鬼退治のチームに参加
突然の打撃音に目が覚める。金属がぶつかり、こすれあって、甲高い耳障りな音になる。
跳ね起きて、すぐに「ああ」となる。状況に認識が追いついたのだ。
夜が明けて間もないこの時間。東の空から昇ってきた太陽が、真っ白な神の壁を照らしている。そんな中、一人の男のシルエットが、忙しく揺れ動いている。
マハブだ。この男、安眠を求める俺にとっては、まさしく公害そのものだ。夜明けと同時に起き出して、いきなりツルハシを振るう。誰とも口をきかず、ただただ壁に挑み続けている。
もっとも、ここが聖地である以上、彼の態度はこの上なく好ましいものである。ただ寝る場所を求めているだけの俺の方が、道を外れているのだ。
ここを寝床と定めて二日。快適さの欠片もない環境に、しかし俺は慣れつつあった。宿無しの身の上は、悲惨といえる。だが、もっと苦しい状況など、今までいくらでもあった。
気がかりなのは、荷物のことだ。金貨が一千枚近くもある。これをそのまま、人目につく場所に置いておくわけにはいかなかった。なので、アイクに預かって貰うしかなかった。これまでの経緯を見る限り、彼は信用できそうな人物だが、最悪、金は取られても仕方がない。バクシアの種や女神のゴブレットなど、絶対になくしてはいけないものだけは、ポーチに入れて、常に身につけている。
さて、起きよう。
そう思って身を起こした。仮にも修行者なのだし、俺もツルハシを振るわなくては。
全力で壁に一撃を浴びせる。当たり前だが、ビクともしない。
本当に、この神の壁というやつは、何でできているのだろうか。モーン・ナーが自分で拵えたのか? というか、そもそもこいつは壁なのか? 可能なら、全部掘り起こして全貌を明らかにしたいものなのだが、まずそれは不可能だろう。仮に俺がユミレノストやミール二世の肉体を奪取しても、だ。権力者の一声くらいでは、この壁への崇拝は変わらない。
もうしばらく待てば、すぐ近くのガレットの屋台が開店する。そうしたら朝食にしよう。
それまでは、ここで鍛錬するつもりで……
「お、おい、ファルス。ファルス!」
不意に後ろから呼び声がかかった。手を止め、振り返る。
「お前、どうしたんだよ」
立っていたのは、ギルだった。なお、後ろには彼の子分も二人。
いつも活発で不敵な笑みを絶やさない彼が、今日は真顔で、どことなく不安げな表情を浮かべている。
「どう、って……見ての通り、修行中です。元気ですよ」
「そういうことじゃなくって、お前、昨日、うちに来なかったろ」
「そういえば、そうですね」
「なんでだよ」
サドカット師の歴史の授業をすっぽかしてしまった。忘れていたわけではない。こうしてはっきり嫌がらせを受けた以上、ブッター家に出入りすると迷惑がかかるかもしれなかった。
返事をしないでいると、ギルの顔色がみるみるうちに変わった。
「やっぱり……! あの野郎だな? アイデルミのクソッタレが! てめぇんとこの不始末の責任も取らねぇで、何やってくれてんだよ!」
「落ち着いてください」
「お前が言う台詞じゃねぇだろ、そりゃあ! ったく……!」
俺の中では、考えがまとまりつつある。
嫌がらせがこの程度で済む限りにおいては、俺も報復はしない。だが、それでは済まないだろう。
「お、俺がオヤジに掛け合ってくるから、心配するな! なんならうちで引き取ってもいい!」
「それはご迷惑になりますから」
「この街の恥だっつってんだよ!」
他人がこうして怒り狂っていると、我が事ながら、むしろ冷静になれるというものだ。
「心配しなくても、もうすぐ解決しますから」
「あん? なんだ、アテでもあるのか?」
「はい」
あまり長話になるなら、壁の前にいるのはまずい。ここに挑みたい人が他にもいる。
そっとその場を離れた。
「あと二日ほどで、冒険者ギルドの仕事があるもので」
「ん? ギルド? お前、冒険者だったのか」
「一応、ガーネットです。で、そこで頑張れば、対応も変わってくるでしょう」
サモザッシュの息のかかった連中と一緒に、鬼退治だ。
狩られるのはオーガでなく、俺かもしれない。
だが、これは逆に好機だ。
俺の命を奪おうとする連中が相手なら、手加減はいらない。人目につかない、魔物の出没する地域であれば、やりたい放題だ。全員血祭りにあげてやろう。いや、一部は生かしておいて、情報を抜き取れるだけ取っておこうか。
それで恨まれる? 証拠なんかない。俺を消したければ、街中では無理だ。何度でも開拓地に出向いてやろう。その都度、邪魔者を全員死体に変えてやる。俺に敵対する人間がいなくなるまで、何度でも。
