オ屋敷へようこそ! ツルハシの街のパリピ

 夜の繁華街は、色とりどりだ。照明こそ、小さなランプや焚き火くらいしかないのだが、それが壁一面に塗られたペンキの赤や青をくっきりと浮かび上がらせる。毎晩、お祭りのようだ。

 人通りも多く、いつも混雑している。屋台からの呼び声もさまざまだ。怒鳴り散らすかのような中年女性の叫びが通りの空気をつんざき、甘えた男の誘いが耳にへばりつく。


 いつもはこの人込みの間を縫って歩くのだが、今日に限ってはそうでなかった。何しろ、団体様での移動なのだ。

 体格のいい数人の男達が群れをなして通りの真ん中を歩く。自然、空間ができる。なるほど、こういうのを「肩で風を切って歩く」というのか。

 先頭を行く彼にとっては、それが当たり前のようだった。よく言えば「顔役」、悪く言えば「チンピラのヘッド」、それがガイという男なのだろう。


「ガイの旦那! 一杯飲んでかねぇか?」

「ああ、今日はパスだ」

「旦那ぁ、今日は新人の娘が入ったんで」

「お前んとこには行かねぇっつったろ? そういうのは軟派な奴らに言え」


 尊大な態度に見えなくもないが、それでいて、いちいち返事はしている。ガイはここが地元の人間だ。程度に違いはあっても、結局はみんなと繋がっている。それなりの態度を選んではいるのだ。


「こっちだ」


 繁華街の一角。そこの路地。古びた敷石に、くすんだ色の煉瓦。但しこちらは、あのいかがわしい通りとは逆方向だ。


「俺のところは広いからよ。気にいりゃあいつまででもいられるぜ」

「こんな街の真ん中に家があるんですか?」

「おうよ。言ってみりゃ、この辺は俺達一家の縄張りだからな」


 果たして、通りを抜けると一気に喧騒が遠くなる。そして、周囲も急に暗くなる。歩き慣れているガイ達はいいが、俺にとっては少し、戸惑いを覚える場所だ。


「あん? なんだ?」

「いえ、暗いですね」

「なんだ、暗いところが怖ぇのか、ハッハハ」


 俺はまったく別のことを考えていた。身体操作魔術で視覚を強化しようか迷っていたのだ。詠唱を聞かれて、不審に思われるかな、とか。そこでこんなことを言われたので、ガキ扱いされたことに腹をたてるべきかどうかで、また迷った。


「そういうわけではないですが、転びそうだなと」

「安心しろ、もうすぐだ」

「じゃ、行きましょう」


 ガイに悪意がないかも、少し考えた。これだけの男達に囲まれて、視界もろくにない状態では、いざという時、身を守れない。だがまぁ、俺を連れて行ったのはアイクも見ている。みんながみんな、グルでもなければまず、そんな危険はない。


「んー、確かに暗ぇな。おい! 誰か火ィつけろ!」

「おう」


 暗がりの中を迷いもせず、二人の男が群れから離れた。カシ、カシと火打石を擦る音が聞こえてすぐ、橙色の光が小さく点った。手慣れた様子で種火を拾い上げ、それを手近な篝籠に移す。途端にあかあかと燃え出した。


「しゃあっ、てめぇら、今日は新入りが来たんだ。とっとと準備しろい!」


 そう声をかけると、ガイは俺を誘って目の前の家に向かって踏み出した。

 俺はついていく前に、周囲を見回した。


 何かに似ている景色だった。それが何だったのかを思い出そうとして、多少の時間を要した。そうだ、これは神社の前庭みたいだ。

 繁華街のすぐ横の狭苦しい住宅地に、ここだけぽっかりと空き地がある。地面は均されており、草も生えていない。そこに篝火だけが焚かれている。

 この、四方を壁に囲まれた空間は、作業場らしい。無骨なテーブルや道具箱、それに小さな窯。だいたいの大工仕事や鍛冶なら、ここでこなせそうだ。


 向かって正面には、解放感溢れる建物があった。一階のこちら側には、ほとんど壁がない。ただ、床は地面より高く、だいたい大人の膝くらいのところにある。そして、その広い出入口の前に、ウッドデッキがある。日本家屋の縁台を思わせる配置だ。

