郷愁の街

 夕焼けの赤さにうっすら染まった部屋。西向きのガラス窓は、外側に向かって開け放たれていた。


 見ると東側、つまり廊下側にも木窓がついていて、こちらも開けられたまま。但しこれには金属製の格子が取り付けられている上に、内側からの施錠も可能となっている。少しでも風通しをよくして、夏場の暑さをしのげるように工夫されているのだ。

 肝心の西日対策も、ちゃんと考えてある。窓の外、宿の敷地を囲む木の柵に、薄い布がかけてある。つまり、風は通すが、日差しは和らげる。これが石の壁だったりすると、なるほど日陰は確保できるが、風も遮るし、朝の光も届きにくくなる。この時間だけ、布を被せてくれるのだ。


 室内の設備も、質がいい。しっかりした四足の椅子と、分厚い木のテーブル。その脇に立てられた燭台。年月が経っているせいでややくすんでいるが、落ち着きある青銅製の一品だ。布団にも真っ白なシーツが掛けられている。ただそれだけなのだが、焦げ茶色の寝台とのコントラストが、なんとも上品だ。

 さすがに上水道はないが、脇に小部屋が二つあり、片方にはトイレが、もう片方には水瓶が設置されている。この小部屋には、どちらも扉が二つある。一つはこちら側のもので、鍵がかかるのは部屋側からだけ。もう一つは廊下側で、これは内側と外側、両方に鍵がかかっている。施錠しないでおけば、トイレは昼間に清掃してくれるし、水瓶は早朝に入れ替えてくれるという。


 少し高めの値段設定だったが、これなら納得だ。割安であるとさえいえる。

 庶民が利用できる範囲で考えるなら、アルディニアのホテルとしては、かなり高級な部類だろう。素泊まりで金貨一枚と銀貨五枚。朝食付きで金貨二枚。一つの世帯が金貨二十枚でなんとか一ヶ月暮らせることを考えると、相当な贅沢だ。

 だが、諸々の事情を考えるに、さすがに今回は、こういう宿を選ばざるを得なかった。


 ここ王都タリフ・オリムは、ただの経由地ではない。聖女伝説を確かめ、その証拠を掴むことで、不死に至る手がかりを掴まねばならない。

 俺はしばらくこの都にいなければいけないのだ。そして、俺のリュックには一千枚近い金貨が詰まっている。それと換金用の宝石もだ。これが野宿だったり、泊まっても一晩だけだったりするのならいいが、長期滞在となると、ある程度の安全性が必要となる。重い荷物を置き去りにできる拠点とするなら、やはりそれなりの場所でなければならない。

 セキュリティだけではない。プライバシーも重要だ。安全だけを考えるなら、それこそ奉仕者銅勲章でも見せびらかして、教会施設にでも泊めてもらえばいい。だが、その場合、俺の生活が他人の目にさらされることになる。この宿なら、この通り個室を確保できるし、そうした面でも心配がない。


 荷物を置いて一息。

 さて、これからどうしようか。


 少し考えて、今日はもう休もうと決めた。何しろ女神の楽園を出て半月ほど、ほとんどゆっくり休んでいない。馬車に揺られるか、歩き続けるかのどちらかだったのだ。それでもどういうわけか、ひどい疲労感などはないのだが、気付かないところでいろいろ蓄積しているかもしれない。

 で、休むとなれば、先に夕食だ。少し早い気もするが、俺はこの街のルールを知らない。戒律の緩い神壁派の街とはいえ、夜中に酒場なんか開いてないかもしれないし、そうなったら朝まで空腹のまま、我慢する破目になる。一応、保存食ならあるのだが、せっかく街中にいるのに、そんなもので済ませてはもったいない。

 それに……


 タリフ・オリムは、食の都でもあるらしい。

 美食家のアルデン帝が、料理人のチャルと過ごした場所なのだ。彼女の残したスープヌードルは廃れてしまったらしいが、その他のレシピは広まり、今に伝わっている。多くの飲食店が軒を連ね、腕を競い合っているという。

