金貨一枚は情報料
テンタクが家に戻ってきたのは、昼食のためだった。少し時間としては早めだが、今日は俺という来客もいる。多分、腹をすかせているのではと気にかけて、急いで帰ってきてくれたのだろう。
彼の背負い袋の中には、古くなったパンがいくつか入っていた。
「サルス、野菜はあるかぁ」
「取ってきたでよ」
「よぉし、じゃ、それ、今日は父ちゃんが」
「俺がやる」
調理に取り掛かろうとしたテンタクを、ネチュノが遮る。サルスとは対照的に、ほっそりとした体格の少年だ。ただ、眼光はなかなか鋭い。誰かに雰囲気が似ていると思った。そうだ、収容所で相部屋だったウィスト、彼そっくりだ。もちろん、髪の毛は金色だし、顔立ちも全然違うが、抜け目のない感じがするのだ。
実際、見た目だけでなく、彼は万事うまくやった。そもそも、テンタクには料理のスキルがない。養父の不器用さを熟知しているであろうネチュノは、彼に火を扱わせることの危険を無視できなかった。水を入れた鍋の中にさっと適量の塩を入れ、野菜を入れて茹で、浮いてきたアクを掬い出して捨てる。なんともシンプルで、貧しい食事だ。
「よし、食えるぞ」
「おぉ、いつも悪ぃなぁ、ネチュノ」
彼の頭を撫でさすりながら、テンタクは笑顔で言った。
「お前はきっと、将来、大物になるべ」
「ならねぇよ」
「んなことねぇべ。こんなに頭ええんだでよ」
頭がいいだけでなく、現実的なのだろう。彼は自分の境遇を正しく把握している。
子供にしては理解が早い? そんなことはない。前世の孤児院では、赤ん坊すら身の程を弁えていた。恵まれた家庭の乳幼児は、授乳の際にも遊ぶのをやめない。ところが摂食の機会が限られる孤児院の赤ん坊は、迷わず全力で乳を吸う。乳幼児ですら、空気を読んで、自分の生存を図ろうとするものなのだ。まして言葉も通じる少年となれば、尚更だ。
こうして彼らは、タマネギにジャガイモ、キャベツが入っただけの薄味野菜スープとパンだけで昼食を済ませる。育ち盛りの子供には、やや少ないくらいだろう。
やはり貧しい。この貧困にあって、なお俺の金貨を受け取らないとは。いや、彼に大金を持たせても、仕方がないのか? この知性では、まともに買い物ができるかどうかも怪しい。いっそ、サルスかネチュノあたりに支払ったほうがいいかもしれないくらいだ。
「じゃ、おらぁ、また仕事いってくるでよ。サルスはどうするだ」
「俺は、まだ雑草取らねぇと」
「おお、そうか。じゃあ、ネチュノは」
「……山で食えるもん、拾ってくる」
「けど、ニュミは誰がみるだ」
サルスが言った。
「ニュミは、家にいろ。あと、ネチュノ、あんまり奥行くなよ」
「わかってるって」
どうやらみんな働くらしい。当たり前か。
末娘のニュミだけは、まだ五歳なので、仕事がないが。薄汚れたワンピースを着て、隅の方にちょこんと座る、内気そうな少女だ。
「あの」
俺も顔をあげる。
「僕も何か、お手伝いしたほうが」
「ああ、ええで。ファル……ファルク……」
「ファルスだって言ってんだろ」
「ああ、悪ぃ、ファルスだな、もう間違えんべ」
ネチュノの物覚えのよさを見習って欲しい……が、それは無理な相談か。
「ファルスはお客さんだで。それに、遠くからきて、くたびれてんだろうから、休むとええ」
「いえ、ご厄介になっているんですから……」
「じゃあ、俺の手伝いをしてくれよ」
ネチュノが言った。
俺もそれがいいと思う。
「では、そうさせていただきます」
「ええんだか? まあ、好きにするべ」
山の中に入る。人里付近は魔物もそうは出ないだろうが、やはり安全とは言えない。いつものことなのだろうが、万一もあるだろうから。
ガニ股のよちよち歩きで村の中の畑に引き返すテンタクを見送ると、俺はネチュノについて、南側の斜面を登っていく。か細い木々が、ところどころ斑に汚れた灰色の肌をさらしている。足元にはまだ、冬の名残の落ち葉や枯れ枝がたくさん落ちていた。
「おい」
前を歩くネチュノが声をかけてくる。
「お前、山で暮らしたことはあるか?」
「いいえ、ありません」
「だろうな……じゃ、俺がいいって言ったもん以外は取るな。いいな?」
「はい」
