狙われた子供達
重い。肩が軋んでいる。すぐ目の前にあるはずの青空が、こんなにも遠い。
数度羽ばたいて、諦めて地面に降りる。金貨だけで数キロ分、それに荷物や装備がある。着替えや毛布、調理器具、水筒……さすがに一度に運べる分量ではない。だから三つに小分けにしたのだが、それでもまだ重い。
フクマットとアンダラがこの村を訪れてから、二日が過ぎた。
いくらなんでも、これ以上、無意味に足止めされるなんて、我慢ならない。
何をしているのか知らないが、ジノヤッチはあれから城館の外に出てこない。さすがにこれでは、関所を通るなんて無理だ。
また見張りを打ち倒して、いっそジノヤッチも成敗して、というのも選択肢ではある。ただ、彼の周囲には十人以上の冒険者崩れがいる。一人、二人なら剣だけで片付くが、その数となると、さすがに厳しい。剣で戦おうにも、身体強化薬はもうないのだ。
勝とうと思うなら、もう火魔術で決着をつけるしかなくなる。これは手加減できない上に、下手をすると関所ごと焼失する危険もある。ジノヤッチを殺すのはまだいいとしても、巻き添えでエルやヤシリクが死んだら寝覚めが悪いし、アルディニア王国へのテロ行為にもなってしまう。
ついでにいうと、強大な魔力を操る少年であるという事実が残ってしまう。今までは、魔力を使う機会があっても、いずれも目に見えるようなものではなかったし、直接目撃した人もごく少数で、殺した敵か知り合いに限られていた。唯一の例外が王子の近侍との試合だが、あれも詳細は曖昧で、結局は噂の範囲に留まっている。だが、関所を丸焼きにしてしまったら、もうごまかしがきかない。
だから、もう一つの手段を今、検証しているのだ。
諦めて南に引き返す……というふりをして、山と崖を飛び越える。
だが、思った以上に厄介だ。これはもう少し細かく荷物を分割しないと、とてもではないが、無理だ。
小さな袋をいくつか村の中で調達するか。金貨を見せれば、売ってくれる人もいるだろう。
地上に降りて、俺は周囲を見回してから、人間に戻る。そしていそいそと服を着る。
しょうがない。今夜もテンタクの家で厄介になるか。だが、明日には絶対に出発する。
ずっしりと重いリュックを背負い、俺はまた、村の中へと引き返す。村外れのテンタクの家は、少し行ってすぐ左。近くにある。
今日はサルスもネチュノも、庭の畑の草むしり……あれ?
青々としたセリが、今日も元気に伸びている。その横に、鎌が転がっている。サルスがいつも使っているものだが……はて?
拾い上げて確認する。これはひどい。鎌の刃の真ん中あたりが、ひどく潰れている。どんな野菜を刻めばこんな風になる? 樫の木を削ったって、こうはいくまい。テンタクの家は貧しいのだ。道具を粗末に使う余裕など、なかろうに。
それに、今気付いたが、どうも畑が踏み荒らされたような形跡がある。大人の足跡が、くっきり残っているのだ。そのせいで、斜めに傾いでいるセリもある。
これは変だ。
「サルスさん?」
家の中に入る。
「ニュミさん? ネチュ……」
そこで俺は言葉を途切れさせた。一室しかないからすぐわかる。誰もいない。
立地に恵まれないこの家は、床からの湿気と寒さを少しでも遮断しようと、床が高く作られている。だからこの辺には珍しく、靴を脱いで上がりこむような造りになっているのだが、どういうわけか、板間が泥に汚れていた。それに、奥の食器がいくつか割れて散乱している。
この状況。
難しく考えるまでもない。
誰かがテンタクの家を襲撃した? それ以外、何がある?
しかし、目的は? 金品? テンタクの家に、そんなものはない。ということは……
俺はいったん家を出て、周囲を走って確認した。やはり、誰もいない。サルスやネチュノの死体もない。ということは、襲撃者は子供達を攫っていったのだ。
だが、誰が?
魔物が、という可能性はあまりない。
一応、この家は南側の森に面してはいる。よって、山脈に潜むオーガあたりがやってきて、子供達ばかりのところを狙ったというのも、絶対にないとは言い切れない。
しかし、あの手の魔物は、あまり知性が高くないとはいえ、それなりの社会性と判断力がある。山道を一人で旅する人間は襲っても、集落を攻撃することは滅多にない。個人なら行方不明で済むが、村を荒らせば討伐隊が山狩りをする。報復の程度を想像するくらいならできるらしいのだ。
ということは、人間がサルス達を誘拐したことになる。そして、村人のほとんどが互いに顔見知りというこの狭い社会で、そんな乱暴な真似をしでかす人物は、一人しかいない。
どこまで俺が関わるべきかはともかく、まずはテンタクに伝えなくては。
そう思って家を離れ、白い敷石の街道に出たところで、息を切らして走るムアンモの姿が見えた。
「あ……」
「お、おう! お前さんは無事じゃったか!」
では、やはり?
