誘惑と招待

「誰か! 誰かいないか!」


 走りながら叫ぶ。

 金属製の鎧は、捨ててきた。それまで身につけている時間はないと判断した。


 立ち並ぶ兵士達が、不思議そうな顔でこちらを眺める。

 ルースレスの顔なんて、おぼろげにしか覚えていない。ちゃんと見れば区別できるのだろうが、今はいつもと違って、あの仰々しい鎧に飾られていない。そのせいで、どうもピンとこないらしい。

 思えば、こんなところにも彼のイメージ戦略があったのだ。彼のスキルから判断するに、どちらかというと身軽な戦い方を身上としていたはずなのに、あえて重くて派手な鎧を選んでいた。ただの訓練でしかなくても、必ず着用していたのだろう。ずっと前から逃亡に備えていたのだ。


「あっ、隊長」


 誰かが気付いた。


「情勢が変わった! 攻撃はいったん中止! 各自、持ち場に戻れ! 早く!」


 ようやく何人かが、これが指揮官なのだと気付き始めた。


「お前達も、走っていって味方に伝えろ。総攻撃は中止。指示あるまでそのまま待機だ」

「は、はっ!」

「私はこれから、ドゥーイ達のところに顔を出してくる。すぐ戻るから、それまで待て」


 ぎりぎり間に合った、か。

 城壁に迫っていた兵士達が、まるで潮が引くように下がっていく。そして、戦場の喧騒は静寂に取って代わられた。

 仮組みの城壁の上に立つ近衛兵の顔が見える。さっきまで、梯子を持ち出して近付く敵兵相手に怒声を浴びせていたのに、今はぽかんと立ち尽くすばかりだ。


「あの、どこに」

「余計な心配はいらない。いいから待つのだ!」


 ルースレスらしい態度や言葉遣いができただろうか?

 なんにせよ、この体はきっと二度と使わない。しっかり筋肉もついていて、なかなか性能もよさそうではあるが、まだしっかり馴染んでいない。数時間ほど慣らせば、少しはマシになるだろうが、こいつは国内では追われる身の上だ。


 さっきの森まで引き返し、誰もついてきていないことを確認した上で、肉体を切り替える。

 空を見上げると、すっかり暗くなっていた。


 玉座の前には、誰もいなくなっていた。

 戦闘の痕跡が残るばかりだ。ただ、ドゥリアは別として、更にそこに四人ほどの死体が転がっている。外見から判断するに、傭兵だ。とすると、ドゥーイを助けにきた部下達か。

 それにしては、イフロース達の死体がない。普通に考えて、逃げたのだろうが、ただでさえ戦力で劣っていたのに、増援まで打ち倒したのか。


 俺は正面から謁見の間を出た。

 そこで、暗がりに佇む人影を見た。


「終わったか」

「チンタラしやがって」


 イフロースとキースだった。彼らの足元には、また一人分の死体がある。

 見間違えようもない。スナーキーだ。


「こっちも終わったぜ? やっとスッキリした」


 一撃で頭を飛ばされたのだろう。首以外はきれいなものだ。


「攻撃は止められたのか」

「全軍に待機命令を出しておきました」

「ルースレスは」

「もう、この世にはいません」


 しかし、ウィーは?


「あの後、どうなりました?」

「おう」


 俺が抜けた後、ウィーはすぐには逃げ出さず、できればスナーキーをしとめようと、矢を放った。だが、案の定、そう簡単には当てられない。

 彼女が指示通り、逃走に切り替えようとした時だった。


 彼女が最後に放った一矢。

 これにイフロースが魔術をかぶせたのだ。


 スナーキーを狙って撃ち出された矢が、急カーブを描いた。

 それは、またもやドゥーイを……


 ……狙うかにみせて、アネロスを襲った。

 同時に、イフロースはフェイントを織り交ぜて、ドゥーイを置き去りにした。風の懐剣を投擲しながら、アネロスに飛びかかったのだ。


 無言の中で、瞬間的に最高の判断をしたといえる。

 集中して回避行動をとるスナーキーには、なかなか命中させられない。ドゥーイに当てても、さほどのダメージにはならない。だが、今、力量が拮抗しているキースとアネロスの勝負に介入できるならば。

