悪意とは、油断なり

 限りなく黒に近い灰色。今朝方、頭上を覆っていた雲は、ほとんど散ってしまっていた。晴れ渡った空は、昼間の熱を急速に吸い取っていく。

 ほとんど風がないのが救いだ。まだ夏の名残が居座る王都の中と違って、ここ北東部の開拓地は、既に秋の気配が色濃くなってきている。


 離れた場所に、四角いシルエットがぼんやりと浮かぶ。あれが二号要塞と呼ばれている建築物だ。遮るもののない平原の真ん中にあって、睨みを利かせるための拠点。但し、未完成らしい。それなりの数の兵士が駐屯していて、夜間も見張りが立っている。

 だが、俺達はそこから離れた場所に野営している。理屈で考えるなら、むしろあの城砦の中とか、入れてもらえないにせよ、すぐ横にキャンプを張ればいいと思うのだが。国軍も、俺達冒険者も、共通の敵は魔物のはずだからだ。


 小さな焚き火を囲んで、簡素なテントが三つ。地面の湿気と冷気を防ぐ分厚い毛布、あとは天井と三方の壁の役割を果たす布があるだけ。焚き火の側には、何もない。

 メンバーは合計十四人だが、俺とノーゼンを除けば十二人。そして彼らは四交代制で休みをとる。だから、今、起きているのは三人だけだ。残りはテントの中で横になっている。


 味気ない夕食だった。全員、調理などするつもりはなく、バックパックから干し肉を取り出して齧っていた。あとはせいぜい、焚き火で温めた湯を飲む程度。ほとんど会話もなかった。そして、誰も俺達には目もくれなかった。テントの設営でも、徹底的に無視された。

 俺達に食べるものがあるか、寝る場所があるかなど、どうでもいいのだ。


 俺とノーゼンは、黙って脇の石の上に腰掛けた。気まずい空気が流れる中、俺は背負い袋の中の干し肉を取り出して、ノーゼンに勧めた。彼は最初、遠慮する素振りをみせたが、すぐ受け取って、一口だけ食べた。

 彼もまた、無口だった。そのまま、じっと静かに腰を据えて、何もない虚空を眺めている。


「ノーゼンさん」


 だが、このままでは。


「先にお休みになられますか」

「わしなら気にせずともよい。お主は眠っておけ」

「今日は一日歩き詰めでしたし、少しは休まれたほうが」

「ならば、先にお主が休め。夜明け前に少し眠れば、わしは足りる」


 彼の神通力は『断食』だけではない。『疲労回復』なるものも含まれている。さすがに不眠不休で動き続けるなどできまいが、要するにノーゼンは、食事も睡眠も、常人よりずっと少しで済ませることができる。

 今の状況からすれば、理想的な能力だ。わざわざリーデルが、砦から離れた場所に野営した理由。俺とノーゼンが眠りこけたらどうなるかなんて、考えるまでもない。


 寝てもいいのだろうか。あれこれ先を考える。


 ノーゼン一人が見張りに立っているのを侮って、他の連中が襲いかかってくる可能性は? 低い気がする。今朝方、狼をなんなく仕留めた動きを、みんな見ている。あれくらいで実力を測れたとは思えないが、完全な素人でもなさそうだ、とは気付いているだろう。

 それに、怖いのは反撃されることではない。逃げられることだ。ファルスを殺害するのに成功しても、それをノーゼンに目撃され、しかも逃亡されたら。王都に先に逃げ込まれ、やったことをあれこれ報告されたら、リーデル達は犯罪者だ。


 では、俺にとってノーゼンそのものは安全だろうか。

 サモザッシュに味方することは考えにくい。そんな可能性があるなら、アイクがわざわざ俺につけてくれたりなんかしない。

 しかし、もっと重大な何かはないか? ノーゼンの能力は、もはや常人の領域にない。この技量をもってすれば、どこにでも仕官できるし、富も名誉も思うがままだ。なのに彼は、貧乏鉱夫の立場に留まっている。これはつまり、彼に隠れた目的があることを意味する。


 そして、彼は龍神に祝福されている。

 神の恩寵を受けた者……もしかして『使徒』なのだろうか?