俺は素直に従う。今の季節を考えるに、食べられる一部の野草の新芽か、もしくは茸を拾い集めるのだろうが、前者はともかく、後者は素人が手をつけていいものではない。野草の毒は、一日以内に症状が出るし、見分けるのも比較的簡単なのだが、茸の場合はそうもいかない。遅効性の猛毒で、気付いたら手遅れ、なんてこともあり得る。だから、この森に慣れたネチュノに任せるのが一番なのだ。
では、なぜ俺が彼についていくことにしたのか? 一つは飢えた野生動物に出くわした場合の護衛、もう一つには……話をしたかったからだ。
斜面の上、木々に遮られた向こうから、淡い日差しがここまで届く。青葉が伸びて、森を暗く包むのは、もう少し先のこと。
それでも、温かくてみずみずしい空気は、既に春のものだった。
「よし、籠持て」
「はい」
木の根元にしゃがみこんだネチュノは、そこに生える茶色の茸を摘み取る。日差しにかざして、じっくり細部を観察し、間違いがないことを確認してから、彼は俺の手にある籠の中へと放り込む。
「……なぁ」
「はい?」
「なんでお前、一人でこんな村に来たんだ?」
「それはさっき申し上げた通り、王都に向かう途中で」
「変だろ」
彼は立ち上がり、日光を背に、顔だけ向けて俺に言う。
「お前、セリパス教徒か?」
「えっと……」
違う。女神教徒ですらない。
リンからもらった聖典と、奉仕者銅勲章ならあるが。
「留学っつったか? けど、他所からアルディニアに勉強に来る奴なんざぁ、そんなにはいねぇ。普通は帝都だろ」
「貴族の子女は、よくそちらに行きますね」
「セリパス教徒でも、普通は神聖教国に行くんだ。アルディニアで足を止める奴ってのは、まぁ……変わった奴くらいだな」
神壁派のセリパス教徒か、歴史学者でもなければ、あんな街を目指す理由がない。
やっぱり思った通り、ネチュノは賢い。
「僕も変わった子供なんですよ」
「だろうな……」
また前を向き、斜面を登り始める。
「なぁ」
「はい」
「お前、クマとか狩れるか?」
「えっ」
「腰に剣を提げてんだろ。なら戦えるのか」
「……少しは」
目敏い。
だが、どこまで考えての発言だろう?
「でも、僕も歳が同じくらいの子供ですし」
「その子供が、冬の山脈を抜けてきたのか? 一人で?」
普段から山に行っては食べ物を探す彼だ。その危険性は充分に理解している。
ましてや、あの銀色の嶺を越えてやってきたとなれば。大人でも、一人ではとても無理だ。相当な危険があったはずなのに、どうやって生き延びたのか。それに見合うだけの行動力があるなら、動物を狩るくらいできるのでは。そこまで思い至ったのだ。
「魔物や狼も出たんじゃねぇのか」
「出ますね」
「どうしたんだよ」
「隠れてやり過ごしましたよ?」
火魔術で撃退しました、なんて言ったら。とはいえ、さすがに理解が追いつかないだろう。魔法なんて、こんな村の住民にとっては、まさしくおとぎ話だ。
だが、そんな情報を与えなくても、既にして、俺は不気味な存在だ。
「あのよぉ」
「なんですか」
「肉、食いてぇんだ」
そう言うと、ネチュノは立ち止まって、ニヤリと笑った。
ああ、こいつ……
「春先ですからね。出歩いているのがいればいいんですが」
「探してやろうか」
「でも、僕は狩人ではないですよ? 下手に手を出すと危ないし、それに肉はちゃんと血抜きしないと生臭くて」
「お上品だな? 俺らぁ、食えりゃなんでもいいんだよ」
……厄介な少年だ。
矛盾だらけのファルス。その正体をあれこれ詮索されたくなければ、俺に肉を食わせろと。いや、本気で言っているのか? 冗談交じりにも聞こえる。
ただ、俺はテンタクの家に辿り着いてしまった子供だ。ということは、何か弱みがあるに違いない。彼は少なくとも、そこにつけこもうと考えているのだ。
「見つからなかったら、どうするんです」
「そん時はそん時さ」
そう言いながら、彼は足元を確認して、森の奥へと向かう。
「あの」
「なんだ」
「やっぱり、危ないことはやめにしませんか」
とはいえ、わざわざ危険を冒すことはない。俺は平気でも、ネチュノに何かあったらまずい。
「やめたら、何かいいことあんのかよ」
「これを」
俺は懐から金貨を出した。
