二冊の詩集
寒い。あまりの寒さに目が覚めた。
冷たい空気が、家畜小屋の隙間から滑り込んでくる。この際、清潔さなど二の次、三の次。毛布をかぶって藁の中に突っ込んで、夜をやり過ごそうとしたのだ。だが、この通り。
夜明け前は一番冷え込む時間帯だ。地平線の彼方から白い光が差し込んでくる。牛の背中の輪郭が浮かび上がり、俺の頭上もうっすらと照らされる。
セリパシアの冬をなめていた。こんなに過酷な旅路になるなんて。
まず、とにかく寒い。雪も降る。これが大前提。
救いがあるとすれば、道路だけは立派ということか。地下部分までしっかり作りこんであるらしく、排水能力が高い。かつ、周辺の農民が頻繁に見回りをしていて、凍りついた路面があれば、必ず掃除をしておいてくれる。ツルツル滑って歩けない、なんてことは一度もなかった。
次。馬車がない。自分の足以外の交通手段がない。そんな馬鹿な、こんな立派な幅広の街道があるのに? しかも住民が毎朝メンテナンスしているのに? ところがどっこい、こいつは基本的に軍用道路なのだ。
ギシアン・チーレムによる征服後、聖都アヴァディリクは非武装地帯とされた。結果、往時の堅牢な城壁は取り壊された。その取り決めは支配権が教会に移ってからも変わっていない。しかし、国の中枢を守る必要はあるので、この北西方向に向かう道路の脇には、ちょくちょく城砦が立ち並んでおり、そこに軍が常駐している。有事の際には、何をおいても聖地に駆けつけねばならない。
今は冬季でもあり、戦時中でもないので、あまり軍隊の移動がない。よって道路はスカスカで、人影を見かけるのも稀だ。
では、一般の商人は? いない。いないのだ。
オプコットのような交易都市なら存在する。そこには外国人向けの商人がいる。だが、国内を行き来する商人はいない。それは政府、つまり教会の仕事だ。
要するに、こういうことだ。ほとんどの物資を自給自足できる農民達だが、どうしても一部の物資だけは、購入する必要がある。まず、塩。それから、鉄の農機具。これらは産地が限られるので、誰かに売ってもらうしかない。なのに、戒律はこう命じている。
『友の苦しみに付け込み、金貨を貪る者は、天上では女神の、地上では信徒達の裁きを避けられぬ』
要するに、物品に利益を上乗せして販売する行為が、セリパス教徒には許されない。彼らの解釈では、商売とは盗みだ。それを生産するのにかかった費用が金貨三枚でも、売る時には五枚になる。この差額の二枚が、相手への背信行為という理屈だ。どうやら教会には、運搬や保管に要する労力というものを計算する気がないらしい。
とはいえ、だからといって流通を無視しては、農民達の生活が成り立たない。そこで「仕方なく」教会が仲立ちをする。
まず、産地では底値で買い取る。生産活動も、私欲のためであってはならない。彼らが自分の必要以上のものを作り出すのは、遠くに住まう友……つまり信徒達のためなのだ。だから、材料費の他は、本当にささやかな手間賃を支払うだけで済ませる。この手間賃も「信徒達の生活を改善するために尽力したことを評価する」という名目で与えられる。つまり「権利」「代金」ではなくて、あくまで教会の与える「慈悲」「褒賞」なのだ。
一方、消費者に対しては、名目上は無償で配布する。それはそうだ。同じ神を信じる仲間からの「贈り物」なんだから、「買う」なんておかしい。但し、遠くにいる友人からの贈り物を感謝もなく受け取るなど、信者としてはありえない。なので、彼らはその「気持ち」を金貨や銀貨で示すことになる。もっとも、感謝の順序はまず女神、その次に聖女、更にその後に教会、最後に生産者だ。よってお金は教会の貯金箱に収まる。なお、感謝の形を示せないなら、当然ながら友情に甘えることなど許されない。
これは農民達が農作物を売却する場合にも言える。彼らの収穫したライ麦、生産したチーズなどは、教会が一括して買い上げる。価格交渉など以ての外だ。貪欲さは罪悪なのだから。
さすが宗教国家。ピンハネし放題。
ってか、真っ先に戒律を破ってるのが教会とかもう。
というわけで、商人なんかいない。よって馬車もなく、一般人の通行もない。移動する理由がないし、そもそも勝手な移動自体が許可されない。普通は旅人なんかいないので、移動手段を提供する業者もいない。だから、歩くしかない。
なお、オプコットで商人の存在が許されているのは、あれは外国人向けだからだ。外国人、つまりセリパス教徒ではない。神壁派なんか異端なので、信徒のうちに入らない。戒律では友の苦しみに付け込むのが駄目だといっているので、友じゃないなら問題ないのだ。
まだある。
こうした社会の仕組みゆえに、農民は貧しい。生産性は高いのに、貧乏なのだ。
よって建物も古びているし、修繕もままならない。畜舎の隙間風なんて、優先順位としては一番下だ。だから俺は、毎晩寒い中を、我慢して寝るしかない。
そもそも、なんで家畜小屋で寝るかって?
