彼女だけの銀冠

 毎日演目が変わるお祭り。運営を取り仕切る王宮の役人達もグズグズしていられない。

 初日は楽だ。歌唱大会など、ただ特設ステージを用意して、あとは参加者を順番に案内すればいいだけだからだ。二日目の闘技大会も、準備はさほどでもない。ただ、怪我人が出るなどすると、急いで救護に駆けつけなくてはいけない。ついでに、石畳に血の跡などが残っては、その後に差し支えるため、掃除と確認の手間がかかる。

 本当に彼らが苦労し始めるのは、三日目以降だ。国内のあちこちの工房から、自慢の一品が持ち込まれる。アダマンタイトを鍛えた銘剣、色とりどりの宝石をあしらったミスリル製のネックレスなどなど、王国の工芸の精髄が展示されるからだ。どれも貴重なものなので、盗難でも起きたら大変だ。しかも、この日は一般の人々が展示品の間近に降りてきて見物するので、警備にも気が抜けない。

 そして、今日、四日目。


「あーうー」


 薄暗い控室。簡素な木のベンチの上に座り込んだまま、不出来な弟子が、呻き声をあげている。


「そろそろ時間です。他の店はもう、ステージにいるみたいですし、早く準備を始めましょう」

「ううう」


 そう促しても、チャルは動き出そうとしない。


「ねー、お師匠ー?」

「なんですか」

「やっぱり、お師匠の名前で出ることにしませんかー」

「もう遅いです。それに、作って出すのはチャルですから。僕はそれを手伝うだけ」

「おかしいですー」

「おかしくありません。さ、早く」


 今更、怖気づいているのだ。


「だ、だだだだぁーってー」

「だって、なんですか」

「他は名店中の名店ばっかりなんですよー」

「それがどうしました。名声があろうとなかろうと、目の前にある皿はいつも一つです」

「相手になるわけないじゃないですかー」


 四日目の料理大会。

 これに参加する店だが、実は案外少ない。


 理由は実に単純で、そんなことをしても「儲からない」からだ。

 この祭りの数日間、飲食店にとっては書き入れ時だ。もともと外食文化が盛んなこの街ではあるが、この時期となれば、誰もが普段よりいいものを食べ、酒も飲む。みんな仕事の手を止めて、祭りを見物したら、その足で友人知人と食事を共にするのだ。

 そういう大事な稼ぎ時に、わざわざ営業もせず、名誉を得ようだなんて、普通は考えない。それに挑むとなれば、チャルが尻込みしているところからもわかる通り、貴族に供しても恥ずかしくないような一品を出せる一流どころとの勝負となる。どう考えても旨みがないのだ。

 しかし、そのせいで、例年の参加者はいつも同じ顔ぶれで、四日間の中では一番盛り上がりに欠けるイベントになってしまっている。だいたい、実食できるのは国王陛下をはじめとした数名だけで、あとは観客席から見下ろすしかできないのだ。

 もっとも、そのおかげで予選もなく、チャルのような泡沫候補がいきなり本選に出場できたりもする。この点、あまりに無防備だ。エスタ=フォレスティア王国であれば、毒殺の可能性を考慮するがゆえに、絶対にあり得ないことなのだが。


