変態はこじらせるべからず

 周囲の視線が痛い。最初はみんな、面白がっていたのに。

 いまや、ハイテンションなのはアイクだけだ。


「ふっふふ~ん」

「あ、あの」

「似合ってるわよォ? 自信持ってェ」


 ドランカードのためというよりは、みんなそれぞれに目的あってのことではあるが。

 謎のツルハシ男を見つけ出し、捕縛するために、俺達は作戦を考えた。

 その結果が……


「やっべぇ」


 ギルがなんとも形容しがたい不気味な顔をして、そう言う。ポジティブな感情とネガティブなそれとが交じり合った、何かの思いが渦巻いているのだろう。


「ファルスよぉ、そのカッコでなら、繁華街の裏通りで充分、商売になるぜ?」


 ガイが面白がって冷やかす。


「素敵ねェ……昔を思い出すわァ」


 ドランカードは俺を見つめたまま、放心している。サドカットは目を背けたまま、動かない。真面目な聖職者の彼にとって、正視に堪えないからなのか。それとも思わず噴き出してしまって、不当な侮辱を禁じる戒律に抵触するのを恐れているのか。

 平常心を保っているのは、ノーゼンだけだ。というより、ある種、無感動なだけなのか。


 苦労して入手した黒髪のロングヘア。もちろん、ただのウィッグだ。

 体に合うサイズの上品なカーキ色の上着に、ちょっと短めのスカート。ふくらみがないのをごまかすために、胸には大きなリボンまでつけた。見た目はちょっとしたお嬢様だ。

 今は仕上げとばかり、アイクが丹念に化粧を施してくれている。


「なぁ、ファルス」

「なんですか」

「……そっちの道には行くなよ?」


 いかにも心配だと、ギルが忠告する。余計なお世話だ。


 チャルの店が、そのまま作戦会議の場となった。どうすれば事の真相を明らかにできるのか。そもそも犯人はもう一度、現れるのか。確たることは何もない。

 だが、俺には仮説があった。ヒントはノーゼンの意見だ。


「繁華街の東側は、早い時間には巡回の予定がないそうだ」

「警備兵も、通行人も来ませんね?」

「通行人は知らんがの」


 ノーゼンは、王家とのパイプを生かして、警備隊の情報を入手してくれていた。今まで見る限り、犯人はうまく手薄なところに現れては、犯行を繰り返してきている。


 俺の予想が正しければ、犯人はまた現れる。そして、一人で出歩く少女を見かけたら、ツルハシを振り上げて襲ってくるはずだ。

 なにしろ、犠牲者の数は、このところ増える一方なのだ。最初にサフィが襲われ、次にチャルが屋台を破壊され。この前、二週間前に三人目の女性が被害に遭ってから、立て続けに四人の女性が狙われている。明らかにペースアップしているのだ。

 もちろん、当局も兵士を送って犯人を追いかけているのだが、土地鑑があるのか、するすると逃げられてしまい、捕縛に至っていない。

 このところの被害報告は、どれも同じだ。女性を追い詰め、スカートを引き裂き、足を開かせると、その間にツルハシを叩き込む。気持ち悪い唸り声をあげながらだ。そのため、大変に恐ろしい思いをするそうだが、怪我人は一人も出ていない。着衣を別とすると、経済的に損害を蒙ったのも、チャルだけだ。


 ドランカードの仲間をサモザッシュから救い出すにせよ、本物の犯人なしでは難しい。かといって、自然に事件が起きるのを待つわけにもいかない。となれば必然、囮捜査しかない。

 この場にいる唯一の女性はチャルだが、前に怖い思いをした彼女に、もう一度犯人と向き合ってくれと頼むのは、さすがに酷過ぎる。それに、本当に怪我でもしたら、申し訳が立たない。ならば、自衛できる偽者が少女役をこなせばいい。


 最初、立候補したのはギルだった。

 実は、割とこれが合理的なアイディアではあったのだ。というのも、背格好は俺とさほど違いがなく、顔立ちも整っている。度胸もある。かつ、彼は金髪だ。この街で入手できるウィッグのほとんどは金髪のものだから、彼の方が外見については豊富な選択肢を持ち得た。

 ではなぜそれが却下されたかというと、これも言うまでもない。サドカットが許さなかったのだ。例によって「ファルスならいいのかよ」と彼は詰め寄ったのだが、これに対する返答は、まったく合理的なものだった。「魔物の頭目と渡り合えるファルス様なら、万一の事態にも対処できます」とのこと。


