歴史の真実……の断片
「意欲的な生徒こそ、教師の生き甲斐ですよ」
左右と前方、すべて書物がギッシリ詰まった本棚が壁になっている。派手な色合いの背表紙はないが、それなりに色とりどりで、目を楽しませてくれる。紙の匂いが好ましい。昔、誰かが「木が死んだ匂い」などと言ったらしいが、少し冷淡な表現だと思う。
この世界、本に要求される寿命は長い。だが、材料になる紙は、さほど良質でないから、管理には努力を要する。原始的な出版技術はあるものの、今でも多くは手書きで提供される。過去に出版されたものでも、デジタルデータがあるわけではないので、それを残そうと思えば必然、手書きでの複写によるしかないのだ。
これだけの古文書を維持しているブッター家の努力には、敬意を払わねばなるまい。
そして、この図書室の中央に立つのがサドカットだ。今日も黒い司祭の礼装に身を固めている。
「イヤミかよ」
すぐ隣に座るギルが、鼻で笑う。
行儀よく授業を受けようとする俺と彼とを見比べながら。
ここはブッター家の書斎兼勉強部屋。
サドカットは、俺の知的好奇心に応じて、学びの機会をくれた。なんならギルと一緒に歴史を学ばれては、と誘ってくれたのだ。
「清らかなる者は水面の如し。なれど邪なる者は、そこに己の影を見る……聖典の」
「あーあー、わかったってぇーの」
机の上に足を投げ出し、ギルはふんぞり返った。
「ということで」
もう慣れっこなのだろう。サドカットは構わず俺に話しかけた。
「ファルス様は、聖女に関する歴史について、詳しくお知りになられたいとのこと」
「はい」
「聖女の降臨は、アルデン帝の征服より間もない……」
「なーなー、それよりうちのご先祖様の話でもしようぜ?」
「これ、ギル君」
ギルも構わず、平気で話の腰を折る。
「だってよー、聖女降臨の話って、つまんねーじゃん」
「仰ぎ見るものは光を見、俯くものは影を見る……聖典の」
「あーあー、抹香臭ぇ」
座り直すと、ギルは俺の背中を叩いて言った。
「なぁ、ここタリフ・オリム第一の英雄っつったら、やっぱ、ウル・タルクだぜ! な、そう思うだろ?」
「そういえば、前におっしゃっていましたね」
ターク・ブッターは統一戦争時の将軍で、ギルの先祖でもある。アルディニアの防衛を担っていた武官で、当初はセリパシア帝国側に立って戦った。
「でも、確かターク将軍は、ギシアン・チーレムとの一騎討ちに敗れて」
「負けてねぇよ!」
あれ? 俺の知識がおかしいんだろうか。
女神の力を借りて、山の中を通り抜けるトンネルを拵えると、ギシアン・チーレムの軍勢は、一気に盆地の中に雪崩れ込んだ。そこで剛勇を誇るタークは、自慢のハンマーを手に、一騎討ちを挑む。だが、打ち負かされて捕虜となり、以後、服従を誓ったとされているのだが。
「だってよ、変じゃねぇか」
「はい?」
「負けたっていうんなら、首でも吹っ飛ばされてていいはずだろが」
「そしたら降参できないじゃないですか」
「戦争なら当然だろ?」
まあ、それはそうだが。
何か事情でもあったのかもしれない。司令官を生かしておかないと、敗残兵の処理に困る場合とか。
「それに、首じゃなくたって、腕の一本くらい、斬り落とすのが普通だろ」
「そうですね」
「ところが、だ。どっちも無傷だったなんて、ありえね?」
無傷?
「あー、そこまでは知らねぇか。どっちもまったく傷一つなかったんだとよ。だから、一騎討ちは互角、引き分けってこった」
「そうだったんですか」
これは知らなかった。
俺はてっきり、かつてのギシアン・チーレムは最強の存在で、だから余裕をもって敵を打ち破ってきたものだとばかり思っていたのだが。豪傑相手とはいえ、引き分けたりもしていたのか。だが、女神の加護を受けていたくせに?