「勝たなくていいって言ってるでしょう?」

「大恥をかきますよー」

「減点です。恥をかいて困るのは誰ですか」


 これは心得の問題なので、言って聞かせねばなるまい。


「……私ですー」

「そうですね。では、料理を出されて味を楽しむのは、どなたですか」

「……お客様ー?」

「正解です。なら、問題ないですね」


 恥でもなんでもかけばいい。お客が喜べば、それでいい。

 自分のために出す皿なのか、客のためなのか。最初の一歩を間違えてはならないのだ。


「でも、他はみんなすごいお店でー」

「他は他。チャルはチャルです。よそ見しないで、お客様のことだけ考えなさい」

「あううー」

「ほら、立って」


 腕を引っ張られ、やっと立ち上がる。だが、視界の向こうに明るい出口と、並べられた簡易キッチンが浮かび上がると、また臆病風に吹かれ始めた。


「やっ、む、無理ですーっ!」


 四角い石柱に抱きついて、泣き言を言い始めた。


「今からやめるほうが無理ですよ」

「無理、無理なのも無理ー」


 足まで絡めて。

 今になって、何がそんなにいやなのか。


「とにかく、時間がないので」


 俺は、彼女の首に纏わりついているスカーフを引っ張った。


「ぐぇえ」

「急いでください」

「だ、だだだだってー」

「まだ何かあるんですか」


 チャルは冷たい石柱に頬をくっつけて、か細い声で言った。


「私、お父さんみたいな完璧な料理人なんかに、なれるわけが……」


 客のために料理を供せよ。それは道理なのだが、彼女が料理人になりたいと思うのは、何より父の存在ありきなのだ。その父の名誉を踏みにじるような真似をしたら。


「何を言っているのですか」


 俺は、手を緩めた。


「完璧な料理人なんていません。完璧な皿なんかありません」


 現に、ソークだって失敗をしている。蕎麦の麺をこの街に普及させることができなかった。他にも、きっとアイディアだけで終わってしまったものが、いくらもあるのだろう。


「真心こめた一品と、それ以外があるだけです」


 今回の料理は、ある意味「必勝」にして「必敗」でもある。優勝なんか、ハナから捨てている。だが、絶対に評価してくれる人がいるはずだ。この一品を求めて止まない人がいると、わかっているから。


「さぁ、腹ペコのお客様をお待たせするのですか。それでは、お父様が余計に悲しまれるのではないですか」

「ううう」


 今更逃げも隠れもできない。それはわかっているのだろう。手足から力が抜けた。


 ゲートをくぐる。この前の闘技大会と同じ場所のはずだが、仮設の厨房がいくつもあるせいで、やたらと手狭に見える。

 いくつかある簡易キッチンの横には、既にして数人の人影が見える。調理開始の合図はまだだが、手間のかかる下拵えなどは、自分の店で済ませているはずだ。今は小声で話し合い、手はずを整えている。


 北側の貴賓席から、鐘の音が聞こえた。ということは、国王陛下他、貴顕の方々のご入場だ。

 闘技大会の時とは、座席の配置が違う。前列の中央にはミール王が座っている。その右側にはクロウル、ジョロスティが、左側には、白ネギみたいな老人と、ステーキみたいな中年男が腰掛けた。あれは宰相のサルヴァジールと将軍のコモンドンだ。なるほど、国王と、宗教界の代表二人、文官と武官の代表をそれぞれ一人ずつ。今年は彼らが審査員を務めるということか。

 とすると、わかってはいたが、少し、いや、かなり不利だ。コモンドンは先日の件で俺を目の敵にするだろうし、クロウルも俺を敵視していた。今となってはジョロスティも俺に好意を向ける理由がない。というか、イリシットから事の次第を聞き知っていた場合、彼もまた俺の敵になるのではないか。


 ……まぁ、どうでもいいか。


 そこにいるのが、たとえ親の敵であろうと。料理は料理だ。手抜きもしないし、特別なこともしない。いつも最善を尽くすだけ。


「チャル」


 声をかける。いつも表情豊かで愛嬌のある彼女だが、今は。

 緊張で爪先から頭の天辺までガチガチに固まっている。目は見開かれ、顔色は青白く。呼びかけに応える余裕すらない。

 だが、これはこれでいいか。緊張と集中は紙一重の関係にある。本当に問題になりそうだったら、俺が横でフォローすればいい。


 ふと、会場が静かになる。

 国王陛下が席を立ち、開会に際しての挨拶をしようとしているのだ。


「皆の者」


 真面目そうな表情を作っての語りかけ。だが、それは最初だけだった。


「楽しかったお祭りも、明日で終わりじゃの~」


 いきなり腰砕けになるような口調に変わる。


「ワシね、いっつもこの四日目が一番楽しみなのよ。初日の歌合戦もイイし、国中から集められた工芸品を見るのも嬉しいんじゃけど、やっぱり『食べるもの』は『生きていく上で絶対に必要』じゃからの。いつもいつも、どんな品が出てくるか、期待しちゃう」


