力なき主
今日もチェギャラ村はいい天気だった。青い空にうっすらと白い雲がかかっている。春の優しい日差しが、掘り返された黒い土の上に降り注ぐ。
テンタクには、ただの散歩と伝えてある。だから俺の行き先は知らない。
ほどなく、西の端にある城砦が視界を覆い尽くした。
「こんにちは」
「また来やがった」
「ジノヤッチ様はおいでですか」
「いねぇよ。帰れ」
想定通りだ。なら、まずは正規の通行手段を選ぼう。駄目なら、強行突破だ。
「では、領主のエル様にお取次ぎをお願いします」
「ふざけんじゃねぇぞ」
通すつもりはない、か。だが、無理やりでも中に入る。そして領主エルに会い、正式な通行許可をもらう。
やろうとしていることが無茶苦茶な気がしないでもないが、それでも俺は剣を抜き放った。
「なっ」
「てめぇ、ガキでもやっていいことと悪いことってのがあるんだぜぇ?」
どうしようか?
身体操作魔術は、見える形では使わない方向で。火魔術は絶対に使用禁止だ。俺の全力を知られると、最悪の場合に困る。
だが、問題なさそうだ。守衛の二人はさほど強くない。どちらも槍術がたったの2レベルだ。本当にただのチンピラでしかない。これなら、この子供の体でも充分、相手にできる。
剣先を揺すって煽ってやると、一人が槍を棒のようにして叩きつけてきた。俺はそのノロマな動きを、呆れながら見上げていた。技量がないのは、この際仕方がない。それより、この覚悟のない動き。槍の穂先で切り刻むのならともかく、そこをずらして、もっと内側の木の部分をぶつけようとしている。殺すという明確な目標を持てずに、ただ漫然と暴力を振るっている。
槍の穂先にそっと剣を添えて、のびのびと後ろに受け流す。勢い余って、そいつは石の床にバッタリと倒れこんだ。ついでに槍も取り落としている。命綱ともいえる武器の握りが甘い。心構えがなってないのだ。
「こっ、こいつ」
もう一人が驚いて、槍を振り上げる。ああ、そうじゃない、そうやって使うんじゃない。
俺はすっと一歩。間合いを詰めて、首筋に刃を当てる。
「ひっ!?」
幼稚すぎる。せっかくリーチがある武器を使っているのだから。そのままこちらを近づけないように突きつけていればいいのに。振り上げたら、その優位が台無しじゃないか。
「槍を捨ててください」
「くっ、この」
「早く」
空気が変わったのを察してか、ほぼ本能的に手を離す。足元に槍が転がる。
俺は空いた手で「こっちに顔を寄せろ」と合図した。なんだ、と身を乗り出したところで、髪の毛を掴む。
「ぐあっ!?」
そのまま一気に俺の胸元まで頭を引っ張って、がら空きの後頭部を剣の柄で殴りつける。それも『行動阻害』を行使しつつ。三度目で、そいつは意識をなくした。
「な、なんだ、この……ぎっ!?」
突っ伏したもう一人も始末。後頭部を踏みにじりながら気絶させた。
これで砦に入り放題だ。その気になれば、こんな関所一つ、簡単に突破はできる。ただ、それで後から問題になるのが怖いだけだ。剣を鞘に戻すと、俺は脇の勝手口から中に立ち入った。
小さな扉を抜けると、薄暗い通路だった。すぐ左、そして右手に折れる。そしてそこは階段だった。
時計回りの方向に登り坂。ちゃんと防衛を考えられて作られた城砦だとわかる。この拠点は、本来は西側からの侵攻を防ぐためのとして建造されたのだろうが、それでも内通者だって出るかもしれないし、門を打ち破られる可能性もある。だから、城門下の階段からでも、簡単に駆け上がれるようにしてはいけない。
階段を登りきると、そこは二階だった。外から見た限り、構造的には地上四階までありそうだが……
城門のすぐ上の部分には、広い窓があった。そこの廊下も幅広で、大勢の兵士が身を置けるようにしてあるのがわかる。二階の廊下の形を図形で表現すると、ちょうどアルファベットの「H」のような形になっていて、その横棒のところが、ちょうど城門のある通路の真上ということになる。二階もそこが東西を結ぶ廊下になっていて、それ以外の空間が収納スペースになっていた。