宿屋がないから。そして、家の中にも入れてもらえないから。
見知らぬ他所の男が、信徒の女性のいる家で寝るなんて、まったく考えられないことだ。それはふしだらな行いなので、罪悪の中でも最も穢れたものに数えられる。
本当は敷地に入るのさえ、遠慮しなければならないのだ。なぜかというと、余所者の男が人妻や少女の視界に入って、彼女らの欲望を刺激するかもしれないからだ。ゆえに、うっかり家族しかいないと思って顔を出す妻や娘と鉢合わせないために、旅行者はそそくさと畜舎や物置に詰め込まれる。
聖都に近付くにつれて、この手の制限はどんどん厳しくなるばかりだ。
この辺の村では、たとえ家族であっても、乳幼児でもない限り、男女が同じ屋根の下で暮らすことは許されない。なんと、すぐ隣にもう一軒建てるか、同じ建物でも、壁で区切って出入りできないようにして、別々に玄関を備えつけていたりする。食器の共用も不可。洗濯物も別々。というか、誤って体に触れるのさえ好ましくないので、物を受け渡す時には、いったんどこかに置く。
たとえ道に迷っても、異性に尋ねてはいけない。それは淫らな振る舞いだからだ。まあ、女であれば必ず髪の毛を隠しているし、下手をすると顔まで覆っているので、うっかり声をかける心配はない。家族であれば、かろうじて会話することを許されるが、なるべく距離を取るのが好ましいとされる。相手の唾が届く距離にいてはならないのだ。
このレベルの凄まじい制約が、日常生活にかかってくる。そして、たとえ外国人の異教徒であっても、この国に留まる限りは、戒律に従わなければならない。
こいつら、正気か?
このところ、毎朝目覚めるたびに、いつもそう思う。
これが外国からの公的な使者などであれば、こんな苦労はない。各地に点在する城砦に招かれるからだ。あれらには宿舎としての機能があるらしい。しかし、一般の旅行者が利用できるようなところではない。というより、この国は、旅行者なるものを想定していない。
なんてことだ。
窮屈、なんてものではない。こんなところ、よくリンは旅できたものだ。いや、むしろこれくらい徹底しているから、逆に女の一人旅でも安全だったのか?