 二階部分は木造だが、あまり高さがない。すぐ屋根だ。それも、日本家屋を思い出させるような寄棟屋根。


 ガイは、正面のウッドデッキに腰を下ろすと、ほっと息をついた。


「どうした、ファルス。遠慮はいらねぇぜ」


 そう言いながら、隣に座れと、横をバンバン叩く。


「あ、いや」


 俺は周囲の観察をやめられないまま、言葉を返した。


「皆さん、働いてらっしゃるのに」

「お前は客だろが。ドーンと構えとけ」


 それも道理か。

 素直に歓待を受けるのも礼儀だ。


「なかなか変わった場所ですね」

「おう、悪かねぇだろ」

「冬は寒そうですが」

「かかっ、なぁに言ってんだ、ファルス」


 座ったまま、すごむような格好をして、ガイは言った。


「俺達鉱山の男が、寒いくれぇなんだ」


 という価値観なのは、薄々わかってはいた。


「それにな」


 ガイが顎をしゃくると、その先にはさっきの窯があった。


「ここじゃあしょっちゅう、火を使う仕事をしてるんだ。寒いなんて感じる暇なんざぁねぇぜ」


 なるほど、と納得する。

 彼らはただの鉱夫ではない。いわゆるツルハシストなのだ。聖女と壁に信仰を捧げ、仕事も鍛錬の一部。日々の研鑽の一環として、自前で道具も作る。荒くれではあるものの、ただの地回りではない。


 俺はおとなしく、ガイの隣に座った。

 なんにせよ、ありがたい。これで宿無し生活からおさらばできる。


 ……と、その前に。


「あ」

「どうした」

「そういえば、ここ、お風呂ってあります?」

「あー……ねぇな。ねぇ。けど、男だったら……あー、いや……」


 男なら、多少汚れようが気にするな。彼なら言いそうだ。

 価値観としてはそうなのだろう。だが、ガイはガイなりにものを考える。仮にも俺はお客様で、彼はそれを歓待している側。我慢しろ、なんて言えない。ましてや、詳しい身元は知らないものの、目の前の少年は外国から来た従士、つまりいいとこのお坊ちゃんだ。何より、自分の家に招いておいて不自由なんかさせたら、ノーゼンにバカにされかねない。


「おっし! おめぇら、ちょっと待ってろ! ひとっ風呂浴びてくるぜ! 来る奴ぁ、ついてこい!」

「へーい」


 三人ほど、ガイについてきた。


「あ、荷物は」

「着替え以外、置いとけ。盗む奴なんざぁいねぇ」


 ……まぁ、いいか。中にある貴重品は、金貨くらいなものだ。全員が風呂場に行くわけでなし、大丈夫だろう。それに万一、誰かがこの金に手をつけたら、ガイの面目は丸潰れになる。余程のことでもなければ、いつでも取り戻せるし。


「一番安いところだけど、いいよな?」

「あ、はい」


 俺が返事をすると、後ろにいる男達がガイに話しかけた。


「兄貴、そういや久々だな、風呂なんて」

「何日ぶりだ? 三日? 五日か」


 なんかすごい会話してる。

 いや、俺だって歩いて旅をしている時には、入浴なんてできなかった。でも、濡れたタオルで体を拭くなど、衛生状態には気をつけていた。過酷な旅であればあるほど、この手の細かい注意が重要になってくる。汚れは肌荒れを、肌荒れは病気を招く。皮膚が人体の防衛線であることを考えれば、メンテナンスを怠るわけにはいかないとすぐわかる。

 だが、この街には温泉があるのだ。それも公営だから、入浴料金も安い。それこそ毎日でも入れるのに。

 もっとも彼らはこの街の住民であり、旅人でもない。なので多少不潔でも、それが健康に深刻な問題をもたらす事態は、たまにしかない。その「たまに」がシャレにならないのだが……不衛生なところから、疫病は蔓延するのだから。


 ガイの家からそう遠くない辺り。繁華街を出てすぐのところに、古びた石の門があった。


「おっし、ここだ」


 こんなところ、あったっけ? いや、よくよく思い出してみると、確かにあった。ただ、入口があんまりボロボロなので、今までここを通る時、スルーしていたのだ。廃屋か何かじゃないかと。


