関所のある村

「だめだ」


 巨大な岩をくりぬいて拵えた城砦。そのすぐ足元で。

 俺は二人の守衛に行く手を阻まれた。


 田舎の城砦だ。守衛の装備もまったく簡素なものだ。革の鎧に、貧弱な槍。兜すらかぶっていない。腰に手挟んでいるのは、剣ではなく、ただの鉈だ。

 小規模な防衛任務はあっても、本格的な戦闘など、ずっとなかったに違いない。事実、ここ百年以上もの間、アルディニア王国は対外戦争を経験していないのだから。


 とはいえ、関所は関所だ。ヌガ村城砦のように融通がきくところもあれば、そうでないのだってある。平和そうだからといって、甘い対応をしてもらえるとは限るまい。どうやらここの貴族か騎士かに歓待を受けて……なんてのは無理そうだ。


「では、せめて通行許可を」

「それもだめだな」

「これを見てください」


 俺は銀色の腕輪を見せて、権利を主張した。


「はぁ?」

「なんだ、それ」

「騎士の腕輪です。ほら、フォレスティア王タンディラールが与えたと、ここに刻んでありますよ」


 俺の宿泊は、検討さえされずに却下された。

 それはまだいい。だが、通行の自由さえ認められないとは、どういうことか。


「なんだそりゃ」

「こんなガキが騎士? しかも、フォレスティア王? おい」


 二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。


「誰だったっけ、ほら、王様」

「えーっ、セ、セナ……違ぇ、セニ」

「ああ、セニリタート」

「そうそう、それそれ」


 それは先王の名前だ。


「じゃ、これ、デタラメじゃねぇか」

「いいえ、先王セニリタートは昨年の紫水晶月に崩御されました。翌月にタンディラール王子が後を襲い、僕はその陛下からの腕輪を授かったのです」

「知らんぞ、そんなの」

「でも、これは正式な騎士の腕輪なんですよ? 通行を許可しないとなると、国家間の問題となりますが」

「あのなぁ」


 ボリボリと金髪を掻き毟りながら、片方の守衛が言った。


「ここ何年か、ずーっと南からの道を通ってくる旅人なんか、いやしなかったんだ、わかるか?」

「わかります」

「わかってねぇよ。それでもな、南から来る連中なら、いたんだぜ?」

「はい?」

「何度、野盗の群れがやってきたと思ってんだ」


 なるほど。

 俺が思っていたほどには、ここの守衛の仕事も、楽ではなかった。ティンティナブリアがあれほど貧窮していたのだ。人々はあっさり村を捨て、流民と化した。その多くは中央森林を越えて王都を目指したが、一部は北上したのだろう。

 とはいえ、その数は限られてもいたはずだ。魔物や狼に狙われながら峻険な山岳地帯を乗り越えなければいけないし、その向こうにあるのは、寒冷な土地の広がるセリパシアだ。およそ魅力的な選択肢とはいえない。

 その証拠に、俺がこの村に踏み込んだ時、出入口には見張りすらいなかった。村人も、俺に気付いていながら、大騒ぎしたりなんかしなかった。もし今でも頻繁にそんな連中がやってきていたなら、ああいう反応はあり得ない。

 ここまで流民が来たにせよ、少なくともそれは組織的に破壊活動や略奪を行えるような集団ではなかった。それに、今の俺よりずっと薄汚い格好をしていたはずだ。


「で、でも、僕は子供ですよ」

「その子供が、どうして一人で旅なんかしてるんだ」

「それは、陛下と、僕の後見人である貴族の方から、アルディニアで勉強してくるようにと」


 アルディニアの王都タリフ・オリムは、北方でも名高い学問の街だ。美食に鉱山、神壁派の本拠と、いろいろな顔があるのだが、険しい山々に囲まれた環境ゆえに、諸国戦争の影響も割合小さく、そのために歴史的な遺物が数多く残されているという。だから、留学先としての魅力ならあるのだ。

 もちろん、俺が口にしたのは、完全にでまかせでしかない。北に行けと言われたかどうか以前に、そもそも今、俺が北に向かっていること自体、知られていないのだから。


「いや、俺が訊いてんのは、なんで一人かってとこ」

「そーそー。だったらお前、世話役の下僕とか、誰かつけてもらわなかったのかよ」


 奇妙に見える、か。無理もない。あんな山を一人で越えてきたなんて。

 もっとも彼らも、あの山脈が今、どれほど危険な状態かなんて、知りもしないだろう。実は魔物は、あまり人里を襲わない。人間が群れると恐ろしいということを知っているからだ。一方、人間のほうでも、わざわざ魔物の領域には出かけていかない。通商路が機能していない現状では、特にそうだ。

