ゴブリンの王・上

 俺とノーゼンが一歩前に出ると、青銅製の門扉が軋みながら開いた。

 心の中で、思わず苦笑する。


 心を読めるとはいっても、人間の生活や文化そのままを丸ごと吸収したわけではない。あくまで表面をなぞって、真似ているだけだ。この状況を不審に思わない人間がどれほどいるかなんて、ゴブリンにはわからないのだろう。

 さて、最初の関門だ。


 腰の剣には、あえて手をかけない。だが、もし「最悪の事態」が起きたなら、その時は、誰であっても斬り捨てる。

 そう覚悟して門をくぐったのだが、何も起きなかった。


 相変わらず、後ろの門の上には二人の兵士が突っ立っている。左右には、門の開閉を受け持つ兵士達が無言かつ無表情で、これまた直立している。周囲にゴブリンの姿はない。


 想定していた最悪の事態とは、操られた人間達が一斉に襲いかかってくることだった。その場合、身を守るためには、たとえ彼らもまた犠牲者とはいえ、殺すしかなかった。しかし、今回のゴブリンにそこまでの魔力はなかったらしい。もっとも、グルービーの能力を受け継いでいた俺でさえ、長時間の儀式や触媒なしには、そこまでの結果を出せなかったのだから、咄嗟にそれだけの術を行使できるはずもない。これもある意味、思った通りだ。

 次に恐れていたのが、ゴブリンの群れに不意討ちされることだったが、これもなかった。こちらはあまり恐ろしくなかったし、そもそも俺がゴブリンどものリーダーでも、そんな選択はしない。入口付近でやらかして、下手に逃げられでもしたら。時間は稼げれば稼げるほどよい。要塞陥落のニュースが伝わるのは、もっと後でいいのだ。


 城壁の中は、また城壁だった。といっても、表みたいに石を積み上げた立派な壁ではない。ただの煉瓦造りだ。

 しかし、やはりというべきか、防御をしっかり考えて作ってあるらしい。外への城門は北側に一つあるだけ。その北側の空間がやや広めではあるものの、敷地は全体として、ロの字型になっている。但し、向かって右手の通路が途切れている。そこだけ、内部の建物と外の城壁が繋がっているのだ。

 時計回りに移動しないと、内側の砦に這い上がれない。少なくとも、階段を使うなら。ゴブリンやオーガにも、右利きが多いのだろうか?


 この北側の敷地、いるのは門番達の四人だけだ。あとは誰もいない。前方の中央部の高台を眺めるも、人の気配はない。奇妙というか、あからさまに怪しいというか。

 だが、これで俺達を内側に誘いこめると思っているらしい。


 俺がキョロキョロしている間に、ノーゼンは既に行動していた。

 無言で扉を閉じようとしている門番に、これまた無言で近寄り、鳩尾に一発。それだけで彼は、やはり無言のまま、体を折り曲げて意識を手放す。

 こんな暴挙、普通ならすぐ騒ぎになる。だが、向かい側に立っている門番は、その様子を無表情のまま、ぼんやりと眺めている。そして、ノロノロと門扉を閉じようとする。それにまた、一発。

 パン、パンとノーゼンは掌を打ち合わせた。さあ、片付いた、と言わんばかりだ。


「あの」

「うん?」

「そんなことしたら」

「走れるかの?」


 万が一に備えて、出口だけは確保。彼の意識は既に、次へと移っていた。

 俺も切り替えなければ。


「はい」

「よし」


 そう言うと、彼はゆっくりと左側の通路に向かって歩いていった。そして、入口に差し掛かった時点で、突然、弾かれたように走り出す。俺も遅れまいと追いかける。

 背後で、地面を打つ低い音が響いた。無視だ。俺達は誘い込まれたのではない。自分から突入したのだ。

 ゴブリンの目論みはわかっている。この狭くなった通路を歩いているところを狙って、重い石を投げつけて殺そうというのだ。よしんばそれに失敗しても、通路を障害物で埋めて、通行を難しくする。本来は、人間側の防衛設備の一部だが、それを流用したのだろう。完全には封鎖できないながらも、なるべく逃げ道を塞ごうというのだ。