「おっちゃん、入るぞ」

「おう?」


 しゃがれた声が返事をする。


「ガイじゃあねぇか。久しぶりだな、え、おい」

「三日前にゃ来ただろ?」

「うんにゃ、お前さんの臭いはそんなもんじゃねぇ、一週間ぶりだな」

「ボケるにゃ早ぇぜ、ジジィ」


 頭髪の抜け切った、人のよさそうな老人が、プルプル震えながら笑みを浮かべていた。


「さあさ、入んな」

「どうもです」

「銅貨一枚だぞ」


 門の内側も、みすぼらしかった。天井はなく、左右の壁も崩れかけて、瓦礫同然になっている。そこからもう一つ、小さな石の門をくぐると、そこが浴場だった。


「あ、あれ?」

「ああ? どうしたファルス」

「ここ、ないですよ?」

「んー? 着替える場所は一応、あそこにあるが」


 向かって右手に、これまた古びた小屋がある。そこで服を脱ぐのだろう。それはいい。

 高級ホテルにはあった、個室の仕切りがないのだ。だいたい、学校にあるような二十五メートルプールの半分くらいの広さの浴槽がある。もちろん、材質は灰色の石、この辺で豊富に取れるもので作られている。そして、それだけ。周囲は低い石の壁に覆われているが、こんなの覗き放題だ。男の裸なんか、誰も見たがらないだろうが。


「仕切りが」

「あー? そんなもんにかける金なんざ、あるわきゃねぇだろうが」

「セリパス教の」

「女が入るわけじゃなし、いいだろそんなもん」


 まぁ、そうか。別に俺も、ただの銭湯に入りにきたと思えばいいのだし。それにここは露天風呂だ。頭上は排気ガスのない、降るような星空。これはこれで悪くない。


「よっしゃ、さっさと済ますぞ」


 そういうと、ガイは服を脱ぎ始めた。脱衣所でなく、ここで。振り返ると、彼の仲間達もみんなそうしている。


「ちょ、ちょっと!」

「平気平気! どうせ俺達以外、誰も来ねぇって」

「ヒャッホー!」


 全裸になった男達が、プールサイド……と表現しても構わないだろう……を走り抜けると、そのまま勢いよく湯船に飛び込んだ。派手に水飛沫があがる。

 あ、あの……体は? 洗ってから入らない? 普通?


 まぁ、彼らは彼らだ。俺は俺で、ちゃんとマナーよく振舞おう。まずは脱衣所……


「あ、おい、ファルス、言い忘れたがそっちは」


 暗い小屋の中に一歩踏み入る。籠がいくつかあった。ここに服を入れるのだろう。こういうところがますます銭湯……


「ひぃいやぁあぁあ!」


 今、モゾッと動いた!

 反射的に叫んでしまった。


「今、夏? もう秋か。ま、今の時期、まだそこ、虫が出るぞ? でっかいクモとかな」

「そういうことは早く言ってください!」


 仕方ない。

 俺もガイ達の真似をして服を脱ぐ。ただ、一応、腰にタオルは巻く。それくらいはしないと。


「おいおい、ファルス坊ちゃん、そりゃねぇんじゃねぇの?」

「見せろよ、男なら堂々とよ」


 連れの男達が冷やかしてくる。思春期の少年をからかいたい気持ち、よくわかる。わかるけど、される側になってみると、やっぱり落ち着かないし、気持ちよくはない。


「よせ、お前ら」


 ガイが止めてくれた。

 これまでの振る舞いをみて、俺は少しだけ、彼への評価を上げていた。


 最初の出会いは、ノーゼンとのいざこざだった。あの時はただ喧嘩っ早い粗暴な男だとしか思わなかったのだが、実のところはそうでもない。

 なんというか、こんなんでも「人の上に立つ男」なのだ。だから、周りをよく見ているし、前後を考える。あくまで俺は「お客様」で、だから失礼なことはしない、させない。たとえそれがノーゼンへの対抗心、見栄によるものだったとしても、彼はちゃんと選んで行動している。立場は人を作るものなのだ、と再認識させられる。


