タンディラール、戴冠する

 頭上にきらめく銀色。その合間に黄金色の輝き。小粒の宝石が散りばめられて、まさに壮麗、荘厳。

 かつて血に塗れた謁見の間、その玉座からもっとも近い場所に、俺は立っていた。


 先日の戦闘の形跡は、きれいに修復されていた。床に流されたドゥリアの血も、ウィーの矢に穿たれた壁も、すっかり元通りだ。

 そんな上辺だけの美しさを、俺は鼻で笑った。


 貴族達は既にこの広間に居並んでいる。左右に分かれて、中央に通り道が用意されている。ここをタンディラールが歩いて進むのだ。

 ただ、この戴冠式、二ヶ月前とは方式が異なる。セニリタートが死去したので、王冠を授ける人物がいない。とはいえ、在世中の王が突然死するなど、珍しくもない。今まで何度もあった出来事だ。

 そういう場合は、女神神殿の上級神官が代理を務める。いまや世界最大の宗教は女神教であり、旧セリパシア帝国の地域を除くと、王権の根拠は祝福の女神にある。王位とは、旧フォレスティス王家の血筋に基づき、英雄ギシアン・チーレムの正統な後継者が、女神の承認を受けて成り立つものなのだ。


 広間の壁際に控える楽団が、太鼓を一打ち。続いて女声の合唱が静かに始まる。

 玉座の左から白衣の神官達が、右から伝国の王冠を捧げ持つ女達が、姿を現す。


 気付けば、タンディラールは音もなく、玉座のすぐ下までやってきていた。

 そして、深く身を折り、跪く。いつの間にか歌声は止んでいた。


「……汝、タンディラールよ。女神の御前である」


 一層、身を縮め、深い敬意を表現する。


「女神はかの者を見出し、かの者は大地を六つに切り分けた。かの者の意志、此は荷である。其を我が荷として背負う者、どこにある」

「ここに」

「万民の労苦、いまだ軽からず。諸人、皆、荷を背負いて行く。其を我が荷として背負う者、どこにある」

「ここに」

「万軍の危難、いまだ安からず。魔を討つ征途に赴く兵、皆、荷を背負いて行く。其を我が荷として背負う者、どこにある」

「ここに」

「進みでよ」


 女神と英雄の意志を引き継ぎ、民衆の苦労を和らげ、魔王に立ち向かう兵士達の力となる。それが王者である。そういう意味だ。

 やっぱり鼻で笑うしかない。そうであるなら、こいつのどこが王なのだ。


 神官と、女神を連想させる扮装をした女官とが、玉座の前に跪くタンディラールに、そっと王冠を被せた。

 短い階段をゆっくり登ると、そこで彼は振り返る。


「祝福あれ」


 一斉に人々が跪拝する。

 この瞬間、彼は正式にエスタ=フォレスティアの王となったのだ。


 だが、もう一つだけ、手続きが残っている。


「責務を背負いし王と共に歩む者、名乗りでよ」


 この呼びかけに応じて、最前列の一人、俺から見て右側の島にいる一人が立ち上がる。

 見なくてもわかる。エルゲンナームだ。


「フォンケーノ侯フォルンノルドは、望んで王国の礎となるだろう」


 これは定型文だ。

 貴族としての称号と名前、それから自発的に王国を支えるという宣言。これと同じ台詞を、格式高い家柄の貴族から、順番に宣言していく。要するに、投票権の行使だ。

 でも、こんなのは本当に形だけだ。まさかこの空気の中で「我々は新王を認めない」なんて、言えたものじゃない。本気で支持しない場合は、そもそもこんな場所に出席すらしないだろう。

 で、やっぱりというか。動乱の末期には、すぐ近くまで軍勢を率いてやってきていたフォルンノルド本人は、さっさと領地に引き返している。どうあっても、新王の承認というイベントは、名代に任せっきりにしたいらしい。支持は形だけ、とアピールしているのだ。

 当然ながら、これは投票権を持つ貴族にしか、まわってこないものだ。よってサフィスは跪いたまま。終わるまで、じっと待つだけだ。


「祝福あれ!」


 再度の呼びかけに、投票権を持たない貴族まで、揃って立ち上がる。と同時に、また隅の方にいた合唱団が歌声をあげる。


 これで正式な戴冠は済んだ。

 だが、手間を省略したいタンディラールは、続いて「新王の恩寵」という形で、先の内乱の後片付けをする。


 首の骨が折れるのではないかと思うほど大きな王冠をかぶったままでは、これ以上、身動きもままならない。現実的な彼は、見栄えを捨てた。丁寧に王冠を取り外し、脇に控える女官達に引き取らせたのだ。