 無論、本来の騎士の修行の旅となれば、たとえどんな危険があるにせよ、世話役なんてもってのほかだ。だが、そんな過酷な旅をする奇特な人なんて、今時、ほとんどいない。それに、その理屈でいくと、やっぱり一人というのは変だ。ついていくべき先輩の正騎士がいないからだ。


「はい。それは、旅も修行のうちだから、人に甘えず頑張ってこいと言われまして」

「はぁ?」

「嘘くせぇ」


 これは雲行きが怪しくなってきた。と同時に、苛立ちが募る。朝の爽やかな空気が台無しだ。


 困った。といって、周囲を見回しても、どうにもならない。田舎の村には珍しいトラブルに、村民達が注目し始めているが、それだけだ。

 一人きりで異国を旅しているのだ。これも当たり前の状況といえる。それも含め、一人で乗り越えなければならない。なるほど、これも修行と呼んで差し支えあるまい。


 盗賊どもの手先。彼らがそういう認識で俺に接するのも無理はない。食い詰めた流民どもが、いよいよ策を弄して、この城砦を襲おうと計画しているのではないか。

 彼らの認識は、そんな感じなのだろう。


 まぁ、それも一理ある。これだけなら、俺も腹を立てるべきではない。職務に忠実に、たとえ子供であっても、まずは相手を疑ってみるというのは、まったく正当な話だ。

 しかし、彼らの口調や態度に、俺はどうにもすっきりしないものを感じていた。なんというか、人を小ばかにしたような、だらしのない空気が鼻につく。


「お前」

「はい」

「留学だっつうんなら、当然、持ち合わせはあるんだろな?」


 きた。

 本当にいいところのボンボンなら……若くして騎士の腕輪を授かるのなら、貴族でないとしても、それなりの名家の出身であるはずだから……子供一人で旅行なんてあり得ないし、当然、それなりの所持金もあるはずだ。

 彼らの顔色には、何かいやらしいものが滲んでいる。本当に俺の言う通りであれば、いっそたかってやろうと。そう思っている。


「旅費程度ならありますが、王都に到着後は、教会のお世話になる予定です」


 金貨一千枚くらいは持ってます、なんて言ったら。

 かといって、金なんかありません、というのも危ない。なんとも微妙でややこしい。


「は?」

「本当です。王都の聖職者に宛てた紹介状も持参しています」

「怪しいな、こいつ」


 どうする?

 これはもう、諦めて引き下がろうか。


 手間をかければ、関所を通らずに先に進むこともできる。ピアシング・ハンドで怪鳥の体を引き出して、荷物を持って飛び越えるのだ。もちろん、何往復もしなければすべてを運べないのだが、変な言いがかりをつけられるより、ずっといい。


「僕は嘘を言っていませんが、通してもらえないのなら、引き返してこのことを報告します」

「おい、待てよ」


 立ち去ろうとする俺の肩を、守衛の一人が掴む。


「とりあえず、牢屋に放り込んどくか」

「ちょっとまずくねぇか? さすがに」

「どうってことねぇよ、どうせ」


 実力行使で突破する、という選択肢が、ふと頭に浮かんだ。

 騎士の腕輪を無視して、ここまでの扱いをされたのだ。構うまい。ここで殺さなければいい。強引に突破して、駆け抜けて。追いかけてきたら、目立たないところで始末する、とか。


 だが、そこで後ろから近付いてくる足音に気付いた。


「もし」

「ああん? なんだ、ジイさん」

「何をもめとるのかね」


 リンガ村の人々さながらの格好をした老人達が、ゆっくりと後ろから近付いてきていた。


「このガキが、盗賊どもの手下に違ぇねぇから、とっつかまえようってんだ」

「少なくとも、ここ三年というもの、そんな連中は見ておらんではないか。それに前に来たのだって、腹を空かせて座り込むばかり。こんな子供もおらんかったはずじゃが」

「たまたまだろ。あったかくなって、また一家揃って? 南からきたんじゃねぇの?」

「わしにはそんな風に見えんがの」


 なんと、見知らぬ子供であるこの俺を、庇ってくれている?


