処刑、処刑、また処刑

 馬車が市民の壁を越えたところで、渋滞に巻き込まれた。普通に人が歩くよりゆっくりと、少しずつ人込みを掻き分けて進む。

 この喧騒の原因はなんだろう? ここにジョイスがいたら、きっと頭痛で倒れてしまうに違いない。


 人々が思い思いに怒りの声をあげている。倒壊した家屋を片付けて、臨時に設けた広場の中心に、木製の舞台が据えられていた。そしてその周辺を兵士達が守っている。そうしないと、群衆が殺到して、何もかもが滅茶苦茶になってしまうからだ。

 今回の主役は……エマス・スブヤンシ。宮廷貴族の一人で、太子派のメンバーでもあったはずだ。それがなぜか、両腕を後ろに縛られ、口には木の板を含まされて、膝をついている。あの勲章だらけの服ではなく、粗末な灰色の衣服に、その太った体を包んでいる。


「……以上の罪状により、被告人を絞首刑に処す」


 この宣告に、群衆の興奮は最高潮に達した。

 エマスは、何か信じられないものを見聞きしたかのように目を見開き、周囲を見回していた。だが、刑吏が容赦なく彼を立たせ、目の前の縄へと押し出していく。身をよじって抵抗しても、どうにもならない。


 彼の立つ舞台の下には、「お仲間」達も居並んでいる。

 反乱軍の指揮官だったウェルモルド。フミール王子の身柄を「拘束」して謀反を計画したショーク伯。そして王都で狼藉の限りを尽くしたドゥーイ。

 ただ、みんな首から下がない。


「殺せ! 殺せ!」

「生温い! 俺にやらせろ!」


 憎悪の滲む怒号が響く。

 この内乱で、庶民の間でも少なからぬ犠牲者が出た。命こそ奪われなくても、家を焼かれたり、財産を略奪されたりした人がいたのだ。さすがに近衛兵団などの軍団兵は略奪しなかったが、特にティンティナブリア兵、それにドゥーイの傭兵団がひどかった。まぁ、傭兵団のほうは金目のものが目当てだったので、富裕層の家ばかり狙っていたのだが。

 で、そうなると人々の怒りは、この紛争を惹き起こした連中に向かう。いったい誰のせいでこんな目にあったのか?


 当局の説明は、こうだ。

 タンディラール王子の王位継承は、正統なものであり、また既定事項だった。しかし、悪意あるショーク伯及びその一党は、結託してフミール王子の身柄を確保し、加えて戴冠式を妨害するため、伝国の王冠を盗み出し、隠匿した。

 エマス・スブヤンシは、宮内官の特権を乱用して、その王冠の紛失を演出するために、暗躍していた。彼が王家を裏切らなければ、この紛争は起きなかったのだ、と。


 なるほど、それが事実であれば、人々の怒りも当然といえる。私利私欲のために王国の平和を乱した極悪人なのだから。

 だが、エマスは内心で叫んでいた。


《なぜだ! なぜだ! 私はただ、殿下のご命令で……!》


 ウェルモルドがいうところのスパイのスパイとは、彼のことだった。まさしくタンディラールの自作自演、そのキーパーソンを務めたのがエマスだったのだ。

 しかし、この事実を知る人間が残っているのは、新王にとって都合がよくない。こういう陰謀は、証拠も残さず葬り去るべきだ。それに、庶民の不平不満の矛先を引き受ける生贄も必要だ。よってエマスは使い捨てられることと相成った。


 首に縄がかかると同時に、前に押される。足場をなくして、重い体が宙に浮いた。

 抵抗するように前後に揺れはするが、それだけ。せめて最後に真実を叫ぼうにも、口に含まされた板が邪魔をする。見る間に意識がかすかになって、散っていく。


 馬車が渋滞を抜けた。

 そのまま、兵士の壁の門へと走り出していく。


 今回は、本当に短期の滞在が決まっている。リリアーナやウィムさえ、伴わずにきた。俺とイフロース、それに怪我をしたセーンの代理となる料理担当、御者。これだけだ。馬車一台で足りる。

