宗教はスポ根?

 目が覚めた。

 その途端、俺は憂鬱になる。


「ううう」


 布団から出たくない。この個室には暖房なんてない。なるほど、毛布の質は悪くないし、広くはないが部屋も清潔だ。出される食事もまぁまぁ。しかし、あくまで巡礼の宿舎なので、快適さは二の次だ。温まりたければ、談話室の暖炉の前に行くしかない。

 もっとも、ここから動きたくないのは、外が寒いからではない……


 ドンドン、と乱暴に扉を叩く音。


「ファルス様? お目覚めですか?」


 プレッサンだ。

 くそっ、部屋まできやがって。帰れ。


「失礼しますよ」


 おい。

 ガチャッ、と音がしたので、解錠されたとわかった。さては合鍵をもらってきたか。

 扉が開くと、彼は一直線に駆け寄ってきた。


「さぁ、ファルス様」

「うっ、は、はい」

「今日は聖人アズィズの墓所を見学する予定ですよ。お昼は神学校の学食を利用できますので、そのまま午後には解釈学の特別授業を聴講しましょう」


 ううう、もう無理。

 耐え切れない。


「す、済みません、行きたいのはやまやまなのですが」


 面と向かって「いやだ」「興味ない」なんて言えないから。

 俺は言い訳を拵える。


「どうも体調がよくなくて」

「そんなものは、女神の奇跡が癒してくれますよ」

「疲れも溜まっていて」

「ファルス様、それは今だけの苦しみです。あなたを苛んでいるのは、俗世から持ち込んだ穢れなのです」


 聞く耳持たず。

 これだから宗教は。


「ですが、起き上がるのも……食欲もないですし」

「おお罪びとよ、人はパンのみに生きるにあらず。聖典の言葉です」

「頭痛も」

「ファルス様、あとちょっとです。あとちょっと頑張れば、心から女神に帰依すれば、ここを乗り越えられるんですよ! もったいないとは思いませんか」


 うっえ。

 今、本気で気持ち悪くなった。何が「もうちょっと」だ。完全にアッパラパーになって、いっそセリパス教にハマったら完成ってか。もう、宗教っていうか、執狂だな。


「ご、ごめんなさい、今日、今日だけは、もう……」


 そう言って、毛布を頭から引っかぶる。絶対にいくもんか。


「……ふう」


 プレッサンは溜息をついて、一歩下がった。


「これがあなたの罪業にならなければよいのですが、ファルス様? 女神はすべてをご存知なのですからね」


 どう返事をしたものか。何も言わずにいたほうがいいかもしれない。

 しばらくして、彼も諦めたらしい。足音がして、扉が閉まるのが聞こえた。


「ぷふぅ」


 息苦しい毛布の中から顔を出し、俺はようやく安堵の息を漏らした。


 聖都に到着して、一週間。俺は発狂寸前だった。

 少し想像してみて欲しい。朝から晩まで、毎日毎日、聖典の話ばかりされる。午前中に聖人の墓とか、教会とかを巡ってはひたすら説教を聴かされ。午後は午後で、神学校とかに連れまわされて、ずっと授業を受ける。やり取りされるのは全部セリパス教のことだけ。

 俺が見たかったのは聖女の廟堂だけなのに。ちょっと立ち入って大広間に入って、あのジェゴスとかいうハゲのくだらない話を二時間も我慢して。あとは一切調査できないままに、追い出されてしまった。

 何一つ目的を果たしていないのに、当局によるツアーは継続中。隣に立つプレッサンは、何かあるごとにイッちゃった目付きで女神と聖女を称え始める。


 一ヶ月もいたら、本気で洗脳されかねない。なんてヤバい国なんだ、ここは。


 このままではダメだ。

 何もさせてもらえないまま、無駄に時間が過ぎていく。せっかく用意してもらった紹介状も、使えていない。とはいえ、どうやってこれを渡せばいいのか。

 仲介するのはプレッサンだろう。ちゃんと届くんだろうか?


