狭い盆地の王様

 五日間の降臨祭も、今日が最終日。頭上の空は穏やかな晴天で、日除けがなくても困らないほど日差しも優しかった。微風がそっと吹き抜けていくので、空気が澱むこともない。

 そして、ようやく俺は、祭りを満喫する立場になっていた。


「えー、続いての競技はー、玉ころがしでありますー」


 いつも以上にコミカルな実況の声。今日は男性だ。

 子供達の歓声には、大人のそれと違って、夏の草葉が触れ合うような密やかな喜びが満ちている。それが遠く離れたこの観客席にも届いて聞こえる。


 降臨祭の見所はいくつかある。実は、一番人気なのが初日の歌唱大会で、これは有名になりたい芸人が全力を尽くすので、上手な演奏だけでなく、笑いを誘う一発芸なども楽しめるのだとか。一方、闘技大会は、本気でやらないのが大半でもあるし、賭けをする男達には人気があるが、女子供はあまり見ない。

 最も人気がないのが料理大会で、これなんかは昼間のたった二、三時間で終わってしまう。だが、必要な日程なのだ。というのも、最終日がこの「秋の運動会」だからだ。客がはけた後、係員は大急ぎで後片付けをして、運動会の準備を始める。


 人気があるのかどうかはわからないが、何しろ我が子が出場するイベントなので、育児中の都民で席が埋まる。他所の土地からやってきた陳情者には関係ないし、家庭をもたないガイ達にも見る理由がない。

 ならば外国人である俺にも、顔を出す必要などないのだが……


「ほら、ファルス、煎り豆うめぇぞ」

「あ、はい」


 あの司会役が、ギルの兄らしい。それを応援する意味もあって、パダールとギルは見物にきていた。ついでに俺の席も確保してくれたのだ。

 ちなみに、ギルはあの試合のせいで、全身傷だらけになっている。顔の半分は包帯でグルグル巻きだし、腕にも足にも、膏薬を貼っている。俺がイリシット相手に遊んでいるうちに、パダールが控室に駆けつけて、彼を回収してしまった。あれだけ暴れて気が済んだのか、抵抗する余力がないのか。これでギルも実家に帰ったことになる。


「みんな、準備はできたかなー?」


 この運動会に参加しているのは、年嵩でも八歳とか、九歳くらいまでだ。十歳でも子供にカテゴライズされはするのだが、そろそろこの辺りから、大人になる準備が始まる。少年奴隷が売れる年齢を思い出せばわかることだが、職業訓練も始まるし、先輩方との付き合いもしなければならない。そんなこんなで、五年くらいかけて一人前になっていく。ギルは、その入口に足をかけたところ、だった。


「よぉし! じゃあ、あのお姉さんのいるところまで、競争だ。ヨーイ、ドン!」

「わぁぁぁ!」


 合図とともに、子供達が大きな玉を押して駆け出す。赤、白、青……いろとりどりに着色された玉が、地面の上を転がっていく。地面? そう、一晩のうちに土をかぶせ、均したらしい。石畳のままでは、子供が転んだ時、怪我をするからだ。裏方の苦労が偲ばれる。

 見守る観客からも声援がとぶ……のだが、ふと、甲高い叫び声が混じる。何人かが指差している。なんだ? と思って視線を向けると。


 一つだけ、小さめの球がある。黄色に塗られたその玉は、年少の子供達ばかりに押されている。それがゴロンゴロンと転がっているのだが……


「頭?」

「ギャハハハ!」


 ギルも気付いて笑っている。

 転がる球から突き出た頭の上には、見紛うことなき、あの銀色の、略式の王冠が乗っかっていた。ミール王、何やってんだ。

 貴賓席を見ると、真ん中に座っているのは王ではなく、王子だった。父親と違って、なかなかのイケメンである。子供達のイベントだから、ホスト役も若い王子に任せますと、そういうことか?


