股間滅殺剣

 東側の入場ゲートをくぐると、途端に世界が切り替わった。

 遠くにあった喧騒はすぐ間近に。石畳の隙間に刻まれた影は目前に。汗や飲食物の臭いが風に乗って漂ってくる。


 少し離れた場所では、無残な姿で横たわるギルが、そして新たな挑戦者に気付いたイリシットが、動きを止めた。

 視線が集まるのがわかる。今、背後でナンバープレートを掲げたらしいことも。


 我に返った実況が、声をあげた。


「お……おおっと、次なる乱入者は……」


 バタバタと手元の資料に目を通して、余裕なく叫んだ。


「なんと、外国からの参加者です! エスタ=フォレスティア王国より武者修行の旅にやってきた! 騎士の証が左腕に輝くこの少年、その名はファルス・リンガ!」


 この口上を聞いて、舞台裏に控えていた係員達が、わっと駆け出した。そそくさと真ん中に出てきて、ギルを担架に乗せる。


「白き鷹を仕留めて名をあげんと欲するのは、一人や二人ではない! さぁ、今度の勝負はどうなるか!」


 ほとんどやけっぱちになって喚きたてる実況担当には同情を禁じ得ない。観客席からは、既にしてブーイングが巻き起こっている。今年はどうしたんだ、大人が子供をいじめる年か、と。

