王様はアイドル
「ようこそファルス様。私がご案内致します」
そういって身をかがめるのは、三十代半ばの男性だった。全体としてガッシリしているが、背は高くない。ルイン人特有の繊細な金髪をベッタリと撫で付け、顔には無表情同然の笑顔をベッタリと貼り付けている。大味な金色のボタンが列をなす真っ赤な上着は、宮廷人の衣装なのだろう。華やかといえなくもないが、フォレスティアの王宮の洗練とは程遠い。
「宜しくお願い致します」
「では、こちらへ」
まだ午前中、それも割と早い時間帯。俺は王宮の門をくぐった。三メートルほどの石の壁の合間に、鉄格子の扉があり、日中はそこが出入口になる。一応、左右には、案内にきてくれた宮廷人と同じ衣装の衛兵が、槍を片手に立っている。
といっても、これはさほど特別な出来事でもなかった。なぜなら、俺のような案内を受けるまでもなく、普通に一般市民が行き来していたからだ。
こういうところも、フォレスティアとは大違いだ。しかし、お国柄には、その土地ならではの事情が反映されているもの。
アルディニアの市街地は狭い。家々が乱立し、道路にも屋台がひしめいている。
東側はほぼ農地で、ひたすら段々畑が広がるばかりだ。初めて見る分にはなかなか壮観な景色だが、広すぎるし、遠すぎるし、途中に休憩できる場所もないしで、日常の散歩コースに向いているとは言えない。西側には城壁が聳えており、こちらにもほとんど余裕はない。また、城壁がなくても、そこはどうせ不毛のリント平原。つまり、市域が限られており、住民は非常に窮屈な思いをしている。
先代か、先々代かの王が、この状況を見て、王宮の一部を市民のために開放すると決めたらしい。さすがに庭園内で起居するのは許可されないが、日中の散歩なら自由だ。
一応、商売などは禁止されているのだが、派手にやらなければ黙認されている。毎年、春になると庭園の樹木が一斉に花を咲かせるので、人々が遊びに来る。そのため、内部に屋台が立ち並ぶ。
そして、それ以上に王宮が騒がしくなるのが、秋の降臨祭だ。今、俺が案内人と一緒に歩いている庭園の右手、つまり北側に、円形のスタジアムらしきものが見える。あれが競技場だ。もともとは別の施設だったらしいが、それを改築して、市民のための娯楽を提供する設備にしたという。
あそこで降臨祭に伴う数々のイベントが開催される。闘技大会、弁論大会、音楽会……そしてなんと、料理大会もあの場所で済ませるという。チャルの父親であるソークが金の冠を授かったのも、この秋の大祭においてなのだ。
……『庶民派』の王様、か。
こういうところを見ると、そんな矛盾する表現も腑に落ちる。ここの都民にとっての王様というのは、フォレスティアのそれとは違って、ずっと距離の近いものなのだ。
こんなやり方で問題が起きないのは、田舎だからだ。都の住民は、みんな誰かが誰かの顔見知り。先祖代々住んでいる。無茶をやらかせば、その周囲に迷惑が降りかかる。自由に出入りできる王宮に忍び込んで、国王に危害を加えるなんて、考えもしないのだろう。
この点、匿名の人々が大勢暮らすような場所、つまり都会のデーン=アブデモーネルでは、まず真似のできないことだ。
ただ、それにしても……
「あの」
「はい、なんでしょうか」
多少の戸惑いは残る。だって、それはそうだ。
「あの時の格好のままで来るように、と言われたのですが」
「はい、そうですが」
「これはまずいのでは」
俺は今日、なんと国王陛下に招かれてここに来ている。
理由は、先日の戦いだ。二号要塞が、予期しないゴブリンの大群に襲撃され、多数の犠牲者が出た。だが、そこに駆けつけた騎士ファルスは、難敵に立ち向かい、生き残っていた兵士達を救出した。大事な王国兵と拠点を守ってもらったのだ。王として、それなりの礼を尽くす必要がある。
そこまではわかる。問題は、その先だ。
足には履き古されたブーツ。ズボンも上着も同様で、体に馴染んだ革製の胸当ても身につけている。その上から、旅のマントを羽織っている。当然、見た目はボロボロだ。
しかも、何よりまずいのが……
「陛下は気になさいません」
「いえ、常識といいますか、保安上と申しますか」
「そこはもう、勇士たるファルス様を信用なさっておいでですから」
「は、はぁ」
常用しているミスリルの剣も、腰に携えたまま。さすがにこれはないだろう?