 ならば、彼は龍神のために動いている。どの龍神だろうか? やはり、冬にリント平原に出現するというヘミュービか。それとも、正義の女神と対立したギウナ? 東の果てにいるというモゥハではないだろう。今は行方さえ知れないゴアーナやトゥー・ボーというのも考えにくい。


 だが、選択肢などない。

 休まない理由がないのだ。一日動き詰めだったのは、俺も同じ。ノーゼンが年寄りなら、俺は子供なのだ。眠らないほうがおかしい。


「では、あとで必ず起こしてください。ノーゼンさんも、休まれませんと」

「そうだな。では、そうしよう」


 俺は毛布をかぶって、地面に横たわった。


 翌朝、空は晴れ渡っていた。風はほとんどない。ただ、上空を見ると、ポツリポツリと浮いた雲が、目に見えて流されている。もしかすると、天候が急変するかもしれない。

 丈の低い草がまばらに生える。足元には淡い黄土色の乾いた大地が広がるばかり。離れた場所に聳える二号要塞が、日差しを浴びて静かに佇んでいるのが見える。


「例によって、報告は北だ」


 開拓の計画としては、ここから東方向に農地を増やす形となっている。だが、北方にも山がちな土地が広がっており、西側は峻険な山脈となっている。特に北側から、時折魔物の群れが現れて、この平野を脅かす。冒険者の仕事は、それを間引くことだ。こちらから攻撃を仕掛けて、彼らを更なる山奥に追いやり、人の生息域を広げる。

 少し歩いただけで、針葉樹の森に行き当たる。森と言っても、そこまで木々が密生しているのでもない。南側に向かって斜面になっており、目の前はちょっとした谷になっている。そこが獣道のように踏み荒らされているのだ。


 俺はじっと地面を見つめる。

 大きな足跡がある。確かにこれは、オーガのものに違いない。日陰の土は乾いておらず、簡単に凹む。


「この近辺にオーガがいるという報告を受けている」

「最近、やけに多いな」


 リーデルは淡々と説明する。

 それに誰かが、溜息混じりの独り言を漏らした。


「周囲を探索する必要がある……今から呼ばれた者は、それぞれ周辺の調査に取り組め」


 この言い方で、ピンときた。


「ラズヴィチク、お前は東だ。それと、ノーゼンといったな。お前は西。それぞれ森の縁に沿って歩け。何か見つけたら報告しろ。それとファルス」


 そうら見たことか。あからさま過ぎるぞ。


「お前は北だ」

「待て」


 ノーゼンが遮った。


「そちらにはわしが行く」

「お前は西だ。聞こえなかったのか?」


 途端に下卑た笑いが響き渡る。老いぼれ、耳が遠くなったのか、と。


「この足跡が見えんのか」

「見えているとも。だが、ちょうど今、北に奴らがいるという証拠にはならん」

「斥候の仕事は、経験豊富な者にやらせたほうがよかろう」

「それを決めるのは俺だ。お前じゃない」

「何かあった時、それで責任を取れるのか」

「よしてくれ。冒険者なら、誰でも自己責任だ」


 こんな押し問答に何の意味があるのか。ノーゼンが何と言おうと、リーデルは取り合わない。


「では、一人でオーガどもと戦えと」

「さすがにそこまでは言わん。俺達はここに残る。もし見つけたら、ここまで引きつけてくればいい」


 とはいえ、リーデルも正論以上のことは言えない。だが、もし俺が本当にオーガどもをここまで連れてきたら、彼らはその分厚い盾で円陣を作り、俺を締め出すだろう。ファルスがオーガどもに撲殺されるのを見計らって反撃を開始する。そういう筋書きに違いない。


「どなたかつけていただけるとありがたいのですが」


 俺は口を挟んだ。


「駄目だ。お前は体が小さく、魔物に見つかりにくいだろうと考えて、わざわざ選んだ。頭数を増やしたら、意味がなくなる」


 リーデルはあっさりと俺の意見を拒否した。

 もう少し演技しなくては。


 実際のところ、オーガなど、飽きるほど狩ってきている。ティンティナブリアからアルディニアに通じるあの山道に、どれだけいたことか。油断さえしなければ、あんなもの、いくらでも倒せる。ましてや、今の俺には隠密行動の能力も備わっているのだ。先手を取れさえすれば、なんてことはない。


 それより、この不毛なキャンプをさっさと終わらせるほうが重要だ。

 どうやって決着をつけようか。このままオーガを見つけて殺して、その首をゴロン……できなくはないが、却下だ。


 なぜならノーゼンがいるからだ。

 彼が俺のことをどう見ているかはわからない。まったく戦えもしないか弱い少年、という認識はないだろう。そもそものきっかけ、つまり酔っ払ったドランカードを倒したことを知っているはずだし、それに目の前でも狼くらいは軽々片付けてみせたのだから。