 ギルが運び出されたのを横目で見送ると、俺はイリシットに視線を向けた。


「なんだ貴様は」

「二回は顔を合わせているでしょうに」

「とっとと回れ右だ。俺は今、機嫌が悪い」

「奇遇ですね」


 木剣を構えつつ、軽い調子で応えてやった。


「僕もですよ」

「ほざけ!」


 怒りに駆られたのか、彼は乱暴に剣を振り下ろした。だが、その動きの雑なこと。


「……っと」


 切っ先をやんわり受け流しただけで、もうバランスを崩してしまっている。それにガニ股になってしまって。剣術に限らず、体の正中線を守るのは、武の基本だ。なってない。


「何しに出てきた」

「うーん、僕はあなたに興味ないんですけどね」

「何をっ」

「ただ、まぁ、しいて言えば、迷惑させられた分の意趣返し? ああ、あと金貨百枚分の損害賠償?」


 と言われても、すぐにはわかるまいが。


「貴様に金を借りた覚えはない」

「えっと、直接にはあなたのせいじゃないんですが、きっかけは」

「うるさい! 失せろ!」


 最初の攻防で、力量差を悟ることもできないか。そんな適当な攻撃が当たるはずもなかろうに。

 これまでの人生で出会った強者達、最近ではノーゼンなんかと比べると、もう止まって見える。


 さっきから気になって仕方がない。

 下半身について、警戒心がまるでない。膝がちゃんと前を向いていないし、股間を守っていない。

 構えが汚いのだ。


「ちょっとお話ししましょうか」

「いらん!」

「よっと」


 大振りの剣をひょいと避け、下から軽く木剣を振る。スコンと手応え。


「あっが!」


 激痛ゆえに、イリシットは硬直した。

 無理もない。男なら誰でも知っている、あの痛み。


 一撃を入れた。股間に軽くだが。


「あ……これは大番狂わせか!? ファルス、なんと」


 実況が勝利を宣言しようとする。

 俺は慌てて向き直り、手を振って押しとどめた。


「えっ、えっ?」


 それを玉座に腰掛けるミール王も追認し、試合の続行を身振りで示した。


「い、今のは当たりが浅かったようで……勝負はまだまだこれからです!」


 ということで、あとちょっとだけ、彼とはお話ができそうだ。


「ぐ、ぎ、貴様」

「僕としては、いろいろお伝えしないといけないことがあるので、ほら、おとなしく鍔迫り合いしませんか」

「舐めるな!」


 横薙ぎの一撃を、後ろに下がって軽く避ける。


「言うこと聞かないと」


 素早く短く詠唱する。


「ぽぎぇっ」


 ただの『行動阻害』で痛みを与えた。手や足では不自然なので、股間に。


「こ、この」

「まぁ、罪を犯した場所が罰を受けるのは、適当だと思いますけどね」

「な、なんのことだ」


 俺はひらひらと手招きして、鍔迫り合いしろと要求する。怒りと屈辱に紅潮した顔で、彼は全体重をかけてのしかかってきた。


「……あなたでしょう?」

「なにがっ!」

「サフィを襲わせたのは」


 そもそもは、難しい事件ではなかった。

 イリシットは、美少女を愛人にしたかった。だが、普通の方法では、それはかなわない。


「ばかばかしい、何のためだ」

「美しい。欲情した。彼女なら、脅せばなんとでもなる。そういう確信があった」

「あり得ん! 俺を誰だと思っている!」


 それはもちろん、王都の警備を受け持つ近衛兵達の上官だ。

 だからこそ、この手の個人情報を手にする機会もあったに違いない。


「いくら貴族の息子とはいえ、普通はこんな手は使えません。脅かしたって、一般家庭の女の子を無理やりお妾さんにするなんて」


 俺が「知っているらしい」ことに気付いて、イリシットの表情が少しこわばった。


「強引に話を進めたら、その子の家庭が王様に直訴しますから。だから、それができない相手を見つけるしかなかった」

「貴様」

「……いたんでしょ?」


 俺は口角をあげる。


「サフィには、秘密の恋人がいたんだ。そして、しばしば夜中に逢引もしていた」


 話が核心に近付いたと悟って、イリシットは腕に力を込める。

 だが、俺のほうも既に魔術で身体強化を済ませてある。そうそう押し負けたりはしない。


「なのにアルティはブッター家の分家との婚約を進めようとしていた。娘の不行跡を知らないから。これはつけこめる」

「いいがかりだ!」


 サフィは天秤にかけたのだろう。

 恋愛は楽しいが、将来を保証してくれるものではない。父が用意した嫁ぎ先は騎士の家で、代々官僚を輩出している。一時の感情に溺れて、愚かな判断をするべきではない。

 だが、理性で自分を引き戻した彼女の前に、イリシットが立ち塞がった。


 アルティも異変には気付いていた。少なくとも、イリシットが付き纏うようになったこと、その目的がどこにあるかという点についてならば、理解していたはずだ。

 それでも、相手は貴族で、こちらは庶民。娘のためとはいえ、正面切って対決する覚悟は、なかなか決められなかったに違いない。だが、イリシットの要求があからさまになった時点で、彼も決心した。


「だからあなたは狙った。誰かに言いつけて、恋人とのデートから帰る途中の彼女を襲わせ、その翌日にわざわざ顔を出した。修道院に入れというのは、つまり、愛人になれということ」


 だから、彼女を狙った初回の襲撃は、性的なものになった。イリシットの意を受けた誰かが、わざとスカートを引き裂いて、追い詰めたのだ。そうでもしないと、何を理由に脅迫しているかが伝わらないから。

 もしかすると、その「犯人」を見つけて追い払った連中も、彼の仕込みかもしれない。本当に逮捕されては困るからだ。


「馬鹿なことを。犯人は別に捕まっているではないか!」


 そう、だからこそ、話がややこしいのだ。

 この連続暴行事件、実は役者が複数いる。


「あなたは欲望に駆られるあまり、小さな過ちを犯した」


 いくらジョロスティが「サイドビジネス」に積極的だったとしても。それは同意の得られた女性を形式的に修道女にするところまで。こんな脅迫まがいのやり方を後押ししてくれるなんて、あり得ない。


「サフィの同意をどうやって引き出すつもりなのか。ジョロスティには一切伝えずに進めてしまったんだ」

「くっ、こ、こいつ」

「一方のジョロスティはといえば、融和派の牙城を切り崩すことに夢中で、愛人ビジネスは二の次だ。サフィ襲撃のニュースを早速利用した。外国の陰謀だと。あなたが真相を語った時には、どんな顔をしてました?」