 ウィーを庇おうと動けば、かえって不利を招く。だから、それならばいっそ、彼女を放置して一気に敵戦力を削ってしまおうと、虚をついたのだ。


 そして、それに呼応できないほど、キースは鈍重ではない。

 アネロスは、ウィーの矢、イフロースの剣と短剣、そしてキースの刃と、いきなりの集中攻撃を浴びてしまったのだ。


 それでもアネロスは生き延びた。二人の剣を弾き、後ろに下がって矢をかわして……だが、懐剣が深々と左腕に突き刺さった。


「見事、だってよ。けっ」


 彼は言葉少なに敵を賞賛した。

 卑怯などとは言わない。これが戦いなのだ。


 敗北を悟って、アネロスは後ろに飛び退き、短剣を引き抜くと、走り去った。そしてもちろん、キースもイフロースも、それを追う愚を犯しはしなかった。

 次はドゥーイだ。二人揃って襲いかかった。


 こうなると、スナーキーも判断に苦しむ。親分を放置して、全力で逃げるウィーを追いかけるのは、憚られた。

 だがその時、帰ってこない隊長を探しに、数人の傭兵が追いかけてきた。


 ドゥーイは不利を悟って、彼らに後を任せて逃走したのだ。

 結果がこれだ。何人かは二人に返り討ちにされ、最後に逃げ出したスナーキーも、たった今、斬り伏せられた。


「ククッ、これが年の功ってやつか? ジジィ」

「一人には一人の、多人数には多人数の戦いがあるということよ」


 鮮やかというしかない。

 俺にはピアシング・ハンドがある。だから個々人の能力を覗きみることができ、結果、戦力で敵が勝ると判断した。確かに、個別の戦力の合計を数字にすれば、それが正解だった。

 だがイフロースはそれを覆した。目先の敵に誰もが手一杯だった中、彼だけが状況を俯瞰できていた。


 寡兵で大軍を撃つにはどうすればいいか? 集中だ。少ない戦力に、最大の戦力をぶつける。どれだけ頭数がいても、遊兵は戦力にならない。個別に撃破すればよい。味方の戦力が減るという、一見すると不利になるだけの状況にもかかわらず、素早い判断と機敏な動きで、そのチャンスをものにしたのだ。

 一人の戦士としては、今のイフロースはキースに及ばないだろう。だが、彼は一流の戦術家でもあったのだ。状況を巧みに利用して主導権を掴み、勝利を掴む。その術を知り抜いている。こればかりは、キースもアネロスも、ドゥーイも叶わない。


「つうわけで、これから探してやんねぇとな。せっかく勝ったってのによ」

「ですね」


 結果だけ見れば、完全勝利だ。ドゥーイとアネロスは逃がしたが、ルースレスは死んだ。伯爵軍も停止し、二度と動き出しはしない。

 王宮の外にはまだ、ドゥーイの傭兵団とウェルモルドの軍団が残っているが、彼らの間には連携がない。ゴーファトが駆けつけた以上、兵数でも優位はないから、決着は時間の問題だ。


「では、私は最後の用件を片付けてくる」


 イフロースが、溜息とともに言った。


「えっ?」

「今なら、伯爵軍の真ん中を歩いて通り抜けることもできよう。軍使だとか、適当なことを言えばよい」

「あっ……」


 一連の報告を、サフィスに。

 勝利に浮かれるなど、できはしない。


「心配するな。責任を取るのは私だ。お前のことは、手柄だけ伝えるとしよう」

「あの」

「ああ、細かいことは適当にごまかしておく。結果だけだ。とはいえ、ルースレスを討ったのはお前だと、殿下にも言わないわけにはいかんな。やり方は、どうせ秘密なのだろうが」

「は、はい」


 彼は力ない笑みを浮かべた。


「それとキース、世話になったな」

「いんや。勉強させてもらったぜ? いろいろとな」

「お前なら、私など比べものにならんほどの栄光を手にできるだろう。だが……道を誤るなよ」

「ああ、覚えとくぜ」


 イフロースは、俺とキースと乱暴にタッチをかわすと、背を向けて歩き去っていった。


「さって、俺達も行くか」

「はい。ウィーが心配です」


 さっきの地下牢の入口に戻る。逃げるとなれば、王宮の外に出なければ始まらない。何しろここは、傭兵と伯爵兵でいっぱいの空間だ。であれば、外を目指したに違いないが……


「足跡だ」


 俺の横でしゃがみこんだキースが、そう言う。


「わかるんですか」

「だいたいはな」


 やはりウィーはここまで来たらしい。

 本来の作戦では、キースもイフロースも、それぞれに安全を確保しつつ逃げ延びるということになっていたから、彼女の判断がおかしいわけではない。後ろを見ながら走るわけにはいかないからだ。


