贖罪の民

 繁華街より少し離れた、北側の街区。西側は高級住宅地だが、東側の一角には、丈の低い家々が軒を連ねている。

 タリフ・オリムはどこでもそうなのだが、この辺りは特に、曲がりくねったか細い街路が目立つ。どこも不揃いの石で舗装されているので、歩くのには不便がないが、車輪の利用には適さない。その狭さのせいもあってか、どこの家からも、住民の私物が道路にはみ出している。椅子ともベッドともつかない木製の台。軒先の薄汚れた鉢植え。古い工具の詰まった箱も、朝露に濡れていた。

 貧しい鉱夫や若い職人が集まって暮らす区域が、ここなのだ。時折女の姿も見られるが、決して多くはない。男所帯特有のだらしなさのようなものが、周辺の雰囲気を形作っていた。


 そんな家々の中の一軒が、俺の目的地だった。ここも例によって、玄関の外にはゴミが散らばっていた。解体作業後に残る、金属以外の部分。農具の柄とか、そういうゴミが山積みにされている。そのうちにちゃんと片付けるのだろうが……

 俺が開けっ放しの扉の前に立つと、その影に気付いたのか、中の男は手を止めた。台の上に置かれた廃品に、何かの工具を叩きつけて、まさに解体作業の最中だったらしい。


「早かったのう? 昨日の今日ではないか」

「あんなことをされて、何日も待つとでも思うんですか」

「そこはほれ、チャル? とかいう娘の料理修業を手伝ってやっていると聞いておるしな。忙しいのだろう」


 その忙しい人間にちょっかいをかけたのは、どこのどいつだと言ってやりたい。


 彼は立ち上がると、中に入れと手振りで示しつつ、俺の背後の扉を閉じようと近付いてきた。

 俺は逆らわず室内に立ち入る。扉が閉じられ、薄暗くなったところで、ノーゼンは部屋の隅にうち捨てられていた古びたランプの皿を取り上げ、そこに油を満たして火を灯した。


「もっと目立たない場所で話をできないものですか」

「なに、この辺には普通の人間しかおらん」


 これまたゴミの山から拾ってきたであろう木製の椅子を、俺に指し示す。彼も向かいに座った。


「普通の人間、ですか」

「お主は違うようだがな」

「あなたに言われたくありませんが」


 俺の口調には、苛立ちが混じっている。彼に対する好感度は、かなりのところ、下がってしまったからだ。


 あの月夜の決闘の後のこと。

 あれで「試合」はお開きとなった。俺が知らないうちに……なにしろ、一日のほとんどをチャルへの指導に費やしていたのだから……ノーゼンはギルに接触していた。そして、言葉巧みに、武術の試合を見せてやろうと持ちかけた。王国の正規兵すら歯が立たなかったあのゴブリンの頭目を討ち取ったファルスの腕前。その本気の戦いを見物してみたくはないか、と。つまり、これは悪戯の一種のようなものとして片付けられた。

 もちろん、それは方便だ。ノーゼンは、俺を試すためにギルの命を使った。


「本音が見えなかったのでな」


 溜息をつきながら、彼は背凭れに体を預けた。


「前の要塞の時には、人の目があった。お主の正体も立場も、危機にさらされてはいなかった。だから、人助けをしたからと言って、お主が邪悪な存在ではないと判断するには、足りなかった」


 だが、この若さであの能力は異常だ。それでノーゼンは、俺が何者かを確かめるべく、パッシャの一員であることを装ってカードを投げ渡したのだ。


「わしには仲間達がおってな……といっても、数は少ない。それに、皆、遠い地でそれぞれに動いておる。それで、お主のことを少々調べさせた。そこでパッシャの存在が浮かび上がった」

「僕は、彼らを敵に回して戦った側なんですが」

「そうらしいな。だが、それを鵜呑みにはできん」

「それはもっともですけれども」


 俺はじろりと彼を睨みつけた。


「で、人目につかない場所で、ギルを囮にした、と」

「その前に、わしがお主を押さえ込んでしまえればよかったのだがな」


 前回とは違う。俺の正体を突き止めつつあるはずのノーゼン。その彼との「殺し合い」の現場を、「第三者」に目撃させた。ギルは楽しい「試合」だと思ってやってくるのだが、ノーゼンは俺が彼を殺害する可能性を考慮に入れていた。