俺が立ち入ったのは北東の端からだが、別の階段があったのは、南西の端だった。そこから上と下に進める。とりあえず、下に降りてみた。
すぐに空気が湿気を帯びてくる。地上一階相当まで降りても、まだ下に向かっていた。そこからは螺旋階段となり、降り立った先には古い井戸があった。小さなカンテラが置かれており、ここがまだ使われているのがわかる。井戸の上に身を乗り出すと、遠く水面がゆらめいて、弱々しい灯りを照り返すのが見えた。
脇から伸びた通路があったので、そちらに向かう。だが、俺はすぐに調査を打ち切った。あったのは無人の地下牢だけだったからだ。ろくに管理もされていないらしく、鉄格子にも錆が目立つ。
上に戻って三階に向かう。守備兵にまったく出くわさないのだが、これで大丈夫なのだろうか? あまりに無防備すぎるのでは? ……と考えて、もともとは、そもそもこの村の住民が、この防衛拠点を維持する人員だったと思い至る。いわゆる屯田兵というやつだ。有事となれば、体一つで村人がここに駆けつけ、倉庫に収められた武具を着用し、城壁の上に陣取ったのだろう。とはいえ、そんな時代はとっくの昔。今は戦いらしい戦いもない。
だが、油断禁物だ。ジノヤッチの手下が何人か残っていても不思議はないからだ。ただ、この関所はそこまで大きな城砦とはいえないし、宿泊用のスペースもそんなになさそうだ。普段は近くの民家などに分宿しているのかもしれない。
三階にあがると、景色が変わった。それまでの、どこかガランとした殺風景な感じがなくなって、生活感が滲んできたのだ。足元には古くなった絨毯が敷かれているし、廊下の幅も狭くなっている。つまり、ここからが城主の居住領域なのだ。
しかし、やけに人気がない。警備員はともかく、使用人も置いていないのか? いや、本来なら、村民の中の誰かがメイドとして仕えたりするのだろうが……
三階の一番手前。左側には詰所のような小部屋がある。戦時にはここが司令部になるわけで、検問が必要になるために用意されたスペースだろう。だが、今はガランとしている。
そこから進むと、右手、東向きには窓が、西側には分岐した通路があった。もちろん、窓際に沿ってまっすぐ進む廊下も続いている。とりあえず左に折れた。
興味はすぐに失せた。あったのは客間と風呂場、トイレ。それに調理場だった。なんてことはない。
引き返して、いくつか小さな窓のある通路を北に進む。まっすぐ行くと、今までのより小さなサイズの階段がある。それと、通路に沿って左側に扉が二つ。手前のものから開けてみる。
広間だった。廊下のものより一段上等な赤い絨毯が敷かれ、中央に立派な椅子とテーブルが置かれている。後ろ手で扉を閉じて、そっと室内に滑り込む。というのも、壁際に本棚がいくつもあったからだ。
こうなると、邪心が頭をもたげてくる。魔術書がここにあるなんてことはないか?
カムフラージュされている可能性もあるから、なんとも言えないが、背表紙が魔術文字で書かれていたりすれば、一発で区別できる。本来の目的ではないにせよ、もしかしたら……そう思って、大急ぎで確認を始めた。だが、見た限りではどうも、税務関連の書類ばかりのようだ。
では、ここにはない? それとも、もっとちゃんと調べるか?
そう思った時、足音が聞こえた。どこだ?
今の俺は、泥棒同然だ。というか、やっぱり魔術書への未練もあっての振る舞いなので、気が咎める。
集中して物音の場所を探る。隣の部屋だ。今、扉を開けた。これでは廊下に出られない。どうする?
出てきたら……いや、殺すのはまずい。この際だ。あえてやましいところなどないと、堂々とした態度を取るとしよう。
足音が近付いてくる。やけに歩みが遅い。それに、引き摺るような音がついてまわる。これは、老人のものか?