 俺は表情を引き締めた。

 やっぱり、そうだ。


「アルディニアならでは、タリフ・オリムならではと言われるような名物料理を食べてみたいの~、なんて思ったりするの。だから、ワシをビックリさせてくれんかの」


 短い手をバタバタさせながら、軽いノリで喋ってはいるものの。彼の望みは切実だ。

 王者たるもの、あらゆる活動が国家運営のための仕事である。お祭りだって、大事な仕事の一つだ。庶民や臣下達は楽しんでいてもいいが、彼だけは目を見開いて、国の将来を考え続けなければいけない。

 闘技大会では国防力に繋がる有為な人材を見出し、工芸品展示会では優れた技術を発見し、そしてこの料理大会では……


「ということで、ここにおる五人が審査員じゃ。素晴らしい一品を期待しておるぞ! さ、はじめじゃ!」


 その言葉を合図に、簡易キッチン前の人々が一斉に動き始める。


「チャル!」

「はいっ!」


 既に切り替えていたか。

 髪の毛が皿の上に落ちないよう、白い三角巾をかぶり。上着も白いのを羽織っている。


「メインの麺は任せる。僕は何もしない。その間、副菜の準備を進める」

「わかりました!」


 さぁ、都民の度肝を抜いてやろう。


「んむ?」


 俺は、持参した木の板を立てて、自分の作業台の周囲を覆った。それを見て、ミール王が首を傾げたのだ。

 まさかこんなところで毒殺なんかするわけもないのだが、これを看過などできない。背後にいた係員が歩み寄ってくる。


「そこ! 調理の様子は見せなさい。万一のことがあったら」

「見ないほうがいいと思うんですが」

「何を言っている! 仮にも国王陛下が召し上がるものだ。毒でも入れたりしたら」

「あなたが監視してくれれば、問題ないでしょう」


 そして俺は、材料を詰め込んだ木箱を開けた。


「……ひぃっ!?」

「だから見ないほうがいいと言ったんですよ。ちなみに、毒はありません」


 ソレを指差しながら、赤い上着の宮廷人は、ガクガク痙攣している。


「なんなら一つ、食べてみます? ほら、毒見ということで」

「よ、よせっ! わかった! わかったから!」


 やっぱり拒否反応が大きいか。

 思わずほくそ笑む。


 隣では、既にチャルが生地をこねはじめている。

 俺もグズグズしてはいられない。


 ……一時間も経たず、どこも調理を済ませていた。

 終了の合図があるわけでもないが、だいたいどこも作業を終えている。俺達も準備は済んだ。


「では、最初は、『帝王食堂』のシンフィから、お出ししてください」


 係員の声に、会場の一角を陣取っていた人達が動き出した。


 五人の審査員は別々のテーブルを前に座っている。テーブルは広いが、更にすぐ後ろにも別のテーブルがあり、背後に宮廷人が立っている。目的が食べ比べであり、ゆえに一度に多くの品を並べられるようにしてある。それでも収まらない場合は、後ろに置くというわけだ。

 審査結果はどうするのか? それぞれのテーブルの前面に、六つの円筒状のものが置かれている。これにはそれぞれ、番号が書き込まれている。審査員は各六本の小さな旗を持っており、これをそこに挿す。ちなみにチャルは、六番だ。


「これは何かのう」

「はっ! 我が国が誇るブルキアの牛、その牛肉を贅沢にステーキにしてみました。特上の味わいをお約束致します!」


 料理人の代表らしき初老の男が、審査員の横で声を張り上げる。これは見世物なのだ。観客席には人がいて、どんな料理が出されたのか、知りたいと思っている。ステージの上からだと、どれくらい声が響くかわからないので、つい大声で答えてしまったのだろう。