もっとも、実際にはそんなに殺戮を繰り返すわけにもいかない。すぐ不審に思われ、調べられてしまう。だから、そうなる前に、いっそこちらから……
「だといいけどな……うまくいかなかったら、俺に言えよ?」
「ええ」
彼がなんと言おうと、パダールの意見は変わるまい。気持ちだけ受け取っておく。
俺がギルと言葉を交わしていると、その向こうにある作業小屋から、アイクが出てきた。
「ファルス? ……ああ、お客様ね」
そのオネエ口調に、ギルは一瞬、肩をビクッと震わせた。そして、恐る恐る振り返る。
「お久しぶり? ねぇ、ギル君」
「ひっ、ひええ、お、おう」
「あら」
体格の大きいアイクは、一歩一歩が幅広い。すぐ俺達のところまでやってくると、ポンとギルの肩に手を置いた。
「ご挨拶の仕方、もう忘れちゃったのかしら?」
「あ、あひゅっ……ほ、本日はお日柄もよくっ」
サドカットの師がユミレノストで、アイクはその彼の「手駒」なのであろうから、そしてサドカットもまた、アイクと面識があるはずだから……でなければ、サドカットに彼への連絡を命じるはずがない……当然、ギルもアイクと顔見知り、か。
「変わった挨拶ね? ま、いいわ。他にも、ワタシが教えたこと、いろいろ忘れてるんじゃない?」
「そ、そんなこと、ねぇ、ない、です、よ」
「例えば……女の子の体を嘗め回すように眺めるのは、おやめなさいって言わなかったかしら?」
「お、覚えてるっ、ますっ、は、はい」
アレか。
先日、スッタマーナ家の父娘が彼の家を訪ねた時のことだ。アルティは何も言わなかったが、娘に向けられた視線に気付いていたのか。或いは、サフィ自身が感じ取っていたのか。どちらにせよ、それはアイクの耳まで届いていた。
「ワタシが知らないとでも思ってるの? カワイイ子ね」
「ひっ、ひぃいい」
「ふふふ、まぁ、いいわ」
彼が手を離すと、ギルはようやく一息ついた。
想像ならつく。アイクは安易に暴力を振るうような男ではないし、ギルもまた、直接的な痛みに怯えるような性質ではない。殴るぞ、とすごまれたら、やれよ、と言い返すような少年だ。
しかし、どうも根っからのスケベ少年であろう彼のこと。アイクが色目を使ってきたら、どう感じるか? もちろん、本気ではないのだろうが。
「ファルス、なんとか了承をもらったわ」
「済みません、何から何まで」
「お礼はワタシにじゃなくて、彼にお願いね。じゃ、改めて紹介するわ」
そういうと、アイクは振り向いた。そして、小屋に向かって叫んだ。
「ノーゼン!」
扉の影から、この辺りの成人男性としては、やや小柄な姿が現れた。
この前、遠くから見た通りだ。髪の毛はすっかり真っ白になっている。それが一センチにも満たない長さに切り揃えられている。筋肉は、盛り上がっているというより、引き締まっているというべきか。薄汚れたタンクトップに、もっと薄汚れたダブダブのズボン。
表情に乏しく、その顔立ちには、長年風雪にさらされてきた岩のような、静かな威厳が滲んでいた。
そして、やはり見間違いなんかではなかった。
肉体年齢はたった五十一歳。だが、魂の年齢らしきものは、百四十三歳。
無数の神通力、達人の域さえ超えた、もはや人外ともいえるほどの領域に達した格闘術。そして何より、龍神の祝福。
よりによって、この男とは。
これでは、目論見が……
確かに俺は、彼について詳しく知りたいと思っていた。だが、彼には俺のことを知られたくないのだ。もし派手に暴れて、それがノーゼンの目にとまったら。面倒この上ない。
何より、女神教の神官戦士達のように、龍神の関係者もまた、シーラを狙っているとしたら? 彼女に迷惑をかけたくはない。
「ファルス、この前遠くから見たわよね。彼はノーゼン。ノーゼン・ウッシナーよ。私と同じ余所者で、鍛冶師だけど、腕は確かよ」
気持ちを切り替える。
落ち着け。普通だったら、こういう場合、どんな反応をする?
「は、はじめまして。ファルス・リンガと申します。このたびは大変お世話になります」
慌てて頭を下げる。
俺はノーゼンに守ってもらう立場なのだ。であれば、こうして礼を尽くすのが自然というもの。
それに、これはこれで幸運なのではないか。
前から、彼の異様な長寿については、調べなければいけないと思っていた。それが向こうからこちらに近付いてきたのだ。この機会を利用しない手はない。
「……うむ」
ノーゼンは、無口だった。
彼はじっと俺を見た。なんだ? 何を考えている?
