人生の後始末・下
一週間後には年末のお祭りが始まるという中。少し気の早い連中がいるなと、周囲からは思われているのかもしれない。
昼食の時間には少し遅めだが、みんなに集まってもらった。いつもの酒場で、椅子とテーブルをくっつけて、島を作っている。
「いきなり声をかけたのに、昨日の今日で、皆さん、ここまで来てくれて、ありがとうございます」
俺は席を立って、頭を下げた。
「いーよいーよ、時期も時期だし、どーせ昼間なんざぁ、暇だしな」
頬杖をついたガリナが、ひらひらと掌を振る。
お祭りの季節は、実は夜のお仕事にとってはオフシーズンだったりする。家族と過ごすべき日を、娼館に入り浸って過ごす人など、そう多くはない。
「それより、大変だったんでしょ? なんかずーっと忙しそうだったからさ」
エディマが笑顔で、しかし眉毛で「ヘ」の字を作りながら、そう言ってくれる。
仕事柄、もしかしたら、既に『動乱で活躍した少年騎士』の噂も耳にしているのかもしれない。
「で、なんでわざわざ俺まで呼んだんだ?」
椅子の上で胡坐をかきながら、最近、仕草までますますサルっぽくなってきたジョイスが尋ねる。
なお、マオ・フーはさすがに時間を取れなかった。ギルドの支部長としての仕事があって、抜けられないらしい。
「皆さんに、報告と相談があって、来ていただきました。あ、それと今日は僕のオゴリなので、好きなだけ食べていってくださいね」
王都の争乱以後、俺には最近まで、まとまった時間を取る余裕がなかった。まず、エレイアラの葬式を済ませ、すぐまたサフィスについて王都に戻り、そこで騎士の腕輪を与えられた。
再びピュリスに戻ってきたのは、黄玉の月の終わり頃だ。その時点で、一度、簡単な挨拶だけはした。今、戻りました、といった程度で、顔だけ出したのだ。
サフィスが召使達の前で、建設大臣に叙任された件を説明し、彼らの再就職の世話をすると宣言してから、最初の一ヶ月は多忙そのものだった。だが、徐々に仕事はなくなり、つい先日、官邸を後にした。少し早いが、いわゆる年末のお休みだ。もっとも、いちいち休みと言われなくても下僕達の半分以上は、もう働こうとはしないが。
だから、王都で俺の身の上に何が起きたか、ちゃんと説明する機会がなかった。
「知ってるよ」
ディーが口を開いた。少しだけ嬉しそうだ。
「ファルス君、頑張ったんだよね!」
「あ、やっぱりもう噂になってる?」
「王都からねー、お客さんが来たからねー」
とすると、彼女が喜ぶ理由は、他にもある。せっかくだ……
「じゃあ、ここだけの話……ええと、ガリナもディーも、あとウーラとステラも……うわっ、ノーラもジョイスもサディスも。ここ、ほとんど、ティンティナブリア出身だね」
「私、仲間外れー」
スーディア出身のエディマがテーブルに突っ伏して不満を訴える。
十一人の大所帯でお話だ。けれども、俺はふと、少なくなったなぁ、と思ってしまう。前はここに、ガッシュやウィーもいたのだから。
「ええと、リーアとフィルシャ、エディマには関係ないけど、じゃあこれは僕の件のオマケとして、先に報告するよ。王家の公式の発表では、ティンティナブラム伯オディウス・フィルシーは、陛下を救おうとして王都に向かい、そこで逆賊に斬り殺されたことになっているけど」
「……違うの?」
ディーが首を傾げる。
奴は彼女にとっては、仇敵そのものだ。
「うん。直接見たから言うけど……もともと、逆賊側だったんだ。で、最後は、王都に流れ着いていたティンティナブリアの難民達に殺された」
「それ、本当?」
「本当だよ」
どうせなら。あの土地出身ということは、みんなあの極悪領主に苦しめられた人間だ。さぞすっきりするだろう、と思って口にしたのだが、彼女らの反応は微妙だった。
喜び半分、戸惑い半分、といったところか。
「そっか……」
