人生の後始末・上
「……はい、これで三通目。絶対に取り違えないでくださいね?」
「お世話になります」
セリパス教会の地下の客間。珍しくも今日はリンしかいない。サディスもずっと家の中というわけにもいかず、仕事を覚えさせるためにも、最近は一人で外に出したりするそうだ。
「便箋に目印をつけておきましたから、あなたが間抜けをしでかさなければ、私にも迷惑がかからないというものです」
「気をつけますよ。本当に助かります」
改めて俺は頭を下げた。
俺が彼女にお願いして、今、受け取ったもの。それは「紹介状」だった。
「本当に注意してください。いいですか、みんなそれぞれ、立場が大きく異なる人達です。受け渡す相手を取り違えたら、すぐさま敵に回るかもしれませんよ」
「派閥というのは、どこの世界でも厄介ですね」
「まぁ……クララだけは、どう転んでもあなたの味方をしてくれるかもしれませんが、あとは」
今、名前が出た「クララ」というのは、聖都在住のリンの学友だ。成績優秀で、リンに勝るほどだったという。地元のルイン人なので、卒業後もそこに留まっているらしい。今では閨秀詩人として有名なのだとか。この辺では見かけないが、彼女の詩集も出版されているという。
「こちらは一応、聖典派の枢機卿の中でも、一番融通が利きそうな人ですが……その分、油断ならない相手ですから、実際に会うかどうかは、あなたが自分で判断なさい」
「はい」
「最後のこちらは、神壁派の司教ですが、いいですか。これとこれを取り違えたらもう、おしまいですからね」
「わかっていますよ」
セリパス教にはいくつかの宗派があるが、そのうち最大のものが聖典派、それに続くのが神壁派だ。
聖典派は、主にセリパシア神聖教国を中心に広まっている。これに対し、神壁派の中心地はアルディニアだ。一千年以上も前にアルデン帝の惹き起こした宗派対立が、今でも根強く残っている。だから、異なる宗派の要人に援助を求めているなんて知られたら、どんな対応をされるかわからない。
「注意すべきは、クララもですからね」
「と言いますと」
「……前に、私が学年首席で卒業した、という話はしましたっけ」
「ええ、存じています」
「ですが」
ここでいったん言葉を区切って、彼女は続けた。
「実は、学業成績そのものでは、クララのほうが上でした」
「えっ?」
「彼女は在学中から、本当に才能豊かで、既に詩人としても知られ始めていましたからね……なのに、どうして首席でなくなったかというと」
苦々しげに彼女は歯噛みする。
「リンさんが罠にハメたとか」
「するわけないでしょう、穢れたファルスよ」
「じゃあ、なぜです?」
すると彼女は、溜息をついて首を振った。
「……です」
「は?」
「だから……です」
「聞こえないのですが」
「不潔なファルス! 私にいやらしい言葉を言わせなくては気が済まないのですか!」
いや、だって。
でも、そうか。
「つまり、その、恋愛……いや、『生活態度』ですか」
「そ、そう、それです。生活態度ですね」
慌てて取り繕うように言うと、彼女は背筋を伸ばして居住まいを正した。
「つまり、あなたにそのつもりがなくても、彼女に接触したという事実が、あなたを不利にする可能性すらあるのです」
「そんなに、ですか」
「気をつけなさい、ファルス」
いつになく、彼女は真剣だった。
「聖都は……あなたが想像する以上に……厳格で、窮屈で、容赦のない場所です。そこを旅するのなら、心してかかりなさい」
教会を出て、俺は家路につく。
イフロースを介してエンバイオ家と結ばれた二年の契約、それがもうすぐ切れる。そして俺は既にして騎士だ。更に、今の俺には十分以上の力がある。
だから、やっと不老不死を求めて、旅に出ることができる。セリパシア神聖教国は、その候補地の一つだ。
歴史上、不死を成し遂げた可能性のある人物は、俺の知る限り、二人いる。
一人は、言わずと知れた『英雄』ギシアン・チーレムだ。ただ、彼についての手がかりは、たくさんあるようで、意外と少ない。一千年前に魔王を倒してまわり、最後にチーレム島で女神達に招かれ、地上を去った。だから不死「かもしれない」というだけだ。案外、女神達のいる『天幻仙境』のどこかに墓があるのかもしれない。
