異国の都の喫茶店で、お喋りなオバちゃんを口説く
明るい色合いの四角い木の柱が、剥き出しになっている。壁が大人の腰くらいまでしかなく、風がそのまま吹き込んでくる。日本語で言うなら、いわゆるオープンテラスの飲食店だ。屋根はあるので、日差しだけは防いでくれるが、あまり慰めにはならない。夏暑く、冬寒いこの盆地で、どうしてこんな構造を選んだのか、問い質したくなる。
素朴な造りの木の椅子の上に腰掛けると、店員らしきオバちゃんが、好奇の視線を向けてきた。身なりのいい黒髪の少年が、一人で勝手に席に座ったのだ。何事かと思うのも、無理はない。
「こんにちは、坊や。見ない顔だね?」
やややせ気味の、気忙しげな印象のオバちゃんだ。日焼けとほうれい線が目立つが、声色は明るく、親しみやすい。
俺は席を立ち、まっすぐ向き直る。これも作戦のうちだ。
「先日、留学の目的で、エスタ=フォレスティア王国より参りました」
「まぁ」
彼女の目に、驚きの色が浮かぶ。
タリフ・オリムは歴史の都であり、貴重な文献もそれなりに残されている場所だ。といっても、帝都のような、いわゆる世界の中心と違って、どうにもローカルなところという印象が拭えない。普通はパドマに行くし、セリパス教徒なら神聖教国で学べばいい。一部の例外がこちらに来るのだが、それだって近隣の国々からに限られる。具体的には、南の山脈を西に迂回して行き着けるシモール=フォレスティア王国や、その隣のマルカーズ連合国だ。ちなみに神聖教国からはほとんどこない。
なので、更に東にある国からとなると、相当に珍しい。
「至らないところも多々あるかと思いますが、お目こぼしいただければ幸いです」
「しっかりした子ねぇ」
俺は軽く会釈する。あんまり丁寧にはしない。
既にこの説明で、俺の身分が普通以上だというのは、相手も察している。なぜなら、留学できるという事実が、地位の高さを示すからだ。富裕層の出身か、或いは貴族の下僕あたりか。
ついでに言うと、今朝一番に新しい服を買って身につけている。この暑い盆地でしばらく過ごすのに、分厚い冬の旅装のままでは耐え難いという理由もあるが、せっかく拠点を構えて、騎士の腕輪を見せびらかして行動するのだから、多少なりとも外見を整えておいたほうが得だと考えたのだ。
そういうわけで、度を越えて腰の低い態度をとると、相手も困ってしまう。もしくは不審な目で見られる。だから、あくまで年長者に対する礼、という範囲にとどめる。
「えっと……何か軽く食べるものと飲み物は」
「ああ、そうね、そうそう、何にする?」
「逆に、あの、何があるか、よく知らなくて」
「冷やしたお茶と、ガレットがあるわね。あと、果物も」
「あ、じゃあ、果物とお茶をください」
ガレットはもうたくさんだ。今朝もホテルで食べた。
まずくはない。むしろおいしいし、どこもレベルが高い。どうやらこの街の人間は、ガレットを常食しているらしい。
だが、まだ昼前だ。ここでしっかり食べてしまうと、あとあと困る。
「そう? いいの? 暑いからって水っぽいものばっかりじゃ、バテるわよ?」
「次から気をつけます」
そういうと、彼女は頷いて、奥へと引き返していった。
俺は店内を見渡す。
この時間だ。
普通の人は働いている。よって、のんびりお茶と果物を楽しむ余裕なんてない。店は開けてあるが、客が入るのはもう少し先。つまり、オバちゃんは暇。ついでに言うと、俺も暇といえば暇だ。
まだ俺は、目的とする教会に出向いてはいない。
久しぶりに昨夜は熟睡した。朝、遅い時間に目を覚まし、もそもそとホテルで朝食を済ませた。目的地は教会なので、宿の人に行き先を告げたところ、午後からの訪問を勧められた。
やっぱりなんだかんだいって、セリパス教なのだ。神壁派といえども、その生活は厳しい。早朝は祈りに捧げられ、その後の朝の時間も修行と学習に充てられる。ゆえに、来客を受け付ける余裕があるのは、午後からとなる。
それなら、と目当ての場所をぶらぶらと歩いて、観光していたのだ。もちろん、遊び目的というだけではない。情報収集、それにいざという時の話題のためだ。
リンからの紹介状があるとはいえ、俺は異教徒で、しかも外国人だ。
そして、立ち入らせて欲しいと望んでいるのは、聖女の祠。この国の宗教において、もっとも重要な場所といえる。あの白い壁を掘れと命じた聖女が起居した洞窟で、彼女が姿を隠してからは、聖地とされている。当然、一般人の無許可の立ち入りは厳禁だ。
