奇人テンタク
「テンタクよぉ、おるかぁ?」
村人の呼びかけに、小さな足音が響いてきた。
村外れの小さな小屋だ。長年、風雪にさらされてきたのだろう。薄っぺらい木の板からは色が落ちかけている。すぐ目の前は森の広がる斜面で、その狭い前庭には、いくつか貧相な野菜が植えられていた。日当たりが足りないので、ろくに育たないのだろう。
そんなボロ屋から、子供が一人、駆け出してきた。
「おらんでよ。どうしただ」
「あー、うん、サルス、テンタクはぁ」
「いつもの畑だで。ネチュノとニュミも一緒だぁ」
「おう、そうか」
顔を出した少年もまた、みすぼらしかった。
年齢は俺と大差ない。髪の毛は金色で、骨格もがっしりと横に広い。典型的なルイン人の子供だ。ただ、服装はボロ布同然で、靴も履いていない。それと、手に棒切れを持っている。
「なんだぁ、そいつ?」
その、サルスと呼ばれた少年は、遠慮なく俺をじろじろ見ると、指差して尋ねた。
「こらぁ、人、指差すな。失礼だって言わんかったか」
「おっ……」
俺は一礼して、挨拶した。
「エスタ=フォレスティア王国より参りました、ファルス・リンガと申します。宜しくお願い致します」
「うおお? な、なんだべ、こいつ」
「はぁ」
俺を案内してくれた老人は、頭をかきながら、溜息をついた。
「すまんのう。この辺、ろくに教会もないような田舎なもんだで」
「いいえ」
礼儀知らずな少年。教育が行き届いていないのは、村の恥だ。
だが、俺としてはまったく気にならない。外の世界を知らない田舎の少年としては、ごく自然な反応だろう。
「じゃあ、畑行くべか」
「はい」
「じゃあな、サルス、また後でぇな」
「待てや」
少年が険しい表情を見せた。
「またなんか、厄介ごと持ち込むつもりじゃねぇか? え、ムアンモじぃよぉ」
「大したことじゃねぇ。子供が気にするでねぇ」
だが、彼はいかにも不満そうな顔のまま、俺をじっと見つめている。
「さ、行くで」
促され、俺は老人についてそこを離れた。
横に長い楕円形の村。それを斜めに切り分ける川を渡って、俺と老人は北側の斜面に向かった。村で一番、日当たりのいい場所だ。建物はほとんどなく、一面、掘り起こされた黒い土ばかり。
そんな中、長い木の棒らしきものを逆手に持って、地面に突き立てている男がいた。
見た目は他と大差ない。中肉中背というには、やや貧相な体格。普通のルイン人の男性だ。髪の毛も金色で、肌も白い。ただ、微妙に薄汚れた色をしてはいるが。
気になったのは、微妙に姿勢が変なところだった。やや猫背で、足はガニ股。離れた畦道からちょっと見ただけでわかる。彼の、この村における地位は、きっと最低だ。身に纏う空気からして、いかにも貧弱、いかにも卑賎。
そして、この男こそ、老人が探していた人物だった。
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テンタク・パープーシュ (32)
・マテリアル ヒューマン・フォーム(ランク1、男性、32歳)
・スキル ルイン語 3レベル
空き(31)
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ピアシング・ハンドを通して能力を確認した時、俺は思わず驚愕して、立ち止まってしまった。
「どうしたね」
「あっ、い、いいえ、なんでも」
見間違えか? いいや。間違いない。
彼がテンタクだ。
しかし、どういうことだ?
身につけているスキルはといえば、言語のみ。それも、はっきり言って、子供並みだ。このレベルから判断すると、読み書きなんかできないだろうし、難しい言い回しも理解できないに違いない。だが、仮にも母語なのに。
この農村で生まれ育ってきたはずなのに、農業その他のスキルもない。では、奴隷? 他所から来たとか? いいや、それはない。姓がある。第一、農業関連のスキルがないにせよ、料理でも裁縫でもなんでもいいが、普通はどれか、生活に根ざした技術の一つや二つは持っているものだ。それがまったくない。
もっと奇妙な点がある。肉体の品質だ。
ランク1、つまり生存可能な範囲において、最低の代物ということだ。極度の肥満体でも、栄養失調でも、なかなかここまでは下がらない。一応、これ以下の例もある。死を目前にした老人とか病人であれば、ランク0にまで下がる場合がある。では、外から見ただけではわからないものの、テンタクも死病に冒されているとか?