 どうあれ、ジタバタしてもしょうがない。俺は仮病で休んだのだ。せめて半日は部屋の中にいなくては。ゆっくり寝転びながら、どうするかを考える。


 紹介状は二通。詩人のクララと、枢機卿のドーミルだが……

 どう考えても、ドーミルに連絡を取るべきだ。こんなに規制ガチガチの国で、いきなりクララに会うとか、危なくてできない。やるとしても、最後だ。なにしろ、クララは女だし。この国では発禁本のエロ詩人らしいし。最初は、自分の立場を決めてしまうからと思って紹介状を使わずにいたが、こうなってしまっては、そんなことも言っていられない。

 ただ、予定の変更にもなるし、相手は高位の聖職者だから、いきなり会えるとも限らないし。不安は尽きないが、もう強引にいこうか。


 昼、俺はやっと個室から出た。その瞬間。

 廊下に三人の男達が待ち構えていた。


「ああ、ファルス様……」


 なんだかたった半日で、プレッサンはしおれていた。比喩ではなくて、本当に髪の毛から生気が抜けている。

 他の二人はというと。


 一人目は、背の低い太った男だった。顔が横に広く、首が胴体に埋まっていた。大人なのに俺より背が低いくらいなんて、珍しい。やや下から、ねめつけるような視線を向けてきている。セリパス教圏では、健全な魂は健全な肉体に宿ると考えられているので、こういう体格の人は、何をするにも不利な立場に置かれやすい。

 対照的に、最後の一人はというと、やたらと背が高かった。均整の取れた体格だが、やや細身で筋肉質。しかし、服装が二人と違う。白一色ではなく、襟とか、袖とか、服の合わせの部分に、焦げ茶色の帯が入っている。口元には穏やかな笑みを浮かべているが、目には冷たい光が宿っている。


「あの?」


 俺は戸惑って、彼らを見比べる。


「こちら」


 背の低いほうを指して、紹介を始めた。


「聖殿医師のシフォコルです。それとこちら」


 もう一人は、まさか……


「審問官のカフラモンです」


 げぇっ、と声をあげそうになって、なんとか堪えた。

 審問官。つまり、異端審問官だ。


 つまり、アレか。聖人の墓を見学するのを断ったから。本当に体調不良なのか? 調べよということになったに違いない。


「それで、気分はよくなられたのですか」

「あ、は、はい、少し動けるようになりましたので」

「それはよかった」


 あ、危なかった。

 あのまま寝てたら、枕元に医者がやってきて、健康状態を調べる。それで問題ないとされたら、仮病だとされて……。

 どうなるんだろう? 異端審問官が来るくらいだから、罰則なしとはいかないか。


 シフォコルが低い声で言った。


「談話室に参りましょう。一応、脈を拝見してもよろしいですかな」


 十数分後、俺はようやく解放された。健康状態に問題なし。しかし、不調を訴えたのは朝。その間に回復した可能性もある。

 とりあえずは不問とされた。但し、条件付きで。


「では、これを」


 見た目だけは穏やかな笑顔で、カフラモンは数枚の紙を俺に手渡した。


「三日以内に提出してください。プレッサン師に渡せば結構です」


 なんと、反省文の提出を要求された。

 とりあえず、病気だったことは認めてやってもいい。但し、信仰は健康に勝る。たとえ病気で、無理を押して女神に祈ったせいで死んだとしても、それは殉教である。大変に尊いことで、悲しむべき何物もない。聖地で祈りながら死ぬ。喜ばしい。幸運だ。最高だ。理想的ではないか。

 逆に、健康を信仰より優先するというのは、未熟の証である。身体的な苦痛に心が負けたのだから。だが、年少であることを慮って、今後の伸び代も考えて、あえてこの程度の処分に留めてあげようと。


 嘘だろう? まるで話が通じない。スポ根というか、体育会系というか……いや。これはもっとおぞましい何かだ。


「では、午後からは神学校に」

「後はお任せします」


 二人が去っていくのを、俺はビクビクしながら見守っていた。


「ファルス様、それではお出かけの準備をしませんと」


 もう考えている場合ではない。出し惜しみもなしだ。


「あの、その前に」

「なんですか」

「そういえば、お手紙を預かっていたのを忘れていました」

「お手紙? ですか?」


 間違えないようにしないと。


「少々お待ちください」


 俺は部屋に走って戻って、荷物を漁る。厳重に包んで糊で止めてある封筒の中に、更に二通の封筒が収められている。いちいち見ないで、手触りで確認する。ドーミル師への手紙には、何か厚紙でも入っているのか、やたらと分厚くて固い。こちらだ。


 ……ん?

