裁きの縄

 西の空の輝きは、あまりに弱々しかった。濁った紅茶のような赤が、黒雲に押し潰されているようだった。

 荒れ果てた流民街。足元に散らばる泥壁の破片、思い思いの方向に突き出た木の柱。住民が何かに使っていたであろう縄。壊れた家具。そのあちこちが焼け焦げている。


 そんな場所で、俺は奴と向き合っていた。


 短く切り揃えられた黒い直毛。浅黒い肌。赤いマント。逞しくもしなやかな肉体。だが何より、狂気を宿したその眼光。

 アネロス・ククバンは、俺が初めて出会った時と、何も変わっていなかった。あえて一つ違いを挙げるとすれば、鎧を身につけていないことくらいか。これから遠くに高飛びするのに、重い鎧は不便なだけだし、敗残兵であると宣言してまわっているようなものだから、捨ててきたのだろう。


 彼がこちらに来るのは、なんとなくわかっていた。別にルースレスや伯爵に対して忠誠を誓っていたわけではないので、戦争に負けるからといって、死ぬまで戦い抜いたりはしない。だから王都から脱出し、次の潜伏先を探す旅に出る。

 そして『意識探知』に、ノイズだらけの誰かがいるのが引っかかっていた。だが、キースやイフロースであるはずはない。ウィーでもないだろう。となれば、生き残った元長子派。それも、これだけの強者となれば、心当たりは一人しかいなかった。


 彼は俺をじっと見ていた。

 見覚えがある。そう、玉座の前で戦った。その前は、あの焼け落ちた家。モールを爆殺しようとした時にも見かけた。


 ……訝しげに見つめていた彼が、ニヤリと笑みを浮かべた。


 心を読み取るまでもない。

 剣を手にする少年。ただ武器を振り回していたのではない。ちゃんと「戦って」いた。ならば戦士だ。殺す値打ちがある。


 剣の狂気に捉われたアネロスだ。ルースレスの策謀に乗ったのも、ただ流血を見て、そこに加わりたかったがゆえなのだ。だが、心待ちにしていたお祭りも、そろそろお開き。仕方なく家路についたところで、思いがけないデザートを見つけた。


「……アネロス・ククバンだな」


 訊くまでもない。だが、俺はあえて口に出した。


「いかにも」


 彼の目が喜悦に輝く。

 歓喜は殺戮の中にある。刃が敵の心臓を切り刻む時、それは最高潮に達する。そこに至るまでの時間……剣を交えている時間こそ至高なのだ。

 だが、彼は幸福について、柔軟な考え方を持っていた。切り結ぶ前のやり取りは、待ち時間でしかない。だが、焦らされる快楽というのも、確かに存在する。

 なぜ、敵は自分を殺したいのか? いかにして剣を手にするのか? いかに迂遠に見えようとも、そのすべてが一連のコースメニューなのだ。そして彼は、礼儀正しくそのすべてを順序良く食べる。


「俺は、お前を殺す。殺さなければいけない」

「ほう」


 彼は嬉々としてこの宣言を聞いた。

 死の宣告は、彼にとって愛の告白に等しいのだ。


 そして、最高のディナーが料理人と客の共同作業で成り立つのと同じように……彼は饗応を受けるものとして、相応しい態度を取ろうとした。


「何のためだ? 仇討ちか」


 本来、これは彼の関心の外にある問題だ。仇討ちのためであっても、報酬目当てであっても、剣を向けてくるのには違いがない。だから、しっかり楽しんで殺す。

 だが、それではあんまりではないか。喩えるなら、これから抱く女が、自分を愛していても、金目当てでも、まったく変わらないと言っているようなものだ。そしてどうも、目の前の少年は「情熱的」らしい。愛のある交わりと等しく、憎悪の篭った剣は好ましい。面倒な一手間に見えて、これが料理の味を高めるスパイスなのだと、よく理解している。