 だが、オーガを数匹、一人であっさり討伐したとなると、さすがに「ちょっと腕のたつ少年」では済まなくなる。わざわざチームを組んでここまでやってきたリーデル達全員と互角か、それ以上の強さ。バケモノだ。

 これをやらかせば、なるほど、サモザッシュの嫌がらせも止まるだろうが、ノーゼンが俺をどう扱うかわからない。

 だから、弱気を演じる。


「もし見つけられたら、どうすればいいですか」

「知るか。常識で考えろ。一人前の冒険者なら、それくらい自前でこなす」

「それはそうですが、やり方をしくじれば、皆さんに迷惑が」

「なら、もう冒険者はやめろ。送り返してやる」

「そんな権限、あなたにあるんですか」

「支部長に報告するぞ」

「それは……」

「よし、撤収だ。さっさと冒険者証を寄越せ」


 もしかすると、これが筋書きなのかもしれない。死傷者を出しては、サモザッシュの立場にも傷がつくのだ。

 或いは、これがリーデルの良心という可能性もないか? つまり、殺せという命令を実行したくないから。事実が露見すればただではすまないので、むしろ保身かもしれないが。

 彼は腕を伸ばし、俺を捕まえて、その首に手を伸ばした。


「ま、待ってください」


 もういいだろう。演技は充分だ。


「や、やります」

「なに?」

「一人で行きます」

「ふん」


 リーデルは手を離した。

 何を考えているか読めない無表情のままで。


「ジジィ……ノーゼンと言ったな? 本人がやると言ったぞ」


 ノーゼンは俺を見下ろし、そして溜息をついた。


「そうか」

「わかったなら、さっさと行け」


 ならば……

 無難にオーガを見つけたら、さっさと逃げ帰ることにしよう。それくらい、難しくもない。


 俺は背筋を伸ばして、森の中へと分け入った。


 風はない。まばらに生える木々の間に、木漏れ日が差す。暑くもなく、寒くもない。頭上を見上げると、思った通り雲が増えてきているが、まだまだ明るい。

 ただ、足元からの湿気だけは強く感じた。もっとも、それも不快ではない。胸がスッとする草木の香りだ。

 足場には気をつける。ところどころにぬかるみが残っており、そこに坊主頭のような苔がびっしり生えている。大きな水音をたてたくはないし、足を滑らせて転ぶのもごめんだ。

 下生えの草はどれもいじけていた。身を縮めたまま、ろくに伸びてもいない。だが、これだけ日差しがあるのに?


 俺は既に、足音を消していた。我流とはいえ、やはり奪った能力の恩恵は小さくない。そして、動きのない空気の中に、俺は違和感を覚えていた。


 静か過ぎる。

 鳥の鳴き声すら聞こえない。こんなのはおかしい。まるで動物が根こそぎ狩られたような。だが、そんなこと、いったい誰がする?

 しかし、この森は貧しい。もっと豊富なはずの下生えが、どれもこれも小さなまま。というより、大きなものはもう、食べられてしまったとか?


 こんな状況では、身を隠そうにも、すぐ見つかってしまう。意識を切り替えた。隠れることより、見つけることの方が重要だ。不意討ちだけは避けねばならない。

 俺は立ち止まり、周囲を見回してから、詠唱した。『鋭敏感覚』の呪文だ。


 すぐに異臭に気付いた。ここから少し行った先。腐りかけている。それと……かすかな呼吸音? 今度こそ、足音を消して近付いていく。

 谷間の斜面は一度、皿の上みたいな、ある程度開けた空間に繋がっていた。その奥に、またちょっとした谷間がある。勾配が急になり、その脇に影が見える。洞穴だ。

 俺は腰の剣に手をかけた。


「ブアアアッ!」


 間髪いれず、剣を引き抜く。バシャッ、と弾ける音がして、血飛沫があがる。半身になってそれを避けると、そいつは胸を断ち割られて、俺のすぐ脇に倒れ伏した。

 ああ、思わずやってしまった。見つけたら逃げるつもりだったのに。ほぼ条件反射だ。たった一撃で終わりとは。


 毛むくじゃらの体。汚い土色の皮膚。オーガだ。但し小さい。身長が二メートルにも達していない。これは子供の個体だ。しかもやせ細っている。筋肉も足りていない。


 はて? では、この親はどこに?