曲がりくねった小道に、そこここを占める低木の茂み。明るい色の木のベンチがその後ろに置かれている。ふと目をやると、そこにはカップルが身を縮めていた。ひそひそ囁きあいながら、たまに接吻なんかもしちゃっている。セリパス教圏とはいえ、人間などこんなもの。そういえば、ギルも自宅を訪問したサフィ……兄の婚約者候補の体を、嘗め回すように見つめていたっけ。
当然、案内人も気付いているはずだが、見咎める風でもなく、むしろそんなもの目に入らない、いっそ存在しないとでも言わんばかりに、さっさと先に進んでいく。俺も頭の中を切り替えた。
結果論だが、うまくいったというべきか。
サモザッシュの嫌がらせから始まったオーガ退治だったが、いつの間にかゴブリン討伐になっていた。しかも、王国の兵士達を救うことになったので、王様からの恩賞も期待できる。
金品や名誉などいらない。ただ、これからは鶴の一声で、物事がトントン拍子に片付いてくれたりはしないか。少なくとも、今の宿無し生活からは、脱却できるのではないか。
それより何より、一気に聖女の祠に立ち入らせてもらえたり……さすがにこれは難しいか。聖職者の領分だからだ。
だが、一方でスッキリしないものも感じている。なぜ、招かれたのが俺だけなのか?
あの戦いで一番活躍したのは、俺ではなく、ノーゼンだった。
そう、ノーゼンだ。
彼はあの事態に完璧に対処していた。多分、俺がいてもいなくても、ほぼ同じだけの結果を残せていたのではないか。余裕すらあったような気がしてくる。
巨体のゴブリンもどきにも驚いたが、あの戦いで最も危険だったのは、チュタンとかいう、魔法を使うゴブリンだった。そして、あの戦いは俺にとって、久しぶりの反省材料でもある。
魔法を使うのが出てくるという予想はあった。だが、その後の俺の対応の拙さはなんだ? 自分で自分に説教したい。
まず、ゴブリンが複数の魔法を使いこなす可能性を考えていなかった。精神操作魔術を行使できるのは、予想できていた。だが、あの手の魔法は俺には効きにくい。なら相性はいい、他の人達にはともかく、俺にとってはそこまでの脅威ではない……そんな風に思ってはいなかったか。
実際には、むしろ最悪の相手だった。俺には魔法を戦術の軸にする相手との戦闘経験がなかった。一方、チュタンは明らかに熟練していた。光魔術と力魔術をうまく使いこなして、俺を翻弄した。ただ、こちらの積み上げた能力が大きかったから、ゴリ押しでも勝てはしただろうが。
思えば今までの敵は、魔術を使いはしても、正面から勝負を挑むという点では、やりやすかったのだ。しかし、俺が対峙し、なんとか勝利を収めてきた強者達ならば、あの状況をどう切り抜けただろう? 例えばアネロスだったら、迷わず室内を燃やし尽くした。それで兵士達が犠牲になるとしてもだ。俺ほど苦戦することもなく、あっさりチュタンを片付けたに違いない。非道といえばそうなのだが、戦いにおいては、人命への配慮など、邪魔な異物でしかない。変に躊躇すれば、余計に犠牲が増えかねないのだ。
次。ピアシング・ハンドで相手の姿を見た時、能力を確認できなかった。俺はそのことに「戸惑った」。間抜けにもほどがある。
だいたい、今までピアシング・ハンドが常に機能したからといって、それがいつでもどこでも必ず役立つという保証がどこにある? 俺は、この能力についての説明を受けたりはしていないし、自分以外の前例を見たことがあるわけでもない。ただなんとなく、これまでうまく動いていたから、これからも使えるだろうと思っていただけなのだ。