 食が旅の目的ではないにせよ、これは楽しみにしないでいられるほうがおかしい。


 俺は少しそわそわしながら、夕暮れ時の街に降り立った。


 宿の敷地のすぐ外に出た。下り坂から、広がる街並みを見下ろす。西日に目を細めた。


 足元の道は、大きさの揃わない石を敷き詰めて、上からセメントを流し込んだらしい代物だ。多少、凹凸があるが、馬車が通る道ではないのだから、これはこれでいい。

 この下り坂の左右に、家々が所狭しと肩を寄せ合っている。

 屋根を飾る茶色の瓦。といっても、前世日本のそれとは違って、円筒形の薄っぺらいのがいくつも連ねられている。家の外壁は、たいてい石だ。ずっしりとした質感の灰色の石が、家々の基礎になっている。だが、二階建ての家は、上層が木製だったりする。焦げ茶色の、風情ある壁だ。

 高台の上から見渡すと、そういう茶色の屋根が、夕焼け空の下、思い思いの格好で、ズラリとポーズをとって並んでいるのが見える。不揃いだし、見栄え鮮やかとはいえない。だが、よく似合っている。


 左に折れる。建物の影に入ると、途端に暗さを感じた。

 橙色の光の中、大きな建物が、長く黒い影を落とす。道はずっと先まで続いていて、あちこち建物の途切れるところに、明るく輝く路面が見られる。


 そんな道を、いろんな人が行き交っていた。

 何かいいことでもあったのか、はしゃぎながら駆け抜けていく子供達。薄汚れたシャツを身につけ、ツルハシを肩に担いだ男達が、のっしのっしと歩いている。近くの屋台からガレットを買った主婦が、それを手持ちの袋の中に収めて、路地の向こうへと消えていく。


 そんな光景の中、俺は思わず足を止めた。

 ここにあるのは雄大な自然ではない。輝く宮殿でもない。ただの人の街。なのに、どうしてこれほど目を引くのだろう。何が俺をここまで惹きつけるのだろう。


 ああ……そうか。

 これは『郷愁』だ。


 荒涼とした冬の山を越え、いくつもの村落をただ素通りし、ただ歩き、ただ食べ、ときに休んだ。魔物に見つけられたら戦うか、逃げるかだった。そして馬車に乗るか、宿屋に泊まるかでなければ、俺は人と言葉を交わすことさえしなかった。必要なかったからだ。

 俺の中では、凍てつく山道も、薄暗い森の間道も、険しい坂道も、すべて同じだった。ただ淡々と、やるべきことをやるだけ。心の時間は止まったまま、あの楽園での日々を除けば、いつも緊張を解くことなく、ひたすらに目標に向かって歩いてきた。


 だが、ここには俺の目的となるものがあるのかもしれない。

 その期待と、ここに辿り着けた安心感からか、少しだけ、俺の心が緩んだのだ。その隙間に、人のいる世界の風景が流れ込んできた。


 わざわざ美しいと言うほどの場所ではない。華やかさではデーン=アブデモーネルのほうが勝っているし、整然とした美しさ、秩序だった街並みということなら、ピュリスのほうがずっと上だ。

 ただ、ここにはまた、違った味わいがある。例えば、さっきの街並みは……言葉にするなら、上品な老婦人のようだ。だが、それがこの都市のすべてではない。


 少し行くと、路地の幅が狭くなった。それに、細かく曲がりくねっている。この街には、ほとんど大通りといえるものがない。

 そんな限られた空間に、これでもかというくらい、物や人が密集している。あちこちに屋台が立ち並び、そのそれぞれが、なにやら派手な提灯のようなものをぶら提げて、客を引き寄せようとしている。

 商業地区に入ったのだ。落ち着きのあった街並みは一転して、急に色とりどりなものに切り替わった。壁を赤く、或いは青く塗り潰した家が目立つ。もともとの建物の作りは、さっきの住宅街のものと変わらないのだが、その上からゴテゴテと装飾をくっつけた感じだ。二階のバルコニーは、重みで傾くほどに迫り出して、そこにまた、提灯や旗、飾りなどがこれでもかと言わんばかりに並べ立てられる。