「ん? でも、じゃあ、なんでターク将軍は降参したんですか?」
「そこはあれよ。戦って、男同士、相通ずるものがあったってことじゃねぇの?」
少年漫画の筋書きじゃあるまいし。
横でサドカットが、溜息をつく。俺は前を向いて頭を下げた。
「済みません、つい」
「いえいえ、これも歴史ですからね。ファルス様は本当に好奇心旺盛でいらっしゃる。ご無理もありません」
俺に対しては、あくまで低姿勢で、穏やかな態度を崩さない。
その静かな表情のまま、ギルの適当な想像にツッコミを入れた。
「一説には、そもそも聖教会自体が女神の意志にそぐわない、腐敗したものだったため、と言われていますね」
「腐敗、ですか」
「辻褄は合います。ギシアン・チーレムは女神の意志を引き受けて、セリパシア帝国に攻め入ったのですよ? ならば、聖教会がモーン・ナーの神託に対して忠実ではなかったと考えるほうが自然です」
「なるほど」
世界の創造者たる原初の女神と、モーン・ナーは同一の存在とされている。ならば、ギシアン・チーレムが女神の命令によってセリパス教の母体たる帝国を滅ぼすなど、あってはならないはずだ。もしそれが起こり得るとすれば、帝国が本来の役目を果たさなくなった場合に限られる。
「帝国と教会の腐敗は、ごく初期に起きていたとする研究もありますよ。宣教戦争の初期、聖徒達を導いたのは聖女と、その弟である勇士ヴェイグですが、彼らだけの力では、大きな勢力にはなり得ませんでした。北方の有力貴族だったトーリ家の協力があって、やっと帝国の基礎が築かれたのですが……」
「初代サース帝ですね」
「ええ、そうです。ヴェイグが戦死した後は、サースが実務面での指導者となって、周辺諸侯を次々屈服させていきました。ですが、もうご存知かもしれませんが、彼の評価は、いまだによくないのですよ」
「知ってるぜ」
踵で机をガンガンと叩きながら、ギルが割って入った。
「アレだろ? ロリコンだったってな」
「清らかな言葉を……」
「あーあー、面倒っちい。アレだ、ヴェイグの一人娘? と結婚したんだってな? 親子くれぇ歳の差があんのにさ」
「……それゆえ、聖女との関係も悪化した、と言われていますね。彼女は、乙女達には清らかであれと求めてきたのですから。ヴェイグの娘は、このまま行けば、教団の次の指導者になっていた可能性もあったらしいのですが、純潔を失ったとなれば、その資格もないことになります。それにサース帝は、これはあくまで当時の風聞でしかありませんが、数々の残虐行為を行ってきたと伝えられています。つまり、反逆する人物を監禁し、拷問を繰り返し、場合によっては生贄にしたと」
「い、生贄?」
拷問、虐殺はともかく、生贄となると。
言うまでもないが、創世の女神が生贄を要求するなんて、あり得ない。いったいどこの魔王の下僕なのか。
「ええ、ですので、サース帝の信仰心には疑問符がついているのですよ。こうした腐敗が帝国の核心に留まり続けたと考えると、最終的に英雄の討伐を受けたというのも、納得がいくというものです」
少し政治臭のする解釈ではある。
サドカットは暗に、現在の神聖教国も同様に腐敗していると言いたいのだ。これに対し、自らの意志でギシアン・チーレムに降ったターク将軍、それに聖女の再臨を受け入れたアルディニアの人々は、真の信仰を選んだ側ということになる。
つまり、その分だけ神聖帝国、ひいてはその創建者も、悪人扱いされやすい。
「つうことで、我らが郷土の英雄、ウル・タルクは、実は誰にも負けちゃいねぇってことさ」
「あの、そのウル・タルクというのは」
「ああん? あー、そっか、お前、フォレス人だもんな」
「はい?」
理解できずにいる俺に、またもやサドカットが助け舟を出してくれた。
「以前、お会いした際に、セリパシアの歴史と言語は、西方大陸でもっとも複雑だとお伝えしたかと思いますが」
「はい」
「タークという呼び名は、割と新しいものです。千年ほど前、英雄による改革が行われる前は、タルクと読むのが普通だったのですよ」
「改革? 言葉まで変えたんですか?」
ギシアン・チーレムが、世界征服後に度量衡の統一を行ったのは知っていた。だが、まさか人名までいじくっていたとは。
「おうよ。ウル・タルク、つまり『猛牛』ってことだな。カッコいいだろ!」
「え、ええ」
タークという名前は、そういえばフォレス人の名前にもあったっけ。だが、ルイン語とフォレス語は別の言語なのに、そういえば、その辺が一緒というのも……
「言語にも歴史があるのですよ」
サドカットは、いかにも楽しげに、嬉しそうに説明をする。きっと彼は、学者肌と言おうか、こういう知的好奇心の強い人なのだ。