「一着、白! 二着、緑!」


 勝負がついても、子供達はなかなか気分を切り替えられない。お祭り特有の雰囲気のせいか、妙に興奮して、飛び跳ねたりしている。

 そうこうするうち、一番最後に、王様を中に詰めた黄色の玉がゴールした。あっ、蹴ってる。子供達が王様のボールを取り囲んで。容赦ない。


「大丈夫か、この国……」

「ん? あの王様、いっつもあんな感じだぜ?」


 あんなの、いつでも暗殺できちゃうだろうに。

 それでも芸人をやめないとか。いい歳で、もういろいろ肉体的につらいんだろうに、よくやる。


「自分の子供を見る以外なら、だいたい王様がアホなことやってっから、それ見に来るのが定番なんだよ」

「ハァ」


 俺が目を点にしているのが面白いのか、ギルはそんな説明をしてくれる。

 庶民派の王様、か。そこまで評価されるために、彼はどれだけ努力してきたのだろうか。


 そう物思いに耽っていたところだった。

 背後から影が差す。


「ん? おやおや、こんなところまでわざわざ」


 人影に声をかけたのは、パダールだった。


「どうも、ご無沙汰しております」

「いい身分だな、パダール」


 怒りのこもった低い声で、場違いな人物が吐き捨てた。

 庶民の集う南東の座席に、将軍であるコモンドンが顔を出したのだ。彼はギルと、その隣に座る俺を一瞥すると、また視線をパダールに戻した。


「顔を出せと伝えたはずだが?」

「相済みませんで、今はあの通り、息子が頑張っておりますので、見ないわけにはいきませんでな」

「ふざけるな!」


 彼が怒りを爆発させると、周囲の人々が驚いて、視線をこちらに向ける。だが、すぐ関係ないと悟って横を……顔をこちらに向けずに、様子を窺っている。


「親父」


 ギルが前に出ようとする。

 それをパダールは無言で遮った。


「あんな真似をしておいて、ただで済むとは思っておるまいな」

「あんな真似、というのは」

「息子を傷だらけにしておいて、よくも」


 すると、パダールは意味ありげに横のギルを見やった。


「なにぶん、試合の上でのことですからなぁ。うちの子も、まぁ、随分やられましたが、これも自業自得と思っておりますよ」

「くっ」


 確かに、怪我をしたからと怒鳴り込むのなら、まず先にパダールの側が声をあげて然るべきところだ。それに傷だらけというが、俺はイリシットについては、股間しか攻撃していない。しかも最後の一撃は、彼が降参したフリをして突っ込んできたものだから、手加減できなかっただけだ。……子種が絶えてなければいいのだが。