 二週間ぶりの別邸に戻ってきた。既に扉の修理も済んでおり、中の清掃も片付いている。イフロースを先頭に、俺達は慌しく中に立ち入った。


 まずはサフィスに休養を。イフロースが邸内のチェックをしている間に、俺は料理担当の助手と一緒に、軽くお茶の準備をする。今回は夕食の支度も俺が引き受けなければいけない。ただ、俺自身がタンディラールから呼ばれることも想定しているので、その場合は助手一人で仕事をこなすことになる。どうせ会食その他は一切お断りの方針だから、それでもなんとかなる。


「お待たせしました」


 そっと温かい紅茶を出す。


「ああ、お前達も休んでくれ」


 目下の者への気遣い。思い返せば、今まではずっとエレイアラが引き受けてきた部分だった。失ったがゆえに見えてくるものもある。皮肉なものだ。

 だが、休憩時間は唐突に終わりを告げた。


「閣下、ラショビエ様がお見えです」

「通せ」


 それで俺は、さっさと奥に引っ込んだ。客に出す紅茶が必要だ。

 だが、お茶を用意して応接室に戻る頃には、話はほぼ終わっていた。俺に視線を向けたサフィスが、取り繕うように言う。


「まぁ、そんなに慌てなくてもいいでしょう。粗茶ですが、一息休まれてから参りましょう」

「お気遣い、かたじけなく」


 はて。

 ラショビエの態度が、前回とまるで違う。一見して、腰が低いとわかるのだ。

 だが、すぐに結論なら出た。恐らくだが、彼は近衛兵団第一軍の軍団長を解任されるのだ。大事な副官をあっさり殺され、その後はろくに存在感も示せず、兵の半数を流出させた。タンディラールは、自分の味方として第一軍に期待していたはずで、そのかなりの部分を失うに任せた無能な宮廷人には、これ以上、軍事の要を任せる気にはなれなかったのだろう。


 サフィスは俺に振り向いた。


「ファルス、早速だが、お前もイフロースも、殿下に個人的に呼ばれている。ラショビエ様は、その使いでいらっしゃったのだ。これからお伺いせねばならん」

「承知致しました」


 相変わらず、奴は王都内を厳しく監視しているらしい。今回は、俺達にどんな用があるのだろうか?


「ときに閣下」


 ラショビエは、相手の皮膚にまでへばりつきそうな笑みを浮かべて、話題を切り替えた。


「どうなさった」

「いや、今回、ご不幸がおありだったとのことで、お悔やみ申し上げたく」

「ああ」


 サフィスは努めて悲しみを顔に出さず、頭を軽く横に振った。


「後に残されたものは、悲しみに暮れています。私はもちろん、子供達も、召使達もです。ですが、妻は立派に人生を締めくくったのですよ。涙を流して駄々をこねるのは、私のような女々しい心の持ち主だけです。あれは堂々と胸を張って、女神の御許に招かれたことでしょう」