「降りようぜ」

「は、はい」


 氷の上に、牢獄の管理室の椅子や机を積み上げて、即席の梯子代わりにした。そこに足を載せる。


「うおっと! 氷が解けかかってやがる」

「水流がありますからね」

「気ぃつけろよ」


 降り立って足元を再確認すると、濡れた足跡が続いている。ウィーだ。


「お前よぉ」

「はい」

「魔法? 神通力? か何かで、呼びかけてみろよ」

「はい、それが」

「なんだ?」

「その……さっき、切り札を使った時に、繋がりが切れちゃいまして」

「あぁ?」


 ピアシング・ハンドで体を乗り換えた時に、『精神感応』の術が途切れてしまった。当たり前かもしれない。術を行使している本人が、いきなり消えたのだから。

 よって今から彼女と会話しようとするなら、まず『意識探知』で居場所を探るところから始めなくてはいけない。大勢の人が動き回る王都では、途方もなく難しい作業になる。


「しょうがねぇな。とりあえず出るか」


 牢獄を出て、貴族の壁の内側に出る。王都の西と東に、それぞれ何かが炎上しているのが遠くに見える。


「どこ行きやがったんだ?」

「多分……」


 最悪の可能性が頭をよぎる。

 ウィーには、身を寄せる場所がない。そもそも密入国者として追われる立場でもある。そんな彼女が、とりあえず身を休めるために立ち寄るとすれば。


「急ぎましょう」

「あ? なんだってんだおい」

「多分、クレーヴェの家です」

「あー、そっか。確かに、仕事が終わったからな」


 キースは暢気な声で言う。だが、それどころではない。

 今のクレーヴェは、恐るべき復讐鬼だ。何も知らないウィーが、そんな彼のところにのこのこと顔を出したら……


「ジジババ生きてたら、飯でも食わせてもらうか?」

「駄目です」

「何がだよ」

「ウィーを、連れ戻さないと」

「何でだよ」

「それは、クレーヴェが」


 いきなりキースが足を止めた。つられて俺も立ち止まる。


「……計画は失敗したようだ」


 聞き覚えのある女の声。

 思わず身構える。


 全身を黒一色に包んだ暗殺者が、闇に溶け込んでいた。かろうじて、目元だけが確認できる。


「クローマー、か」

「長子派に支援を与え、王位を奪い取る。組織と協力関係を取り結んで、この国に根を下ろす……フミール王子は凡愚、ショーク伯をはじめとした近しい貴族達も、目先の利益しか考えられない俗物どもだったからな。だが」


 かぶりを振って、彼女は残念そうに言った。


「伯爵が……正確には伯爵の部下か? こんな暴走をしでかすとは。これではタンディラールも死なない。じきにスーディア兵がここを制圧する。数年間の準備が水の泡だ」

「ファルス、この女、知り合いか?」


 油断はない。キースがあえて軽い口調でそう尋ねる。


「パッシャの……魔王の下僕の、クー・クローマーです」

「そいつはおっかねぇな」


 キースの発散する殺気に、しかし彼女は反応しなかった。


「心配するな。もう、これ以上何かをするつもりはない。戦うつもりもな」

「何しに出てきた」


 俺は静かに剣を抜き放つ。こいつは敵だ。


「お前に愛の告白をしようと思ってな」

「ヒュウ、モテんじゃねぇか、ファルス」


 嫌な予感がする。

 わざわざ出てきたということは、俺に用事があるのだ。それが愛の告白だって? どういう意味だ?


「もう一度だけ言うぞ。ファルス、お前は組織に加わるべきだ」

「断る」

「人間など、所詮は醜く愚かなもの。わかるだろう?」

「わかりたくもないな」

「くっくくく」


 低い声で、彼女はさも愉快そうに笑う。


「そう言われると思ってな。わざわざお前のために、特上の見世物を用意しておいてやった」

「なに?」

「この国に組織が関わった痕跡は、消し去らねばならん。特に、協力関係にあった人物は」


 胸の奥で、警報が鳴り響く。

 やっぱりこいつは。


「だが、こんな私にも情がある。親しくさせてもらった相手を殺すのは、少々気分がよくない」

「どの口でっ」


 わかった。

 こいつの言う「特上の見世物」というのは……


「我々組織は、復讐者の友人だという話はしたな? そう、そして復讐者は皆、『平等』だ」

「……貴様!」

「ふははは!」


 飛びかかろうと踏み出す俺から大袈裟に飛び退いてみせて、彼女は続けた。


「最高の舞台にお前を招待しよう、ファルス、ふはは」

「ふざけっ、るっ、なっ!」

「間に合えばいいな! だが、これでまた一つ、お前は世界のありのままの姿を見る!」

「うるさい!」

「また会おう、ファルス! あははは!」


 ヒステリックな笑い声さえあげながら、彼女は闇に消えていった。


「……くそっ」

「なんだ、ファルス。話が見えないんだが」

「急がないと。ウィーが」


 駆けつけて、どうする?

 ウィーが真実を知ってしまったら、どうせ同じことなのに。


 それでも。

 俺は足を止めることなど、できなかった。

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