そこをなんとか、融通を利かせて欲しいとお願いするのだから、実はなかなかの難事だったりする。よって俺は、司教に好かれる必要があるのだ。
だから俺は、午前中の暇を利用して、あちこち歩き回ってみることにした。こうして飲食店にも立ち入り、暇そうにしているオバちゃんを口説き落とそうとしている。
「ほいっ、お、ま、た、せ!」
ノリのよさそうなオバちゃんだ。これはいい。
「ありがとうございます! おいくらですか」
努めて明るい声で応じる。
「おー、先払いしてくれる? そんじゃあ、銅貨五枚ね」
「はい、こちら」
「まいどー……うん?」
チップの習慣はないらしい。二枚ほど、余計に握らせたのだ。
「多いよ。坊や」
「いいんですよ、取っておいてください」
「ふうん?」
彼女は銅貨を手に、また奥に引っ込んでいった。戻ってきてくれるといいが。
半ば祈りながら待っていると、案の定、彼女はゆっくりとこちらに近付いてきた。向かいの椅子に座る。
「よっこらせっ、と」
「おかえりなさい」
「坊やは、どっから来たんだい? あっちの王都?」
心の中でほっと一息つきながら、俺は答えた。
「いいえ、ピュリスです」
「へぇ! あそこもいい街だっていうね」
「ええ。でも、ここだって負けてません」
「そりゃそうさね! ここ、タリフ・オリムは、セリパシアじゃ一番の街なんだからさ」
カラッとした雰囲気の、いいオバちゃんだ。そして、話し始めると止まらない。地元の自慢が始まる。
「へぇ……でも、お隣の聖都もきれいだと聞きましたが」
「あー、あんなもん! 比べものにならないよ! きれいはきれいでも、あっちは清潔なだけさ。イヤミなくらいにキレイキレイ、ってね。どっこいこっちは、なんといってもあったかみがあるからねぇ」
「あたたかみ、ですか」
俺の言葉に、いちいち身振り手振りで彼女は応じる。
「そうさぁ。人情ってもんがあるのさ。それに実際、ここはあったかい街なんだから。夏場はちょっと暑いけど、冬もそこまで寒くはならないんだよ、ここはね」
「そうですか? 盆地ですし、冷え込みそうですが」
「あぁ、そういうけどさ。知ってるかい? ここから西に行くと、リント平原があるだろ?」
「はい」
「あそこの、ほら、西の壁を越えてちょっといくとね、完全にもう平原に出るんだけど、もう、寒いったらないよ! 秋の半ばから終わり頃になるともうね、北からカラッ風が吹くようになるんだ。盆地の中は普通に秋なのに、外に出たらもう真冬だね」
それは初めて知った。
理由を考える。
別に俺は気象学の専門家でもないし、この世界の正確な地図を持っているのでもない。だが、リント平原は遮るもののない、乾燥した大地だ。ここから北の方がどうなっているかは知らないが、ずっと北の果てまで陸が続いていて、何も障害物がなかったら。熱を貯めておく水がないから、熱くなるのも冷えるのもすぐだろう。
「あたしらは、だから秋の半ばになるとさ、『龍神様の季節が来た』って言うのさ」
「龍神?」
「ヘミュービ様だよ。世界の西方を守護する龍神様っていったら、他にいないだろ?」
「は、はぁ」
俺は若干、戸惑っていた。本来、龍神を信仰の対象とするのは、女神教だ。原初の女神と、五柱の龍神がこの世界を創造したとしているからだ。対するに、セリパス教の聖典では、龍神についての記述がない。
だから、仮にもセリパス教圏の人が、龍神について言及したのが、意外に感じられたのだ。
「あの」
「なんだい?」
「僕はずっと南の方にいたので知らないんですけど、やっぱりこの国の皆さんは、セリパス教徒ですよね」
「もちろんさ」
「龍神様のことは、どう思っているんですか?」
俺の質問に、彼女は肩をすくめた。
「よくわからないけど、多分、神様。そんなもんさ。モーン・ナーが原初の女神様ってんなら、龍神様だって、そのお仲間に違いないだろ?」
「なるほどです」
考えてみれば、ギシアン・チーレムがセリパシアを征服し、それから三百年もの間、女神教もまた、世界中に広まったのだ。龍神とはなんぞや、という認識についても、いわゆる習合が起きる余地はあった。
「ちょっと意外です。セリパス教徒って、女神様のことだけ見てるものなのかなって思ってまして」
「ああ、ま、セリパス教徒っていっても、簡単じゃないのさ」