 つまり、死人に口なし、だ。もし、俺が邪悪な存在で、秘密を守るためにギルを殺そうとすれば。或いはノーゼンによる殺害を見過ごせば、それで俺の立ち位置を判断できる。その材料にするために呼びつけたのだが、結果は……シロとせざるを得まい。


「これでそちらは答えを手にしたわけです。でも、僕はまだ、あなたがその『邪悪な存在』でないという証拠を持っていませんからね」

「それももっともだな」


 指摘されて、ノーゼンは軽く笑った。


「あなたは何者ですか」

「わしらは、自分達のことを『贖罪の民』と呼んでおる」

「贖罪?」


 はて、どんな罪を犯したというのか。民、というくらいだから、その罪は個人のものではない。

 俺が首をかしげていると、彼は座り直しながら言った。


「順を追って説明せねば、わかるまいな」


 背筋を正して、彼は説明を始めた。


「わしらの本来の住まいは、ここより遥か北西、リント平原の北側、雪原の真っ只中にある」

「そんなところに人が住んでいるなんて、初耳です」

「そうだろうな。わしらはどこの王国に属することもなく、富貴を求めもせず、ただあの地で生きる古い民だ」


 それは何のために?


「伝説を知っておるか? かつてムーアンの畔に、富み栄えた人々が暮らしておった。だが、ある時、黒の龍神ギウナの怒りに触れて、そのすべては滅び去った」

「もちろんです。正義の女神モーン・ナーとの争いが起こったとか」

「その辺のセリパス教の言い伝えはおいておくとして……確かに、およそ二千五百年ほど前に、その出来事は起きたのじゃ。その際に、高く聳えた塔は崩れ去り、人々の多くが生き埋めになって死んだ。だが、一部が生き延びた」


 ということは、贖罪の民というのは……


「その末裔が、わしら贖罪の民というわけじゃ」

「なぜ『贖罪』なんですか? どんな罪を犯したのですか?」

「度を越えた強欲よ」


 ムーアンに栄えた人々は、女神と龍神の恩寵を受けて、この上なく豊かな生活を享受していた。現代の世界のどこにも見られないほど立派な建物が並び、そのどれもが清潔で、水にも食料にも不自由することはなく。しかも誰もが神通力をいくつも使いこなしており、快適そのものの生活を送ることができた。

 だが、それでも彼らは満足しなかった。もっともっと、もっと祝福を。


「誰が引き金を引いたかはわからぬ。だが、それがあの、百八番目の女神を呼び寄せた」

「百八……『災厄の女神』ですか?」

「そう呼ばれてはおるな」


 原初の女神と五色の龍神がこの世界を創造し、しばらくは彼らが直接に人々を統治した。だが、いくつもの祝福を授けた後、女神は『天幻仙境』に至り、そこで眠りについた。龍神達は各地に散らばり、以前と変わらず人々を導き続けたという。

 しかし、女神は自身の役目を放棄したのではなかった。女神はたびたび人の姿に化身して、その願いをかなえるためにやってきた。その化身の最初のものが『祝福の女神』だ。あのリンガ村の奥に祭られていた像も、この女神のものだった。

 そうしていくつもの化身が現れては消えて。その最後に出現したのが、百八番目の『災厄の女神』だという。これが女神教の語る創生神話だ。


「では、その災厄のせいで、ムーアンも滅んだ?」

「いいや、ギウナが滅ぼした」


 はて?

 論理が繋がらない。


「よくわからないですよ? こう、例えば、人々が互いに争うために、女神に悪いお願いをして、そのせいで滅んだとか、そういうことならわかりやすいんですが」


 実際、神通力には物騒なものがいくつもある。例えば『剣舞』などがそうだ。どう考えても戦うためだけにしか役立たない。あんな神通力があるということは……かつて人々が女神に願った奇跡の中に、そういうネガティブなものも含まれていた、という根拠になる。


「ファルスよ、女神は人々を害そうなどとは考えない」

「龍神なら、やってもいいのですか」

「本来は、そうでもないのだがな……」


 腕組みして、ノーゼンは溜息をついた。


「とにかく、ギウナはああして人々を裁いたがゆえに、自らを罰して滅びた」

「はい?」

「ギウナは滅んだと言った」

「モーン・ナーはどこにいったんですか」

「とにかく、わしはそう聞いておる、というだけのこと」


 どういうことだ? 正義の女神は、では、何もしていない?