 狭い路地には、客引きが当たり前のように立っていて、それぞれ声をあげている。これだけ混雑しているのに、ツルハシを手にした鉱夫達は、ぶつかることもなく人込みをすり抜けている。


 既に空は濁った藍色に染まりつつある。そんな中、地上にポツポツと見える照明が、この景色を照らしている。

 夕食時というのもあって、あちこちからおいしそうな匂いが漂ってくる。あまり馴染みのない、ツンとくるハーブの香りもだ。かと思えば、化粧の濃い女とすれ違い、香水の匂いが鼻を痺れさせたりもする。これから仕事なのだろうか。

 どこかから弦楽器の音が聞こえる。それに合わせて歌っているであろう男の声も。ただ、素人の俺からしても、明らかに調子外れだ。きっともう酔っ払っているのだろう。


 この猥雑さ。この活気。

 そして、どこか懐かしさを感じさせる。


 おっと、いけない。

 この人込みだ。となれば、スリや引ったくりに出くわす可能性もある。気を抜くのもほどほどにしなければ。


 それより、どこで何を食べようか。名店に立ち寄ってみるのもいいのだが、それならさっき、ホテルの誰かに紹介してもらうんだった。無用な贅沢かもしれないが、やはり少しでもおいしいものを食べたいのが人というものだから。

 いや、でも、特別なご馳走も悪くないが、せっかくだ。庶民の普通の食事を楽しむのもいいだろう。美食ではなく、B級グルメだ。この路線でいこう。


 となると、目の前には無数の候補が転がっている。庶民の胃袋を満たしているであろう、屋台の数々だ。どれもよさそうにも見えるし、まずそうにも見える。

 すぐ目の前の屋台なんかは、いい感じだ。禿げた中年男と皺だらけの顔をした年嵩の女性の店。回転が速く、次から次へと客がやってきては、去っていく。きっとそれなりにおいしいのだろう。少なくとも、現地の人の口には合うものを出している。

 ただ、何を出しているのかとよく見たら、ガレットだった。またガレット? 昼間にも食べたのに? というわけで、残念ながらパスだ。


 しかし、本当にガレットの店ばっかりだなぁ……


 選んでいるうち、自然と心のハードルが上がる。やっぱり少しでも変わったものを食べたい。あれは……串焼きか。悪くないけど、あれだけというのも。別の店では、小麦のパンケーキも売っている。この辺では珍しい。ただ、値段が高めだし、ハチミツをベットリつけている。食事というより、デザートの位置付けなのだろう。

 違う、これじゃない。もっと、こう、この土地ならではの何かがいい。


「……おっ?」


 何か雰囲気の違う屋台を発見した。大きな寸胴鍋が置かれている。中に入っているのは、スープか?

 それにあれは、麺?


 チャル・メーラの残した麺料理を、いまだに出す人がいたのか!

 書物の中で目にしただけの「伝説の味」……まさか、まだ実在したなんて。


 これは嬉しい。いったいどんな料理なのだろう? ぜひとも味わってみたい。

 それに……これを食べてみたいと言った彼女は、もう二度と目覚めない。なら、せめてその分、俺がしっかり食べておかなくては。こんな味だったよ、と報告するのさえ、叶わないとはいえ。


 幸い、今は客もおらず、空いていた。だが、たまたまだろう。脇に置かれた寸胴鍋は、よく使い込まれたものだ。きっとまともな職人が仕事をしているに違いない。

 俺はさっさと歩み寄り、屋台の前に据え付けられた細長い木の板の上に腰を下ろす。


「おー? らっしゃーい」


 間延びした声。

 俺は「ん?」と片眉を吊り上げる。


 声の主は、女だった。

 眼鏡をかけた、そばかすだらけの顔。この辺では一般的な金髪が、短めに切り揃えられている。赤紫色の上着に身を包んだ彼女の年齢は、十代半ばか、後半に差し掛かったくらいか。

 この若さで、店主? それともただの店番か?