「こちらじゃ」


 通路を抜け切ったところで、彼は一瞬だけ、俺に振り返った。

 南側の敷地も、やや広めにとってあった。右側の砦の中心部分、煉瓦造りの壁の中に、開け放たれた扉が一つ。

 間をおいて、わっと一斉にゴブリンどもが溢れ出た。


「そうれ、出てきたぞ」


 出鼻をくじく形で、ノーゼンは前に出て、二匹の頭を叩き割った。狭い出入口を挟んで、睨み合いになる。


「救援に来たぞ!」


 ノーゼンは二階部分の窓に向かって、そう声を張り上げた。

 建物の南側は、兵舎になっていた。一階が食堂などの生活施設、二階は寝室という作りだ。生き残りの兵士達は、突き当たりの階段を登って押し寄せてくるゴブリン達によって、いまや窓際にまで追い詰められていたのだ。それも無理はない。警告も何もない、いきなりの襲撃だ。手元に武器を用意できていたのも、ごく僅かだろう。しかも、敵は圧倒的多数なのだ。


「飛び降りよ! ここは抑える!」


 今までは、その選択ができなかった。ゴブリンどもは、下から寄せてきたのだ。高さもそれなりにあるし、もしうまく飛び降りても、着地と同時に剣を振るえるはずもない。もたもたしているうちに、取り囲まれて串刺しだ。

 しかし今は、ノーゼンが南の広場を確保してくれた。


 窓から、顔が一つ、二つと出てきて、不安げに下を見下ろす。

 二階から飛び降りる? 下は固い地面だ。ノーゼンならともかく、普通の兵士では……


「無理ですよ! 足を折るだけでは」

「ならば、ここの抑えはお主がやれい」

「わっ」


 彼が持ち場を急に離れたので、俺は慌てて出入口の前に立った。相手が小さいと見て、一気にゴブリンが突っ込んできたが、咄嗟に首を刎ね飛ばしたら、また足が止まった。出入口の縁を、無数の緑色の爪が掴む。そこからひしめく醜悪な顔。彼らの恐怖と憎悪のこもった視線が、俺に集中する。


「わしが受け止める! 早くせい!」


 窓から頭が引っ込む。破砕音が響き、窓の木枠が降ってくる。さすがに兵士、判断が早い。

 低い金属音が短く響いた。先に剣を投げ捨てたらしい。そして、木の板を踏み切る音。


「うおおっ」


 背後を見る余裕はないが、うまく抱きとめたらしいのはわかる。ゴブリン達が、指差して騒ぎ始めた。


「いけるぞ! 早く!」


 飛び降りた兵士の声が響く。こうなればすぐだ。地上にいる人間が増えるほど、抱きとめるのも簡単になる。一人、また一人。

 焦ったゴブリンがまた一匹、出入口の境界線を越えて一歩。その瞬間に首を刈り取る。

 地面に降り立った兵士達は、腕を広げて次の仲間を待ち構える。しかしこれだと、後になればなるほど、無事に脱出するのが難しくなる。居残った少数の兵士で、他の仲間の退路を守り続けるのだから。


「下は任せた!」


 ノーゼンもすぐ気付いたようだ。


「ハッ!」


 常人の限界を遥かに超えて、彼は空に舞い上がる。といっても、一メートルに届くかも怪しい程度の高さだが。それでなんとか足りた。片手の指が、壊れた窓枠の隅に引っかかる。力みもなく、するりと窓から室内に滑り込む。