 それに、ギウナは邪悪な龍神とされている。セリパス教の伝承では、モーン・ナーとギウナの争いがムーアンを汚染された沼地に変えた、ということになっている。

 だが、ノーゼンの話によると、あくまでギウナが人々を裁いたのが大崩壊の直接の原因なのだ。それも、先に罪を犯したのは人間のほうなのだ。


「大崩壊を免れた人々も、行く先などなかった。それまで、女神の恩寵に縋って生きてきたか弱い存在だったのだから。一部はサハリアの東を目指したが、別の集団が北を目指した」

「それが今の贖罪の民だと」

「すべてではないがの。そして、わしらの祖先は、新たに龍神ヘミュービに赦免を願った」


 つまり、ムーアン文明崩壊の原因となった強欲の大罪を贖うため。だが、本来の守護神であったはずのギウナは滅んでしまったため、別の龍神に罪悪の清算をしたいと願った。


「ヘミュービは、わしらに世界の守護を命じた」

「守護……って」


 そんなご大層な目的を設定するのなら、隠れ里にいたのではどうにもなるまいに。話に聞く限り、贖罪の民とやらに頭数がいるようには思えない。もしかすると、全員がノーゼンみたいな能力者なのかもしれないが、だとしても目標が大きすぎて、まるで釣り合いが取れそうにない。


「なら、どこか国でも征服して、支配すれば早かったのでは」

「ヘミュービが許すまい。富貴と悦楽に繋がるやり方は」

「なるほど、贖罪ですから、利益は駄目だと」


 だから、こうして各地に散らばって、邪悪な存在を見つけ出そうとしているわけだ。禁欲的な生活を心掛け、技能を磨き、悪と戦う。まさしく贖罪の生活だ。


「だが、全員がわしのようにしているのでもない」

「そうなんですか?」

「こうして贖罪の使命を背負うのは、そう自ら定めた上で、修行を重ね、龍神に認められた者だけだ」


 とすると、数はかなり少ないとみるべきか。


「ん? では、もしかしてノーゼンさんは」

「うむ。ヘミュービの前に立ち、認められて祝福を受けた」

「龍神に会えたんですか!」


 では、世界の歴史の生き証人と話をしたわけだ。

 だが、ノーゼンは首を振った。


「その通りだが、お主が期待するようなものは、持ち合わせておらん」

「と言いますと」

「ファルスよ。ヘミュービは人を信用しておらぬ」


 信仰を捧げ、命じられた役目を果たそうという人間すら、信じてくれない?


「ノーゼンさんみたいな、自分の『使徒』すら信じてないんですか?」

「わしのことを使徒と呼べるのかどうかはともかく、そういうことだな」

「じゃ、まるで使い捨ての駒じゃないですか」

「まるでも何も、まさしくそれよ。自ら捨て駒になるからこその贖罪ではないか」


 なんだか、随分と理不尽でひどい話に思えてきた。


「だけど、理屈で考えると、滅茶苦茶ですよ。ノーゼンさんが自分で強欲の罪を犯したのでもなければ、ギウナを殺したのでもないんでしょう? なのに、その罪を清算するために努力して、しかも信用もしてやらないとか」

「神々には、神々の都合があるのだろう。それに、わしとて最初は、欲もあったのだ。といっても、金や地位が欲しかったのではない。狭い村の外に出て、自由に世界を歩きたかった。それで贖罪の使命を引き受けることにしたのだからな」


 ならば、彼には彼の都合と目的があっての活動ということになる。とはいえ、だ。


「だから……ヘミュービは、最初からわしら人間を信用しておらん。祝福こそ与えられたものの、形だけのものと思ってよい。今、お主に語った世界の成り立ちについての話も、ヘミュービがそう言っていたというだけのこと。恐らく、もっと多くのことを知ってはいようが、わしらには語るつもりがなかったのではないかと思う」

「そんな」


 神といっても、シーラとはまるで違う存在らしい。話に聞いた限りでは、なんと言うか、近寄りがたい印象を受ける。


「これでわしの身の上については、納得してもらえるか」

「ええと……ちょっと待ってください」


 急いで考えをまとめる。

 多分、嘘は言っていない。だが、もっと多くを引き出せないか?