「何があったんですか!」
大声で叫びながら、俺も走りよって距離を詰める。近くにきたところで、彼はこれまでの疲労を吐き出すかのように、膝に手をついて苦しげに呼吸を繰り返した。
「子供、達が、連れ去られ、た」
「それはジノヤッチに?」
「そう……ゴフォッ……だ」
「何のために」
「わからん」
「テンタクさんには」
すると彼は、首を左右に振った。
「迂闊じゃった」
「えっ?」
「わしが知らせてしもうた」
「それが問題ですか?」
「みんなが止めるのも聞かんで、一人で砦に走っていきよったわ……」
なんてことだ。
そうだ、テンタクが黙っているなんてあり得ない。もちろん、戦うとか、立ち向かうなんてことは考えられないが、なんとか子供達を救おうとはするはずだ。
しかし、どういう理由でそんな行動に走ったのかはわからないながらも、ジノヤッチも実力行使に踏み切った。ここまでのことをしたのだ。邪魔な相手となれば、あっさり殺害する可能性もある。
「追いかけましょう」
「お、おい、よせ」
「テンタクさんだけでも、連れ戻さないと」
「逆じゃ。お前さんだけでも逃げろ」
だが、聞かばこそ。俺が本気を出せば、ジノヤッチ達が全滅する。
もちろん、油断するつもりはない。戦うか、戦わないか。もしやるとなったら全力だ。容赦なく皆殺しにする。中途半端が一番いけない。
俺は西に向かって走り出した。その後を、ムアンモもフラフラと追いかける。
城門の前で、俺は人影を見つけた。
いつもの守衛が二人。それと、その前で土下座するテンタク。
「頼むで、一度、話を聞かせてくれだ! なんでこんなことするだ!」
「知るかよ」
「子供の顔、見せてくれだ! 無事なんか? あいつらは」
「うるせぇ! 帰れ!」
「帰んねぇ!」
ガバッと立ち上がると、彼は哀れっぽい涙声で、必死に叫んだ。
「おらぁともかく、ガキンチョどもが何したっていうだぁ!」
「こ、こいつ」
「お、おい」
守衛の片割れが、追いついた俺に気付いた。
「あの野郎、きやがった!」
「どうする? 妙に手強いぞ、あのガキは」
「ハッ! なんてこたぁねぇよ」
どうやら前回の教育的指導が甘すぎたらしい。まだ俺に敵うと思っているのか。
だが、今回は何の罪もない子供達を拉致するという暴挙に出ている。これならもう、手加減も助命も必要あるまい。
しかし、守衛の一人は悠々と腰の鉈を引き抜いた。それをテンタクに突きつける。
「な、なんだべ」
「おい、テンタク」
「おう?」
「後ろ見ろ」
そこでやっと俺に気付いたらしい。
「ファ、ファルスでねぇか!」
「あのガキに帰れって言え。じゃねぇと」
俺に対しての「テンタクが人質なんだぞ」というアピールだ。その無防備な首に刃が添えられる。しかしテンタク本人には、また違った意味で理解されていた。
「あかん、ファルス、ここ危ねぇだ! に、逃げろ! 早く逃げるだ!」
そう言うと、テンタクは身を守るどころか、自分から二人の守衛にしがみついた。
「ちっ」
「構わん」
掴みかかってはくるものの、殴ったり、凶器を取り出したりというわけでもない。守衛達の手も自由だ。だから彼らは鉈の切っ先をテンタクの首にあてたままでいる。
さすがにこれでは、俺も手を出せない。まさか肉体を消し飛ばすわけにもいかないし。いや、『行動阻害』なら、或いはなんとか……。
「早く! 早ぁく! ファルス! 逃げろぉ!」
テンタクが必死に叫ぶ。そうこうするうち、後ろから息を切らしたムアンモが追いついてきた。
……くそっ。
「さ、帰るぞ」
ムアンモは、俺の肩に手を置いて、そう言った。
仕方がない。
「テンタク! ファルスはわしが帰らせるでな!」
彼はそう叫ぶと、俺の肩を引っ張る。
この場ではどうにもなるまい。俺は逆らわず、そのまま城砦に背を向けた。
二人の守衛は、立ち去っていく俺に安堵の溜息を漏らしつつも、何事か話し合っていた。彼らは頷き合うと、いきなり身を起こしてテンタクを取り押さえ、脇の通路へと引っ張り始めた。子供達は拉致したから、恐らくは同じ場所……あの地下牢にテンタクも放り込むことにしたのだろう。
「……それで、どういうことなんですか」
石橋のところで、俺は村人達に説明を求めた。
「どうもこうもねぇべよ」
ボトナが腰に手を置き、首を振って応えた。
「旦那と一緒に畑に出てたら、なんかお城のほうから、ジノヤッチと手下どもがゾロゾロ出てきてな。それが戻ってきた時にゃあ、子供らぁを小脇に抱えとっただ」
「理由は?」