しかし……
俺はポーチからゴブレットを取り出し、朝の一杯を味わう。それから、さっさとそれをしまって、藁の中から立ち上がる。時間が惜しい。
今日、頑張って歩けば。次はまともな場所で寝泊りできる。
というのも、これもセリパス教徒達の生活上の必要から存在するものなのだが、街道沿いにはたまに「祭りの町」なるものがある。町といっても、規模は小さいし、定住している人もいない。
いわゆる「市」というやつだ。日本の地名にもある、四日市とか、十日市とか……そういう性質のものだ。で、ここではいろんなモノやコトがやり取りされる。
無人の間は入場できないので、ちょうどよく間に合う場合には、先を急いで宿を確保しておきたい。
畜舎のボロい扉をそっと押す。周囲に女性がいないことを確認して、やっと一歩を踏み出す。
目の前に広がるのは、濁った白の世界だった。
長年風雨にさらされた木造の家は、もともとそういう素材だったのか、色落ちしたのか、生気のないクリーム色だった。板の継ぎ目がささくれて、表面が剥がれかけている。
その周囲は、ただただ平坦だった。庭も、その向こうの田畑も、数センチの深さの雪に覆われている。降り積もってから数日、晴天が続いたので解けては固まるのを繰り返して、風が運んできた塵や、人の靴の泥などを取り込んでいる。
東の彼方には、地平線に明るみが見える。だが、明け方はいつも雲がかかっているので、日差しがまっすぐ届くことはない。日中はそうでもないのだが、朝は薄暗いのが普通だ。
「罪びとよ」
俺が起きたのに気付いたのか、それとも早起きなだけか。男性用の玄関から、若い男が顔を出した。彼の服装もまた、濁った白だ。彩り豊かな服など、この地ではもってのほかなのだ。それも異性を誘惑する要素だし、そうでなくても必要以上の贅沢である。
「女神の寛恕に感謝を」
「感謝を」
これが朝の挨拶だというのだから、恐れ入る。
眠ったまま死ななくてよかった。裁かれずに済んだのは、正義の女神が目覚めることを許してくれたからだ、だから感謝せよ、と。何事もまず、罪から始まるものらしい。
「許された日をどうなさるお考えか」
「正しき道に至らんものと」
「罪の清められんことを」
たったこれだけだ。
朝だし、飯でも食っていかないか、なんて言ってくれはしない。
別に彼らが不親切なわけではない。とにかく長時間、ここに留まるのが好ましくないのだ。家の女性と出くわすと、面倒なことになる。別に俺は何もしないのだが、他所の男と一緒にいた、というのを誰かに見られると。それが異端審問官の耳に入ると。
迷惑では済まないから、俺ももてなしなんて期待しない。すぐさま立ち去るのが、彼らへの礼儀なのだ。
街道に出た。
この時間にはもう、清掃が済んでいる。道沿いに暮らす人々にとっては、道路の保守は絶対の義務だ。彼らが使うわけでもないのに。
道路の表面を覆う石も、濁った白だった。代わり映えのしない雪景色の中、ポツンと枯草が頭を出している。ただただまっすぐ伸びる道路を、今日もまた、歩き続ける。
やがて雲が去り、頭上が青一色に染まる。それでも、冬の日差しは弱々しかった。
行けども行けども見えるのは平らな大地ばかり。これが夏であれば、麦畑くらいは目にすることができたかもしれない。たまに村落らしきものが、少し離れた場所にポツンと見える。もちろん、近付いたりはしない。
午後になると、少しずつ視界の隅に雲がちらつき始めた。いつものことだ。そうして夕方からだんだんと雲が集まってきて、夜にはかなりの面積が灰色に覆われる。
短い日中、三時にもなれば、日差しには橙色が混じってくる。そんな中、やっと見えてきた。
祭りの町だ。
他の村落とは違って、屋根には色がある。といっても、派手な赤とか青とかはない。焦げ茶色の瓦でしかないのだが、この地ではそれだけでも華やかに見える。それと、集落の周囲が木の柵で覆われている。定められた門以外からは、出入りしてはならないのだ。
こうした特徴から、遠くから見ても判別ができる。
「止まれ」
白い司祭の服を着た中年男と、簡素な革の鎧を身につけた兵士が二人。門の近くにやってきた俺を見咎めて、命令してきた。
「何者だ」
「修行の旅の途上にある従士です。腕輪をご覧ください」
