第二十二章 白き闇の聖都

聖都の沙汰も金次第

 聖都の門には、何の装飾もなかった。ただ、巨大な石を切り出し、積み上げて、それをアーチにしただけ。それでも、工作したのは一流の技師に違いない。あまりにきれいに積まれているので、石の継ぎ目もよく見えないくらいだ。

 この、のっぺらぼうな門の造りこそ、聖なる都を象徴するものだ。王や皇帝の偉大な業績を記念するレリーフなど不要。聖女の事跡さえ、描かれない。純粋な正義そのものであるモーン・ナーの前では、すべてが誤謬に満ちている。ゆえに、この世のどのような事物であろうとも、賞賛には値しない。


 この無機質な表現スタイルは、諸国戦争以後に確立された。

 帝国時代には聖女や皇帝の偉大さを積極的に宣伝する必要があった。だからその手の装飾も存在したらしい。また、その後の世界統一時代には、セリパス教の影響力は弱まった。この地の歴史としては珍しく、表現の自由が幅を利かせた時期もあったのだ。

 数百年の空白の後、セリパシアの支配権を取り戻した教会組織だが、彼らは帝都の権威も認めず、六大国の枠組みを守ってきた旧皇族の存在意義も認めなかった。ならば、新生宗教国家は、皇帝達の栄光をそのまま称えるわけにはいかなくなった。

 彼らに残されたものは女神だけだった。ゆえに、この世の存在で唯一肯定できるものがあるとすれば、女神の正義を守り抜き、純潔のままに死んでいった聖女のみ。だが、聖女の周囲の存在は……妻を娶り娘を遺した勇士ヴェイグ、その娘と結婚して帝国を創設したサース帝など……彼らは、布教活動において必要な役割を果たした一方で、既に穢れに染まりつつあったと見られている。

 モーン・ナーは無謬の存在だ。それを表現するのにもっともよい方法は、何も表現しないことなのだ。


 理屈はそうとしても、俺にはどうもしっくりこなかった。

 女神の他は、一切が空しい? なら、最初から女神が万人を救えばよかったではないか。伝道も女神自身がやればいい。だが現実には、教義を広めるために尽力したのは、そこにいた人々ではないか。

 そうした人の営みまで否定するこの門からは、虚無しか感じなかった。ならば、この先にあるのは、見た目通りの空ろな世界か。

 現にこの国は、貧しいままに立ち働く大勢の人々を見捨てている。建前上は女神の下の平等を謳いながら、実際にはどこの封建国家よりも残酷だ。そこには悲嘆も同情もない。この門みたいに、眉一つ動かさず無表情のまま、規則だけを押し付ける。

 俺はこの門を、勝手に「虚無の門」と名付けた。


 門の他には、目立った構造物はない。子供でも乗り越えられそうな丈の低い壁が、一応市街の境界線を形作ってはいるが、それだけだ。この一千年間、この都市は防壁によって守られることはなかった。

 であれば、こっそり市内に立ち入っても見つからないのではないか? こんな寒い場所で、手続きの順番待ちなんかしなくても済むのでは?

 そう思わないでもなかったが、あえて俺はおとなしく待っていた。事前に聞き知っていた情報がなくても、この国がいかに不自由かを痛感している今となっては、そんな横紙破りなど、できようもなかったのだ。


「……お待たせしました、ファルス様」


 白いローブに身を包んだ若い男が、恭しく頭を下げる。


「こちらでお手続きをお願いできますか」


 この曇り空の下、門の近くには男女の聖職者が来訪者を待ち受けていた。言うまでもないが、男性には男性、女性には女性の聖職者しか、話しかけてこない。俺も視線には気をつけて、極力女性に目を向けないようにした。

 数メートルの奥行きのある門のトンネルをくぐると、左右に受付用の建物が建っていた。右側が男性用らしい。


 建物の中に入るも、ほとんど暖かさは感じなかった。この寒いのに、暖炉すらない。部屋の中身も簡素そのもので、道路と高さの変わらない石の床と、真っ白で真四角の部屋があるだけだった。中央には長方形のデスクがあり、そこに三人の係員が座っていた。全員、白衣を纏った聖職者だ。