「なんも。訊けるわけねぇだ」
「で、それを」
「間抜けじゃったわ」
石の上に腰掛けたムアンモが、すっかりしょげかえってそう言う。
「テンタクに知らせなけりゃあよかったかもしれん」
「そんなの、しょうがねぇでよ。どうせ気付くで、そうなったら同じことだで」
「あの」
俺は疑問を重ねた。
「こういうことって、前からあったんですか? 昔はかなり無茶をしてきたって聞いてはいますけど」
「いんや、村人を殴ったり、畑ぇ荒らしたりはあったが、ここまでのこたぁ、初めてだ。人攫いの真似事なんざしでかすのは」
「悪いことしたってわけでもねぇのに、いきなり牢屋行きたぁ、聞いたこともねぇでよ」
ということは、ジノヤッチとしても、これは意味のある行動に違いない。
ただテンタクをいじめているとか、そういう漠然とした何かではない。彼は子供の身柄が欲しかったのだ。
「それより、ファルスだべ」
「そうじゃな」
「こりゃあ、なんかわからんけど、まずいに決まっとるで、もうこの村、出たほうがええだ」
「おう、はよう出て行ったほうが」
「まぁ、待て。もう昼過ぎだで、今からだと、すぐ夜になるで、街道のほうは危なくなるだ。いざとなったらしょうがねぇが、明日の朝一番に出たほうがええな」
「んじゃ、それまでは」
「テンタクの家で、何かあったらすぐ逃げるつもりでいねぇと」
一度、深呼吸した。
胸の奥から、やけに熱っぽい吐息が漏れて出てきた。
「……そうですね」
俺は背を向けた。
その声に、怒気が混じっているのを感じ取ってか、いきなり周囲が静かになった。
卑しい。
本当に卑しい。
彼らはまともなことを言っているつもりなんだろう。逃げろ、逃げろ、と。これが善意、これが常識的判断なのだと、疑いもせず。
では、どうして一致団結して立ち上がらない?
確かに彼らは、戦う力を持たない農民だ。しかし、ジノヤッチには十数人の仲間がいるばかり。しかも、大した技量もない。多少なりとも強いのはジノヤッチだけだ。大人達が全員、農具を手に雪崩れ込めば、勝負にならないほどでもない。犠牲を覚悟すれば、村の仲間であるはずのテンタク達を救い出せるはずなのに。
だが、そんなことは考えもしないのだ。
いつも厄介ごとをテンタクに押し付けて。自分達の恥や失敗も彼に尻拭いさせて。
頭も悪く、要領も悪い彼を見下してきて。
いざ、彼が困っている時には、やいのやいのと騒ぐだけ。誰も体を張って助けようなんて思わない。
わかっている。
これが人間だ。
前世での俺はどうだった?
テンタクとどこが違った?
いつもいつも苦労を押し付けられて。大事なものは何一つ残せなかった。上っ面の言葉しか、返ってこなかった。
ニコチン中毒の母の最期を看取ったのも、認知症の父の生活を支えたのも、俺だった。俺一人だった。金にも困った。寝る時間も足りなかった。何一つ助けてはもらえなかった。それでいて、父の葬式の時、「お前が目を離したから」と責められた。
仕事を仲介した派遣会社は? ガッポリ中間マージンを取っていくくせに、何かあっても口添えなんかしてくれなかった。俺に非がなくても、客先の理不尽をそのまま受け入れた。そのせいで収入が途絶えたのも、一度や二度ではない。かと思えば、仕事の条件を一部偽って、強引に契約を取り付けてくることもあった。そういう場合でも、なんとか現場を切り回すのは俺の責任だった。
どうだ、テンタク。
これが世界だ。
お前の善意が、どこで何の役に立った?
……俺は無言でテンタクの家に引き返した。
俺の目的は不老不死を得ること。そのために探索の旅を続ける。この村で何が起きたって、知ったことじゃない。
袋を買い求める手間が省けた。この家にも、いくつか使えそうな布の袋がある。これに小分けすれば、なんとか谷を越えられるだろう。六往復もするのは面倒だが、やってできないことでもない。
当面の食料にも困らない。庭には野菜が植わっているし、ジャガイモや古びたパンもある。これらも回収すれば、次の集落までもつだろう。
さあ、荷物をもう一度整理しよう。
大金を持ち歩いての旅だ。それに大事な道具をなくしたら、取り返しがつかない。うっかり金貨を抜き取られているかもしれないし、確認は欠かせない。
俺は袋を開けた。
そこからゴロッと重みのある何かが転がり出てきた。
それは、彼が出会った日にくれた、橄欖石の原石だった。
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