「おら、入れよ」

「あの、皆さん、体は洗いました?」

「あ? 今、洗ってるがよ」


 見ると、浴槽の湯で体をゴシゴシと……うっえ。いや、もうこういう文化だと思うしかない。諦めよう。

 俺はおとなしく浴槽に体を沈めた。


「ん?」

「どうだ、ここの湯は」

「ちょうどいいです。それに、浴槽も意外ときれいですね」

「ああ、そりゃあ、あのジジィが毎日掃除してっからよぉ」

「毎日ですか」

「こんな寂れたとこでも、王宮の直営だからよ、なくなんねぇんだ。だからほら、用務員のジジィがいねぇとな」

「かかっ、隣の女湯なんか、だーれも使ってねぇんだぜ? もってぇねー!」


 なるほど、これもお国事情というわけか。

 恐らく、本当に貧しい人でも入れるような場所だから、わざと残しているのではないだろうか。


 頭上の星空を見上げる。

 本当に、これだけはどこでも変わらない。雲さえ出ていなければ、頭上はいつも絢爛豪華そのものだ。変わるのは、いつでも俺の心構えのほうなのだ。

 今回は、露天風呂から見上げる夜空。ある種の清々しさというか、明るさというか、そういう何かが足されて、カラッとした気分になる。もっとも、それも長続きはしない。


「ギャーハハハ」

「もうちょっと深さがねぇと泳げねぇな」


 すぐ隣で、ガイの仲間達が、狭い湯船の中でバシャバシャと泳ごうとしている。だが、体格のいいルイン人のこと、手が風呂桶の底に届いてしまう。バタ足もするので、水飛沫が俺の顔にもかかる。

 マナーもへったくれもないな、と呆れる一方、微笑ましくもある。確かに、他の誰かに迷惑をかけているわけでもないのだし、目くじらたてても仕方がない。これもまた、人の世界の景色なのだ。

 にしても、まるで子供だ。となると一つ、懸念されることがある。……こいつら、まさか浴槽の中で放尿とか、してないよな? な?


 ガイがザバッと水を掻き分けて歩き出す。


「よっし、あがるか」


 え? もう?

 せっかくの天然温泉なのだが、身近にあって安価なせいで、ありがたみを感じないらしい。長風呂の快楽を知る俺にとっては、なんとももったいないことなのだが。


 ガイの自宅に近付くと、なにやらいい匂いが漂ってきた。


「お、先にやってやがんな」


 果たして、庭の敷地に入ると、真ん中にもう一つ、燃え盛る火が目に映った。

 四足の金属のテーブルの上に、金網。その上に、肉が乗っている。バーベキューだ。


「おっしゃ、肉がなくなる前に食え、ファルス」

「は、はい、ありがとうございます」

「早いもん勝ちだぞ」


 但し、こちらのバーベキューに「焼肉のタレ」はない。塩をちょっと振り掛けるだけだ。

 やっぱり醤油が欲しい。あれさえあれば、この世界の味覚がグンと広がるのに。


「おーし、飲むかー」


 誰ともなくそう言い出す。

 二人ほどが奥に引っ込んだ。


「……ん?」


 ズズッ、と重いものを引き摺るような音。はっと振り返ると、彼らは大きな樽を引き摺っていた。

 明らかに鍛冶仕事に使う、ごつい金鋏を取り出して、樽を縛る縄を切る。そうして蓋を取り外すと、酒よりスープが入りそうな大きな木のジョッキを、次々突っ込む。


「オラオラオラオラ!」

「乾パァイ!」

「ファルスも飲め! 飲め!」


 子供だからって関係ない。いきなりジョッキを手渡される。


「グォアーッ!」


 動物のような呻き声をあげつつ、彼らは酒を一気飲みした。

 それで俺も、ちょっとだけ、酒を舐めてみた。


「……んくっ!? ゲホッ」


 なにこれ、メチャクチャきつい。度数いくつだ?

 喉がジワッときた。味もへったくれもない。ただの刺激物だろ、これ。涙出た。


 それを彼らは、風呂の湯をかき混ぜる勢いで飲んでいる。つまり、ザバッと樽の中にジョッキを突っ込み、その中身をグビッと飲み干す。するとまた、ジョッキをそのまま中に突っ込む。この繰り返し。


「プハーッ」

「三杯はいかねぇと、飲んだ気がしねぇな」


 マジか……こいつら、なんで「飲酒」ってスキルがついてないんだ?