それが「見えない」というだけで、立ち止まってしまった。すぐに気付くべきだったのだ。能力が見えないということは、実体ではないのだと。少なくとも、命ある何者かではない。
しかし、これはまた、別の可能性についても考える機会となった。もし、ピアシング・ハンドが効かない相手がいるとしたら? あまり想像したくはないのだが……
そして、最後にノーゼンだ。
彼は途中で目的を変えていた。人命救助と一緒に、ファルスの正体を探ろうと決めていた。そして、彼の目的は半ば、達成されてしまった。
恐らく室内での戦いを一瞥して、簡単に状況を見抜いていたのだろう。彼は手持ちの棒を投げるだけで魔法を打ち破った。力魔術で浮遊していた剣、またそれに似せた幻影。更に、透明化していたチュタン自身。すべてをあれだけで。
あの黒い金属の棒はなんだろう。考えるまでもない。高純度のアダマンタイトだ。
錆びず、曲がらず、熱にも強く。そして魔力を斥ける特性がある。しかし、純度が高くなればなるほど、加工も難しくなる。あんなものを、どこで手に入れたのか。
それだけではない。王国兵救出の件で呼び出されるのも回避した。どういう手を使ったのかはわからないが、とにかく彼は、自分の目的を守ることに成功したのだ。
だから、表向きには名誉なのに、俺の内心は、屈辱感でいっぱいだった。
今回はしくじった。その思いが頭から離れない。
「こちらでお待ちください」
庭園を突っ切った先には、幅広の階段があった。フォレスティアの王宮のものと比べると、かなりこぢんまりとしている。いちいち花壇なんかも設えてあったりなんかしない。乳白色の石材で階段、それにその背後の列柱を組み立てただけの、どちらかというと素朴な造りだ。高さもそんなにはなく、せいぜい地上二階相当でしかない。
俺が立ち止まると、案内役の男は一礼して、階段の裏手にまわった。そこにも入口があって、上の階に行けるのだろう。目の前の階段は、これから国王陛下が堂々と姿を現す予定になっているので、駆け上がったりはしないのだ。
一人残されて、俺はほっと息をついた。市民もさすがに王宮の入口付近にはやってこない。周囲はまったく静かで、落ち着いていた。
ほどなくして、頭上に気配を感じる。階段の向こうから、大勢の人々が列をなしてやってくるのだ。足音が近付いてくる。
一国の王に対して失礼があっては。俺は背筋を伸ばして直立した。
すっと人影が現れる。
直視するのは不敬なので、顔を伏せたまま、視界の隅で認識する。
階段の上に、三人の姿。左右は黒衣の……あれはセリパス教の司祭の服だ。ただ、黒地に金糸が縫いこまれている。かなり高位の聖職者であろうとわかる。となると、司教か? どちらも背が高い。
その真ん中に、まるで窪みのように背の低い男が立っていた。俺とそこまで身長が変わらない。髪の毛も髭も真っ白で、サンタクロースみたいにフサフサだ。真っ赤なマントを背中から引き摺っている。その胴体は、太っているのか、それとも詰め物でもしているのか、丸く膨れ上がっていた。マントの内側には、一段暗い、ワインレッドの衣装を身につけている。それと頭上には、小さな小さな金の冠が乗っていた。
略式の王冠? では、彼が国王?