 これでもう、ここは片付いた。ほどなく、ゴブリンと対峙する俺の視界の隅を、数人の人影が横切っていった。弾け飛ぶゴブリンも、数匹。

 出入口を抑える仕事も、俺だけでこなす必要はもうない。


 俺は振り返り、状況を確認する。

 ここにいる兵士は……ざっと二十名ほど。少ない。


「もう、出ましょう!」


 俺は飛び降りてきたノーゼンにそう訴える。

 これで全員かどうかはわからない。だが、これ以上時間がかかるようだと、戦況がひっくり返される可能性がある。


 俺が気にしているのは、城壁の上だ。奴らは侵入者に気付いている。そして、思った通りに始末することができず、逃亡を許しそうな状況になってしまっている。これに気付いたなら、次はどういう手を打ってくるか。高層階に留まるゴブリン達が、城壁伝いに俺達を包囲して、投石や弓矢で攻撃する。その中には、城壁の各面に設置された、強力な弩も含まれる。


「ま、まだ仲間が、奥に」


 鎧もつけていない、シャツが青い血液でドロドロになった兵士が、そう叫ぶ。


「うむ」


 ノーゼンは、落ち着き払っていた。


「希望者は、脇道から外に出るがいい。だが、むしろ奥に進んだほうが、安全じゃろう」


 俺の危惧した事態は、既に進行しつつあった。ペタペタという間の抜けた足音が、妙に心をかき乱す。城壁の上をゴブリン達が走っているのだ。俺達は一瞬、黙りこくって目を見合わせる。


「急げ!」


 誰からともなく、その場を後にして、左側の狭い通路に入る。ほぼ全員が突撃を選んだことになる。通路は狭く、並んでせいぜい二人だ。ここも急いで駆け抜けないと、上から石が降ってくる。但し、角度が急すぎるので、弩では狙えない。


「くそっ!」


 ノーゼンは待てない。少しでも前に出て、一瞬でゴブリンを始末する必要がある。兵士達を建物の中に突入させなければ、無駄死にさせることになるからだ。状況を見れば、俺が殿を引き受けるしかない。


「お、おい、君」

「早く! 先に! いいから!」


 出し惜しみもさせてくれないのか。剣を左手に持ち替える。

 城壁の上に、小さな黒い影が居並ぶ。遠雷轟く曇り空を背中に、彼らの歪な姿が、やけに恐ろしげに見えた。


「ギッ、ギェーッ」


 あざ笑うような声。

 南の城壁の真ん中に据えられた大型の弩が、ゆっくりとこちらに向けられる。

 だが、俺のほうも、準備は済んでいた。


「これでも喰らえ!」


 指を向ける。赤熱した火球が、弩に衝突して破裂する。近くにいたゴブリンどもが、爆風に巻き込まれて前後に吹き飛ばされた。

 気配を感じて振り返る。背後の壁にも、当然ながらゴブリンがいる。彼らは、真下の兵士達を狙うのをやめて、こちらを向いていた。そこにもう一発。緑色の皮膚を、赤い炎が黒く焦がす。石を握ったまま、小鬼は仰向けに転がり落ちた。


 こうしなければ、俺自身が飛び道具の集中砲火を受ける。どうしようもないじゃないか!

 ノーゼンには見られていないか? 気にしている場合ではないが。彼は既に、建物の中に入っているようだ。狭い通路には、見事に頭だけ砕かれた小鬼の死体が左右に転がっている。俺は足元に気をつけながら、追いかけた。


 通路の奥。

 手前に登り階段が、その向こうに下り階段がある。その、下のほうから絶叫が聞こえてきた。人間の怒号と、ゴブリンの悲鳴だ。わずかに城壁に残っていたゴブリン達が、下を指差して慌てふためいている。何があった?