一方、『聖女』リントについては、有力な手がかりがある。『神の壁』と呼ばれる、アルディニア王国の白い壁が、それだ。
二千五百年ほど前、ムーアン大沼沢のほとりで、龍神ギウナと『正義の女神』モーン・ナーが争った。それから一千年後、聖女が啓示を受けて、宣教戦争を起こした。
聖女は、人間だった。少なくとも、この時点ではそうだ。だが、彼女が死に、その遺骸が廟堂に納められてより三百年後、遠く離れたアルディニアの地に、聖女を名乗る者が現れた。
彼女は、とある土山を掘り返せと命じた。半信半疑の人々がツルハシを振るうと、やがてそこに白い壁が出現した。この白い壁は、どんな方法を用いても、傷一つつけられないほど頑丈だった。やがてこの壁の存在自体が、聖女の奇跡と看做されるようになった。これが神壁派の起源だ。
聖典派は、この聖女を本物とは考えていない。それは、リンも同じだった。彼女はわざわざアルディニアに出向き、当時の工事跡に残された「聖女の足跡」を調べた。当時の自称聖女が、白い壁の採掘作業を指揮した際に、セメントの上を踏んだものが残っていたのだ。
神聖教国に戻った彼女は、今度は聖女の廟堂の立ち入り許可をもらって、その遺品を調べた。結果、体格から歩き方まで、遺品とアルディニアの遺物の間に、矛盾がないことを見出した。
皇帝も聖女も、俺からすれば、ずっと昔の人間だ。その伝説には嘘や妄想も混じる。だが、今を生きるリンが、俺に嘘をつく理由はない。
聖女が三百年も生き延びた、その秘訣はどこにある? 少なくとも、調べる値打ちはある。
もっとも、旅の候補地は他にもある。
遠く離れたワノノマの姫巫女も不老の可能性があるらしいし、ルークの世界誌に記された南方大陸の不老の果実、東方大陸の神仙の山、それにサハリアの『人形の迷宮』と、盛りだくさんだ。
だから、俺としては手っ取り早いところから行けばいいと思っている。物理的に一番近いのは、『人形の迷宮』だが……
……そこに行く場合、すべてがきれいにうまくいっても、俺は不老不死になるだけでなく、「二度と戻ってこられない」。
だから、後始末をしていく必要がある。
「ただいま」
「おかえり」
ノーラが迎えてくれる。
彼女は、俺がこの先、ここで生きていくものだと思っている。
「あのさ」
「うん、どうしたの?」
俺がいなくなっても、せめて俺の知り合いが、苦労なく生きていけるように。
「明日、ノーラは仕事だったっけ」
「え? うん。午前中は神殿で、午後からは時間があるから、家に帰れるけど」
「わかった。じゃあ、明日午前中にさ、ちょっと掃除していいかな?」
「掃除?」
ただの掃除ではない。
俺一人で整理をつけたいものがあるから。
「それなら、私、帰ってからやるよ?」
「いや、そうじゃないんだ。ちょっと大きく片付けなきゃいけなくて」
「それだったら、尚更人手がいるでしょ?」
「あー……うんと、ほら、これはリンさんともさっき、相談してきたんだけど」
「リンさん? 教会の?」
「うん」
俺が守るべき人達は誰か?
エンバイオ家には、十分に尽くしたと思う。タンディラールが王になった以上、あと十年か二十年は、サフィスの立場が揺らぐことはない。よって、もうリリアーナもウィムも安全だ。
だが、ノーラは? 俺以外、身内と呼べるものがいない。ヌガ村に帰るなんて問題外だ。
その意味では、ジョイスやサディスも同じだ。シュガ村には帰れない。もう、あのオディウスはいないから、これからは少しずつ暮らしやすくはなっていくだろうが、だからといって彼らの居場所があるのでもない。
それから、ガリナ達のこともある。彼女らの身分を保証してくれる人がいないと、あとでどうなるかわからない。
「サディスも、もう十二歳になるし、そろそろ教会を出て、自活する準備をしなきゃいけないんだけど」
「そうね」
「リンさんも、転勤命令とか、あるかもしれないし。で、そうなると家が必要だよね」
「うちで引き取るってこと?」
「ジョイスのこともあるから」
「えっ?」
そこでノーラは首を傾げた。
「お部屋、足りないんじゃない?」
個人の居室は、三階に三つあるだけだ。二階は厨房と居間があるだけ。となると、居間を個室に変えれば、ファルス、ノーラ、ジョイス、サディスと四人で暮らせる……だけど、ずっと無人で通してきたアイビィの部屋は?