「さっき、テンタクさんに渡そうとしたんですが、断られてしまって……これで皆さんにおいしいものを」
「寄越せ!」
ひったくるようにして、彼は金貨を奪い取り、それを手の中でまじまじと見つめて……にやけながら、それを懐にしまった。
「これで、いいですか」
「はぁ? 何言ってんだ、お前」
肩をすくめて、彼は続きを言った。
「この辺に、商人がそんなに来るとでも思うのかよ」
「はい?」
「ましてや食い物なんか、売りに来るわけがねぇ。それとこれとは別口よ」
だったら、今の金貨を返せと言いたいが。取引なら、双方に利益があるべきだ。
そして、そんな理屈はとっくに察していたらしい。
「いいぜ」
「何がです」
「お前のことはほじくり返さない。こっちはなんでも喋ってやる」
情報料、か。
それならそれで構わない。
「じゃあ、僕が一番知りたいことを教えてもらいましょうか」
「おう、なんだ」
「山を越えて、関所の向こう、西側に行くにはどうすればいいですか」
すると彼は足を止めて、真顔になった。
「そいつは難しいな。相当遠回りしねぇと。あのな、あそこの砦の向こう側は、完全に谷間になってるんだ。それを越えるってなると、もうよっぽど南にいくか、ただそれならこの山くらいは越えねぇと」
「この村から、北に道が出てるじゃないですか」
「あれは本当に、別の村に行くだけの道だ。ま、今となっちゃ、この村唯一の通商路ってとこかな」
「通商路? 何を売り買いしてるんですか」
「ツマラーカの樹脂と、それで作った接着剤だ」
ティンティナブリアの窮乏のせいで、この村は通商路ではなく、その末端になってしまった。繋がっている先が、北にある小さな森の中の村だけになってしまったのだ。
「それを王都に持っていって売る……まぁ、たいした稼ぎにはならねぇ。半年に一回くれぇか? 商人がな、引き取りに来るんだ」
「へぇ」
「そん時に」
彼は、俺から奪い取った金貨を爪で弾いて回転させる。
「こいつで買ってやれるわけさ。ニュミに新しい服をな」
そういう理由だったか。
五歳の少女の服だ。体も大きくなるし、すぐ新しいのが必要になるだろう。といって、兄のお下がりではかわいそうだし、テンタクにそれを用立てる甲斐性があるとも思えない。
人は生き抜くためなら、どこまでもしたたかになれる。大したものだ。
「俺が生まれてから」
また前を向いて歩き出しつつ、ネチュノは続きを話した。
「この村が裕福だったことなんて、一度もねぇぜ。現に、俺も捨て子だったんだしな」
「それなんですが」
俺にとってはさほど重要ではないが、疑問をぶつけてみた。
「どうしてテンタクさんは、皆さんを引き取って育てているんですか?」
「知らね」
「知らない?」
「物心ついたら、俺ぁあの家にいたんだ。サルスもそうだったっていうな。ニュミがうちの前に捨てられてたのは、覚えてるぜ」
ひどい話だ。
テンタクの家の前に捨てる。なぜか? 彼なら、引き取って育てようとするからだ。しかし、同時にテンタクは貧しい男でもある。愚かで貧しい人物に、より負担を押し付ける。下劣に過ぎる選択だ。
「だ、だけど、それっておかしくないですか?」
「あん?」
「だって、ここはそんなに大きな村でもないし」
「そうだな」
「行き来があるのも、すぐ北にある村くらいでしょう? 西からは商人が来るそうですけど、普段は関所があるわけですし」
「ああ」
「どこから誰が子供を運んでくるんですか」
言われて、彼も立ち止まって考えた。だがすぐ結論が出る。
「あれじゃね? ティンティナブリアから、山でも越えてきたんだろ」
確かに、村の中の誰かがやったとするには、無理がある。十月十日も妊娠しておいて、いきなりお腹がへこんで、それがなぜかテンタクの家の前に赤ん坊が、となれば。それよりは、流民がここまでやってきて、どうしようもなくなって子供を捨てたとするほうが自然だ。
とはいえ、疑問が残らないでもない。その場合、なぜ流民がテンタクの家を選んだのかが説明できない。普通ならもっと裕福そうな家を狙うものではないか? 或いは、最初は裕福な家の前に捨てられたが、それを家人の誰かがいやがって、あえてテンタクに押し付けたとか? だが、それが何度も続いた?