「もっと質問してもいいですか」

「なんじゃ」

「では、ノーゼンさんはどうしてこの街に留まっているんですか? もう何年もいるそうじゃないですか」

「ああ」


 俺の疑問に、彼は表情を和らげた。


「もともと西方大陸の各地を放浪して、使命に服してきたのだが、今からおよそ十年前に、再び龍神の御前に招かれた」

「では、命令で?」

「そうだな。恐るべきもの、忌まわしきものが降臨した、その正体をつきとめよ、と」

「それがこの近くに?」

「西方大陸のどこからしいが、詳しい場所は誰にもわからぬ。それで手分けして各地で手がかりを探しておるのよ」


 十年前。ちょうど俺が生まれた頃、か。

 そういえば、シーラも言っていた。


『ほどなく忌まわしい悪意があなたを見つけるでしょう』

『それは恐るべき戦いを惹き起こし、或いはこの世界を破滅の淵に追いやることになるかもしれません』


 その悪意の一端を、俺は垣間見ている。

 グルービーの背後にいたという使徒だ。その援助を得ただけのグルービーにして、あれだけの力を得ていた。もしこの世界に俺がいなかった場合、そして彼の目標が王国の乗っ取りといったようなものだった場合、これを食い止めることはできたのだろうか? うまくいっても、街ひとつが廃墟になる。最悪の場合には、国ごと滅んでいても、不思議ではなかった。

 ならば、その使徒自身となると、どれほどの脅威になってしまうのか。しかも、話はそこで終わらない。使徒の後ろには、仕える魔王がいる。すべて滅ぼされたはずなのだが、もし誰かが生き残っていたら? この世界の方が滅んでしまうかもしれない。


「もう一つ」

「うむ」

「ノーゼンさんがこれまで言ったことを事実と確認する方法はありますか?」

「……形あるものはない。だが、納得したければ、贖罪の民が暮らす土地へ行くがいい。ここからさほど遠くはない」


 俺が口を噤むと、今度は彼の番になった。


「それではファルス、今度はお主のことを教えてもらおうか」

「面白いことは何もないですよ?」

「心配いらぬ。面白さなど求めてはおらんからな」


 さて、困った。

 どこまで話していいものやら。


「何を知りたいんですか」

「そうだな。差し当たってはまず、パッシャとの関係を語ってもらおうか」


 ほっと一安心。

 これならスラスラ言える。


「関係も何も……トヴィーティ子爵の下僕だった頃、ピュリスに密輸商人が多数入り込んでいまして。その連中の背後にいたクー・クローマーというパッシャの暗殺者と出会ったのが最初です」

「ほう、それで?」

「もちろん、敵対しました。その時には逃げられてしまいましたが、その後もエスタ=フォレスティア国内で動いていたようです。最後に見たのは、昨年の内乱の時ですね」

「では、お主は彼らの仲間ではないと」

「それは断言できます。手助けされたことも、したこともありません。利用なら気付かないうちにされていたかもわかりませんが」


 頷くと、ノーゼンは言った。


「まあ、そこは問題ないか。それにパッシャとは、ワノノマが国ぐるみで戦っておるからな」

「そうなんですか」

「あそこはそういう国よ。龍神モゥハが姫巫女を通じて人々を導いておる。それでワノノマの武人は、その意を受けて、魔王の下僕と戦っておるらしい」


 龍神が率いる国なら、そういうことにもなるか。しかし……


「贖罪の民は、一緒に戦わないんですか」

「む? その必要はないな」

「なぜです?」

「ファルスよ」


 声色を低くして、ノーゼンは静かに言った。


「モゥハはどうか知らぬが、ヘミュービは『殺せる』神だ」

「殺せる?」

「人でも、動物でも、魔物でも」


 それは穏やかじゃない。

 そういえばさっき、ギウナも『人々を裁いた』結果、『自ら滅んだ』と言っている。ということは、人を殺せない神もいるということか?

 あり得なくはない。シーラが人を殺せるはずがないからだ。


「龍神の季節、という言葉を聞いたことはないか」

「あ、あります。この街に来てから……秋の終わりから冬にかけてをそう呼ぶそうですね」

「あれは比喩ではない」


 ノーゼンの顔が、より険しい表情に切り替わる。


「毎年、この時期になると、リント平原の北にある贖罪の民の村に帰ってくるのだ。それで、龍神が身に纏う霊気が風を巻き起こし、辺りを凍らせる。だが、それ以外の時期はというと……」