 身軽になってから、彼は呼びかけた。


「王国の平和に寄与せんとする善き者達よ。諸卿らの奉仕と献身に信をおき、ここに余は新たな使命を授けんとす」


 なんか小難しい言い方をしているが、要は「人事異動するぞ」という宣言だ。

 つまり、ここからが本番だ。みんなが待ち侘びた論功行賞の結果発表なのだから。


 脇に立つ新たな宮内官が、目録を手に声をあげる。


「アルタール・トゥクール・レットヴィッサ」


 居並ぶ貴族の中から、若く雄々しい男の姿が現れた。

 整った顔立ちの中にも、力強さがある。覇気に満ちている。ただの貴公子ではない。

 やはりというか、勲功第一、最初に褒賞を受け取るのは彼だった。


「そなたに大将軍の任を授ける」

「謹んで御受け致します」


 これはまた、一気に大出世だ。

 校尉、護国将軍と二段階をすっ飛ばして、いきなり大将軍。大臣クラスの顕職なのだ。

 今までずっと空席にされていたところに、ようやく彼が腰を据えた。


 もっとも、彼の今回の活躍を考えれば、無理もない。

 俺はあまり近くで見てなかったが、彼はずっと王宮でタンディラールを守り続けていた。彼の奮戦があればこそ、タンディラールも王になれたのだから、妥当な人事ではある。さほどの意外性もなく、騒ぎ立てる貴族もいなかった。


「ジャルク・フィエルハーン・レセー」


 と思ったら、なんでこいつが?

 終戦間際にちょっと動いただけなのに。


「そなたに校尉の任を授ける」

「謹んで御受け致します」


 はて。

 どうもこれは、不公平ありきの人事になる予感がする。


「ゼルコバ・ドレーヴォ」


 国境は部下に任せてきたのか、彼もここにいた。


「そなたに近衛兵団第一軍、軍団長の任を授ける」

「謹んで御受け致します」


 アルタールとジャルクが出世して、近衛兵団の枠が二つ空いた。第二軍は解体されるとしても、四軍団ある。誰かが指揮官を引き受けなければいけない。

 そう思って聞いていたら、何か知らない人の名前で、次々後任が決められていった。


 まず、第五軍は一時的に廃止。これはウェルモルド率いる第二軍が、解体されたためだ。つまり、一時的に近衛兵団は四軍までしかないことになる。

 第一軍には、聖林兵団から転籍したゼルコバが就任する。だが、残り三つは?

 紛争中に存在感を示せなかったラショビエ、それに軍団の半分を奪われ、現実逃避に走ったカリャは、無言のうちに罷免されていた。結果、残り三つの軍団には、別の指揮官が割り当てられた。そのうち一人は、ジャルクの息子だったが。


「サフィス・エンバイオ・トヴィーティ」


 ついに彼の番だ。

 しかし、サフィスの表情には、興奮や高揚、期待といったものは、まるで見て取れなかった。彼は淡々と前に進み出た。


「そなたに建設大臣の任を授ける」

「……謹んで御受け致します」


 心なしか、彼の返事には、力がなかった。


 一方、貴族達の集団からは、一瞬、どよめきのようなものが聞こえた。小貴族といっていいサフィスが、地方長官から一気に大臣に登り詰めたのだ。

 確かにピュリス総督というのは、階級でいえば校尉に匹敵する。軍団長より一つ上なのだから、それだけでも高い地位ではあった。ただ、地方官僚だ。中央の顕職に比べれば、幾分格が下がる。貴族達の認識では、総督より財務卿、近衛兵団の軍団長のほうが上なのだ。だから、これまた「抜擢」というに相応しい、大出世に見える。


 驚く貴族達に気付いたタンディラールが、補足する。


「サフィス・エンバイオは、此度の混乱において、君臣一体となって、叛徒に立ち向かった。また、これまでのピュリスの治績を見ても、かつてないほどの成功を収めている。これほどの功をなした者を、ただの一地方長官としておくのは、国家の損失である」