 ここの施設がどういう内部構造になっているか、俺は知らない。下に向かうということは、倉庫か何かなんだろうが……


 螺旋階段を駆け降りて、半開きの木の扉を押して転がり込むと、そこは阿鼻叫喚だった。

 薄暗い地下室。天井は意外なほど高く、部屋の隅のほうには、中身の詰まった樽や木箱が積み上げられている。そのあちこちに、中途半端にかじられた人間の死体がいくつもあった。口元、腹部、ふくらはぎ……どれも小さな噛み跡だ。いずれの遺体も苦悶の表情を浮かべている。腱を切られて動きを封じられた上で、生きたまま食われたのだ。

 そのすぐ近くに、濁った緑色の小さな肉の塊が転がっていた。踏み殺されたゴブリンの赤ん坊だ。大人の両手で包めるくらいの小ささだった。


 悲鳴をあげていたのは、ここにいたゴブリンの雌達だった。なるほど、出産を間近に控えていて、今にも食料が不足するところだった。だからゴブリンのリーダーは、この砦を強襲することに決めたのだろう。だが、その努力は無駄になりつつある。


「オラオラァ!」

「殺せ! 一匹残らず皆殺しだ!」


 仲間の死体、そして数を増しつつあるゴブリン達に、兵士達は半ば狂気に染まって、虐殺を繰り広げていた。足で赤ん坊を踏み抜き、槍で大人のゴブリンを串刺しにし、出産前のゴブリンを羽交い絞めにして、その下腹部を剣でなぞって切り裂いた。胎内にいる未熟児のゴブリンといえども、生き残る可能性がある。徹底しなければならないのだ。


「うっ……」


 一瞬、我に返った俺は、急激にこみ上げる吐き気と眩暈を感じた。

 兵士達の心にあるのは? 仲間を殺された悲しみと、敵を憎む気持ちだ。それは至極まっとうで、自然なものだ。それに、ゴブリンは徹底的に駆除しなければならない。赤ん坊といえども、見逃せば育ってしまう。下手をするとそれが、今回の騒動を惹き起こしたような、恐るべきリーダーになることさえある。

 だが、その振る舞いのあまりの残虐さ。敵も味方も同じくらいに狂っているような気がしたのだ。


 たまらず外に出た。

 それに、ここにゴブリンの王はいない。


 階段を駆け上がる。部屋の中に飛び込むと、そこは乱戦の真っ只中だった。

 最上階に通じる短くも幅広な廊下。高所の利を生かそうと、ゴブリン達は槍衾をこさえて、階段の上に陣取っている。先頭にはノーゼンが立って、黒い金属の棒を振り回している。だが、彼一人がいくら強くても、周囲の兵士は並みの人間で、空間は少しばかり広かった。ゴブリンは、やけに手強い男を避けて、左右に散らばって傷ついた兵士から殺そうとする。


「ノーゼンさん!」

「きりが、ない、のう!」


 百を越えるゴブリンがひしめいているのだ。そう簡単に片付くはずもない。

 それに、気の短いゴブリンどもとはいえ、死にたがっているわけではない。ノーゼンの異様なほどの強さを目の当たりにして、攻撃、駆逐といった意識を捨て、防戦に徹している。これでは手間取りそうだ。


「頭目をやらねば、この戦いは終わらん」

「ええ」

「これだけ痛めつければ、そろそろ出てくるとは思うが」

「あ、あんたら! ちょっといいか!」


 青い血に、赤い血まで浴びて、もはや黒ずむばかりのシャツを身につけた青年が、俺とノーゼンに話しかける。


「上、上に、多分、隊長が」

「そんな、どうやってここを抜けたっていうんですか」


 俺やノーゼンすら、いまだに突破できていない場所を?


「何人かの仲間と一緒に、指揮所を奪還に行ったんだ! だが、下にもいなかった!」


 そういうことか。

 確かに、狼煙を上げた連中がいた。だからこそ、森の縁からそれが見えたのだ。ここまで火を焚いた形跡は見当たらなかったから、その施設はこの上にあるのだろう。

 つまり、隊長とその仲間達は、どうやってかは知らないが、この上まで辿り着いた。そして、ここまで戻ってきていない。あの時点からと考えると、だいたい三十分は経っているはず……さすがにもう死んでいるのでは?