「では陛下、皆様も、実食のほうを」

「うむ」


 心なしか、ミール王の表情は暗かった。それでも銀色のナイフとフォークを取り出し、分厚いステーキを切り分ける。

 見ただけでわかる。あれは特上の肉だ。それが何の抵抗もなくスッと切れる。あんなの、どう転んでもうまいに決まっている。


「見事じゃ。誉めてつかわす」

「ははっ、ありがたき幸せ!」


 今回の参加者は合計六店舗。全部平らげてなどいられない。一口だけで、それは後ろのテーブルにまわされる。


「では次! 『ダイニング・ヘミュービ』のジャクム、お料理を」


 二番目のチームが慌しく動き出した。ごく小さな壷にスープが入っているようだ。とすると、あの調理法は、佛跳牆のようなものか? 下準備に何日かかったのだろう。


「ほう!」


 あの仏頂面のクロウルが、香りだけでパッと表情を明るくした。ジョロスティまで、隣の人物に対する嫌悪も忘れて、同じく目を見開いている。

 前世の佛跳牆は、壷の中に乾物を中心とした高級食材を詰め込み、長時間煮込むものだった。いろんな料理を食べ、作ってきた俺だが、さすがにあれの高級なやつは食べたことがない。いくらなんでも、たった一度の食事に何十万円も出せなかったからだ。

 だが、それに相当するような高級料理だとすれば……


「まずは一口、お召し上がりください」


 食材についての説明はせず、壇上に上がった中年の料理長は、自信たっぷりにそう言った。

 その一口で、彼らの見開かれた目が、更に大きく見開かれた。


「これは?」


 味に対する驚きのあまり、コモンドンは尋ねずにはいられなかったらしい。貴族でも目を回すほどの美味、か。


「はい。こちら、サハリアより輸入しました赤竜の肉、南方大陸より輸入した香辛料、東方大陸にて採取された海産物などを材料としました壷焼きスープでございます」


 赤竜の肉、というところで、観客席からワッと声があがった。当たり前の話だが、人間がドラゴンを食べるより、ドラゴンが人間を食べるほうがずっと多い。赤竜は強力かつ獰猛で、知能が高く、しかも集団で活動する捕食者だ。普通の動物を狩るのとはわけが違う。だからその肉自体が希少であり、金を出せば手に入るようなものでもない。

 その素材を生かしきる技術があってのことではあろうが、あのスープは余程の味に違いない。一口含むごとに、審査員達の表情が緩んでいく。料理長の顔もだ。これで今年の優勝は間違いない。そう思っているのだろう。


「では、そろそろ次の試食を」


 そう言われて、審査員達は残念そうに手を離した。ここで腹を満たすわけにはいかない。


「……大丈夫ですよね」


 小さな声で、チャルが呟く。


「喜んで、いただけますよね」


 だが、表情に澱みはない。まっすぐ前を見据えている。やることはやった。そう思えばこそ、開き直れる。


「では最後、ええと……店の名前は……いや、ええと、チャル、お料理をお出ししてください」

「はい!」


 他の店舗は一品だけの提供だったが、俺達は違う。別に一種類の料理しか出してはならないなんて規約はないので、いくつでも皿を出していいはずだ。

 メインは蕎麦の麺。つけ汁は、これは残念無念ながら、鶏ガラスープで作るしかなかった。醤油がなければ、和風のそばつゆなんて作れない。但し、横に塩だけを小さく盛った小皿も用意した。質のいい蕎麦は、塩だけで食べてもうまいのだ。

 炭水化物だけでは物足りない。だから、蛋白質も取れるよう、「ミニガレット」とでも呼ぶべき小さな三角形が小皿に積まれている。またもう一つ、少し大きな皿もあり、こちらには緑色の蔓を茹でたものが、一定の長さに切られてある。


