら、何の意味があろうか。

 だが、異論を差し挟むわけにはいかない。相手はこの国の権力者なのだ。むしろ、ここは媚びてみせるべきだろう。俺には目的があるのだから。


「猊下のおっしゃること、至極もっともです」

「ファルス様」


 目の色が変わった。前置きは終わりらしい。


「この国へは、どのような目的でいらしたのでしょう」

「それは、聖女の奇跡を垣間見ようとの思いからです」

「それだけですか?」

「他に何がありましょう」

「では」


 余裕の笑みを浮かべ、彼女は椅子に身を預けた。


「私があなたを支援しましょう」

「えっ」

「さすがに司祭位をいきなり認定するわけにはいきませんが、私の一存でも、あなたをすぐさま助祭に任命するくらいなら、して差し上げられます。五年ほど聖都の学院で修行して、その後に正式にセリパス教聖典派の司祭となられては」


 こいつ……!

 冗談じゃない。俺が了承するわけがないと承知で、こんな無茶苦茶を言っている。


「ミディア様、それは大変ありがたいお話ではございますが、僕はこの通り、騎士の腕輪を身に帯びて、世に貢献するべく修行の旅に出ている身の上です。かけていただいた期待とご恩を忘れて、勝手に僧侶となってよいものでしょうか」

「それは俗世の義理でしかありません。真の正義が女神にある以上、どこでどのような形であろうとも、人々への献身に違いはないはずではありませんか」


 このアマ。

 立場を笠に着てのディベートか。さぞやりやすかろう。


「違いがない、というのであれば、騎士として生きても構わないのではないでしょうか」

「もちろん、正義を追い求める騎士達の志を、軽んじる気持ちはありません。ですが、すべての騎士が常に正しく生きているか。これは、必ずしもそうとは言えないでしょう?」


 すべての騎士は皆、高潔に生きている。なんて言えない。

 俺自身からして、そうではないのだし。


「今の時代、騎士の多くは貴族からの認定によっています。主人という束縛ありきなのです。この点はファルス様だってそうではありませんか。タンディラール王を無視して、正義だけを追求するなんて、できないのでは」

「それは……」

「それに比べて、聖なる教えを身に帯びれば、過ちに踏み込むことがなくなるのです。なんと素晴らしいことでしょう」


 ……初めてリンに会った頃のことを思い出した。

 そうだった。セリパス教徒は、自分達を絶対的な正義だと固く信じきっている。そして、不完全なもの、間違ったものをどうするかについては、ただ一言「断罪」すればいいと片付けてしまう。

 本当に怖いのは「自分も過ちを犯すかも」という疑いを持たなくなることだと思うのだが……


「恐れながらミディア様、僕はただの人間です」


 とはいえ、表現は選びながらでないとまずい。


「修行を重ね、知識を蓄えようとも、モーン・ナーのような無謬の存在にはなり得ません。司祭とて人です。どうして過ちを避けられると思うのでしょうか」

「それは詭弁です。あなたは騎士でありながら、怠惰の悪癖を身につけてしまったようですね」


 ああ言えばこう言う。

 どうしろというんだ。


「正義の女神の前に額づけば、不完全な人間でありながら、より正しい道筋を選び取ることができるのです。無論、誰も完全な存在にはなり得ませんが、女神は常に罰をもって私達を正してくださいます。どうしてそれを喜ばないのですか」