 料理は、何より経験だ。特にこの世界のように、情報の伝達が不十分なところでは、尚更そうだ。この若さで、熟練の味が出せるとは思えない。

 いや、でも、子供の頃から厨房に立ち続けていれば、それなりの水準にはなる。だが、それにしては。


 ピンときた、というか。流行ってる店の人間は、こんな抜けた空気を醸し出したりはしない。明るくハキハキしているか、忙しくてサバサバしているか、どっちかだ。

 それに身だしなみも気になる。髪の毛がボサボサだ。髪質のせいかもしれないが、それなら頭に頭巾をかぶるなど、何か対策をするべきだ。人の毛が入った料理なんて、客に出せるものじゃないのだから。

 もしかして、ハズレを引いた?


「うちでは麺料理だけですよー」

「あっ、はい」

「銅貨四枚ですー」

「え、ええっと……はい、これ」

「じゃ、作りますねー」


 そういうと、彼女は作業に取り掛かろうとする。


「えっと、あなたが?」

「そうですよー?」


 しまった。

 どうポジティブに考えても、これは悲惨な結果を招きそうだ。

 なぜなら……


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 チャル・メーラ (16)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、女性、16歳)

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル 格闘術    1レベル

・スキル 罠      1レベル

・スキル 隠密     1レベル

・スキル 水泳     2レベル

・スキル 医術     1レベル

・スキル 商取引    1レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 大工     1レベル


 空き(7)

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 なんだ、これ。

 名前負けってレベルじゃない。


 器用貧乏? 違う。これは、やたらと飽きっぽい性格ということか? どの技術も、少しかじっただけで、成長が止まっている。微妙に冒険者っぽいスキルが並んでいるが、どれも中途半端だ。とはいえ、これだけ数があるのを見ると、先天的な才能に問題があるわけではなさそうだ。

 しかし、問題なのはそこではない。あの伝説の料理人の名前を持ちながら、料理の技能をまったく身につけていないのだ。


 前向きに考えると、たとえば元となるスープは、他所で誰か別の人が作ったという可能性もなくはない。というのも、道具のほうは、なかなか立派な面構えをしているからだ。最初に目に付いた寸胴鍋からして、昨日今日買ったような代物ではなく、よく使い込まれ、手入れされてきた形跡が見て取れる。だからこそ、安心してここに座ったのだが。

 しかしそれでも、麺を茹でる腕前なんかは、きっと絶望的だろう。せっかくのスープを台無しにする麺……ああ。


 案の定、茹でる時間が長すぎて、余計な水気でダボダボに膨らんだ麺が出てきた。それがスープに放り込まれる。スープもスープだ。前もってお椀に注がれているのはいいとして、そのタイミングが早すぎるせいで、もう冷めかかっている。これでおいしくなるはずがない。

 本当なら、席を立って俺がやり直したいくらいだ。だが、さすがにそれは失礼すぎる。これは俺の店ではない。


「はい、召し上がれー」


 俺は黙って丼を受け取り、まずは添えられたスプーンでスープを一口、すすった。期待できそうなのが、そこしかなかったからだ。


「……むぐっ!?」

「どうしましたー?」

「い、いや」


 ひどい。

 なんだ、このエグ味は。

 寸胴鍋の風格に似合わず、スープの味は、言葉にできないほどひどかった。というより、これ……


 ……アク取りすら、していない?


 塩味や、鶏の旨みが、どれもこれもバラバラで、まとまっている感じがしない。調和という言葉からは程遠い、チグハグな味わいだ。まるで金属の鍋と蓋とをギリギリとこすり合わせたような不快感。それが舌を苛む。

 麺のほうは、やはりというか、うまいも何もあったものじゃなかった。コシがまるでない。

 チャーシューのような肉の塊があったので、食べてみる。おや? これはおいしい。なんだ、具材は悪くないじゃないか。と思って、他のものを口に入れて……吐き出した。これ、腐りかけてる!? 理由ならすぐわかった。客が少なくて、消費しきれない食材が古くなったせいだ。しかも、今は夏場だから。


 なんでこんな。これで平気なのか?