 チャルはおずおずと壇上に上がり、一人ずつに料理を供していく。表情に緊張はあるものの、覚悟ならとっくに決まっているようだ。

 さぁ、どうなるか。


「ふむ、これは?」


 ミール王は、出された料理に眉を寄せる。

 灰色がかった麺は、小麦ではない。小さなガレットもどきも、なんだかよくわからない。この緑色の蔓みたいなのも、見たことがない食材だ。


「そちらの麺は、横の小皿のお塩か、スープにつけて召し上がっていただくものです。副菜は、そのままでも」

「ほう」


 そこへジョロスティが割って入った。


「この麺は? 白くないが、小麦ではないのか」

「はい。それは蕎麦を中心にしたものです」


 この返答に、審査員の多くは訝しげな顔をした。高価な小麦ではなく、安価な蕎麦を使う。その意図はどこにあるのかと。


「まぁ、食べてみないとわからんのう。ワシはいただくぞ」


 率先して、ミール王がフォークを取って、一口。他の審査員も、あまり期待はしていないようだったが、とにもかくにも料理に手をつけ始めた。


「ほう? なんだね、これは」


 クロウルがガレットもどきを食べて、表情を変える。


「食べたことがないような味わいだ。クリーミーで、香りもよい。なんというか……何に似ているのか」

「エビ? いや、魚のような」


 未体験の味に、彼らは見当違いな推測を口にする。


「上品ですな」

「こちらの野菜? みたいなものは……歯応えが独特だが、コクがあるというか、微妙な甘みがあるというか」


 彼らは何も知らずに食べている。


「まぁ、悪くはない……だが、わざわざ大会で出すほどの品だろうか」

「発想は面白いかもしれないが。蕎麦の麺か。これはこれで、なかなか」


 そこでようやく、ミール王が尋ねた。

 小さなガレットを指差しながら。


「そろそろ教えてくれていいんじゃない? これ、材料はなんなんだい? ね? ね?」

「それは……」


 チャルの顔色が悪くなる。

 さすがにこれを言うのには、勇気がいるか。


 俺は簡易キッチンから離れて、チャルのすぐ横に駆けつけた。


「おやぁ、ファルス君。一昨日ぶり」

「ご無沙汰してます、陛下」

「変わった味だったね。これ、君の?」

「手伝っただけです」


 それで、と彼は皿の上を指し示す。質問に答えろということだ。

 俺は、懐からそれを取り出した。


「そのミニガレットの中身は……コレです」


 時が止まった。

 一瞬の静寂の後に、悲鳴と怒号が周囲を包んだ。


「ひっ!」

「む、虫!?」

「イモムシだ! なんてものを食わせるんだ!」


 イモムシだなんて、味も素っ気もない、しかも不正確な表現はやめていただきたい。

 これは、タリフ・オリムの東半分を覆う森林で採取した、カミキリムシの幼虫だ。地元産の貴重な蛋白源なのだ。それをバターで炒めた。


 しかし、セリパシアには昆虫食の文化がない。もちろん、フォレスティアにも。

 ピュリスにいる頃、あれこれ文献を漁ってみた限りでは、昆虫食の伝統があるのはまず南方大陸、それに東方大陸の南西部くらいなものだ。

 昆虫は、すぐに成長する。寿命が一年程度の生物なので、大きくなるまでに必要とする栄養と時間が僅かで済む。この点、育ちきるまで時間のかかる牛肉なんかとは、比べものにならない。

 しかも栄養豊富で、優れた食品たり得る素質を秘めている。カロリーが高めなのが唯一の泣き所だが、この世界では過食より欠食のほうが脅威なので、これも問題ない。

 もっとも、虫ならどれでもいいということはない。堆肥の中で育ったカブトムシの幼虫なんか、まず食えたものじゃないだろう。この点、樹木を餌とするカミキリムシなら、香りも上品で、味わいも芳醇。


 懸念される点は、見た目だけだ。だったら、それを隠してしまえばいい。

 しかし、正体が明らかになった今。審査員達は面白い反応を見せてくれている。ジョロスティは慌てて水をガブ飲みしているし、クロウルも、さっき飲み残した赤竜のスープの残りを飲んで、口の中をゆすいでいる。「クリーミーで、香りもよい」とか言ってたくせに。


 眉を寄せつつも、口元には皮肉めいた笑いが貼り付いたまま。ミール王は次の質問をした。


「この野菜はなにかね」

「葛の蔓です。この時期の草花で、雑草同然にいやというほど伸びるので、いくらでも採れますから」

「ほう、なるほどね」


 さて、彼は俺達の意図を汲み取ってくれるだろうか?