 俺をジロリとねめつけると、口元だけで笑って、彼女は言い切った。


「結局のところ、あなたはいまだに俗世に惹かれているのです。それがすべてでしょう」

「それが罪だと」

「罪です」


 じゃあ、なにか。

 この世の人間全員がセリパス教の司祭になったら、ハッピーエンドなのか。異性に触れることもできないから、人類は滅亡する。それが正義ってか。

 確かに。確かに正義だ。全人類が平和のうちに滅び去れば、戦争もなくなる。差別も不平等もない。何の役にも立たない正義だ。


「罪を軽くするには、その過ちを告白し、女神に許しを請うことですよ」

「僕が何をしたと言うんですか」

「ファルス・リンガ。元トヴィーティのエンバイオ家に仕える下僕。フォレスティア王タンディラールの認めた騎士」


 調べはついている、と言わんばかりに、彼女は事実を列挙した。


「何の目的ですか」

「ですから、聖女の奇跡を目の当たりにするために」

「それならよき巡礼です。ですがあなたは、自ら穢れの中に身を置きました」

「穢れ?」

「先を急ぐなら、海路でシャハーマイトにでも向かい、そこから北上すればよかったものを、どうしてわざわざアルディニアを経由したのですか」


 ミール二世とどこまで親しくなったかはともかく、面識ならできてしまった。会食に招かれたことくらいは、知られてしまっているのだろう。

 神壁派は異端だ。異端の連中と仲良くする穢れた騎士……


「他意はありません。かつてセリパシア神聖帝国は、アルディニアを経由して東進しました。その歴史を学びながらの旅を望んだだけです」

「それだけとは思えません。では、クララ・ラシヴィアに会ったのは、何のためですか」


 むしろこちらがきっかけか?

 とはいえ、立場を悪化させるという意味では、ダメ押しになった。


「ピュリスの常任司祭であるリン・ウォカエーは、彼女の学友だったと聞いています。僕は彼女より、手……伝言を言付かってきました」


 うっかり「手紙」というところだった。

 それはまずい。こいつが手配して、手紙を回収しようとするだろう。何が書いてあるか、直接目を通したわけではないが、どっちにせよ、クララには迷惑がかかる。


「あなたが自ら出向く必要があったのですか。人に託して済ませればよいではありませんか」

「良い機会でしたから、僕はただ、優れた学識に触れたかったのです」

「なんですって」


 俺の一言に、彼女は初めてはっきりと不快の色を示した。


「愚かな。かつての名声が今、どれほど役立っているというのですか」


 ちょっとやそっと吐き捨てた程度では収まらないらしい。


「いずれにせよ、クララが聖都を出ることはありません。今後、永久に」

「恨みでもあるのですか」


 俺をキッと睨むと、断固抗議すると言わんばかりに身を乗り出した。


「危険思想の持ち主だから、野に放てないと言っているのです!」


 バン! とテーブルを叩くと、彼女は席を立った。


 こいつはしまった。最初は嫌われまいとして、言葉を選んでいたのだが、なにせ神学校に入れとか言い出すもんだから、それを回避しようとしてこのザマだ。枢機卿と喧嘩してどうするんだ。

 しかし、俺が少し反省すると、彼女も冷静さを幾分か取り戻したらしい。腰を下ろすと、彼女は静かな口調で問いを重ねた。


「お話が逸れましたね」

「そうでしたでしょうか」

「あなたがこの国にいらした目的です」

「聖女の」

「それはもう聞き飽きました」


 これは、どうしたものか。

 俺の本当の目的は、不死を得たであろう聖女を見つけ、自分も不死を得ることだ。しかし、これは説明できない。神壁派の聖職者が相手ならともかく、聖典派の要人にそんなことは口が裂けてもいえない。廟堂は死んだ聖女を祀る場所だ。それが実は生きてましただなんて、そんなの聖典派を丸ごと詐欺師呼ばわりしているようなものなのだから。


 そうではない。発想を変えよう。

 彼女、ミディアは何か理由があって、俺を疑っている。いくら巡礼だと言ったところで、信じてくれない。では、俺が何をしでかすと思っているのだろう? 彼女にとってファルスとは、何者なのか?


 エンバイオ家に仕えながら忠節を曲げて王の騎士になった。貪欲な変節漢といったところか。

 修行の旅と称して、アルディニア王国に立ち寄った。政治的な狙いがある? では、ファルスはタンディラールの密使か?