 そういうわけで、今は人生二度目の女装に挑戦中だ。但し、前回と違ってコーディネーターがいるから、よほど「らしい」見た目になってはいるはずだが。


「できたわ」


 アイクがメイクを終えた。

 今の俺は、旅の騎士ファルスではない。ちょっとおませでお転婆な美少女ファルサだ。ステキな彼氏との密会の後で、パパのおうちに帰るところ。そういう設定らしい。どうでもいいけど。

 ただ、それらしい雰囲気は作らねばならない。いかにも油断してます、楽しい気分です、というのを演出しなければ。スキップでもしながら夜道を通り抜ける必要があるのだ。

 当然、襲撃犯には狙われるが……あまり警戒しすぎてはいけない。それが相手に伝わっては、襲ってもらえなくなる。心配はいらない。なんといってもノーゼンが俺の護衛につくのだ。


「じゃ、ギル、行ってくるから」

「……おう」


 この街の問題なのに、自分が捕り物に参加できない。不満なのだろう。だが、彼はまだ少年だ。本当の危険に身をさらすのは、もう少し後でもいいはずだ。


 秋も深まり、日没も早くなった。夏の終わりにこの街にやってきた時には、夕暮れ時の街並みに多くの人影が見られたものだ。それが今では、どこも薄暗くて、冷え冷えしている。誰一人として歩いていない。

 大通りにしてこれなのだから、裏通りなんて真っ暗で、とてもではないが、歩けたものではない。飲食店も夜にはほとんど店仕舞い、いつかにチャルを連れ込んだ売春宿も閉店中だ。そこをたまに、隊列を組んだ兵士達が通り抜けていく。

 繁華街の砂利道に、ぽつぽつと屋台が立ち並ぶ。だが、客も少なく、彼らも呼び声をあげない。


「おい、そこの」


 近くの屋台の後ろに立つ中年男が、声をかけてきた。

 俺は一人で歩いている。既にして、犯人に監視されているかもしれないし、またそうされることを期待しているからだ。ノーゼンは少し離れた場所に潜んだまま、事件が起きるのを待っている。

 つまり、今の俺は、一人で出歩く危なっかしい少女にしか見えない。


「こんな時間に一人でふらつくんじゃない。どこのお嬢さんだ? 外国の子か?」

「あっ、はい」

「最近、この辺にツルハシを持った乱暴者が出るのを知らんのか。ちょっと、ここで待ってろ。詰所の兵士を呼んでくるから、家まで送ってもらえ」


 これはまずい。親切からの行為を裏切るのは申し訳ないのだが……

 俺は、不意に走り出した。


「あ、おい!」


 これも街の平和を取り戻すため。心の中で詫びながら、通りの向こうで身をくらませる。


 繁華街の裏、東側の庶民の領域に立ち入る。一本内側に入っただけで、屋台もなければ、照明もなくなる。秋の夜の空気はしんと冷えて、物音もない。

 思わず神経を張り巡らせて、周囲を探ろうとしてしまう。だが、それでは襲ってもらえないかもしれない。しかし、油断している様子を見せるなんて、どうすればいいんだろう? 演技の才能には自信がない。


 俺の見立てでは。

 あくまで「今」、ここで女性達を襲っているのは、一種の「愉快犯」ないし「思想犯」だ。どんな目的や感情で動いているのかまではわからない。ただ、論理を突き詰めていくと、そうとしか考えられない。

 被害者達は、何も盗まれていない。強姦されたのでもない。殺害されたのもいない。ならば怨恨その他の理由があるのかと思いたくもなるが、サフィとチャルには面識もないし、その後の被害者達とも、何の関係性もない。つまり、どのような目的があったにせよ、こうした犯行を重ねるメリットが見当たらないのだ。

 ただ、屋台を破壊されたチャルだけは例外だが、あとは皆、性的なアプローチを受けている。スカートを引き裂かれて、追い詰められてツルハシを……ならばわかりやすくレイプしてしまえばいいのでは、と思うのだが、そこはもう、俺には理解できない世界だ。


 それでも、犯人は今もきっと、獲物を求めてうろついている。確実にそうだといえる。

 損得で行動する者は、理性的な判断をする。例えば、金を奪うためにやっていることなら、捕まらないよう気をつける。結果、仕事を手控える場合もある。しかし、何らかの「性癖」に突き動かされる場合には、それは成り立たない。早い話が、煙草や飲酒、風俗や博打、果てはゲームに至るまで……これら快楽をもたらす手段は、利益という観点からすると合理性を持ち得ない活動なのだが、それでもハマっている人はやめられない。借金したり、仕事をサボったりしてでも、やりこんでしまう。