 何もかもを見抜かれていると悟って、イリシットの顔色は、赤から青へと、目まぐるしく変わっていく。


「いったん陰謀説を唱えた以上、貫き通すしかない。でも、クロウルも考える。独立派の主張に穴を開けるのは簡単だ。どうすればいい? 二人目の犠牲者が出ればいい」


 ということだ。

 チャルへの襲撃は、杜撰そのものだった。他の犯行と違い、性的な要素が希薄だった。営業中の屋台に襲い掛かり、これを半壊させている。

 相手が夜中に街に出ている女性であれば、誰でもよかった。サフィ以外の女性が、ツルハシを持った男に襲撃されれば。これで独立派の主張には傷がつく。聖女役でなくても襲われたではないか。これは外国の陰謀ではなく、地方の陳情者のもたらしたトラブルなのだと。

 よって俺に金銭的被害を与えたのはきっとクロウルなのだが、それだってそもそもは、イリシットの我儘がきっかけになっている。


「それに気付いても、あなたもジョロスティも、今更どうしようもない。しかも、二回の犯行がきっかけで、神の壁は閉鎖された。欲求不満に陥った修行者の中から、模倣犯まで現れた。被害者は増えるばかり……それで、あなたは妙案を思い付いた」

「こ、殺してやる!」


 できるものなら。

 鍔迫り合いで押し倒せないとわかって、彼は体を離し、剣を横薙ぎに振るう。俺は一歩下がってそれを避け、振り切った後の彼に密着し、斜め上から切り下げる……フェイントの後に、また下から。


「ひびぃっ!」


 体の奥から響いてくる激痛に、彼は内股になった。


「サモザッシュと話をつけ、偽者の犯人を作り出した。自首させればいい。うまくいくはずだった」

「うっぐぅうう」


 これが連続襲撃事件の全貌だ。


 ミール王がガイの指摘に対して「それでは片方しか捕まらない」と答えたのは、こういうわけなのだ。サモザッシュやイリシットを締め上げても、クロウルのほうは無傷。両方の派閥が等しく傷つかないと、かえってやりにくくなる。まぁ、そこは王が自分で片付ける問題だ。


 クソみたいな派閥争いに、欲望が絡んで、一般市民が大迷惑。ついでに俺にも大迷惑。こいつが始めたことなのだから、これくらいの罰は当然ではないか。


「く、くそ、し、死ね、死ね……!」


 怒りと屈辱、それに……恐怖。

 どうすればいい? どうしようもない? いや、目の前の少年を黙らせれば。


「やってみます?」

「なにぃ」

「僕を倒せたら、黙らせることもできるかもですよ?」

「ばっ、馬鹿にしやがって! こうなれば手加減などせんぞっ!」


 完全に混乱している。

 こういうのはもう、戦いとは呼ばない。


「ぐへっ!」


 剣を振るうたび、それは空を切り……


「あばぁっ!」


 必ず股間に一撃を入れられる。

 剣術と道徳のお勉強だ。ただ、少々痛い。


 この異様な戦いに、実況は割って入ろうともしなくなった。王様が無言で見下ろしている。止めるなとの意思表示だ。


「はっはー! いいぞ、ファルス! やっちめぇ!」


 だが、声援ならば飛んでくる。

 余裕もあるので見上げると、ガイ達だった。片手にビールのジョッキを手にした格好で、派手に騒いでいる。


 彼らだけではない。

 イリシットがさっき、ギルを痛めつけているのを、他の観衆も目にしている。しかも余計なことに、倒れたギルを踏みつけてさえいた。だから、今となってはイリシットは完全に悪役だ。一方、アウェイなはずの俺はというと、果敢に戦う少年騎士ということで、やや好意的に見られ始めているようだ。