「おう? ファルス、減ってねぇじゃねぇか」

「う、あ、僕はまだ」

「ああ、遠慮はするな。好きなだけ飲んでいいんだぞ」


 飲んで「いい」というのは変な表現だ。

 飲ま「なきゃ」いけないのか?


「まさかお前、俺達の酒が飲めないっていうんじゃないだろな」

「男なら一気だろ」

「まぁ、待て。一杯で許してやれよ」

「男なら、飲んで飲まれて一人前だよな」


 きょ、拒否権なし!?

 といって、今更暴れて逃げるというのも……


「く、うくくっ」


 もうヤケだ。


「おおっ」

「ファルスが男になったぞ! みんな、喜べ!」


 その言い方、ちょっとアレだ。


「それ一気、一気、一気……」

「ゲホッ! ガハゲハッ!」

「あ、残すな! 頑張れ、あとちょっとだ!」


 喉が痛い。っていうかもう、感覚がない。

 ……あとでこっそり吐こう。


「おーっ! 飲みやがった! ヒャッホゥ!」

「おーし、これでお前も男だ。よかったな!」

「めでてぇ! よっしゃ、飲むぜ!」

「よしよし、もっと飲んでいいぞ!」


 お酒を飲んだ。そのことの報酬が、更にお酒を飲むこと。

 酒飲みの論理なんて、そんなものだ。わかってた。


 若いツルハシストの集まり。いかにも楽しげではある。いわゆるパーリー・ピーポーってやつなんだろうか。

 確かにリア充っぽくは見える。但し、彼らは女には見向きもしない。ただただ飲むばかりだ。それが彼らの中の男らしさの規範と繋がっているように思われる。


「なんかキモチよくなってきたぜー」

「おー、我慢すんな、ほれ」


 取り巻きの一人が、フラフラと千鳥足で庭を歩き回り、傍らに落ちていたツルハシを拾い上げる。そして、壁際には黒い大きな岩があった。


「おうぅるぁああ!」


 いきなりの打撃音。ツルハシで岩を打ち始めたのだ。

 これはあれか、神の壁の代わりか。

 しかし、泥酔している状態でこれは、危ないのでは……


「フハーッ」

「なんだ、もうバテたのか」

「なら、飲んで休め、今度は俺だ」


 飲んで休めって。休みになってない気がする。


 いつの間にか、飲んでは岩を叩くサイクルができあがっていた。

 ふと、横を見ると、ガイが樽の奥のほうに腕を突っ込んでいた。もうそんなに飲んだのか。


「うっ……」


 ふと、俺の横にいた若い男が、苦しげに胸を押さえた。ヨロヨロと隅の壁に手をつくと……ああ、案の定。


「オッゲェエェエエ」


 うわ、聞きたくない。思わず耳を塞ぐ。ビチビチと形容しがたいものが飛び散るのが聞こえてくる。


「ハッハー! まーだまだ、だらしねぇなぁ、コーザ!」

「ウ、ウプッ」

「おら、迎え酒だ、グイッといけ」

「ちょっ、それは」


 俺は止めたが、その若い男は無理やり飲み干した。

 そしてすぐ吐く。


「吐け吐け、男はそうやって強くなる」


 無茶だろ。死ぬぞ、そのうち。

 自分の歓迎会のせいで、急性アルコール中毒での死者が出たら、寝覚めが悪いでは済まない。


 ……これはヤバい状況なのかもしれない。

 今更ながらに不安が胸に押し寄せてくる。


「ね、寝ま……」


 ダメだ。

 そんなこと言わずに寝るべきだ。いちいち宣言したら、ただでは済むまい。幸い、さっき酒を飲んだのだし、このまま泥酔したふりをして……


 俺はウッドデッキに座り、わざと船を漕ぎ、そのまま後ろにぶっ倒れた。そして、可能な限り自然な寝息を心がける。


「ハッハー! ようやく酒がまわってきたぜぇ?」

「ちょっとどけ、俺もツルハシを振るいたくなってきた」

「この樽、もう飲みきれよー、封開けちまったし、長持ちしねぇからな」

「よしきた!」


 酔っ払ってしまったら、そりゃ分別もなくなるか。「お客様」が変な格好で中途半端な場所で転がっていても、誰も見向きもしない。そして、飲んでは暴れ、暴れては飲んでいる。恐ろしい。

