月下の舞闘

 低い風切り音。

 はっとして飛びずさる。


 前触れも何もない。無音の接近。言葉もなく、ただ黒い杖を叩きつけてきたのだ。

 身のこなしに無駄がなく、しかも異様なほど俊敏だ。ただ、獲物が棒では、威力ある一撃を繰り出そうとすれば、どうしても唸り声を抑えることができない。


 一瞬の攻防でしかなかったのに、俺の背中は既にびっしょり濡れていた。


 なんという熟練、何という洗練。

 音も予備動作もなく接近し、鋭く一撃を浴びせる。完成された技とは、こういうものをいうのか。


 瞬間的に、俺は剣を引き抜いていた。迫り来る脅威に、体が自然と反応した結果だ。しかし、極度の興奮から徐々に冷めゆく俺の脳は、状況のまずさを淡々と告げるばかりだった。


「これくらいは避けるか」


 並みの戦士ならば、今の一撃だけで確実に死んでいた。それだけの攻撃力が、彼にはある。

 俺には何がある?


「死にたくなければ、すべてを曝け出すがいい」


 滑るように地面を進み、流れるように棒を振るう。これとわかる前触れもなく、どこまでも自然体。

 またもや間一髪、俺は横に大きく飛び退く。


 内心では舌打ちしていた。

 こんな避け方ではいけない。相手の動きには無駄がないのに、こちらは必要以上に大きく動いている。先に息切れするのはこちらだ。前もって『活力』を含む身体操作魔術を使用しておいたのにもかかわらず。何しろノーゼンには、『疲労回復』の神通力がある。


 では、攻撃を受ける? どうやって? ミスリルの剣とはいえ、あの重量のあるアダマンタイトの杖をまともに受ければ、刃毀れは避けられまい。それだけで済めばいいが、最悪、へし折られる危険もある。

 だからとりあえずは距離を取るしかないのだが、もともとリーチは向こうの方が長い。ただ、棒には刃先がない。ゆえに超接近戦に持ち込めば、この有利不利は逆転する。


 するのだが……


「こ、このっ」


 もう一度、ノーゼンが棒を構え直す。その体が、何かに押されでもしたかのように、瞬間的に迫ってくる。

 今だ。


 彼の鋭い突きをかいくぐり、俺は体を折り畳んで脇に入る。下から切り上げようとして……


「ほう」

「くっ!」


 鈍い衝突音。

 銀色の刃は、黒ずんだ棒に引っかけられていた。


 瞬間、ゾッと背筋を駆け抜けるものを感じて、なりふり構わず地面に転がる。すぐさま起き上がり、前方に剣を向けた。両手でまっすぐ先端を向ける、防御的な構えでだ。追撃を防ぐのが最優先。辛うじて助かった。


 ……やっぱりこうなった。


 接近戦を挑みたいのはやまやまなのだが、これも難しい。彼は棒術より、至近距離での格闘戦を得意としている。俺の攻め手は剣だけ。これに対し、彼はそれさえ防げば、片手と両足すべてが武器になる。

 今、彼が何をしたのか。すべてを目にはしていない。ただ、繰り出したのは拳でもなければ、膝でも爪先でもなかった。恐らくは、体当たりだ。

 格闘技というと、拳や膝などの尖った部位を相手に叩きつけるやり方が、すぐに思い浮かぶものかもしれないが、有効な戦術はそれだけではない。打撃によるダメージという点に絞っても、要は充分な重量と速度が乗ってさえいれば、当て方は何でもいい。全身でぶつかれば、それだけの衝撃が相手に伝わる。

 さっきの一撃を浴びていたら、俺はそれだけで脳を揺らされ、肺の中の空気をあらかた吐き出してしまっていただろう。


 武器をぶつけ合うには相性が悪い。

 さりとて、近付いて棒の脅威を避けようとすれば、今度は相手の得意とする格闘戦が待ち受けている。

 となれば、残る手は……


「やあああ!」

「おっ」


 剣を横ざまに構え、後先考えずに突っ込んだ。


 一気に勝負をつける。

 というフェイント。かかってくれるか不安だったが、万一を考えてか、彼は横に避けた。


 俺は追い詰められていたのだ。背後はあのか細い通路。武器を自由に振るえない、狭い場所だ。あちこち曲がりくねっているとはいえ、全体としては右回りであり、ということは、その通路を背にして戦うならば、右手に武器を持つ側が不利になる。

 恐らくノーゼンは、どちらの手でも自在に獲物を扱える。また、そうでなくても、右手は自由だ。対してこちらは、いつも右手に持つ剣の側が、土壁に邪魔されることになる。


 これだけ巧みな動きを見せる相手に、そんな不利な場所で戦うなど、自殺行為だ。だから、強引にでも広さのある場所に飛び込んでいき、位置関係を切り替えることにしたのだ。

 もちろん、それだけではない。


 距離が開いた。

 しかも、今度は俺が月を背にしている。黒ずんだシルエットでしかなかったノーゼンの姿が、よりくっきり見えるようになった。


 中距離、近距離の勝負では、分がなかった。

 ならば、遠距離では?