「ぎ、ぎざまざえ、がたづげれば」

「ええ? なんですか?」

「だまらぜでやれば」

「僕は黙っててもいいんですけど」


 やれやれ。

 今まで地位を振りかざして生きてきたためか。この手のことに鈍感すぎて困る。なぜこの試合がまだ終わらないのか。誰が続けさせているのか。


「王様はもう、とっくにご存知だと思いますよ?」

「な、なにぃっ!?」


 彼の顔が絶望に歪む。


 どんな懲罰があるか、恐れているのだろう。だが、多分、目に見える形では裁かれない。そんなの、やれるならとっくにやっている。だが、この狭い盆地の世界では、大きな揉め事を起こすには、それなりのリスクを覚悟しなければならない。だいたいからして、イリシットも、その父コモンドンも武官だ。下手なことをして、クーデターでも起こされたら。

 だからといって。本音のところ、色欲に負けてこんな事件を起こす人物を、未来の将軍なんかに選びたくはない。だが、家柄もあり、慣習もある。黙っていれば、そのうちイリシットがそのまま国軍の最高司令官に就任してしまう。

 なら、どうすればいい?


 ミール王は、なかなかの「政治家」だ。罪科を問うて、一撃でブッター家を取り潰しては恨みも残るし、反発も大きい。だから、少しずつ支持を削いでいく。恥辱を与えて、微罪を積み重ねて、誰もが納得する小さな処分をとっかかりにする。

 形式だけ罰しても、意味がないのだ。兵士や庶民の支持、好意。これを奪えば、彼らはただの個人に成り下がる。彼らが纏う権威は、少しずつ剥ぎ取るべきものなのだ。


 しかし、恥辱を与えるといっても簡単ではない。タリフ・オリムの人間関係の中からそれをする人を見つけるとなると、結構な問題になる。誰だって名門貴族の恨みをかいたいとは思うまい。