この部屋の扉の前で、それが止まった。覚悟を決めて、背筋を伸ばして立つ。
扉が開いた。
目の前に現れたのは、背骨の曲がった老人だった。昔はたくましかったのかもしれないが、今は筋肉もすっかり落ち、髪の毛も真ん中から禿げてしまっている。眼窩は落ち窪んでおり、しみだらけの皮膚には生気がない。身につけている衣服は皺だらけのヨレヨレで、しばらく洗濯していないのがわかる。
その彼が、俺をじっと見ていた。俺も、じっと見つめた。
なんてことだ。
このヨボヨボの老人が?
俺は頭を下げ、何食わぬ顔で言ってのけた。
「勝手にお宅に踏み込む失礼、お目こぼしください」
大丈夫だ。言い逃れはできる。
しかし、俺の挨拶にも、彼は反応しなかった。じっとこちらを見るばかり。
何を考えているんだろう? ああ、精神操作魔術を持ってきていれば、簡単だったのに。でも、駄目だ。今はよくても、先々を考えると。
「僕はフォレスティア王タンディラールより腕輪を授かった従士、ファルス・リンガと申します。領主のエル・ウィッカー様にお目通り願いたく」
この一言に、彼は目を見開いた。
本当はわかっているのに、俺は知らないふりをする。
「騎士の腕輪を示したのにもかかわらず通行許可が与えられない件で、直訴させていただきたく存じます」
「どうやってここまで上がってきた」
「守衛の二人には、眠ってもらいました」
「……済まなんだな」
しゃがれた声で、彼は短く言った。
そして、身振りでついてくるように示す。俺も逆らわず、部屋から出た。
彼に招かれるまま、俺は隣の部屋に立ち入った。
「……これは!?」
俺は目を丸くした。
部屋の中には寝台が二つ。一つは老人のものだろう。だが、もう一つには。
漂う薬品の匂い。ベッドの上には、汚れた包帯のきれっぱしが散乱している。そこに横たわっているのは、若い男だった。骨折しているのか、右腕と右足に添木があてられている。もちろん、傷を負っている箇所は、そこだけではない。
「ファルス……殿、とお呼びしたほうがよいかな」
老人が静かな声でそう語りかけてくる。
「呼び捨てにしていただいて構いません、エル様」
「わしのほうこそ……もはや敬意を払ってもらう資格など、持ち合わせてはおらん」
そう言いながら、彼は寝台に腰掛けた。
この老人こそが領主であるエル・ウィッカー。そして、同じ部屋に寝起きしているこの若者が、末の息子のヤシリクだ。俺にはピアシング・ハンドがあるから、正体なら最初からわかっていた。ただ、この状況に驚いたのだ。ジノヤッチが暴力を振るうとは聞いていたが、ここまでとは。
「……ジノヤッチのやつが、関所を通さんのだな」
「はい」
「情けない。わしが甘やかしすぎたせいかもしれん」
それから、彼はぽつぽつと語りだした。若い頃から粗暴だったジノヤッチが、イリクを誘って二人で王都に向かったことからだ。彼らは家柄もあって、王国軍でもそれなりの地位を占めるようにはなった。とはいえ、部隊長止まりだ。それが不満だったのか、汚職事件を起こした。結果、イリクは犯罪奴隷となる。これだけでも、エルにとっては衝撃だったに違いない。
帰ってきたジノヤッチは、やはり領主になると言い張る。だが、さすがにエルはそれを許さなかった。一度は黙って引き下がったジノヤッチだったが、次は徒党を組んでやってきた。最初は、冒険者になったからこのまま南に向かうのだ、といって関所を通過した。ところが彼はチンピラどもと一緒に、村に居座った。
ジノヤッチ自身は、動かなかった。ただ、配下の冒険者崩れどもが、ことあるごとに騒ぎを起こした。それである日、耐えかねたエルは、末子のヤシリクと共に、ジノヤッチに直談判しにいった。その時に、最初の暴行事件が起きた。五年前のことだ。
「わしは構わん。だが、ヤシリクだけでも、せめてここから出て行って欲しいと思っておってな」
「父さん、それはなしだ。兄さんにこの村は任せられない」
以来、ジノヤッチは繰り返しヤシリクを痛めつけた。折れた骨がくっついた傍から、また別の骨をへし折った。この一年、ヤシリクはほぼ寝たきりだ。
城砦に詰めていた民兵やメイド達は全員追い出された。よって、年老いたエルが、慣れないながらも跡継ぎの看護にまわっている。
「本来なら領主の居場所に、あんな……みんなのためなら、いざしらず……!」
