妖魔の砦

「難しい顔をしておるな」

「そりゃそうでしょう」


 二号要塞は、そこまで遠くない。片目を閉じ、指をまっすぐ立てて、根元の部分を地平線に揃える。空は暗くなりかけているが、四角い要塞の形がはっきり見える。見た目の大きさは、俺の指よりちょっと背が高い。


 二号要塞の近くに行ったことはないが、一号要塞の側なら通ったことがある。恐らく、形や大きさに違いはないはずだ。あの城壁の高さは、目測だが、建物にして三階建て以上、四階建て未満だった。前世の基準で言えば、十メートル強といったところか。

 ここからだと、見た目の高さが俺の指をちょっとはみ出るくらいだから、ざっと暗算して……大雑把だが、だいたい一キロから二キロ程度の距離しか離れていない。もちろん、正確な計算ではありえない。俺の視線は直線だが、大地は不完全な球だ。俺の身長を基準に円の接線を描こうにも、大地の起伏が計算に含まれない。あまり考えても意味がないのだ。


 つまり、早足で向かえば、十分から二十分ほどで駆けつけることができる。俺とノーゼンは、うっすらと一筋の煙を吐き続ける要塞に向かって、余力を残しながらも急いでいた。


 現在、北東部の開拓地には、三つの要塞が存在する。きれいに完成しているのは、あの頼りない城門からほど遠くない、一号要塞のみ。三号要塞については名ばかりで、土台部分以外は未完成の状態だ。そして、今から向かう二号要塞は、ほぼできあがっている。

 目的は、魔物の領域に楔を打ち込むことだ。最低限、地下水が得られる場所を選び、なるべく一定の距離の範囲内に築かれる。

 決して大規模な拠点ではない。むしろお粗末な代物といってもいいかもしれない。荒野に聳える、ちょっと大きめの石造りの家。そんな表現すら可能な代物だ。中に詰める兵士も、百人くらいが上限だろう。但し、城砦の中には武器や食料の備蓄があり、医薬品があり、設置型の強力なクロスボウがある。小規模な魔物の群れが足下まで押し寄せてきても、なんなく撃退できる。


 ならば、あの火はなんなのだ。救援を求める狼煙。そう考えるのが自然だ。しかし、それほどの脅威が迫っている?


 あり得なくはない。さっきのゴブリン達の動きは、明らかに常識を超えていた。人間の武器を使っていることが、ではない。人間のように、組織的かつ計画的に戦闘を繰り広げたことが、だ。

 なるほど、彼らにも一応の規律はあるし、知性もある。戦士になるまで成長したゴブリンは、移動に際して物音をたてないし、「落し物」も残さない。毒や罠も使いこなし、自分の居住する地域については詳しく知っている。

 だが、基本的には蛮勇の種族なのだ。魔物の魔物たる所以、それは醜悪な容姿にあるのではない。怒りや恐怖といった感情によって、簡単に我を忘れる。理性より衝動に動かされる存在だ。であるがゆえに、彼らは文化的な生活を営めないし、人間と交渉することもない。もし試みても、ちょっとしたきっかけですぐ関係性を破綻させてしまうだろう。要するに、こらえ性がないのだ。


 だが、さっきのゴブリン達は違った。普通なら、相手が劣勢とみるや、殺戮の予感に興奮し、調子に乗って無秩序に跳びかかるのが彼らの戦い方なのに、そういう衝動を抑制し、じっくりと冒険者達を仕留めようとしていた。

 あれだけの動きができる集団が、要塞を急襲していたとしたら……


「陥落している場合には、逃げますよ」

「まあ、それが当然、常識ではあるな」


 毒を喰らわば皿まで、とはよくも言ったものだ。

 リーデル達の容態は、よくなかった。遠くまでは運べない。ならば、二号要塞に運び込み、そこで治療を受け、回復するのを待つべきだ。他にも、ドランカードのように、毒に侵された者がいる。やはり保護が必要だ。

 ところが、その頼みの綱が、このざまだ。実際、どんな状況なのか、まずは確認しなければならない。ただ攻撃を受けているだけなのか、既に陥落したのか、それともただの訓練で狼煙をあげてみただけなのか。

 何もなければいいのだが。


「それより、どうしてノーゼンさんまでついてくるんですか」

「それも当然のこと。アイクに頼まれたのは、魔物の討伐ではない。お主を無事に帰すことよ」

「では、余計な手間をかけさせてしまいましたね」

「なに、これはこれで面白い」


 思わず舌打ちしそうになる。面白い、か。

 この無表情な老人の頭の中は、どうなっているのだろう?