 そこへいくと、さすらいの騎士、それも少年とくれば。好都合この上なかった。だからミール王は、俺に出場してくれと言ったのだ。


「で、お仕置きをしてやって欲しいってことで、僕が出場することになったんですよ」

「うぞだ」


 だが、現に王は試合を止めさせない。

 ただ黙って見下ろすばかり。これを観衆はどう解釈しているのか。だが、イリシットの中では、どんどん不安が大きく膨らんでいく。


「ごっ、ごのままぁ、やられでだまるがぁ! ぐおお!」


 死力を尽くすといえば聞こえはいいが、普段の鍛錬もなく、覚悟を決めたこともなく。格下相手にしか剣を振るったことのない彼が、今更必死になってもたかが知れている。


「ぽげっ」

「頑張ってください?」

「ぎょばっ」

「そうそう、その調子」

「むんげっ」

「王都と股間を守りましょう? ああ、あと、ちっぽけなプライドも」

「げばあっ」


 抵抗すればするほど、股間に一撃が入っていく状況。他はまったくの無傷なのだが、とにかく肝心のところが痛くてたまらない。

 少しいじめすぎたか? このところ、我慢に我慢を重ねていたのもあって、ついつい遊びすぎてしまった。


「ひぃ、ひぃぃ」


 内股になって、へっぴり腰で剣だけ、よろよろと振り回す。なかなかにいい格好だ。

 観客席からは、容赦ない嘲笑が降り注ぐ。


「やられすぎてオカマになっちまったか?」

「よっえぇ……ガキ相手にコレかよ」

「オラ、どうしてくれんだ! てめぇに賭けたんだぞ!」


 俺は手を休め、一息ついて、彼に尋ねた。


「どうします?」

「なにがっ」

「まだ僕は、あなたから聞くべき言葉を聞かせていただいてないんですが」


 意味を察して、彼は唇を震わせた。

 だが、観念したのか、がっくり膝をついて、力なく言った。


「……罪に服す。これで終わりに」

「いいでしょう」


 俺は背を向けた。

 その瞬間。


「うおぉっ! はっはぁーっ……はべっ!?」


 お約束すぎる。

 背中を見せた直後に飛びかかるとか。


 そっと後ろに伸ばした木剣の先端が、イリシットの股間に突き刺さっていた。

 それも、さっきまではこちらが手加減していたのだが、今のは彼の全力の突撃だ。全体重をかけた攻撃力のすべてが、この一点にのみ集中する。


「ごっ、た、たままま」


 白目をむき、泡を吹きながら、彼は石畳に転がった。

 既に意識もない。


「しょ、勝者! ファルス! えっ、ええと、形容しがたい見事な剣技でした!」


 さて、これで終わったか。

 歓声をあげる聴衆に手を振って、俺は舞台を去ろうとした。


「おっ?」


 だが、異変に気付いた実況が、視線を移す。


「間髪入れずに、挑戦者が?」


 振り返ると、国軍の兵士らしき男が、反対側の出入口に陣取っている。これは面倒……


「あ、あれ? 順序! 順序を守ってください!」


 はて?

 まさかと思って振り返ると、もう一方の入口にも、やはり兵士。

 これはつまり……


 視線を、北側の貴賓席に向ける。空席が一つ。あれは、将軍コモンドンの席だ。

 そういうことか。


「で、では、次の試合は、近衛兵の……ってちょっと! 勝手に始めないでください!」


 兵士の表情には、緊張が見て取れる。

 事前に参加登録はしてあったはずだ。しかし、純粋に俺と戦って勝ちたいのでもないのだろう。上司がやられて、そのまた上から恥を雪げと命じられて。だからって子供を叩きのめしても、ブーイングを浴びるだけ。難しい立場ながら、やるしかないから、こんな顔をしているのだ。


「ファルスとやら」

「はい」

「許せ!」


 全力での容赦ない振り下ろし。


「いいえ」


 半身をずらして避けつつ、軽く木剣を振り上げる。


「ぐえっ」

「お互い様ですから」


 その一撃で、彼は突っ伏して悶絶する。


「うおおお!」


 今度はすぐ背後から。


「ぬあああ……あひゅっ」


 軽いフェイントを見せただけで、またも股間ががら空きに。コツンと手応え。二人目も、剣を取り落として股間を握りしめ、そのまま転がった。

 これで終わってくれれば……


 ……ダメらしい。

 両方の出入口には、無数の兵士が殺到している。こいつら、ちゃんと登録してたのか? もう、こうなったらそんなの関係ないか。


 どうしよう。

 三人抜きはしたのだし、そろそろ退出しても、誰も文句は言うまい。ただ、それだとこの街にいる間、狙われ続けることにもなりかねないか。祭りが終われば聖女の祠を見て、すぐ旅立つつもりではあるものの、だとしてもトラブルが増えるのは好ましくない。

 やっちゃうか。この際、後顧の憂いを絶っておくのも必要だ。


 俺は、出入口に向かって手招きした。最初の一人がゲートをくぐる。だが、そこで押しとどめる。

 振り返って、今度は反対方向に手招きする。さすがに彼らも訝しんだが、俺がしつこく呼ぶので、仕方なく一人が出てくる。

 まだまだ奥には大勢いる。俺は剣をその場に投げ出して、両方に手招きを繰り返す。


 意味を悟って、兵士達の表情に怒りが混じる。


「ちょ……あ、あ、あ! 一対一の勝負ですよ! ルールは守ってくださーい!」


 実況担当が叫ぶが、誰も相手にしない。

 異例の展開に、観客席は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。右と左で合計二十名ほどの兵士を、たった一人の少年が相手取る? こんなの、見たことない!