だが、ネチュノの意識はもう、別のことに移っていた。
「俺が生まれた頃にゃ、とっくに世の中おかしくなっててよ。盗賊、つうか乞食もしょっちゅう出たりな。ここ三年は来ねぇが、前はティンティナブリアから、割と来たりしたもんだぜ? けどまぁ、こんなとこきても、取るもんねぇんだけどよ」
「すべてはお隣の伯爵のせい、ですか」
「まあ、それはデケェわな。けど、そんだけじゃねぇ」
彼は周囲を見回し、他に誰もいないのを確認してから、続きを口にした。
「エル様が病気になったのも、余計にまずかった」
「エル様?」
「あー、ここの領主だ」
「えっと、でも、僕はジノヤッチとかいう人の許可がいるとかで」
「チッ、あのクズかよ」
吐き捨てるように彼はその名を呼んだ。
「この村はな、見張られてんだぜ?」
「は?」
「今から五年くれぇ前からな」
「誰に? どうして?」
「全部、あのジノヤッチとイリクのせいだ。これでここのウィッカー家は信用ガタ落ちってわけさ」
ウィッカー家?
どこかで聞いたような家名だが……
ネチュノの説明によると、今から六年ほど前のこと。
当時、嫡男ジノヤッチと、その弟イリクは、王都にいた。二人とも王国兵で、兄は隊長、弟は祐筆だった。
ウィッカー家は騎士の家柄だ。貴族ではないが、しかし歴史なら長い。その起源はアルデン帝以来の東方植民時代に遡る。
アルディニアを支配下に収めた皇帝だったが、それで東征が終わったわけではなかった。セリパシア帝国の目標の一つが、海のある土地に出ることだったから、南進は不可避だった。よって、次の目標は、現在でいうところのティンティナブリアだった。
その侵攻路、そして征服後の通商路を確保する必要があった。そこでこういう隙間の土地、拠点となる場所に人々を移住させた。街道の整備と安全確保ができたところで、帝国軍は南に雪崩れ込み、その後三百年に渡ってティンティナブリアを直接支配した。
その後のギシアン・チーレムの解放戦争において、この村の当時の支配者は早々に降伏を選択したらしい。それがいろいろあって、結局、諸国戦争の前後くらいの時期に、今のウィッカー家の先祖が、ここの領主に収まった。
七百年もの歴史だ。無論、途中で家の断絶もあり、その都度、親戚筋から養子をもらうなどしてきた。結果、名前だけだが、家は存続している。
地位は高くないが、そういう由緒ある家柄なのだ。だから、ジノヤッチもイリクも、王国の近衛兵として、それも有利な立場を与えられて採用された。
だが、そこで事件が起きた。
詳細は不明だが、王国軍において、なんらかの汚職事件が起きたらしい。それにジノヤッチとイリクが関与していたという。主犯の一人がイリクで、ジノヤッチはそうではなかったとされているが、真相ははっきりしない。
ともあれ、イリクは捕縛され、犯罪奴隷に身を落とした。兄のジノヤッチは、直接の関与はなかったとはいえ、この不名誉を受けて、騎士の腕輪を没収された挙句、懲戒免職に追い込まれた。
故郷に帰ってきたジノヤッチは、荒れた。既に家督は末弟のヤシリクに譲ると決められていたからだ。それも中央で出世できていれば、問題なかった。もともと、このしみったれた貧乏臭い村を捨てて出て行ったのは、ジノヤッチ自身だったのだから。だが今となっては、この狭い村こそが彼にとっての唯一の未来になってしまった。
では、どうしたか? 暴力だ。
「五年くらい前か。エル様も、ヤシリク様も、滅多打ちだ。まだ俺も小さかったけど、そりゃあよく覚えてるぜ。チンピラどもが村の砦の兵士になってな。そっからはもう、やりたい放題さ」
「王国は」
「何も言いやしねぇよ。別に税を滞納してるとかってわけでもねぇ。まぁ、それだって、何年かに一度、若い男が王都で働くのと、あとは特産品を納めるだけで、どうってことねぇんだけどさ。第一、今でも、表向きの領主はエル様なんだ」
「でも、見張られてるって」
「ああ、隣のウゾク村に、王国の徴税官がいやがんのさ。フクマットっつうのが」
だんだん事情が飲み込めてきた。
王国はなぜ、ジノヤッチを放置しているのか?