「えっと、だ、だから、その」
はっと我に返る。
自分の思考回路がおかしい。
俺は、どんな顔をして欲しくてこんな話をしたんだ。
それが腐った悪党だったとしても。人が死んだことを喜ぶような人達じゃないのは、わかっていたはずなのに。
……自分の中の『何か』が変わった。そのせいだ。
「故郷に戻っても、前よりはいい暮らしができるよ」
「そいつは明るいお知らせだな」
ガリナがそう言った。
慌てて理由をくっつけただけなのだが、おかげで文脈がまともになった。
「いやぁ、お前らと違って、あたしゃ娘を残してるからさ。ちっとでもマシになりそうってんなら、それだけで御の字よ」
ノーラが複雑な顔をしている。
確かに彼女が懸念する通り、俺は『おかしくなりつつある』のかもしれない。
気をつけないと、考えないと。人の世の見え方が、周囲とずれてしまう。
今日、みんながここに来たのは、一つには、俺が国王陛下から騎士の腕輪を授かったらしいと知っているからだ。お祝いしようと思ってきてくれたのに、俺の中には、そんな気持ちが欠片もなかった。だから人の死を、嬉々として口にできてしまう。
自分としては、騎士の腕輪など道具でしかない。だが、彼女らの常識では違う。大変名誉なことでもあるし、めでたい話でもある。俺が幸せになったらしいと思って、喜びを共有してくれようとしているのに。
俺はどうすべきだった? 「もらっちゃいましたー!」とかおどけてみせたほうが、まだずっとよかった。
一つには、やはり悪影響が出始めているのだろう。
精神操作魔術に頼って、自分で考えるのを放棄していたツケだ。人情の機微に鈍感になりつつあるのだ。
……だが、それだけか?
「と、まぁ、暗い話でしたね。本題はそっちではなくて、こちら」
少々わざとらしいと自分でも思ったが、もう仕方ない。押し切るしか。
「騎士の腕輪をいただきました」
「おおー」
パラパラと拍手が飛んでくる。
「これもひとえに皆様の日頃のご指導ご鞭撻……」
「ぷっ! お前、売春婦に鍛えてもらって騎士になった奴が、どこの世界にいんだよ!」
「ここにいますね」
「ねぇよ、ねぇ!」
「ということで。まずは乾杯を」
「ほーい」
「おめでとう」
「乾杯」
木のジョッキをぶつけあって、彼女らはエールを飲み干した。
ほっと一息つく。
だが。
俺は少しも笑っていない。笑っているふりをしているだけ。
俺の心は……
……巻き戻されてしまったのかもしれない。
呪わしいリンガ村の夜に。
あの人生のスタート地点に引き戻されてしまった。そんな気がする。
「で、ここからが少し、面白くないお話なんですが」
「あん? なんだよ」
「はい……騎士といっても、これ、銀でしょう? つまり、厳密に言うと、小姓の腕輪なんです。僕の立場も、まだ『従士』なんですよ」
「へぇ」
彼女らには、その辺の知識があまりない。自分には一生関係しないと思っているからだろう。
「騎士って、腕輪もらってハイおしまいってわけにはいかなくて、修行の旅に出なくちゃいけないんです」
「え? そう?」
エディマが疑問を差し挟む。
「お客さんにも、腕輪つけてる人、たまーにいるけど、別にそんなこと、言ってなかったなぁ」
「昔の規則」
短くリーアが説明する。
「ちゃんとした騎士は、腕輪とかをもらったら、先輩の騎士と一緒に旅に出て修行する。でも、今の騎士は、適当」
「詳しいね」
「……昔の婚約者の父が、そういう指輪を持ってた」
彼女らのほとんどは、もともと寒村の貧民だが、リーアだけは、富裕層の出身だ。だからその分、知識や教養がある。
となると「修行の旅」という名目だけでごまかしきるのは難しいか。
「今の騎士は、だいたい、十五歳くらいから帝都の学園に行って、それを修行の旅ってことにして、金の腕輪に付け替えてるのが普通ですね」