 自分の導く人々の近くで過ごす以外の時期、龍神は何をしているのか。


「……魔物の集団を見つけては、間引いておるのよ」

「じゃ、殺しまくってるんですか」

「そうらしいな」


 しかし、そういう意味では善神の側といえなくもないか。

 人々に仇なす魔物を討ち滅ぼし、世界を守っているのだから。ただ、それならなぜ、『人形の迷宮』などの魔物の巣窟を放置しているのか。そこは説明がつかないのだが。帝都パドマ近郊にも、大規模な迷宮がいくつかある。これも、魔物の間引きをしているのは、現地の冒険者達らしい。

 理由はわからないが、とにかく、ヘミュービは見えないところで魔物を減らしている存在、と考えればいいようだ。そして、だからこそ、贖罪の民には直接の戦闘を分担させる必要がない。龍神自ら戦ったほうが手っ取り早いからだろう。


「で、まだわしの質問の途中だったな」


 おっと、まずい。


「肝心の質問といこうか。ファルスよ、その若さでなぜ、それほどの力を有しておる?」


 ごまかせない、か。

 僕って天才ですから! では済まないだろう。


「実際に戦ってみたのには、その確認の意味もある。お主の剣術は、神通力によるものではないな?」

「そ、そうですね」

「いわゆる『剣舞』や『神槍』といった神通力は、使い手の自由を奪う。これは、『怪力』などの神通力にも共通していえるが、いったん動き出したら、勝手に働くので、なかなかやり方を変えられない。だから、お主がやったように、剣術と魔法を組み合わせて戦うような真似など、普通はできん」


 それはある程度、わかっていたことだ。

 身近にジョイスという例が存在した。『透視』や『読心』の能力をコントロールしきれず、見たくもないものを見て、聞きたくもない心の声を聞いていた。ティンティナブリア城付近のスラムを通り過ぎる時、脂汗を流しながら、馬車の中で縮こまっていたっけ。

 神通力は、魔法のようなコストを必要としない代わり、制御が困難な代物なのだ。喩えるなら、魔法が「便利な道具」だとすれば、神通力は「新しい手足が生える」ようなものだからだ。それは本人の生き方自体を捻じ曲げてしまう。


「い、いや、あの火の玉だって、神通力かもしれないじゃないですか」

「それはないな。第一、呪文を唱えておいて、ごまかせると思うのか」

「唱えたふりってことも……」

「だとすると、お主はいくつ神通力を持っているのかな? わしら贖罪の民や、南方大陸の武術家達でさえ、あれほど多様な力を身につけてはおらん。第一、それだけ多数の神通力があっては、普段の暮らしにも差し支えよう?」


 そうなのだ。

 ノーゼン自身、実は不便を感じているはずだ。彼には『俊敏』の神通力が備わっている。俊敏に「動ける」だけではなく、「動いてしまう」ということになる。『断食』できるだけでなく、食べたくても食べられない。

 その不自然な身体的特徴と生活を見られまいと思えば、必然、こういう場所で一人暮らしするしかない。


「で、そうなると、お主は剣術をどこかで習得したことになる」

「はい、学びました」

「誰に教わった」

「……サウアーブ・イフロースです」


 たまさか優秀な師匠を得ていて、助かった。これで少しは説明が通りやすくなる。


「あの『一夜陥とし』か。ならば、優れた師だ」

「はい」

「だが、それだけでは納得しかねるな」


 やっぱり、そうか。

 それはそうだ。優秀な先生と、才能に恵まれた生徒。だとしても、俺は早熟すぎる。


「お主は腕があるというだけではない。殺しなれておるな」

「なぜそう思うのですか」

「森の奥、一人で探索に出された時、洞窟から飛び出てきた幼生のオーガを一撃でしとめただろう。息を吸って吐くようだった」


 見られていたか。

 最初からノーゼンは俺を監視していた? いや、最初はあくまで、俺を守るためだったのだろうが。


「その魔術はどこで学んだ? 火魔術と、もう一つは……身体操作魔術だな?」

「はい」

「その若さで、ここまでの熟練など、説明がつかぬ。まして、一貴族の下僕に過ぎなかったお主が、学びの機会を得られたとも思えぬ」

「それは……」


 論理が通らなくなる。

 これこそ、俺が魔術を積極的に使わない理由なのだ。剣だけであれば、まだ「天才少年」で済む。だが、魔術には「正しいやり方」があり、それ以外の手順では訓練もできず、発動もしない。そして、正しい知識は非常に高価で、常に秘匿されている。


 どうする?

 言いたくないのなら、始末するか?