「それはそれは」


 サフィスの長々とした説明には、暗に示されているものがある。それをラショビエに告げたということは、まさしく彼は、相手の狙いを読み取り、牽制しているのだ。

 だが、この無礼な訪問者には、余裕がない。


「しかし、悲しみを癒すには、新たな喜びしかありませんぞ。ときに閣下、私にはよくできた姪御がおりましてな」

「おやおや……これ、ファルス」

「はい」


 いかにも面白い、と言わんばかりの顔を作って、サフィスは俺を叱るふりをした。


「誰がラショビエ様の飲まれる紅茶に、ブランデーを入れろと言った。しかも、加熱が足りなかったようだな」

「申し訳ございません」


 もちろん、俺は酒なんか入れていない。第一、紅茶にブランデーを入れる場合にはしっかり火を通してアルコールを飛ばす。だから、酔っ払うことなんかない。

 サフィスはすっと立ち上がった。


「さて、ラショビエ様。本当はゆっくりしていただこうと思ったのだが、この粗忽者が出したお茶など飲めたものではない。この上は、殿下のところで喉を潤すとしましょうか」

「あ、は、はぁ」


 今までのサフィスであれば、タンディラールの使いを怒らせるのを恐れて、なんでもハイハイと答えていただろう。

 だが、今回に限っては、彼はキッパリとラショビエを拒絶した。


 立場を失いつつある彼の変化に、サフィスも勘付いたのだ。

 表の地位がなくなるなら、横の繋がりを。宮廷人らしい判断だ。騎士身分でしかない彼でも、後添えということなら、親戚から貴族の夫人候補を差し出せる。

 サフィスはタンディラールへの忠誠を示し、その下僕達もそれぞれ武功を挙げた。だからラショビエは、サフィスにくっついて生きていこうとしている。妻を亡くしたのなら、いっそ一族から適当な娘をあてがってもいいのだと。

 だが、サフィスの側にはメリットがない。それに……不愉快だったのだ。いったい誰が彼女の代わりになれるだろう?

 それでも、最初はやんわりと拒絶しようとした。弱みとみられかねない自らの傷心を覆い隠して、表情と声色では平静を保ちつつ。一方で、いかに妻が素晴らしい女性だったかを長々説明した。自分自身を「女々しい」と形容し、エレイアラは「立派に」「堂々と」女神の御許に赴いたのだと。

 しかし、ラショビエはそれでもやめなかった。ついにサフィスは、笑いながら怒ったのだ。


 王都に到着したのが昼下がり。それから一時間もしないうちに、俺達は王宮に向かって出発した。

 かすかに日差しに橙色の光が混じりつつある。夕方というにはまだ早いが、真夏の頃に比べると、随分と日が短くなったものだ。


「遅いぞ、サフィス」


 今回通された場所。前回、前々回ともまた異なる部屋だった。

 半屋外の空間で、列柱の上に屋根がついている。足元はツルツルに磨き上げられた暗い藍色の大理石。向かって正面に椅子があり、そこにこの場の主人、タンディラールが腰掛けている。

 右側は別の建物と繋がる渡り廊下になっているらしいが、詳細はわからない。左側には、狭い庭がある。奥行きはあまりなく、目の前は樹木に覆われている。

 王家の関係者がほとんど勢揃いしていた。ティミデッサだけは不在だったが、残りの王子と王女、それに従者達も立っていた。


 ここはどういう場所だろうか? 何しろ、俺達の席もない。

 王子達にも席がない。テーブルもない。雰囲気としては、謁見の間だ。但し、規模がずっと小さいが。

 もしかすると、宮廷内の問題を裁くための、より内向きのスペースなのかもしれない。


「お待たせしました」


 サフィスは淡々と頭を下げた。

 一方のタンディラールは、いかにも機嫌よさげだった。しかし……


 子供達の表情が微妙だ。何か恐ろしいものでも見たかのような。

 いったい何があった?

 魔術で心を読み取りたい誘惑に駆られたが、あえてやめておく。ここは王宮内だ。万一、やろうとしたことが露見した場合、大変なことになる。それに……なんでもこの力に頼るのは、今後のためにもよくない。


「なにしろお前が来ないと、明日の戴冠式も始められんからな。正直、今日にも王都に到着しなかったら、どうしようかと気を揉んでいた。ははっ」


 そんなはずはない。サフィスには投票権がないからだ。

 だが、内紛における功労者の一人がサフィスだ。戴冠直後に、タンディラールは彼らに褒賞をとらせるはずで、その意味では確かにサフィスが必要ではあるのだが。


 しかし、それでは何のためにここへ?