理由は簡単。このチェギャラ村が、一種の独立王国だからだ。
アルディニアは全体として、山がちな土地だ。そして、この村のように、か細い道だけで繋がっている小さな集落が、いくつも連なっている。
つまり、どの村も、自給自足が大原則だ。表向きの権力はともかく、実質的な支配力は及んでいない。なぜなら、経済的な結びつきがほぼないからだ。王都で生産される何かが、この村の生活に必要ということもないし、逆もまたそうなのだ。
それでも一応、最低限の支配と利益は確保したいので、それらしいポイントには人を配置する。
「けどまぁ、これも何年かしたら、おとなしくなるんじゃねぇか」
「どうしてそう思う?」
「そりゃあよ。村長のポサドフんとこの娘をもらって、しっかり居ついてやがんだぜ? もう、都の騎士様っつったって、村人とあんま変わんねぇ」
その、配置した人材も……早々に土着化してしまう。
流通が成り立たない。これがどれほど大きな意味を持つか?
余程の利益があるならともかく、通常の物品は流れてこない。たとえば、この村で生産した小麦だが、これを王都まで運ぶ意味などない。運搬コストがあまりにも高くつく世界では、支配という言葉の意味すら変わってしまう。チェギャラ村は、農耕地でありながら、食料供給基地にはなり得ないのだ。
また、貨幣経済も、あまり浸透していない。これがまだ、ティンティナブリアとの繋がりがあった時代であればそうでもなかったのだろう。しかしいまや、接着剤を買い付ける商人も、半年に一度しかやってこない。ニュミの新しいワンピースも、その時までお預けだ。
では、アルディニア王国として、ここからどうやって経済的利益を得るか? 一つには、利益率の高い特産品に絞って徴収する。そしてもう一つの手段が、労役だ。
運搬コストが高いのなら、人そのものを移動させ、運搬する必要のないところで生産活動をさせればよい。だからこそ、何年かに一度の労役が課されている。
こういう環境なのだ。
アルディニア王国としては、大きな問題が起きない限り、こんな地方にいちいち介入などできない。コストに見合う結果が得られないからだ。最低限、王国に反逆しなければ、それでいい。
そして、この統治力の低さ、地理的隔離こそが、エスタ=フォレスティア王国とアルディニア王国との間の平和を生み出している。ティンティナブリアが荒廃しようと、アルディニア側には、侵攻するだけの実力もなければ、利益を得られる見込みもあまりないのだ。
「んで、あのジノヤッチのクソ野郎は、フクマットも取り込みてぇみたいでな」
「そんなこと、できるんですか」
「ヤラマっつう女がいるんだ。ジノヤッチの妹で、ヤシリク様からみりゃあ、姉だな。出戻りのあばずれで、今はフクマットに色目を使ってやがる」
なんともはや。
こんな小さな村でも、人間同士のいざこざが絶えないらしい。狭い世界で、よくやる。
「エル様も、ヤシリク様も、そりゃあいい人なんだけどよ、どうもあいつらは……」
そこでネチュノは言葉を止めた。
「なに」
「シッ!」
魔物……いや、野生動物か。
「引き返すぞ」
「いいんですか」
「真に受けるな、バカ。春先の動物は気が立ってる。危ねぇんだよ」
肉が食べたいのなら、殺さなくては始まるまいに。
「おや、来ましたね」
「に、逃げろ!」
木々の合間に姿を見せたのは、オスの猪だった。体長一メートルくらいか。
明らかにいきり立っている。
「き、きた!」
逃げ腰のネチュノを尻目に、俺は悠々と腰の剣を抜いた。そして詠唱する。
一瞬、猪は眩暈でもしたかのようによろめいた。そこを逆袈裟に斬りあげる。
血飛沫が舞う。
それだけで終わった。
「運がよかったですね」
あえて俺はそう声をかける。
ネチュノは目を白黒させている。俺の力ならわかったはずだ。次からは礼儀を弁えた取引をしてくれることだろう。
「とりあえず、血抜きをしましょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます