ゴブリンの王・下

 敵を前にしながら、なんという豪胆さなのだろう。

 血染めのマントを身に纏ったそのゴブリンは、人間の王がするように、堂々と椅子の上に腰掛けていた。右手には歪な形の黒い槍を手にしている。その穂先の手前には小さな頭蓋骨が飾られている。

 そして、余裕の笑み。余を斬れるものなら斬ってみろ。そういわんばかりだ。


 だが、俺は踏み込めなかった。

 わけがわからなかったのだ。


 見えない。こいつの能力が。

 そんな馬鹿な。ピアシング・ハンドが通じない相手? いるわけがない。少なくとも、ゴブリンごときに防げる代物ではないはずだ。女神であるシーラの能力でさえ、覗き見ることができたのに。


 そして、心の中では、焦りばかりが高まっていく。

 焦りは恐れだ。恐怖は、原因を取り除かない限り、なくならない。一刻も早く、奴を殺さなくては。殺すなら、剣で……


「うっ、うわぁ……!」


 意図せず体が動き、手にした剣を振ろうとした。


 また、いやな感じがした。

 背中から、黒い虫の群れが這い上がってくるような不快感。頭の中に熱湯が注ぎこまれたような異様な興奮。


「わああぁっ!」


 なぜかわからないが、俺は振り返って、背後を斬ろうとした。

 そこには、一人の男が立っていた。敵味方の血に塗れたシャツ、青く汚れた槍。


「うおっ!?」


 味方に斬られそうになって、彼は驚いて飛び退く。

 思わず手を止め……背を向けかけたところで、鳥肌が立った。


 反射的に鋭くその場で振り返り、剣を叩きつけた。兵士の顔が、いびつな笑みに変わっていき……

 一瞬の破裂音。


「はっ!?」


 剣を振る手を止め、左腕で顔を庇って、横っ飛び。

 勢いをつけすぎたか? 俺はそのまま石の床を転がり、壁に背中を打ちつけた。起き上がるともう、さっきの兵士はいなかった。


 それはそうだ。

 シャツが人間とゴブリンの血液でベタベタになった青年は、さっきからそこで他の仲間と一緒に倒れたままのだから。

 そして、司令官の椅子の上には……人間の死体。最初からゴブリンなんて、いなかった。


 にしても、危なかった。

 今のは、女神教の神官達がよく用いる目くらまし……『閃光』の魔術だ。

 なぜそれに気付けたのか。


 敵の能力の正体がわかったからだ。


------------------------------------------------------

 チュタン (45)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、15歳)

・アビリティ 高速成長

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク5)

・アビリティ マナ・コア・光の魔力

 (ランク5)

・アビリティ マナ・コア・力の魔力

 (ランク4)

・スキル ルー語    5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 指揮     4レベル

・スキル 槍術     4レベル

・スキル 精神操作魔術 6レベル

・スキル 光魔術    6レベル

・スキル 力魔術    5レベル

・スキル 薬調合    3レベル

・スキル 木工     3レベル


 空き(32)

------------------------------------------------------


 奴が青年に擬態した時に、一瞬だけ確認できた。その後、すぐに『閃光』を使われてしまったので、自ら顔を覆って避けるしかなかったが。もう少し判断が早ければ、一発で体ごと消してやれたのに。


 今はまた、姿が見えない。

 どこへ隠れたのか。


 強敵の可能性は感じていた。だとしても、これほどとは。人間でもまず見つからないような、大魔法使いだ。

 魔術を使う敵とは戦ってきた。だが、この水準で三種類もの魔術を同時に行使し、かつそれぞれの魔術核を身中に留めおく術者は皆無だった。

 にしても、光魔術でこんな幻影を見せられるなんて、初めて知った。もしかすると、精神操作魔術との複合技術なのかもしれない。

 それに、力魔術とはなんだろう? 聞いたこともない魔法だが……


 ともあれ、これで謎が解けた。

 このゴブリンの王は、人間でも珍しいくらいの光魔術の達人だった。森の薬草で触媒を作り出したのだろう。それを手下のゴブリンどもに塗布し、魔術を施した。もともと発見されにくい形での接近と襲撃を計画していたはずだから、事前に準備はあったのだ。

 更に、城壁の上の兵士達の注意を逸らすために、精神操作魔術が役立った。いくら光魔術に精通しているからといって、三桁を数えるゴブリンを完全に透明にするなんて、できるわけがない。せいぜい周囲の地面とそっくりに見せるとか、その程度が関の山だったに違いない。なので、風景の中の不自然な部分に気付いた兵士を、別の魔術ではぐらかすことにしたのだ。

 こうしてこのゴブリンの王・チュタンは、人間の城砦を乗っ取るのに成功した。ほぼ無音の襲撃だったに違いない。


 それにしても。

 これまでも、多くの強者達が戦いの道具として魔法を利用してきたのを目にはしてきた。けれども、それは無数の手段の中の一つでしかなかった。魔術そのものを戦闘の中心においた相手はいなかったのだ。