 それがこの国では、不便を押して聖都までやってきて、軟禁中のクララと面会した。


 ……なるほど、怪しいな。


「そうですね、もちろん第一の目的は、なんといっても聖女の奇跡にあやかることですが……」


 なら、相手が納得する人物像を演じてみせる。それで場が収まるのなら。


「せっかく世界中を旅するのなら、お友達を増やしたいなとは思います」

「それはそれは」

「アルディニアでも、ミール王とお話する機会がありました。帰国したら、お手紙でも書こうかと思っています」

「そうですか」

「この国でも、いい出会いがあればと思っていますけど」

「であれば、お付き合いする相手は選んだほうがいいですね」


 微笑んで頷く彼女の目に、軽蔑の色が浮かんだ。

 この若さで、もうこんなにいやらしいなんて……そう思っているのが伝わってくる。


 構わない。俗物だと思えばいい。

 要するに、ファルスの目的とは。有力者に媚びて、その甘い汁の分け前に与ることなのだ。公的な地位を得る前に世界中を経巡っておく。タンディラールの下で働く頃には、あちこちに顔が利くようになる。

 王にへつらい、各地の権力者との仲立ちをして、中抜きするため。非公式なやり取りを引き受けるフィクサーに収まろうとしているのだと。どうだ、これなら納得だろう。


「ところで、陛下……タンディラール王は、どんなお方でしたか」

「はい、それはもう、獅子のような方でした。見た目も堂々として雄々しく、それでいて目には力と知性が漲っており、その所作は優雅です。あのような方に招かれ、夜通し語り合う機会を得たことは、僕の人生の中でも、数少ない幸運だったと思っています」

「他に名のある貴族の方々ともお付き合いは」

「お顔だけであれば、いくらでも存じ上げておりますが、僕がちゃんとお話したのはそう多くはありません。スード伯のゴーファト様、フォンケーノ侯のご嫡男であるエルゲンナーム様、このたび王国の大将軍の重責を引き受けたアルタール様、王家の守護者であるジャルク様、あとは……そうそう、ファンディ侯のアッセン様ともお話しました。この時には、ご息女のケアーナ様も交えて」


 何れも名の知られた大貴族ばかりだ。彼女の目に、軽く驚きの色が混じる。特に、ケアーナの名前が出た時点で。

 この少年は、大貴族の娘の使い道になり得る位置にいるのかと。


「随分とお付き合いが広いのですね」

「そうでもありません。でも、そういえば、ゴーファト様には、ぜひ自分の領地に来て欲しいと招かれていましたっけ」


 まぁ、それは彼の「趣味」のためであって、まったく健全な意味はないのだが、ミディアにはわかるまい。要するに、いろんな王侯貴族が俺を取り合っているのだと。そういうアピールをしてみせただけなのだ。

 不潔で狡猾なファルス少年の計画は、それなりにうまくいきかけている。そう思ってくれれば充分。


「それでは、あなたにとっては、今、この時間は退屈で仕方がないことでしょうね」

「とんでもありません。猊下に招かれてお話できた、これは僕にとって、この上なく名誉なことです」


 さあ、どうだ。

 無駄な喧嘩をする気になるか? 実際には、今挙げた貴族達が俺を助けてくれる可能性なんてない。でも、想像するならそちらの勝手だ。


 彼女は表情を変えなかった。だが、内心では不快感でいっぱいのはずだ。

 こうして自分と面会した事実も、どこかで利用されるのではないかと。


「なるほど、お話はわかりました」


 すっと立ち上がり、笑みを消す。


「ほどほどになさったほうがよろしいですよ」

「と言いますと」

「もう申し上げました。お友達はよく選んだほうがよいということです」


 確かに、そんな有力者との繋がりのある人物がクララに接触する、というのは。けれども、俺の期待通りの誤認をしてくれた点では、なんとか乗り切れたと考えるべきか。


「衰えたりとはいえ、神聖教国は西方大陸第一の大国です。他では簡単なことも、ここではそうではありません」


 じっと俺を見据えながら。

 彼女はゆっくりと言葉を継いだ。


「余計なことはしないでください。あなたの後ろに誰がいるにせよ。さもなければ」


 声色は静か。表情も穏やか。それでも、目だけは火と氷を併せたようだった。

 ミディアは宣言した。


「必ずや、女神の裁きが下されることでしょう」

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