 何か一瞬、違和感が……まぁ、いいだろう。とにかく、こっちがドーミル師への紹介状なのは間違いない。目でも確認した。


「これです」


 暖炉のある歓談ルームに戻って、俺は封筒を差し出した。


「こちらは?」

「はい。すっかり失念しておりました。僕はピュリスの常任司祭だったリン・ウォカエーより聖なる教えの第一歩を学びました。それで聖都での学問を希望している僕のために、彼女はこの紹介状を用意してくれました」

「これは……ドーミル・ヴァコラット……では、枢機卿のドーミル師ですか」

「はい」


 少し驚いた顔をしている。やった。

 これで日々のイジメから解放されたら、もうそれだけで充分だ。どうだ、俺には要人の知り合いがいるんだぞ。


「しかし、これは……ふうむ」

「何か問題でも? できれば、ドーミル枢機卿にお会いして、導きを得たいものと」

「いえ、では、少し問い合わせますので。とりあえず、午後の授業に遅れてはなりませんから、ファルス様は外出のご用意を」


 こちらはサボれないか。まぁいい。今だけの我慢なら。


 街に出た。

 廟堂がある中心部、政庁がある北側と比べると、学生の通う東側の街区は、また少しだけ、あくまで少しだけだが、趣が違っている。


 外から見た家の作りはまったく同じで、何の代わり映えもない。なにより、ここにはほぼ住宅しかない。あとは教会か、公共機関だ。これはこの国では同じ意味の言葉だが。何しろ取引は戒律違反なので、飲食店も雑貨店もない。ここに住む人々は、生活物資を配給に頼っている。だから街並みの変化もない。


 但し、ここには通行人がいる。

 高級住宅地である中心街とは違って、一般の人々が暮らしているのだ。まず、西方大陸全域から集まった聖職者のタマゴ達。それから、政府の中枢を動かす聖職者兼役人。だが、それ以外の住民もいるのだ。

 いわゆる特別居住者。それも旧貴族以外の。


 まず、資材の搬入、搬出を引き受ける人達。食料を運んで、ゴミを持ち出す仕事だ。これは司祭達ではなく、一般の人がやる。また、日常的な道路の補修、家屋の修理などのために、大工や石工が少数常駐している。あとは、滅多に犯罪などは起きないのだが、一応、兵力とは呼べない程度の警備員がいる。これは神殿騎士団のエリートから選ばれる。アイクの恋人だったラズルも、この枠で聖都に滞在していた。

 それと最後に、刑吏もここで暮らしている。刑吏? そう、犯罪者に刑罰を加えるお役人だ。なぜそんなものがいるのか?


 通常の犯罪であれば、それぞれの集落や都市で裁けば済む。宗教的な罪についても、祭りの町で見かけたように、現地の聖職者と刑吏達が動けばいい。

 しかし重大なもの、教国として無視できないほどの大罪については、わざわざ聖都で刑を執行する。よほど深刻な事例でなければ、或いは聖都在住の誰かの犯罪でなければ、こうはならない。ちょっとそこらの村で人を殺したくらいでは、いちいちアヴァディリクで死刑になんて、ならないのだ。


 当然ながら、聖都における犯罪の発生率は極めて低い。ここで暮らしている特別居住者達は、やっている仕事は単純作業でも、立場は特権階級であるといえる。この国でこの地位を失うような犯罪行為をするなんて、まず考えられない。

 とはいえ……


 目の前を、家族連れが歩いている。しかし、他所の国と比べると、その様子は不気味でさえある。

 まず、一列縦隊で歩いている。先頭を夫が、その後ろ、数歩離れたところを妻が。その直後に小さいほうの娘、最後に年嵩の息子。当然ながら、女性は例外なく、スカーフで髪を覆い隠している。そのスカーフも、彼らの服の色も、みんなくすんだ白だ。当然ながら、歩きながらの雑談もない。唾が飛ぶ場所に立っていてはいけないからだ。