 兵士達からすれば、侮られたようなものだ。お前達は弱いから、まとめて片づけてやる、と。そう受け取ったのだろうから。


 俺は木剣を拾い上げた。

 ざっと相手の装備に目を走らせる。全員が木剣で、盾もなく、槍も弓もない。これはつまり、相手の懐の広さに差がなく、予想外の間合いからの攻撃を予期しなくていい上、防御面でも優位がないことを意味している。


「かかれ!」


 部隊長らしき男が叫ぶ。


 とはいえ、この数だ。囲まれて、背後から攻められてはまずい。守勢に回っては苦しいので、こちらからいく。


「取り囲……げっ!?」


 最初だけは魔術に頼るしかない。まずは指揮官を潰す。『行動阻害』で片足を痺れさせ、その一瞬に斬り上げる。

 彼らは長身のルイン人、こちらはまだ背が伸び切っていない。そのせいもあってか、またも命中したのは股間だった。


「こ、こいつ」

「やっちまえ!」


 待ち受けず、すれ違いざまに一撃。

 普通にやっても練習にもなるまい。というわけで、次も股間。


「いぎっ!」


 一撃で昏倒し、両手が股間を覆う。同情はするが、こちらも痛い思いはしたくない。


 頭上では、すっかり出来上がったガイが、調子に乗って喚いている。その横では、大汗を流すドランカードが、食い入るように俺を見つめていた。


「見ろ! 俺の見込んだ通りだぜぇ!」


 歓声を浴びせてくれるのは、彼だけではなかった。


「いいぞ!」

「やっちまえ!」

「ホイ! ホイ! ホイ!」


 誰だ? と思って目を凝らす。そうだ、彼らは、二号要塞の守備兵達だった。

 俺のほうはすっかり忘れかけていたが、彼らのほうでは、俺のことを覚えていてくれたらしい。看板も横断幕もないが、彼らは即席の応援団になって、手拍子に掛け声まであげている。


「ほぼべっ」


 また一人。股間の激痛に沈んでいった。

 そのたびに、拍手が漣のように広がる。よし、もう一人。


 実況は、もはややることもなくなって、汗だくになりながら舞台を見下ろしている。王様は? 苦笑いしていた。なるほど、確かに俺に暴れてほしかったのに違いはないのだが、これでアルディニアの弱兵っぷりを再確認させられることになった。痛し痒しといったところか。


「ひっ、ひーっ!」


 足元にゴロゴロ転がる同僚の姿に、彼らは戦意を喪失した。

 半分以下になった兵士達が、我先にと木剣を投げ捨てる。中には、股間を抑えて舞台裏に逃げ帰るのさえいた。


 そして、競技場から戦闘が消えてなくなる。


「あ……うー……しょ、勝者、ファルス……?」


 自分の仕事ってなんだったっけ、と自問自答しそうな雰囲気で、実況担当は力なくそう宣言した。

 そして、新たな挑戦者の影は、ついに現れなかった。


「い、今、連絡が……他の選手は、棄権する、そうです……」


 それもそうか。

 こんな場所で恥なんかかきたくない。エントリーしていた出場者は他にもいたのだろうが、どうやら今年の大会はスルーすることにしたらしい。


 怒号と歓声とが巻き起こった。

 舞台にゴミが降り注ぐ。


「物を投げないでください! 物を投げないでください!」


 他の選手に賭けていた人もいたはずなのだ。それが戦う前に決着なんて。これじゃあ、丸損じゃないか。

 だが、そこでミール王がすっと立ち上がった。


 剽軽者のアイドル王とはいえ、仮にも国王陛下。

 ハッと競技場全体が静まり返る。


 意味を悟ったのだ。決着がついてしまったのだと。


 彼は金の冠を捧げ持つ侍従を連れ、しずしずと脇の階段を降り、俺の前に立った。

 武器を持ったまま、ぼんやりと立ちすくむわけにはいかない。俺は木剣を捨て、跪く。


 頭に、ずっしりとした感触があった。

 不意に手を引っ張られて、立たされる。


 見上げると、観衆のほとんどが立ち上がって歓声をあげていた。

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