 何かこう、この世界には変な呪いでもあるのか? 眼鏡をかけた女の料理はマズい、というジンクスとか。


「……ごちそうさま」

「えーっ? まだスープも麺も残ってるじゃないですかー」

「う……あの、すみません、お腹いっぱいになっちゃいまして」

「そうですかー」


 こいつ。

 またピンときた。全部食えというのは、廃棄食材の後始末が面倒だからか。くそっ。

 それなら、もっとマシなものを出せ。


 前世でも、まずいものを食べた経験ならある。あるが。

 ここはまさに、違った意味で「伝説の味」だった。もう二度と来るか。

 俺は宿に引き返しながら、肩を落として溜息をついた。


 夕食一つで悲惨な一日になった気がしていたが、そんな俺に、小さなサプライズが待っていた。


「……入浴、と言いました?」

「はい。馴染みがございませんか?」


 老齢の支配人が、にこやかにそう尋ねる。


 なんと、ここ、タリフ・オリムでは、温水浴の習慣があった。

 山から温泉が噴き出していて、それがここまで流れてくるのだそうだ。それをいくつかの宿屋が掛け流しにしていて、おかげで俺もそれを利用できる。

 なお、市民が利用する大衆浴場もあり、また源泉の一部は、直接王宮にも送られているのだとか。


「外国からのお客様の中には、好まれない方もいらっしゃるので……その場合は、普通に桶とタオルをお届けしますが」

「いえっ! 入ります! 絶対に!」

「では、こちらの札を。狭いですが、すべて個室となっておりますので」


 仮にもセリパス教圏なので、風呂に入るといっても、不特定多数の他人に裸を見せるのはご法度だ。だから、石造りの巨大なドーナツ型の浴槽が、細かく木の板で仕切られている。個室トイレみたいに狭苦しい空間ではあるが、人目を気にせずのびのびできるというのは、素晴らしい。

 気になるのは湯の清潔さか。ただ、これも、湯を貯めたり循環させているのではなく、どんどん流してしまっているので、さほど気にならない。


 こんなサービスまでついているのなら、うん、やっぱりこの宿は大正解だった。


 夜。

 地上三階の自室で、窓を全開にしたまま、俺は外を眺めていた。


 静かだった。

 それに街のほとんどが真っ暗だった。わずかに王宮の門がある辺り、それと繁華街の方向に、明るい光が見える。だが、それだけだ。


 俺はそっと銀のゴブレットを手に取り、蓋を外した。そのまま、中身をグイッと飲み干す。


 風呂あがりには、やっぱり牛乳だ。それもよく冷えたのを、一気飲み。

 これは神の飲料であって、牛乳ではないのだが、まぁ、似たようなものだ。

 夕食がアレだったので、口直しせずにはいられなかった。食べたりなかったのもある。


 もう一度、蓋を閉じる。すると、いつの間にかまた、中身が補充されている。

 しかも、この飲み物は、やたらと栄養豊富らしい。恐らくだが、他に食べ物が何もなくても、最悪、これさえなくさなければ、餓死はしないのではないかと思う。

 ゆえに、このゴブレットの存在を他人に知られたくないというのも、俺にとっては重要な点だ。やはり、この宿を選ぶしかなかった。


 夜の静寂が心地よい。

 もちろん、ここから見下ろすから静かなのであって、下町のほうは、いまだに人込みでごった返しているだろう。なんとも人間味のある場所だ。

 これまでになく、居心地のいい街だ。そう思う。


 だが、遊びに来たのではない。

 俺はこの地で、聖女の秘密に迫らなくてはいけない。そのために必要なものが……


 傍らの荷物に目をやる。

 リュックから顔を出しているのは、リンからもらった紹介状だ。


 聖女の遺物を調べ、その長命の真実に辿り着く。

 それが俺の目的なのだ。

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