ならば、と俺は膝をつき、顔を伏せた。敬意を示すためだ。
「苦しゅうない」
威厳ある口調で、しかし若干、甲高い男性の声が響き渡る。
「顔をあげよ」
見苦しくないよう、俺は所作に気を遣いながら、ゆっくりと目線をあげた。
やはり、中央に立つ人物がそうだった。ミール二世。彼がこの国の王なのだ。
「そちの活躍で、要塞を襲う悪鬼どもを討ち払うことができたと聞いておる」
そう言いながら、彼は階段を降りようと、一歩を踏み出した。
「この国の民草に成り代わって、余が直々に……」
その足が、真っ白なステップの上で鋭く滑り、爪先が斜め上に向いた。
「……ぅおっ!?」
えっ? と目を疑った。
階段を降りようとして、彼は足を滑らせ、転倒したのだ。しかもそこは、階段の手前。転ぶだけではすまない。
「おう……ぅおぅぉおぅおうぉぅおぉおぉ」
「わ、わぁっ」
ぼいんぼいんとバウンドしながら、ボールのようにこちらへと転がり落ちてくる。いや、そんな生易しいものではない。重さと大きさを考えると、ゴロンゴロン、か。
「へっ、陛下!?」
左右にいた聖職者らしき男の片割れも、動揺のあまり、片手を突き出したままの格好で硬直している。
「おわぁあぁあぁあぁ」
「ちょっ! とっ!」
どうもこうもない。国王はボールではない。
だから、思わず手を出して、回転を止めた。
「……ふぅ」
仰向けのまま、ミール二世は安堵の溜息を漏らした。
なお、頭上の小さな冠は、外れてはいない。細い紐で顎に固定してあるおかげだ。
「どうなるかと思った……」
ヒィヒィと息を切らしながら、彼はそう呟いた。
でもそれ、どう考えても俺の台詞なのだが。
「た、助かった、ぞ?」
「いいえ、陛下」
「ん」
とりあえず寝転がったままでは。彼は起き上がろうと手足をバタつかせる。が、背中に詰め物があるせいか、短い手足が床につかない。
「む……むっ、むっ、むっ」
「あ、ああ、陛下」
こんなのどうしろっていうんだ。ひっくり返ったら自力で立ち上がれないって、虫けらじゃあるまいし。
戸惑いながらも俺は彼の手を取り、引っ張る。それでどうにかこうにか、彼は起き上がった。
「ふーっ、今度こそ助かった」
「あ、は、はい」
その頃には、上のほうにいた聖職者や侍従達も、我に返ってバタバタと階段を駆け降りてくる。
「陛下!」
「お戯れが過ぎますぞ!」
まったくだ。一国の王だぞ?
統治者の健康が国家の安定にどれだけ影響を及ぼすものか。実例を見てきただけに、軽く冷や汗が出た。こんなところで足を踏み外して大怪我とか、事故死とか、どう始末をつけるつもりだったのか。
「あの、陛下……ですよね?」
「う……うむ! 余こそ、アルディニアを治めるミール王であるぞ!」
俺の問いかけに、彼はぐっと胸を反らしてポーズを取る。
なんだこれ。笑っちゃいけない場面なんだろうけど、やたらとコミカルだ。
「その」
「うむ! なんでも遠慮せず申すがよいぞ!」
「……頭とか、打ってませんか?」
言われて彼は、キョトンとして後頭部をさすり始めた。そして左右を見渡し、年嵩のほうの聖職者に声をかけた。
「のう、クロウルよ」
「はい、陛下」
「余は頭を打ったかの」
「わかりかねます。一瞬のことでしたので」
「ふむう」
するともう一人、今度は若い聖職者のほうに振り返った。短く刈り込んだ髪の毛。整った目鼻立ちには、精悍さが漂う。
「のう、ジョロスティや」
「はっ」
「余の頭は問題ないかのう?」
「とおっしゃいますと」
「ほれ、頭を打つと、パーになると言うではないか、パーに。余はまだ平気かのう?」
「無論です」
最後のほうは、ぞんざいな受け答えだった。吐き捨てるような口調と言おうか。むしろ頭は、叩きつけられる前からパーになっている。そう言いたくなるのも、わからなくはない。
そんなミール王は、相変わらず自分の後頭部をさすりながら、こちらに振り返った。目が合う。動きが止まった。沈黙が数秒間。
「……失敗、しちゃった」
ポロッとそんな台詞がこぼれ出る。
誰ともなく、ハァ、と溜息をつくのが聞こえた。
俺はただ、目をパチクチさせるばかりだ。なに? なんなの、この人? 芸人? お笑い系? いっそアイドル? 今のは完全にウケ狙いか? それだけでわざと転んだとか? でも、そのためにわざわざ、服に詰め物をしていたんだよな? もう、わけがわからない。
「あー、ワシがミール王じゃ。よろしく! ファルス君」
「はっ!? ……ははっ、陛下にお目にかかることができ、光栄至極」
「あぁ、いいからいいから! そーゆー堅っ苦しいのは」
さっと跪拝した俺に、彼はひらひらと手を振る。
「その軽装でフラッとオーガ退治に出かけて、しかもゴブリンの大群も打ち負かした! いやー、勇ましい! 素晴らしいね、本当に」
「陛下、お言葉ながらそれは己一人の力によるものではなく、砦の中で奮戦していた王国兵の皆様の勇戦あればこそ」
この格好で来いって、そういう目的? どんな状態で戦っていたかを見たかったとか、そういう興味本位?