 周囲を見回すが、静けさに変わりはない。それでおずおずと洞窟の中を覗き見る。腐臭が強くなった。


 暗がりに目が慣れる。俺はそっと立ち入った。

 中にあったのは、骨だった。人間のものではない。ずっと大きな……つまり、大人のオーガだ。肉はほとんどついていないが、一部、臓物らしきものの残骸が残っている。もっとも、それも腐ってしまっている。

 これで理解が追いついた。さっきの未成熟なオーガは、この成体の子供だった。だが、何らかの理由により、親が死んだ。食料がなく、身を守る術もなく、ただここに潜んでいた。恐らく、親の遺骸を齧りながら。それも残り少なく、やがては完全に腐ってしまい、さすがに食べられなくなった。

 そこに小さな人間が一人きりで通りかかった。いちかばちかで襲いかかることにしたのだろう。だが……


 それでもまだ、納得しがたいものがある。


 まず、この大人のオーガどもを死なせたのは、なんだ? オーガにはある程度の社会性があり、群れをなす性質がある。そこまで大規模ではないが、数匹、多い時で二十匹弱くらいだが。もちろん、これだけの体格の生き物が、いつもいつも密集して暮らすのは、生息環境の豊かさからいっても無理なので、いつもは家族単位で分かれてはいる。

 だが、要するに、助け合う動物なのだ。もし群れの誰かが殺されれば、その子供は他の誰かに引き取られたりもするらしい。なのにこの個体は、餓死寸前にまで追い詰められながら、誰の助けも得られなかった。

 では、オーガの死体は、これだけではない? 何者かが彼らを殺して回っている? 何のために?


 もう一つ。殺したのはオーガだけか?

 この森は妙に貧しい。だからこそ、さっきの子供のオーガも、親の遺骸くらいしか食料がなかったのだ。ということは、何者かがこの森の資源を浪費している?


 ……考える必要はない、か。

 偵察の仕事としては充分だ。戻ってリーデル達に報告すればいい。とっくに異常な状況になっているのだから。


 だが、森の出口付近で耳にしたのは、男達の怒号だった。いや、悲鳴というべきか。

 俺は足を速めようとして、立ち止まった。足音を消して、木陰に身を潜めるようにして、南へと向かう。


 物陰から様子を窺うと、暗くなり始めた曇り空の下、混乱と惨劇とが繰り広げられていた。


「ちっくしょおぉおっ!」

「焦るな! 一匹ずつやれ!」

「うるっせぇ! このっ」


 各々が大きな盾を地面に突き立て、腰の短い剣を抜いている。大剣は背負ったままか、或いは地面に転がしている。しっかり円陣を組んで、彼らは立ち止まって戦っている。

 だが、状況がよくない。円陣の真ん中には、傷ついた男が三人ほど、寝転んでいる。中でも重傷だったのは、血塗れの腹部を押さえて呻くリーデルだった。防具の薄い腹部に深い刺し傷があるらしく、圧迫しても止血できない。服の上から赤い染みが滲んできている。

 仲間に守られている彼らはまだ、幸運だったと言える。円陣の外側には、二人分の遺体が転がっている。その片方は、あのラズヴィチク……ススキみたいな髪型の斥候だ。胴体がバッサリ割れて、首が変な方向に捩れた状態で突っ伏している。

 あのドランカードは、立って戦っている側だった。下半身を中心に、小さなかすり傷が目立つ。しかも傷口は紫色に染まっていた。


 彼らを襲撃していたのは、オーガではなかった。


 樹木の葉っぱのような爽やかな緑ではなく、汚れた苔のような色合いの肌。俺と違いのない背の低さ。ゴブリンだ。

 しかし、数が多い。だいたい四十匹ほど。

 しかも、問題なのは、頭数だけではなかった。なんと、人間の武器を使っている。それも、かなり組織的に。


 円陣のすぐ外側には、槍を構えたゴブリンが立っている。彼らは隙間を見つけて突きを入れる。本気ではない。だが、これが効果的だった。

 冒険者達の装備は、大型の魔物に対応している。重くて大きな一撃に耐えるために、こちらも重量のある立派な盾を使う。だから、受け方を変える場合には、盾を傾けて角度を変える。無駄な力を使って消耗しないようにだ。

 しかし、ゴブリンどもはそれがわかっている。だから、この攻撃はそもそも命中しなくてもいい。わざと変なところをつつく。冒険者達に盾を持ち上げさせ、動きを強制し、消耗させることが目的だ。