すると司祭がゆったりと歩み寄ってきて、俺の腕輪に視線を走らせる。手振りで指図すると、壁の背後にいた書記官が、机の上でペンを取り上げる。俺は逆らわずに司祭についていき、腕輪を机の上に置いた。
ものの一分ほどで手続きは済んだ。この祭りの町は、本来旅行者を迎え入れるためのものではないのだが、騎士の腕輪を所持している以上、立ち入りを制限するなどできない。
「入れ。明後日の昼には閉鎖される。免罪はそこまでだ。その後は退去せよ」
短く兵士がそう言った。
一般には「祭りの町」で通じるこの場所だが、当局の公式名称は「免罪の町」だ。
免罪、つまり一部の罪をあえて見逃す場所ということだ。といっても、戒律がなくなるわけではない。あくまで少しだけ緩和する。
たとえば、普段の生活では、夫が妻に触れるのも性犯罪である。しかしそれでは、当然ながら性交渉もなく、子供も産まれない。だから夫婦は、わざわざこの町までやってきて、部屋を借り、そこで行為に励まねばならない。
ひどい話だ。どこの誰が出入りしたかは、常に門番にチェックされている。夫婦でここに来るというのは、そういう目的なのだとすぐバレる。プライバシーもへったくれもない。
それから、所有物の交換や販売も、ここでは可能だ。友の窮状に付け込む商売は許されないが、ただ贈り物を交換するくらいのことなら、別に問題ない。というわけで、ここには市場としての機能もある。
娯楽の場でもある。なんと、日常生活では歌や踊りさえ好ましくないとされる。どちらも人の耳目を集め、ひいては異性の欲を刺激するからだ。よって自分で歌ったり、誰かの芸を楽しみたければ、ここに来るしかない。
なお、ここで与えられるのは部分的な免罪でしかなく、完全な自由ではない。なので、配偶者以外との性的接触は問答無用で懲罰の対象になり得るし、売買が許されているといっても、一部のビジネス……たとえば高利貸しなんかは絶対に駄目だ。賭け事も駄目。飲酒も駄目。あくまで生きていく上でやむなく犯す罪を、大目に見てやるだけなのだから。
そういう意味で、ここに頻繁に出入りするのは良いことではない。娯楽も少しは許されるが、それが主目的であってはならないのだ。
ともあれ、俺にとっては、普通の村より快適な空間でしかない。
今夜はここで宿をとる。
少し歩くと、広場に出た。町への入場に先立って、きっと誰かが清掃しておいてくれたのだろう。薄い色の固い地面の上には、雪が積もっていなかった。視線を上げると、仮設のテントがあちこちで店を開けている。
並べられている品物にはこれといったものなどないのだが、ここまでの起伏のない旅路ゆえに、どれもこれも魅力的に見える。
「おや?」
そんな中、少しだけ毛色の違う出店を見つけた。
なんと書籍を販売しているのだ。店の主は頭の天辺が禿げた老人だ。
「こんにちは」
「おぅや」
俺が声をかけても、彼は返事らしい返事もせず、すぐ下を向いてしまう。無愛想で商売っ気がない。
まあ、いい。この旅は退屈すぎるし、気晴らしになる本でもあれば。といっても、そんなに安くもないが。
「おっ」
なんか、見覚えのある名前が背表紙に見える。
『詩集 二巻 クララ・ラシヴィア』
これは、リンの学友だったクララの詩集ではないか? 今も聖都にいるという。到着したら、一度訪ねてみたいとは思っていた。ならば、前もって彼女の作品に目を通しておいて損はない。
何年も前に出版されたものなのだろう。表紙がくたびれつつある。だが、読むのに支障はなさそうだ。
「これ、おいくらですか」
「あいっ?」
「こちら、この本です」
すると老人は、じっと固まって、背表紙を確認した。と、手が動いて、詰まれた本の山の中から、別の一冊を取り出した。そうして二冊セットにしてから、ドンと目の前に置いた。
「金貨十五枚」
「あの」
俺が欲しいのは、この一冊だけなのだが。なんでもう一冊をつける?
新たに追加された本のタイトルを見た。
『詩集 五巻 クララ・ラシヴィア』
こちらは真新しい。
なるほど、同じ詩人の作品だから、まとめて売ろうってか。理屈はわかるが、そうはいかない。新しい分、割高だろうし。
「僕が欲しいのはこっちだけなんですが」
そうすれば金貨五枚、いや三枚でも済むかもしれない。
そう値切ってみたのだが……
「両方」
「は?」
「両方か、五巻だけなら売る。二巻だけなら、売れない」
なんだ?
