龍神の怒りに触れた英雄

 平和すぎる世界が、英雄には物足りなかった。


 先祖の武勲が、物心ついたばかりの少年をあらゆる物で満たしてしまった。豪壮な邸宅に生まれ、乳母やメイド達に取り巻かれ。三度の食事に欠けるものはなく、上等な衣服に広大な庭園。南方からは珍しい香木や薬品が、北方からは見事な工芸品が届けられる。それらは立派な港に停泊している美しい帆船が、彼の一族のために買い付けたものだ。

 代々受け継がれる西方司令部の将軍職、席を占めるのは彼の父だった。街には一族の名誉を称える「シャハーマイト」という名がつけられていた。


 彼、アルティ・マイトは、幼少期には物静かな少年だったという。


 同じ名前の先祖がギシアン・チーレムの部将として活躍し、結果、フォレスティア王国の西方司令官の地位を得た。だが、その肩書きは実態を示していない。元はといえば、ここはセリパシア神聖帝国の領土だった場所で、フォレス人の居住地ではなかった。領有権が書き換わったのは、皇帝による世界統一の結果だ。その後は平和な時代が続いたために、この地域は多くの民族が入り混じって暮らす場所になっていた。ともあれ彼には、マイト家の嫡男として、ゆくゆくは将軍の地位を受け継ぎ、この多民族国家を統治する未来が定められていた。

 これについて、問題となりそうな要素は何もなかった。三百年も国家間の戦争がなく、物流は盛んで、人々の多くは富み栄えていた。たとえアルティが軟弱な青年に育っても、武勇を必要とする状況はどこにもなかった。西方大陸の内海には、国同士の対立はおろか、海賊すら見当たらなかったのだ。


 何不自由しない生活の中で、唯一、手に入らなかったのが……だから、乗り越えるべき困難だった。


 幸か不幸か、アルティは年を重ねるごとに、だんだんと美しく、そして逞しく育っていった。それを見て、周囲の大人達は喜んだ。なにしろ、元はセリパシアの一部だった地域のこと、価値観は居残るものだ。強く逞しく美しい者こそ、リーダーに相応しい。たとえ力を振るう機会がないにせよ、力があるように見えて損することなど、何もない。

 だが、アルティ自身にとっては、これは苦痛この上なかったらしい。


 天才というのはいるもので、アルティは剣術に魔術に、一流の才能を発揮した。十歳になる頃には、周囲の大人達も、どうやって指導すればいいか、わからなくなるほどだった。

 最初の事件は、彼が十二歳の時に起きた。両親に無断で冒険者ギルドに登録し、勝手に依頼を受けたのだ。ちょっとした騒ぎにはなったが、最終的には、将軍である父が、武技に優れた部下を指導者兼お目付け役とすることで妥協した。

 だが、その更に二年後、今度こそ大事件が起きた。監視の目を盗んでアルティは、一人でムーアン大沼沢に向かった。その奥地にて、彼は単独で黒竜を討伐する。普通は数十人が集まって、犠牲を払いつつようやく討ち取れるものを、たった一人の少年がやったのだ。国内はもとより、世界中に彼の超人的な武勇が知れ渡った。なお、十四歳で黒竜を単独討伐したというこの最年少記録は、それから七百年近く経った今でも、いまだに破られていない。


 アルティは、理想的な次期将軍候補だった。名門マイト家の嫡男で、かつての皇帝にも匹敵すると評されるほどの武勇を誇り、しかも背が高く、美しい容姿の青年だったのだ。無論、腕力だけでなく、教養もあった。輝く彼の姿に、黄色い声をあげる娘達がどれほどいたことか。だが、彼の不品行が噂になることはなかった。