「ならば、なおさらここを」


 ノーゼンが返事をしかけたところで、奇妙な沈黙が場を覆った。

 突然の咆哮。腹の底から響いてくる。


 階段を折り返して降りてきた、一体のゴブリン。

 だが、それは到底ゴブリンとは言えなかった。


 身長が二メートル近くある。体は痩せぎすだが、筋肉質だ。縦に細長い顔をしており、手には両刃の巨大な戦斧と、オーガ討伐用の盾を携えていた。


 何をどうしたらこんな体型になる? こんなの、初めて見た。

 もちろん、ピュリスの酒場で冒険者達の相手をしていた時にも、こんな変異種がいるなんて、聞いたこともない。


「ゴォアァア」


 甲高いゴブリンのものとは思えない、低い唸り声。

 いや、これは聞き覚えが……まさか!


「ノーゼンさん、これは」

「わしが引き受けよう。ファルス、雑魚どもにはもう、さほどの戦意もあるまい。間を抜けて、上を見てきてくれぬか」


 ……こいつじゃない。


 最初、姿を見せた瞬間には、こいつがゴブリンの王ではないかと思った。いかにも強そうだからだ。

 だが……


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 チャプランダラー (15)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、7歳)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク3)

・アビリティ 高速成長

・アビリティ 痛覚無効

・スキル ルー語    4レベル

・スキル 戦斧術    5レベル

・スキル 盾術     4レベル


 空き(8)

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 確かに強敵には違いない。だが、こいつは魔術師ではない。言い換えると、ゴブリンの王でもない。せいぜいのところ、将軍だ。

 この肉体はどういうことか? 推測でしかないが、こいつは純血のゴブリンではない。恐らくは……トロールとの混血だ。能力的に、そうとしか説明できない。


 そんなことがあり得るのか? なぜ?

 答えはきっとわからないままだろう。ゴブリンどもに尋ねる手段はないし、あっても答えてくれそうにない。

 それにしても、人間との間では普通のゴブリンが生まれるらしいのに、片親がトロールだと、両方の形質が混じり合うとは。サイズから考えて、母体はトロールのほうだろうが、よくも生まれたものだ。

 もしかすると、そのトロールも、人間の女性と同じように、苗床にされただけかもしれない。群れの中の雌が不足し、リーダーが代わりにトロールを利用することにしたのだろう。だが、結果として、思いもよらない怪物が生まれてしまった。

 量産はできなかったに違いない。もしこんなのがたくさんいるのなら、もっと早い段階で、ゾロゾロ出てこなければおかしい。


「ノーゼンさん」

「心配はいらぬ」


 そうじゃない。多分、この上には、更なる脅威が……


「俺達が行く! 無理するな!」


 さっきの青年が、槍を手に強引に階段を駆け上がる。


「あ、ああ! ま、待ってくだ」

「俺達も行くぞ!」

「仲間を見殺しにするなぁ!」


 くそっ、少しは人の話を聞いてくれ。


 もし、この上に魔術を用いるゴブリンがいたら、大変なことになるかもしれない。

 精神操作魔術は、直接的な攻撃手段にはならない。だが、『認識阻害』や『暗示』、『誘眠』などによって行動を封じられた場合、対象はなす術もなく殺されることになる。

 能力を高めることで耐性を身につけるのが一番安心だが、それ以外の対策としては、まず、精神状態を中庸に保つことだ。過剰に興奮したり、安心したり……とにかく気が抜けたり、感情が偏ったりすると、そこにつけこまれる。

 そして、もっと単純な手段は、数の暴力で制圧することだ。魔術の行使には手間がかかる。咄嗟に一人、二人を眠らせても、十人からの兵士が突っ込んできたら防げない。


 なら、たった今、十人ほどの兵士が階段を駆け上がっていった。ゴブリン達も、突撃を防げず、道をあけてしまった。このまま、問題なく決着がつく?