 俺だって、いやいやながらにやっているのだ。自分で助けておいて、いやもへったくれもないのだが。

 生き残った冒険者達も、多くは重装備で、しかも疲労困憊しているか、負傷しているかだった。要するに、俺とノーゼンが偵察を引き受けるのが合理的な状況だったのだ。

 本来、被害者になるべき存在が、今は加害者を救うために駆けずり回っている。その矛盾した状況を、ノーゼンは「面白い」と言ったのだ。


 ということは……


「それより」

「はい」

「お主、どう見る。今回の件は」

「そうですね……」


 わかりません、とでも言ってやろうか。

 そんな間抜けな演技など、すぐ見抜かれてしまうだろう。こいつはいったい、いつから俺を観察していたのか。少なくとも、俺が乱戦に割って入って、多数のゴブリンを仕留めるところは目撃していたはずだ。

 要するに、しくじったわけだ。ノーゼンの正体を知るまでは、俺の正体を隠す。その目論見は砕け散った。アイクとの約束? そんなもの、今となっては口実でしかないのだろう。


 頭を切り替える。

 乗りかかった船。今は緊急事態だ。どうあれ、人命救助のために動いてしまったのだから、その他の問題は脇に措く。


 ゴブリンどもにああまでやられた最初のきっかけは、ラズヴィチクにリーデルが刺されたことだ。あれさえなければ、彼らはもっと規律正しく行動し、的確な対処をとることができた。

 しかし、ラズヴィチクはれっきとしたアクアマリンの冒険者だったし、リーデルと同じく、生え抜きの王都民だ。二人の関係性がどんなものだったにせよ、あんな行動を選ぶなど、考えられない。もし個人的に怨恨を抱くだけの理由があったにせよ、あの時、あの場で彼を刺殺しようとするなど、正気の沙汰ではない。

 とすると、最もありそうな仮説は……


「操られた? 恐らくは魔術、もしくは神通力」

「ふむ」


 ゴブリンの集団においては、たまに魔術を行使する強力な個体が出現することがある。かつてウィーがアメジストに昇格する際には、風魔術を用いるゴブリンを相手取った。それに俺自身も、タンパット村でアピーとかいう魔法使いのゴブリンと戦った。

 どういう理屈で魔法を習得しているのかはわからない。だが、とにかく彼らは、魔術のスキルと、魔力の源たる魔術核を生まれながらに有している。


 だが、今にして思えば、あのアピーですら、さほどの脅威ではなかったのだ。火の玉を投げつける能力は、確かに個人単位の戦闘という場面では、危険極まりない。だが、言ってみればただそれだけのこと。

 もし、今回のゴブリンの獲得した能力が『精神操作魔術』だとしたら……


「まだ、断定はできませんが」

「ゴブリンが相手なら、神通力の可能性は低いのう。しかし、厄介な魔術を使うものじゃ」


 辻褄は合う。

 ラズヴィチクを一時的に支配するか、もしくは強力な『暗示』にかけて、とにかく盲目的に、本人もそれと意識しないうちに、リーデルを狙うように仕向けた。

 恐らくだが、彼を刺した後のラズヴィチクは正気に戻っていたのではないか。どれほどの力量の魔術師かはわからない。ただ、彼らを混乱に追い込むためだけに、『強制使役』のような、非常に強力な魔術を用いる余裕があったとは考えにくい。しかし、突然の攻撃に驚いた誰かが、それ以上の被害を恐れて、大剣で片付けてしまったのだろう。