「こんな真似をしておいて……ただでは済ませんぞ」

「ただで、というと、何かあるのですかな」

「せっかく席を空けておいてやったのに、主人を噛む犬など、飼ってはおれん」

「ああ、そういうことですか」


 イリシットの祐筆になる。将来の就職先を確保してもらう。だからこそ、パダールもギルも、コモンドンやイリシットに平身低頭の姿勢を崩さなかった。


「大変残念ですなぁ」

「残念で済むのか。鉱夫として、死ぬまで埃に塗れて暮らすことになるぞ」

「はて、それはどうでしょう」

「なに?」


 パダールは、これまで見せたこともない、不敵な笑みを浮かべていた。


「広い世界を見に行く、というのも、悪くはないかも知れません」

「ハッ! 冒険者にでもなるというのか。同じことではないか!」


 チャルと同じ選択。王都に生きる場所を見つけられないから、他の土地に流れていく。ギルのこの街における将来は、閉ざされてしまったのだ。


「息子が自分で選んだことですからな」


 だが、パダールに動揺はなかった。


「自分で決めたことなら、親は応援する。いいものですよ、息子の独り立ちというものは」

「貴様」

「ところでコモンドン様、あなたもそろそろ、息子さんを独り立ちさせては」

「なんだと!」


 親の権勢と家柄をたてに、横暴な振る舞いに出る。これが「自立」した大人の男のすることかといえば。

 だから、コモンドンは怒りをおぼえつつも、返す言葉がなかった。


 わなわなと肩を振るわせつつも、彼は身を翻し、去っていった。


「ああ、そこの売り子さん」


 すぐ近くで騒ぎを見物していた売り子に、パダールは声をかけた。


「串焼きを三本、もらえるかね」


 受け取ると、それを俺とギルに手渡し、何事もなかったかのように舞台を見ながら、さもうまそうに食べ始めた。


 昼に休憩を挟んで、夕方になる頃には、お祭りもおしまいだ。

 秋の運動会はとっくに終わっていて、地面の上には木製の舞台が持ち込まれていた。


「次、辺境開拓事業に功績あった者。故マーグ・スムルトが妻マリウ、前へ」


 お祭りの最後には、この一年間における国家の功労者を表彰する。

 その功績を、赤い上着の担当官がよく通る声で読み上げる。


「マーグは先の二号要塞の防衛において、隊を率いるものとして獅子奮迅の働きを示しながら、武運拙く斃れた。その勇気と献身を称えて、ここに表彰するものとする」


 王が表彰状を手渡し、故人の妻であろう人物が身を折ってそれを受け取る。

 観客席からは拍手が降り注ぐ。さすがに真面目な空気にもなるので、誰も声をあげない。


「なお、マーグの遺族、及びその他の殉職者の遺族には、陛下よりの恩給が約束される」


 あのゴブリンの王チュタンが陥落させた要塞では、結局、隊長が戦死していた。

 幸い、俺とノーゼンがいたので、被害は最小で済んだものの、やはり打撃ではあったのだ。平和なタリフ・オリムで唯一、血を流し続ける場所。でも、そうでもしなければ、未来を拓けない。これからも犠牲は避けられないだろう。だからこそ、こうして顕彰し、保護する姿勢を見せるのだ。


「次、伝統工芸の継承に尽力した者……」


 とはいえ、お祭りの最中にずっと湿っぽい空気が流れ続けるのも困る。すぐ次にいく。

 そこまで時間もかからず、すべての表彰が終わった。と、その瞬間。


 東と西の出入口から、歌声が響き始める。

 そこから一人、二人と、男女の歌い手がゆっくりと姿を現す。これは閉会の挨拶のための仕切り直しということか。都合、四十人もの歌手が現れて、最後には大音量で締めくくった。

 それが済むのを見計らって、舞台の上で待機していたミール王が声を張り上げた。


「皆の者! 今年も一緒に祭りを楽しめて、ワシは嬉しいぞ!」


 拍手と歓声が轟く。


「この一年、いろんなことがあったが、やっぱりみんな、仲良く過ごすのが一番じゃ! ワシはそう思う!」


 仲良く、か。

 直前まで、融和派と独立派の争いに揺れていたことを、思い出させてくれる。


「来年も皆の顔を見たいのう! そこで約束じゃ。来年もまた、元気でここに戻ってくること! ……チビッ子は、約束を守ったら、ワシがお菓子をあげちゃう」


 実際、今日もお菓子を配っていた。例によって、あの丸く膨れ上がった衣服の中に、飴玉やらクッキーやらが詰め込まれていたらしい。それと気付いた子供達にたかられて、体中に手を突っ込まれていた。

 他にも、ボール投げ競技の的になったり、借り物競争の借り物になったりと、もはや自虐的といっていいくらいの活躍っぷりだった。


 コミカルな語り口に、笑い声まで巻き起こる。だが、冷静になって見つめてみれば、その切実な願いに、思わず息が詰まる。

 ミール王は、今日までどれだけの苦労を重ねてきたのだろうか。


「ではのう! また共に祭りを楽しもうぞ!」


 何かの合図でもあったのか、また歌手達が美声を響かせ始める。すると観客達は、さっさと席を立った。歌声に見送られながら家路につくという演出なのだ。


「終わっちゃいましたね」

「だな。けどお前」


 降臨祭は終わった。しかし、俺の用事はまだ残っている。


「王様に呼ばれてんだろ?」

「はい。これからちょっと行ってきます」

「そっか。じゃあ、俺は親父と家に帰るからよ」

「まだ体も治りきってないでしょうから、気をつけて」


 二人と別れて、俺は観客席から降りた。


 外から見れば円形の競技場。そこから大勢の人々が吐き出されている。彼らは一様に笑顔だが、それにはどことなく透明感があった。秋の風のようだ。爽やかではあるものの、なんともいえず空虚だ。