 もう、何が起こっても知ったこっちゃない。

 俺は目を閉じて、すべてをやり過ごすことにした。


「ウッ……」


 どれだけ時間が過ぎ去ったのか。意識が戻る。

 朝か? 目を開ける。


「ギッ」


 太陽が黄色い。目から差しこむ光で、頭が痛い。


「ガハァッ」


 ガンガンと、頭が内側から痛む。

 昨夜、飲んだ酒を吐き戻すタイミングを見つけられなかったからだ。それでも、この程度で済んでよかったと思うべきか。しかし、完全に二日酔いだ。


 太陽光にぶちのめされる脳に一喝して、俺は無理やり起き上がり、周囲を見回した。

 俺の居場所は、昨夜と何も変わっていなかった。だが、朝の光に照らされた庭の中の様子がよく見える。


 真ん中には横倒しになったバーベキューセット。篝火も、火こそ消えているものの、どちらもひっくり返ってしまっている。そこここに工具が散乱し、壁際には吐瀉物が撒き散らされている。

 男達は、みんな地面の上に転がっていた。中にはウッドデッキから部屋の中に上がりこんで寝ているのもいるが、布団を敷いたでもなく、ただ突っ伏しているだけだ。


「うう……うお?」


 地面から、ガイが起き上がった。


「あー、ちぃと飲みすぎたみてぇだな」

「……おはようございます」

「おう、ファルス」


 ガイは、朝日を浴びてキラキラした顔で、返事をした。

 なんだこいつ、あれだけ飲んで、平気なのか?


「おう、お前らも起きろ。昨日の……カタすぞ」

「うう」


 呻き声があちこちから上がる。そして、ノロノロと男達が起き上がった。

 いったん立ち上がると、キビキビと動いた。汚いゲロも、汚れた工具も、さっさと掃き清め、或いは汚れを洗い流し、すべてを元通りにしていく。


「メシだ」


 振り返ると、そこにはパン籠と水甕を手にした男が。

 っていうか、その黒パンと水だけ? え? 昨夜はあれだけ食って、朝はパンと水だけとか。


「おう、適当に置いとけ」


 だが、手をつけるのはいない。当たり前だ。あれだけ無茶して飲みまくった。普通に胃袋がボロボロになっている。食欲なんか、わくものか。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 さすがにこれは見ていられない。