 それでも、まだ謎は残る。

 ならばなぜ、その魔術師たるゴブリンがあの場にいなかった? それどころか、後ろには目もくれずに要塞を襲ったのだとすれば。随分と中途半端だ。


 それにそもそも、ゴブリンは本来、夜行性だ。彼らは暗闇でも視界を失わない。人間を襲うなら、夜間の方が有利なのだ。

 要塞の兵士達だって、自分達が危険地帯にいることは重々承知している。昼夜を分かたず、常に見張りが複数いるはずだ。そして、今は曇っているとはいえ、あの砦はガランとした平原のど真ん中にある。遠くからゾロゾロとゴブリンの群れが近付いてきたら、すぐ大騒ぎになるはずだ。

 やっぱり、どう考えても夜襲を選ばない理由がない。もっとも、人間の側も、特に夜間は警戒しているのだが。


「なぜだと思います?」

「うん?」

「だとしても、やっていることがちぐはぐです。どうしてこんな」

「想定外だった、やむを得ず、ということはないかの」


 とすると、そのゴブリンのリーダーには、別の計画があって、それを遂行中だった。

 何を狙っていたのだろう? 何のために?


 首を傾げる俺に、ノーゼンは助け舟を出した。


「……とある成功が、更なる成功を強制するということも、ままあるものよ」

「成功?」

「いったいどれほどの群れなのかの、今回のゴブリンどもは」


 ゴブリンは、いわゆる亜人だ。

 高い知能を有しつつ、好戦的でありながら臆病でもある。夜目が利き、体格の割には運動能力に優れ、そしてたまに魔術を使う。

 意外と有能な彼らだが、欠点もある。一つが衝動的な性質なのだが、もう一つが、短い寿命だ。特に病気や怪我によらなくても、彼らの寿命は二、三十年、長くても四十年ほどだ。

 その代わりといってはなんだが、彼らの成熟は早い。一年あればそれなりに手足が伸びて、走り回ることもできるようになる。二、三年もすれば狩人の仲間入りを果たし、五、六年もすれば立派な大人で、出産が可能になる。しかも犬や猫のように、多胎であることが普通だという。また、おぞましいことに、人間の女性を苗床に子孫を残すことも可能と言われている。その場合、生まれてくるのは必ずゴブリンだとも。なお、逆に人間の男がゴブリンの雌を相手にした場合はというと……誰も調べたことはないようだ。

 生まれてきた子供は、小さくか細く、一見すると頼りないが、最初からしっかり歯が生え揃っていて、いきなり腐肉を喰らうことができる。


 彼らにとっての成功とは何か。

 複雑な社会を持たないゴブリンにとって、子孫の繁栄と集団の成長以上のものはない。仲間が増えれば、本来なら天敵、捕食者であるはずのオーガ相手にだって、餌場争いで負けることはなくなる。


「……増えすぎた?」

「森の中がスカスカじゃったからな」


 精神操作魔術を得たリーダーが生まれた。それだけなら、ここまで大きな影響はなかったに違いない。周囲にいるのは、オーガや狼ばかりだ。魔術の力は大きいが、所詮は個の力。それだけで他の種族を圧倒するほどの力にはならない。

 そのきっかけを作った、いや、作ってしまったのは。


「開拓のせい、ですか」

「かもしれん、というだけじゃが」


 相手の心の中を読み取るゴブリンは、自分達の生息域にまで侵入してきた「人間」どもの記憶も読み取ることができた。それは多くの学びをもたらしたに違いない。

 もちろん、知識だけあっても、できないことは多くあっただろう。鉄の剣が強力な武器であるとわかっても、彼らには鉄鉱石を採掘する手段もない。今まで通り、人間を襲って武器を集めるしかなかった。