 楽しい一時が過ぎ去った後の間隙に、この街を彩る夕日が差し込んだ。家路につく人々は、誰も彼も橙色に染まっている。草も木も。いつか恋人同士が睦み合っていたベンチも、今は沈み行く陽に照らされている。王宮の庭の外周を囲う、金属の柵……黒い金属の棒が、鈍く照り返す。

 この光景こそが、この街に生きる人々の心の中の世界なのだ。


 だが、俺はそれを見送ると、踵を返した。王宮を出るのとは反対に。いつか王と謁見した、あの階段の下へと向かう。

 そこにうずくまる人影があった。


「ノーゼンさん」

「来たか」


 ミール王、というか贖罪の民と手を組んだ代々のアルディニア王にとっては、いざとなれば彼に頼るのが一番なのだろう。金銭も名誉も求めず、ただただ魔との戦いに協力しさえすれば、裏切らないことを約束してくれる。かつ、得がたいほどの凄腕なのだから。特に非公式の活動においては、便利この上ない。


「人払いは済んでいる。関係者以外はいない。ミールならこの上だ」


 それで俺は一礼して、無言で先に進んだ。


 階段を登りきると、薄暗い通路に、列柱が立ち並ぶばかりだった。夕暮れ時の光も、ここにはあまり差し込まない。どんな構造になっているのか、天井がアーチでなく、平らになっている。そのせいもあってか、微妙に圧迫感がある。

 やや先に進むと、頭上が広くなった。石柱の間隔が左右に広くなる。高いところから、左右ともに真っ赤なカーテンが吊るされている。足元にも絨毯だ。そして、足元の石の床は、濁った暗い緑色のブロックに変わった。

 正面には、半屋外の壁がある。背中から西日を浴びているその壁のこちら側に、豪華な椅子が据えつけてある。玉座だ。


 その玉座の上に、小さな姿が丸まっていた。こうしてみると、しおれかけた花のようだ。白くなり始めた髪や髭。もともと短い手足。小さな体。

 ミール王は、そこに座ったまま、うっかり眠りこけていたのだ。


 不用心すぎる? いや、入口はノーゼンが押さえている。だが、だからといって。

 とはいえ、無理もない。この五日間、彼に休む暇なんて、なかっただろう。


「……んっ? おっ?」


 気配で目が覚めたらしい。


「おおぅ……ワシ、寝てたみたいね」

「陛下。お疲れでしたら、後日でも」

「あー、いやいや。ワシも明日からは、またみっちりお仕事あるの。それにね、これ以上君を待たせるのも悪いから」


 チョコンと降り立ち、サササと近寄ってくる。

 こうなるともう、さっきまでの疲れた様子はまるで見せない。


「とりあえず、先に大事なことを済ませちゃおうか」


 そう言って、彼は手招きする。逆らわずについていくと、玉座の裏側に出た。

 そこには、もう一つ玉座があった。つまり、謁見の間を東西に隔てる壁があって、その壁の表と裏、両方に椅子が据えつけてあったのだ。

 但し、造作はかなり異なる。あちらが涼しい屋内で使うことを前提とした品になっているのに対し、こちらは風雨にさらされてもいいように、石と金属で作られている。


「フフフ、見たことある? ないよねフフフ」


 ちょっと得意げに、早口になって喋っている。


「ほら、ここから見渡してごらん」


 西側の玉座は、ごく狭いスペースを占めているに過ぎなかった。一際高い、狭い床のすぐ下に、一段下がった空間がある。恐らくは、そこに将軍達が居並ぶことになっているのだ。更に下には石畳があり、そこは一般兵士が整列して待つ場所になっている。その石畳はかなりの奥行きがあるのだが、その向こうは芝生になっている。その芝生の向こう側に、分厚い石の城壁がある。

