修羅の道
その日も、山間の村は快晴に恵まれた。
いつもは閉ざされていた関所の門も、今は開け放たれている。谷間を渡る冷たい風がここまで吹き込んで、すこぶる爽やかだ。
そんな城門前の広場に、村人達が集っていた。
「よーし、後片付け済んだか、テンタク」
「もう、舐めてもええくらいきれぇだべ」
「ったく、臭くてかなわねぇからな、お前のは……」
ムアンモに呆れられながらも、彼は頭に手をやり、からからと笑っている。その頭の天辺からは、ごっそりと毛が失われていた。それと上の前歯も一つ、欠けている。あの格闘の時、テンタクはジノヤッチのブーツにしがみついた。あんまり強く噛み付いたせいで、蹴飛ばされて引き剥がされる際に、折れてしまったのだ。
よって見るも無残な姿だったが、彼はあっけらかんとしていた。
「よーお、酒樽持ってきたぞぉー」
「おっし、飲むか」
ジノヤッチ達狼藉者を追い払った。そのお祝いだ。
これは領主のエルたっての願いからの催しなのだ。この酒も、城館の酒蔵から持ち出されている。
……なお、あの火災の件は、うやむやになった。恐らくエルあたりは、俺が放火したらしいことに気付いている。というより、他に犯人がいるはずもない。村人達は、城館の中に踏み込めずにいたのだから。だが、経緯と事情も鑑みて、あえて不問としてくれたのだろう。
「干し肉ならあるでよ」
「おお、上等上等」
家々から持ち出された椅子とテーブルが、石畳の上に並べられる。その、一際大きいテーブルの前に、丈の高い大きな椅子が置かれた。
「じゃ、お前さんはここ、ここじゃ」
「はい?」
ムアンモが俺の手を引いて、そこに座らせる。
「お前さんがジノヤッチの野郎をぶちのめしてくれたおかげで、こうやって元通りの暮らしができるようになったんだでな。今日の主役はお前さんじゃ」
「いえ、僕は」
「いいからいいから、ま、干し肉くらいしかねぇが、好きなだけ食ってくれ」
そうこうするうち、他の村人達も集まってくる。男も女も、子供も老人も。
椅子の数は足りていない。ほとんどは立ったままだ。
「行き渡ったかー」
「よっし、それじゃあ……乾杯!」
「ひゃっほー!」
本当に嬉しそうに、彼らは木のジョッキをぶつけ合い、そして顔にぶっかける勢いで酒を飲み干した。
「今日、行くのか」
気付くと、後ろにネチュノが立っていた。
「あ、はい。昼には出発しようかと思っています」
「一度見ちゃあいたけど、やっぱお前、とんでもなかったんだな」
「それほどでも」
「よせよ」
俺も椅子から降り、向かい合う。
サルスが、ニュミの手を引いてこっちにやってきた。
「よぉ、ファルス」
「はい」
「びっくりしたぜ。騎士ってのはすげぇんだな。そんでもって武者修行かぁ、羨ましいったらねぇな」
「……サルスさんも、まだ修行の旅に出たいですか?」
「んー」
彼は、中空を見つめつつ、顎に余った手を置いて、しばらく考える素振りをした。
「いや、やめとくかな」
「おや?」
「いやー、お前と旅に出たら、俺もそんだけ強くなれるのかもしんねぇし、面白そうだし? やってみたくはあるんだけどさ」
「はい」
「ほら、あれ」
顎で指し示した先には、へこへこと頭を下げて回るテンタクが。
「なっさけねぇったら、ありゃしねぇ。なんで俺まで掃除しなきゃいけねぇんだよ」
ネチュノも横で溜息をついた。
「最後、ビビリまくって、鼻水に涙、ヨダレにクソションベン、垂れ流しだったからなぁ……」
「おかげで城門の前が汚れまくりだってぇの! まーたみんなに笑われちまいやがってさ」
「はっははは!」
いつものように、彼らは容赦なくテンタクの悪口を並べ立てる。
「オマケにあの頭。雑草だらけの畑みてぇだ」
「歯が抜けたせいで、マヌケな顔が余計、マヌケに見えるようになっちまったしな」
「てぇことでよ」
サルスは俺に向き直る。
「しょうがねぇけど、あのバカ親父の面倒は、一応、俺達が見なきゃいけねぇんだわ。だから行けねぇ」