 同じような狙いで、その外側を取り囲むゴブリンが、石を投げつける。さほどの威力はないが、目元を狙われるとやりづらい。何しろ、彼らが投げる石は紫色だ。つまり……毒に浸したものだ。

 そういう仲間達の間を、人間の剣や槍を持ったゴブリンが行き交う。集中力の切れたところを狙って斬り込むためだ。更に、一匹だけだが、クロスボウを構えているのもいる。武器の射程では圧倒的に有利なのもあって、ゴブリンどもには余裕がある。


 だが、解せない。

 普通なら、多少装備が合わなくても、彼ら程度の冒険者の集団なら、ここまで苦戦するはずもなかったのだ。

 気の緩みなら、あったかもしれない。俺という、普段の仕事以外のターゲットがいた。危険が付き纏う開拓地で、余計なことをしよう、できると思っていた。だが、そういう「ノイズ」こそが、彼らの注意を逸らし、普段なら保っていたはずの警戒心を損なった。その意味では、彼らこそ自業自得で、自己責任でもある。

 だとしても、だ。


 ゴブリンは決して弱い魔物ではない。一匹ずつならどうということはないが、狡猾さもあり、毒物や罠の扱いも知っている。その上、しばしば魔術に熟達した個体も出現する。だから、こういう状況になることもある。

 しかし、この頭数はどうだろう? 前にガッシュ達とともにタンパット村付近で戦った集団は、三十匹近くもいた大集団だった。それも非戦闘員を含めてのことだ。それがここでは、四十匹のほぼすべてが、低い水準ながらも、すべて戦闘力を有している。

 しかも、この組織的な動きはどうだろう? まるで練習でもしたことがあるかのような……


 ……こいつらだ。

 オーガを狩ったのも、このゴブリンどもに違いない。森の動植物を食い尽くしたのも。


 だがそうなると、リーダーはどこにいる? 急いでそれぞれの能力を盗み見るも、魔術を使えるような個体は発見できなかった。

 もともといないのか、それとも「ここにいないだけ」なのか。


 それより、どうしよう。

 彼らは明らかに俺の命を狙っていた。だから救う理由などない。第一、常識的に考えれば圧倒的劣勢だ。彼らを見捨てても、罪には問われまい。四十匹ものゴブリンには勝てないので逃げました。文句のつけようなどあるまい。

 だが俺なら、この状況をひっくり返せる。外から斬りかかって一気に数を減らすことができるのだ。乱戦に持ち込めば、毒塗りの石礫も脅威にならない。火魔術を用いれば、更に簡単にやれる。


 この逡巡が俺の欠点だ。即断即決を得意としていない。自分で自分に歯痒い思いをさせる。


 善悪ではなく、彼らを助けることに利益はあるか? あるかもしれない。もう俺の命を狙わなくなるかもしれないし、味方になってくれるかもしれない。だが、そういう楽観的な思考をするのは、そう「思いたい」だけではないか。

 いや、ここで彼らを捨てて逃げてもいいが、多分、これだけの数がいながら、このゴブリンどもは「本隊」ではない。なぜなら、魔術を使う個体がいないからだ。なら、単独行動をとって逃げ出したはいいが、その後でもっと多くの敵に出会ったら? 一人では助からないかもしれない。


 ノーゼンはどこにいる? まだ偵察しているのか? この異常事態を見捨てて自分だけ逃げたら、彼はどうなる? 彼は俺を守るために来てくれたのに、俺は彼の安全を確保しないのか?

 もちろん、あれだけの能力があれば、この程度のゴブリンども相手に不覚を取ることはない。ないが、それを俺が知っているはずがない。結果として残るのは、俺がノーゼンを捨てていったという事実だけ。俺に対して何の義理もなく、金を受け取ったわけでもない、善意の男を置いて逃げたことになるのだ。


 いや。

 そんな言い訳はやめるべきだ。


 俺は余計なものを切り捨てて、ここまでやってきた。不老不死を手にするためなら、この世のすべてをなげうってみせる。

 こいつらは俺の味方でもなんでもない。手間が省けた。それだけじゃないか。


 だが……

 俺は、あのシーラの『使徒』ではないか。


 無条件の愛と許しを与える女神は、血に塗れた俺の罪をあえて問わず、楽園へと招いてくれた。なのに、俺は勝手に出て行ったのだ。

 その上で、自分の生き死にがかかっているわけでもないのに、苦しむ人を見捨てていくなんて。いったいどこまで堕ちれば気が済むんだ?