しかし、それならさすがに、こうして外で農作業をしていたりはしないだろう。見たところ、木の棒を地面に繰り返し突き立てている。太ってもいないし、極端に痩せているのでもない。あれだけ動けて、肉体のランクが1しかない?
俺はじっと彼を見た。
サルス同様、ボロを身に纏い、裸足のまま立ち働いている。それはもう勤勉に……しかし、何をしている? さっきから木の棒で……
今は春だから、農地を耕すのは自然なことだ。だが、それなら鍬とか鋤とか、道具があるだろう。マヤ文明のトウモロコシ農民じゃあるまいし、なんでまた木の棒なんかを使うのか。
「あだーっ!?」
いきなり、その彼が悲鳴をあげた。
何かと思ったら、木の棒で思い切り自分の足を突いたらしい。なんて間抜けな。
その時、地面から飛び上がったおかげで、足先が見えた。靴を履いていないその足には、古傷があった。
彼の近くで働く少年が一人。こっちはちゃんと鍬を持っている。飛び跳ねるテンタクを見て、彼は腰に手をやり、ハァ、と溜息をつく。その後ろ、畦道に腰掛ける女の子は、キョトンとしていた。
なんてことだ。
俺の予想が間違っていなければ、この、テンタクという男は……
「おうい、テンタクぅ」
「おお? なんだぁ? ムアンモのじぃさんよぉ」
気付いて振り返った。ということは、耳も聞こえるし、目も見える。そして、容姿も特別醜悪とは言えない。冴えない顔ではあるが、人の良さが滲み出ている。要するに、肉体の機能に問題はなく、健康らしいということだ。
「いや、なに」
畑の上を歩きながら、老人は続けた。
「お前んとこ、まだ子供が寝られる場所はあるか?」
「ん? ああ、詰めりゃなんとかなるべ」
「じゃあよ、すまんが……あと一人、預かってくれんかの」
「ん?」
テンタクは、俺を見た。
「ああ、ずっとじゃない。何日か、その、ジノヤッチが戻ってくるまで」
「うちでよけりゃ、いくらでもええでよ」
老人が言い訳のように条件を並べ立てるのを聞き終わりもしないうちに、彼は即答した。
「何日でも、うちでのんびりするといいだ」
彼は笑顔でそう言った。
「んでよぉ、この子供かい」
「お、おう、そうだ」
「名前は」
「フォレスティア王の従士、ファルス・リンガと申します。今は、王都タリフ・オリムを目指しての旅の途中です。関所を通していただけるまでのしばらくの間、軒先だけでもお貸し願えませんでしょうか?」
そう言って、俺は丁寧に頭を下げる。
だが、テンタクは目をパチクリさせるばかりだ。
「えっと、じいさんよぉ」
「なんだ」
「今、この子、なんつっただぁ?」
「ああー……名前はファルス、だ」
「おー! そうか! ファルスっつうんか。おらぁ、テンタクだぁ。よろしくなぁ!」
……やっぱり。
これでもう、確信した。
「お世話になります、テンタクさん」
このテンタクという男は、致命的な欠陥を持って生まれた。
一見すると健康だ。外見も、特に醜いといえるほどではない。だが、絶望的といえるほどに、ある重要な要素を欠いている。
「ああ、ええ、ええ。遠慮もなんもいらんでな。うちで手足伸ばしとってくれりゃええだ」
「ほんじゃ、お前さんに任せるでな」
「おう! じゃ、まだ仕事あるでな、ファ、ファル……ファルス……でよかったか? 家ぇ、いっとってくれだ」
「はい」
一礼して、俺は引き下がる。背を向けて歩き出すと、またすぐ悲鳴が聞こえた。
「いだーっ!」
また、木の棒で自分の足を突いたのだ。
彼が生まれつき、持っていないもの。それは……
恐らく「素質」だ。
まだ断定はできないが、そう考えたほうがいい。少なくとも、彼は凄まじく頭が悪い。といって、別に知的障害があるとか、或いは認知症だとか、そういうことではない。こう、なんと言ったらいいか……脳の記憶容量が小さすぎるのだ。俺が挨拶で「素性を語り」「名前を名乗り」「目的を説明」したら、処理しきれずに硬直していた。理解できずにいる彼に、老人が改めて名前だけ告げて、やっと思考が追いついたのだ。
この、壮絶なまでの頭の悪さゆえだろう。彼は三十年以上生きて、母語以外のスキルを何一つ習得できなかった。ずっとこの狭い村の中で農業ばかりの生活をしてきたに違いないのに、ほんの少しも成長していない。
知性だけではない。判断を下すには早いが、運動能力も極端に低い可能性がある。でなければ、この短時間で何度も自分の足を突っつくだろうか? 或いは、傍にいた子供に農具を貸しているだけで、他に理由があるのかもしれないが。
ということは。