「と、壇上から降りてくださーい」


 促されて、俺とチャルは階段を降りた。横を見ると、あからさまに彼女は落ち込んでいた。やっぱり駄目だったんじゃないか、あんなに嫌悪されるなんて、と。

 いいや、まだそう捨てたものじゃない。


「では、審査員の皆様方! これはと思う料理に、旗を挿してください!」


 進行役の女性がそう叫ぶ。

 参加者は六店舗。だから一人あたりの票数も六。これをどう割り振るかは、各人の自由だ。


 ズコッ、と音がした。コモンドンは迷わずすべての旗を二番目の店に割り振ったのだ。

 その次に判断が早かったのが、ジョロスティとクロウルだった。彼らは六番目、つまり俺達以外の全員に一本ずつ旗を挿し、最後に二番目の店にもう一本を追加した。

 白ネギみたいな宰相は、散々迷った挙句に、二番の店に三本、四番の店に二本、五番の店に一本を割り振った。


「どうやら、優勝は決まりのようじゃの」


 ミール王は、まだ投票していなかった。だが、国王とはいえ、手持ちの旗はやはり六本。全部を使い切っても、他の店が二番目の『ダイニング・ヘミュービ』を超えることはない。

 彼は旗をテーブルの上に投げ出すと、席を立った。


「では『ダイニング・ヘミュービ』のジャクム! 壇上へ!」


 軽やかな足取りで、中年の料理長は階段の下に駆けつけた。勝つのは当然、といった誇らしい顔で。

 ミール王の後ろに控えていた赤い上着の宮廷人が、そっと儀礼用の金の冠を差し出す。それを王は両手で受け取ると、既にして跪いているジャクムの頭に、それをそっと載せた。


 これで決着。今年の勝者は、彼らだ。

 会場からは、拍手が降り注ぐ。順当な結果ではあった。だいたい、あんな貴重な材料が出てくるなんて、滅多にない。名店としての意地と誇りをかけて、コスト度外視の勝負に打って出た。だから勝った。

 しかし、これでは面白くないだろう。あんな貴重な料理、どれも一生食べる機会なんてない。まぁ、ブルキア牛のステーキくらいなら、なんとかなるかもしれないが。観衆の大多数を占める一般庶民にとっては、手の届かない贅沢を見るだけで終わる。

 その結果がこの拍手なのだ。無難な結果に、無難な拍手。はぁ、やれやれ、俺達が食う機会なんてないけどな、と。そして彼らは、見世物は終わったとばかり、席を立とうとする。


「待つのじゃ」


 いつになく低い声。誰が言ったのか、すぐにはわからないほどに。

 ミール王だった。


 会場の騒音が静まるのを待って、彼は静かに言った。


「チャルよ、壇上へ」


 何が起きた? 誰もが驚いた。だが、誰より驚いたのは、チャル自身だったろう。

 金の冠を載せられて、跪いたままのジャクムは、首だけ持ち上げて、左右を見回している。


「ほら、呼ばれていますよ」

「えっ、ええっ、でも、だって」


 表情には不安しかない。

 ああ、そうか。彼女と観衆が想像しているものは「裁き」「懲罰」だ。実力もないのに料理大会に参加し、とんだゲテモノを食わせた。これからどんなひどい目に遭うんだろう。


 躊躇して動き出そうとしないチャルを見下ろし、大きく頷くと、ミール王は身を翻して、自分のテーブルに引き返した。そして、放り出された旗をまとめて鷲掴みにすると、それを一気に押し込んだ。六番目の筒に。


 最初は小さな囁きだった。だが、燃え広がる火のように、それは徐々に膨れ上がっていった。やがて、周囲はざわめきだけに満たされた。

 驚愕に囚われているのは、観衆だけではない。クロウルもジョロスティも、王が乱心でもしたのかという顔をしている。金冠を授かったばかりのジャクムも、何が起きたかわからないでいるようだ。