わけがわからない。いや、足下見てるのか。
「ふざけないでくださいよ。僕はこっちが欲しいって言ったんです。なんで別のものを買わなきゃいけないんですか」
老人は、俺の抗議に静かな視線で応じた。
「なら駄目だ。帰ってくれ」
「ちょっ」
少し腹が立ってきた。
「あなた、戒律を知らないんですか。友の窮状に付け込むなかれ。あなたは今、僕がこの本を欲しがってることに付け込んで、いらないものまで買わせようとしている。これは女神の正義に背くことでは」
「わかった。金貨五枚。一冊分の値段じゃ。でも、両方持っていけ」
「えっ」
そういって、彼は本を差し出してきた。
「い、いや、でも」
「騒がれるくらいなら、タダのがマシじゃ」
彼の表情は読み取りにくかった。だが、少し急いでいるように見えた。
それもそうか。戒律違反だ! とワァワァ言われては、たまったものではない。
「でも、両方じゃないと売らないと」
「そこは譲れん。でないなら、やめてくれ。頼むから」
「わかりました」
俺は溜息一つで頷いて、金貨を差し出した。老人は五巻のほうを上にして、そそくさと手渡してくる。俺もそれをさっさとリュックに詰めた。
なんなんだろう、いったい。
それから俺は、近くの宿に部屋を取った。主として夫婦が使う、連れ込み宿だ。しかし、それ以外の場所がない。
まだ完全には日が落ちていない。なら、休みがてら、ちょっとだけさっきの詩集に目を通そう。
まずは二巻から。
『太陽』
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この暗がりはなんとしたことか
凍えながら彷徨うしかないのか
嘆き悲しむ声に応えるものなく
胸の奥より溢れ出るそれは何か
火のように激しく燃える血潮よ
呻き声とともに零れ落ちる苦痛
凍てつく闇夜の世界をただ一人
いつまでどこまで続く何のため
遠くに見ゆるは出会えぬ蜃気楼
一人赤く燃えながら這い上がる
その満身に力をこめひたすらに
荷を背負い歩む果て無き旅路を
照らしはすれども照らされぬ者
温もりを与えつつ震え凍える者
何に似たのか汝苦に塗れる者よ
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なるほど、太陽か。
俺達人間から見れば、太陽は明るく輝いて見える。だが、太陽にはこの世界がどう見えるだろうか?
自分より強く大きく光るものはない。宇宙は暗黒の領域で、近くには何もない。夜の間に世界の裏側をたった一人で歩き通して、翌朝、また俺達の前に姿を現す。なんという孤独。それは果てしない旅路だ。
もちろん、天体としての太陽をただそう説明したのではないのだろう。
彼女が意図したのは、今、まさに苦しみの中にあってなお戦い抜く人の姿を描くことだ。誰も気付かない、本人すらそれとわからないとしても、全力を尽くすその姿こそが太陽そのものなのだと。
まぁ、これはいい。
問題はこちらだ。
『指』
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指よ私の白い指先
どうしてお前は私に背くのか
黒い大地に降り立って
道を辿って行き着く先は死の顎
そっと食い込む牙に指のみならず
我が身すべてが悲鳴をあげる
なんたる野放図
なんたる裏切り
お前は私をどこへと連れて行く
指よ我が身ならぬ黒い指先
どうしてお前は私を苛むのか
白い雲に掴まって
穿って立てるは君主の旗
罪もないのに縛り上げ
引き摺り下ろして雨を飲み干す
なんたる貪欲
なんたる無法
おお逃れえぬ自由と安らぎの牢獄よ
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ちょっと目を通しただけでわかる。これはまずい。
まるっきり恋の歌ではないか。それも肉体関係を暗示している。というか、かなりエロい。よく出版できたものだ。
では、五巻はどうだろう?
『恩義』
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おお聖女よ
あなたの導きがなければ地上はどうなっていたか
蒙を啓きたもうた方に祝福あれ
おお女神よ
あなたの裁きを待ち望みます
悪を罰し善を守られる方に称えあれ
正しきはよきことかな
罪人すら喜びつつ身を伏せる
刑を宣する声は朗々と
火の縄目も好ましく
氷の刃も心地よい
幸あれ正しきこの世よ
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なんだこれ。
詩というか、賛歌? 女神様万歳っていうだけの。
しかもこれ、文脈からすると罪人が裁かれて首を切られる場面なのに、本人も嬉々として罰に服しているかのような描写になっている。どれだけ自虐的なんだ。
どのページをめくっても、そんなことばっかり書いてある。
これは……
思想統制、か。
さっきの店の老人も、五巻なしでは売らないわけだ。
『彼女に接触したという事実が、あなたを不利にする可能性すらあるのです』
だからなのだろう。リンは神聖教国での未来が約束されていたのに、あえてフォレスティアに戻ってきて、一地方都市の司祭に収まった。もちろんそこには、彼女自身の本質的な不信心もあってのことだろうが。
この町を出たら、まもなく聖都だ。
気持ちを引き締めてかからねばなるまい。
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