「真面目なんだねぇ、ファルス君は」
「そ、そうですか」
「そうだよ、ねぇ? ジョロスティ」
「あの……陛下」
高身長のイケメン聖職者は、そのたくましい手で自身のこめかみを押さえた。
「少しはご自重ください」
「ん? なにが?」
「陛下はこの国を統べるお方」
「うむ! その通りじゃ!」
「お怪我でもなさったら、いかがするのですか」
「んー」
ポリポリと頬を指で掻きながら、彼は数秒間、考えた。
「ええんでない? 息子おるし」
「そういう問題では」
「そういう問題じゃろう?」
今、のっぴきならないことを口にしたような気がする。
だが、そのシリアスさを一瞬で掻き消して、彼はクルリとこちらに振り返った。
「いやー、ちょっとくらい羽目を外したくなってねぇ」
「ハメ?」
「あー、これこれ、ファルス君に椅子、椅子。ついでにワシのも。あとテーブルとお茶」
赤い上着の侍従は一礼すると、すぐさま脇に引っ込んだ。
「こんな場所でバタバタと申し訳ない。本当はもっと正式な謁見とかしなきゃならんのかもなんだけど、いやね、こんなでも王様なもんで、あっちこっちでいろんな顔をしなきゃならんわけよ」
「いろんな顔、ですか」
「んー、ほら! 君は大活躍だったから、これはめでたいことだよね? 新たなる英雄の登場! もちろんお礼も言いたいし、ワシとしても嬉しいよ。だけど、もうじきね」
急にシュンとして、彼は俯いてしまった。
「砦のほうで、十数人が亡くなってるからね。これからお葬式にも顔を出すんだよ」
「ああ」
なるほど。ゴブリンにやられて死んだ兵士達の家族のため、弔問に赴く予定が入っているのか。
「ワシね、明るく楽しく賑やかに、がモットーなの」
「はぁ」
「でもね、国のために頑張った兵隊さんは、ちゃんと送り出してあげないとだから……」
一応、常識がないでもない、か。
犠牲になった兵士達の葬儀ではっちゃけるわけにはいかない。真面目な顔で出席し、礼を尽くして見送るのだろう。
ただ、それとこれと、何の関係があるのか。ここで体を張ってふざける必要もない気がするのだが。
侍従達が戻ってきて、白いテーブルと椅子を手早く設置する。
「あ、はいはい座って座って」
「は、はい、ですが」
「あー、いいからいいから」
目上の人である陛下が座らないのに、俺が腰を下ろすなんてできない。そう思ったのだが、侍従がさっと椅子を引いた。一方、ミール王は、そんなの頓着せず、自分で椅子を引き摺ってチョコンと座り込んだ。
「ささ、飲んで、食べて」
目の前にティーカップが置かれ、そこに温かい紅茶が注がれる。陶器が木のテーブルに触れる小気味よい音がして、お茶請けのクッキーが置かれる。
「痛み入ります」
「かーっ、堅い堅い堅いねぇファルス君、こう、もうちょっとラクにしてもらえないかなー」
「はっ、お、畏れ多いことで」
庶民派、という単語だけは聞いていたが、このくだけ方はどうだ。これ、どうすればいいんだろう?