 元の位置に戻ったミール王は、あからさまに笑顔を浮かべて、改めてチャルを手招きした。


「さあ」

「えっ、で、でも、金冠はないのに、どうして」

「みんな待ってますよ」


 チャルは不安げに頭上を見渡した。観衆はあれこれ指差しながら、遠慮なく大声で喚いている。やっぱり何かとんでもないことをしたんじゃないか、だけど、だけど……


「きっと、あなたのお父様も」


 ハッとして、チャルは姿勢を正した。

 そう。彼女にはすべてを伝えてある。どうしてこんな料理を出すのか。誰のための一皿なのか。


 チャルは料理人としては、明らかに未熟だ。どう頑張っても、すぐには一人前になれない。それに、料理の世界には本当の天才がいる。一生努力を重ねても、彼女がかつての金冠ソークに届くことはないかもしれない。

 だが、料理はただの芸術ではない。人が生き抜くための技術でもある。そこを突き詰めれば、或いはソーク以上の何かを残すことができるかもしれない。


 あくまで、今回は俺の知識とアイディアによった。だが、チャルは今後ともこの街で生きて、この街のために尽力することができる。そうして何か一つでも、この街に根付くものを残せたなら。その時こそ、彼女はソークと肩を並べることができるのだ。


 ミール王は、両手を打ち合わせた。その音はほとんど聞こえなかったが、王の意図に気付いた観衆は、騒ぐのをやめた。

 咳払い一つない静寂の中、チャルは一歩を踏み出した。ときどきよろめきながら、おぼつかない足取りで。青白い顔色を見ると、今すぐ倒れてしまうのではないかとさえ思えてくる。それでも、彼女は壇上に向かった。


「チャル君」

「はい」


 緊張のあまり、跪くことさえ忘れて、突っ立ったまま、彼女は返事をしている。


「君は確か、あのソークの娘らしいと聞いているのだが」

「その通りです。金冠ソークは、私の父でした」

「では、この料理は、お父上が残されたものかな」

「いいえ、その」


 答えを捻り出そうとするチャルを、ミール王は押し留めた。


「どうあれ、これを作って出したのは君だ」

「はい」

「拒否されるとは思わなかったのかね」


 ここでまた、チャルは答えに詰まった。

 だが、彼女は決然として顔をあげた。


「これは、父の遣り残したことです」

「ほう」

「父は蕎麦の麺を作りましたが、受け入れられませんでした。高級なものを安価な素材で作っても、ありがたみがないからです。それと今、虫を調理して出しました。これも、多くの方には受け入れてはいただけなかったようです。食べるものだとは思えないからでしょう」


 唇を噛み、拳を握り締めて。

 それでも、彼女の内側から、言葉が溢れ出てきた。


「私は、ずっと真似事をしてきました。父が素晴らしい麺料理で愛されたのなら、私もそうしようと。でも、そうじゃない。そんなんじゃない。私には、私の仕事がある」


 愛する父に追いつくというのは……それは彼と手を繋いで同じ道を歩むことを意味するのではない。むしろ逆だ。

 この手で父を殺すこと。それがチャルの踏み出すべき第一歩だったのだ。


「今日、お出ししたものは、そんなに変なものでしたか? 食べられないようなものでしたか? だけど、『この街の人達』にとって必要なものは、なんですか?」


 昆虫を食わせるというのは、俺の発案だ。しかし、一見豊かなこの街の裏にある『貧しさ』についての認識は、チャルにもあった。だから、この料理のコンセプトは、あくまで俺とチャルとが話し合ってできたものだ。


 この国は貧しい。見た目の美しさに、現実の不幸が覆い隠されている。

 なぜ年頃の男女が結婚もできないのか。鉱夫や冒険者になるしかないのか。どうして王国は北方辺境の開拓にこだわるのか。


 食べるものが足りないからだ。

 だから、人口を増やせない。


 人口は、力だ。人が多ければそれだけ生産力も高まるし、軍事力も大きくなる。小さな弱い集団では、外部からの圧力に耐えられない。

 この国の人々を不幸にしないためには、国力を高めるには、食糧を増産するしかない。だが、山間の狭小な土地が細切れにあるだけの国だ。農産物が毎年安定して収穫できる保証もない。安全マージンを取らず、安易に人口増加に舵を切るなど、できはしない。


 では、いざ、食べるものがなくなったら、どうする?