「むっ」


 こちらの意図に気付いたらしい。

 やはり見られていたか。


 一瞬で赤熱した俺の左手に、赤い火花が散る。


「喰らえ!」


 途端にいくつもの赤い線が黒い空間を引き裂いた。

 威力はさほどない。急拵えの火魔術だ。それでも、浴びてしまえば火傷もするし、肉もえぐれる。それより手数だ。


 とはいえ、これもあっさり避けられてしまう。救いがあるとすれば、近付かせないことには成功した、というだけか。

 地面に小さな穴を開けながら、赤い炎が一瞬で弾けては消えていく。


 ……これではいけない。


 俺は今、平常心を保てずにいる。それは、相手の手強さもさることながら、この状況そのものを飲み込みきれていないからだ。

 パッシャの関係者がいると思って出向いたら、ノーゼンが待ち受けていた。なら、龍神とパッシャには関係がある?

 いや、逆か? 俺をパッシャの関係者だと思ったから、うまいこと誘い出そうとした?

 ノーゼンは俺をどうしたい? 殺すのか? それとも……


 俺がどうしたいかは、はっきりしている。最優先は自分の生存。だが、次は、彼の本音を引き出すこと。

 殺すだけなら一瞬だ。ピアシング・ハンドは使用可能で、枠も空けてある。肉体を奪えば、証拠も何も残らない。但し、相手がノーゼン一人きりという保証はない。仮に暗がりのどこかに彼の仲間が潜んでいて、一部始終を観察していたら? 曲者がいないかどうかを確認する余裕など、今の俺にはない。

 ならば、自力で彼を圧倒するしかない。だが、それが難しい。殺さずに取り押さえられるほど、彼は弱くない。


「ふむ、大した持久力よの」


 俺の左手からは、赤く短い火の弾丸が撒き散らされている。もはや狙いは大雑把、あちこちにぶつかっては消えるばかり。手数だけは豊富だが、それは俺の体力と引き換えだ。


「じゃが、その程度か」


 いよいよ見極めた、と言わんばかりに、彼は棒を構え直し、腰を沈める。

 この弾幕を突き抜けてくる……!?


 俺は、戸惑いの表情を浮かべて後ずさった。


「ぬおっ!?」


 その瞬間、ノーゼンは顔色を変えて大きく飛び退き、地面に転がった。

 引っかかると思ったのに。これも見抜かれたか。


 そう、剣を持つ右手でこっそり『足痺れ』の術を用意していたのだ。身体操作魔術に精通していない限り、この呪いの矢は見えない。だから、目立つ火の弾丸を避けているうちなら、これには気付かれないと思ったのだ。なのに、それさえも避けられた。

 どうして……いや、そうか。彼には『危険感知』の神通力もある。だから、見えないながらも不吉な感覚に襲われて、姿勢を崩すのも構わず大きく避けた。


 なんて厄介な。

 だが、これはこれでチャンスだ。火の弾丸を浴びせてやる。


「ふおっ!」


 パシッ、と間抜けな音がして、赤い光が散った。

 トドメとはいかずとも、負傷させるくらいは。手か足、どこかに一発でも入れば。少しは戦況を好転させられるのではないかと思ったのに。

 アダマンタイトの杖は、魔術を弾く。難しく考えなくても、見えている弾丸なら、叩き落せば済む。


 結局、ノーゼンは立ち上がった。上半身はタンクトップ一枚。その剥き出しの右肩に、ちょっとしたかすり傷ができた。あの手この手で攻撃を浴びせまくって得た戦果がこれとは。


 もちろん、いくら『危険感知』ができても、あらゆる攻撃を回避できるわけではないだろう。至近距離で武器をぶつけあっている場合など、警報がなりっぱなしのはずだ。それに比べると、遠距離からの魔術には対処しやすいに違いない。

 だが、経験豊富なノーゼン相手に、接近戦で裏をかく? どうやって?