 どれもこれも言い訳はできる。できるはずだ。はずだが……


「……くそっ」


 考えても仕方がない。俺はこういう人間なのだ。

 とりあえず『怪力』と『俊敏』の呪文を詠唱し、戦いに備える。その上で、最大の脅威を見定める。やはり、あのクロスボウだ。白兵戦でなら、俺が負ける可能性は限りなく小さい。だが、あれを取り逃がすと、横合いから射撃される危険がある。

 そういう場合は、こちらから先手を取ることだ。


 実戦で用いるのは初めてだ。『足痺れ』の呪文を唱える。常人には不可視の矢が、俺の掌の上に浮かび上がる。俺の目には、半透明の黄緑色の鏃に見える。それがくるくるとせわしなく回転して、発射の瞬間を待っている。

 まだだ。もう少し……俺が一気に間合いを詰められる、その範囲に来るまで待つ。


 今だ。


 カクン、と膝が揺れる。

 クロスボウを構え、ドランカードを牽制した瞬間、そいつは尻餅をついた。

 次の瞬間、首が宙を舞う。


「ギィッ!?」


 遅れて、青い体液が撒き散らされる。

 周囲のゴブリンが警戒の声をあげるが、間は空けない。防御も何も考えず、一呼吸で二度、三度と、剣を振り抜く。その一振りで一匹ずつ。ちょうどクロスボウの発射に合わせて、投石を引き受けていたゴブリン達が密集していた。棍棒などの武器を手にせず、石と毒の壷だけ持ち歩いていたので、俺の剣を受ける手段がない。

 ガシャン、と足元に壷が落ち、紫色の液体が地面を汚す。


「ギィエェッ」


 前方で槍を構えていたゴブリンの一匹が、指示を飛ばすような声をあげる。

 それで何匹かが駆け寄ってきて、俺に槍を向けようとする。間合いを空けられてはまずい。もっと接近しなくては。


「ギ!?」


 突破口なら、どこにでもある。『行動阻害』の激痛にのけぞった一匹が、肩口から斬りつけられて仰け反り、そのまま突っ伏す。こうなれば、かき回せるだけかき回してやる。

 だが、これでゴブリン達も本気になった。鈍重な冒険者達より、俺を先に始末すべきだと。彼らの視線が集中する……


 ボクッ、と打撃音が響いた。

 はっとして顔をあげる。乱戦の中、森の縁に沿って駆けていた俺は、反対側に現れたノーゼンに、はじめて気付いた。


 彼は相変わらず無表情だった。

 当然のように棒を振るう。まるでスイカでも割るような気軽さで。それで確実にゴブリンの頭が割れる。槍を向ければ、その槍が折れる。遮るものなどないかのように、彼は淡々と歩み、あっさりと敵を打ち殺した。


「ギャ、ギーッ!」


 隅のほうにいた一匹が声をあげると、一斉に逃走に移った。俺は背後から飛びかかって、なおも三匹ほどの首を飛ばしたが、それで剣を収めた。ノーゼンも戦いを止めて、リーデルの元に駆け寄っていた。


「く、こ、んな……ばか、な……」


 リーデルは、青白い顔のまま、怒りと屈辱の吐息を漏らすばかりだ。


「薬草じゃ。絞り汁を布に吸わせて傷口を押さえよ」


 無表情なまま、ノーゼンは懐から取り出した濃緑色の草を差し出した。


「は、早く都に」

「無理じゃな。遠くへは動かせんじゃろう」

「そんな!」


 冒険者の一人は、この襲撃に怯えきっていた。もう、早く帰りたいのだ。だが、ノーゼンは釘を刺すように言った。


「自分だけ逃げ帰ろうとは思わんほうがいい。恐らく、お主一人では抜けられん」

「何があったんですか」


 俺は口を挟んだ。

 すると、ドランカードが溜息混じりに答えた。


「ラズヴィチクが狂ったんだ」

「えっ?」

「その剣で、リーデルを刺した」


 なぜ?

 もう当の本人は死体になっている。理由を問い質すことはできない。

 だが、それがこの乱戦のきっかけになったのは、間違いない。数を恃みにしたゴブリンどもが、混乱する彼らを一気に取り囲んだ。


「その結果が」


 ノーゼンは、遥か向こうを指差した。


「あれというわけじゃな」


 もはや不吉な雲に覆われた空。

 そこに一筋の煙が立ち上っていた。あの二号要塞から。

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