 家族であっても、性別が異なる場合には、手を触れてはならない。だから間違ってぶつからないよう、距離をおいているのだ。この聖地で男女が触れ合うなど、重罪も重罪、絶対に許されない。夫婦だからといって、手を繋いだまま歩こうものなら、翌日にはこの街から追い出されていることだろう。


 仮病の巡礼をわざわざ訪ねてきたカフラモンのように。この街では、あらゆるところに異端審問官の目が光っているのだ。


「では、これから講義となりますが」


 校舎の廊下で、プレッサンは俺に言った。


「私は少し失礼して、ドーミル猊下の件について、問い合わせてきます」

「宜しくお願い致します」


 よしよし。

 これで明日からは、もう少しマシな展開が待っている。

 そう思っていた。


 夕日が差す頃、眠気を催す退屈な授業が終わった。俺は神学生達の後について、校舎を出た。門前には、プレッサンが待ち構えていた。


「お疲れ様です」

「どうでした? あれ? その封筒は」


 俺が手渡したはずの封筒。しかし、それは開封もされておらず、いまだにプレッサンの手元にあった。


「ああ、これなのですが」


 彼は顔を曇らせた。


「やはりお届けできませんでした」

「はい?」

「許可が下りませんでした」

「許可って。手紙ですよ? ただの」

「それはそうですが」


 身振りで歩くよう示すので、俺もおとなしく従った。


「その、申し上げにくいのですが」

「はい」

「ファルス様は、ドーミル師とどのようなご関係が」

「ピュリスの司祭の学問の師、つまり、師の師ということになりますが」

「では、ご面識はおありではないのですね」


 それはそうだ。

 すると、彼は頷いて言った。


「ドーミル師もそうですが、彼らは徳を積んだ高僧でして……大勢の聴衆に対しての説教であればともかく、一対一の面会となると、それはもう、選ばれた人のための特別な機会ということになります」


 よりよい導きを個人的に与える高位の僧侶だから、簡単には会わせないと?


「じゃ、じゃあ、わかりました。ドーミル師の次の説教はいつですか」

「ありません」

「は、い?」

「師は二年ほど前から体調を崩されまして、あまり人前においでにはなられません」


 なんてこった。

 では、頼りようがない、ということか?


 いや、でも。

 それなら手紙だけでも届けてくれたっていいじゃないか。


「面会が厳しいのなら、せっかくピュリスから手紙を運んできたのですし、それだけでも」

「それも猊下の貴重なお時間を割くことになりますから」


 プレッサンはキッパリと言った。


「聖なる教えへの更なる帰依、更なる奉仕がなければ、釣り合いが取れないでしょう」


 更なる? どうやって?

 俺はこの街に入る時、見かけ上の財産の半分を差し出したのに?


 ……いや。待てよ?


 宿舎に戻り、俺は自室に駆け込んだ。そして、奥の棚の中に収められた背負い袋を検めた。

 これだ。さっき感じた違和感。


 中に詰めた荷物の位置が、微妙に変わっている。


 なくなったものはない。金貨も減ってはいない。当たり前だ。盗みは大罪だから。しかし……

 ここまでやるか?

 巡礼があちこちに引っ張りまわされている間に、その荷物までひっくり返して調べるなんて!


 で、俺が余計に金を持っていることを知った。だから、圧力をかけてきたのだ。ドーミルに紹介状を渡したければ、金を出せと。こっちにろくな後ろ盾がいないのをいいことに。


「く、く、くそっ……くそっ!」


 何が女神だ。何が聖女だ。

 えげつないったらない。

 なるほどな、「女神はすべてをご存知」ってか。その通りだ。


 歯噛みして、地団駄を踏む。だが、これ以上はいけない。怒りを露にしているところを見咎められたら。

 どうしてくれよう、この苛立ちを。


 それでも、目的がある。

 やるべきことをやるだけだ。

 ならば、次の一手は……


 こうなったらもう、本当に手段を選んではいられない。

 覚悟を決めるには、ちょうどよかったのかもしれない。

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