「確かここは、神壁派の」
「そうなんだけどさぁ」
ハーと溜息をつきながら、オバちゃんは手首をパタパタさせた。
「ひとくくりに神壁派っていっても、いろんな奴がいるわけよ。わかる?」
「わからないけど、わかります。どんな方がいらっしゃるんですか?」
「そうねぇ、まず……最近だと、王様かね」
「は? 最近? 王様?」
この街の人にとっては常識でも、俺には未知の事情がある。そして、書物に情報が載っているとは限らない。誰もが知っていることを、改めて本に書き記すことの価値を、この世界の人々はまだ知らないからだ。
とりあえず、いろんなセリパス教徒がいるといわれて、どうして最初に王様が出てくるのか。俺は首をかしげた。
「ミール陛下はいい人なんだけどねぇ、どっちつかずなところが玉に瑕かしらねぇ」
「はい」
「もう即位なされて十年は……経ったわね、去年、記念式典やってたから」
「そうなんですね」
「そうよ。王宮の広場で見たから。子供にお菓子配ってたわ。あの王様は、本当にこう、かわいらしいっていうか?」
「かわい……? もう、確か四十近いお歳だったかと」
「そうそう。コロコロしてて、背が低くて。庶民派のカワイイ系の王様って奴だね」
言ってることが支離滅裂だ。庶民の対義語が王様なんじゃないかと思うのだが。だいたい、セリパス教徒といわれて、なんでまず王様なのか。
「で、どっちつかずというのは?」
「あー、そうそう。こっちに大きな教会が六つあるんだけど、まぁ、神壁派っていってもね、いろいろあるのよ。司教が六人もいて」
この辺は、既に旅立つ前に予習済みではある。だが、あえて初めて聞いたかのような顔をする。
「あたしね、クロウルが大っ嫌い。なによ、アレ。聖職者なら聖職者らしくね、教会の中だけで仕事してればいいのよ!」
「そんなにお嫌いですか」
「そりゃもう。坊やね、勉強するなら、クロウルの教会に行くのはやめときな。あん畜生は金のことしか考えてないからね」
「へぇ?」
「自分じゃ『融和派』なんて言ってるけど、もう、あんなもん……得するのは商人と貴族だけさ。大事な鉱石をどんどん外国に安売りしちゃってさ。教国の機嫌ばかり気にして」
「ははぁ、なるほど」
これも多少の事前情報なら、持っていた。
神壁派の国とはいうものの、必ずしも一枚岩なんかではない。この国には、この国ならではの利権があり、懐事情というものがある。
「それにさぁ」
「はい」
「ジョロスティ師ったら、カッコいいんだもん」
両手を頬に添えながら、オバちゃんは夢見る乙女の顔でそう言った。
「は、はぁ」
「言ってることも立派なのよ。もっと王国の東側を開拓せよ! 人々の生活水準を向上させよ! 外国に頼って金貨ばかり集めてどうするんだ! ってね。全部言う通りよ。だいたい、王都の外側が貧しくなると、こっちに出てくる連中も増えてさ、余計な騒ぎも増えるんだから」
事前に聞き知っていた限りでは、クロウルもジョロスティも、まだ派閥の中心人物ではなかった。だが、以前からこの国の神壁派が、更に『融和派』……別名『売国派』と『独立派』……またの名を『強硬派』と呼ばれる集団に分かれているのは、知っていた。
融和派の方針は、経済的利益の拡大だ。良質の鉱山を持つタリフ・オリムは、西方貿易によって利益を得ている。神聖教国やシモール=フォレスティア王国などとの取引を、もっと盛んにしようという考え方をしている。
対するに独立派は、未開発の王国東部の開発こそ優先すべきという意見を持っている。
「あんたさ、どっから来たの?」
「えっ? さっき言いましたが」
「道よ、道。南から? 東から?」
「あ、ああ……東です」
「不便じゃなかった?」
「物凄く苦労しました」
「でしょ?」
つまり、ジョロスティ率いる独立派は、未開発のままに置かれている地域をもっと豊かに、もっと便利にしようと考えている。
なお、なぜ独立派と呼ばれるかというと、西側貿易、つまり神聖教国との関係を小さくしようとしているからだ。となればその分、東側のエスタ=フォレスティア王国との関係を深くする必要が出てくる。
これだけ見れば、なるほど、独立派が正しいようにも思える。だが、ことはそう単純ではない。
神壁派は、聖女の奇跡ありきで成立する宗派ではあるが、それが別個の集団として発展してきた背景には、やはり権力者との繋がりがあった。セリパシア本国の教会勢力のくびきに悩まされた歴代皇帝にとって、都合のいい宗教組織たり得たからこそ、ここまで育てられたのだ。