「じゃあ、ファルス君も、それでいいんじゃないの?」
「僕はまだ、もうすぐ十歳って歳ですし、学園には早いです」
「うん? でも、帝都って、治安もいいらしいし……なんか、修行の旅のほうが、早くない?」
ディーがやたらと冷静だ。突っ込まれると、ちょっと困る。
「早いというのは、歳のせいで受け入れてくれないって意味ですよ。授業についていけないとは、思ってません」
「なるほどねぇ」
「でも、その、なんというか」
少し言い方を間違えたかもしれない。
俺は旅に出たい。必要な条件は揃った。もう待ちきれない。目的は不老不死の獲得で、それができたら、永遠の眠りについてもいい。だが、そんな本音は口に出せない。
だから、修行の旅は騎士の義務なのだと、そういう路線で話をしようとした。しかし、現実には抜け道がいっぱいある義務だ。ゆえに「何かのせい」にするのは難しい。
「……僕が、修行したい、んです」
こう言うしかない。
未来のある少年が、もっと学びたいから、自分を鍛えたいから旅に出る。
「なるほどな」
椅子にふんぞり返って、ガリナが言った。
「それで、相談ってことか」
「はい……なんか、済みません」
大丈夫。
今、俺がこの場で、永遠の死を手にするために旅立つのだといったら、きっと彼女らは強硬に反対する。
でももし俺が、遠くで行方不明になったら?
もちろん、最初は不安がるし、心配もするだろう。
でも……
……きっと忘れる。
忘れてくれる。
それが人だ。
「どこ行くの?」
エディマが顔をあげて俺に尋ねる。
「えっと、いくつか行きたいところはあるんですけど」
「うんうん」
「たとえば、南の方に行ってみたいかなぁと」
「南って、どこ?」
「適当にいくつか目的地は見繕ってるんですけど」
「おい、よせよ」
ガリナが口を挟んだ。
「今、サハリアの東側は、なんかヤベェ空気になってるっていうぜ? 客が言ってたんだけどよ。戦争にでもなったら、シャレになんねぇ」
「あ、いえっ、そっちには行きません」
「じゃあ、どこに行くの?」
「んーと、その……サハリアの中央砂漠の、ほら、『人形の迷宮』ってご存知です? まぁ、ちょっと腕試しに行こうかなーと」
この場にいるほとんどは、ぽかんとしている。知らないのだ。
だが……
「ファルス、それ」
ノーラが息を詰まらせて割って入る。
「物凄く怖いところじゃないの?」
さては俺がいない間に、『ルークの世界誌』でも読んだか。あれもしまっておくんだった。
もっとも、ノーラだけやり過ごしても、意味はなかった。
「サハリアの真ん中。ムスタムからも行ける。そこなら、まず戦争に巻き込まれることはない。でも、あれはどうしようもない」
リーアも存在を知っていたらしい。
「なにそれ」
「二千年くらい前からある、迷宮。魔王の……城みたいなところ」
「えーっ、ヤバくない、それ」
「下手すると戦争より危ないところ。毎年、たくさんの冒険者が死ぬ。あと、何十年かに一回、魔物が外に出てきて、街の人間を皆殺しにする」
「うえ……」
ジョイスを除いた全員の視線が、非難がましいものになる。ジョイス? 一人だけ、目をキラキラさせている。どうやら神通力の制御ができているらしい。実に少年らしい反応だ。
「えっ、あ、絶対にそこにしなきゃいけないわけじゃないです」
「やめとけやめとけ、ちょいヤバすぎだろ」
「そうだよ、いきなりそんなところ、やめたほうがいいよ」
ここは言い張らないほうがいい。
向きを変えるべきだ。
「いや、絶対そこってわけじゃなくて……他にも、勉強しに行きたいところがあるんですよ、セリパシア神聖教国とか……あ、つい昨日、リンさんのところで、紹介状もらってきました」
「おいおい、セリパシア行くのかよ」
「行くかも、って感じですけど」
「ファルスよぉ、お前、経歴隠さねぇと、エラい目に遭うんじゃね?」
