聖女の貞操帯

 日焼けした肌をさらした男達が、泥壁の家々の間から姿を見せた。彼らの肩には例外なく、ツルハシがある。

 まだ日が出て間もない。家々の背は低いながらも土地の起伏が激しく、ところどころにくっきり影が落ちている。朝の光を浴びた神の壁は、白というより、むしろ虹色に輝いていた。


 夏の終わりとはいえ、朝晩は少しずつ涼しくなってきている。今も割と過ごしやすい。着慣れた服に、汚れてもいい靴。他には何もいらないと言われ、俺はただ、ここで佇んでいる。

 本来なら、爽やかな朝とでもいうべきところだ。なのに、俺の内心はというと、苛立ちでいっぱいだった。


「ヘーイ!」


 遠くから男達の掛け声が聞こえてくる。

 神の壁の前には、木で組まれた足場が、何段にもわたって存在する。しかし、これらは風雨に曝され続けるために、だんだんと劣化し、何れは壊れるものだ。過去に事故もあったのだろう。だから今では、朝一番、作業に入る前に、ああして修行者の誰かが先に登って、柱を揺らしたり、床を叩いたりして、状態を確かめているのだ。

 決して数多くはないが、神の壁の下には、貧しい修行者などが、ボロをかぶって寝ていたりする。彼らもこの騒ぎに、ようやく目を覚ます。


「オーシ!」

「ヘーイ!」


 一段目、問題なし、二段目、いきます……そんな感じなのだろう。

 彼らはただ、日常の作業をしているだけだ。なのに、その声がやけに耳障りに聞こえた。


 作業の準備をする人達ばかりではない。これは宗教活動なのだ。ゆえに、非合理な動きを見せる連中もいる。地面に敷いた茣蓙から立ち上がって、まず最初に白い壁に接吻する男。頬擦りするのもいる。その場で跪いて祈りだしたりもする。


 今のところ、俺にできることはない。

 紹介された男がここに来るまでは。


 また一人、日焼けした男が、俺の目の前を通った。どういうファッションセンスなのかわからないが、髪の毛をビーズ状に丸めたのが連なっていて、それが後ろで束ねられている。人種としてはルイン人なのだが、それとわからないくらい、真っ黒だ。それと、筋肉のつき方、体の引き締まり方が半端じゃない。年齢はだいたい、四十代くらい。

 彼は、使い込まれたツルハシを背負いつつ、俺の目の前を通り過ぎた。だが、この場に似合わない俺の姿に、厳しい視線を向ける。そのまま、神の壁に向かい……お決まりのようにキス、頬擦り、そして……うえぇ、舌先でネットリ舐めてやがる。なんだありゃ……

 かと思いきや、そいつはいきなりのけぞって、ツルハシで壁を全力で叩き始めた。危ない。周りに人がいるのに。だが、そんなの目に入らないのだろう。とにかく夢中になってツルハシを振るっている。


------------------------------------------------------

 マハブ・メタモン (41)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、41歳)

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル フォレス語  3レベル

・スキル 格闘術    2レベル

・スキル 水泳     2レベル

・スキル 採掘     7レベル

・スキル 鍛冶     3レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 大工     1レベル


 空き(32)

------------------------------------------------------


 典型的な鉱夫、というか『ツルハシスト』だ。とにかく子供の頃から、ずっとこの壁に挑み続けてきたに違いない。ただ、あの熱狂ぶりを見ると、なんか危ない人って感じがする。

 ただ、こういう人は珍しくない。あの辺の修行者は、能力的にも、みんな似たり寄ったりだ。


 ふと見ると、集団の中から、一際体の大きい男が近付いてくる。驚いたことに黒髪で、天然パーマだ。そして、なかなかの美男子でもある。ただ、やはりそこは神の壁の修行者というのもあって、ナヨナヨした感じはない。むしろムキムキだ。それと、肌の色が割と白い。これは生まれつきだろうか。

 諸肌脱ぎになっている男達の中で、彼だけは濃緑色のシャツを身につけていた。それと、片手に大きな、もう片方に一回り小さなツルハシを持っている。


 俺を見つけると、顎をしゃくって合図してきた。


「あんた」


 体格があるだけに、一歩一歩が大きい。近付きながら、彼は声をかけてきた。


「司教の使いから話は聞いたけど、あんたがファルス・リンガ?」

「えっ、あ、はい」

「そう」


 彼は俺に小さいほうのツルハシを差し出しながら、自己紹介した。


「ワタシはアイク。これからしごいてやるわ」

「は、はい、宜しくお願い致します」

「ふん」


 なんか、喋り方が微妙に……女言葉というか。声色は、高めとはいえ、完全に男のものなのだが。


------------------------------------------------------

 アイク・オーリナッチェ・トーリク (34)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、34歳)

・スキル ルイン語   6レベル

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 指揮     3レベル

・スキル 管理     1レベル

・スキル 剣術     5レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 採掘     6レベル

・スキル 鍛冶     2レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 大工     1レベル

・スキル 料理     1レベル


 空き(22)

------------------------------------------------------


 ん?