 三十分後、俺の手によって、温かな粥が供されていた。さすがにこれは、みんな口にした。


「おー、ファルス、お前、なかなかやるじゃねぇか」

「ありがとうございます」

「こりゃあ、いいの拾ってきましたね、兄貴」

「バァカ、ファルスは旅をしてるんだ。そのうち、ここを出て行く」

「ええっ、そいつはもったいねぇ」


 こうして評価していただけるのはありがたい。ただ、そもそもこんな、養生を要するようなライフスタイルにこそ問題がある。

 まぁ、彼らもたまにはこうしてハメを外すこともあるのだろう。


「よっし、食ったら仕事すっぞ」

「昨日拾ってきたのを、溶鉱炉でガンガン溶かす作業からか」

「あとお前、メダルの発注きてるぞ」

「あっ」


 みんな、すぐさま仕事らしい。

 ガイは俺に振り返って言った。


「ああー、ファルスは、そうだな、お前は別に俺の手下でもねぇし、好きにしてろ。だるきゃ寝てな」

「はい、お世話になります」

「いいってことよ……じゃ、お前ら」

「へいっ」


 俺は、一階の日向に腰掛けて、彼らの仕事振りをのんびり見つめて午前中を過ごした。二日酔いがひどくて、とてもではないが、動き回れないのだ。

 なのに彼らはどうだ。あれだけ飲んで潰れておいて、なんとも元気なこと。


「型、こんなもんでいいっすかねぇ」

「まずは作ってみろ」

「あいさ」


 高熱の金属の塊が、台座の上に置かれる。そこへ大きなハンマーを両手で抱えた男がやってきて……ガン! と叩きつける。


「ぐっ」


 毒素が抜け切らない俺の脳髄に、刺激が突き抜ける。


「どうだ」

「こんな感じっすよ」

「お、ちゃんと刻印されてるな。よし、じゃ、発注分、全部やっちまえ」

「ほいさ」


 次々と熱された金属片が台座に置かれ、そこにハンマーが打ち込まれる。それで台座の型が、メダルの表面に刻印されるのだ。

 どういう依頼でやっているものか、俺は知らない。知らないが、今わかるのは、それが俺の二日酔いの脳をガンガン揺らすということだけだ。


 結局、日中はほぼ、苦痛に耐えるだけで終わってしまった。


 夕方、ようやく頭痛が治まってきて、俺はけだるい時間を過ごしていた。ガイ達も、みんな納品のために出かけてしまって、俺はお留守番だ。

 そろそろ、朝と夕方は涼しくなってきた。本格的な秋の到来だ。これから一ヶ月ほど、聖誕祭から降臨祭までの短い間が、このタリフ・オリムの短い秋なのだ。そう思うと、見上げる茜色の空の色も、なんだか貴重なものに思えてくる。そうだ、この街ほど夕日の似合う場所は、今までどこにもなかった。


 狭苦しくて、騒々しくて、面倒臭くて、でも人情のある街、か。


 粗暴なところがあるとはいえ、ガイは俺を引き取ってくれた。歓迎して、酒宴の席まで設けてくれた。このところずっと感じたことのない、人間らしい世界を、じっくり味わった気がする。

 こういうのも、悪くはない。ないが……


 微風に吹かれながらの思索は、物音に断ち切られた。複数の足音。ガイ達が帰ってきたのだ。


「おかえりなさ……えっ?」

「おう、帰ったぜ」


 俺は目を丸くしていた。

 彼らが出発する時、荷車には多種多様な金属製品が積まれていた。それが帰ってきた今、別の荷物に満たされていたのだ。

 木箱の中の生肉、大きな酒甕。それに野菜の山。これは……


「よっし、準備しろ」

「へい」


 ちょっと待て。

 歓迎会なら、昨日、やったよな?


「あ、あの!?」

「ファルス、安心しろ、今日もたらふく食えるぜ」

「っと、そうじゃなくて! ええと、昨日は歓迎していただき、大変嬉しかったのですが」

「あん? それがどうかしたか?」

「今日はいったい、何のお祝いですか?」

「ああん? 別に、祝いでも何でもねぇぞ。いつもうちではこうだ」


 ってことは、まさか……


 一時間後、俺は焼肉奉行を買って出た。

 仕方がなかったのだ。また飲まされてはたまらない。外せない仕事を引き受けることで、恐るべき飲酒を回避しようと考えた結果だった。結局、俺は給仕を引き受け、調理をこなし、彼らの撒き散らす汚れを片っ端から片付けて回った。

 そのうち、また酔っ払った誰かが、ツルハシで庭の隅の石をぶっ叩き始める。こうなったらもう、どうしようもない。


 夜明け近く。ようやく最後の一人が、壁にゲロを撒き散らしながら、地面に横たわった。

 なんなの、こいつら……


 寝不足のまま、翌朝も目を覚ます。このところずっと、太陽が黄色い。


「おは……よう、ござい……ます」

「おう、ファルス」


 ガイはもう、慣れっこのようだ。まるで堪えていない。

 他の連中も同じで、すっくと起きると、また庭の汚れを掃除し、きびきび動いて、いつもの仕事を始める。


「廃材解体すっぞー」

「とりあえず、細かく砕け。溶かすんだしな」

「おっらぁ!」


 騒音。金属がこすれあい、まるで爪ですりガラスを引っかいたような音が響き渡る。これで眠れるわけがない。

 夕方、俺はうつらうつらしながら、軽い頭痛に耐えていた。そこへ、納品を終えたガイ達が、またもや荷車を一杯にして、戻ってくる。


 これはダメだ。


 本能的に、危機感を覚え始めた。ここ、脱出しないと。どうやって? ガイは全部、厚意でやっている。俺に対しても、他の仲間に対しても、これがいい暮らしと信じて疑わない。確かに、力いっぱい働き、その金で好きな酒を吐くほど飲み、そして寝たいだけ寝る。好ましい生活と言えなくもないが、しかしそれには、相性というものがある。


「じゃあ、また僕が焼きますよ。おいしくしますから」


 ウッドデッキから立ち上がり、俺はそう申し出る。


「おっと、待てや」


 だが、ガイがそれを遮った。


「昨日、それでお前、ほとんど飲み食いしなかったろ」

「あ、いえ、いただきましたよ」

「いーや、少なくとも酒は飲んでねぇよなぁ? そんなんじゃ、俺様の男がすたるってもんだ」


 飲まなくていいから。本当に。

 この体育会系のノリ、なんとかしてくれないかなぁ?


