王様、上機嫌
「やーやーやー、もうね、ナイスタイミング! ね、ね、もっと食べて、飲んで!」
小さな体で両手を広げて。
ミール王は、いつかのように陽気な顔をみせて、そうはしゃぐ。
王宮の庭園の、そのまた向こう。一般公開されていない奥の間だ。といっても、決して広くはないし、なるべく華やかに見せるために、涙ぐましい努力が重ねられている。
地上三階の高さだが、周囲は黄土色の壁に囲まれている。特に、西側の壁は丈が高く、そこに蔦が絡みつき、花を咲かせている。こうでもしないと、この向こうにある城壁が見えてしまう。それは西側の防衛線、この国の生命線だ。厳しい生存の現実を見ながらでは、和めない。
「本当にねぇ、危ないところだったんだよ。もう、ファルス君には、何度お礼を言っても足りないね」
「陛下、これも騎士の務めでございますれば」
「あー、固いのいいの! ラクーにして、ラクーに。ね? みんなも、ホラ!」
夜明け前に、俺達は詰所に向かった。俺達を襲ったマハブを引き渡すためだ。もちろん、渡して終わり、ということはなく、状況も説明した。幸か不幸か、半ば錯乱状態にあるマハブは、犯行を否定する素振りもなく、ひたすら「夜遊びする女達」への憎悪と非難を繰り返した。
俺達は、王宮横の兵営に通され、そこで仮眠をとっていた。王都を震撼させた連続暴行犯の逮捕だ。誤認では済まないので、改めて事情聴取する必要もあるらしく、だから誰も文句は言わず、おとなしく待っていた。
直接見たわけではないが、これがちょうどピッタリのタイミングだったらしい。朝一番に、ドランカードの仲間が犯人として運び込まれてきたからだ。それがマハブと鉢合わせして、大騒ぎになった。いったいどちらが本物なのかと。
必然、俺達は呼び出されたが、サモザッシュの用意した「自称犯人」は、ドランカードの姿を見てすぐ、自供内容を撤回した。
いったいこれはどういうことだ、と詰問される。しかし、ここは答え方を考えないといけない。ありのままをすべて口にしたのでは、ドランカード達のように、サモザッシュに引っかけられ、脅迫されている人達全員が、被害者でもありながら、罪に問われかねないからだ。
目を見合わせて、いよいよ説明を始めようとしたところで、なんと王様自ら、兵営にやってきたのだ。どうして、と思ったが、いつの間にかノーゼンの姿が消えていた。
あとはミール二世が一方的にまくしたて、部隊長には口もきかせず、俺達を昼食会に招待すると言い切って、今に至った。
なのでこの場には、あの捕り物に参加した全員がいる。ノーゼンもひょっこり戻ってきているが、隅のほうにいるだけだ。俺には正体を知られたが、やはりあまり注目されたくはないらしい。
「いやー、サモザッシュ君にも困ったもんだねぇ。まさかお手柄欲しさに、ニセモノの犯人を仕立ててくるなんてねぇ」
「ことが大きくなる前で、何よりです」
それなのですが、と切り出そうとして、危うく飲み込んだ。まだ早い。
すべてを円満に解決するには、ここぞという時機がある。
「それにしても、ファルス君はお手柄に次ぐお手柄だよね。前にはゴブリンと戦ってくれたし、今度は凶悪犯の逮捕。すごいよ」
「前回は兵士の皆様の奮闘のおかげで、今回はここにいる皆さんのおかげです」
「またまたー。謙虚だねぇ。それで、ね?」
バタバタ動かしていた手をすっと下ろして、彼は俺に尋ねた。
「褒美は何がいい?」
きた。
ここで切り出す。
「そうですね。二つほど、欲しいものが」
「二つ。へへぇ、ファルス君は謙虚だけれども、欲張りなんだねぇ」
「申し訳ございません」
「いいよ、言ってごらんよ。何が欲しい?」
俺の目的を完遂するために、片方は外せない。
「まず、僕個人の褒美としては……聖女の祠への立ち入りをお許し願いたく」
「うんうん、でもねぇ、それ、教会の決めることだからね、まぁ、口添えくらいはしてみるよ。で、もう一つは?」
「赦免と処罰を願います」
どちらかというと、こちらのために俺は「ご褒美」を待っていた。
「やっぱり欲張りだなぁ。二つって言ったのに三つじゃん」
「申し訳ござい」
「ああ、いいよいいよ。続けて」
「今回、自ら犯人と名乗り出た男もそうですが、多くの冒険者達が、職権を濫用するサモザッシュに逆らえず、無理強いされてこうした行動に出ています」