 だからあえて合いの手を出したのだ。


「……いいや」


 俺は否定した。

 確かにこれは、復讐ではある。リンガ村の虐殺もそうだ。エレイアラを殺された件についても。だが、それだけではない。


「俺は、お前を否定する」

「なに」

「ただ、殺したいんじゃない。ただ、復讐したいんじゃない。お前は、あってはならなかった。生きていてはいけなかった。存在してはいけなかった。剣に生きたその人生すべてを、俺が否定する」


 殺すだけなら、もっと簡単な手段がある。

 あと数分も待てば、恐らくピアシング・ハンドが使用可能になる。それで肉体を奪えば、一切の危険を冒さず、一方的にアネロスを無にできる。だが、それではいけない。


 こいつを否定する。そうしなければいけない。危険なのはわかっている。死ぬかもしれない。

 それでも。やらなければいけない。この手で殺さなければ。その生を穢してやらねば気がすまないのだ。


 俺の宣言に、アネロスは一瞬、考えるような素振りを示した。

 憎しみなら、見慣れた感情だ。欲望もまた、そうだ。だが、俺が選んだのは、そんな単純な意志ではない。もっと大きな意味がある。それを汲み取ろうとして……


 ……彼は今度こそ、満面の笑みを浮かべた。

 それは虎が牙を剥くような、獰猛な笑みだった。


 全面否定。それは全面肯定と同じだ。

 お前のすべてを否定する。あなたのすべてを愛する。同じ。同じだ。


 俺は、紐の先っぽに残った最後の一粒……緑色の身体強化薬をそっとつまみ、飲み込んだ。


「死ね。アネロス、ここで死ね」


 この言葉を、彼は開始の合図と受け取った。

 腰の剣を引き抜き、静かに構える。あの灰色の、アダマンタイト製の業物を。


 対するに、俺の剣はずっと貧弱な代物だ。昔、リリアーナからもらった、ただの鋼鉄製の剣。それも、二年半に渡って何度か使う機会があったせいで、随分と傷んでしまっている。もう寿命だろう。

 問題ない。彼が身につけているのは、ただの服だ。これでも十分、切り裂ける。


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 アネロス・ククバン (34)


・マテリアル ヒューマン・フォーム(ランク7、男性、34歳)

・マテリアル マナ・コア・火の魔力(ランク3)

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル サハリア語 6レベル

・スキル 剣術    7レベル

・スキル 格闘術   6レベル

・スキル 投擲術   6レベル

・スキル 隠密    7レベル


 空き(27)

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 彼とは以前、戦ったことがある。別の肉体でだが。

 もちろん、あの時とは状況が違う。体の大きさもだが、何より、彼は本気で勝負を挑んでくるだろう。恐らく、決着は一瞬。


 互いに剣を中段に構え、切っ先を喉元に向け合う。まだ距離は遠い。それでも、三歩も踏み込めば、切っ先が届く。つまり、互いにとっての殺傷圏内だ。

 但し、アネロスにはまだ、俺の実力が正確にはつかめていないはず。時間とともにイメージが修正されることを考えると、やはり最初に優位を取りたい。


 ……動きもなく、対峙する。


 違う。

 もう、アネロスは気付いてしまった。俺が強敵たり得ることに。

 体は小さい。武器も貧弱だ。しかし、構えに隙がない。それを見落とすほど、彼は愚かではなかった。


 彼はどう動く?