 だが、この話を聞いた後では、ノーゼンを抹殺するという選択はしづらい。殺害の証拠自体は、ピアシング・ハンドを使えば残らない。だが、彼には仲間がいて、遠隔地にあって連絡を取り合っている。恐らくは『念話』によってだ。そして彼は、俺についての情報を、フォレスティアに散っている他の贖罪の民に調べさせている。ということは、ここでいきなりノーゼンが死ぬ、ないし連絡が取れなくなった場合……ファルスに殺されたと判断するのが妥当ということになる。

 そうなると、俺はノーゼン同様の化け物や、ひょっとすると龍神そのものにも目をつけられることになる。そんなの、命がいくつあっても足りない。敵に回してはならないのだ。


「……女神の祝福を受けたから、です」

「なに!?」


 椅子から飛び上がらんばかりの勢いで、ノーゼンは身を乗り出した。


「馬鹿な! 女神の祝福だと!?」

「は、はい」

「それはあり得ぬ。ここ一千年というもの、そんな人間はいなかったはずだ。ファルスよ、それはなんという女神だ!?」


 やっぱりこうなったか。


「わかりません」

「なんだと?」

「あ、た、ただ。ただ、それは『白銀の女神』と呼ばれているそうです」


 シウ・イーァラの名前だけは出さない。ウルンカのことも話さない。でも、こうでもしなければ、辻褄が合わない。

 事実の一部だけ話す。

 大丈夫、問題ない。シーラの結界は、龍神でさえも越えられないのだから。


「なんだそれは」

「わ、わかりませんが、その……ティンティナブリア城の書庫に、手がかりがあります」


 そして俺は、古い記録にあったことを簡単に説明した。神官戦士団がその女神を追ったことも。ただ、俺はそこに小さな嘘を混ぜた。自分としては、その『白銀の女神』は、百八の女神のうちの一柱ではないかと思っている、と述べたのだ。


「……でも、僕は、リンガ村の虐殺の夜、確かに助けてもらったんです。それでシュガ村で拾ってもらえたので」

「事実か」

「少なくとも書庫を探せば、捨てられていなければその本はあるはずです。それに、リンガ村の虐殺も、あの地方の人ならみんな知ってることですよ」

「ふむ……まぁ、それは後ほど、仲間達に調べさせよう」


 ふう、と俺は息をつく。


「で?」

「はい?」

「祝福を受けると、なぜお主が魔法を使えるのだ」


 おっと。

 言い訳を捻り出している途中だった。


「あ、それはですね……そのことがあってから、やけに物覚えがよくなったんです」

「というと?」

「剣術も、教わるとすぐできるようになりました。魔法も、ちょっと練習しただけですぐ使えるように」

「そんな祝福、聞いたこともないぞ」

「と言われましても」

「ふむ」


 椅子の上で足を組み、彼は考え込んでしまった。


「では、次は」

「はい」

「お主の旅の目的はなんだ? ただの騎士の修行ではあるまい」


 これは……正直に言ったほうが、むしろプラスだろう。


「不死を求めています」

「なに」

「不老不死になる方法を探しています。ノーゼンさん、ご存知ですか」

「知らぬ」

「もし教えてくれれば、お礼もします。何なら、贖罪の民の仕事を手伝うのでも構いませんが」


 すると、彼は顎に手をやり、少しだけ考えてから、言った。


「わしにはわからぬが……ヘミュービであれば、答えを知っておるかもしれんな」

「では」

「しかし、確かにリント平原の北にはやってくるが……お主の望みに応えてくれる保証はない。そもそも、人間を嫌ってさえおるのだから、話し合いすら成り立たぬかもしれぬ。またもし、望みに応じてくれるにせよ、それ相応の対価を求められようが」


 対価、か。

 となると、不死の代償に、ずっと魔王の下僕相手に戦い続けなければいけなくなるかもしれない。それはさすがにちょっとつらい気もするが……なに、全滅させれば終わるのだから、未来がひらける選択ではある。ただ……


「しかし、逆のことも懸念されるな?」

「逆?」

「ファルスよ、もしパッシャがお主に不死を授けると言ったら、どうする?」


 その可能性もないでもない、か。

 今まで考えたことはあまりないが、何しろ魔王の下僕なのだ。それなりのメリットとか理由がなければ、組織の存続もできなかったに違いない。で、もし彼らが不死に至る道筋を知っていたら、どうするのか。お仲間に加えてもらって、永遠の命と引き換えに、悪の限りを尽くすのか?