「殿下、今日はどのようなご用件でしょうか」

「なに、お前と久しぶりに一杯飲みたくてな。それにお前の下僕達にも、今回は随分と働いてもらった。その苦労をねぎらいたいのもある。……用事のほうは、まぁ、オマケ程度だが、要するに下準備だ。戴冠式を手早く済ませて、その後、そのまま褒賞をくださねばならん。貴族どもも領地を離れてずっと拘束されておるのでな、さっさと片付けて、帰してやらねば。それで簡単にお前と打ち合わせを……」


 ここが執務スペースなのはわかる。

 明日、本当に戴冠するということで、タンディラールも目が回るほど忙しいのだろう。


「……失礼致しますぞ」


 後ろから、じっとりとした低い声が聞こえた。

 振り向くまでもない。王宮内を我が物顔で歩き回れる男。鎧を着込んで帯剣して。そんなのはこの男、ジャルクをおいて他にいない。


「なんだ、ジャルク。この忙しいのに」

「はい、それが、伯爵の件で」

「ほう」


 するとタンディラールは、途端に凄みのある笑みを浮かべた。


「では、残り二件か」

「そうなりますな」

「通せ」


 そして彼は、サフィスに振り返った。


「少しそこで待っていてくれ。済まんが、今は細々と割り込みが入るものでな」

「いえ、承知しております」


 なにせ今のタンディラールは、即位の準備から戦後処理まで、何でも片付けなければいけない身の上だ。だから、用件の途中でまた別件を片付けるというのも、当然に起き得る。

 それは理解できるのだが、ではなぜ、そんな場所に子供達を立たせているのか……未来の王者に対する教育とか?


 俺達が脇に寄ると、ジャルクと近衛兵達はいったん引き下がり、ややあって戻ってきた。但し、この部屋の中ではなく、左側の狭い中庭のほうにだ。

 そこに見慣れない三人の男達がいた。真ん中の男は、何か箱を捧げ持っている。彼らの外見からすると、明らかに平民、それも冒険者らしい。一人だけ革の鎧を身につけていた。ただ、当然ながら、武器はすべて没収されている。

 そんな彼らを、十名ほどの近衛兵が取り囲んでいた。次期国王の御前なのだ。間違いがあってはならないから、油断なく男達を見張り続けている。


「申せ」


 ジャルクが短く促す。

 彼らはすぐさまその場に跪き、箱をそっと庭の地面に置いた。


「ははっ」


 そして、地面に頭をこすりつけ、それから目の前に立つタンディラールを仰ぎ見た。


「へ、陛下にはご機嫌、うるわしゅう」

「前置きは良い。なんだ」


 まだ即位していないので、この呼び方はむしろ失礼かもしれない。

 タンディラールは、にこりともせず、短く尋ねた。


「はっ……私どもは、逆賊を、討伐、致しました。そのことを、ご報告、申し上げたく」


 言葉遣いに自信がないのだろう。いちいちつっかえながら、やっとそれらしい口上を述べた。


「逆賊とな」

「はい、こちらで」


 得意満面、真ん中の男は、王子の威厳に押されながらも、どうだと言わんばかりの笑顔で、箱を開けてみせた。

 そこにあったのは……人間の生首だった。


 背後で小さく息を呑むのが聞こえた。

 なるほど。朝からこういうものばかりを、ずっと子供達に見せ続けていたか。


 目的は? まだ全貌は見えてこないが、一つには、内紛の悲惨さを刻み込むためだろうか?

 今のところ、王位継承順位の一番手は、グラーブ王子だ。続いて可能性があるのは、他には男児がいないので、嫡出の女児、つまりアナーニアになる。この二人がいなくなった場合、三番手がリシュニアで、それもいなくなってやっとティミデッサにお鉢が回ってくる。

 この順序が絶対であること。下手な野心は、こういう悲惨な結果を招くのだと見せ付けるため。


 ただ、女王即位の前例がないわけでもないが、王子がいるのに押しのけてその地位に就いたという歴史は、ちょっと思い出せない。アナーニアがどれだけ高慢で、グラーブに対抗心を抱いていたとしても、暗殺に成功しない限り、チャンスはまわってこない。他二人の王女についていえば、可能性は更に小さい。