 俺は知っている。アネロスの剣を……


 ……だが、それも違う。

 彼の動きに合わせるのではない。

 俺が、彼を動かさなくてはならない。


 狙うべきは、どこか。彼が「動かない」のなら、足だ。

 体の小ささから、攻撃が届きやすいのが、手足に限られる。


 細く長く。静かに呼吸する。

 意識を集中する。猛スピードで突っ走るバイクの上にでもいるかのように、視界が狭まる。それでいて、視点は定めない。剣は見ず、全体を感じ取る。


 つん、と押されるように、俺は前に出た。そのまま、彼の足元へ。吸い寄せられるように飛びかかる。

 頭上に黒く細い影を感じる。考える前に、俺は体を左に寄せる。


 真上から襲いかかる灰色の死。立っていた場所に舞い降りる。

 そこに落ち着くことなく、それは地面に撥ね飛ばされでもしたかのように、俺の目に迫る。


 戦いの意志が命じるままに、俺は後ろに揺らめき、前に押された。

 振り上げられた剣にかぶせるように、俺の剣先は弧を描いて彼の手を掠める。


 まだ。

 なおも敵を引き裂こうと、俺の腕は足元から天を衝く。同時に足は後ろに跳んでいた。

 鋭い刺突が俺の右足を貫こうとしていたのだ。


 再び、離れて対峙する。

 音が消え去った世界にいるようだった。何もかもがゆっくり動いている。そして風が、ほとんど動きのないこの風が、とてつもなくのろまに俺の頬を撫でさする。


 かすかな手応え。

 短い交叉の中で、僅かに掠めたアネロスの右手。その甲。

 今の俺は、剣の先、たった一ミリでも感じ分けるほどに、神経が通っている。そしてそれは、アネロスも同じ。


 彼の目に、死を強く思わせる、何かの力を感じた。

 ならば、あれがくる。


 横ざまに剣を構え、アネロスは左足を前に出した。遠間から一気に、俺の肩口に強打を浴びせる。

 体が傾ぐ。俺の剣に、細長い灰色の蟲が牙を食い込ませ、今にも喰らい尽くそうとする。こすれあう剣が悲鳴をあげた。


 ふっ、と体が軽くなる。

 眼前に赤い影が舞う。半ば形を失った灰色の死神が、その手を伸ばす……!


 よろめく体のままに、俺もまた、身を翻して跳んだ。そして全力で。見もせずに叩きつける。

 真後ろに。アネロスの剣が届くであろう場所に。


 再びの衝撃に、俺はすぐさま地に足をつけ、短くステップを踏む。上下に小さく振られた切っ先が、確かに肉を断つあの感触を伝えてくる。

 まだだ!


 身を捨てて、ぶつかるようにして、斜めに斬り下ろす。

 重い手応え。骨に達したのだ。


 気付けば、俺とアネロスは、また距離をあけて対峙していた。

 だが、傷を負ったのは彼だけ。


 ……初見であれば、死んでいたのは俺のほうだった。

 だが、俺は一度、見ている。あの魔窟と化した城の地下。兵士を殺す訓練場で。


 アネロスの必殺の秘剣は、彼の左足を軸にして、二段構えで繰り出される。

 その最初の一手は、遠間からの強打に始まる。目的は、敵の重心を固定するところにある。


 重さと長さのある一撃を避けるのは、技術的にはさほど難しくない。小手先で弾き返すのは難しいが、しっかり手元に剣を引き寄せ、体の軸をぶらさずに受けきれば、こらえることができる。

 だが、そこからどう動くか。普通の剣術には、体捌きがある。深く踏み込んだ敵の一撃を受け流し、その体を泳がせて隙を作るのだ。よってアネロスの敵は、右肩を前に出し、彼の剣を受けきったら、反時計回りに体を寄せる。これで相手の体が開くはずだからだ。熟練の剣士であればあるほど、自然とこの動きをとろうとする。

 その常道を逆手に取ったのが、アネロスの剣だ。そこから彼は、あり得ない素早さで身を翻し、反対方向からの刺突を繰り出せる。


 これがどれほど凄まじいことか?

 最初の強打は、ただのフェイントなどではない。体重の乗った必殺の一撃なのだ。これだけでも凡百の剣士であれば、死に至るほどの。実際、シトールの体で戦った時には、これを受けたせいで剣をへし折られたくらいだ。

 そこから、相手が体勢を立て直す前に、振り向く余裕すら与えずに体を反転させる。不自然極まりない、無理のある動きなのだ。だが、ひたすらに積み重ねられた鍛錬こそが、それを可能にした。


 彼を相手取った剣士の側からすると、まったく背中から首を狩りにきているようにしか見えない。しかも、最初の強打を受けきるために、その場で踏ん張るから、尚更俊敏には動けない。仮に見えていても、避けようがない。まして体捌きのために重心を左に寄せ始めようものなら、振り向く余裕すら残らない。