「簡単な報告は聞いてるけど」
身を縮めて、両手でティーカップを包み込みながら、ミール王は俺に尋ねた。
「ファルス君って、エスタ=フォレスティア王国から来たんだよね」
「はい、おっしゃる通りです」
「遠いところから、わざわざどうもねぇ」
「はっ」
そこらのおっちゃんのようなノリで、彼はペラペラと喋り続ける。
「この都には、何しにきたのかな」
「は、それは、歴史を学びたく」
「へぇえ、まっじめー。それに立派だねぇ」
「ははっ」
しかし、仮にも王なのだ。
まだ腹の内も見えないし、相手のノリに合わせていいのか、わからない。周囲には、侍従もいれば、司教達もいるのだ。
そう、司教だ。
さっき、名前を言っていた。
この、若くて背が高く、髪の毛を短く切り詰めている男がジョロスティ師だ。独立派の長でもある。
もう一人、長めの髪の毛を五分分けにした、しかめっ面の中年男がクロウル師。どことなく不機嫌そうに見える顔つきをしている。融和派の長だ。
犬猿の仲であろう彼らが、なぜ同席している?
いや、事情はわかる。これから兵士達の弔問に赴くのだ。十数人が犠牲になった大惨事なのだから、高位の聖職者が出席するのもおかしなことではない。ことに平和なこの都では。ただ、この三人の関係性が見えてこないのだ。
「何の歴史を勉強しにきたのかな」
「はい、聖女の降臨について詳しく学びたいと思いました」
「そりゃあ熱心だねぇ」
「恐れ入ります」
「いつまでこの国にはいるつもりなのかね」
「できれば……お祭りの時期までは留まろうかと」
「ほうほう」
聖女の祠の一件は、下手に口に出さないほうがいいかもしれない。
「よいことだねぇ……ジョロスティ」
「はい」
「この子、どう思うかね」
いきなりなんだ?
「それは……もう」
俺は努めて表情を変えないようにして、そっとジョロスティの顔色を窺った。
彼の表情は見る見るうちに明るくなって、やがて満面の笑みを浮かべた。
「噂には聞いていましたが、それはもう、素晴らしい、前途有望な少年だと思います」
「ほぉう、噂? どんな噂?」
「陛下はご存知ありませんか。エスタ=フォレスティア王国において、今のタンディラール王が即位なさる折、一部の逆徒どもが不当に王冠を私せんと暴れまわったこと」
「ふむ」
ジョロスティがここまで知っているということは、多分、この国の要人はもう、俺の素性を把握している。問題は既に、知っているか知らないかではない。どこまで知っているか、だ。
「その時、ファルス少年は剣を手に立ち上がり、逆賊どもの頭目に手傷を負わせるほど活躍したのだとか」
「ほほう、そうなのかね?」
今、初めて聞いた、と言わんばかりの顔で、ミール王は俺に尋ねる。
「はい、間違ってはおりません」
「ふむ? 間違ってはいない……では、何か付け加えることでもあるのかね?」
「僕が心配しているのは、噂が一人歩きして、実際の僕とはかけ離れたお話になってはいないか、ということです」
「はっはは、そうかね!」
すると王は、すぐまたジョロスティに振り返る。
「どうかね、ジョロスティ」
「はっ」
「ワシも噂で聞いただけだが、なんとこの子、修行のために、今は神の壁の下で寝泊りしているそうだ」
「なんと」
サモザッシュのせいで、ホテルから追い出されたからだ。
しかし……
「君の教会に、部屋くらい空いてはおらんのかね」
「ええ、もちろんございます」
……この流れはまずい。
俺は既に、ユミレノスト師の手助けで、聖女の祠を見学させてもらうことになっている。今、ここで渡りに船とばかり、頼る聖職者を鞍替えしたら、どんなトラブルになるだろうか。ブッター家は、アイクは、俺を敵視するだろうか。ノーゼンは? とにかく、先が見えなくなるのは間違いない。
「ならば……」
「申し訳ございません、陛下」
「おおう、どうしたね?」
「せっかくではございますが、修行は苦しいからこそ修行なのでございます」
だから、こう言って断るしかない。せっかくの機会なのに、自分から謝絶しなくてはならないのだ。