 人々を守る手段はあるのか?


 その答えの一つがこれだ。

 葛の蔓も、昆虫も、本来は救荒食品だ。蕎麦もそもそもはそうだった。

 決定的な飢餓を食い止める手段。俺とチャルが料理を通して提供したのは、そういうコンセプトなのだ。今、この場の美食で満足を得るのとは、正反対の目的を設定した。

 皮肉にも、この着想に至るきっかけは、チャルの冒険者としての経験だった。オーガの出現を村々に伝えに行く途中で、準備不足が祟って食料が尽きた。空腹に耐えかねて、昆虫や野草に手を出し……幸運にも、腹を壊しただけで済んだ。

 この国の森が、そのまま食べ物だったら、どんなにいいか! だが、すべてではないにせよ、そこには確かに食材が存在したのだ。それも、誰もがそうとは認識していなかった形で。


 そして、俺には確信があった。

 これこそがミール王の求めていたものだったのだと。彼は美食を欲したのではない。新しい発想、これまでにない方向性、遠くを見る目、そして世の中に役立つ何か……これを探していたのだ。


 あくまで一つの方向性だ。

 だから、今後ともチャルがこれを追求する必要はない。もっと違った方向に努力しようと思ったなら、それはそれでいい。ただ、俺が伝えたかったのは、行き着くべきところは、必ずしも父と同じ場所ではないのだということ。

 その意味では、彼女は確かに一歩を踏み出しつつあった。


「すまんね」


 ふっ、と優しい溜息をつくと、ミール王は言った。


「じゃが、金の冠は一つしかないんじゃ」


 それはそうだ。既に冠は受賞者の頭上にある。どうでもいいけど、受賞者はずっと跪いたままでいるので、そろそろ苦しくなってきているらしい。足がピクピク痙攣している。ちょっと気の毒だ。


「だから……」

「わかっております」

「あー、そのまま、そのまま」


 ミール王は、チャルをなおも押し留めた。

 そして、すぐに首元に手をやる。何事かと周囲の視線が集まる。


「陛下、何を」


 首にかかっていた紐を解くと、彼は自分の頭上に手をやった。そこには、略式の銀の冠が載っていた。

 それを外し、両手で向きを直すと、彼は爪先立ちになった。


 事態を見つめる臣下達が、まさかの事態に浮き足立った。コモンドンもジョロスティも、椅子を蹴って立ち上がっている。


「何をなさいます!」

「お、おい、止めろ! こ、これは」


 驚きで動けないままのチャルは、何もできずにいた。


「よいしょっ、と」


 周囲の抗議と反発など、どこ吹く風。

 なんとミール王は、自分の冠を、チャルの頭に載せてしまった。


 これには、誰もが絶句した。

 王自らが、自分の王冠を誰かの頭に載せる。王位を譲るのでもなければ、普通はこんなことはしない。観衆も、みんな口を開けたまま、ポカーンとしている。


「皆の者」


 静まり返った会場に、ミール王の声だけがこだまする。


「今年の料理大会においては、金の冠をジャクムに与える。しかして! 今回に限り、銀の冠を、このチャルに与えるものとする!」


 驚きと興奮とが広がっていく。

 いつしかそれは、渦巻く大歓声となっていた。


 その大歓声を、チャルは呆然としながら聞いていた。人々の騒ぐ様を、その目で見た。

 この時、確かに彼女は、父の見た景色を目にしていたに違いない。


 その頬に小さな輝きが伝って落ちた。


 過去のためでなく。

 ようやく彼女は、未来のために生きられるようになったのだ。

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