 なんだ、これ。


「あら? どうかしたの?」

「い、いいえ」

「そう。じゃ、早速説明するから、ついてきなさい」


 こいつ、何者だ?

 能力が多様なのも気になるが、それより名前だ。貴族の称号がついている。

 髪の毛が黒いが、肌は白い。ルイン人っぽいのだが、どうにも人種がはっきりしない。


「いい? まずはあれ。神の壁はここからここまでよ」


 高さ、およそ二十メートルほど。幅はそんなにない。目測だが、せいぜい五メートルから七メートルほどか? 壁自体はもっとあるのかもしれないが、左右が同じくらいの高さの土砂に埋まったままになっているからだ。

 なお、壁を前にして立つと、少し後ろもまた、別の壁に行き当たる。こちらは真っ白な壁ではなく、普通の岩と土だ。


「壁の上には、教会の監督官が立っているわ。それで、これは注意事項なんだけど、左右の土砂だけど、崩さないこと」

「えっ?」

「何か変なこと言った?」

「いえ、だって、壁を掘るんですよね」

「そうよ」

「周りの土を全部取り除くってわけにはいかないんですか」

「あれを見なさい」


 木造の木組みの一部は、左右の土砂の中に組み込まれていた。


「どんだけ効果があるかわかんないけど、左右の土砂は足場の補強に使ってるってことらしいから、変にいじらないで」

「は、はい、わかりました」


 掘れないとわかっている白い壁より、周りの普通の土を取り除いたほうが、ずっとか効率的に作業もできるし、何より神の壁の全体像を把握できるだろうに。まぁ、宗教ってやつは、よくわからない。


「休憩は自由だけど、あんまり休み休みやってると、いい目では見られないわ。体を鍛え直すつもりで、全力でやりなさい」

「はい」

「ワタシはだいたい、そこの小屋にいるから、何かあったら、声をかけなさい。いいわね?」

「わかりました」


 それだけで、アイクは背を向けて去っていった。この現場ではそれなりの顔役らしく、何人かに声をかけているようだった。

 彼自身は修行をしないのか? と思ったが、立場が監督であれば、毎回自分が前でツルハシを振るうわけにもいかないのだろう。それに第一、すべての修行者を常に受け入れられるほど、ここの足場は広くない。もしかすると、彼の場所を俺に譲ってくれたのかもしれない。

 安全面を考慮してか、俺の足場は、下から一番目だった。地面のすぐ上だから、高さとしてはだいたい二メートルちょっとくらいか。


 どうするの、これ? と思っていたが、左右には既に屈強な男達が立っている。そして、特に合図や掛け声もなく、みんな思い思いのタイミングで、勝手にツルハシを振り上げ、壁に叩き付けている。

 あちこちから、ホッとかハッとか、気合を入れたり、息切れしたりする時の呼吸音が聞こえてくる。叩きつけられたツルハシが鈍い音をたてて、男がそれに何とも言えない表情を浮かべる。まるで衝撃の余韻を味わっているかのようだった。


「ヤッ!」

「ハッ!」


 みんな真剣だ。目が血走っている。

 となれば、俺も適当にやるわけにはいかない。


 ……くそっ。


 司教はあの後、勝手に段取りを決めてしまった。それは合理的ではあるものの、どうにも腑に落ちない結論だった。

 まず、この俺、ファルス少年の信仰が何れにあるかを、彼は追及しなかった。これまた自明の問題ということで、あえて語らないで済ませることにしたのだ。ついで、俺の信仰がいかに堅いかを示す手段として、当然の選択肢が示された。修行だ。

 それだけなら、我慢もする。数日間、骨の折れる肉体労働をさせられたからって、それがなんだというのか。ところが、話はそれで終わらなかった。


 この無意味な労働は、断続的に、あと二ヶ月弱、続けられる。

 二ヶ月! そんなにも待たされるのか!


 だが、これもやむを得ない話らしい。祭りが終わるまでは各派閥の動きも活発で、ユミレノストとしても、外国から来た異教徒の少年に対して、変な後押しはできない。俺は別に、金品をせびりにきたわけではないが、それでも聖女の祠に入るなんて、ポッと出の外国人には行き過ぎた利益供与に見られる。

 だからこそ、周囲を納得させられる頑張りを見せて、自然と受け入れられるようにする必要があるのだとか。


 十月、つまり藍玉の月の下旬に、やっと俺は自由になれる。そうしたら聖女の祠を見学して、何か手がかりを掴む。あとは不死身の聖女を追いかけるだけだ。

 ただ、そういうわかりやすい何かを見つけられない可能性も、大いにある。聖女の事跡を追いかけて、彼女の不死の秘密を解き明かし、自分にもそれを適用する……というのは、一つの登山口でしかなく、しかも山頂まで通じている保証もないものだ。そんなものに二ヶ月弱。少し高くつきすぎなんじゃないかとも思う。