 異例の宣言に、貴族達は静まり返った。

 傍から見ればサフィスは、太子派の出世レースで、最高得点を獲得した一人なのだ。


「サフィス・エンバイオには今後、私が先王の下で取り組んでいた、レーシア湖の水道建設事業を引き継いでもらう。これは彼にしか務まらない、国家の大事である」


 大変な持ち上げようだ。

 貴族達も、お追従のように拍手を浴びせる。


 だが、そんな中、サフィスは、微妙としか言いようのない笑顔を浮かべていた。得意げというより、はにかむような……いいや、そんないいものではない。はっきり言ってしまうと、「欲しかったのとは別のプレゼントをもらったような」顔をしていた。


「なお、サフィスの功績は既にして大であり、重ねて恩賞を取らせる」


 まだあるのか、と貴族達は顔を見合わせた。


「フォレスティス王家はエンバイオ家の陞爵を認め、ここにトヴィーティ伯爵を名乗ることを許す。また、長年にわたる王家への忠節を鑑み、投票権を与える」


 またもやどよめきが起きた。

 伯爵、つまり子爵と違って分家扱いではない。独立した貴族だ。しかも、投票権。これは本来、侯爵家にしか認められないものだ。王家を支持した独立貴族が有する権利なのだから、ただの伯爵には与えられない。

 要するに、サフィスは一流貴族の仲間入りを果たしてしまったのだ。


 だが……


 俺もイフロースも、固い表情をしていた。

 ついに、やられた。


 動乱中は、とにかく戦うしかなかった。サフィスに点数を取らせるためではない。生き残るために死力を尽くした。

 そのことに後悔はない。だが、実績をあげすぎた。敵将を討ち取り、或いは手傷を負わせた。その結果がサフィスに跳ね返ってきた。タンディラールはこれを好機と見た。

 最初は、失点を重ねさせることでサフィスを叩き落とすのも、選択肢のうちだったのだろう。だが、今となってはそれは不可能だ。ならば逆に、功績に相応しい恩賞によって、無理やり引っ張り上げてしまえばいい。


 建設大臣になってしまった。ということは、エンバイオ家はピュリスから引き剥がされる。

 せっかく築いてきた地盤も、無にされるのだ。


 こうなると、昨日、サフィスを呼び出した意図も読めるというものだ。上昇志向の強かったサフィスをうまくおだてて、まるで大臣就任が素晴らしいことのように思い込ませる。親しげに酒を酌み交わし、お前は王家の、いいや私の個人的な友だ、とまるめこむつもりだったのだ。

 だが、サフィスは別人になっていた。少なくとも、タンディラールの酷薄さに気付けるくらいには。だからこそ彼は昨日、恩賞などいらないと言い出した。


 構うことはない。それでもサフィスの功績が消えるわけではない。

 ゆえにタンディラールは、予定通りサフィスに大臣の職を与えた。しかも辞退できないよう、オマケまで付け足した。大勢の前でリップサービスした上で、陞爵させて、投票権まで与えた。


 ……こういうのを「試合に勝って、勝負に負けた」というのだろうか?


 恩賞のリストは長く、この後も延々と続いた。

 俺やイフロースも功績を挙げているが、呼び出されるのは後のほうだ。


 じっと待っていると、知っている人物の名前が読み上げられた。


「キース・マイアス」


 キースまで?

 いや、驚くことでもないか。

 彼は、王都を散々荒らしたドゥーイを討ち取っている。確かに功労者だ。


 ……ところが、いつまで経っても姿が見えない。どうした?