 玉座を始点に、東西を貫く形で、だんだんに幅広になる階段がそこまで続いていた。


「もう、ここ百年、使ってないんだけどね」


 平和のうちに王国を統治する玉座。そのすぐ背面には、西からの侵略に備える最高司令官の椅子がある。

 これがアルディニアの現実なのだ。


「なぜここに」

「言い訳とかお詫びっていうのは、事情を説明してするものだからだよ」


 穏やかな笑みを浮かべつつ、彼はそう言った。


「ねえ、ユミレノスト」


 すぐ下、将軍達の台座、玉座からは死角になる場所に。枯れ木のような老人が立っていた。痩せ細っているためにブカブカになった法衣を引き摺りながら、体を揺すりつつ、どうにかこうにか階段を登って、こちらまでやってきた。


「お久しぶりです、ファルス様」


 うっすらと笑みを浮かべた彼は、そういって身を屈めた。


「説明してやってよ」

「畏まりました」


 すると彼は、懐から二通の手紙のようなものを取り出した。


「こちらは、談合と贈収賄の記録です」

「賄賂?」

「鉱石の売却価格は、我が国の役人が決めておりますが、どこの誰にいくらで卸すかは、裁量がございます。それで、不当に安い価格で売り渡すことにして、その分浮いた利益の一部を……」


 キックバックさせていた、と。

 それは、誰に?


「やったのは財務官僚だけど、黒幕はクロウルだよ」


 ミール王が補足する。


「それとこちら」


 もう一通を取り出し、ユミレノストが説明を続ける。


「これは手紙です。女子修道院に半ば強制的に監禁され、日々陵辱を受けていた女性が自殺。その事実を、我が身の危険を承知で伝えた覚悟の密告でございます」

「自殺!?」

「だから、今回の事件は『二度目』なんだよ」


 さすがにミール王の顔にも、笑みはない。


「表立っては愛人だってもてない国だしね、合意の上であれば必要悪だと思わなくもないけど……イリシット君はやりすぎたね。最初の愛人に死なれたから、次を探していたんだ」

「呆れた」

「でしょ? そんなの、次の将軍にしたくなんかなかったからね」


 そんなわけで、意図的に蹴落とす機会を狙っていた、と。

 しかし、そうなると最初の愛人を受け入れたのは。


「ということは、こちらは独立派」

「左様でございます」


 つまり、両派閥とも、汚点があったわけだ。では、なぜ告発しなかった?


「……あっ」

「お気付きですか」


 ニヤッと笑う。どうも彼は苦手だ。人の心を見透かすような顔をするからだ。


「この狭い盆地の世界ではね」


 首を振りながら、ミール王は溜息を交えて言った。


「正しいことでも、下手に目立つとろくなことにならないんだよ」

「だから、誰かに訴えさせることができなかった」

「そう。だから、やり方を選ばなきゃいけなかった。どちらも民衆の支持を得ている集団だからね。と、そこで君が現れた……」


 つまり、ユミレノストは俺と会った時に、既に考えていたのだ。これは利用できる、と。

 旅の騎士。この国とは縁もゆかりもない。彼なら、正義の告発をしても、後々まで尾を引く問題を抱えることにもならない。

 しかし、やり方が問題だった。いきなりポンと証拠を渡して、さぁ、公表しなさいでは成り立たない。外国から来たばかりの少年が、どうしてそんなものを持っているのかと、そういうことになる。

 都合のいいやり方がすぐには準備できなかった。だからユミレノストは、俺を「足止め」することにしたのだ。両派閥の力を削ぐため、最適のタイミングを図って利用したいがために。その口実が「神の壁での修行」だった。