 だが、すぐに活用できる知識もある。たとえば、戦術だ。


 人間がオーガを狩るのを、そのゴブリンはじっくり観察したに違いない。そして、それを真似た。

 思えば、冒険者達が頻繁にオーガを狩らねばならなくなった要因も、ここにあったのかもしれない。勢力を増したゴブリンによって、森の深部から追い出された彼らには、開拓地に向かう以外の選択肢がなかった。いつの間にか、この北の森は、ゴブリンの王国に様変わりしてしまっていたのだ。


 つまり、大成功といえる。

 敵を駆逐したゴブリンの一族は、大いに栄えた。大量の食料、そして勝ち得た安全は、数多くの子孫を生み出した。

 しかし、彼らには、その次のビジョンがなかった。増えた頭数を養うだけの資源を、森は生み出し続けることができなかった。それでも、まさか口減らしを命じるわけにもいかない。ここに至って、そのゴブリンの王は、増えた数を食わせる方法を考え出さなければならなくなった。


 今の森だけで足りないなら、領地を増やせばいい。

 だが、これ以上の北上は無意味だ。氷雪に覆われた山岳地帯など、何の生産力もない。行くなら南だ。しかし、そこには人間どもがいる……


「じゃあ」

「うむ」

「どの道、そろそろ要塞を襲うつもりだった」

「そこにたまたま、ラズヴィチクが通りかかった。なまじ偵察に慣れておるだけに、見つけなくてもいいものまで見つけてしまった。ゴブリンの群れに捕まり、呪いをかけられた、ということじゃろうて」


 それだけでは済まなかった。

 ゴブリンの王は迷ったに違いない。


 計画を中断することはできない。とにかく、食料獲得は急務だ。

 しかし、人間にはチームワークがある。自分達の襲撃を予期していた場合、手痛い反撃を浴びることになる。だから、悟られる前に奇襲を仕掛けるべきだ。

 今、人間の冒険者を捕まえた。大軍を率いている自分の姿を見られてしまったからだ。だが、こいつが戻らなければ、仲間の冒険者どもが異変に気付く。そうなったら、砦は警戒態勢をとるだろう。これでは落とせない。

 ならば、先に冒険者どもを始末すれば? どちらにせよ、彼らが戻らないことで異変に気付かれる可能性が残る。駄目だ、やはり待てない……


 だから、この真昼間から、砦を攻めることにしたのだ。

 しかし、いずれにせよ、時間の問題だったに違いない。その意味では、むしろ幸運だった面もある。夜間に襲撃を受けていたら、もっと大変なことになっていた。


「そろそろですね」


 視界の大半を、この要塞が埋め尽くす。もう目前だ。


 しかし、どうも奇妙だ。狼煙が消えている。

 本能的に、俺は足を止めた。


「どうした」


 ノーゼンが問う。だが、俺は異変を感じていた。


 遠雷の轟きが耳に届いた。生温かい風が吹き抜けていく。

 近くを通った時には、小さいながらも頼もしい、まるで闇夜の灯火のように見えたのに。今は得体の知れない悪意に満ちている。


 城砦の北門は、分厚い雲を通してのかすかな光に影を落としていた。その青銅製の門には、傷一つない。ここを突破されたわけではなさそうだ。門の上の城壁には、兵士達も立っている。特に何もありませんでした、と言っているかのような風情で。

 だが、門前の土に、妙な形跡がある。掘り返したような……


「む」


 近付く俺達に対して、誰何もない。

 城壁の上の兵士達に動きは見られないままだった。


「……わしが一人で行く。お主は」

「待ってください。これは」


 俺が気付くものを、ノーゼンが気付けないはずもない、か。


 城門の前の乱れ。血の跡を慌てて消そうとしたのだ。

 それにしては、北門自体に傷がついていない? それはそうだ。力で打ち破ったのではないのだろうから。俺自身、やったことがある。瞬間的に暗示をかけて、ただ飛び降りるよう強制すればいい。一人だけ残しておけば、あとは認識を阻害して、周囲に頼もしい仲間がいると錯覚させ、「打って出る」という選択をさせる。

 飛び降りた人間の死体が転がっていないのも、説明は容易だ。というのも、それは彼らの食料になる。むしろ嬉々として回収したのではなかろうか。


 一つだけ、説明できないものが残ってはいる。ゴブリンの青い血が見当たらない。死体がないのは説明できる。彼らは平気で共食いもする。

 しかし、魔術を成功させるには、それなりに距離を詰める必要がある。呪文を詠唱したりなど、時間も手間もかかる。その間、要塞の兵士達が黙って見ていた? まさか。せめて矢の雨を降らせたはずだ。その形跡がない。

 人間側の最初の一撃を、彼らはどうやって防いだ?