「今日は俺が焼く! お前は思う存分、飲み食いしろ!」


 あ、あああ。

 死ぬ。死んでしまう。


 困惑の中、進むも退くもならず、棒立ちになる俺の目の前で、樽の蓋が外され、見る間にジョッキに酒が汲まれる。


「こんなもん、水みてぇなもんだ! グイッといけ」

「いえ、あのですね、ごめんなさい、はっきり言いますが、僕はお酒は」

「ハハハ、遠慮するな! 野郎ども、飲ませてやれ!」

「ちょっとまがばばば」


 意識が、飛んだ。


 目が覚めたのは、翌朝だった。

 地べたで仰向けになったままだったらしい。何か異臭がすると思い、寝返りを打つ。


 目の前にあったのは、人糞だった。


 声も出なかった。

 ついでに、俺の上半身には、誰かの吐瀉物がぶちまけられていた。


 限界だ。

 泣きそうになりながら、俺は着替えた。


「あぁ? 出て行くだとぉ?」

「えっと、ですね、ガイさん」


 作業開始前のガイに泣きついた。丈の高い男達に囲まれて、俺はおずおずと申し出るしかできなかったのだが、反応がこれだ。


「てめぇ、何の文句があるってぇ言うんだ」

「そ、そうじゃないんです」


 目の下に隈を作り、足元もおぼつかない。ここでビビッて引き下がったら、本当にボロボロになってしまう。


「ここでは毎日、大変に楽しいです」

「そうだろそうだろ」

「でも、ガイさん、肝心なことを忘れていませんか」

「はぁ? なんだそりゃ」


 大義名分。そのありがたみを俺は噛み締める。


「僕は、勉強と修行のために、この街に来たんですよ」

「すりゃいいだろが」

「は、はい」

「俺ぁ別に、仕事なんざぁさせてねぇ。昼間はお前の好きにさせてるぜ? なんか不都合でもあんのか?」


 飲酒が! 飲酒が! と言っても通じまい。

 アレだ。以前、グルービーに性欲の有無について語っても、まるで理解してもらえなかったのを思い出した。

 ガイも同じだ。酒は水と一緒。飲まない、飲みたくないなんて、あるわけがない。


「いえいえ、とんでもありません」

「じゃあ、なんで出てくって言うんだよ」

「ここが、快適すぎるからです」

「ああん?」

「いえですね、僕は本っ当に痛感しています」


 ここが頑張りどころだ。


「ガイさん、僕はエキセー地方からここアルディニアまで、西方大陸の東半分は見てきましたが、こんなに気前のいい、男っぷりの立派な人は、他にいませんでした」

「お、そうか?」


 真正面から目を見て、褒め殺す。

 硬派な男で通しているガイには、これが効く。男っぷりを誇る彼のこと、一番褒められたいのがそこなのだ。しかし、男たるもの、褒め言葉に舞い上がるなど、あってはならない。それで彼は自分の中の混乱と戦わねばならなくなる。


「本当ですよ。少なくとも、ノーゼンさんなんかとは比べ物になりません」

「と、当然だろ、そんなもんよぉ」

「ですが、そのおかげであまりに僕は楽をしすぎました。いくら寝床がないからといっても、ここまでいい思いばかりしていたのでは、何の鍛錬にもなりません」

「お、ああ」

「だから、僕ももったいないとは思いながらも、行かなければいけないと、そう思った次第です」

「そ、そうか」


 今はもう、あの神の壁の前の、湿った監督小屋の土間が無性に懐かしい。


「本当にお世話になりました。それでは僕は、これで」

「お、おう、体に気ぃつけろよ」


 温かいお言葉をいただき、俺はフラつく足に鞭打って、足早にそこを去った。

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