 これまでの三百年も素晴らしい時代だったが、ここからは更に素晴らしい未来がやってくる。この時には、誰もがそう思っていた。


「その話はもちろん、知っています」


 ダニヴィドが語りだしたのは、後の偽皇帝・アルティの物語だ。

 彼の前半生は栄光と幸福に満たされていた。だが、手にした富と名誉、そのすべてを、彼は無にしてしまう。


 十九歳の時点で、両親が他界した。人々は優しい統治者が世を去ったことを嘆いたが、将来を悲観してはいなかった。父に勝る最高の騎士が跡を継ぐのだから。

 ところが、ここで異変が生じた。


 彼の就任を祝うために、すぐ南のワディラム王国から、王太子が駆けつけた。アルティと王太子は、共にパドマの学院で学んだ仲で、それなりに友好的な関係だった。だから、誰にも予測できなかった。どんな理由によるものか、彼はいきなり王太子の首を刎ね飛ばしたのだ。

 一説には、西方区域に移住したサハリア人と、先住のフォレス人との間で諍いがあったのがきっかけだったと言われているが、確たることはわからない。とにかく、シャハーマイト市内に暮らしていたサハリア系の人々は、殺されるか、追放されるかした。

 腰を抜かしたのは、ワディラムの王だ。息子の死に怒り狂うというより、そもそも真偽を確かめねば始まらない。なにしろ三百年も続いた平和だ。それがいきなり破られるなど、想像もつかなかったに違いない。だが、彼は対処を誤った。グズグズしているうちに、アルティの率いる軍勢が押し寄せてきて、王族のほとんどを虐殺し、都を占拠した。


 話はこれで終わらなかった。

 国家間の紛争など、許容するわけにはいかない。フォレスティア王国は、宗主権をもってアルティに停戦を命じた。セリパシア神聖王国は、事態の収拾と事後処理のため、王自ら軍勢を率いて南下した。

 これにアルティは、またも虐殺と追放で応じた。今度は、ルイン系の人々を都から叩き出したのだ。そして手勢を即刻北上させ、ムーアン大沼沢の付近でセリパシア軍を大いに打ち破った。


 この時、彼は巨大な石碑を建造した。戦勝を記念すると共に、ここではじめて『皇帝になる』ことを宣言したのだ。

 皇帝は、世界全体の利益のために、新たな事業に取り組み、これを成し遂げる存在だ。アルティが主張し、実現しようとした目標は、「新たな世界秩序の構築」だった。

 かつてギシアン・チーレムは世界を統一し、その後の統治を六大国に委ねたが、彼らは皇帝の遺勅を守っていない。その証拠が、この仮初の平和だというのだ。


 確かに、内海には海賊もいないし、国家間の紛争も起きていない。だが、世界から不幸が取り除かれたわけではない。おかしいではないか。

 怪物が跋扈する魔境はいくつもある。ムーアン大沼沢をはじめとして、赤竜の巣、他にも世界の各所に魔物の巣窟たるダンジョンが残ったままだ。なのに、それらは本格的な討伐を受けず、人々の安全は確保されていない。これは諸王国の怠慢だ。

 それから、人々の間の自由と平等も実現されていない。アルティ自身、高貴の生まれだから自動的に将軍になった。逆に庶民に生まれたら、ずっと庶民のまま。だが、先帝は平等を目指してはいなかったか。彼は、皇帝の権威を一代限りとし、使命を終えたら地上を去っている。六大国に統治を委ねたのは、その体制を是としたのではなく、いつか平等な世界に移行するための一段階とするためだったはずだ。なのになぜ、まだ王侯貴族が居残っているのだ。

 現に下層階級の男達は、暮らすのに不自由はなくとも、一家を構えるのは難しい。帝都では先帝以来、性差別も撤廃されているとのことだが、この「平等」は、逆に「差別」だ。平和が長く続いたために、男達の武力としての価値は下がった。一方で確保された安全ゆえに、女の一人旅も難しくなくなり、彼女らは自前の商売を抱えるようになって、同じ身分の男達を撥ね付けるようになった。結果、シャハーマイトでも子供の数が減っている。

 見た目は繁栄していても、街の片隅には、文句も言えない人々の呻き声が響いている。見てくれだけの形骸化した正義が、彼らを不幸にしているのだ。


 意外にも、彼の主張に賛同する者は多かった。現状に満足しているのでなく、満足するよう強いられているのだと、少なからぬ人々が自覚していたからかもしれない。

 特に、フォレス人は戦勝国側だったこともあって、帝都の文化に強い影響を受けていた。セリパス教の影響が強かったルイン人、サハリア人と違って、フォレス人社会では女性の解放が先んじて進んでいた。だから、アルティの呼びかけに対して、下層民ほど積極的に応じた。このままぼんやり暮らしていても、出世もできない。結婚すら怪しい。死ぬまでの時間を、退屈な仕事とどうでもいい気晴らしに費やすくらいなら、一旗挙げたほうがずっといい。