この老人、そしてさっきの村人達の狙いも透けて見える。厄介ごとは、バカに押し付ければ万事解決、だ。
再び、老人に案内されて、俺はテンタクの自宅らしき小屋まで戻った。
「じゃ、ここだで」
「あ、はい」
それだけで彼は去っていく。
振り返ると、庭先の畑を相手に、さっきのサルス少年が格闘していた。しゃがみこんで、雑草をむしっている。
「あの」
「……ちっ」
手を止めず、下から彼は俺を睨みつけてきた。
「四人目かよ」
「はい?」
「ただでさえ狭ぇし、ひもじいのによぉ……ったく」
「どういうこと」
「てめぇ、どこのガキだよ」
さっき自己紹介したと思うのだが。
「えっと、ですから、エスタ=フォレスティアからきました……」
「あれだ、ナンミンってやつか? それにしちゃ、身ぎれいだけどな」
「違います。主人の指示を受けて、勉強のためにこちらに参りました」
「は? 主人?」
俺は袖をめくって、銀の腕輪を見せた。
「これが騎士の腕輪です。さる貴族に仕えていた小姓でしたが、このたび、修行の旅にということで、今はこの国の王都を目指しています」
彼は、草むしりも忘れて、そのままの姿勢でポカーンとしていた。
「き? 騎士? お前が?」
「はい」
「マジかよ」
目を白黒させながら、彼は言葉を探していた。
「じゃ、なんでそんな騎士様が……お前、貴族様の家来なんだろ?」
「はい」
「孤児じゃなかったのか」
「はい?」
「いや、ムアンモのじいさんが、どっかで拾ってきた子供なのかと思ってよ」
なるほど。読めてきた。
「あの、さっき畑に子供が他に二人いたようですが」
「おう」
「もしかして……サルスさん、あなたも含め、三人とも」
「ああ」
その場の地面に腰を下ろし、足を開いて座り込み、彼は気の抜けた表情で言った。
「そうだ。俺も、ネチュノも、ニュミも、みーんな捨て子だ」
「では、テンタクさんは、皆さんを引き取って育てていらっしゃる?」
「はっ」
彼の顔に、皮肉の混じった笑みが浮かぶ。
「押し付けられただけだろ」
一時間ほどすると、家の外から足音が近付いてきた。複数だ。
「おうい、サルス、おるかぁ」
「なんだぁ」
「こっちに、ファ、ファ……ファックっておるかぁ」
ひどい間違いだ。
「あの、ファルスです」
「おお! おったんか! よかっただ」
「はぁ」
薄暗い家は、南側の斜面のすぐ近くにあった。だから日当たりも悪いし、中は薄暗い。それに湿気が篭っている。
一応、ここを建てた人は、その辺に配慮していたのだろう。この辺では一般的ではないが、土間と床が分かれている。靴を脱いであがりこむようになっているのだ。
窓は北側に一つだけ。部屋は六畳一間が一つ。トイレも風呂場もない。真ん中に囲炉裏のような囲いがあって、部屋の隅には古びた布団やボロボロの毛布が転がっている。あとは粗末な食器が少しだけ。
これがすべてだ。テンタクの家。もはやキャンプ場といってもいいくらいの簡素さだ。
「狭ぇ家だけど、いつまででもおってええでな」
「えっと、はい、ありがとうございます」
「大丈夫だぁ、エル様に言えば、そのうち村の仕事ももらえるで」
「えっ?」
「今日からは、おらが親父だで、安心して暮らすだぞ」
「は?」
「なんだかんだいって、みんな優しいだで、ここの村でも生きていけるだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
何を言い出す? まるで俺が……ああ、そうか。
どういう経緯でそうなったかは知らないが、とにかくテンタクは、孤児達を引き取って育てているらしい。であれば、老人に連れられてきた俺を見て、今までと同じと考えてもおかしくはない。殊に、彼の知性であれば。
「僕は旅行者ですよ?」
「リョ、リョコウ? なんだべ、それ」
「ええと、僕は王都に勉強に行くんです」
「おお、勉強するとええだ」
「ただ、関所を通していただくのに、ジノヤッチさんという方が帰ってくるのを待たなくてはいけなくて」
「ふん?」
「それまでの数日間だけ、ご厄介になれれば、というご相談です」
「んんん?」
これだけの説明でも、彼の理解力の限界を突き抜けてしまうらしい。
見かねた少年……テンタクと一緒に作業をしていた、ネチュノという子供が、言い添えた。
「だからよ、こいつ勉強しにいくから、何日かしたら、ここを出て行くんだとよ」
「で、出て行く!? そりゃあ駄目だ!」
「ええっ?」
「こんな、子供を一人にしておいて、どうするだ」
これは、どうしたらいいんだろう?