「ほっといたら、コロッと転んで、勝手に頭打って死にそうだからな」
「ああ、ネチュノ、それそれ。ホント、どーしよーもなくバカだからなー」
「はっはっは!」
馬鹿にしている……ように見える。
「ま、それじゃせめて、この村のいいもん食って、楽しく過ごして行ってくれよ」
「また、暇になったら遊びにきな」
それだけで、子供達三人は去っていった。
続いてやってきたのは、ムアンモとボトナ、フェルメルだった。
「やぁ、ファルス君っていうんだってね」
「ほんに世話になっただ」
「いえ、とんでもありません」
少し真顔になって、ムアンモが言った。
「本当に申し訳なかったな。この村の問題に、他所から来たお前さんを巻き込んでしもうたで」
「いえ、あれくらいは。気になさらないでください」
「何か礼をしたいんじゃが、わしらにはこれといったものもないんでのう」
「いえ……まぁ、その、騎士というのは、社会貢献を責務としておりまして」
「はっはっは! こりゃあわしらよりずっとかまともじゃわい!」
そこへテンタクがフラフラとやってきた。
「おう、ファルス、食っとるかぁ」
「はい、いただいています」
「いや、なんもやれとれんでよ」
ボトナが顎に手を置き、困ったように呟く。
「なぁ、どんなお礼をすればええんだかなぁ?」
俺からもらいたいものなどない。
それより……
「あの、でも、頑張ったのは僕だけではありませんし。テンタクさんは?」
「ああ、テンタクかい?」
すると、三人揃って手を横に振る。
「ああ、いらんいらん」
「テンタクはテンタクだからなぁ」
「役に立ったどころではないわ、こいつは……まーた城門の前に粗相しよってからに」
「ぶはっはっは!」
散々けなされながら、今日もテンタクは笑うばかりだ。
「そらあしょうがねぇでよ。おらぁ、ちょっとつつかれただけで、やわかいのが出ちまうだ」
「お前な、飯食ってる場所で、生々しく言うなや」
「ははは、そらそうだべ」
話す横から、子供が一人。
「おんや、キチュク、どうしただ」
「ママ、ねぇ、キャッタがいじめるの、ママー」
「はぁ、しょうがないねぇ」
ボトナとフェルメルは、俺に会釈すると、その場を後にした。
ついでとばかり、ムアンモも俺に背を向ける。
「なぁ、ファルス」
テンタクが俺に声をかけた。
「本当に今日、行っちまうだか?」
「え、ええ、そのつもりです」
「そっかぁー……」
「どうしました?」
すると、彼は髪の抜けた頭をポリポリ掻きながら言った。
「いやぁ、うちは賑やかなほうがええだでな」
「えっ……はい」
「ファルスがよければ、いつまででもうちにおってええだぞ?」
彼の言うことは変わらない。
いつでもそうだ。
「……せっかくですが、僕には目的があって」
「ああ、そうだったべな」
「だから、どうしても行かないと」
「別に言い訳はせんでええだぞ」
言い訳。
彼は何の気なしにそう言ったのだろうが、俺の胸には槍のように突き刺さった。
「あの」
「んー? どうしたべ?」
「どうして、その、僕を?」
自分でも信じられないくらい、弱々しい声が漏れて出てきた。
「ほあ? 理由なんかいるべ?」
「いえ、そうではなく……だって、見たでしょう? 僕は、他の子供達とは違います。自分で生きていけますし、ちゃんと力もあります」
「そうだべなぁ」
「別にテンタクさんは、僕に仕事をして欲しいとか、お金が欲しいとか、そんな風に思っているわけではないんでしょう?」
「そらそうだ」
「それなのに、どうしてまだ、他の……一人では生きられない子供達のように、守ろうとするんですか?」
この問いに、彼は腕組みして考え込んだ。もともと、難しく考えるのは、彼の得意とするところではない。
「なんとなく、だべかなぁ」
「なんとなく、ですか」
「こう、なんつったらええんだべな? 確かにファルスは、おらよりずーっと賢いし、ずーっと強いんだけんども……なんかこう、なんでかわからんけども、同じに見えるんだべ」
同じ?