「どちらもイヤです」

「どちらも?」


 龍神の陣営に加わるのも、パッシャの手下になるのも。不自由で苦しい不死など、望むところではない。快楽は求めないにせよ、常に息苦しい日々が続くとなれば。

 それに、パッシャは魔王の側だ。グルービーの背後にいた『使徒』が、パッシャの関係者だったのかどうかはわからないが、連中の仲間だったとするならば……俺にとっても、気持ちの上では敵同然であると言える。


「敵を殺せば寿命をやろう、というのは……それもまだ、終わりがあればいいですが。特にパッシャに誘われた場合、龍神やワノノマの兵士達と戦い続けなければいけないのでしょう?」

「そうなるな」

「終わりの見えない戦いなど……それは僕の望む不死ではありません」

「ふうむ?」


 変な言い回しに、彼は首を伸ばした。


「では、お主の望む不死とは、なんだ?」

「眠りです。安らかな……何も気にかけず、悩まず、静かに過ごせるまどろみ。そのための不死なのですから」

「見た目だけにせよ、子供が欲しがるものではないな」


 中身はそれなりの年齢なので、欲しがってもいいと思うが。


「ならば、最後に」

「はい」

「なぜわしを『使徒』であると思った? お主は使徒を見たことがあるのか?」


 キーワードを忘れるほど耄碌はしていないか。


「見たことはありませんが、関わったことならある、かもしれません」

「曖昧だな」

「昨年の内乱のおよそ九ヶ月前に、ピュリスで謎の疫病の流行がありました。ご存知ですか?」

「詳しくは知らぬが」


 俺にとっては、最悪の記憶だ。

 だが、なるべく淡々と説明する。


「あの事件の黒幕が、パッシャと、コラプトのラスプ・グルービーでした。そのグルービーの背後に、使徒がいた可能性があるかと」

「なぜそれがわかった?」

「グルービーがそれらしいことを言っていたからです。ですが、僕自身が直接確認したわけではありません」

「なるほど。使徒の存在自体は知っていると。だが、わしがその使徒であると思った理由は」

「それこそ、カマをかけただけです。あの黒いカードを見たら、パッシャの関係者かと思うじゃないですか」

「ふうむ」


 これで辻褄はあった、か。


「よくわかった」


 考えをまとめたノーゼンは、そう言いながら立ち上がった。


「お主のすべてを信用するのは、まだできぬ。だが、少なくとも今、邪悪な意志は抱いておるまい」

「わかりませんよ? 気が変わって、そこらの王侯貴族にでもなって、贅沢三昧をしたいと思うかもしれませんし」

「俗界のことには、わしらは関わらぬ。王になりたければ、なればよい」


 なるほど。

 龍神に仕えているのだから、そういうスタンスなのも当然か。


「だが、お主の人となりと……それと、その女神の祝福なるものを、この目で見てみたくはあるな」

「どうやって見せるんですか」

「なに、お主のすぐ横で時間を潰そうというだけよ」

「それで何かわかると思うなら、好きになさればいいですが」

「ふむ」


 顎に指先をおいて、少しだけ考えてから、彼は言った。


「ならば贖罪の民に伝わる、龍の闘技を、横で見て盗んでみたくはないかの?」


 なんと。

 それは魅力的な提案だが……


「わしはお主の言う祝福が実在するかどうかを確認する。お主は技術を学ぶ。どちらかというと、お主が得する話だな?」

「ま、まぁ」

「断るというのなら、まぁ、それも自由だが……わしは疑うじゃろうな? お主には、何かやましいところがあるのではないか、と」


 簡単には逃がさない、ということか。

 今は敵ではないとはいえ、やはり要注意人物だから、目の前で監視したい。そう公言しているようなものだ。


「別に、僕は問題ないですよ」

「なら、決まりでよいな?」


 俺も席を立った。

 それで外に案内しようと、ノーゼンが前に立つ。


「ああ、そうだ」


 俺は思い出して、足を止めた。


「陛下と繋がりが?」

「さすがに気付くか」

「僕だけ呼び出されれば、それは」

「大したことではない。ここはわしらの里に一番近い街。ここが魔の手に落ちれば、後がなくなる。それがゆえの約定よ」


 ノーゼンは、古びた木の扉を引き開けた。

 真っ白な光が四角く空間を切り取った。


「行くがよい。だが、魔に心を奪われるでないぞ」

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