「では、あの最初の謁見は」


 俺はミール王に視線を向けた。


「そう。あの時、ジョロスティとクロウルに会わせたのも、わざとだよ。二人がああいう反応をするのはわかりきっていたからね。君を放置して省みないユミレノストなんか捨てて、ジョロスティの側についてくれれば、と思っていたんだよ」

「これは私の読み違いでした」


 笑みを崩さず、ユミレノストが言った。


「ファルス様が、予想以上に義理堅くておいででしたので……ジョロスティ師の元に送り込んでから、まずクロウル師の不正の証拠をそれとなく手渡して。そこで独立派に食い込んだところで、今度は彼らの悪事をお見せする。そうして、どちらにも女神の裁きをと、そう考えておりましたが」


 何が何でも聖女の祠に立ち入らねばならない俺は、ユミレノストに嫌われることを恐れた。確かに、野宿までしなければいけなくなったのに、まるで助けてくれる様子もなかった彼には、好意を抱く余地などなかった。それでも、ジョロスティに頼ることで敵を作り、目的を果たせなくなるほうを避けたのだ。


「何もかも思い通りにはならなかったけど、結果だけはうまくいったんだよね」

「イリシット様が少々やんちゃな振る舞いをなさいましたので」


 例のツルハシ男の件だ。

 あれを独立派は「外国の陰謀」、融和派は「地方陳情者の暴挙」とそれぞれ罵りあった。だが結果は、表向きには王都在住の変質者が起こした事件ということで落ち着いている。二階にあがって大声で怒鳴っていたはずが、どちらも降りる梯子を外されてしまった格好になった。


「ジョロスティは、つい今朝、地方巡察の旅に出たし、クロウルも国外視察に出かけたねぇ」

「どうにも居心地が悪くなったようで」


 つまり、両派とも打撃を受け、活動自粛と相成った。

 都内の争いは沈静化し、王家が主導権を取り戻した、というわけだ。


「でも、待ってください」

「うん、なにかね」

「それだけの証拠があるのなら、最初から全部表沙汰にしてしまえば。ジョロスティもクロウルも、失脚させられたのでは」

「それはその通りだし、気持ちとしてはそうしたくはあるんだけれども」


 眉をへの字にして、ミール王は寂しげに笑ってみせた。


「やったらやったで困っちゃうんだよ」

「それはなぜ」

「全部王家にきちゃうでしょ」


 そういうことか。


 アルディニア王国は、弱小国だ。強国には逆らえない。ただ、あっさり攻め落とせるほど弱くはない。

 外から見ると、この国は、いくつかの利権に応じて、それぞれのリーダーが存在する。独立派、融和派、そして国王。さて、では、何か要求を通したい時、誰に言えばいいのだろうか?

 理屈の上では全部国王に言えばいいのだが、話はそう単純でもない。ミール二世は「一人じゃ決められないから」とごまかすかもしれないからだ。また、それは半ば事実でもある。

 だから、そんな単純なやり方をするよりは、自分の味方をしやすい人を交渉相手にしたほうがいい。たとえば、神聖教国ならクロウルあたりをパートナーにする。そこを足がかりに、アルディニアへの働きかけを行うのだ。これは東側の諸侯にとっても同様で、こうして王都には有力者が何人も並び立つ状況が生まれてくる。

 この状況を、ミール王は「崩さないほうがいい」と考えているのだ。


 逆に考えてみよう。邪魔な派閥を全部叩き潰し、今後は自分がすべてを決裁する。それは効率的だし、透明感があって心地よい。しかし、そもそもの交渉相手を失った神聖教国からすれば、パートナーを消されたというだけで気分はよくないし、しかも今後は直接ミール二世に話を持ってくる。

 持ち込まれた要求に対して、彼はイエスかノーか、明言しなければならなくなるのだ。それは彼のスタンスを明確にする。いつも色よい返事ができるならいいが、相手は仮にも仮想敵国だ。ネガティブな応答には、態度を硬化させるだろう。アルディニアはまだ、隣国の怒りというリスクに耐えられない。