「ああっ、だから、な? こう、サルスとか、ネチュノとか、ニュミみたいに、見えちまうんだわ、どういうわけか」
「子供だからですか?」
「いやぁ、キチュクやキャッタは、別にそうは思わんでよ。もちろん、おんなじくらいかわええけども」
何を言わんとしているかは、わかった。その通りだ。
けれども、彼自身がその言葉を見つけ出すことは、きっとないだろう。
「で、やっぱ行くんだか?」
「……ええ」
「そいつは寂しいなぁ。けど、いつでも戻ってきてええでな」
彼はそう言ってくれる。
俺は顔を見られなかった。
「やー、それにしても」
そんな俺の気持ちを察することもなく、彼は一人で喋っている。
「一つもかなわんかっただなぁ」
「はい?」
「ほれ。村にいる間、ファルスと勝負するって言ったべ?」
「ああ」
「けど、頭でもかなわんし、力でもかなわんし、もう、負けてばっかだべ! はっはっは!」
その時、遠くから声がかかった。
「おーい、テンタクー」
「ほーい?」
「ちょっと片付け手伝え!」
「お、行かにゃならんで、まぁ、また後でな!」
テンタクは身を翻し、城館のほうへと歩き出す。
俺はその後姿を見送った。
弱虫。愚か者。根性なし。情けない男。
彼は当たり前のようにそう呼ばれ、本人もまた、それを受け入れている。
……どこが?
城門の前で糞尿を漏らした? そんなの当たり前だ。死ぬのだ。絶対に敵わない相手に立ち向かったのだから。
死ねばもう、何も残らない。かわいがってきた子供達の笑顔も見られない。何より恐ろしい。怖くて怖くて、普通なら何もできない。
だが、彼は余計なことを一切考えていなかった。
目の前にいる三人の子供達、これを救うことしか。だからこそ、俺が砦の脇の扉から出てきた瞬間、その場の全員の視線が集中した隙を見逃さなかった。我が身を盾に、彼らを逃がすことができたのだ。
あれだけ恐れていたジノヤッチに、体ごとぶつかっていった。髪の毛を毟り取られ、殴り倒されても、なおブーツに噛み付いた。歯が折れても、剣を向けられても、決して離そうとはしなかった。子供達が逃げ切るまでの数秒間、それと己のすべてを引き換えにした。
彼は、捨てたのだ。
なくしたくないものは、あれもこれもある。自分の命も、子供達の命も、どちらも失いたくはない。だが、すべてを守りきるのは無理だ。であれば、どちらを取る? 何を優先すればいい?
彼はシンプルに選び取った。子供達を取り、自分の一切を捨てた。平然と。
あの時、あの場だけの勇気? 激情に駆られただけ? 違う。
彼はずっとずっと考えていた。子供達のことばかりを。だから、足を止めたサルスに言ったのだ。逃げろ、と言いかけて、走れ、と言い直した。いつもいつも、サルスが「テンタクみたいに逃げてばかりの男になりたくない」と言っていたのを、覚えていたから。
ここでテンタク自身は死ぬ。そうしたらきっと、後でサルスが後悔する。あの時、逃げたからだと。そうではない。後ろに逃げたのではなく、前に向かって走ったのだ。少しでも心の重石を軽くしてやりたかった。
彼は、彼なりに冷静だったのだ。
思えば、彼の振る舞いは、いつだって一貫していた。
俺がジノヤッチと初めて会った時、彼は何をした? 辱められ、自分の汚物まで食べさせられた。ここでも、彼は捨てていたのだ。目の前のファルスを救うか、自分を守るか。迷うことなく、あっさりと。
そして、彼にとってはすべてが断崖絶壁だった。鉄の農具さえ扱えない不器用さだ。毎日毎日、木の棒で畑を耕すばかり。普通の人にとっては当たり前の日常でも、彼にとっては全力必死の闘争だった。
自分一人だけで生きるのもつらいのに。彼は、いつでもすべてを賭けてきたのだ。見捨てられた魂を守るために。自分と同じ苦しみを、決して彼らには味わわせないために。
この世で一番弱々しく、そして同時に最も勇ましい。
この上なく愚かで、しかも必要なことをすべて知っている。
途方もなく貧しいのに、何不自由しない。
そして誰よりも卑しい身の上なのに、その魂は万人の頭上に気高く輝いている。
世界は彼を知らない。
同じ村の住人でさえ、彼を気安くあざける。
だが、そこには彼ら自身気付かない静かな敬意がある。
彼は当然のように穢れを引き受ける。彼が救うのでなければ、子供達は死ぬしかなかった。それは本来、村人達の罪だった。
もし見捨てられた孤児達が村の脇で死んでいたとしたら、今頃、この集落はどうなっていただろう? 誰もが陰気に黙りこくり、醜悪な事実から目を逸らしつつ、心を閉ざして生きるしかなかった。
彼がいるから、彼が一切を許してくれるから。村人達は人間らしく笑って暮らせるのだ。