 ならば、引き出しは、まだ一つある。

 秘剣『首狩り』だ。

 しかし、今の俺では通用しない。アネロスと違って、体が小さく軽すぎるからだ。また、手足も短く、リーチが足りない。

 最初の一撃で重心をひきつけ、動きを封じるのがこの技の要点なのだ。武器の鋭さに頼るしかなく、威力の乏しい一撃しか繰り出せない俺では、期待した効果をあげられない。


 こうなると、まともな選択肢は残っていない。


 一、このまま戦闘を継続する。勝ち負けは時の運、しかもどちらかが死ぬ可能性もある。殺してしまった場合、たとえ勝っても何の情報も得られず、俺には殺人の嫌疑もかかる。

 二、逃走する。ここからなら、背後は断崖絶壁だ。鳥に変身すれば、いかにノーゼンといえども、追跡はできない。但し、俺の秘密の一端を知られてしまう。よってこの選択は、一時しのぎにしかならず、すぐさま次の対策を必要とする。

 三、ピアシング・ハンドで殺害する。殺人犯にならずに済む上、安全確実な最終手段だが、第三者がこの場にいた場合、やはり秘密を知られる可能性がある。かつ、再使用までのクールタイムも発生する。しかも、情報が得られないことが確定してしまう。


 どれも……どれもダメだ。


「その若さでこれとは……人間とは思えんのう」

「その老けっぷりでこの暴れよう……そっちこそ人間には見えませんね」


 ならば、第四の選択肢。うまくいく気がしないが、やってみる。つまり、話し合いだ。


「何のためにこんなことを」

「胸に手を当てて己を振り返るがいい」

「ごまかされませんよ。カマをかけようったって。あなたはパッシャの関係者ですか」

「その手には乗らん。戦いたくないというのなら、その剣を捨てて投降せい」


 くそっ。どこまでも隙がない。


「そうれ、わしからゆくぞ」


 棒が唸りをあげる。

 俺は身を捻って避け、剣を振るう。


 銀色の筋と黒い影とが交叉する。低い風切り音と、剣の鋭いそれとが交じり合う。可能な限り、最小限の動きでの攻防。武器をぶつけ合うこともなく、地面を激しく踏みつけることもなく。

 息すらできないほどのやり取りは、まさしく水の中に潜っているかのようだった。素早く動いているはずなのに、水が纏わりついてでもいるかのように、何もかもが不自由だった。あらゆる音が耳に入っているのに、水音に紛れているかのように、何もかもがひずんで聞こえた。


 どれほどの時が過ぎたのか。

 ほんのちょっとの間だったのか、それとも長いこと戦っていたのか、それすらもわからない。


 均衡を崩したのは、小さな溜息だった。


「……すっげぇ……」


 誰の声?

 声変わり前の子供……


 そんな!

 ギル!? どうしてこんなところに。


「これはこれは」


 ノーゼンがもごもごと小声で呟く。


「目撃者が出てしまったのう、ファルスよ」

「ノーゼン……!」


 俺は横目で確認する。

 ギルは、俺が戦い始めてしばらく後にやってきたらしい。普通に鉱山横の通路を通って、今はあの狭い通路の入口近くに身を潜めていた。物陰から、戦いを見物していたのだ。しかし、なぜ?

 俺が出かけていったことに気付いて、追いかけてきたのか? なんてことだ。


「お互い、あれは都合が悪い。そう思わんか?」

「何を」


 まさか……


「なに、任せてくれれば悪いようにはせん。そこで待っておれ」


 ……ギルを消すつもりか?


 俺の問いを待つこともなく、ノーゼンは走り出した。

 させまいと、俺もすぐ横を走る。横ざまに駆けながら、獲物を叩きつける。こうなってはもう、刃毀れなど構ってはいられない。焦りながらの一撃は、あっさり受け止められる。それでも、少しでも足止めをしなければ。


「う、おお?」


 馬鹿、何やってる! ギル、逃げろ!

 突っ立ったまま、こちらを見ている場合か?


 もう、間に合わない。


 一歩早くギルの前に立った。だが、振り返ると既にノーゼンは、黒い杖を振りかぶっていた。

 俺は反射的に、剣に両手を添えて、頭上に掲げた。……折られる!


 ビュウッ、と空気を引き裂く音が耳をつく。思わず体が固くなる。

 だが、棒はすぐ目の前で止まった。


 棒をそのまま下ろすと、ノーゼンは片手で額の汗を拭った。

 拍子抜けして、俺は彼を凝視することしかできなかった。


「すっげー!」


 目を丸くして、ギルは無邪気にそう叫んでいた。

 なんなんだ、この状況は?


「楽しんでもらえたようじゃな?」


 ノーゼンは、笑顔を浮かべて、ギルにそう話しかける。

 では、わざとここに呼んだ? 俺を追いかけてきたわけではない?


 どういうことだ、と俺はノーゼンを睨みつけた。そして口を開こうとした瞬間。


《後で話そう》


 直接、意識の中に、短いメッセージが飛び込んできた。

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