 そのせいか、俺の魔法に対する評価は、それほど高くはなかった。少なくとも、最強の武器だとは思っていなかった。

 事実、フォレスティアの内乱でも、俺は精神操作魔術を使いこなせなかった。グルービーは街一つを動かしたが、あれには入念な準備が先立っていた。魔法で結果を出すためには、通常、その他の手段で実行するのと変わらないくらいのコストがかかるものなのだ。彼は魔法で無関係の人を多数駆り立てたが、なんとなれば、宝物庫の財産をばらまいても、同じようなことができたのではないか。


 しかし、その認識を改めなくてはいけない。魔法は、世界を動かし得る力だ。


 チュタンは、魔術の力でここまで成り上がったのだ。

 精神操作魔術で人の心を読み、学んだ。その知識と魔力を生かして、森の中の覇権を握った。増えた仲間を率いて力を貯えた。光魔術で身を隠して砦に接近し、その効果を他の魔法で補った。


 たまたま俺とノーゼンが駆けつけなければ、どうなっていたか。

 アルディニア王国は、大きな打撃を蒙ったことだろう。この拠点を足がかりにゴブリンどもは暴れまわり、数百人、下手をするとそれ以上の人命が失われる。

 ことはそれだけでは収まらない。経済的損失、政策上の失敗は、王家の権威を損ない、政局を危うくさせる。ゴブリンどもに踏みにじられたもの自体はそこまで大きくなくても、国が傾くことならあり得るのだ。そしてそういう混乱は、ますますゴブリン達にとって有利な状況を生み出すのに役立ってしまう。

 最終的に、魔物の王国がアルディニアを征服し、支配するというシナリオは、さすがに考えにくい。それでも、こうした災禍が王国の弱体化を招き、ひいては隣国……神聖教国からの圧迫に耐えられなくなる可能性ならあった。


 ……動きがない。

 さっきから、物音一つしない。


 部屋の真ん中に、男達が折り重なって倒れ伏している。司令官の椅子には、やはり人間の死体。それ以外には、影も形もない。高い位置に小さな窓はあるが、ただの明かり取りだ。出入口にはなり得ない。

 このまま待てばいいのか? もし俺がチュタンを発見できなくとも。そのうち、ノーゼン達が駆け上がってくる。そうすれば……


 ……駄目だ。

 奴は、この部屋のどこかにいる。そこへ大勢の人間がやってきたら、魔法をうまく駆使して、集団に紛れ込んで逃走を図るはずだ。そうなる前に、倒しきってしまわなければ。


 どうすれば見つけられるのか。

 怪しいところは片っ端から調べてみなくては。そう思って一歩を踏み出した。


 ギィン、と背後で音がした。

 驚いて振り返る。


 壁に懸かっていた剣が、床に落ちたのだ。

 運がよかった。俺が動いていなければ、ちょうど頭の上に落ちて……


 ……危ない!


「うわっ!?」


 足元の剣が突然、斜めに身を起こし、突っ込んできたのだ。それを俺は、飛び退き、転がりながら避ける。

 これか、力魔術というのは! 重力、念力、運動力……そういう力のことか。


 ということは、もう一方の壁も……


 気付くと同時に、それは滑空するかのように、まっすぐこちらに飛んできた。


「くっ!」


 ミスリルの剣で弾くと、変な震動が腕に伝わる。そして、一度剣は床に落ちる。だが、少し経つとブルブル震えだし、飛び上がろうとする。

 そんなバカな!


 魔法というのは、そんな便利なものじゃない。

 火魔術だって、爆発を起こす力ならある。あるが、そのためには触媒を用意した上で、なおかつ時間をかけた詠唱が必要となる。

 今、奴は何をした? 他の物音なんてなかった。呪文を唱えず、どうしてこんな真似ができる?


 詠唱をしない理由なら、想像がつく。

 チュタンは今、隠れている。俺に気付かれないよう、細心の注意を払っているのだ。だから、呪文の詠唱なんかで、居場所を知られたくない。白兵戦ではかなわないらしいと、既に気付いているのだ。


 だからといって、なぜ?

 いや……そうか。


 剣が飛来する。それを俺は打ち払う。またもう片方が飛んでくる。それも叩き落す。これで数秒間は飛んでこない。

 だがもし、奴が思う存分、重力を操れるなら、こんな攻撃はしない。この部屋には、突入した兵士達の武器がいくらでもあるのだ。それらすべてを浮かせて、俺を襲えばいい。それをしないのはなぜか。できないからだ。


 原理はわからない。しかし、あくまで想像でしかないが、『事前に準備した』物体以外、思い通りに動かせないのではないか?

 決め付けるのは危険だが、その可能性は小さくない。

 ならば、奴の攻撃の意図は? 時間稼ぎ?