「撤退しましょう。ここはもう」

「恐らく生存者がいる。それでもか」

「陥落しているようにしか見えませんが」

「耳を澄ませてみるがいい。奥のほうでまだ戦っておるわ」


 森の中で行使した魔術の効果はとっくに切れている。俺には何も聞こえないが……恐らく、ノーゼンも聞き取ったのではあるまい。

 そういえば、彼には『探知』という神通力があった。ならば、生存者の有無もわかるということか。


 だが、それも時間の問題ではあろう。狼煙が消されている。もう主要な拠点は制圧された後。逃げ道も塞がれている。

 例によって、ゴブリン達は一気にトドメをさそうとしない。勝利が決した以上、犠牲を払ってまで強引に制圧する意味がないからだ。そしてもう一つ。


 今回のゴブリンどもには知性がある。人間を捕虜にすることのメリットを知っているのだ。用途は数多い。単なる保存食として、都合のいい玩具として……彼らは非常に残忍だ……そして、何より人質として。


 人の心を読めるのなら、本気になったアルディニア軍がどれほど強大かも理解できる。こんな小さな裸城一つで、真っ向から受けて立つなど、さすがにできはしない。

 俺がゴブリンの王なら、もっと地道な戦略を選ぶ。華々しく戦って勝つことを目指すのではなく、アルディニア王国にとって、開拓が「割に合わないもの」となるように仕向ける。大軍が派遣されてきたら逃げ隠れして潜伏し、人が戻ってきたら、弱いところから襲撃と誘拐を繰り返す。そうやって徐々に出血を強いる。いわゆるゲリラだ。そのうちに根負けするだろう。

 魔物に砦を奪取された、なんて事件は、きっと王国の関係者の感情を大きく揺さぶるに違いない。衝撃を与えるという意味では、短期的にも、長期的にも、効果的な選択だった。だが、それで捕虜を皆殺しにしたら、怒り狂った国王が、徹底駆除を目指して攻め込んでくる。

 そうではない。少しずつ被害を広げる。心を削る。やる気を奪う。疲れさせ、諦めさせる。それが最善なのだ。


 なんていやらしい奴だろう。

 もっとも、同じ発想に行き着く俺も、ゴブリンと大差ないのかもしれないが。


「だとしても、無謀です。恐らく、百匹以上は」

「二百はいよう。だが、時間が経てば……」

「だっ、だからって」

「ここで取り逃がせば、一年後には千匹じゃ」

「勝てるんですか」


 ゴブリンの強みは、その繁殖力、成長力だ。短期間でいやというほど頭数を増やす。こうしている間にも、砦の中の食料を、彼らは貪り食っている。充分な栄養さえあれば、雌のゴブリン達はすぐに妊娠し、二ヶ月ちょっとで出産する。しかも、授乳の必要もない。ここで彼らを逃がせば、森の奥に引き返して潜伏するうち、更に勢力を増すことになる。

 普通なら、ここまで深刻な状況にはならない。魔術を使う個体はともかく、それ以外のゴブリンでは、オーガの餌にしかならないからだ。ゴブリンは食物連鎖の上位にはいるものの、更なる捕食者に数を減らされ続ける存在でもある。