 真ん中の、おかっぱ頭のでっぷり太った男が、顎を引きながら低い声で言った。


「立ち入り許可証をお見せくださいぃ」


 耳に纏わりつく濁声。

 一瞬、何のことかと思ったが、俺は騎士の腕輪を取り外して、机の上に置いた。真ん中の司祭が顎で示すと、左に座る男がそっと腕輪を取り上げ、文字を読み取る。それをまた、反対側の書記官らしき男に押し付けた。すぐさま内容を読み取り、それを忙しく書類に書き込んでいる。


「聖都来訪の目的はぁ?」

「聖女の事跡を学びたいと」

「では、巡礼ということでよろしいか」

「はい」


 真ん中の男は、右側の書記官に顎で指示した。手元の用紙には、予め来訪目的が書き込まれている。『聖務』『資材搬入』『特別居住者』『外交官』、そして『巡礼』と。彼はそこに丸をつけた。

 なんでもないことのように見えるが、これまた神聖教国らしい場面だ。要するに、アヴァディリクに立ち入る人間には、この五種類しかいないと決めてかかっている。それ以外はすべて不法侵入者なのだ。


 ついでに、書類に書き込まれた日付の表記にも気がついた。今は十二月だが、『縞瑪瑙の月』ではない。『悔悟の月』と書かれている。

 これも帝国時代の表現だ。月に宝石の名前を当てはめたのは、世界統一後のことなのだ。以前には各地に魔王もいて、別々の国家がそれぞれの暦を用いていた。だからセリパシアにも独自の暦があった。ただ、これをわざわざ昔の表現に戻すというところに、この国のやり方が見えてくる。

 ちなみに来月は『蛋白石の月』ではなく『信仰告白の月』となる。セリパス教では、暦の上の日付や月は、信者がなすべき行いから命名されるものなのだ。


「身元引受人の手配はありますかなぁ」

「それは……いえ、ありません」


 リンからもらった紹介状は、残り二通。どちらも聖都在住で、一人は閨秀詩人のクララ。もう一人は聖典派の重鎮である、ドーミル枢機卿。しかし、俺が行くことを彼らに事前に伝えてあるわけではない。

 また、いきなり顔を出して、受け入れてもらえるとしても。迂闊なことはしないほうがよさそうだと思った。誰かの世話になるということが、俺の立場を決めてしまうからだ。

 それに、ユミレノストのように、何か腹に一物ある場合だってある。今回は少し慎重にいきたい。それも状況次第だが。


「そうなりますとぉ、いろいろと取り決めが必要になりますかなぁ」

「取り決め、ですか?」

「まずぅ」


 太った男は、丸々とした指をつきたてながら、説明を始めた。


「巡礼といえども、寝泊りする場所がいりますなぁ。これが一つ」

「はい」


 旅行者を想定していないこの国だ。さすがに巡礼が詰め掛ける聖都には、一般人用の宿舎くらいある。しかし、その利用には当然、当局の許可が必要だ。


「それとぉ、巡礼の案内役の手配もいりますなぁ。二つ目」

「案内役? 誰かが僕についてくるってことですか?」


 こちらは知らなかった。リンはセリパス教の聖職者見習い、つまり『聖務』枠でこの街に入ったから、その辺の事情が頭からスッポ抜けていたのかもしれない。

 俺が軽く驚くと、彼はじろっと俺を見た。


「聖なる教えを学びに来たのに、何の案内もないでは、どこから見学したらいいか、わからないのではぁ?」


 という建前、か。

 多分、これ、事実上の監視役だ。勝手に街を見て歩くな、という。


「それからぁ……ああ、そこの椅子におかけくださいぃ」


 椅子?