 だから、今も犠牲者を探し回っているはずなのだ。


 さて、犯人はいつ出てきてくれるのか……


 ふと見ると、前方から男の影が現れた。棒のようなものを持ち、こちらに向かって走ってくる。

 なんだ? と思ったが、ノーゼンだった。


 まさか、彼が犯人……


「ファルス」


 ……なわけないか。


「中止だ」

「どうしたんですか」

「今、サドカットから連絡を受けた。ギルがいなくなったと」

「ええっ?」


 なぜ、と考えるまでもない。

 俺一人に囮を任せるのが、我慢ならなかったのだろう。それで、勝手に女装して、店から出て行ってしまったのだ。


「ガイもアイクも、他の大人達も、みんな通りの出入口を塞ぐのに出払っている。こちらは急いで呼び集めるが、お主は急いで」

「わかりました。ギルを見つけて、連れ戻します」


 それで俺は、ノーゼンと別れて、通りを走り抜ける。

 どちらにせよ、この繁華街の東側を探すのには変わりがない。西側には巡回の兵士達がいる。あとしばらくすれば、彼らもこちらに来るが、今夜の作戦が東側で行われることはギルも知っているので、西には行かないだろう。


 まったく、余計なことをしてくれる。

 どうしてこんな先走ったことを……


 いや、不思議でもなんでもないか。

 俺がちゃんと見てなかっただけだ。ギルは、ずっと悩みを抱えていた。それがどんなものかは推測するしかないが、それが自分の弱さに向けられていたのは間違いない。イリシットに打たれても黙ったまま、ファルスが理不尽な扱いを受けても見ているだけ、そして今回も留守番だ。

 何かをしなければ。それはわかる。わかるが、何も今、こんな形で。


 この通りにもいない。なら、更にもう一本、向こう側か。

 タリフ・オリムの街並みは、古い時代の面影を残している。ほとんどの道路が曲がりくねっていて、非常に見通しが悪いのだ。これは、再建設が難しいというだけでなく、実際の必要にも依っている。仮に神聖教国に攻め込まれたら? 防衛を考えれば、碁盤上のきれいな街並みなんか、作れない。逃げる住民側に有利なように、土地鑑なしでは動けない構造になっていたほうがいいのだ。

 しかし、こういう場合には、まったくもって不便さを痛感させられる。犯罪者もまた、こうした市街地の特徴を生かしているからだ。ということは、犯人は……


 俺は立ち止まり、大急ぎで詠唱する。『鋭敏感覚』だ。

 少しでも物音を……


 ……ガツン、と打撃音。


 詠唱が終わるか終わらないかのところで、それが少し離れた場所から聞こえてきた。そっちか!

 武器は持っていない。それでも、躊躇などしていられない。


「おっ、おおおっ!?」


 声のするほうに振り返る。

 いた。


 真っ白なワンピースに、金色のウィッグをかぶったギル。その前には、日焼けした背中の男が。

 勢いよくツルハシが振るわれる。なんとか避けたギルだったが、凸凹のある足場のせいか、よろめいて尻餅をついてしまう。


「ギル!」


 目測で、およそ百メートルは離れている。全力で走っても、数秒。そこまで近付かないと、魔法も届くまい。

 火魔術なら……いや、それでも何秒かはかかってしまう。やはり、走るしかない。


「出やがったな、畜生! ブチのめしてやる!」


 転ばされても、ギルは威勢がよかった。

 しかし、上段にツルハシを構えた男は、ピクリと動いて、表情を変える。


「ギル……ブチノメス? オトコ? オトコカ? オトコカカカカッ」


 興奮のあまり、口調がおかしくなってしまっている。

 狙った相手が女でなかったのが、よっぽど気に入らなかったのか。壊れた人形のように、カタカタ震え始めた。


「シ、シシシ、死ネェ!」


 まずい!


 唸りをあげて、ツルハシが石畳を打つ。いや、抉り取った。本気のツルハシストの一撃だ。石も壁も、簡単に打ち砕く。

 これは、本気で当てる気で振り下ろした一撃だ。


「くそっ!」


 ほんの数秒。

 それが間に合わない。間に合うのはピアシング・ハンドだけ。だが、今、それを使ってしまうと。


「うおわっ!?」


 威力ある一撃に怯んで、ギルは座り込んだまま、後ずさる。しかし、そこは住宅の壁だ。


「クタバレッ! フラチモノッ!」


 トドメの一撃が……

 再び石畳を抉った。


 脇道から飛び出したガイが、間に合ったのだ。強引にギルの左腕を掴んで引っ張り、壁とは反対側に転がした。だが、これでは立ち上がるまで動けない。


「ジャ、ジャマ!」

「くっそぉぉおっ!」


 今度こそ、ギルを殺そうと、そいつはツルハシを掲げる。ガイも、急いでいたせいか、手には何も持っていない。

 振り返ると、ガイはギルに覆いかぶさった。


 させるか!