それに、俺は初めて聞いたのだ。子供達が彼を「親父」と呼んだのを。
目の前の彼はいつものようにガニ股で、ヒョコヒョコと歩いている。
まるで、歩き方を覚えたばかりの嬰児のような覚束なさで。
穢れなき幼子が、背中から女神の祝福をいっぱいに受けて、この世界を闊歩するのだ。その、なんと眩しいことか。
……到底、俺なんかが敵う相手じゃなかった。
昼過ぎに、俺は荷物を背に、関所の門をくぐった。
テンタクは泣きながら手を振り、子供達も笑顔で見送ってくれた。吊り橋を歩いて渡り、山の中の道へと踏み込んでいく。
次の村までは、歩いて丸一日の距離だ。
その辺りから、道が細かく枝分かれする。だが、どれを通っても、大抵は王都に繋がっているから、まず問題はない。なるべく旧ロージス街道を歩くようにすれば、楽に進めるはずだ。
暖かな午後の日差しを浴びながら、俺は歩いた。
景色は次第に、荒々しくも美しいものになっていく。切り立った岩山、底の見えない谷。その合間の、割合平坦なところに、青々とした草と暗い色合いの針葉樹が生えている。
絶景といっていい風景だが、ざっと見る限り、山脈を越えた時よりはずっと安全な道らしいとわかる。大型の野生動物、ましてや魔物が暮らすには、ここは狭すぎる。村と村の間隔も広いとはいえないから、魔物の集団に出くわす機会は、あまりなさそうだ。
ただ一つの懸念を除けば、この先の旅はしばらく安全だろう。
自然、俺の思考は自分の内面に向かう。
彼から「この村に残っては」と言われた時、俺は想像しないではいられなかった。
もし、生まれた場所がリンガ村でなく、ここチェギャラ村だったとしたら?
見慣れない黒髪の捨て子を、テンタクは迷わず拾い上げたことだろう。そして、何の見返りも求めず、ひたすらに守り育てようとしてくれたはずだ。歳を重ねた俺は、サルスやネチュノのように、馬鹿な親父だから苦労させられる、とこぼしていたに違いない。
だが、その実、彼は常に愛情を注ぎ続けてくれたはずだ。裕福な暮らしは与えてくれない。かっこいい父親にもなれない。母親もいない。それでも。
なのに、どうして俺は、こんな風に生まれてしまったのか。
ほんの山一つ、生まれた場所が違っただけで。
あの村に生まれていれば、きっと今頃、俺は平凡な村人として、穏やかな暮らしを営んでいた。いいことも悪いこともある普通の人生を手にしていただろうに。
もう引き返せない。引き返すわけにはいかない。俺は前に進まなければいけない。
そんな俺の思考が、半ば予期していた危険に中断された。
目の前の木の幹が、鏃にえぐられる。俺は立ち止まるだけでそれを避けた。予感的中といったところか。
「チッ……」
後ろは下り坂。右手は森。左手は草も生えない岩だらけで、その下は急な斜面になっている。その向こうには丸い石がゴロゴロしている川原が広がっていた。
彼らは、そこに身を潜めていたのだ。
「なに仕留め損なってんだよ」
「済みません、お頭ぁ」
「まぁいい。今度はこいつも一人だ。二日前みたいにゃあいかねぇよ」
案の定、か。
ジノヤッチだ。
彼らは、村の西側から追い出された。なぜかというに、東側には関所がないから。彼らを食い止める壁が、西側にしかなかったからだ。
そして、得てしてこういう下劣な根性の人間は、小さな恨みも忘れない。こんな子供に負けるなんて、本来ならあり得ないはずだから、尚更だ。だが、今回は大丈夫。何しろ、近くにエルがいない。魔術で援護されてはいないのだから、この人数で襲えば、負けはない。
もちろん、それだけではないだろう。彼らは実利にも注目している。
俺は、腰のものを抜き放った。
「見ろ、やっぱりそうだ。あの剣だけはなくすなよ」
王都にいた経験のあるジノヤッチは、俺の剣がミスリル製だと見抜いた。
叩き売っても金貨二千枚くらいにはなる。手下どもと平等に分割したとしても、結構な収入だ。もっとも、こいつがそんなに良心的に振舞うはずはないが。
「ったくさぁ……こんなガキに負けなきゃ、私も今頃、こんなとこにいないで済むのに」
「ゴチャゴチャうるさい、ヤラマ」
「結局、寝不足だし、お風呂にも入れないし、最悪」
「また水浴びすればいいだろう」
「やぁよ。寒いし、だいたい、こいつらに覗かれるし」
下から男達が剣や槍を手に、這い上がってくる。およそ十人ほど。少し減っている。
あの敗北を受けて、手下をやめたのもいたのかもしれない。確認したが、やはりこれだけしかいない。見えているので全員だ。
俺は、武器を持って下卑た笑いを浮かべる彼らを見て、初めて安堵の息を漏らした。
「……本当に落ち着く」
「は?」
「気持ちが安らぐ……こっちのほうが、ずっと楽で簡単だ」
どうしようか?