左手で拳を作りながら、すっかり筋肉の落ちたか細い青年が怒りを露にする。
身動きすらできない状態で滑稽だろうか? しかし、何度も何度も暴行され、一年近くも寝たきりになりながら、まだ怒りを持続できるとは、大したものだ。いや、それだけ恨みが深いのかもしれない。
「では、ジノヤッチさんは、この上にお部屋を?」
「ああ、領主の私室を自分のものみたいに使ってるんだ。それと、ヤラマもその隣の部屋にいる」
「ヤラマ? というと」
「一応、姉だよ」
話す元気もなく、しゃがみこむばかりのエルと違い、ヤシリクは実に饒舌だった。
七年前、十八歳で嫁いでいったヤラマ。田舎の村の女にしては、なかなかの美人で、エルにとっても自慢の娘だったらしい。
だが、彼女の嫁ぎ先となった王都は、こことは大違いだった。セリパス教圏とはいえ、政教分離されたアルディニアの都は、欲望渦巻く雑多な街だった。中途半端な美貌、それにそこそこ頭のよかった彼女は、途端に退屈を感じ始めたらしい。
夫もよくなかった。エルは大事な娘だからと、なるべく気の優しい男性を選んだつもりだったし、当初はヤラマもそれを不満には思っていなかった。だが対照的に、夫の実家は厳格な気風で、彼女は姑とよく衝突した。
その不満を解消するためか、ヤラマの振る舞いは日を追って奔放になっていった。そして、気弱な夫には、それを止める力がなかった。気付けば彼女は、王都でも特にいかがわしい区域に出入りするようになっており、日常的に酒を嗜むようになっていた。それどころか、春を鬻いでいたとさえ噂された。
いくらなんでも、そこまでひどいことになってしまっては、もはや結婚生活は継続し得なかった。六年間の同居を経て、ヤラマは正式に離婚を申し渡され、実家に戻ってきてしまった。
「……それから、ジノヤッチと一緒になって、好き放題してるのさ。もう、どうしたらいいのか」
俺は相槌を打ちながらも、重要な情報とそれ以外とを切り分けていく。
要するに、どっちにしろヤシリクは戦力外だ。何かあっても、ここから出てくることさえできない。エルはそうでもないが、この老衰っぷりでは、大したことはできないだろう。
ジノヤッチは敵だ。そして、恐らくヤラマも。そして、このヤラマの存在が意外と厄介だ。ジノヤッチが外出していても、彼女が四階にいたら。
……そして、恐らく。
一族の至宝たる魔術書は、領主の私室にある。ジノヤッチが管理しているに決まっている。仮に村を捨てて去るにせよ、これだけは持ち出すはずだからだ。
いやいや、何を考えている? 確かに、ここの領主がジノヤッチその人で、魔術書の所有者も彼一人というのであれば、俺も遠慮はしない。だが、ここにはエルがいて、ヤシリクがいる。この地の平和を守るべきウィッカー家の財産を、どうして横取りなどしていいものか。
「ですが、その」
「何かな、ファルス君」
「ジノヤッチさんは、そのまま領主になれるものなんですか? だって汚職事件で目をつけられているし、騎士の腕輪も没収されたのでは」
「そこなんだけど」
呼吸を整えてから、ヤシリクは続きを話した。
「隣のウゾク村に、フクマットっていう……王国の監察官……まぁ、この地域のお目付け役がいるんだ」
「聞いてます」
「騎士だからね、まぁ、地元でも一番大きな農家の娘をもらって、落ち着いてるんだけど」
「はい」
「……ジノヤッチは、彼にヤラマを押し付けようとしてるんだ」
「ええっ!?」
では、ネチュノが教えてくれた噂話は、本当のことだったのか。
だが、ここはフォレスティアではない。セリパシアなのに。
「一人の男性に、複数の妻なんて、許されるんですか? ここで?」
「駄目に決まってるじゃないか。少なくとも、彼が今の妻と別れるまでは」
「そんなあてがあるんですか?」
「なければ作ればいい。ヤラマはもう、出戻りだ。今更、また不義密通の一つや二つ、どうってことないからね」
そんな口汚い言葉の数々に、エルは身を縮めている。
自分の子供同士で、そんな風に憎みあい、互いに争うなんて。
同情すべきなのかもしれない。だが、悪いが俺は、あえて便乗させてもらう。
むしろ、そんな年齢になるまで、この世界の「ありのまま」の姿を見ずに済んだ、それだけでも幸せだったと思うべきではないか?