 とすると、「見せしめ」の意味もあまりないと思うのだが……


 それより、この首だ。

 俺には見覚えがあった。


「これは」

「へ、へい、こ、これは、ですね」

「いい。楽に話せ」

「あ、ありがとうごぜいやす……こいつはですね、反乱軍のレジネス・フィルシー・ティンティナブラム、でさぁ」


 思い出した。

 この男達は、レジネス……ティンティナブラム伯の息子の、冒険者仲間だ。


「ふむ」


 タンディラールは、相変わらず無表情のまま。

 だが、真ん中の男は、得意げになって喋りだした。


「あっしら、よくは知らないんですがね。王都に伯爵の軍勢がきて、そりゃあもう、悪いことをしたじゃねぇですか。そんなもんで、あっしらとしてもほっとけねぇってんで、この、ですね、伯爵の息子ですね? こいつを捕らえて、討ち取ったってことで」


 討ち取った? 違うだろう?

 突然の父親の凶行に、レジネスは驚き慌て、逃げ惑ったはずだ。そして、彼が頼りにできるものはといえば、冒険者仲間しかいなかった。最初のうちこそ、レジネスを匿っていた彼らだったが、伯爵軍の劣勢が明らかになってくると、態度を変えた。全員で油断していたレジネスの寝込みを襲って、一方的に殺したのだろう。

 とはいえ、そこまでならまだ、同情もできる。彼を守り続けることで、自分達まで反逆者として裁かれたら? だから、彼らの動機が不安と恐怖にあるのなら、わからなくもないのだ。しかし……


 静かに話を聞いていたタンディラールだったが、男の言葉が途切れるのを待ってから、ジャルクに目配せをした。


「ジャルク」

「はっ」

「ひっ捕らえろ」


 途端に近衛兵達が飛びかかる。あっという間に三人は拘束された。首元には槍がつきつけられ、後ろからは二、三人の兵士に押さえつけられて。これではもう、何もできない。


「なっ、なっ、なんですかい、へ、陛下」


 いきなりのことに、彼は完全に混乱していた。


「ご、ご無礼のほどはっ、ご、ご容赦」

「そなたらの振る舞い、言葉遣いについての咎めだてではない」


 いつになく、タンディラールの表情は険しかった。


「その方らの罪状はただ一つ。王国の要石、重臣たるレジネスを弑したこと、これである」

「はっ!?」


 予想もしていなかった言葉に、男達は目を見開いた。


「そ、そいつぁおかしい! だ、だって! 伯爵が」

「勘違いしておるようだな」


 冷え冷えする声色で、タンディラールは「事実」を述べた。


「反逆したのは、ウェルモルドを筆頭とした不忠の者どもだ。だが、ティンティナブラム伯は忠義の心をもって、兵を率いて王家の危機に馳せ参じた。しかるに、配下の部将の裏切りにあって、無念にも討たれた。結果があの無道の振る舞いよ。してレジネスは、その父オディウスの志を継ぐものであった。それがこのような」


 ひどい創作だ。

 タンディラールは、伯爵の計画に、恐らくは勘付いていたのだろうから。


「我が忠臣を襲って殺し、あまつさえこれに逆臣の汚名を被せ、恩賞をせびるとは何事か! その罪、万死に値する」

「ひっ、ひええ!」


 彼らからすれば、理不尽この上ない話だ。伯爵軍が都内を荒らしまわったのは周知の事実で、だから普通に考えて、フィルシー家の罪科は無視されない。

 ただ、だからといって彼らを救ってやろうとは思えない。仲間と信じて縋ってきたレジネスを裏切ったのだ。それも、命惜しさにそうしたのならともかく、彼らはただ、利益を得ようとした。ちまちま酒代をせびるより、王様から恩賞をもらったほうが。それにこの動乱が伯爵軍の負けで終われば、どうせレジネスもその地位を追われるのではないか。つまり、利用価値のないクズなんか、見逃してやっても意味がない……そう考えた結果なのだから。