「もともと、タークという語自体、第三世代のルイン語起源の単語で、『牛』を意味します」
「第三世代?」
「ええ。言語学的にルイン語は、大きく分けて三つも存在します。一つは、私達が今、話しているルイン語で、一般に知られているものです。これを歴史学者は第三世代派生の言語とみなしています」
初めて聞く話に、俺は身を乗り出した。
さすがは学問の都。フォレスティアにいた頃には、こんな話を聞かせてくれる人はいなかったし、そういう書籍も見かけなかった。或いはグルービーの本棚を漁れば、見つかったかもしれないが。
「あとの二つは、何ですか?」
「今、説明しますね。第二世代のルイン語からお話しますと、これは西方文明崩壊前の言語のことを意味します」
「西方文明?」
「ほとんど伝説時代の出来事ですが……およそ二千五百年前、正義の女神モーン・ナーと、黒の龍神ギウナが、ムーアンで争った時のことです。その争いの余波で、巨大な湖の畔にあった古ルイン人の文明が滅んだとされていますが、その古代人の言語が、第二世代と呼ばれています」
「だからなんだぜ?」
俺が考えを整理できずにいるのにも構わず、ギルが嘴を突っ込んだ。
「いまだに聖女の人種が謎とされてるんだ。リントは俺達ルイン人なのか、それとも、黒髪の古ルイン人の生き残りなのか、議論が分かれてるんだ」
「黒、髪?」
「現代の我々ルイン人は、古ルイン人の文明の恩恵を受けつつも、そこから離れた場所で暮らしていた別の民族とされています」
なるほど、別の人種だった、と。
高度な文明を築いた古ルイン人の支配下にあった、と考えればいいのだろうか。
「もともとは、サハリア人やフォレス人の祖先も、古ルイン人に服属していたとされていますね」
「そうなんですか?」
「おう! たとえばお前、ほら、ワディラム王国ってあるだろ、サハリア人の」
「はい」
「あれな、もともとは『ウル・ディヌム』っていう古ルイン語なんだぜ」
彼の先走った説明に、すかさずサドカットがフォローを入れる。
「ウルは、ウル・タルクと同じです。猛々しい、という意味ですね。ディヌムは、これは名詞化された……複数形といいますか。ディン、即ち雄々しいという意味に……複数形で、これで『猛々しく雄々しい者達のいる場所』というニュアンスの意味になります」
「アルデン帝も、本当なら『アル・ディン』だからな」
「ええと……ギル君、ファルス様が戸惑っていますよ? もう少し歩調を合わせて」
「大丈夫だろ。な?」
膨大な情報が一気に流れ込んでくる。
とりあえずは、受け止めるので精一杯だった。
「アルは高貴、ディンは力強い、雄々しいですから、気高き強者、といった意味合いです」
「ウルとは別ですか?」
「ええ、ウルのほうは、どちらかというと、狂暴とか、獰猛とか、そういうニュアンスになります」
では、世界統一前には、彼らの人名も、今とは少し違った呼び方をされていたわけだ。
「じゃあ、本当は、アルデン帝ではなく、アルディン帝ですか」
「そうですね。これが南方方言だと、アルディーンと発音が伸びたりもします」
「それなら、あの、チャル・メーラは?」
「あー、それな。チャルじゃなくて、もともとはシャルだぞ、それ」
「メーラ村というのが、リント平原の向こう側、中南部にあるのですよ。この街の伝説の料理人だったシャルは、そちらの出身で、スープヌードルも、本来はそこの郷土料理を元にしたものだったといいます」
次々に新事実が明らかになってくる。
ダジャレみたいな名前ばかりと思っていたが……
「でも、さっき、ギシアン・チーレムが」
「ああ、そうでしたね。ちゃんと理由があるとは思うのですが、まぁ、要するにですね、国ごとに名前の呼び方が大きく違うと困るだろうということで、表記や呼称を統一したらしいのですよ。例えばタークですが、これは当時のフォレス語の発音がベースです」
「フォレス語? でも、やけに似通っていますね?」
「敗戦国の悲しみってやつよ」
ギルがうんざりした、といった口調でそう吐き捨てる。
「もともと、セリパシア帝国が西方大陸のほぼ全部を支配してただろ? そうなると、言葉もこっちのがどんどん広まるわけだ。だから、フォレス人も牛のことをタルク、タークって呼ぶようになってたんだ。ところがどっこい、戦争で負けちまったもんだから、今度はタルクがタークになっちまったってわけ」
「ちなみに、ファルス様のお名前も、第三世代のルイン語起源ですよ?」
「えっ」
「鹿を意味するファルク、それがフォレス語に伝わってファーク、古い東方方言……今のパドマ近辺ではファク、これが世界統一後にファルスと改められました」
なんと、そんな意味だったのか?