「……ヤシリク」
「は? はい、父さん」
「身内の恥をさらすのは、もうその辺にしてくれんか。事情説明にしても、もう十分じゃろ」
自分の中の醜い感情を言い当てられて、ヤシリクは不機嫌そうに黙り込んだ。
「差し当たって、ファルス殿には……ご迷惑をおかけしている」
「いえ」
「悪いのは、すべてわしだ。本来なら、王国にこの件を報告して、軍を派遣してもらうべき案件なのだ。だが、そうなれば……」
「父さん、僕が言っていいことかわからないけど、あんなのもう兄じゃ」
「言ってくれるな。お前には苦労をかけている。だが、わしにとっては」
エルは自分の愚かさ、覚悟のなさをよくわかっていた。
アルディニア王国に、軍の派遣を依頼すれば済む。いくらこの城砦があっても、またエルやヤシリクを人質にしようとも。いったん事が王国に知れ渡り、正式に国軍が送り込まれてきたなら、ジノヤッチに立ち向かう術はない。
だがそれは、自ら息子を殺す行為でもある。村民に迷惑をかけ、末の息子が痛めつけられているのを目にしながら、それでも彼はジノヤッチを殺害する決断を下せずにいるのだ。
もっとも、ではどうやって、という方法の問題もある、か。
彼らは半ば軟禁状態にある。ジノヤッチとしても、エルが開き直るのはまずいし、その場合に外部に連絡をつける手段があっても困る。特に、フクマットあたりに会わせるわけにはいかない。
「難しいとは思うが、わしからも口添えしよう。他の件はともかく、騎士の権利を無視したとなると、のちのち大事になる。なんとか丸く収めてはくれんか」
「はぁ」
「とりあえず、下まで送ろう。わしも一応は領主だ。少しくらいは役に立たねばな」
下に降りると、守衛の二人が立っていた。気まずそうにこちらを見る。
なるほど。子供に伸されただなんて、ジノヤッチには報告できないから。
「二人とも」
エルが声をかける。
「先ほど、ファルス殿の騎士の腕輪を、このわしが確認した。偽物ではないと断言できる。また、ファルス殿の身の回りの事情も聴取した。修行の旅の途上であるのに間違いはなく、よって足止めは許されん。領主として通行を許可する。門を開けよ」
筋道の通った言葉に、だが彼らは、聞こえないふりをするばかりだった。
エルは、ふう、と溜息をつく。
「済まぬな」
「いえ」
彼らもジノヤッチが怖いのだ。
老い先短いエルに従う意味なんかない。ヤシリクだってあのざまだ。ここのボスに収まるのはきっとジノヤッチで、ならば彼の機嫌を損ねるような真似はしたくない。
「……近々、接着剤の取引がある。その時には何とか西に抜けられるよう、わしが手配する。もうしばらく待ってくれ」
そんなに待つのは、さすがにきつい。第一、エルの口添えが通じる可能性もそんなには高くないだろう。これはやはり、鳥になって飛び越えるしかないか。
それとも、いっそ……
寒風吹き荒ぶ山脈よりも。魔物と猛獣の出没する森林よりも。
いつだって邪魔になるのは、人間だ。
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