「あ……」
売春宿の元経営者。
うん、速攻でアウトだ。
「う、うまくやりますよ、ええ」
「他は? もっとマシなところはないの?」
「えーと……南方大陸の大森林か……」
リーアが顔を顰める。
「ファルスがおかしい。そこも奥地まで行ける人、ほとんどいないはず」
「あー、あとは、東方大陸とか」
「何があるのか、全然、想像つかない」
「あ、えっと、ワノノマのほうとかも興味ありますね。ほら、ユミさんのいたところ」
「おー」
結局、一番遠い場所を候補地とせざるを得なくなった。まぁ、実際に行く場所は、その時に自分で決めればいい。
「すげえな」
ガリナが背凭れに上半身を預けてのけぞりつつ、呟いた。
「ぶっちゃけ、あたしにゃ想像つかねぇよ。遠すぎだろ?」
「あ、はい」
細部を追及されると困る。
それより、さっさと「俺にとっての」本題に移らないと。
「それでですね……僕の旅も、どれくらいかかるかわかりません」
「そうだね」
「で、まぁ、みんな……ステラとウーラは違うけど、あとは所有者が僕になっているから……いざって時、手続きに困ったりするといけないかなと思って」
「ん? 困ること、あったっけ?」
ある。
旅先で俺が死亡した場合だ。
所有者不在の犯罪奴隷なんて、許されない。俺には子孫がいないから、財産を引き継ぐ人もいない。そうなると、その所有物、特に犯罪奴隷は、国家が差し押さえることになる。そうなったら、ガリナ達の生活は一気に悲惨なものになりかねない。
だから、信用できる人に所有権を移しておきたい。適当な人に預けると、何を仕出かすかわからないから。
「僕が帰国する前とか、何か役所から言われて、慌てるのは嫌でしょう。だから、今のうちに所有者を書き換えておきたいなと」
「なるほどな」
ノーラが俺をじっと見ている。
そう、彼女に引き渡す。
「で、それをノーラにお願いしたいなと」
「いや」
彼女は抵抗した。
「どうして?」
「ファルスがここにいればいいのに」
旅立つことそのものに反対する。予想はしていた。
「うん、でも、ごめん、無理なんだ」
「どうして」
「その……これは閣下もご存知なんだけど」
俺は頭をポリポリかきながら、言い訳を捻り出した。
「実は、国王陛下に夜中に呼び出されて……そこで、ぜひとも自分を鍛えてこいと」
「言われたの?」
「……うん」
我ながら、嘘が苦手だ。
だが、口に出した以上、つき通さなくてはならない。
「じゃあ、しょうがねぇなぁ」
「いつから行くの?」
エディマが不安そうに尋ねる。
「年明けです。エンバイオ家に僕の身分解放の分の借金を支払う日が決まってて、それを済ませたら行くことになりそうで」
「そうなんだ……寂しくなるね」
彼女らの善意は理解している。
だが、俺は多分、もう何も信じていないのだ。
「でもですね、やっぱり人は成長してこそですよ。心地よい場所にずーっといるだけでは……ほら、僕、まだ子供ですし、いっぱい勉強しないと」
「同意はするけど、子供の台詞じゃないよね、それ」
呆れたようにディーが言う。もっともだ。
「じゃ、あれか? あたしらの所有者がノーラになるって、それだけか? 全然いいけどよ?」
「俺、何しに……」
「ああ、ジョイス、悪い悪い」
こっちも理由があって呼んだのだ。
「それで、今朝、うちを掃除したんだけど……ジョイス、知ってるよな。うち、個室が三つあるんだ」
「え? おう」
「僕はもうすぐ旅に出る。で、これはリンさんとも相談したんだけど……お前もあとちょっとで成人だし、サディスも年齢的には、そろそろ独立を意識しないといけない。今はリンさんが保護してくれてるけど、ずっとそのままってわけにもいかない。だから、住む場所が必要だと思うんだ」
ノーラが目を見開く。
「じゃあ」
「えっと……だから、ノーラ」