 彼らにとって予想外だったのは、タンディラールが彼らより遥かに狡猾だったこと、だろうか。


「フィルシー家は、長らく王国の北の国境を守り続けた、いわば王家の友であった。それがこのような形で滅び去るとは、悲しいことではないか」

「左様ですな」

「彼らフィルシー家代々の忠臣達に代わって民を安んずるのは、我が務めだ。だが、それはそれとして」


 タンディラールは激しい怒りと悲しみを装って、主犯の男を指差し叫んだ。


「ジャルクよ、とてもではないが待ちきれぬ。この痴れ者どもの首を、即刻刎ねよ」

「お庭が汚れてしまいますぞ」

「構わぬ! 早うせい!」


 死の宣告に、男達は改めて拘束を振りほどこうとするが、無駄なことだった。

 押さえ込まれた頭上から、刃が降り注ぐ。一撃では首は落ちない。兵士の手にあるのは処刑用の斧ではなく、その技量も平凡。かつ、押さえ込まれているとはいえ、男達は全力で抵抗しているのだ。しかし、それは彼らの苦痛を増すばかりだった。二度、三度と剣が叩きつけられ、ようやく一人目の首が地面に転がる。


「ひっ、ひいい!」

「次」

「がっ! あばば、お、お慈悲ぶっ!」


 二人目。


「あっ、あわわ……」


 恐怖のあまり、最後の一人は失禁した。だが、兵士達の手が止まることはない。


「たっ……助け……ひぃーっ!」


 甲高い絶叫が途切れる。終わった。


「これで少しは溜飲が下がったというものよ」


 肩を怒らせながら、タンディラールはそう吐き捨てた。


 王者の素質というのは、役者の素質と大差ないのではないか?

 そう皮肉りたくもなる。


 そのまま、勢いよく椅子に収まると、彼は改めてサフィスに向き直った。


「済まんな、本当にくだらない用事だった」

「いえ」


 サフィスは、何を考えているのかわからないような無表情のままだった。


「間が悪かった。本当はもう少し時間が空くはずで、ゆっくり酒でも飲もうと思っていたんだが……予想外に立て込んでしまってな」

「今の殿下はお忙しい身の上です。ご無理はなさらずとも」

「いやいや」


 表情の変わらないサフィスに、いかにも親しげなタンディラール。

 違和感のある風景だ。今までなら、むしろ逆だった気がする。


「そうそう、それとちょっと、お前に伝えておきたいことがあったのだが」

「なんでしょうか」

「ああ。明日は時間も限られるので、戴冠式を済ませてから、そのまま恩賞を与えねばならん。それで、今回の一件では、お前達トヴィーティアのエンバイオ家の活躍には目覚しいものがあった。サフィス、お前はもちろんのこと、従者達にもそれぞれ、褒賞を与えたい」


 そう言いながら、タンディラールはイフロースと俺に視線を向けてきた。


「当日は、係りの者に誘導されることになるだろうが、お前達は揃って前列に立ってもらいたい。通常は、従者は二階の席だが、これは特例だ。いつも通り、上に行かれると、呼びつけるのに時間もかかって面倒だからな。頼むぞ」

「はっ」

「ふふっ、明日は期待してくれていいぞ、サフィス」


 たったこれだけ、か。

 本当に大した用件ではない。


「殿下」


 そこへ、サフィスが口を挟んだ。


「なんだ」

「私には、恩賞はいりません」


 静かにサフィスは言った。


「今、なんと言った?」

「恩賞は必要ございません。そう申し上げました」

「ほう? なぜだ」

「……私は既に、王家の恩寵の下におります。これ以上、何を望むことがありましょう」

「ふむ」


 これも、今までのサフィスでは考えられない発言だ。

 いったい、どういう心境の変化だ?