 長話になるのか。


「今後の巡礼の予定を、簡単にここでお伝えいただかないとぉ」

「予定、ですか?」

「巡礼であるなら、求めるものがおありかと思いますがぁ?」

「それはあります」

「ですからぁ、どこをいつ頃回りたい、という予定を前もっていただかないとぉ」


 ここまで詮索されると、やりづらい。できれば目立たないようにあちこちに接触して、うまいこと後押しを受けて、廟堂に立ち入る許可をもらったりとか。そういうつもりだったんだが……

 俺が戸惑っていると、彼は更に言葉を継ぎ足した。


「日によっては聖務の妨げになることも考えられますしぃ、こちらとしても、ご案内の予定を考えねばなりませんのでぇ」

「は、はい」


 ダメだ、これ。

 ガッチガチじゃないか。何をするにも監視がつく。そういう話だ。

 でも、多分、それだけではない。


「最後にぃ」

「はい」

「巡礼として、聖なる教えの恩恵に与る以上、信徒への奉仕が求められますぅ」

「ほ、奉仕?」

「左様ですぅ……形は問いませんがぁ」


 そこで、はたと沈黙が場を覆った。

 三人から、じっとりした視線が向けられる。はっきりとは言わないが、こちらが求める答えを出せ。そういう雰囲気だ。


 俺の見た目の若さのおかげなのか、太った僧侶は更に言い足した。説明しなければ通じないと判断したのだろう。とはいえ、明言はできないらしい。


「そのぅ……つまりですねぇ、聖都は、それ自体、祈りのための場所でありましてなぁ、そこに立つこと自体が大いなる女神の恩恵でありまして」

「それは大変にありがたく感じております」

「この聖地を支えるために、それはそれは多くの人々がぁ……この国の人々は、世界中の聖徒のために、身を捧げておるわけです」

「承知しております」

「聖徒は聖徒と助け合わねばなりませんなぁ」


 ちっ、そういうことか。

 要するに……


「生憎と、僕は旅の最中にありまして」

「その旅人に食事を与えぇ、寝る場所を用意しぃ、道案内まで引き受けるのにはぁ、聖徒の皆様の努力が欠かせないのですぅ」


 頼んでもいないのに、勝手にサービスを提供して。それでこの要求か。

 くそっ。


「残念ながら、聖地に長く留まり、奉仕に身を置くということができません。学ぶべきことを学んだら、故郷に帰らねばならない身の上です」

「そうでしょうともぉ」

「ですから」


 ふーっと息をつく。

 もう拒否はできない。

 なら、どれくらいが適当か。


 ええい、ままよ。


「世俗における価値しか持たないとはいえ、僕が差し出せるものは、こちらしかございません」


 ポーチから、俺は金貨を取り出した。ガイからもらった、あの百枚の金貨だ。


 こいつらが求めているのは、金だ。喜捨といったほうがいいか?

 とはいえ、面と向かって「金を寄越せ」とは言えない。俺は巡礼なのだから、飲食や宿泊にかかるコストを請求なんかできない。信者が信者を助けるのは当たり前のこと、そこで料金を取るのは「取引」だ。戒律に反する。

 しかし、では実際にどれくらいの額を渡せばいいのか。実費を請求するというのなら、俺も納得して支払う。だがどうも、そんな風には見えない。


 俺が金を差し出すのは、取引の結果ではなく、信仰心ゆえの自発的な振る舞いなのだ。なので支払っている俺自身、喜んでそうしているはずだ。理屈の上では、俺はもう、金を渡したくて渡したくてたまらない。出せるものなら全財産を差し出したい。そう思っているべきだし、またそうでなければ聖都に立ち入る資格なんてない。

 もし手元に資金を残しておくというのなら、それはやむを得ず、帰国のために最低限必要な額だけを取り置くべきで、あとは全部ここで吐き出してしまわなければいけない。


 背中のリュックには、残り八百枚の金貨が詰まっている。これを見せたらどうなるか。潤沢だった旅の資金が一発で枯渇する。だから、俺はポーチから金を出したのだ。

 見ての通り、お金持ちじゃありませんよ。これだけしか持ってないんです。聖地への巡礼を済ませたら帰国します。そのためには何ヶ月分かの旅費が必要なんです。そういう芝居だ。