つまり、三人寄り集まって暮らしては、という相談だ。
一応、考えたのだ。
今までは、俺の家に手出ししようなんて馬鹿はいなかった。せいぜい門前に犬のフンを落としていくくらいだ。なぜなら、総督閣下の下僕の店だからだ。それに、グルービーという大きな後ろ盾もいた。敵に回せば、そいつの人生が終わってしまう。
だが、サフィスはここを去る。家には大人がいない。以前はガッシュ達がよく顔を見に来てくれていたが、それもない。せいぜいガリナ達が挨拶しに来る程度だが、彼女らは夜間にはこちらにいない。となると、今後の安全は保証できない。ピュリスは治安がいいが、絶対はない。ノーラを一人にさせておくのは、さすがに不安だ。
もちろん、俺がいれば、それでも何とかなる。子供とはいえ、既に名声も地位もあり、侮れない相手だと認識され得るからだ。だが、旅に出てしまう。
だから、男手が欲しいのだ。ジョイスがいれば、護衛にぴったりだ。眠っている間はともかく、目を覚ましさえすれば、彼に不意討ちを浴びせるのはほぼ不可能なのだから。しかも、シュガ村での生活もあって、ジョイスはやたらと気配に敏感だ。悪意が近付けば、すぐ目覚めるだろう。更に言えば、家に入り込んだ泥棒を、彼が独力で打ち倒す必要はない。大騒ぎになってくれれば、ノーラもサディスも守れる。
「もちろん、同居がいやなら……というか、気を遣って落ち着かないのなら、考えるけど」
「それは……いいけど」
「ウホッ」
……ジョイスのスケベ心だけが心配、か。
もう対策済みだが。
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ノーラ・ネーク (10)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク8、女性、10歳)
・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力
(ランク8)
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 料理 1レベル
・スキル 棒術 1レベル
・スキル 精神操作魔術 9レベル
・スキル 商取引 7レベル
・スキル 房中術 7レベル
空き(2)
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この通り、ノーラは既に怪物だ。ただ、本人に自覚はないが。
これでジョイスの神通力も、利きが悪くなる。安心というものだ。
グルービーの精神操作魔術は強力すぎる。それが俺をどれほど鈍らせるかは、もう体験した。
自分には……残念だが、まだこれを使いこなすだけの器がない。だが、手元に能力があれば、きっと頼ってしまうだろう。だからあえて手放す。
第一、不老不死に至るような重大な秘密を、たかだか心が読める程度の相手が握っているなんて、あり得るだろうか? ゆえに、根本的には不要なはずなのだ。
「ファルスの部屋は?」
「ジョイスに僕のいた部屋を割り当てる。アイビィが使ってた部屋を、今朝空けた。サディスが暮らせるように」
俺の居場所なんて、もういらないから。
「一応、ノーラがすぐ困らないように、当座のお金は残しておく。よほどのことがなければ、やっていけると思うよ」
「うん……」
「ジョイス」
「お?」
「お前を呼んだ理由、これでわかるな」
「お、おう」
「お前が、サディスもノーラも守るんだ。わかったな」
「おう! もちろん!」
よし、これで一件落着。
「というわけで、固いお話はこれでおしまいです! 飲み食いしましょう!」
冬の夕方は早い。
俺はノーラと一緒に、家路についていた。
彼女は、ずっと押し黙ったままだった。
家に着いた。
玄関の扉が軋む。