 だからほぼ視界の外、半身になったその背後から切っ先が迫ってくるのだ。そしてそれは、そのまま刺突から首元への斬撃へと変化する。ここでも二段構えなのだ。斜め下からの斬り上げでもあるから、それができる。

 これはアネロスにとっての保険でもある。突き技は点を狙う攻撃であるだけに、その隙も大きく、避けられれば反撃を招きやすい。しかし、横薙ぎに振るわれる剣に対しては、相手も後ろに下がるか、受け止めるしかない。いわば面を押さえる防御的な動きなのだ。だから常識的には、彼は反撃を受けようがなかった。


 しかし、すべてを知られてしまっていては、それも無意味だ。


 俺はその技を予期していた。だから、最初の強打を浴びた時点で、ろくに見えていないのにもかかわらず、すぐ真後ろに振り返って、そこにあるはずの剣に体重を乗せた一撃を浴びせた。

 伸びきったままの姿勢で、アネロスは硬直する。言うなれば、彼がやるはずだったことを、俺が逆にやったのだ。そこを狙って、俺は彼の右手と左手に、切っ先を滑らせた。だが、この好機を逃してはならない。なお踏み込んで、今度こそ、彼の胸を引き裂いた。


 コロン、と小さな金属音が響く。

 小刻みに揺れるアネロスが、不意に構えを崩し、大きく傾いで、瓦礫の上に倒れこんだ。


 転がったのは、俺の剣の切っ先だった。繰り返された打撃に、罅が入っていたのだろう。それが最後の一撃で折れて、彼の胸に破片が取り残されていたのだ。


 勝った。あの、アネロス・ククバンに。

 もちろん、だからといって、俺が彼より強かったということにはならない。幸運だったのだ。彼は万全ではなかった。ウィーの矢を右腕に、イフロースの懐剣を左腕に受けて、まだ時間が経っていなかった。第一、前もって彼の技を盗み見ていなければ、絶対にこの結果はなかった。

 それをアンフェアだとは思わない。剣とは、そういうものだ。どんな理由があろうとも、どんな経緯によろうとも、敗れれば死ぬ。ゆえに如何なる手段を用いても、必ず勝たねばならない。それが戦うということだ。


 どうだ。

 剣に生きたアネロスは今、否定された。ウィーの矢を受けたのはただの奇襲だったし、イフロースとキースに敗れたのも、戦術上の問題でしかない。

 だが、ついに剣と剣、不意討ちでもなんでもない、正面からの戦いで敗北したのだ。そしてもはや逃げることさえできない。

 剣の常識を裏切る秘技。あの強打から身を翻しての刺突へと変化する、理不尽なまでの素早さ。あれを編み出し、実戦で使いこなせるようになるまで、どれほどの鍛錬を要したことだろう。その努力すべてが今、無になったのだ。


「……見事」


 崩れた家をクッション代わりにして、彼は仰向けに寝転がっていた。


「素晴らしい……剣だった」


 彼は、賞賛の言葉を口にした。


 ……なんだって?


 彼の口元には、どういうわけか、微笑が張り付いていた。さっきまでの貪欲そうなそれではなく、むしろ充足した、満足げな……脱力と解放感に満ちたそれだ。

 なぜ? なぜだ? 何がおかしい?


「英雄……」


 彼の呟きは止まらない。


「……新たな、英雄……この目で……」


 冗談じゃない。

 俺は、アネロスを否定したくて戦ったのに。

 こいつは、自己満足の中で死んでいこうとしている。


「その、汚らしい口を閉じろ、アネロス」

「くくっ……いいだろう、その剣で私の首を落とすがいい」


 怒りに任せて剣を振り下ろそうとして、俺は思いとどまった。これでは復讐にも何にもなりやしない。

 こいつはむしろ、この瞬間にこそ、望みをかなえてしまったのだ。練磨した剣、誰にも負けないほどの技を、なお凌駕する強者。それが自分を剣で打ち負かしたのだから。しかもまだ少年だ。いったいどれほどの剣士に育つことだろう。

 だから彼にとっては、この死に方は悪いものではない。下手をすれば紛争中に投石器の攻撃に巻き込まれて死ぬなどの最期もあり得たわけで、それを考えればずっと素晴らしい人生の締めくくりだといえる。

 自分の命より剣を愛する気違い、それがアネロスだった。こうなることが、どうしてわからなかった?