こいつらは敵だ。しかし……
意味不明な呟きに戸惑う彼らに、俺は改めて宣言した。
「……この世界で出会った中で、最も清らかな魂に免じて」
「なに?」
「一度だけ、悔い改める機会を与えます」
彼は、ジノヤッチ達の助命を願った。
だから、彼らがやめるというのなら、俺も見逃そう。
俺の宣言に、彼らは、はたと黙り込んだ。そして、次の瞬間、どっと噴き出した。
「はぁ? ぶっはははは! 何言っちゃってんの、こいつ?」
「もうネタは割れてんだよ! お頭が言ってたぜ! エルの奴が、なんか後ろから魔法で助けてくれてたから、勝てただけだろ?」
「おい、よせよ。こいつはこいつなりに、頭使ったんだろうよ。ハッタリかまさなきゃ、死んじまうんだから」
「はっはぁ、ちげぇねぇ!」
仕方がない。
なら、もう、結末は決まった。愚かにも、彼らは聖者の加護を擲ったのだ。
俺は身を翻し、右手の森に踏み込んでいく。森といっても、さほどの奥行きがないのはわかっている。すぐ行き止まりになり、そこは断崖絶壁だった。
「ばぁーか! こんな狭いところで、どこ行こうっての?」
「馬鹿、待て。突き落としたら、剣が」
「面倒だな、おい」
別に怖いから逃げたわけではない。街道のど真ん中に証拠が残るのが嫌だった。ここなら少しは目立たないだろう。
俺は静かに振り返り、剣を左手に持ち替えた。
「おい、ガキ」
先頭に立つジノヤッチが、威圧的な態度で言う。
「その剣を寄越せば、見逃してやらんでもないぞ」
嘘だ。ここで俺を突き落として殺したら、ミスリルの剣を回収できなくなる。それが嫌だから、先に金品を奪い取ろうとしているのだ。
構わず俺は、かざした右手に詠唱を重ねる。
「おい、聞いてんのか」
そうこうするうち、右手に赤い光が宿りだす。
「あ? あれ? お頭ぁ、なんすか、あのガキの手」
「は? 赤い……」
「うんっ? ま、まさか、これは」
もう遅い。
そもそも触媒を取り込んだも同然の俺ならば、ここまで時間をかけなくても、行使できるものなのだ。もう充分、力は溜まった。
集団の中心に向けて、指を向ける。突然、出現した火球が、ひしゃげながら飛んでいく。
「うあ」
それ以上は悲鳴も続かなかった。
爆音を轟かせながら、それは炸裂した。四人くらいの手足が吹き飛び、その場で絶命した。あまりのことに、ジノヤッチも後ろを振り向く。だが、俺は手を止めない。次、また次。
太い木の根元が折れる。それが倒れ掛かって、また三人くらいが押し潰される。三つ目の火球の爆発に巻き込まれて、二人が死んだ。
「あとはお前だけだ」
オーガの群れに比べれば、なんということもない。
あっという間に手下を片付けられて、ジノヤッチは混乱していた。だが、とりあえず戦うという選択をしたらしい。モタモタと腰の剣を抜き、ドタドタと踏み込んで、振りかぶった。その瞬間、膝がおかしな方向に捻じ曲がった。
「うがっ!?」
ふう、と溜息をつく余裕すらある。
受けた剣の先端を、剣術の基本の型に従って、そっと後ろに流す。それだけで、バランスを崩したジノヤッチは前方に……崖の下へと、突っ込んでいく。
「う、うおあああ」
小さな激突音が悲鳴を途中で遮った。
俺は足元を見る。大木の下敷きになったうち、まだ二人が生きていた。無言で首に剣を突き刺した。
「う、うそでしょ……?」
一番後ろで見ていただけのヤラマが、逃げ腰になっている。このまま街道に出られたら……どうせ他には旅人もいないだろうが、せっかくだからここで仕留めよう。
振り向いて駆け出そうとしたところで、ぺたんと座り込んだ。いきなりの激痛に、立っていられなくなったのだ。
「ちょ、ちょっと」
俺は無言で近付き、手を伸ばして彼女の長い金髪を掴んだ。