「なんか、そうらしいね。でも、それならワシに言ってくれればいいのにさ?」
ごまかせるほど、甘くはないか。
なら、正直に言うしかない。
「言えないのです。なぜなら彼らは、違法な賭博行為によって、サモザッシュに対して借金を背負っているからです」
「ほほう? つまり、それが君の欲しがる赦免なんだね」
「はい」
王者というのは、我儘を通せる立場に見えて、実はそうでもない。
綸言汗の如し、という。言ったことは守らねばならない。さもなくば、権威を保てない。王とは、正義の体現者でなければならないからだ。
「いいよ、わかった。これもなんとかするよ」
この一言で、ドランカードはほっと息をついた。
顔色は変えなかったが、俺にはわかる。ミール王は間抜けではない。今の彼の安堵を見抜いていることだろう。
「だけど、ファルス君、それにみんなも……」
ふーっと息をつきながら、ミール王は椅子に凭れた。
「まさか、これでおしまいとは思ってないよね?」
俺は頷いたが、横でギルは、首を傾げている。ドランカードも目を泳がせている。
だが、アイクもノーゼンも、既にそれと察しているようだ。
「い、いや、王様」
ガイが、いかにも慣れない口調で割って入る。敬語なんて、ろくに使ったことがないのだ。
「そいつは、その、サモザッシュの野郎を締め上げれば、終わるんじゃないですかね?」
偽者の犯人を引き渡したのはなぜか? それを依頼した誰かがいる。ならば、サモザッシュを厳しく尋問し、自供させればいい。
だが、それは甘い考えだ。なぜなら、それは彼にとって罪を重くするだけでなく、後ろ盾を奪う選択だからだ。逆に、ここで多少の罪を背負っても、依頼人を庇ったほうが得だ。
それに……
「それだと『片方』しか捕まらないんだよ」
「はあ? なんだ……じゃない、なんですか、それは」
「ま、それは求めすぎかな。うん、いいよ、忘れて。もともとワシの仕事だし」
やはり、彼も気付いている。
この事件は、そんなに単純ではない。ましてや背後にはノーゼンがいる。早晩、「すべての」真犯人が、それぞれの形で裁きを受けることだろう。
「ねぇねぇ、ファルス君」
「なんでしょうか」
「褒美、足りなくない?」
今度はなんだ?
「いいえ、今、ここにいられるだけでも身に余る光栄です」
「その腕輪なんだけど」
騎士の腕輪を指差しながら、ミール王は言った。
「金色に変えてみない? ね」
サラッとヤバいことを言い出した。
「せ、せっかくですが」
「ええー」
引き抜きってやつか。
フォレスティアの内乱で活躍した少年騎士。噂は凄まじいが、どうやら実力もあるらしい。なら、この機会を逃す手はない、と。
しかし、タンディラールから直々に授かった銀の腕輪を、別人の名前の入った金の腕輪に取り替えたら。彼の面子は丸潰れだ。俺もそこまで無神経ではない。
「なら、印璽をあげるよ?」
「えぐっ」
「かわいいお嫁さんも探すし、全部面倒見るんだけど」
「……け、結構です」
この言葉に、意味を悟ったアイクだけは顔を顰めた。
印璽、即ち「土地の領有権」だ。領有権、つまり貴族にしてあげると言っているのだ。だが、この狭小な国に、そんな余った土地があるはずもなく。彼が割り振ってくれるであろう領地があるとすれば、まず北方開拓地しかない。
要するに、その優れた武力と才能を、この国の発展のために使ってくれれば、名誉と地位をあげるよと。そういう話だ。要するに、元貴族だったアイクだから、すぐ意味を察したのだ。
「そっかぁ、残念だなぁ」
「ご期待に沿えず、申し訳ないことと」
「あー、うんうん、しょうがないよ。じゃあさ」
身構える俺に、彼は小さな要求をした。
「せっかくだし、来週からのお祭りに、君も出場しない? ほら、二日目の闘技大会。ワシ、君のカッコいいところ、見てみたいなぁ、なんて」
今度も何か思惑が……しかし、さすがにこれ以上は断りにくい。
俺をそこに出すというのも、当然、彼にとって、国にとって利益になるからなのだ。とすると、関係するのは今回の件。俺にぶちのめして欲しい相手が、そこにやってくるということ。
「ご期待に添えるとは限りませんが、それくらいでしたら」
「いやー、よかった。楽しみだね」
降臨祭の初日は歌合戦、そして二日目がお待ちかねの闘技大会だ。市民が賭けの対象にするのも、これである。