しかし、少し引っかかる。あのギシアン・チーレムの呼び名もこれだったのだ。
「鹿、ですか」
「ああ、昔の名付けには、ちゃんと意味があったのですよ。例えば牛なら強い、たくましいといったイメージがあります。鹿は……ファルクというのは、角のある牡鹿を意味するのですが、これは集団の指導者といいますか。外敵が現れると、まっさきに先頭に立って群れを守る、そういう鹿のことを言うのです」
「へぇ」
脳内での情報処理が追いつかないままに、俺はどんどん咀嚼する。
「だから、君主の名前にもよく使われていたのですよ。英明、とかそういうニュアンスですね」
なるほど、そういう意味合いであれば、確かにいい名前だ。
「これに対して、第二世代のルイン語起源の人名もありますよ。今でも、数は多くないですが、フォレス人にも『ディン』って名前の方がいらっしゃるでしょう?」
「えっと、はい」
あの頼りがいのある船乗りの姿を思い出す。なるほど、彼になら『雄々しい』という名前も似合いそうだ。
「じゃあ、第一世代のルイン語というのは、なんでしょうか?」
「それなのですが……」
そう尋ねられて、サドカットは難しい顔をして、俯いてしまう。
「部分的には解読されているのですが、言うなれば、謎の言語です」
「謎?」
「はい。第二世代のルイン語は、古代人によって使用されていましたし、その遺物は今でもムーアン大沼沢で時折発見されます。ですが、第一世代のルイン語については、確かにごく稀に碑文などが発見されはするのですが……第二世代、第三世代のルイン語とも、またその他の言語とも、まるで関係性が見つかりません。共通の語源を持つ単語などもないのです」
要するにこういうことだ。
第二世代の古代語は、ムーアンに住んでいた古代人が日常的に用いていた。そこから周辺民族もその単語を輸入することがあって、今でも言葉が残っていたりする。ところが、第一世代の謎の言語には、そうした形跡も見つからない、という。
「そもそも、解読ができると言っても、音韻すら、あちこち不明なままです」
「そんなの、どうやって読んだのですか」
「非常に珍しいことに、第二世代と第一世代の古代語が併記された碑文があったりしまして、それで部分的に単語の意味を読み取れる、という程度ですね。文法などにも諸説あって、これだと言い切れる定説がありません。ただ何れにせよ、現代を生きる私達の、どの国の人も、あの言語を受け継いではいないはずです」
「じゃあ、本当に謎の言語なんですね」
これも聖女と不死に至る手がかりなのだろうか。そうでなくても、興味深くはある。
「そういう歴史の痕跡を、あのギシアン・チーレムのクソヤローがどんどん消しちまいやがって」
「ギル君」
「うちだって、ブッター家とか、冴えねぇ名前にしやがって」
「え? 別の名前だったとか?」
「おう、大昔には『ルカオルジア』って家名だったっていうぜ」
つまり、ターク将軍の名前は、もともとはタルク・ルカオルジアだった、と。
なんでそれがターク・ブッターに?