 アルティは、人々を「色分け」した。

 彼の主張に賛同する者は味方、そうでないものはどう扱っても構わない。セリパシアとの開戦前、西方区域の各都市が、次々アルティの訪問を受けた。その都度、略奪と虐殺、強姦が横行し、少なからぬ男達が家を捨て、志願兵となって彼の後に続いた。


 そんな雑兵どもを掻き集めての戦争なのに、彼は勝った。勝ち続けた。

 ムーアンの畔でセリパシア王を捕虜にすると、彼自ら剣をとって、兵士達の前でその首を刎ねた。そのまま、彼は軍勢を東に向ける。

 フォレスティアの王都・レジャヤでは、大急ぎで迎撃のための軍が編成されていた。だが、その努力は無駄だった。鎧袖一触、またしてもアルティは易々と勝利を手にし、フォレスティア王は公開処刑された。


 アルティの目的が新世界秩序の構築である以上、王族が生き残る余地はなかった。彼は社会の上層に対して、激しい攻撃を加えた。富裕な商人は全財産を没収され、それは兵士達の懐を暖めた。貴族達には投降と協力を呼びかけたが、これに従わない場合には、徹底的な攻撃の末の虐殺が待っていた。兵士達が略奪や強姦に勤しんでも、彼はそれを咎めなかったが、彼自身が私腹を肥やすことは一切なかった。それがまた、彼の名声を高め、兵士の士気を高めた。


 ティンティナブリアを経由し、エキセー地方に達した時点で、南方大陸のポロルカ王家が派遣した軍勢と激突した。これもアルティの一方的な勝利で終わる。そこから彼はまた北上、ロージス街道を東進して、ついに帝都の対岸に辿り着く。

 だが、ここで進軍が止まった。なにしろ、流民同然の軍勢を、ろくに編成もせずに引き連れてきたのだ。数ばかり膨れ上がったものの、およそ管理が行き届く状態にはなかった。糧食は不足しがちだったし、軍規もなければ訓練も足りていない。こんな状態でよくも勝ち続けたものだといわざるを得ないが、これ以上はさすがに無理と判断したらしい。


 彼にとって、世界の西方の脅威は、既に取り除かれていた。ワディラム、セリパシア、フォレスティアの各王国は主君を失い、嫡流も途絶えた。ポロルカ王家だけは別だが、こちらも大軍を失っている。すぐには再起できない。地理的にも本拠は遠く、先に討つべきではない。

 となれば、残る敵は東方大陸の大半を押さえるチャナ王家、そしてその向こうにいるワノノマの軍勢だけだ。但し、帝都がおとなしく軍門に降ればの話だが。


 当時の帝都には、飛び地の領土があった。東方大陸北西部、かつてインセリア王国のあった地域で、帝都にとっては穀倉地帯でもあった。ここにもそれなりの人口があり、常備軍も存在していた。つまり、パドマの征服は、ただの孤立した一都市の攻略では終わらない。世界で最も堅牢な水上都市は、まだまだ援軍を期待できる状況にあったのだ。


 アルティは、軍の中の精鋭だけを別途編成して、チーレム島に渡ることにした。残る軍には、糧食や資材の徴収、支配地域の確保……要するに後方支援を命じた。もちろん、準備でき次第、増援として後に続く。とにかく、時間をかけてはならない。のんびりしていると、せっかく得た戦機を失ってしまう。

 迅速な行動でチーレム島に渡航した先遣隊の先頭に、彼はいた。そして、例によってパドマから防衛隊が出撃してきたが、これはあっさり退ける。そうして帝都の包囲が始まった。