 のらりくらりと曖昧な態度をとり続け、その間に国力の充実を図る。そうして国民の平和と安全を守れるようにする。そのためには、派閥というクッションは、汚職の件を差し引いても、必要悪なのだ。

 たとえば、外国に鉱石を売る件にしてもそうだ。たくさん売りたい時には融和派有利の状況を演出し、差し止めたい時には逆にする。アルディニアごと征服しようと相手が思わない限り、責任を負わずに思惑通りにできる。

 但し、別のリスクが残る。派閥が実力をつけることだ。今はちょうど、そうなりかけていた。だから先回りして不正の証拠を握るなど、手は打っていたのだ。しかし、最後の決め手に悩んでいた。


「ということで、ユミレノスト」

「はい」

「いつ?」

「これ以上はお待たせ致しません。二日後には、確実に。但し、ファルス様」


 こちらに振り向きつつ、彼は付け加えた。


「聖女の祠に立ち入るには、せめて地元の誰かを同伴してください。誰と入るかは、事前に教会までお伝えください。その代わり、監視も守衛も立ち去らせておきます」

「は、はい」

「じゃ、早速手続きお願いね」

「はっ」


 ユミレノストは俺とミール王に一礼し、振り返ると、静かに階段を降りていった。


「ということなんだよ」


 これで、俺のこの都での問題は、ほとんど片付いた。


「それと、もう一つの件? そっちも手を打ったから、安心していいよ」

「と言いますと」

「やだなぁ、わかってて言ってるんでしょ? 楽しいお祭りの後に、あんまり言いたくないけど。サモザッシュは、三日前に逮捕して牢屋に放り込んであるから」


 やっぱりこの王様、手際がいい。

 ちょうど闘技大会の日。つまり、イリシットを潰したタイミングだ。


「罪状が山ほどあるからね。違法賭博、脅迫、横領、偽証……」

「支部長になって半年も経ってないのに、よくもまぁ」

「ね? ワシもビックリ」


 もともと金に汚い男だっただけなのかもしれないが。

 だとしても、どんな自信や後押しがあって、こうなったのか。


「も一つ調べといたよ」

「何をですか」

「サモザッシュが持ってた古金貨」


 それもわかったのか。


「あれね、学者さんに調べてもらったら、およそ千二、三百年前の、東方大陸南部の金貨なんだってさ」

「なんでそんなものが」

「さあ? サモザッシュも、どこの品物かは知らないって言ってたらしいけど……」


 普通の人がそうそう持っているようなものではない。あれを彼にプレゼントしたのは、いったい誰なのか?

 それも問題だが、もっと大きな謎がある。ドランカードやその仲間達が俺に対して、執拗な嫌がらせに出たのは「アイデルミ家が面子を守ろうとしたから」ということになっていた。サモザッシュは、アイデルミ家の威勢に逆らえず、それに加担していたという図だ。ところが、これがまったくのデタラメというのがわかっている。

 つまり、きっかけはドランカードの泥酔だったとしても、サモザッシュはそれとはまったく別の理由に基づいて、俺に対して悪意ある行動を選択してきた。だが、それはなぜなのか。これがまだ、明らかになっていない。


「ワシも忙しいから、これは四日後でいいかな」

「はい、構いません」

「ごめんね、待たせて」

「とんでもありません」


 とはいえ、これで。

 長かったが、この街でのいろいろな問題が、すべて片付く。

 ようやく息がつけるというものだ。


「ねぇ、ファルス君」


 気付くと、ミール王の視線は、また西の壁に向けられていた。


「この風景、どう思う?」

「どうって……」


 少し考えて、言葉が思いつかなかった。


「壁、です」

「そりゃそうだね」

「でも、石畳もきれいに整備されて。すぐにでも使えそうですね」


 心の中に、景色を描いてみる。

 玉座にミール二世が腰掛け、そのすぐ横に大将軍と宰相が立つ。一段下には、一軍を率いる将達が立ち並び、指示を待つ。軍旗たなびく中、大勢の兵士達が御前に整列して佇む。長い階段を駆け上がって、伝令が急を知らせる……