「見るがええ。この子は、服装もちゃんとしとる。毛皮のマントは多少薄汚れておるが、山を越えてきたのなら、自然じゃろ? 言葉遣いもしっかりしとるし、見た目通り、いいとこのお坊ちゃんということはないかね」


 心の中でお礼を言いながら、俺はじっと老人を見上げた。


「違ったらどうすんだよ」

「ジジィ、てめぇ責任とれんのか」

「違わなかったら、お前さんがた、責任とれるのかね」


 責任問題となると、こういう下っ端は、定番の対応をとる。


「どっちにせよ、ジノヤッチ様がいねぇんじゃ、俺らには決めらんねぇ」


 上役に丸投げ、だ。


「エル様ではいかんのか」

「だめだな。どうしてもっつうんなら、どっか……この村のどっかでおとなしく待つんだな」

「ふむう」


 老人は口を閉ざし、考え込んでしまった。


「さ、いったいった。盗賊どもにお前らが襲われたって、俺らの知ったことじゃねぇけどな、ははっ!」


 そう言って俺達を追い払うと、守衛達はまた、門の前に引き返していった。


「えっと、あの」


 俺を取り囲むおじさんおばさん達に、礼儀正しく頭を下げる。


「ありがとうございます」

「ほう」

「ええとこの、お坊ちゃんかね」

「なんでまた一人なんかねぇ?」


 揉め事を回避できたのはありがたいが、これからどうなってしまうんだろうか? 変な疑いがかけられたまま、先に進むというのも……

 頭を抱える俺をおいて、彼らはどんどん話を進めてしまっている。


「どうすべ、これ」

「ジノヤッチが戻ってこないと、駄目だと言っておった」

「そいつぁ面倒だ」

「何日か、かかるかな」

「泊まれる場所がないと、まずいんじゃない?」

「あの」


 別に領主の館でなくてもいい。普通の民家で安眠できるだけでも、御の字だ。


「もしご厄介になってもいい、ということでしたら、多少は持ち合わせもございます。ちゃんと泊めていただいた分については、お支払いさせていただきますので」


 ところが、そこで彼らの表情は曇ってしまった。


「えっ? ど、どうなさいました?」

「いやぁ」


 ポリポリと頭をかきながら、老人がこぼした。


「そうしてやりてぇのはやまやまなんだが」

「これ以上はなぁ」


 左右を見回す俺に、おばさんが前に進み出て、言ってくれた。


「下っ端どもならまだいいけど、みんなジノヤッチに目ぇつけられたくないってことさ」

「ジノヤッチ? ですか?」

「ここの領主の長男さ。村を仕切ってるのは、あいつだね」


 その声色からは、嫌悪感が滲んでいた。

 門番達の態度からもわかる。立派な主人の下には、下劣な下僕の居場所などない。


「悪く思うなよ。目をつけられた家には、大抵何か『悪いこと』が起きるんだ」

「それって」

「あえて説明はできんがね」


 領主の私兵が、反抗的な村民の家に嫌がらせをする。これでは誰も逆らえない。


「ええと、僕、王都に行きたいんですが」

「あん? さっきもそう言ってたな」

「はい。それで、他の道は……」

「ねぇな」


 老人が、腕組みしながら溜息をついた。


「さっき、こっちに来る時に見たんですけど、北にも道が」

「ありゃあ行き止まりだ。山ん中に別の村があんだ。けど、そっから西には行けやしねぇ」


 ということは。

 どうあってもここの関所を越えなければいけない。


 であれば、ここは引き返して、鳥になって飛び越えるか?

 いよいよとなったら仕方がない。しかし、そうなると、西への唯一の道にある関所を通らずに、先に進んだという事実が残る。

 別に、さっさと不老不死を見つけて眠りについてしまえば、後のことなどどうでもよくなるのだが、必ずしもそこまでうまくいくものでもあるまい。とすると、俺の行動に纏わりつく不自然がまた一つ、増えることになる。


 数日足止めされるくらいは、我慢できる。休みだと思えばいい。

 しかし、その後、ちゃんとここを通れるのか……


 いや。

 それ以前の問題だ。


 村人達は、そのジノヤッチとかいう男を嫌っている。そして、見慣れない少年と関わることで、彼の注目を浴びかねないのを恐れている。このままでは、俺はこの村にいられない。いてもいいが、野宿する破目になる。しかも、いきなり侵入者扱いされて、牢獄にぶち込まれる危険と隣りあわせでだ。

 かといって、ここまで来ておいて、また南進するというのも、なんだかばかばかしい。散々苦労して、長い道程を歩いてきたのに。


「おい、だったらよ」


 一人の男の声で、みんなが「それだ!」という顔をした。


「テンタクんとこに預けりゃいいんじゃね?」

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