 ここまで快進撃を続けてきた彼だったが、そろそろ風向きが変わってきた。

 帝都の城壁はこの上なく堅牢で、何度攻撃を浴びせても突き崩すことができない。海に面した出口がたくさんある水上都市、しかもだだっ広い街でもあって、兵糧攻めも成り立たない。隙間から船が抜けていっては、東方大陸からの補給を受けてしまう。魔術や投石器などの兵器の質でも、世界最先端の技術を持つ帝都に分がある。

 唯一、野戦では圧倒的にアルティが強かった。個人の武勇で彼がひけを取ることはなく、戦えば必ず勝った。だが、次第に真っ向から戦いを挑む敵はいなくなった。帝都の防衛隊は壁の中に閉じこもって、ひたすら救援を待つようになったのだ。


 最初に駆けつけたのは、チャナの王だった。アルティの数倍の兵力をもって、一気に「解放軍」を押し潰そうとした。だが、それは下策だった。アルティとその周辺を固める精鋭の突破力は並外れており、幾重もの守備陣を難なく壊滅させて、またたく間に王の首級を挙げた。

 だが、大軍は居残ったままだった。まだ人々は「統一された世界秩序」を信奉しており、ゆえにチャナの将軍達は、抵抗を続ける選択をしたのだ。

 そして彼らも学ぶ。とにかく正面きっての決戦では勝ち目がない。であれば、いやがらせに徹してやろうと。彼らは薄く広く海岸線に広がって布陣し、アルティ軍への補給を妨害する戦略をとった。


 これ以上の戦争の長期化は好ましくない。質はどうあれ、数に対抗するには、数が必要だ。一気に決着をつけるべく、アルティは西方大陸の自軍を招きよせることにした……


「知ってますよ。海が大荒れで、兵糧と兵士の大半が海に沈んだんですよね?」

「その通りじゃ」

「それと龍神と何の関係が?」

「総勢三十万にもなる大軍を葬ったのが、ただの嵐でなく、ヘミュービだと言ったら、どう思うかのう」

「……えっ」


 龍神が戦争に介入して、大量虐殺?

 さすがにそれは、誰も知らない歴史の裏面だ。


「人間同士の戦いに心を痛めたのは、青の龍神モゥハじゃった」

「ワノノマの……」

「そう。今でも人々と繋がり続けている、唯一の龍神とされておるな。モゥハは東の果てからやってきて、停戦の仲介をしようとしていた。基本的に、神は人のやることに介入はせんものだが、今回ばかりはと……じゃが、西の果てからやってきたヘミュービは、別の考えをもっておった」


 その考えというのが、力ずくの解決というわけか。


「モゥハは争う人々の前に顕現して、その多くを改心させようと望んでおった。だが、それでは生温いとして、ヘミュービは島に渡ろうとする船に暴風を叩き付け、片っ端から沈めてしまった」


 ヤバいなんてモノじゃない。

 本当に人を殺す神なのか。


「この振る舞いに、モゥハは怒った。なぜこんなにも容易く魂を去らせるのかと。ヘミュービは答えた。人が人を治めてはならぬ、神が人を治めた時代にすべてを戻すべきだ、と」

「それは、そうかもしれませんが」

「また、人間一人一人を調べ上げ、邪悪な魂は滅ぼし、世界を清浄に保たねばならぬ、と」

「ちょっと、それは……」


 なんたる過激思想。

 ダニヴィドも頷いた。


「モゥハとヘミュービは、相容れなかった」


 それで彼らは、別々の考え方で、それぞれのやり方で世界を守ることにしたらしい。いくらなんでも、龍神同士で争うわけにはいかないので、互いに引き下がりはしたのだ。


 一方、援軍を失ったアルティは、苦境に立たされていた。ただでさえ補給も足りていないのに、本拠たる西方大陸の支配にも翳りが見えてきてしまった。加えて、ようやくにして到着したワノノマ軍、そしてインセリア軍が、執拗に攻め立ててくる。

 もはやこれまで、と思ったのか。それとも、なおも希望があると考えたのか。アルティは自身を先頭に、すべてを捨てて、帝都の南門に突撃した。ついに門は打ち破られ、軍が市内に突入した。