 宮内官も、目録を手にしたまま、周囲を見回すばかりだ。


 ややあって、貴族の行列の後ろのほうから、騒ぎ声が聞こえてきた。

 振り向いて、俺は声をあげそうになった。


 キースだった。

 その髪型、服装はいつも通り。逆巻く髪の毛に、白い陣羽織だ。ただ……

 彼は帯剣していた。しかも、陣羽織も、あの日の戦いに纏っていたもののまま。血塗れのそれを着て、ここまで来たのだ。


 さすがにこれはまずい。特に腰に帯びた剣が。

 新王を害しかねないと思ったのだろう。上の階から、近衛兵達が駆け降りてきて、彼を取り囲み、槍を向ける。だが、彼らの技量でキースを食い止めるなんて不可能だ。


「下がれ」


 タンディラールが手をかざし、兵士達に命じる。

 戸惑いながらも、彼らは槍を引いた。それでキースは、無言のまま、また前に進み始める。


 彼の表情は、険しかった。まるで噛み付く寸前の猛犬のようだった。

 対するタンディラールは、一見すると上機嫌そのものだった。


「印璽をもて」


 指示を受けた女官が、急いで金色に輝く印璽を持ち出してきた。

 戸惑いながらも、宮内官が、目録を読み上げる。


「そなたに名誉男爵位を授ける。ノーミナル男爵を名乗ることを許す」


 つまり、一代限りの名誉貴族の称号を与える、ということか。

 キースは武人だが、軍人ではない。イフロースと違って、兵士を率いて戦うなんて、できそうにもない。ゆえに将軍の職務は与えにくい。だが、その能力は魅力的だ。だからこうして、恩賞を与え、繋ぎとめようとする。


「さあ」


 女官の手から印璽を取り、タンディラールは満面の笑みで、それをキースに差し出した。

 その瞬間。


 パァン! と弾ける音がした。

 続いて、床にゴロンと転がる金の印璽。


 一瞬のどよめきの後、言葉すら忘れて、貴族達は立ち尽くす。


 キースは、タンディラールを睨みつけていた。そんなキースに、タンディラールは変わらず笑顔を向けていた。

 いきなりキースは、無言で振り返った。また、歩いて去っていこうとする。


 王が手ずから与えようとした印璽を、叩き落としたのだ。

 気を取り直した兵士達が、その無礼を償わせようと、槍を向ける。


「やめよ」


 壇上から声が届く。


「今日はめでたい日だ。血を流すに及ばぬ」


 振り返りもせず、キースはまっすぐ歩いた。嫌悪と恐怖の入り混じった視線を向けられながら、やがて彼は、謁見の間を去っていった。

 気まずい空気が流れたが、タンディラールは続けるよう促した。何事もなかったかのように、宮内官は目録の次の項目を読み上げた。


 そして、順番がまわってきた。


「サウアーブ・イフロース」


 当然ながら、彼の顔に一片の喜びもない。


「そなたの武功を称え、正騎士の称号と、王家の剣をとらせる」

「ありがたき幸せ」


 タンディラールが宝剣を手渡し、イフロースは跪いてそれを受け取る。

 だが、感謝の言葉も棒読みだ。


 茶番もいいところだ。

 あのピュリスの動乱。タロンを使って彼を殺そうとしていたのは誰だ?

 だがもう、その必要もなくなった。エンバイオ家はもう、あの街の支配者ではなくなるのだから。


「ファルス・リンガ」


 そして、俺の番になった。


「そなたの武功を称え、銀の腕輪、ならびに従士の称号と、王家の短剣をとらせる」

「ありがたき幸せ」


 これもイフロースとしては、「やられた」うちに入るのだろう。騎士の腕輪を与えるのが、サフィスではなく、タンディラールになってしまった。

 ちなみに正騎士になったイフロースだが、元々の小姓の腕輪を与えたのはフィルなので、後日、サフィスからという形で、金の腕輪が贈られるはずだ。


 しかし、俺にとってはメリットがある。

 騎士の身分を手に入れた。

 言い換えると、移動の自由を得られたということだ。


「諸卿、王国を支えるのは若者だ」


 タンディラールが口を挟んだ。


「このファルスは、若年ながら、兵を率いる逆賊ウェルモルドに単身立ち向かい、手傷を負わせた。また、王宮を荒らした逆賊ルースレスを討ったという。この功績は大であり、強調して、しすぎるということがない」


 新王じきじきのお褒めの言葉だ。

 貴族達が、目の色を変えた。


 ……なんて気持ち悪いんだろう。


「彼の功績に対して、今、王家が与えたものは、あまりに小さい。だが、彼が若年であることを慮って、あえてこれに留めた。後日、ファルスは王国を支える要石となることだろう。未来のためにも、若者が正しく伸びていけるよう、諸卿らの協力を仰ぎたい」


 万雷の拍手が降り注いだ。

 彼らの目に映るのは、国王の寵愛を受けた少年騎士だ。そして、うまく取り入れば、或いは自分も……


「諸卿、余の王としての最初の責務は済ませた。あとは皆の奮起を期待して待つばかりだ。だが、まずは祝おう。王として、また万民の友、諸卿らの友として、皆をもてなしたく思う」


 改めての拍手喝采。

 新王即位を祝ってのお祭りが始まるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る