見ると、サルスもネチュノも、俺の困惑を理解して、死んだ目をしていた。
「ええとですね、テンタクさん」
「おう」
「僕は旅人です」
「旅、人?」
「そうです。何日かしたら、また次のところに行かないといけないのですよ」
「そりゃあ大変だなぁ」
「はい。でも、それは仕方がないんです。だけど、そういうものなんです。何の問題もないんですよ」
とりあえず、彼の理解力の低さはわかってきた。と同時に、どれほどお人よしかも。
これでは苦労していることだろう。
「あの、少し、外に出てもいいですか?」
「ん?」
「一緒に来てください」
彼も俺の事情など知らないが、俺も彼の人生など知らない。
ただ、はっきりしていることがある。彼は貧しい。
「テンタクさん」
家の裏手の森の中に彼を引き込むと、俺は懐から金貨を取り出した。
「数日間、僕はあなたの家に寝泊りさせていただくことになります。これはその、宿泊代金ということで」
「ほへっ?」
「おいくらほど、お支払いすれば」
「ぶあああっ!」
「うわぁ!」
いきなり大声を出されて、俺も思わず悲鳴をあげてしまった。
なんだ? いったい。
「な、な、なんつうもんを出すだ! おっかねぇ!」
「いや、ですから、お金をですね」
彼は首を他所に向けつつ、目を瞑ったまま、腕を突き出す。
「と、とんでもねぇだ! そったら大金、目の毒だぁ」
「いや、あなたも生活費がかかるでしょうし、ご迷惑をおかけするんですから」
「迷惑なんてぇこたぁねぇだ! そ、そんなもん、ああ、おっそろしい」
「いえ、あのですね、僕は」
どう言ったらいいのだろう? これは。
「僕は旅人なんです。旅をするにはお金がいりますから。家に泊めていただくんですから、こうやって支払うのも当たり前なんですよ」
「か、金ぇ払うのが、旅だと、あ、当たり前なんだか」
「はい」
「ちょ、ちょっと待ってろ」
そう言うと、彼は物凄い勢いで斜面を駆け降り、一回転んで、また起き上がり、自宅の裏手に転げ落ちていった。
何をしているのかと、木々の間から身を乗り出して見ると、彼は何かを掘り出そうとしている。すぐまた、何かを手に、ここまで駆け上がってきた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ちょ、ちょっと、テンタクさん」
「こ、これ」
息を切らしながら、彼は土に汚れた何かを差し出した。
「なんですか、これは?」
「きれいな石だべ。売って、何か食うだ」
よく見ると、確かに宝石らしい何かだった。黄緑色の、きれいな結晶が見える。但し、小さいし、ちゃんと研磨もされていない。
これはペリドット、つまり橄欖石だ。そして、この世界ではこの宝石の値打ちは、割と低い。この小ささ、そして未加工である点を考えると、金額としての価値は、せいぜい銀貨二、三枚分だろう。それも高く見積もってのことだ。買い取ってくれる相手自体、そんなにいないだろうし。
「い、いや、あべこべですよ。いいですか、テンタクさん、僕はあなたのところに泊めてもらうからお金を払いますと」
「いいからいいから、遠くに行くんだったら、ちゃんと食わねぇといかんだ。もらっとけ、な?」
そう言うと、彼はその土塗れの石ころを、無理やり俺の手に押し付けた。
結局、受け取るまで頑として動こうとしなかったのだ。
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