 だが、もはや数が違った。数日間に渡る戦闘で、市内の各所が破壊され、炎上した。大勢の市民が巻き込まれ、命を落とした。帝都に加勢するインセリア軍は、大公の嫡男をこの戦いで失った。それでも、ついにアルティ軍は壊滅した。但し、彼の首級は得られていない。最後に本陣を構えた市街地の一角が、完全に燃え尽きてしまっていたためだ。


 なお、アルティが偽皇帝と呼ばれるのは、形だけとはいえ、帝都で戴冠式を挙行したからだ。

 一時的に捕虜になった女神教の総主教に強制して、市内中央の政庁で儀式を執り行い、帝冠を得た。だが、その三日後には、彼の軍勢は全滅している。


 この戦争の損失は、甚大だった。

 フォレスティス、セリパシス、ワディラムの嫡流が途絶え、チャナ王も戦死した。ポロルカ王家は存続したが、軍勢の大半を失った。


 最初に王統に混乱をきたしたサハリアでは、ワディラム王家の影響が弱まり、東部諸侯の独立を許した。もともとセリパシア帝国時代から、サハリア東部には独立独歩の気風が強く、西部を支配する帝国軍に抵抗してきた歴史がある。たった三百年前まで、彼らは誰の支配の下にもなかったのだ。だから、これは自然な流れだった。

 セリパシアでは、王の死が宗教勢力の台頭に繋がった。最初、アルティに呼応する形で一部の貴族が王族を駆逐したが、王子の一人がアルディニアに逃れた。その後、時間をかけて教会がそれら反乱貴族達を制圧したが、国家の支配権を王家に返そうとはしなかった。亡命したセリパシス王家は、その後、リント平原を挟んで神聖教国と睨み合うことになる。

 フォレスティアの受けた影響は、更に悲惨だった。王家の生き残りの中から四人もの王が現れて、互いに主導権を奪い合った。また、それまで地方貴族に過ぎなかったラーナ家なども台頭し、特にピュリスやスーディアを中心に、独立勢力が覇を競った。

 争いの震源地だった今のマルカーズ連合国では、民族間の憎悪が生まれた。アルティが最初にサハリア人、続いてルイン人を選別して、虐殺したせいだ。また、戦争初期の組織的な強姦の結果、混血の私生児も大量に生まれた。以後、この地域では紛争が繰り返されることになる。


 比較的影響が小さかったのは、南方大陸だった。

 ポロルカ王家は、大陸南端の広大な領地を維持できた。しかし、東岸、西岸とも、それぞれ独立勢力が生まれた。特に西岸は、独立したサハリア系の豪族の影響を受けて、常に不安定な政治状況に置かれるようになった。

 東方大陸でも、徐々に統治が乱れ、軍閥が割拠して争うようになる。ほぼ無傷のままでいられたのは、ワノノマだけだった。

 帝都は、以後、世界を主導する権威を失った。この後も独立を維持し続けるが、もはや世界の中心ではなくなってしまった。


 これが諸国戦争の始まりだ。六大国は崩壊し、この混乱は三世紀に渡って続いた。

 アルティの掲げた「正義」とは裏腹に、世界は何の見返りもなく、ただただ悲劇に包まれた。


 彼はどうして挙兵したのだろうか? その大義名分を信じる人は、今の時代、どこにもいない。

 多くの人々がその理由として挙げているのが、「単に武の才能を生かす機会が欲しかっただけ」というものだ。平和な時代に生まれた戦いの天才、それゆえの野心だったのでは、と。


 結局、残ったのは……


『皇帝になりたがる』


 という諺だけだった。

 アルティは、自分の才能に溺れた、堕ちた英雄として記憶されることとなったのだ。


「まぁ、そういうわけでの」

「はい」

「ヘミュービは、あれ以来、より一層、人間を憎むようになった。だから人と見ればいきなり殺すものかもしれん。わしら贖罪の民だけが一応の例外で、あとは誰のことも許してはおらんのかもな」


 なんとも救いのないこと。

 例外であるはずの贖罪の民もまた、使い捨てられるのが目に見えている。また、だからこそ、彼らも龍神とは心理的に距離を置いているのだろう。


 俺が殺されそうになったのも、ありふれた出来事のうちの一つでしかなかったのかもしれなかった。

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