そんな風に考えているのだろう。
「それで、明日、午後にみんなをいつもの酒場に集めて欲しいんだ。ちょっと相談したいことがあって」
「え、うん」
釈然としない、といった顔で、彼女は頷いた。
翌朝。
よく晴れた冬の日の朝だった。
ノーラを見送ってから、俺は二度、三度、深呼吸した。
掃除といっても、実は大したことなんかしない。
……アイビィの部屋を整理するだけだ。
もう、俺はこの世界からいなくなるのだから。思い出など、取っておいても仕方がない。
だが、だからといってゴミのように捨てるのも、やはりつらい。
だから、地下室に運び込みたい。
それと、必要なものを出し入れしておかなければいけない。
まず、グルービーが残した精神操作魔術の本は、地下二階の奥にしまっておくべきだ。あれは危険な魔術書というだけでなく、世界の成り立ちそのものに疑義を投げかける、とんでもない代物でもある。それと、要所の書き写しは済ませてあるので、クレーヴェがくれた魔術書も、一緒に封印する。
あとは、改めて装備を選び直す。タンディラールが俺に授けた短剣もミスリル製だが、さすがにあれは短すぎる。日常用には、もう少し丈のあるのを使いたい。お嬢様からいただいた剣はこの前、折れてしまったし、そもそも鋼鉄製だ。今なら、ここにもっといい装備がいくらでもある。持ち出さずにおいたのは、ただ目立ちたくなかったからだ。
いい武器というなら、アネロスが使っていたアダマンタイトの剣もあるのだが、あれは魔法と相性が悪い。彼もわざわざ、反対側の手で、距離を開けて術を行使していた。それに重さも長さもありすぎる。いわゆるショートソードに分類できる程度のものでなければ、俺の体には合わないだろう。
金に関しては、必要な分を抜き出しておく。エンバイオ家に返済する分を数え直し、それ以外に旅費を取り分ける。
……そして、ノーラには、やはり地下二階の存在は教えない。
彼女が浪費するのが怖いのではない。ここを去る際に、ノーラにはまとまった金を残していくつもりではある。だが、それはそれとして、さすがにこのレベルの財産となると、危険を招くだろうからだ。それも「泥棒」というレベルでなく、だ。だから、当面の生活費は別途、直接に手渡しておくことにする。
考えをまとめると、俺は家の中に引き返した。
誰もいない、薄暗い家の中。
沈黙が、様々な記憶を呼び覚ます。
この一階の廊下を、リリアーナはじろじろ見ながら歩いた。それをエレイアラが嗜めていたっけ。
そこの右手の風呂場。引っ越した当日に、アイビィに無理やり引きずり込まれた。かと思えば、夢魔病から立ち直った直後には、今度はディーとエディマに全身をいじくられた。思い返してみると、結構、風呂場のトラブル……もとい、思い出も少なくはない。
二階に上がった。そこの居間、まさか靴を脱ぐ場所とは知らずに、イフロースもリリアーナも踏み込んでいった。客が来ると、ここで一緒に食べたりもした。
隣のキッチンダイニングも、いろいろと思い出がある。ウィーを仲間にしたばかりのガッシュ達を招いて、アメジスト昇格のお祝いをした。
三階。
俺は、そっとアイビィの部屋の扉を開けた。
あの日のままだった。
ただ、少し埃をかぶっている。
否応なく、時間は流れ去っていく。
扉を閉じて、見ないようにしていても、俺の知らないところで少しずつ変わっていく。それは避けられない。
彼女が涙を流しながら最後の手紙を書こうとした、その机。固まったインクも、あの日のままだ。
他人からすれば使い物にならないゴミでも、俺にとっては……
俺はそれらをそっと摘み上げて、木箱に詰めていった。
昼前には、すべてがすっかり片付いた。
この部屋にはもう、何もない。アイビィが使っていたのとは別に、サディスのための家具を買い揃える必要があるだろう。ジョイスには、俺の部屋をそのまま使ってもらう。
やってしまえば、なんてことはなかった。
初めから、そこに何もなかったような。そんな空しさが漂う。
たった四年。
なのに、ここには俺の人生が詰まっている。だが、それも時と共に途切れ途切れになって、やがて失われてしまうのか。
いや。
こんな気持ちのままではいけない。
せめて、笑顔でみんなに挨拶しよう。
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