「お話中、済みませんが、殿下」


 後ろから声が聞こえた。ジャルクだ。


「この者どもの後始末を、兵士達にさせますので」

「ああ、いい。どうせだ。このまま、あと一つもついでに済ませよう」


 庭には三人分の死体が転がっている。

 しかし、その後始末は「あと一つ」の後で、ということらしい。

 今のが今だっただけに、どうにも不吉な感じがしてならない。


「さて」


 正面に向き直ったタンディラールが、椅子の上で背筋を伸ばす。


「グラーブ、どうだった」

「はっ」

「思うところを述べよ」


 悪趣味な教育方針だ。

 とはいえ、これが支配者の現実でもある。この程度の覚悟くらい、持ち合わせていなければ、王子など務まらない。


「……王者は、時には人としての情を押し殺してでも、務めに忠実でなければなりません」


 息子の回答を、ふん、と鼻であしらうと、彼は次に話しかけた。


「ベルノスト、お前はどうだ」

「逆賊には、相応しい運命があるべきです。ただ、次は殿下の手を煩わせは致しません」


 これまた鼻であしらうと、また次に尋ねた。


「アナーニア」

「お父様、これは当然の結果ですわ」


 重苦しい表情をしていた男児二人とは違い、彼女はまったく物怖じしていなかった。目の前で人の首が飛んだのに。

 実際、ベルノストのほうが、精神的なダメージは大きかったのかもしれない。彼はついこの前、実戦を体験したばかりだ。この「実戦」というのは「自分も死ぬ」という事実を実感させてくれる。それだけに目の前の処刑も、自分の身の上の出来事のように感じられるのだ。

 一方のアナーニアには、そうした実感がない。そもそも初めから、他者への共感が恐ろしく乏しい。王家の子女という圧倒的強者の立場に生まれ、育ってきた以上、それは当然の感覚なのかもしれないが。だから、敵が死ぬのは当たり前。気になるのは、庭が汚れたことくらいなのだ。


「お前らしいな」


 だが、これまたタンディラールのお気には召さなかったようだ。

 それはそうだ。これは「当然の結果」などではない。敗れれば、自分も同じように死ぬ。彼にはそれがわかっている。


「リシュニア」

「……私は、王国の平和を願うばかりです」


 後継者の地位が確保されたグラーブ、王女達の中では一番の権威を誇るアナーニアとは違って、リシュニアには、日陰の人間の気持ちを思いやるだけの経験がある。だから、犠牲者の心の声も聞こえてしまう。

 朝からずっと、このような恐ろしい戦後処理を見続けてきたのだとすれば。繊細な彼女にとっては、拷問に等しい時間だったはずだ。内心では、処刑される彼らに同情さえしてしまう。だが、何もできないのだ。