「グッ!?」


 なんとか『行動阻害』の届く距離にまで追いつけた。犯人の足が揺らぐ。

 そこへ、住宅の壁を乗り越えて黒い影が飛び出してきた。空から舞い降りる猛禽を思わせる動きで、棒を一振り。ツルハシの柄が弾け、折れる。


「ヌッ、オオオ!?」

「ふざけんじゃないわよ!」


 反対側から、今度はアイクが。背中からそいつにぶつかっていった。

 それにノーゼンも加わる。俺もその場に駆けつけ、足を止めた。


「危ないところであったわ」


 ふっ、と短い溜息をついて、ノーゼンが吐き捨てる。


「アニキー」


 ガイの仲間達がランタンを片手に駆け寄ってくる。


「捕まえやしたかー」


 バタバタと足音が近付いてきて、取り押さえられた男の顔を照らした。


「こっ、こいつ……あんた! マハブじゃないのよ!?」

「クッ……聖女……女神ッ……壁……フシダラッ……」

「なんでこんな真似をしたのよ?」

「壁……叩クッ……夜遊ビッ……淫ラッ……懲罰ッ!」


 会話になっていない。犯人の男……マハブは、血走った目をギョロギョロさせながら、なおも暴れだそうとしている。


「何言ってるのよ、あんた。女の股座は神の壁じゃないのよ?」

「壁ッ! 操正シイッ、ツルハシ弾クッ……!」


 これが性癖ってやつか。

 ちょっと怖い。いや、かなり怖い。相当怖い。

 要するにこういう理屈か。操正しい処女ならば、ツルハシでブッ叩かれても、神の壁同様、弾き返してくれると。あり得ない。どんだけこじらせてるんだ、この変態は。


 でも、思い返してみると、確かに変態のケはあったか。

 神の壁を叩くだけじゃなく、頬擦りするだけでもなく、舌でベロベロ舐めてたし。修行に打ち込むあまり、性欲が壁と一致してしまったのか。それにセリパス教特有の禁欲主義と、「夜遊び」する女達への憤りが混じって……うええ、恐ろしい。

 しかも、最近は事件のせいもあって、壁での修行が禁止されていた。余計に欲求不満だったに違いない。


 理解が追いつくと、なんだか鳥肌が立ってきた。


「縛っちまいましょう」


 数人がかりでマハブを拘束し、ロープでガチガチに縛り上げる。これではもう、逃げられまい。

 それにしても、危なかった。


 横を見ると、ようやくガイが立ち上がった。


「おい」


 苦々しげな表情を浮かべ、彼はノーゼンに言う。


「ちぃとしくじったが……こんなもんで勝ったなんて思うなよ。俺ぁ」


 そういえば、そうだった。

 ガイは「余所者」のノーゼンと、張り合っている関係だったっけ。それがこんな風に危ないところを助けられたのでは、プライドが許さないか。


「はて、何のことかわからんが」


 だが、ノーゼンは涼しげな顔をしていた。


「先に飛び出して、その子を守ったのもお主、危ないところで我が身を盾にしたのもお主。ならば、今回はお主の勝ちであろう」

「なっ!?」


 これも忘れかけていたが、ガイは何気にシャイだ。いかに男らしいかを規範とする彼のこと。そこを褒められると、反射的に有頂天になる。なるが、それを顔に出したくない。


「バッ、バッカヤロォ」


 やれやれ、だ。

 それはそれとして、ギルには後でお説教……は必要ないか。しょんぼりしているところに、ようやく追いついたサドカットのお説教が降り注いでいる。


「よーし、しょっぴけ!」

「お手柄だぜ!」


 そうこうするうち、ガイの子分達が後始末を済ませてくれていた。マハブは完全に縛り上げられ、立たされている。


 横でアイクが溜息をつく。


「ワタシが言うことじゃないけど」


 ボリボリと黒髪を掻き乱しつつ、安堵と疲労感を滲ませる声色で吐き出した。


「変態はこじらせないほうがいいわね」


(このエピソードの後日譚を以下、限定近況ノートに投稿しました)

https://kakuyomu.jp/users/ochikakeru/news/16818023214004322460

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