「さぁ」

「こ、このっ」


 どうすれば。

 どうすればこの男を、踏みにじってやれるのだろう。殴りつけても、唾を吐きかけても、何にもならない。侮辱の言葉だって意味をなすまい。


 ……そうだ。

 剣士でなくしてしまえばいい。


 時間的には、そろそろいけるはずだ。俺は念じた。


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 アネロス・ククバン (34)


・マテリアル ヒューマン・フォーム(ランク7、男性、34歳)

・マテリアル マナ・コア・火の魔力(ランク3)

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル サハリア語 6レベル

・スキル 格闘術   6レベル

・スキル 投擲術   6レベル

・スキル 隠密    7レベル


 空き(28)

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 どうだ。

 これでもう、ろくに剣を扱えはしない……


「ゴフッ」


 いきなり彼は吐血した。

 俺の一撃が、内臓に達している。出血も止まらない。このまま死ぬだろう。


 馬鹿な。馬鹿な。間抜けにもほどがある。

 能力を奪ったって、こいつにはもう、それを自覚する時間すらない。こいつはこのまま、自分を剣士だと思い込みながら死んでいく。それでは意味がない。


 どうしたら……


 その時、視界の隅に、汚れた縄があるのに気付いた。

 俺は周囲を見回した。崩れかけた家々から、骨組みだった木の柱が、横方向に突き出されている。高い位置にあるものもあれば、低い位置にもある。


 これだ。


 俺は飛びつくようにして縄を掴んだ。結び目を作るまでもない。何かを引っかけるのに使われていたらしく、既に輪ができていた。ちょうどいい大きさだ。

 取って返すと、俺は乱暴にアネロスの両腕に剣を叩き込んだ。そうして動きが鈍った隙に、輪投げの要領で首に縄をかけた。

 手早く片付けなくては。反対側の縄の先端を放り投げ、頭上の横木に引っかける。だが、俺の体重は彼より軽いので、腕力だけでは引き上げられない。だから低い位置にある横木まで急いで駆け寄り、そこにまた、ロープをかける。

 さぁ、準備完了だ。


「うっ……!?」


 背中でアネロスが呻き声をあげたのを聞く。

 横向きに引っ張れば、その分彼が吊り上がる。身体強化薬で、腕力だけは不足しない。


「ぐうっ!」


 後ろ向きに引っ張りながら、ついにアネロスの横を通り過ぎる。うまくいった。

 程よい高さになったところで、俺はロープを近くの柱に結わえ付けた。


「な……ぐ……」


 絞まり方がきれいにいかなかったらしい。物の本によれば、絞首刑はすぐに意識を奪うというが、そこはそれ、俺が素人だったせいもあってか、まだアネロスの意識は明瞭だった。もっとも、そのほうがありがたい。