 そんな気がしない。


 今回のゴブリンの王には、まだ謎が残っている。

 ……この砦にどうやって接近した? この大群を率いて、障害物のない野原を歩いて移動したのに、どうして気付かれずに済んだ? まだ、明らかになっていない能力があるのではないか?


「……い、行くしか」


 杞憂であればいい。だが、そうでなければ。


 急いで彼らを追う。後ろで、戦斧と金属の棒とがぶつかり合い、耳障りな音をたてる。居残った兵士が周囲を守り、それをゴブリンどもが取り囲む。本当にもう、あとは任せていくしかない。


 階段を折り返し、上へ。

 兵士達が蹴散らしたゴブリンの死体がいくつか、階段の上に転がっている。しかし、妙だ。後ろにはまだ、相当な数が残っている。なのに、そいつらは俺達を追ってこない。

 やっぱり何かある。


 最上階の扉を引き開け、中に飛び込む。

 そこは広間だった。足元には簡素ながらも絨毯が敷かれている。左右の壁には、予備なのか、装飾なのか、それぞれ一本ずつ、立派な抜き身の剣が懸けられている。北側の壁は左右が途切れており、外に通じている。砦の正面、そして城壁へと通じる渡り廊下に繋がっているのだろう。狼煙をあげたのも、きっとこのすぐ外だ。この壁の手前の床が一段高くなっている。そこに司令官の席と思しき椅子があった。

 普段は忠実な兵士達が居並ぶ中、ここに隊長が腰掛けるのだろう。だが、そこにいたのは、一匹のゴブリンだった。人間を真似てか、赤黒いマントまで羽織っている。


「こいつか!」

「小せぇ、雑魚みてぇだぜ」

「やっちまえ!」


 先に部屋に入っていた兵士達は、他に護衛のゴブリンもいないことを確認すると、勢いよく跳びかかった。


「ギィエ!」


 椅子に腰掛けたまま、そのゴブリンはなす術もなく殺された。


「やった!」

「こいつがボスか? あっけねぇ」

「あとは引き返して……はれ?」


 はっとする。

 兵士達の顔から緊張が消え、笑みさえ浮かぶ。その笑みからも、どんどん力が抜けていき……


 熱い。

 額から熱があふれてくるようだ。

 視界が蕩けていく。


 ……これは。


 どこ? どこだ?

 俺は何を……


「やあぁっ!」


 嫌なものを感じた。

 頭に纏わりつく何かを振り払い、強引に腰の剣を引き抜き、何もない空間を一閃する。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 目が覚めた。『誘眠』の術。それをこの部屋の広い範囲に行使したらしい。どうやって? 時間をかけて詠唱したに違いない。俺が部屋に入る前から、準備を開始していた。でなければ、こんなに早く効果を発揮しない。

 だが、どこから? すぐそこの壁の向こうから?


 俺は顔をあげた。


 どこから姿を見せたのか。まるで見えなかった。

 司令官の椅子……いや、ゴブリン王の玉座の横に、いつの間にかもう一匹のゴブリンが立っていた。そいつは、串刺しにされ、青い血を垂れ流す仲間の死体を掴み、引き摺り、マントを引き剥がして、蹴倒した。そうするのが当たり前と言わんばかりに、そいつはマントを自分の身に纏った。

 ゆっくりとこちらに振り返り……一際醜悪な顔を歪めて、ニタリといやらしい笑みを浮かべると、悠々とそこに腰掛けた。


 背後では砦の兵士達が倒れ伏したまま。

 俺はあらためて剣を向け直す。


 ゴブリンの王は、死を纏っていた。

 その赤いマントの色が、何によって着色されたものか。これまでどれだけの人を手にかけてきたのか。その忌まわしい勲章の中に、俺をも加えようとしているのだ。


 そうはいかない。


 呼吸を整える。

 静寂の中、剣の切っ先が鈍く輝いた。

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