 落ち着け。隠れる場所なんて、そうはない。まず、人間の誰かに擬態しているなら……じっくり見れば、ピアシング・ハンドで判別できる。しかし、それらしいのはいなかった。

 ならば、もう逃げ出した? そうじゃない。奴はここに援軍が来るのを待っている。大勢の人間に紛れて脱出するのだから、それまではじっと隠れているはず。

 幸い、ヒントならある。


 ピアシング・ハンドで判別できないということは、俺が「認識できない」状態だということだ。

 認識できない、つまり……「見えない」のだ。


 ならば、めくら撃ちだ。

 一番簡単なのは、火魔術だ。火球を室内に乱射すれば、熱に煽られて姿を現すはず。一方、俺はといえば『防熱』の魔法で身を守れる。やれば絶対に勝てる手段だ。

 しかし、今は使えない。室内に意識のない人間が大勢いる。ならば、直接的な被害の小さい、そして不可視の手段を用いればいい。


 左手を口元に引き寄せ、そっと詠唱する。『足痺れ』の呪文だ。

 開いた掌の中に、黄緑色の鏃が浮かび上がり、忙しく回転し続けている。

 これを、そっと部屋の中央、低い位置を狙って、床と並行に飛ばす。倒れた男達の真上を通るように。


「……ギィッ!?」


 そこにいたか。

 片膝をついたゴブリンが、突然姿を現した。


「死ね!」


 俺は弾かれたように飛びかかり、チュタンの首に剣を突き刺そうとする。その肩が、ガクンと落ちる。動けない!?


 足首が。

 倒れた男の一人が、俺の足を掴んでいる!


「ギィッ、キキキッ」


 喜色を浮かべたゴブリン。

 手にした黒い槍を、俺に向ける。そんなもの、当たりは……


「はっ!?」

「ギグェッ!」


 やむを得なかった。

 俺を掴む腕を傷つけなければ、身を翻す余地もなかった。右手で斬りつけつつ、チュタンに『行動阻害』、そして後ろに仰け反るように跳んだ。そこを二本の剣が突き抜けていく。危険なのは槍だけではないのだ。

 隠れている間に、詠唱なしの動作のみでじっくりと『暗示』をかけたのか。それで兵士は、昏倒したまま意識がなかったから、やすやすと操られてしまった。もともとそういう保険をかける意味もあって、こいつは兵士達のど真ん中で透明になっていたのか。

 なんて悪知恵の働く。


 距離が空く。

 もう逃がしはしない。透明化する余裕なんか、与えない。


「ぐっ……うがああ!」


 跳びかかろうとしたところで、その姿が別人に変わる。

 さっき、俺が腕を切りつけた男だ。目を覚まし、激痛に傷口を押さえ、膝をついて呻いている。


 偽者なんかに騙され……いや。

 本人だ。ピアシング・ハンドがそう言っている。

 では、チュタンは?


 その一瞬の戸惑い。

 中空に剣が浮く。二本どころではない。二十本はある。それがあちこちに向けられている。当然、俺にも。


「う……ひっ!?」


 正気に返ったその男は、周囲に浮く剣に気付いて、身をすくめた。


「う、わ、わああ!」


 これも幻術だ。光魔法の応用に違いない。だが、中に本物が混じっている。

 俺に冷静な判断をさせないためだ。この隙に、逃げ出そうとしている。

 つくづくいやらしい。なんて面倒な奴なんだ。


 そして俺には、はっきりとは見分けがつかない。どれが本物で、どれが偽物なのか。

 飛ぶ剣の速度はさほどでもないから、俺なら打ち落とせる。だが、ここにいる全員を庇いきれるかといえば……


 くそっ!

 どこだ、どこにいる? 奴は?


 ……ヒュッ、と風を切る音。

 黒い金属の棒が、北の壁を穿った。


 ふっ、と幻影が消え、力を失った剣が二本、床に落ちる。

 前に向き直る。玉座のすぐ前に、片膝をついたチュタンの姿があった。


 今だ!


「ギィイィッ!」


 叫びながら片手をかざす。

 だが、その前に俺の剣が奴を逆袈裟斬りにした。


 その一太刀で足りた。

 青い血液が撒き散らされる。

 音もなくチュタンは膝をつき、そしてそのまま仰向けに転がった。


 部屋の入口には、ノーゼンが立っていた。

 魔術を破るために、武器を投げたのだ。おかげで助かった。


 安心感がこみ上げてくる。

 だが、すぐにそこに苦い思いが混じった。


 ノーゼンにも、予想はついていたのだ。上の階に、魔法を使う本物の王がいるらしいことに。だが、あえて俺を行かせた。ファルスが馬脚を現すのを狙って、ぎりぎりまで状況を静観することにした。

 俺は、互いの正体を探るレースに負けたのだ。彼は今、俺をどんな思いで見つめているのだろう。どうすれば彼の持つ秘密に近付けるのだろう。


「お見事、さすがは従士ファルスじゃな」


 ノーゼンは、力みのない声で、淡々とそう言った。

 俺は剣を収め、口元をきつく結ぶばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る