 この長い待ち時間。これが俺の苛立ちの原因だったのだ。


 あれからどれほど経ったのか。

 周囲には、男達の汗の臭いが充満している。既に腕が上がらなくなってきた。第一、まったく傷のつかない壁を力いっぱい殴りつけるのだ。だんだん手が痺れてくる。


「ホッ!」

「ハッ!」


 だが、さすがというべきか。左右のツルハシスト達は、揺るぎもせず、休みもせず、夢中になって壁を叩き続けている。

 修行者の立場としては、彼らの奮闘に敬意を感じずにはいられない。これが信仰か。彼らの顔には、疲労感より陶酔感のほうが強く滲み出ていた。


 砂埃の舞う灼熱の空間で、半日が過ぎた。


 一応の休憩時間になり、俺は足場から下ろされた。もうクタクタになってしまった。俺の左右の修行者も、さすがに休憩に水分補給にと、一休みしている。

 ところが、後ろを振り返ると、まだツルハシを振るっているのがいる。さっきのマハブとかって奴だ。凄まじい。どれだけ夢中になってやっているんだ。


 とりあえず、水と昼食……

 だが、そこにあるのは、一軒の屋台だけだった。


「がっははは、なんだ、前に見たな? え、ボウズ!」


 王都で最初に食べた、あのガレット屋だ。


「……こんにちは」

「おう、お前さんもついに修行者の仲間入りか」

「そうなっちゃいました」

「おうおう、いいこった。じゃ、こいつは俺のオゴリだ。まぁ、食ってくれよ!」


 俺は頭を下げて受け取る。だが、相変わらず焼きたてのガレットは熱かった。紙一枚では、どうにもならない。


「アツアチアツツアチ」

「はっはは! 慣れろ慣れろ!」


 涙目になりながら口に運んだら、具材が熱過ぎて、口の中を少し火傷した。


 地べたにしゃがみこみながら、俺が項垂れていると、鉱夫の一人が、下卑た笑みを浮かべながら近寄ってきた。


「おう、やってるか」

「はい、こんにちは」

「元気ねぇな、新入りだろ?」

「この通りです。今はこんな感じですが、どうかお目こぼしを」


 頑張っている姿を見せて、ゆくゆくは聖女の祠に立ち入ることに、誰にも文句を言われないようにするのが、この作業の目的だ。だから、人から嫌われるわけにはいかない。


「はっはは、気にすんな。意外とキツいだろ」

「はい」

「まだもうちょいやんなきゃだしな。で、そこでだ」


 指を一本突き立てると、彼は俺に言った。


「元気の出るもん、見せてやるぜ」

「なんでしょうか?」

「ついてきな」


 正直、動くのもだるかったが、俺はのろのろと起き上がった。


「こっちの階段だ」


 神の壁の反対側、いつも背中側にあった岩壁の脇に、削って拵えた階段があった。

 この疲れているのに登るのか、と内心愚痴を吐いたが、先輩に逆らっていいことなど、何もない。それに面白いものが見られるのなら。だから、おとなしくついていった。


「ここ」


 平べったい岩塊の上。日差しもそのままに降り注ぐが、風もまた、遮られない。


「いいとこだろ」

「はい、爽やかで気持ちいいです」


 ただ、日陰が一切ないので、足元の岩は、相当に熱せられているだろう。うっかり横になったら、皮膚を火傷しかねない。

 ところが、彼は俺の返事に不満だったようだ。


「どこ見て気持ちいいって言ってんだよ」

「えっ」

「あっちだろ、あっち」


 指差したほうは、またしても神の壁だった。


「見てて見飽きないだろ」

「あっ、はい」


 なんてこった。眺めのよさ、風の気持ちよさにも信仰心……ん?

 ふと、気付いた。


「あの」

「おう」

「ここから見ると、神の壁ですけど」

「おうおう」

「左右に狭くて、縦に高くて」

「うんうん」

「……でも、壁を登りきったら、ほぼ平坦になっていますが」

「だな」

「そこから、こう、扇形? 土砂の部分以外の白いところが、上から見ると多分、ほぼ三角形ですよね?」

「そうなってるな」


 なんでこの形に?


「なんかこう、これって……」


 何かの形を模して、こういう状態にしているのでは。

 前から見て、三角形の形になっている白い壁。その北側には土砂、南東と南西にも、まるで足、太腿のような形の土砂……


「なんだ、お前、聞いたことねぇのか」


 男はヘラヘラ笑いながら言った。


「この壁のことを、俺たちゃ、『聖女の貞操帯』って呼んでるんだぜ!」


 ああ、やっぱり。

 女性の体と下着を模した形で、土砂を固定している。だから左右の土を掘って除去しないのか? 足場っていうのも、ただの口実か。

 だいたい、この白い塊を掘り出すつもりなら、反対側からだって掘ってもいいはずじゃないか。どうして傷一つつかない壁ばかり殴るのか。


「じっくり見てけよ! じゃあな!」


 それだけで、男は去っていってしまった。


 俺は、見とれるというより、ほぼ呆然として、いや文字通り呆れながら、眼下の景色を見下ろしていた。


 今朝、鉱夫達がこの壁にキスしたり、頬擦りしたりしていた姿を思い出す。胸が悪くなった。

 やっぱり、欲望は変に抑圧しちゃダメだ。変な方向に目覚めてしまうから。


「……変態……」


 そんな俺の口から、ポロッと本音が漏れて出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る