ただ、優勝の基準が割と適当だったりする。昔はトーナメント方式でやっていたらしいが、それだと「勝ち負け」がハッキリついてしまうので、好ましくないとして、今の方式に変更された。現在では、参加希望者が順番に闘技場の真ん中に出てきて、連戦する。負けるか、何度か戦うかしたら、武勇をアピールしながら退場し、王やその他貴顕の方々の審判に結果を委ねる。
これなら言い訳ができる。負けても、連戦した結果、疲れていたからだとか。裏を返せば、負けても表彰され得るし、恥にもなりにくい。
実は、腕前のない武官が恥をかかないで済むのも、この方式のおかげだったりする。身分の高い出場者は、予め身内に声をかけておき、自分が出場したところでわざと負けてもらうよう、手配してあったりする。何人かと戦った後であれば、格好がつくので、そのまま退場できる。
狭い社会でしかないこのタリフ・オリムでは、こういう配慮が必要なのだ。
なお、三日目には工芸品の展示大会があり、四日目には、チャルが参加する予定の料理大会がある。五日目はエンタメ要素の強い子供達の運動会の後に、この一年間、各分野において実績をあげた人物を、王様が表彰する日になっている。
いずれの優勝者も、金の冠をかぶることになる。といっても、実物は一つしかなく、使いまわしにされている。優勝したからと言って、持ち帰れるわけではないのだ。しかし、名誉だけは残る。
「いやー、街もすっかり静かになったし、本当、今日の空みたいに晴れやかだね」
マハブ逮捕のニュースは、速やかに王都中に広まった。これは少なからぬ衝撃をもたらした。
なぜなら、マハブ・メタモンは、ここ王都出身のツルハシストだからだ。しかも、狂信的なセリパス教徒でもある。ゆえに、ジョロスティもクロウルも、一気に面目を失った形となった。
独立派からすれば、あの聖女役襲撃事件は、外国の陰謀、もっと言えば聖典派の策略でなければならなかった。ところが、マハブにはそういう経歴がまったくない。王都から出たこともなく、貿易に携わる商人達とのかかわりも皆無。貧しい鉱夫をずっと続けてきただけの男だったからだ。
一方、融和派にとっても、好ましくない真実だった。彼らは、繰り返し地方出身者の横暴を訴えてきた。しかし、マハブは王都出身で、地方からの陳情者とは関係がない。散々田舎者を罵倒しておいて、実はこの街から犯罪者を出しました、では立場がない。
それで両派とも、いきなり演説を取りやめて、だんまりを決め込んだ。シラケた空気に支配された街には、普段通りの賑わいが戻りつつある。
「あ、あの」
横にいたギルが、おどおどしながら声をあげた。
「どうしたの?」
「王様、あっ、いや、陛下」
「なんじゃねなんじゃね」
「おっ……僕も、闘技大会に出たい……です」
「ほう?」
いきなりどうした?
昨夜の無謀では足りなかったのか。
「確かに、君も頑張ってくれたからね。でも、君は前に、参加したはずだよね。お披露目で」
「子供の枠で出たいわけじゃありません」
「ふむ? だけど、そうなると、大人同士の本気の勝負に混じることになるんだよ? 木剣とはいえ、全力で叩き合うんだから、怪我する人もいるし、手加減だってしてもらえない。いいのかね?」
「わ、わかってます」
だが、意志は固いらしい。
「それなら、ワシが一声かけておくよ。頑張ったらいい」
「ありがとうございます!」
周りの大人は、何か言いたかったのだろうが、あえて控えていた。いかに気さくに見えても、仮にも陛下の御前であり、会話を遮って割って入るなど、失礼この上なかったからだ。
「他は……」
それからミール王は、そこにいる顔ぶれを見渡した。他に褒美が必要なのは……ノーゼンには不要だし、アイクも物を欲しがらない。ガイにも、何かを与えるのは難しそうだ。となれば、もはや与えられるのは好意だけ。
「何かあったら、すぐワシに言ってね。ちゃんとお仕事するからね」
ともあれ、ミール王は上機嫌だった。これから、事件の舞台裏の後始末という面倒事が待っている。本当の解決は、まだこれからなのだ。だとしても。
「もっと普段から、こんな風に過ごせたらと思うね。大勢のお客さんとお喋りしながら食べるご飯……こんな幸せはまたとないよ。そうじゃないかい?」
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