「地名だってそうだろ。ここだって、アルディニアじゃなくて、アルディニクだったんだしな」
「そういえば」
地名で思い出した。
気になったし、尋ねてみることにする。
「ティンティナブリアって、どういう意味ですか?」
ところが、この質問にサドカットは首を傾げるばかり。もちろん、ギルにも答えられない。
「昔、サハリア人で教養ある人が、その、帝国との戦争の時に……古サハリア語のタイン、つまり『大きい、偉大』と、ヴェイグ挙兵の地であるディノブルーム、『力強い狼』をくっつけた言葉だって言っていたんですけど」
「それはないと思うのですが……」
「そうなんですか?」
「ええ、帝国側へのあてつけだとしても、少々用法が変ですし、それに、ギシアン・チーレムの命名には、もともと意味や根拠が不明なままのものが多いのです。例えば、ブッターという家名にしても、どういう意味なのかはいまだに明らかにされていません」
「ってか、ギシアン・チーレムって名前も変わってるぜ? 他にそんな名前の奴ぁ、どこにもいねぇしな。これもどこの言葉なんだか」
思考が止まる。
では、ミルークは勘違いしていたということか? あり得なくはない。彼ほどの教養人といえども、間違いの一つや二つはあるだろう。しかしそうなると、ではなぜ、ギシアン・チーレムはそんな命名を……
他の名前は? どうなっている?
「では、昔はティンティナブリアは、なんと呼ばれていたのですか?」
「それはもちろん、ノヴィアルディニク、つまり新たなアルディニア、という意味ですが」
「その前は?」
この質問に、サドカットは目をパチクリさせた。
ギルが興味なさそうに上半身を揺らしながら言う。
「名前なんか、なかったんじゃね?」
「い、いえ。確か、どこかで見たような……ちょ、ちょっとお待ちください」
俺の認識が正しければ。その前の呼び名もちゃんとあるはず。伝わっていないのか、それとも言葉の断片だけでも残されているのか。
質問に答えようと、サドカットはしばらく頭に手を置いて考え込んだが、何も浮かばない。それであたふたと背後の本棚に向かう。それらしいのを引っ張り出して、広げては閉じる。それをしばらく繰り返すうちに、ついに甲高い叫び声が響いた。
「あった! ありました!」
「なんですか?」
「あっ、ああ……すみません、つい」
司祭ともあろうものが、興奮して大声をあげるなど、あってはならないのだろう。慌てて取り繕う。
彼は手にした分厚い本を持ったまま、こちらに駆け寄ってきた。
「こちらをご覧ください。アルデン帝の先遣隊が残した記録で、こう書いてありますね……『この土地に住むものがオロンキアと呼ぶところに、フェレッチャどもが居座っているとの知らせを受け』……ということは、古くはオロンキアと呼ばれていたようですね」
オロンキア。
つまり……ウルンカのことだ。
「その、オロンキアというのは、どういう意味ですか?」
「済みません、さすがにそこまでは」
「いえ、そうですよね」
俺は知っている。
降り注ぐ雨の地。女神シーラとその民が降り立った場所。だが、その伝説は既に、歴史の闇に消えている。
「この、フェレッチャというのは?」
「ああ、そちらはわかります。蛮族とか、混血とか、そういう……その、純粋ではない人々、というニュアンスなのですが」
途中から言い辛そうにしだした。
「い、いえ、あのですね、でもこれが、今のフォレス人の呼び名の由来で」
「そうなんですか?」
「昔は、レハヤンとかレジャヤンとか自称していたらしいです」
これも。
聞き覚えのある言葉に繋がってきた。
「今でも、フォレスティア王家の家名はレージェというでしょう? それはこれに由来しています」
「あの、もしかして」
「はい?」
「ルイン人、というのも、その……ギシアン・チーレム以前には、違う名前とか、発音だったとか?」
「ああ、そうですよ。あんまり違いはないんですが、それまではローウィンと呼ばれていました。サハリア人もそうですね。もともとはウディルム族、だから今で言うワディラムの人、という呼び名が一般的だったのですが、どういうわけか、サハリア中央部の砂漠のスフル……不毛の地、というのですが、そこに由来する名前がつけられています」
「それも、全部ギシアン・チーレムが」
「ええ。名前を変えることで、昔からの因縁を断ち切るため、とも言われていますね。長らく続いた争いで、国同士、恨みが積もっていましたから」
眩暈がしそうだった。
追いかけるべきは、聖女の伝説だけではない。やはりこの世界には……何かがある。
汗ばんで冷えた指先を握り締め、思考をまとめようとしていたところで、背後の扉が開く音がした。
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