「その平和を乱すものがいれば、対処せねばならんぞ?」


 低い声でそう尋ねる父に、リシュニアは目を伏せて答えた。


「それが王家に連なるものの務めでありますれば」


 そこでタンディラールは、いったん言葉を切った。

 不気味な沈黙だった。はて、あと一人、残っているのに。


 誰も動き出そうとはしない。

 風さえ吹くのをやめた。


「どうした、フラウ」


 ややあって、タンディラールが低い声で呼びかける。


「言いたいことはないか」

「……はっ」


 リシュニアのかわいらしい従者、伯爵令嬢のフラウは、目を泳がせた。


「いや、言い方が悪かったな」


 座り直しながら、タンディラールはフランクな口調でそう呟いた。

 そして、改めて威儀を正し、言い直した。


「最後に言いたいことはないか」


 言葉に含まれたニュアンスに、はっと息を呑む。

 最後。ということは……


 意味を悟ったリシュニアが、がばっと振り向く。目を見開いて、後ろに控える従者を凝視する。


「殿下……」


 見る見るうちに、フラウの顔が、くしゃくしゃに歪む。


「あなた」

「……私は、見ていられなかったのです」

「なんてことを」


 俺は振り返った。

 タンディラールは、口元に笑みを浮かべていた。それは猛獣が血をすするような、そんな凄まじい笑みだった。


「軽はずみをしたものだ」


 よく響く声が、この半屋外の東屋に行き渡る。


「これでワニィタ家もおしまいだな。どうだ? フラウ」


 そういうこと、だったのか。

 長子派の最後の生き残り。それが彼女だったのだ。


 フミール王子やショーク伯からすれば、タンディラールのすぐ傍にスパイを置いておくのには、重要な意味があった。王女の近侍であれば、その価値は計り知れない。


 そして彼女が密告したのだ。キース・マイアスは、太子派のサフィスの手下なのだと。

 思い出す。戴冠式前日の、慌しい茶会。そこでリリアーナがうっかり口にした一言。


『去年の武闘大会の、あの優勝した人! キース・マイアスって人? と、お友達なんだよ!』


 もちろん、この言葉一つで、長子派の上層部がすべてを判断したわけではないだろう。ただ、裏を取ろうと思えば、証拠になりそうなネタがいくらでもあった。例えば、そもそも武闘大会の決勝戦の後、俺はキースの前に立ち塞がり、これから付き合ってくれと言った。彼は取り巻きを全員追い払って、俺一人についていった。


「……あなたは」


 気付けば、フラウは別人のような顔をしていた。

 火の中で弾ける小石のような。そんな怒りが充満した何者かに成り代わっていた。


「なんだ? 今のうちだぞ?」


 一方のタンディラールは、明らかに面白がっている。


「こんな……」


 拳を握り締め、フラウは息を殺して呻いた。


「こんな不潔な男が、王になるなんて」

「ほう? それから? それだけか?」

「悪意の塊、利己的で、狡猾で、残虐で……」

「ふむふむ、他人からすると、私はそんな風に見えるのか。参考になるな。他にはないのか」

「このっ……!」


 地団太を踏む。

 だが、こうなってはもう、彼女にできることなど、何もない。


「このっ、卑劣漢!」


 思い余って叫ぶ。


「……ふっ」


 彼女の怒りは、タンディラールをますます楽しませるだけだった。


「ふっはははは! それで終わりか! いいのか? フラウ」

「くっ……!」


 何もできない。

 その絶望感に、彼女はまた、顔を歪ませた。


「フラウ、ああ」


 絶望に染まっていたのは、リシュニアも同じだった。

 震える手で、信頼する従者の肩に手を置く。


「リシュニア様……」


 ここで初めて、怒りから悲しみに表情が移り変わった。


「……申し訳ありませんでした」

「連れて行け」


 彼女の謝罪と同時に、タンディラールが短く命じた。鎖帷子の擦れ合う音をさせながら、左右から兵士が歩み寄る。彼らが、フラウの両腕を取った。彼女も逆らわず、そのまま引き摺られ、こちらに背を向ける。一度だけ、振り返り、主の顔を見た。だが、それだけだった。

 足音が遠ざかっていく。


「あ、ああ、あああ……」


 リシュニアは、その場に膝をついてしまった。

 貴族にとっての従者は、しばしば主人と一心同体となる。ちょうど、リリアーナにとってのナギア、フィルやサフィスにとってのイフロースのように。

 彼女にとっても、フラウの存在は大きかったはずだ。そしてフラウ自身にとっても、主人は自分と切り離せないものだった。

 彼女らの間に、どんな絆があったのか。それは俺にはわからない。ただはっきり言えるのは……今、リシュニアは、自分の半身を切り離されてしまったのだ。


「これで片付いたな」


 椅子から勢いよく立ち上がると、タンディラールは歩き出した。


「サフィス、本当に今日は間が悪いな」


 何事もなかったかのように、彼は振り返った。


「本当はお前と酒を酌み交わしたかったのだが……今日はどうも、そんな雰囲気でもない。また後日としよう」

「……はっ」

「ああ、そうだ。それともう一つ」


 彼は、ちらと俺を見下ろして、言い足した。


「今夜ではないが、一晩、ファルスを借りたい。いいか?」

「ご随意に」

「よかった。また話そう」


 気安くサフィスの肩を叩くと、タンディラールは歩き去っていった。

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