「ま、待って! 待って! 許して! お願い!」
もう少し奥、他の死体の近くで片付けよう。そう思って俺は引っ張り続けた。
四つんばいになりながら、彼女は懇願を続ける。
「なんでもするから! 殺さないで!」
話などしない。
こいつは俺を殺す気だった。助命の機会も与えた。それを無視して、襲いかかってきた。なら、これが当然の結果だ。
「あ、あげるから……純正の魔術書」
「……なに?」
「知らないの? 魔法の本よ! 本物なのよ!」
彼女は手を地面についたまま顔をあげ、必死に訴えた。
「売れば、金貨一千枚……ううん、もっといくわ! ウィッカー家の宝なの!」
「それはどこにある」
「ジノヤッチの荷物にあるわ! あれ、あげるから! だから助けて!」
それはそれは。
いい情報をもらった。まぁ、どうせ全員殺した後で、所持品を確認するつもりではあったのだが。
「あ……ちょっと! きゃあっ! は、話が違うじゃない!」
別に、もらったからって助けてやるとは言ってない。
さて、この辺でいいだろう。ちょうどいい感じに四つんばい。髪の毛も引っ張られて、うなじがきれいに見えている。
「こ、この……じゃあ、奴隷にしてもいいから! この体でも、売れ」
大根でも切るかのように、俺はあっさり剣を振り下ろした。
ストンと首が落ち、耳障りな叫び声も途切れる。
せっかくだ。
最後に絶景を楽しむくらいは許してやろう。
俺は剣を放り出すと、首だけ持って、森の向こう側の絶壁の近くまでいった。そこでハンマー投げの要領で、ヤラマの首を谷間に投げ飛ばす。
まだ数秒間は意識があるはずだ。人生最初で最後の、空からの眺め。気分はどうだろう?
背を向け、剣を拾う。遠くからコツーンと何かが落下したのが聞こえた。
剣についた血を見て、俺はふと、足元に突っ伏すヤラマの首なし死体に目を向けた。おもむろにスカートの一部を引き千切ると、それで剣の血を拭った。残ったゴミはその場に捨てる。
何か冷ややかな笑いが浮かんでくる。地面に肩をつけて、尻だけ突き出したいい格好。下着も丸見えだ。性欲は感じないが、この辱めには愉悦すら覚える。
たぶん、俺の口元は笑っていた。きっと、顔に張り付く不可視の仮面がそうさせているのだろう。
すぐさっきの街道の左側に引き返し、俺は荷物を漁った。彼女の言っていた通り、古びた魔術書があった。どうするか、少しだけ考えたが、自分の物にさせてもらうことにした。村まで返却にいくということは、俺がジノヤッチ達を皆殺しにしたのを説明するのと同じだ。
さて、そうすると、後始末の仕方も考えなくてはいけない。
ジノヤッチ達は多少の金銭も持ち歩いていたが、それには手をつけないことにする。
盗賊の襲撃ということにされると、下手人探しが始まってしまう可能性があるからだ。だから、ここは生ゴミを有効活用するとしよう。
バクシアの種に入れっぱなしになっていたオーガの死体を取り出し、捨てた。それをジノヤッチの手下どもの武器で傷つける。これでよし。
本当なら、この体で怪力を発揮してみたくもあったが、それはまた、次の機会にする。
チェギャラ村を追放された彼らは、ここで魔物の襲撃を受け、全滅した。少々不自然だが、こんなものだろう。
結局、これが現実なのだ。これが俺の運命、俺の道。
お人よしの養父の下、のどかな村で暮らす人生は、一時の幻でしかなかった。
魔術書を背負い袋に納め、剣を鞘に戻して、俺は街道に引き返す。目の前に広がるのは、暗い緑色の木々と、無骨な岩の塊ばかり。
まだ旅は始まったばかりだ。
目指す彼方は、いまだ遠い。
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