「ピュリスにある自宅まで帰ることを考えると、どうしてもこれくらいしか」


 そして俺は、百枚の金貨を全部机の上に載せて、ちょうど真ん中のところで二つに割った。


「君ぃ」

「では、失礼します」


 左側の男が、差し出された金貨に手をつけて、数え始める。手慣れたものだ。ものすごい速さで数え終わると、小声で「五十」と言った。それを聞きつけて、書記官も手早く用紙に書き込んだ。


「ふぅむ、まぁ、よろしい」


 額が小さいのを見て、太った男は少し機嫌を悪くしたようだ。だが、旅費の半分を差し出されたわけだし、残りの金貨でエスタ=フォレスティア王国まで帰るとなると、常識的に考えて、ギリギリでもある。文句は言えなかった。

 しかし、これでよかったのかどうか。


「それで、どれくらいの期間、聖都に留まるおつもりですかぁ」

「まだわかりませんが」

「では、具体的な予定を述べていただきますかぁ。現実的に考えて、聖務の妨げにならない範囲で考えますとぉ……そうですなぁ、長くてもせいぜい半月から一ヶ月ほどしかご滞在いただけないかと思いますがぁ」


 この野郎。

 出した金額から実費を抜いて、更に利益をかぶせてこの期間ってか。

 ピュリスで一世帯が一ヶ月暮らすのに必要なお金が金貨二十枚ほど。何かと金のかかる旅人であることを差し引いても、またこの都市が一切の生産活動を行っておらず、ゆえに輸送コストがかかる点を加味しても。二ヶ月分以上の費用を出しているというのに。


 俺はこの街に一ヶ月しか滞在できない。しかも、この様子だと、生活の質にも期待はできまい。大盤振る舞いしておけば、態度も待遇も違ったのだろうが。

 まったく。聖都の沙汰も、金次第ってか。


「その期間内で計画をたてたいと思います」


 こんな国に長居は無用だ。なるべく早く目的を達して、早々に脱出しよう。


「ではぁ、こちらが聖都の地図になりますのでぇ、ご覧になりながら予定を決めてくださいぃ……ああ、あと、こちらは高僧による説教の予定ですぅ。ありがたいお話を聞いていかれるのもためになりますからぁ、ぜひぜひいらしてくださいぃ」


 そう言われて、差し出された紙に目を走らせる。


「おや?」

「どうなさいましたかなぁ」

「説教をなさるのは、枢機卿の方々だけですか?」

「いいえぇ」


 この国の要人を全員覚えているわけではないが、ここにちゃんと名前と地位とが併記されているから、それとわかる。しかし、リストには枢機卿しか載っていない。


「以前であればぁ、毎月、教皇も説教をなさるのですがぁ」

「はい」

「このところ、体調を崩されるようになりましてぇ」


 ……ということか。


「このところといいますと、いつ頃から」

「もう四年になりますかなぁ。今は教皇を務めるゼニット師の代わりに、ジェゴス師が信徒への指導を引き受けておいでですぅ」

「そうなんですね」


 この手の権力の空白があると、ろくなことが起きない。つい一年ちょっと前にも、ひどい事件に巻き込まれたばかりなのに。

 してみると、この場の銭ゲバ的汚職臭も、その辺の事情と無関係ではあるまい。組織を引き締め、健全にするべきトップが機能していないのだから。

 本当に、早々にこの国を出るべきだ。


「ではぁ、計画を立てましょうかぁ。それが済んだら、聖都での生活についての諸注意をさせていただきますのでぇ」


 訪問者相手にいちいちこんなことをやっているから、こんなに時間がかかっているのだろう。

 金を搾り取りたいのなら、もうちょっと効率的かつ生産的にやったらどうなんだ。こんなことでネチネチと時間ばっかりかけやがって。


 それにしても、このいやらしさ。ますますこの国が嫌いになりそうだ。

 吐き捨てたいのはやまやまだが、顔に出すのはまずい。ここは彼らに従うしかなかった。

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