だから、当初の神壁派は、より世俗的で、簡単に権力者に靡く代物だったらしい。権力者は、聖典派と神壁派の勢力争いを利用しながら、それでも内部分裂まではさせないよう配慮しつつ、自分の望む政策を実現させてきた。
それが一変したのが、諸国戦争からだ。セリパシア王国の正統が途絶え、傍流が東方に逃れて独立した。西方の本国は、新たな王威に服することなく、ついに教会組織が国を乗っ取った。結果、聖典派と神壁派は、互いを異端と罵りあう関係になってしまった。
要するに、アルディニア王国にとっての仮想敵国は、常にセリパシア神聖教国であり、逆もまたそうなのだ。但し、神聖教国のほうが規模が一回り大きいし、敵に回している相手も多いのだが。
で、そうなると、聖典派も馬鹿ではないので、いろいろと工作を仕掛ける。
仮想敵国は、あくまで仮想の敵であって、別に現在、交戦状態にあるわけではない。それどころか、アルディニアの貿易ルートは、主として西側の回廊を通っており、神聖教国やマルカーズ連合国、シモール=フォレスティア王国と経済的な関係がある。
そこで六人の司教が出てくる。神聖教国は、自分達寄りの立場で発言してくれる聖職者を後押しする。といっても、表立って聖典派に歩み寄れとは言わせられないから、多少の工夫はする。例えば、もっと西側との貿易を拡大しよう、規制を緩和しよう、といった具合に。それを今、引き受けているのが融和派のクロウル師というわけだ。
だが、それを一概に間違っているとか、汚いと言い切ることもできない。
王国東部の開発が順調に進む保証はない。そこは地方貴族の領地なのだ。彼らの協力が得られるとは限らないし、富ませたところで王家に寄与してくれるかはわからない。それに、王国側が過度に強硬な態度をとれば、関係が悪化するのは避けられない。神聖教国を本格的に敵に回したら、大変なことになる。
「でも、王様が、なぜ」
「ああ、そうだったわね」
話が逸れたと気付き、慌てて取り繕う。
「六人の司教の会議に、陛下も加わるようになったんだけどね、五年位前から」
「聖職者の会議に?」
「ほら、もともと、ここの王様って、神壁派の代表みたいなものだったしさ。司教の会議も、結局はいろいろ決める場だったわけだし」
この王国では、聖と俗の権力が両立している。
俗世の権力としての頂点は、無論、国王だ。一方、宗教権力については、六人の司教が代表権を握っており、普段は彼らの合議制で物事が決められる。重大な問題については、そこに国王を交えて、七人で投票を行う形になっている。その場合の議長は、国王が務める。
それがいまや、ミール二世が常設の議長になってしまった、ということか。
かつてアルデン帝は、本国の宗教組織の行き過ぎた権力に対抗しようと、この地で独自の組織を構築し、自らその頂点に居座った。アルディニア王国が創建されてから、国王はそのやり方を真似てきた。
だが、必ずしも国王が聖職者の会議の議長を務めるような状況が続いたわけではなかった。影響力を行使できるのは長所だが、自身もまた、影響される。宗教組織が世俗の権力に食い込みすぎては、元も子もない。歴代の国王は、パワーバランスを見ながら立ち位置を決めてきたに違いない。
ミール二世、か。
ざっと見た限りでは、大きな問題も起きておらず、王都は平和そのものだ。なので市民の評価も悪くない。もっとも、ここまで旅してきた感触としては、地方領主達が割と好き勝手に行動しているし、それに掣肘を加える様子も見えなかった。果たして彼は名君なのか、暗君なのか。
「はぁー……もうすぐ秋の祭りだし、気が重いわぁ」
「お祭りなのに、ですか?」
「楽しみっちゃあ楽しみなんだけどさ。だいたいこの時期になると、ほら、貴族の家来とか、そういうのが東側の田舎からワァーってくるワケ。そしたらまーたいろいろゴタゴタが起きたりするんだからね」
なるべくそういう揉め事に巻き込まれないうちに、必要な調査を済ませてしまいたいものだ。
そこからも彼女のお喋りは止まらなかった。
結局、俺は目の前のブルーベリーとお茶に、ほとんど手をつけることができなかったのだ。
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