俺の目的はあくまで聖女の祠に立ち入ることだ。この街での生活を快適にすることではない。
「それは残念ですね」
「お気持ちだけ、ありがたく」
「ふむふむ、じゃ、クロウル」
王は反対方向に振り返る。
「君のところはどうかね」
「陛下」
じとっとした声色。ぼそぼそと喋っている。なんだか根暗っぽい雰囲気だ。
「私とて、女神への奉仕こそを第一と考える僧侶でございます」
「うん」
「今、身も心も女神と聖女に向けている信仰心篤い少年に、どうして私が余計な手出しをしましょうか」
「ふーむ、それもそうか」
そう喋りながら、クロウルは時折、俺のほうをチラリと覗き見る。
視線の意味ならわかる。嫌悪だ。
俺が具体的に何かしたわけではないが、初めから立場というものが決まっている。独立派にとって都合のいい俺は、何もしなくても、最初からクロウルに嫌われる。予想はしていたが、まったくその通りになった。
「まぁ、修行のためじゃあ、しょうがないねぇ。壁の下も、これからだんだん寒くなるけど、まぁ、頑張ってよ」
こう言われてしまうと、切り出しにくい。
サモザッシュの嫌がらせについて、直訴するいい機会なのだが……
「あの、陛下」
「うん、なにかね」
「それより、いくつか申し上げたいことが」
「うんうん、何でも言って欲しいね」
さて。
サモザッシュの嫌がらせについても、もちろん密告してやりたいが、それより先に、まずはノーゼンだ。
というのも、壁の下で寝るのは苦痛だが、それで目的が失われたりはしない。しかしノーゼンについては、我慢だけでは片付けられない。女神教の神官戦士団は、シーラを狩り出そうとした。ならば、龍神の下僕であろう彼は、どう動くのか。曖昧なままで放置するなど、できないのだ。
「このたびは大変な事態が起きてしまいましたが、幸運に恵まれて、なんとか生きて帰ることができました」
「うんうん、そうだねぇ」
「ですが、今回の成果について、結果を残せたのは、僕だけの力によるのではありません」
「ふぅん? というと? さっきの、うちの兵士が頑張ったお話?」
「もちろんそれもありますが……僕と同行していた、とある鉱夫の活躍について、陛下はご存知でしょうか?」
彼は、世俗の利益を求めていない。それどころか、避けている。でなければ、俺と一緒にここまで来るはずだ。
だいたい、彼に救われた兵士も少なくはなかった。ならば、戦う鉱夫のことも、報告にあがっているべきで、ここまで来ていないのがあまりに不自然でもある。
ノーゼンはどうやってここから逃れたのだろうか?
「うん? ああ、確かに、君ともう一人、兵士を助けるために駆けつけたのがいたとは聞いているねぇ」
「今回の件は、彼の力が大きかったと思います。陛下におかれましては、公平を期すためにも、何卒その者に褒賞を」
「ふーん、じゃ、それは改めて調べさせるよ。だけど、君は……」
ミール王が何かを言いかけた時、横から足音が近付いてきた。赤い上着。侍従の一人だ。
「陛下、申し訳ございません」
「おや、どうしたね」
「ご歓談中のところ、ファルス様におかれましても、大変失礼致します。ですがもう、お時間が」
「えっ、もう?」
ガタッと席を立つと、ミール王は落ち着きなく足踏みを始めた。
「ご、ごめんね、ごめん」
目を泳がせながら、彼は言った。
ずずっと前に出て、俺の手を取る。慌てて立ち上がると、彼はそのまま俺と握手して、ブンブンと何度も手を上下させる。
「なんかもう、出発しないと間に合わないらしくてね」
「は、はい」
「悪いけど、今日はここで。またゆっくり話そう。じゃ!」
それだけ言うと、小走りに先を行く侍従を追いかけて、王は転がるように歩き去っていった。その後ろを、二人の司教も追いかける。
なんと慌しいこと。
俺は取り残され、ただ突っ立ったまま、ポカーンとしていた。
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