「アネロス、聞こえるか」


 返事はない。だが、とにかくこんな死に方は嫌なのだろう。縄を外そうと必死で腕を動かす。だが、無理なのだ。さっき俺が両手の腱を切断した。もう、指に力が入らない。


「お前は、剣では死なない」


 ただ殺しても、意味がない。可能な限り最も残酷な方法で、命を奪わなくては。


「ど……いう、つもり……っく……だっ」


 空中でもがきながら、彼は初めて憎悪の滲んだ視線を向けてきた。

 実にいい。その顔が見たかった。

 どれ、せっかくだから、精一杯楽しくやろう。


「えー……もしもしー」


 軽く咳払いして、俺は背筋を伸ばし、まっすぐ立った。

 そして、まるでバラエティ番組の司会者みたいな口調で喋りだした。


「それでは皆様、これからリンガ村・村民会を開催したいと思いますー。本日の議題はですねー、村の清掃当番と女神像の修繕費用の件、それからこちら」


 わざとらしく作った笑顔で、俺はアネロスを指差した。


「リ……ガ村……?」


 アネロスの目が僅かに見開かれる。

 そうだ、思い出せ。


「七年前、私達の村を焼き討ちした犯人が捕まりました! よかったですね! というわけで、村人の皆さんに、どうするかを決めていただこうと思いますー」


 そう言ってから、俺は周りを見回すふりをした。もちろん、誰もいない。その場にあるのは、せいぜい焼け焦げた死体くらいのものだ。


「誰か、意見はありませんか? あ、はいっ!」


 ふざけきった一人芝居だ。俺は自分で呼びかけて、自分で挙手した。


「絞首刑にするのがいいと思います!」

「はいっ、他に意見は? ありませんか?」


 あるわけがない。

 リンガ村の生き残りは、俺一人。よって俺の決定が、村民の総意となる。


「ありませんねー、じゃあ、多数決で! 賛成の人! はいっ!」


 俺の悪ふざけを、アネロスは唖然としながら見下ろしていた。

 死ぬことは覚悟していただろう。だが、こんな辱めを受けながら生涯を終えるとは。


「投票総数、一! 賛成一、反対ゼロ! よって絞首刑に決定ー!」

「バ……カな……!」


 アネロスの顔が鬱血している。これでは絞首刑というより、窒息死だ。さぞ苦しいだろう。いい気味だ。


「それでは、村民会を閉会したいと思います。皆様、ありがとうございましたー!」


 そう言ってから、彼を見上げる。

 まだ生きていた。苦しげに指を首に絡め、なんとか取り外そうとしている。だが、首を無意味に掻き毟るばかり。

 彼は、かすれる声で俺に言った。


「ころ……せ」

「殺してるよ、今」

「そう、じゃ……」

「じっくりとね」


 俺は彼を見据えて、はっきり言った。


「アネロス。お前は縄で死ね」


 俺の一言に、彼の顔が歪む。

 それは絶望の表情だった。


「そん、な……」


 もがきながら、彼は懇願でもするかのように、途切れ途切れに呟いた。


「こ……ろ……け……ん……け……で……」


 なおも。

 この期に及んでも、なおも剣で死にたいのか。だが、許さない。絶対に。


「……死ね」


 俺の中で渦巻く憎悪が、ようやくそのままの形で顔を出した。


「死ね」


 胸の奥から、叫びが衝いて出る。


「死ねっ!」


 もはや言葉にならない呻き声をあげながら、彼は空中でもがいた。宙吊りになった彼の体が僅かに揺れる。

 もう死ぬ。死んでしまう。もっと、もっとだ。もっと辱めなくては。


「ははははは!」


 わざとらしい笑い声。楽しくも何ともないのに、俺は笑った。


「あはははは!」


 まだ、生きている。力尽きて腕が下がった。それでも、まだ。

 ピアシング・ハンドは、こいつの魂がここにあると告げている。


「わはははは!」


 こいつだけは許せない。

 彼には彼なりの人生があり、想いがあったのだろう。その出自、運命ゆえに、剣士……そして殺戮者としての生き様しか、選べなかったのは、俺も知っている。それでも。

 なぜなら、最悪の罪を犯したからだ。


 ファルス・リンガという悪魔を、この世に解き放った。


 俺には、それが我慢ならないのだ。


 ……ポツッ、と冷たいものが頬に触れた。

 雨だ。


「アーッ、ハーッ、アハ、アハハハアアァ……うわぁあああぁっ……!」


 いったん泣き出した空は、とめどもなかった。

 次から次へと、そして見る間に雨滴が周囲の色をくすませた。


 ……もう、終わっているのに。

 降り注ぐ雨に揺れる彼の体には、もはや何者も宿ってはいない。それがわかっているのに。


 すべてを塗り潰す灰色の雨の中で、俺は天を仰いで叫び続けた。

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