「ワシね」


 遠くを見るような顔で、彼はポツリと言った。


「王位を引き継いでからは、一日一度、ここから西を見るようにしているんじゃよ」


 意味を悟って、俺は気持ちを引き締めた。

 それはつまり、毎日戦争のことを意識している、という意味だ。


「もちろん、壁があるから、何にも見えないんだけどね。この壁も戦時中じゃないと兵士が上には立たなくて、普段はその一つ向こう側の防衛線にいるんだけど。だから、ここはいつも無人なんだよ」


 それでも、謁見の間のすぐ背後が、そのまま最前線の指揮所になっている。

 この緊張感を、彼は忘れまいとしているのだ。


「もう行こうか」

「は、はい」


 身を翻し、ミール王は謁見の間へと引き返す。俺もついていった。


「ファルス君」

「はい」

「この国は、どうだった?」


 虚ろな空間に、声が響く。

 聖女の祠を調査し、サモザッシュの背後にいる黒幕の存在を確認したら。俺はまた、旅に出る。


「ちょっとは気に入った? どう?」

「はい、素晴らしい国だと思います」

「うそぉっ」


 ニタニタしながら、肘で俺をつついて。彼は気さくにそう言う。

 けれども、すぐ気持ちに真面目なものが入り込んできたらしい。


「ワシの息子、見た?」

「はい、遠目にですが」

「どうだった?」

「凛々しい方かと」


 頷くと、彼は言った。


「あれはワシに似ず、美男子に育ったからのう。次男もそう。だから、ワシは心おきなく死んでいける」

「そんな陛下」

「この国では……いや、セリパシアでは」


 ゆっくりと歩きながら、彼は続けた。


「健全な肉体に健全な魂が宿るものだと、そういう考えが昔から根強くてね。男は強く大きくあるべし、と。だけどワシ、ほれ、ちんちくりんじゃろ?」

「ええと、まぁ」

「けど、上の兄が三人とも若くして亡くなってはね。しょうがなく王様になったのさ」


 それが彼の人生を過酷なものにしたのは、想像に難くない。

 冗談めかしたアイドル王。そのキャラ作りに取り組まねばならなかったのは、なぜか。

 強さ、美しさで都民の支持を得ることができない。そして、王国が支配力を発揮できるのは、あくまでタリフ・オリムの盆地の中だけ。寸断されたロージス街道の向こう側にあるのは、半ば独立勢力と化した小規模領主達の世界でしかないのだ。

 この状況で彼が依って立てる場所は、やはり王都だけだった。ならば民衆の支持が必要だ。しかし、自分には魅力が欠如している。ないなら、作り出さねばならない。できないなどと泣き言を言う暇などなかった。弱小国の代表なのだ。こうして彼は、都民から愛される善良な王というイメージを作り出した。

 派閥の乱立を許すやり方もあって、彼の立場はいつも難しかったはずだ。常に頭を働かせ、陰謀を巡らせて。この上なくトリッキーなやり方で、それでもなんとかここまで泳ぎきってきたのだ。

 匙加減を間違えれば、国が滅んでいてもおかしくなかった。少なくとも、彼はそう実感している。また、実感しなければならない。だからこそ、毎日西の壁を眺める習慣を続けているのだ。


「苦労なさってきたんですね」

「なんの」


 それでも、彼の口元には、優しい笑みが見て取れた。


「子供達の笑顔を見るだけで。みんなの笑い声を聞くだけで。疲れなんか吹っ飛んでしまうよ」


 人々がそれと気付かなくても。

 彼は人知れず、この国の平和を守り続けているのだ。彼なりのやり方で。


「悔しいのは、みんながみんなを守りきれないことだけど。ワシの力不足だから」

「そんな」

「……旧六大国の生き残り。神聖セリパシア帝国の後継者。聖なる教えの守護者。名前ばっかりは立派だけどね」


 何もない黒い天井を見上げながら、彼は呟いた。


「所詮ワシは、このせまーい盆地の王様でしかないんじゃよ」

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