重い響きをたてて、それが閉じた。
「ノーラ、こっち」
無言の彼女を手招きして、俺は二階に上がった。
靴を脱いでくつろぐ、我が家の居間。俺はカーテンが閉じているのを確認して、そそくさと駆け上がる。
「この、居間の床板。ここを剥がすと……」
興味なさげに彼女は目を向けた。その先には、黄金色の輝きがある。とはいえ、地下に隠された財産からすれば、ほんのちょっとだ。金を惜しんだのではない。彼女達が成人して、独立するまでにかかるのに必要な程度の予算を見繕ったら、こうなったのだ。仕事をしなくても、七年程度はもつはずだ。
「だいたい、金貨二千枚ある。無駄遣いはよくないけど、これは好きに使っていい。でも、人には知られないように。危ないからね。それと、なるべく自分で働くんだ」
返事はない。大金に心を動かされた様子もまったく見えない。
死んだような目で、じっと見つめるだけだ。
「ああ、心配はいらない。このお金は陛下からの……まぁ、今回の働きについての、ご褒美だから」
これも嘘だが、そういう口実にしておく。
「ねぇ」
「うん?」
「私も行く」
「は?」
「私も一緒に行く」
いきなり何を?
「ノーラ」
「やっぱり、だめ。ファルスを一人にすると、どんどん危ないところに行こうとする」
「ノーラ、いいかい」
どうやって説得するか。
「危なくない場所なんて、ないんだよ」
「そんなこと」
「グルービーの屋敷の中なら、安全だったかもしれないけど」
ノーラはこれでいて、ある意味、とても女の子らしくない。どう女の子らしくないかというと、理詰めでなければ納得しないのだ。裏を返せば、道理が通っていれば、説得はできる。
「自分で責任をもって何かをしようとすれば、それだけで安全じゃなくなる。じゃあ、例えば僕が街中で仲買人になったら? 商売にしくじったら一文無しだよ。船乗りになったら? もっと危ないね。だけど、自由と責任の分だけ、稼げるようになる」
「……うん」
「僕は騎士になったんだ。つまり、自由に活動しなさいってことなんだよ。それができる能力があるから、生かしなさいって言われたんだ。なのに、家に閉じこもってなきゃいけないのかい」
「……ううん」
「だから、もっともっと勉強するために旅に出る。少しもおかしくないだろう?」
「いいけど、それなら私も行く」
今回はなかなか折れてくれない。
だが、これならどうだ。
「ねぇ、ノーラ。女連れで修行にいく騎士が、どこの世界にいるの?」
「それは……」
「厳しくてつらいから、修行なんだよ。危ないこともあるかもしれない。痛い思いもすると思う。それも頑張って乗り越えなさいってことじゃないの? 人に守ってもらって生きていくなら、こんな腕輪、もらっちゃいけない」
「うん……」
だが、道理は通せる。
俺はわざわざ苦労しに行くのだ。それは俺自身の将来のため、ひいては社会貢献のためでもある。それを、女の子に甘やかしてもらいながらの観光旅行にしてしまっては、意味がないではないか。
……という名目。
「……戻ってくるの?」
「えっ?」
「ファルスは、ちゃんと戻ってくるの?」
俺の目をまっすぐ見ながら。
彼女は問い詰めた。
戻るつもりは……できれば、ない。
ないからこそ、大金を預けた。俺が死んでも、すぐには困らないように。自立するまでの時間を稼げるように。
「……うん」
「本当に?」
「うん。充分に修行を積んだらね」
また、嘘だ。
だけど、今はわかってもらえなくても。これがノーラのためだ。俺にこれ以上、関わらないほうがいい。
「……わかった」
不承不承、彼女は受け入れた。
「戻ってくるなら……私、待ってるから」
「う、うん」
その目に決意の光を宿しながら、彼女はそう言った。
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