「あ、おい、アイク」
突っ立っていたギルが口を挟んだ。
「なにかしら」
「何の話をしてるんだ?」
「ああ」
少し考えるような素振りをみせてから、アイクはノーゼンに振り返った。
「こちら、ブッター家のギル君よ」
すると頷いたノーゼンが、アイクに尋ねた。
「では、この子も」
「いいえ、違うわ。ファルスだけよ」
「そうか」
それからアイクは、ギルに短く言った。
「ファルスが二日後に北東部開拓地に行くから、付き添いをお願いしたの」
「は? じゃ、さっき言ってたギルドの仕事って、まさか……オーガの討伐か?」
「そうなります」
少し驚いているのだろう。無理もない。
身長が三メートルから四メートルになる、つまり人間の倍のサイズの巨人が相手なのだ。優れた筋力が最大の武器で、簡単な武器も使う。
もちろん、弱みはたくさんある。飛び道具としては、大きな岩を投げる程度。防具も身につけていないし、頭もあまりよくない。うまく立ち回れば、いくらでも対抗できる余地のある魔物だ。
とはいえ、少年冒険者が挑むような相手ではない。普通はチームを組んだ冒険者が、一匹ずつ処理するような代物なのだ。それくらいは、さすがにギルでもわかる。
「なんでまたそんな」
「だから、ノーゼンに頼むのよ」
「……ふうん」
驚きを飲み込みつつも、ギルはノーゼンに言った。
「まぁ、ファルスは強ぇしな……けど、おっさん、頼むぜ」
礼儀を弁えない物言いにも、彼は表情を変えず、淡々と応えた。
「承知した」
二日後の早朝。
俺はあの円形の砦の前にいた。すぐ後ろには、アイクとノーゼンが付き添ってくれている。
珍しく、空は薄曇だった。真夏の暑さが急速に去りつつある。吹き抜けていく風は、冷たいとまでは言わないまでも、既に涼しかった。
しばらくすると、ポツリポツリと人影が現れ、集まっていく。だいたい、十五、六人ほどか。
その中に、目立つハゲ頭が見えた。
「んお? おお、きやがったか」
今日もレザージャケットに身を包んだサモザッシュが、ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべて、近付いてくる。
「んで? 後ろの二人はなんだ?」
「付き添いよ」
「ぷっ、はーっはっは! よりによってオカマ野郎が付き添いか! なかなかいい趣味してるなぁ、おい」
俺はさっとアイクの顔を見上げた。
こんな侮辱くらいで、彼は冷静さを失ったりはしない。傷つきさえしないだろう。だが、怒ったフリならしなくてはならない。
「二度と女を抱けない体にしてやろうか、サモザッシュ」
案の定、アイクはそう言い返す。
だが、支部長の皮肉めいた笑みに変化はない。
「ハッ! 小麦の麺みてぇなガキだったテメェが、今じゃ一端の顔役気取りってか? 笑わせんな」
「あんたこそ、他人の不幸につけこんで支部長にしてもらっただけのクソ野郎のくせに、あんまり調子に乗らないことね」
「あー、ハイハイ、ありがとよ」
身を乗り出しかけたアイク。だが、それを隣に立つノーゼンが押さえた。
「で? そっちはなんだ」
「わしもオーガの討伐に参加したい。構わんじゃろう」
鼻で笑いながら、サモザッシュは言った。
「だがジジィ、お前、冒険者証は持ってるか?」
「ほれ、この通り」
だが、ノーゼンが持っていたのは、なんとジャスパーの冒険者証だった。つまり、下から二番目だ。これでは見習いも同然だ。
「プーッ、なんだお前、その歳でコレか? おいおい、やめとけ。こいつは、街の喧嘩たぁワケが違うんだ」
「正式な参加を認めないというなら、勝手についていくだけのこと」
「はっ、勝手にしろ」
サモザッシュは肩をすくめると、背を向けた。
「ただ、どうなっても知らんがな」
そのまま、数歩踏み出すと、集団に向かって叫んだ。
「リーデル! 揃ったか!」
「全員いる」
「よし、じゃあ、お前がまとめろ。いいな」
俺は冒険者達を見た。
今、返事をした男……リーデルは、体格の大きな、典型的なルイン人男性だ。大きな盾、大きな剣をそれぞれ携えている。どちらも片手で扱うには少々大きすぎる代物だ。
オーガを相手にするのだ。俺みたいに能力でゴリ押しするような戦い方など、普通はしない。基本はチームプレイだ。その中では、相手の攻撃を受け止め、また白兵戦でトドメを刺したり、相手を牽制したりする役目も必要とされる。リーデルは、こうした討伐任務の要を引き受ける戦士なのだ。
他にも同じような装備を身につけた男達がいる。敵への防壁は、多すぎるということがない。その中には、前に俺が打ち倒したドランカードという男も混じっていた。これだけでも、悪意はあからさまといえる。
「今回の調査、討伐任務は、そこの、アメジストのリーデルが務める。いいか、指示にはちゃんと従うようにな」
これで片付いた。
サモザッシュの顔には、そう書いてあった。
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