 しかし今回、その前提がひっくり返った。ブレーキはもう、どこにもない。


 だから討伐するなら、一刻も早く。とはいえ、この規模の事件となると、普通なら正式に国軍に頼るか、せめて上級冒険者に依頼を出すか、どちらかだろう。

 しかし。今は時間が惜しい。解決が遅れれば遅れるほど、必要となるコストが膨れ上がっていくのだ。


「だからって滅茶苦茶です」


 それがわかっていても、俺はあえて止めようとする。そこには、俺自身、巻き込まれたくないという気持ちも混じっている。

 さすがにこれは、見捨てて逃げても仕方があるまい。砦一つ落とした戦力を相手に突撃なんて、蛮勇ですらない。狂気ではないか。

 もちろん、手段を選ばなければ、それなりに戦えるという気もするが……


「絶対に勝てるんですか」

「わからぬ」


 ……くそっ。


 当たり前だ。

 ノーゼンは強い。だが、この戦いは、大将首を獲れなければ無意味となる。そして、別働隊にあれだけの頭数を割いたゴブリンどもが相手だ。どう考えても、中には三桁の敵がひしめいていることだろう。


「ただ、これくらいなら、前にもやったことはある」

「えっ?」

「さりながら、戦いに確かなことはない」


 だから、人質を助けようと思うなら、人手がいるのだ。背中を守れる、腕利きの仲間が。

 俺を見下ろしながら、彼は付け加えた。


「わし一人では……だが、或いは」


 そして、ノーゼンは……


 ついでに。あくまでも人助けのついでにだが、俺を見極めようとしている。俺が彼の正体を知ろうとしているのと同じように。

 考えてみれば、これも当然のこと。十歳そこらの子供の太刀筋ではない。動じることなく狼を片付け、オーガのいる森に踏み込んだ。さっき、数十匹のゴブリンの中に身を躍らせるところを見られたのが、決定的だった。フォレスティアの内乱についても、既に知っているのかもしれない。彼の中で、俺はもう、要注意人物なのだ。


 それだけではない。

 俺の資質についても、半信半疑なのだろう。なぜなら、俺は自分を狙うドランカード達を助けるために戦ったからだ。それを彼は「面白い」と言った。「気高い」「寛大だ」とは言っていない。

 ファルスの善意は本物か? それさえも試そうと思っているに違いない。


 頭の中で忙しく計算する。

 確かに、俺が行けば勝率は跳ね上がる。

 なぜなら、ピアシング・ハンドのおかげで、ターゲットを見間違えずに済むからだ。それにノーゼンの能力を足し算すれば。


 不本意だ。

 けれども……ノーゼンがいなければ、俺はどうしただろう? やっぱり突入していたかもしれない。やらないかもしれないが、やるかもしれない。


「あと少しだけ待ってください……いや、時間稼ぎを」

「承知した」


 覚えていろ。俺がそう言うのをわかっていて。アイクに告げ口してやる。ノーゼンに付き合わされました、とか。どれだけ効果があるか、わからないが。

 俺は手早く詠唱を開始する。『怪力』『俊敏』『鋭敏感覚』……もう、隠しても仕方がない。だが、せめて火魔術はなるべく秘密にしておく。ピアシング・ハンドも隠しておかなければ。


「門番! 仲間の冒険者が襲撃された! 救援を頼みたい!」


 ノーゼンが声を張り上げる。

 だが、城壁の上に立つ兵士達は、棒立ちのままだった。何しにきたのか、お前達は何者なのか……本来、あってしかるべき問いかけがない。たぶん、認識を阻害されて、機械的に立たされているだけなのだろう。


「聞こえないのか! 兵士を派遣して欲しい!」


 俺が呪文を静かに唱えている間、彼はそう繰り返す。ややあって、兵士の一人が、身振りで門を指差す。入れ、というのだ。

 不自然極まりないが、思った通りに喋らせるのは難しいのだろう。『強制使役』で支配すれば細かな制御も可能だが、ただの『暗示』程度では。だが、これで術者の力量を予想できる。上級者……だが人外の領域には達していない。


「そろそろいいか」

「……無事、帰してくださいよ?」

「無論だとも。アイクと約束したからな」


 無表情だったノーゼンが、ようやく皮肉めいた笑みを浮かべた。

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